:: 2日目 〜 平泉へ 〜 ::



仙台駅近くでレンタカーを借りて、
平泉に向けて、出発!



夏らしい真っ青な空の下、
仙台からおよそ100km北、岩手の南部・平泉町を目指します。
本日の予定は、中尊寺〜高館〜毛越寺。
B.G.Mは、オットー編集・「東北で聴きたいさだまさし」(笑)
わたしはしんみり、「奥の細道」の本文を、心に反芻したいところだけどねえ。


出発からおよそ1時間半、11時すぎに、中尊寺駐車場に到着。
この頃から、混み混みの予感大、
お寺からずいぶん遠い駐車場に案内されました。(笑)
でも、その途中の風景が、なんともすてきで。
暑いけど、のんびりながめながら歩けて、よかったです。

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入口から、月見坂という長い急な坂を上っていく。


ここが、本堂と、その前栽あたり。

中尊寺は、総合病院ならぬ、総合寺院?
参道に沿って、あらゆる仏さまがいらっしゃるので、とても広い。
(ここだけで、道祖神、本堂、金色堂、と3つもご朱印をいただいた。)
そしてそこらじゅう、人・人・人・・・
まあ、お盆・ど真ん中ですからね・・・
しかも、世界遺産登録後、初の。
昔訪れた、あの、だーれもいない、さーびしい中尊寺金色堂、どこへいった!(笑)

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拝観券最後尾の札に驚き。 この蔵と 金色堂の共通券です

金色堂(見えているのは、現在の覆堂です)も、やんわりと入場制限中。
この中で、解説の放送を聞き、金色堂を拝観して、ご朱印ももらわなくてはならない!

でもでもやっぱり、金色堂は、美しかった。
子どもたちも、まだまだ奥州藤原氏の歴史までは、知識が届かないでしょうが、
教科書や資料で、今ではメディアで、一度は目にする金色堂。
あの中に、藤原氏三代が眠っているのね…と、
それは理解して見たようで、よかったです。

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かねて耳驚かしたる二堂開帳す。
経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散り失せて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、
既に頽廃空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぐ。
しばらく千歳の記念とはなれり。

五月雨の 降り残してや 光堂



- 「奥の細道」 より -

金(こがね)を金といわず、「光」と表現しているところが、好きです。
芭蕉翁が訪れ、偲んだ過去の栄華を、
数百年後に、同じ思いで同じものを見ることができる、
その不思議、と、幸せ。

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こちらが芭蕉が見たであろう、「四面新たに囲みて・・・」の旧・覆堂。
少し離れたところに、移築されています。(重要文化財)
建築様式から、室町時代のものと推定。



今もお隣に立って、見ておられましたよ。

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そして、Chusonji Templeの拝観は終了です。



・・・ 駐車場までののんびりロードが、美しかったこと! ・・・





しゃがんで「オリザ」を見ていたら、この美しさに、胸がいっぱいになった。
この子たちがすくすくと育っているすがたと、それを助けているもの、すべての。
ただ、神さまに、感謝する。

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お次は、あの「高館」へ。




「まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。」
 

昔のアルバムのようには、いかなかった・・・。(笑)
でも、一枚にはとても収まらない、雄大な風景です。
ここにいたっては、子どもたちには、何のことやら分からなかったことでしょう。
いつか・・・分かるといいね。


三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。
衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。

泰衡が旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。
さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢となる。
『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。

夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡



- 「奥の細道」 より -

石碑に刻まれている本文です。

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午後も遅く、さすがにおなかが空いてきて、
平泉駅前のおそばやさんに行ったのですが、なんとお盆休み中。
たまたま目に入った看板をみて、「カフェ琥珀」を目指す。

思いがけず、カフェごはんでしたが、とってもおいしかった。
ま、おそばは明日、イヤというほど(笑)食べる予定、だもんねっ。

食事を終えて、すぐ近くまで来ていた、毛越寺へ。
ここのお庭は、初めて。
この前、ベニシアさんが番組で訪れているのを見て、行ってみたいなあと思っていたのでした。



こちらは本堂。
この隣に、庭園がぐるっと広がっています。
傾いた午後の日差しに、木々の影が水面に映り、とても美しい。

大泉が池の水鏡にうっとり。
小川(遣水)は 大海(大泉が池)に注ぎこむ

日本最古の作庭秘伝書と言われる、平安時代の『作庭記』。
それに基づいて作られた、浄土庭園。
日本庭園史上にも貴重な遺構だそうで、
特別史跡と特別名勝、二重の指定を国から受けている文化財です。

そんな文化価値に感心しつつ、、、
価値を知らなくとも、ただ木々や水、鳥や虫の声、があることに、心洗われます。
(もともと、そうして楽しむものがお庭なのでしょう。)
ニュースで見たことのある、「曲水の宴」の行事は、ここなんだー。と感心したり。
子どもたちには、事前にベニシアさんの番組を見せておいたので(笑)、
おしゃべりしながら歩いて、退屈せずにくつろいでいたようでした。



「出島石組と池中立石」
ここは、池の景観を引きしめている、
庭園中最も美しい、"荒磯風の出島"だそうです。
この中に、発掘調査中の方が数名、入っておられました。
暑いでしょうに…。頭が下がります。
震災後の修復のためのようですが、
ふだん見えない石組みの全体が見られますよ、という、前向きな看板がナイス。



美しいお庭をゆっくり一周して、ご朱印をいただいたら、
今日の宿泊地・花巻温泉郷に向けて、そろそろ出発。
まだここから、50kmほど北ですからね。(笑)
明日は、花巻をまわります。
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                          (2012.8.14)


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