:: 3日目 〜 花巻へ 〜 ::



花巻温泉から、市街地を目指す。
今日は一日、花巻市内をめぐります。



花巻温泉郷は、いくつもの温泉街の総称です。
ここは3軒のホテルと、高級和風旅館1軒で成り立っている、
歴史ある温泉。
(3軒のホテルは中でつながっていて、どのお風呂に入ってもOK!)

宮澤賢治が設計した"南斜花壇"は、ここのためのものでした。
その花壇は今、賢治記念館の下
(キョーレツな坂、というより、ほとんど斜面…)に再現されています。

教師時代の賢治は、生徒たちを連れて、よく温泉に行きました。
持ち合わせがない時は、後で送る旨を書いて、はり紙をして帰ったり…

そんな話も、さだまさしコンサートで、勉強しました。(笑)
賢治を評価するならば、"教師として"の彼の顔が一番である、と。
それを証明しているのが、教え子たちの、述懐である、と。


さて、まずどこへいく?となって、
とりあえず…記念館か。ということで、開館すぐの記念館へ。



ここは「胡四王山」という山にあるのですが、次々と坂を上がってくる、車と人々。
駐車場もいっぱいで、誘導員さんも出ているくらい。
ちょっとびっくりするほどの、観光客の数でした。
中尊寺同様、お盆ど真ん中だったから、かな・・・

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記念館敷地内に、かの有名な?「山猫軒」があります。


「どなたもどうかお入りください…」
なんだかちょっと、こわいよねえ。(笑)

ここはおみやげものやさん+レストランなのだけど、
帰りに寄ったら、どなたも入っていて、ぎうぎうの満員!でした。
さすがの山猫も、こんなにたくさんの人間を食べることは、できないと思われます…。

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あらゆるところに、ふくろうが。 よだかの星の石碑 猫の書記官たちがお出迎え

記念館の中では、展示をゆっくり見てまわる。
細かい資料など、実際のものを目にすると、ほおお〜といちいち、感心したりして。

賢治が弾いていたチェロがガラスケースに展示されていて、
ボタンを押すと、そのチェロで演奏した「トロイメライ」が流れるのです。


すると猫は肩をまるくして眼をすぼめてはいましたが口のあたりでにやにやわらって云いました。
「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。
それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」
 セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。
わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」
「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」
 ゴーシュはすっかりまっ赤になってひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたがにわかに気を変えて云いました。
「では弾くよ。」
 ゴーシュは何と思ったか扉にかぎをかって窓もみんなしめてしまい、
それからセロをとりだしてあかしを消しました。
すると外から二十日過ぎの月のひかりが室のなかへ半分ほどはいってきました。
「何をひけと。」
「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭いて済まして云いました。
「そうか。トロメライというのはこういうのか。」
 セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。
それからまるで嵐のような勢で「印度の虎狩」という譜を弾きはじめました。
すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたが
いきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。

- 「セロ弾きのゴーシュ」-

実はゴーシュはトロイメライを弾いていないのですね…。
印度の虎狩て…。(笑)

賢治は上京して、チェロの特訓を受けていました。
そんな経験から、この作品が生まれたのでしょう。

この作品で楽団が演奏する「第六交響曲」のレコードも、
賢治のコレクションとしてチェロと一緒に展示されています。

企画展は、"種山ヶ原と賢治"でした。
哀愁たっぷりの原体剣舞連
(はらたいけんばいれん=江刺地方の民族芸能)の歌が聴けて、うれしかったです。
・・・"dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah"・・・



記念館を飾る花のプランターには、賢治が教鞭を取った農学校の名が。

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記念館脇にある、急な階段を下っていくと、
イーハトーブ館と、再現された南斜花壇があります。



これが、尋常でない傾斜…上から。すでに、帰りが恐ろしい。


斜面に作られた花壇と、日時計。賢治の設計です。

 

イーハトーブ館では、宮澤清六イギリス海岸写真展を見ました。
(宮澤清六さんは賢治の8つ下の弟で、遺稿の保存整理に尽力し、
あらゆる版の全集の編纂校訂に携わった人。2001年97歳で没。)
上流にダムができた今では、当時の写真のように干上がることもなくなった、イギリス海岸。
賢治の好きだった、白い泥岩層が露出することもなくなりましたが、
農民を思う賢治は、きっと喜んでいることだろう、とコメントされていました。

記念館の館長さんは、清六さんの娘婿さんだと、昔、とある冊子で知りました。
今はお孫さんが、賢治関連の雑貨を扱うお店もされています。
生涯独身だった賢治ですが、今も家族に愛され、守られているのだなあと・・・

記念館の近くにある、"童話村"は、初めてでした。
賢治の作品をとおして、自然を学ぶ、という趣旨のもので、
ちょっと、小さい子向けかな?という感じ。
でも坊ちゃんたちは、「ここがいちばん楽しかった」と(笑)のたまっておりました。
ま、子どもたちには、資料ばかりじゃ、つまんないよね。。

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山猫軒の支店を探して、新花巻駅まで行った後、
イギリス海岸の現地へ。



ここは、北上川と、猿ヶ石川の合流地点より南側の西岸です。
以下、賢治の童話?によると・・・


夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、
二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。
 それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。
北上川の西岸でした。東の仙人峠から、
遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、
北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
 イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し、
その南のはじに立ちますと、北のはづれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。
 殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、
何とも云へず青白くさっぱりしてゐました。
 所々には、水増しの時できた小さな壺穴の痕や、
またそれがいくつも続いた浅い溝、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆きれだのが、
一列にならんでゐて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
 日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、
大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、
全くもうイギリスあたりの白堊(はくあ)の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。

- 「イギリス海岸」 -

夏に干上がると、農学校の生徒たちを連れて遊びにきては、↑
ここでバタグルミの化石を拾ったりしました。
この"海岸"は、『銀河鉄道の夜』に出てくる、"プリオシン海岸"のモデルにもなっています。


川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖の下に、白い岩が、
まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。
そこに小さな五六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、
立ったり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。
その白い岩になった処の入口に、
〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物のつるつるした標札が立って、
向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干も植えられ、
木製のきれいなベンチも置いてありました。
「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、
岩から黒い細長いさきの尖ったくるみの実のようなものをひろいました。
「くるみの実だよ。そら、沢山ある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」
「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」
「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」
 二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。
左手の渚には、波がやさしい稲妻のように燃えて寄せ、
右手の崖には、いちめん銀や貝殻でこさえたようなすすきの穂がゆれたのです。

- 「銀河鉄道の夜」 -

ここで、化石ではありませんが!
小さい坊ちゃん、クルミの殻が落ちているのを発見!



泥まみれで、割れていましたが・・・イギリス海岸で、クルミを拾えるなんて!(狂喜)

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さてそろそろ、おなかも空いてきたので、
花巻の商店街にある、おそばやさん「やぶ屋」へ移動しました。

賢治は"ブッシュ"(=やぶ)と呼んだ。 お目当ては、もちろん・・・

賢治がよく通ったおそばやさんで、いつも決まって頼むのは、
「天ぷらそば」と「サイダー」でした。
当時のサイダーは、きっとハイカラな飲み物だったのでしょうね。。
今ではそれが、「賢治セット」というメニューになっています。
頼んでいる方も、おられましたよ。

「わんこそば」は、旅の目的のひとつで、坊ちゃんたちも楽しみにしていました。
食べきれない(?途中でやめればいいのか?)と困るので、
わたしだけ天ざるを頼み、あとの3人は、憧れのわんこそばを注文!

さあ、エプロンをつけてー はじまり!あねさんに入れてもらう。 何杯食べられるかなー
つゆは一杯ずつ捨てながら。 どんどん積まれていきます! ふたをしたら、「ごちそうさま」の合図

さて、気になる結果は!
大きい坊・39杯
小さい坊・34杯
パパ・51杯 でした。

↑これはほぼ、それぞれ年齢の標準だそうですよ。
後ろにはってあった、「わんこそば大会」勝者の杯数を見て、びっくりでした。。
(↑のお店のリンクで、ランキングをごらんあれ。)

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おなかもいっぱいになったところで、突然ですが、郵便局へ。(笑)
花巻局を探して…風景印(消印)を、押しに。



まとめになってしまいますが、今回の旅ではふたつだけでした。
もっと違う絵柄を求めて、まわりたかったですが・・・
時間的に、厳しかった。残念。
切手も、中尊寺オンリーで。ぎりぎり、イワテケン。(笑)
昔あった、賢治の肖像切手…また出ないかなあ。

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夕刻迫りくる花巻、今日は、ここまでかー。

 

花巻農業高校の敷地内に移築されている"羅須地人協会"へ。
閉門間近だったので、お客さんもほとんどなく、静かな風景で迎えてくれました。

農学校の教師を辞して、農民たちの支えになろうとした、賢治。
「農民芸術概論綱要」というすばらしい文章があります。
そこに、賢治がやろうとした、理想の農業のすがた、農民の生き方、が記されています。

序論
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
- 中略 -

結論
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……


われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である

理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである

- 「農民芸術概論綱要」 -




家屋玄関の黒板。賢治の筆跡を模して書かれています。
当時建っていた場所(下根子桜)は、崖の上だったそうです。


・・・ 羅須地人協会 内部 ・・・
賢治も弾いたオルガン 学校ごっこ ここで農民たちと語り合った


正門側に、こんな碑が立っていました。


世紀を越えて
農は人の生きる道であり
農業は全ての産業の基である

とわに地球を慈しみ
世界の平和に努めよう

母校百星霜の 記念にあたり
賢治先生のお姿を
母校 庭園の一角に建立した

平成十八年九月二十一日
岩手県立花巻農業高等学校 同窓会

九月二十一日は、賢治祭の日。賢治の命日。
素晴らしい碑文に、強く胸を打たれた。
「農業は、全ての産業の基である。」
そのとおりです…



庭園の一角、賢治先生のお姿。
写真で有名なこの姿、田んぼを見て、憂いているのではないのです。
本当は、大好きなベートーベンの真似をしていた、
茶目っ気たっぷりの賢治なのでした。

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賢治愛全開で、浮かぶままに綴りまくった本日の旅日記。(笑)
日暮れが近づき、ここからさらに30km北の盛岡へ移動するため、
後ろ髪を引かれつつ、賢治宅を辞する…。
何度か来ていても、まだまだ回れていないところはたくさんあり、
本当に、名残惜しいです…。
身照寺、ぎんどろ公園、雨ニモ負ケズの碑…
そして、賢治祭。
またきっといつか・・・訪れたいと思います。

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                          (2012.8.15)


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