:: 3日目 〜 花巻へ 〜 ::
さて、まずどこへいく?となって、 とりあえず…記念館か。ということで、開館すぐの記念館へ。 ![]() ここは「胡四王山」という山にあるのですが、次々と坂を上がってくる、車と人々。 駐車場もいっぱいで、誘導員さんも出ているくらい。 ちょっとびっくりするほどの、観光客の数でした。 中尊寺同様、お盆ど真ん中だったから、かな・・・ ------------------------------------------------------------------------------ ![]() ![]() 記念館敷地内に、かの有名な?「山猫軒」があります。
「どなたもどうかお入りください…」 なんだかちょっと、こわいよねえ。(笑) ここはおみやげものやさん+レストランなのだけど、 帰りに寄ったら、どなたも入っていて、ぎうぎうの満員!でした。 さすがの山猫も、こんなにたくさんの人間を食べることは、できないと思われます…。 ------------------------------------------------------------------------------
記念館の中では、展示をゆっくり見てまわる。 細かい資料など、実際のものを目にすると、ほおお〜といちいち、感心したりして。 賢治が弾いていたチェロがガラスケースに展示されていて、 ボタンを押すと、そのチェロで演奏した「トロイメライ」が流れるのです。
実はゴーシュはトロイメライを弾いていないのですね…。 印度の虎狩て…。(笑) * 賢治は上京して、チェロの特訓を受けていました。 そんな経験から、この作品が生まれたのでしょう。 この作品で楽団が演奏する「第六交響曲」のレコードも、 賢治のコレクションとしてチェロと一緒に展示されています。 企画展は、"種山ヶ原と賢治"でした。 哀愁たっぷりの原体剣舞連 (はらたいけんばいれん=江刺地方の民族芸能)の歌が聴けて、うれしかったです。 ・・・"dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah"・・・ ![]() 記念館を飾る花のプランターには、賢治が教鞭を取った農学校の名が。 ------------------------------------------------------------------------------ 記念館脇にある、急な階段を下っていくと、 イーハトーブ館と、再現された南斜花壇があります。 ![]() これが、尋常でない傾斜…上から。すでに、帰りが恐ろしい。
斜面に作られた花壇と、日時計。賢治の設計です。 ![]() ![]() イーハトーブ館では、宮澤清六イギリス海岸写真展を見ました。 (宮澤清六さんは賢治の8つ下の弟で、遺稿の保存整理に尽力し、 あらゆる版の全集の編纂校訂に携わった人。2001年97歳で没。) 上流にダムができた今では、当時の写真のように干上がることもなくなった、イギリス海岸。 賢治の好きだった、白い泥岩層が露出することもなくなりましたが、 農民を思う賢治は、きっと喜んでいることだろう、とコメントされていました。 * 記念館の館長さんは、清六さんの娘婿さんだと、昔、とある冊子で知りました。 今はお孫さんが、賢治関連の雑貨を扱うお店もされています。 生涯独身だった賢治ですが、今も家族に愛され、守られているのだなあと・・・ * 記念館の近くにある、"童話村"は、初めてでした。 賢治の作品をとおして、自然を学ぶ、という趣旨のもので、 ちょっと、小さい子向けかな?という感じ。 でも坊ちゃんたちは、「ここがいちばん楽しかった」と(笑)のたまっておりました。 ま、子どもたちには、資料ばかりじゃ、つまんないよね。。 ------------------------------------------------------------------------------ 山猫軒の支店を探して、新花巻駅まで行った後、 イギリス海岸の現地へ。 ![]() ![]() ここは、北上川と、猿ヶ石川の合流地点より南側の西岸です。 以下、賢治の童話?によると・・・
夏に干上がると、農学校の生徒たちを連れて遊びにきては、↑ ここでバタグルミの化石を拾ったりしました。 この"海岸"は、『銀河鉄道の夜』に出てくる、"プリオシン海岸"のモデルにもなっています。
ここで、化石ではありませんが! 小さい坊ちゃん、クルミの殻が落ちているのを発見! ![]() 泥まみれで、割れていましたが・・・イギリス海岸で、クルミを拾えるなんて!(狂喜) ------------------------------------------------------------------------------ さてそろそろ、おなかも空いてきたので、 花巻の商店街にある、おそばやさん「やぶ屋」へ移動しました。
賢治がよく通ったおそばやさんで、いつも決まって頼むのは、 「天ぷらそば」と「サイダー」でした。 当時のサイダーは、きっとハイカラな飲み物だったのでしょうね。。 今ではそれが、「賢治セット」というメニューになっています。 頼んでいる方も、おられましたよ。 * 「わんこそば」は、旅の目的のひとつで、坊ちゃんたちも楽しみにしていました。 食べきれない(?途中でやめればいいのか?)と困るので、 わたしだけ天ざるを頼み、あとの3人は、憧れのわんこそばを注文!
さて、気になる結果は! 大きい坊・39杯 小さい坊・34杯 パパ・51杯 でした。 ↑これはほぼ、それぞれ年齢の標準だそうですよ。 後ろにはってあった、「わんこそば大会」勝者の杯数を見て、びっくりでした。。 (↑のお店のリンクで、ランキングをごらんあれ。) ------------------------------------------------------------------------------ おなかもいっぱいになったところで、突然ですが、郵便局へ。(笑) 花巻局を探して…風景印(消印)を、押しに。 ![]() まとめになってしまいますが、今回の旅ではふたつだけでした。 もっと違う絵柄を求めて、まわりたかったですが・・・ 時間的に、厳しかった。残念。 切手も、中尊寺オンリーで。ぎりぎり、イワテケン。(笑) 昔あった、賢治の肖像切手…また出ないかなあ。 ------------------------------------------------------------------------------ 夕刻迫りくる花巻、今日は、ここまでかー。 ![]() ![]() 花巻農業高校の敷地内に移築されている"羅須地人協会"へ。 閉門間近だったので、お客さんもほとんどなく、静かな風景で迎えてくれました。 * 農学校の教師を辞して、農民たちの支えになろうとした、賢治。 「農民芸術概論綱要」というすばらしい文章があります。 そこに、賢治がやろうとした、理想の農業のすがた、農民の生き方、が記されています。
![]() 家屋玄関の黒板。賢治の筆跡を模して書かれています。 当時建っていた場所(下根子桜)は、崖の上だったそうです。 ・・・ 羅須地人協会 内部 ・・・
正門側に、こんな碑が立っていました。
九月二十一日は、賢治祭の日。賢治の命日。 素晴らしい碑文に、強く胸を打たれた。 「農業は、全ての産業の基である。」 そのとおりです… ![]() 庭園の一角、賢治先生のお姿。 写真で有名なこの姿、田んぼを見て、憂いているのではないのです。 本当は、大好きなベートーベンの真似をしていた、 茶目っ気たっぷりの賢治なのでした。 ------------------------------------------------------------------------------ 賢治愛全開で、浮かぶままに綴りまくった本日の旅日記。(笑) 日暮れが近づき、ここからさらに30km北の盛岡へ移動するため、 後ろ髪を引かれつつ、賢治宅を辞する…。 何度か来ていても、まだまだ回れていないところはたくさんあり、 本当に、名残惜しいです…。 身照寺、ぎんどろ公園、雨ニモ負ケズの碑… そして、賢治祭。 またきっといつか・・・訪れたいと思います。 ------------------------------------------------------------------------------ (2012.8.15) |