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祝・風つむぎ・10周年  11/30

大きい坊ちゃん1さいの誕生日に始めたホームページが、
今日で満12年を迎えました。
最初のHP立ち上げから、サイト改装に至る2年を経て、
「風つむぎ」として歩き出し、早10年。
続けるのか、辞めるのか…日々悩みながら、ここまでたどりつきました。
2年前の今日の日記が、あまりに端的に美しく、
今の気持ちを表現してくれているので、以降は、そちらに譲りましょう。→2010/11/30

懐かしさと、10年という区切りもあって、
過去の日記を整理して、もう一度、サーバにアップしてみました。
読み返したら、面白くて、可笑しくて。
すっかり忘れている、忘れ去っている、たくさんのできごと…
これをたからものと言わず、なんと言いましょう。

そしてまた、わたしはこの日記に育てられてきたんだなあ、、、としみじみ、感じる。
日々のできごとをここに書くことで、客観視する目を与えられ、
うれしいこともつらいことも、どこか笑えるような気持ちになっていく。
そんなふうに、その折々の感情を、昇華していけたのだと思う。。
この場に、あらためて、感謝です。

これからも、細々と、でも、連綿と…
小さな川の流れのように、澄んだ光を失くさずに、
心のたからものを増やしていきたいと思います。

長いあいだ、おつきあいくださっているみなさん、いつもありがとう。
どうぞこれからも、よろしくお願いします。



「ヒロコサンには、かなわない。」  11/29

携帯を利用して、谷山浩子を仕事帰りに聴いていた、というオットー。
せわしない職場を出て、帰りの車で聴くと、ほっとするらしい。
「それは、学生の頃聴いていた、懐かしさから?」ときくと、
「自分に戻る、というか。…懐かしいからとかでなく、…声かな。」

高校時代、谷山浩子を、ムーミンカップの友人から教えられたわたし。
大学時代にオットーに伝えてからは、
わたしよりむしろ、オットーの方が深くはまっていったアーティスト。

そんなオットーに「車に入れといて」と頼まれ、古いCDを確認。
たまに聴くベスト盤や、大学時代に買っていたものは頭にあったけれど、
なんと、現在は再発売になっている、入手困難な古いものまで、かなり持っていた。(汗)

久しぶりにそれらを出してきて、買い物ついでに、車でかけてみる。

確かに、昔聴いていたからという"懐かしさ"ではなく、
まずあの声からすっと心に入ってきて、
歌詞が、旋律が、現在進行形で染みてくる感じがする。
自宅に帰り着いてからもなんとなく消せずに、エンジン止めて、聴き入る。
ベストアルバムの後半で、打ちのめされた、「窓」。
突然思いもよらない涙があふれてきて、呆然とする。

"いくつも街を歩くうちに いつか外の世界は狭くなる
 教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない"

あの頃大好きだったうた、あの友人がフォーク部コンサートで歌ったうた。
あの頃よりも、その歌詞が、心に痛く突き刺さる。

遠い、遠いところまで、来てしまった。
場所も、時間も。
そして、あの頃より狭くなった?
わたしの、外の世界。





---------------------------------------------------------

後日、オットーが聴いていたうたの場所を教えてもらって、一緒に聴いた。
昔オットーが行ったライブの映像、、、そしてふたりとも好きなうた。
若き日のオットーの拍手が、このなかにある。それに今、こうして触れるという、不思議。






Oくん?Dくん?  11/28

仲人さんに、恒例のお歳暮を送りにでかけました。
(我が家の季節のごあいさつは、毎度この一件のみ。)

品物は、いつも同じものに決めているので、選ぶのに時間はかからず。
住所や名前も、すでに登録されているから、お姉さんの案内手順も簡単。
すんなりと済んだ手続きでしたが、ひとつだけ、、、
送り先の名前確認時に、お姉さんが、苗字の漢字を音読みしたのです。
「D○○○様宛てに、こちらの商品をひとつ、で、よろしいですね?」
瞬間、頭より先に「名前が違う」という強い違和感を覚えたのでしたが、
頭で考えてみたら、PCには正しい住所氏名が登録されているわけだから、
読み方はこの場だけのことだし、まあいいか、と、訂正せずに聞き流したのでした。
そしてつつがなく、お歳暮の手続き終了。

帰りの電車でのこと。
たまたま空いていた席に座る。
隣には、熟睡中の高校生の男の子。
テスト中なのかなー。かばんの上に載せたノートを、両手で抱えていました。
その表紙が、何気なく目にとまった。

"3-F No.6 O○○○ 社1"

・・・えーっ!!!
なんと、お歳暮を送った、仲人さんと同じ苗字〜!!
(変わっているわけではないけれど、しょっちゅう出会う苗字ではない。)
びっくりして、まじまじとノートをながめてしまった。
うん…間違いない。
なんという、奇遇な。
さっきのわたしの、強い念が、引き寄せてしまったのだろうか…。(笑)
そして彼は、Oくんなのか?それとも、Dくんなのか??
とても、気になる…。

・・・彼は、わたしの降りるふたつ前の駅で、降りていきました。

この話、帰ってから、大きい坊ちゃんにしてみた。
そうしたら、、、
No.6ということは、DくんじゃなくてOくんやろう、と、すかさず坊ちゃんのつっこみが。
なるほどー。そのとおりだ。。
着眼点が、学生だね。(笑)
そうすると、まったく、仲人さんと同じ苗字(読み)だったわけです。

それにしても、、、すごいタイミングでの偶然に、驚きました。
「なんか、あんねんな。」(by オットー)



To the future of our children  11/28

本やさんに行くたび、手にとっては迷っていた、新刊のエッセイ集。
内容、だいたい知っているしなーと…でも、何度も読みたくなるなら…と。
ふたつの気持ちのあいだで揺れていたのでしたが、
表紙のすみっこに、作者の筆跡で印刷されていた小さな文字に、心が決まった。
わたしも、その気持ちに、強く共感したから。
"To the future of our children"

購入して帰り、なんとなく、外側のカバーをはずしてみた。
そうしたら…なんと、美しい装丁。
皮表紙を思わせる、ブラウンのしっかりとしたハードカバーに、
白い文字でふたたび、くっきりと刻まれていた、そのことば。
"To the future of our children"

これが、この本のタイトルではないのに。
帯つきの、美しいカラー写真のカバーをめくってまで、
中の表紙を見る人は、そんなにいないかもしれないのに。

このことばに、作者がどんな深い想いをこめているかが、伝わってくる。

そして、エッセイ本文の中の格言で、とても好きなことばが、
帯の裏に書かれていた。
いつも心に置いていることが、代弁されているかのようなことば。

"Beauty is in the eyes of the beholder"
“美は、見る人の目の中にある”

美しいものを見つけられるかどうかは、
その人の目、その心次第なのだ、と。
そんな目を、心を、育てていこう。
じぶんのなかにも、だれかのなかにも。
いつかつながる、こどもたちのみらいのために。
わたしのささやかな、けれどたいせつなこころざしの、ひとつです。




人のことより、自分のことを。  11/27

人の粗が目につく時は、
人のことより、自分のことを。
よく言われる、「我が身を振り返る」という反省モードでなくて、
その人が、自分の中の、同じ「粗」部分の担当者なのだ、と思うこと。
そして、共感。否定せずに。(←共感に抵抗する自分の心をなだめながら)
次に、その人の、「粗」を回転させて、光の当たっている部分を思いだす。
そして、共感。敬意。(←ちょっと単語の意味が強いけど)
そうすると、なぜか、自分の中の気持ち悪さが消える。
公正な気持ちになれる。

人のことが気になるときは、そんなふうに。
人のことより、まず、自分のことを。



雨の日  11/26

雨の月曜日。


くるみレーズンパンを焼きました。
これ、十年選手なんだなあ〜。
古い日記でも、さりげなく焼かれていました。
子どもたちも大好きな、定番パンのひとつ。
勲章みたいな、お花のかたちがかわいい。



君影草の香り  11/25

先日の、おとなのための発表会に来てくれた友達が、
ご夫婦でお届けものに来てくれた。
彼女は、夏におしゃべりに来てくれた、そして、岡谷から風景印のはがきをくれた、
学生時代の友達で、ご主人も、同窓生。
そしてふたりとも、音楽に深くかかわりながら、お仕事をされている。

そんな彼女に、「よかったよー」と言ってもらって、
なんだかちょっと、救われた気持ちになりました。
あの前日には、彼女の指揮するリコーダーアンサンブルを聴きにいったのでしたが、
一生懸命に演奏する子どもたちの姿を思いだし、
あんなふうに純粋に音楽を、演奏を、楽しんでやれたらいいな、と、
あらためて、思いました。
忙しいなか、時間を割いて来てくれて(今日も、発表会の日も)
ほんとに、ありがとうね。

夜。
それがきっかけというわけでもないけれど、買っておいた、
フィンランド(ふう)の入浴剤を、おふろに入れることに。(製造元・大阪 笑)
炭酸の泡が出て、2時間持続する!というもの。
"フィンランドの湖畔に咲く君影草(国花)の清らかな香り"というので、期待度満点で投入。
近くにいた大きい坊ちゃんに、きいてみた。
わたし   「君影草、って、なんの花か、知ってるやろ?」
大きい坊 「知らん」
わたし   「♪きーみかーげそーうって♪」(by さだまさし)
大きい坊 「…♪よーびなーがあーると♪…すずらんか。」
わたし   「すごい!ご名答〜」
ツーといえば、カー。(笑)
(「冬物語」というこの歌、かの有名なビールのパッケージを描いたことから生まれた、
 ものすごーくせつない"六畳一間"悲恋ソングなのでした…。)

炭酸バブルの香りをかいだら、、、
これ、、、なに??
なつかしいにおい…
すぐに思い出せなくて、思い出そうとして…

ああ…昔好きだった、香水の香りに、似てるんだ。
そういえば、「すずらんの香り」って、書いてあったっけ。
香りから、懐かしい気持ちがよみがえる。
鼻で覚えていることって、嗅いだとたんに、
記憶より感情が湧きおこってくるので、油断なりませぬ。。
(いちごの入浴剤がシャービックの香りだったことも、あったな。笑)



とうめいなかなしみ  11/24

突然の知らせに驚く間もなく、道路向かいの梅の木が伐られてしまった。
毎日、窓を開けたらそこにあった姿が、ひとつ残らず、消えてしまった。
あれだけ根をはり、育つのに、いったいどれくらいの年月を必要としただろう。
機械で伐ってしまうのはあっという間のことで、身震いするほど、あっけなかった。
駐車場になるのだという。
あそこにはもう、鳥も来ない。虫も鳴かない。
胸が痛くて、悲しくて、窓を開けられなかったいちにち。

夕刻、子どもたちをスイミングへ連れていく道すがら、
車で流れていた歌と、いろんな思いで胸がいっぱいになって、涙がこみあげてきた。
梅林のことだけでなく、たまたま目にした新聞記事、ドラマの場面、読んだ本の一節…
わたしだって、その中で生きている。そして、それらと同じだったろう。
それでも…
経済活動の下で傷ついた地球。傷ついた子どもたち。
修正の方向も見つからないまま、走りつづけるさまざまな世界。
個人の力など及ばない歪みや傷への痛みで、心がいっぱいになって。
ひとりひとりの心が集まって、この世界を作っているというのに。
ひとりひとりの力は、限りなく、小さくて。
わたしに、なにができるのだろう。
一粒ずつ、種を蒔いたとしても、大きな実を結ぶ日はくるのだろうか。
無力さと自問の涙に、呑まれる。

…それでも。



わがいとしのミッフィー  11/23

ソイラテ。


思いがけず、いろんなカップ?が登場した今月でしたが、
お茶の時間にひっぱりだこなのは、実はこの子なのでした。

一昨年の今ごろ、ローソンのキャンペーンで、
家族で目の色を変えて(笑)シールを集めまくり、もらったもの。
ミッフィー55さい(!)記念のイラスト入り!
後ろ側のシルエットにも、打ちのめされた。(笑)


発表会が終わったら、なんだか気が抜けて、
全然弾いていなかったピアノ。
子どもたちのあと、思いたってしばらく弾いていたら、
「十本の指がそれぞれ意志を持っているような」あの感覚がよみがえり、
十指が熱を帯びて、もっと動きたい、動かしたい気持ちに焦がれる。。

この2〜3年失速して、文字どおりバラード系ばっかり(笑)弾いていたのでしたが、
次はスピード感のある厚い和音と、アルペジオの対比が美しい曲を!
思いきって、弾きます。(宣言)



会えてよかった  11/22

会えてよかった
ほんとによかった
思いがけない報せに
ずっと連絡できずにいて
ずっと気になったままで

元気そうでよかった
変わらない笑顔でよかった
その向こうにあるものを
想像もできない
背負うこともできないけれど
わたしはただ祈っている

あなたと
やんちゃなかわいいあの子たちが
いつも健やかでありますように
いつも笑顔でありますように
起こることすべてに
優しい手がのべられますように
そして実りますように

会えてよかった
本当に 心から



ツーといえば…  11/22

けさはキッチンで。


夕べのこと。

子どもたちを連れていった理髪店のラジオから、
「北風」(槙原敬之)が流れてきて。
懐かしくなって、晩ごはんの時に、CDをひっぱりだしてきて、かけてみた。
「これ今日、聴いたよなー」と子どもたちに言ってみたけど、
「えっそうやっけ?この歌、知らん。」とすげなく返される。(笑)
しかし「どんなときも。」を合唱しだしたので、かけてあげると、喜んで。
遅く帰宅したオットー、古いCDを見て、その話を聞いて、ひとこと。
「俺もなー懐かしくなって、たまたま昨日、携帯でいろいろ聴いてたんやー」
ふーん…。奇遇だね…。

そして、今日のこと。
また遅く帰宅したオットーとの会話。

「今日なー。そんなに話したことない人が、
 『今日で僕、この現場終わりなんですー』ってあいさつに来てな。
 いろんな人のとこ回ってはってんけど、なんか近くで、誰かに携帯の写真見せながら、
 『これが綾瀬はるかでー、これが児玉清でー、』って、指差して言ってるんやんか!!」
「ふんふん」
「綾瀬はるかと、児玉清…えーっこの組み合わせ、、、なんやったっけと思って。」
「"鹿男"やろ?」
「そうやねん!!ママ、ようすぐ分かるな!」
「うん…」
「ほんで、『こっちが玉木宏で、、、これが、僕なんです!』って!」
「ほお」
「俺気になって、その人に、『それ、"鹿男"ですよね?俳優さんされてるんですか?』ってきいてみてん。」
「そしたら?」
「そしたら、その人は、美術スタッフやってんて。フジテレビ勤めてはったらしいわ。
 ほんで、"鹿男"も担当してたから、打ち上げの席の写真を持ってたらしい。」
「ふーん…」
わたしはおもむろに、傍らにあった文庫本を手にとり、
「それって、この場面やろ?」と、いちばん最初のページを開いて、オットーに見せた。
オットー、絶句…。
なぜってそこには、、、
ドラマ「鹿男あをによし」の、打ち上げ現場からの、原作者の生レポートがあったから。
「さっきここ読んでたから、ドラマも役者名も打ち上げ場面のようすも、全部頭にあってん。」

「なっ…なんでー!!!今、これが、ここにあるん?!
 俺がこの話するって、ママ分かってたん?!!!」
「…そんなわけないやん…。たまたまやで…」
「えーっ!うそやろー!」と驚きながら、オットーは、
「なんか、あんねんな。こういうの。なんか、あるねん。」
うんうん。(笑)あの、あなたがバイトしてた旅館のおばちゃんの、
「適当にとったら要るお皿の枚数ぴったりやった!」というのと、同じでね。

一学期からずっと、大きい坊ちゃんが、学校のわずかな「朝の読書時間」に、
マキメさんの本を持っていってた、ということ。
長かった『プリンセス・トヨトミ』を読み終わり、
最近、次の『鹿男あをによし』も読み終わったので、
わたしが自分用に買っていたエッセイ『ザ・万遊記』を持っていきはじめた、ということ。
今日たまたま、予防接種の待ち時間のために、学校のかばんから出してきて、
持っていった、ということ。それがここに放ってあった、ということ。
春から続く「マキメワールド」の一環だったため、まったく不思議ではなかったのだけれど、
オットーからすると、なぜここにこれが!!となったわけなのです。

わたしにとっては、"鹿男"関連の話を読んだり、坊ちゃんと話したりしているところに、
そのスタッフさんの話がやってきたことが、ものすごい偶然でした。
まさにシンクロニシティ。
今日は、心に浮かんだ人に会うという偶然も、多かったなあ…。

そんな一日。
夜遅すぎるオットーとは、最近ほとんどしゃべってないのに(笑)
なぜこんな偶然の一致が起こるのか…。
ツーと言ってもいないのに(笑)カーと響きあう…。
ま、集合的無意識の領域では、全人類、つながってるからね…??



かえりみち  11/21

大きい坊ちゃん、早くも期末テスト1週間前に突入。
いつもは一緒に帰れない、部活をしている友達と帰路につく。
そして、(ほんとはだめなんだろうけど)ふだんと違う道で帰ってくるのが、楽しいらしい。

…思えばわたしも、部活さぼっては友達と3人で、
通学路なんてまるで無視で、道端のチェーンに腰かけてぶらぶらしながら、
長いことしゃべってたなー。と、懐かしく思い出す。。

今日は坊ちゃんの友達が、「最短の道を見つけた!」と言って提案したらしいのだけど、
坊ちゃんが、「川沿いに帰ろう」と遠まわりを提案して、
蛇行する川に沿って、遊歩道をぐるっとまわり、小学校前を通って帰ってきたらしい。

「途中で、青虫3匹もおった!」と報告する坊ちゃん。
友達とふたり、いろいろおしゃべりして帰ってきて、楽しかった、と。
「なんで、川沿いに帰ろうと思ったん?」と聞いたら、
「いっぱい、話をしたかったから。」と。

なんだか、胸がきゅんとしたなあ。
友達と、たくさん話がしたいから、遠まわりしてかえろ。
その気持ち…とてもよく分かる。
そして、今ではとても、懐かしい。



たそがれ…なに?  11/21

でっかいので時々だけど、使う湯呑み。
あの、お寿司やさんふうのかたちで、東・西のセットになっている湯呑み。
(よくよく考えたら、これも、ムーミンカップの友達が買ってきてくれたものでした)
さだまさし・歌の人気投票で、上位に入った歌たちを、
収録アルバム名とともに、お相撲さんのように番付表にしたもの。。

ごらんのように、人気上位2曲は東西の横綱となっています。
そして、東の大関になっている、次点の曲…


小さい坊 「ママ?これ、、、たそがれ…なに?」↑
わたし   「どれ?…ああ、たそがれ、ま・で。」
小さい坊 「ああ…♪たーそーがーれーーまで〜うーみーをーみていーたい〜♪っていうやつか。」

…読み方、知ってんねんや。(笑)




「昔のお嬢さんに聞く」  11/20

朝刊一面の左上、「きょうの紙面」欄(目次みたいなもの)に、ふと目が留まった。
「昔のお嬢さんに聞く」
???
誰に、何を聞くんだろう。。
不思議に思って、開いた社会面。


「河村さん、出馬したらかんよ」(爆笑)
そこには、"(昔の)名古屋嬢反対コール"という記事が。

市長は、後援会員にも多い中高年の女性を、
「昔のお嬢さん」と親しみをこめて呼ぶそう。
それに由来するらしい、見出しだったのでした。

「市長は今、衆院選に立候補すべきか否かで深く悩み、夜の焼酎の量が増えている。
そこで市内の「昔のお嬢さん」五十人に、市長は出馬すべきかどうか聞くと、
八割近くが声をそろえた。「出たらイカンがね」

わざとなのか、、、文章もかなり笑える書き方をしていて、
どこかあの、ムコドノの記事と似通っているような…
記者の思惑?にまんまとはまって、ウケまくったわたくしでございました。


↑ええがね・いかん・わからん・その他

「たかしちゃんは真っ正直な子。」

西区の円頓寺商店街で会った女性(七二)はこう危惧した。
「八兵衛になるかもしれん」
…助さん格さんどころか、せいぜい「うっかり八兵衛」のポジションだろうという忠告である。
 (中略)
「ここ数日、あたふたしてかっこ悪いわ」とおかんむり。
「自転車で市民と触れ合った初心に帰って。『地に足をつけた人だ』と私は期待した」

記事は、「昔のお嬢さん」たちのこんな声で締めくくられていました。

くすっと笑ってしまうような記事だけど、
地元の、それも長く根づいている人たちの、
河村さんへの愛が感じられる、とも、言えましょう。

延いては新聞自体も、地元への愛にあふれている。
結婚したばかりの頃は、習慣的に全国紙を取っていたけれど、
ほどなく、サービスはもとより、情報やちらしの量も圧倒的に勝っていたこちらに変えた。
郷に入れば郷に従え?で、
ここでは、中日新聞サイコー!なのです。



日めくり3日  11/18〜20

"そろそろ今年の
 まとめに入るかね
 良くも悪くも
 私の人生
-------------------
 良いことがあった
 辛いこともあった
 多分五分五分
 人生五分五分
-------------------
 笑った
 泣いた
 多分五分五分
 人生五分五分"
-------------------

…オットーのひとり生活はもう終わったけど、
サンタさん、日めくり持って、また来てくれるかな。



物語  11/20

ポトフを煮ていて、突然、思い出した光景。

9月の終わり、泊まった京都の宿屋でのこと。
夕刻、宿泊案内を受けてから、2階の部屋に上がりかけた時、
奥の部屋から、「おばあちゃん、シチュー。」と促す、小さな声…
小学生らしい、女の子の声。
宿のおばあさんは、「はいはい」と言って、奥へと消えていった。
温かい、家族の夕餉の空気を感じて、少し寂しくなった。

連鎖して、、、それは、昨日のこと。
100円雑貨の園芸コーナーで、品定めをしていたわたしの背中から、
「おねえちゃん、これ、読める?」という声。
おばあさんが、「サボテンの肥料がほしいんだけど…これは、違う?」と、わたしに尋ねる。
「これは…鉢花の肥料、ですね。サボテンは…こっちかな。」
「ありがとうねえ。…それと、ここは、赤玉はあるけど、腐葉土は、置いてないねえ?」
「いえ、たぶん、ありますよ。…あ、これ。」
「ああ…ありがとうねえ。…今朝から、洗濯物干してたら、
 シャコバサボテンの鉢をけっとばしてしまってねえ。
 鉢が割れてしまって…もう、つぼみがついとったのに、枝がちぎれたりして。」
「ああ…これから、季節ですもんね」
「そうなの。せっかく、一年頑張って、咲こうとしてる時にねえ。
 可哀想なことしたなと思って…早く、植え替えてやろう思って、買いにきたのよ。
 生き物だもんねえ。わたしらと、おんなじだもんねえ。可哀想なこと、したわ」
「そうですよねえ…」
「ああ、ありがとう、おねえちゃん。帰って、植え替えるわ。」
おばあさんはそう言っておじぎして、レジに向かっていった。

日常の、ほんの数分間。
過ぎてしまえば、記憶からはすぐに消えてしまうような。
けれど、それらおのおのが、完結した物語。
心に刻まれる、一瞬の中の永遠。
少しずつ積み重なって、この人生が出来てゆく。



くるみのパン  11/19

自分で焼いた、くるみが入ったパンが食べたくて食べたくて…久しぶりに、焼きました。
レーズンも入れず、チーズも入れず、甘くもなく、辛くもなく、
なんの共演者もない、ただ素朴な、くるみパンを。


釜入れ直前。

焼きあがり。

健康で、こうしてパンが焼ける幸せ。
ひとつひとつ、かわいいパンに出会える幸せ。
そんな思いをしみじみとかみしめつつ、釜入れを待つ。


見えますか?ぐん、と伸びてます。
オーブンに入った瞬間から、せいいっぱい背伸びして大きくなろうとするパン。
オーブンの窓からのぞいていると、愛しい気持ちで胸がいっぱいになります。
焼きあがったいっこずつのパンは子どものようで、
ジャムおじさんの気持ちが、本当によく分かる。


我慢できず、網から焼きたてあつあつをいっこ食べる。
ふわふわもちもち。
あまりのおいしさに、2個めに手を伸ばしかけて、ちょっと落ち着いて。
昨夜の残りの、「ポタージュ・ボンファム」をあたため、ムーミンのカップに注ぐ。
辰巳芳子さんの映画パンフレットを見て作った、いのちのスープ。

自分が焼いたパンの優しさ。
偶然残っていた、夕べのスープの優しさ。
それらに慰められ、満たされ、癒される自分。
自分、が自分、を救うのを発見する。
ひとつ、自己肯定の糸口を、見つけて。



とうだい…じ?  11/16

大きい坊ちゃん、担任の先生と、一対一の教育相談の日でした。
学校生活のことや、家庭生活のこと、勉強のこと、体のことなど、
不安や心配はありませんか、悩みはありませんか、という主旨。
その中で、
「おうちの人に、どこの高校に行きなさいとか、言われていますか」という質問があったらしい。
大きい坊答えて曰く、・・・「いや、ぜんぜん。」(笑)

この報告から、こっちの高校、全然分からんもんなーという話になり(家でですよ)、
大きい坊ちゃんが言うことには、
「つい最近まで、東大も、東大寺の近くにある大学やと思ってたし…」だって。(爆笑)
わたし 「それ…友達に言ったら、ウケるんちゃう?」
大きい坊 「うん。こないだ言ったら、笑われた…」
坊ちゃんの心の友に、ウケたそうです。(笑)

「東大」寺に行って…お坊さんになる?のも、ええなあ。
「修二会」のこもりの僧とかに、なれるのかなあ。
でも、お坊さんの世界でも、「東大」寺に入るのは、難しいのでしょう、きっと!
お経の勉強のみならず、、、いっぱい、徳を積まないとね!(笑)



たいようのとう?  11/16

小さい坊「たいようのとうって…最近、できたんやろ?」
わたし  「えっ!!最近ちゃうで。42年前やと思うけど…」
小さい坊「そのたいようのとうって…これのこと?」(両手を上向きに曲げる 爆笑)
わたし  「そうそう!こないだ、イジューダ美術館の絵で、描いてたやん。」
小さい坊「…それじゃなくて、政治の…」(爆笑)

して、やられました。
とうは塔じゃなくて、党やったんや。(笑)
坊ちゃんが昨日、絵を描いていたのを見てたので、てっきり、そっちだと…
それにしても、ムズカシイこと、知ってるね。(笑)
参った!!



冬が来た  11/16

"きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い色も消え
 公孫樹の木も箒になつた"

・・・あの潔い出だしがわたしの中から湧き出てきて、頭でぐるぐるまわっている。
そんなふうにやってきた、寒波。
ひと雨ごとに、冬の足音が、近づいてくる。

こおろぎは、寿命で死んでしまうのか、
それとも寒さで死んでしまうのか…
そんなことどもを思案しながら、声のしなくなった窓の外をながめる。
そして、寒さで死ぬのも、彼らの寿命のうち、なのかもしれないと思い至る。

出かけて、帰宅した午後。
草むらの陽だまりの中から、、、弱々しいけれど、コオロギの声。
もう少し、もう少し…



問屋さん  11/15

来月のクリスマス会の買い出しで訪れた、問屋さん。
夏まつりの買い出し時から一転、クリスマス商品が盛りだくさんの店内、楽しそう〜。
しかしまずは会計のお仕事を遂行、裏部屋にこもって黙々と景品選定。
子ども会の買い物が全部終わってから、大急ぎでお店を見てまわる。


楽器を演奏するサンタにノックアウトされ、そろってお買いあげ〜。
弱いわ〜。音楽系。(笑)
そして、それをじっと聴いていたいらしい(笑)体育座りサンタと白くまくんも、一緒に。
我が家の玄関で、音楽会!楽しみです。

冷えこんだ夜、、、泊まり覚悟で出ていったオットーは、帰ってこない。
子どもたちと、大きなきゃべつを消費するために。


大好きなコピーの、このメーカー。このナベのもとも。
ごんぎつねの里より、、、今冬の、初物でした。



うたかた  11/13

カゼをひいて、うとうとした午後。
日の翳った部屋のなかで、ストーリーのない夢をみた。
それは、二十数年前にアルバイトしていた、病院のひとたちとの夢。
地元の、今はもうない、古い喫茶店。
もう二度と、戻れない時間。胸がぎゅっと苦しくなる。
数十年は、あっというまに、過ぎてゆく。
あの時代から、ここまで来たみたいに。
また数十年を過ごすうちには、今生の別れも訪れるだろう。
数十年を経ずとも、人生は明日すらも、確証はない。
そう思うと、人生は一炊の夢、泡沫の夢、とは、
たとえでもなんでもない、と確信する。

夢うつつのなかで、久しぶりに、あの想像をしてみる。
わたしは、60歳になっている。
目が覚めても誰もいない、日の翳った部屋。
その自分が、タイムスリップして、今、この時代に来ている、と。
小学生の子どもが、「ただいま!」と帰ってくるのを、
この目で見て、触れることができる、と。

そうして帰ってきた、5年生の男の子。
この子は、記憶の中の子ではなく、孫でもなく、
今、目の前にこの姿でいてくれる、自分の子ども。
そう思ったら、なんと、愛おしいのだろう。
こうして人生を共にできる、わずかな時間ごと。

通り過ぎれば、記憶だけを残し、すべてが過去という川へと流れていく。
「今」をたいせつに、生きなければ。
午後の一炊の夢から覚めて、せつに感じたこと。

ごはんを炊くのはわたし、で、今からだけど。
それすらも、、、一炊の夢。
炊ける今を、たいせつに。



勢ぞろい  11/13

カップ三役、揃い踏み。
(しかし優劣の差は、ありませぬ!)


どの角度から撮っても、かわいい。
イラストのテイストがそれぞれ違うのも、揃うとなかなかおしゃれです。


一周して、今日は古株の、この子で!
このイラスト、『たのしいムーミン一家』(講談社全集第2巻)の表紙絵なんです。
ほんわかしていてかわいいうえに、なんといっても、
トフスランとビフスラン(小人の夫婦)がいるのがポイント高いです。
ムーミンママのハンドバッグに住んでしまうふたり。(笑)
あべこべことばのかけあいも、可笑しい。


さあ、これから力を合わせて…えいえいおー!



「蕎麦屋」  11/12

時折ふと、聞きたくなる、歌がある。
蕎麦屋」という歌。

ギターだけのイントロから始まる、静かなうたなのだけれど、
ふっと気持ちが下向いた時に、心にこのうたが流れる。
そして、聴きたくなる。。

そうなんだよなー。
自分ひとりだけ、いらない気がする時。
自分以外のみんなが正しくて、自分がつまらなく間違っている気がする時。
そんな気持ちになることが、わたしの場合、とても多いから…
そんな気持ちに、ただ、寄り添ってくれるうた。

そう。わかんないやつも、いるさ。
わたしが間違っているわけじゃないし、間違っても、べつに、いいんだよ。
ひとは間違う生き物で、その間違いを正すために、未来がある、と。
そう言ってくれる、べつのうたもある。
でもそのうたにたどりつくまでに、「蕎麦屋」は必要な、うた。

そういえば、「タクシー・ドライバー」も、似たような場面だなあ。
このタクシードライバーも、「蕎麦屋」の"おまえ"と、同じなんだなあ。。と気付く。

「生きていてもいいですか」と、タイトルどおりに、問いたかった中学時代。
思春期の子どもの感傷と言い捨てるなら、そんなふうでもあったかもしれない。
けれど遠く振り返ってみると、それだけではなかった、とも思う。
今でも心のどこかで、そう問いつづけている、わたしがいるから。
だから…「蕎麦屋」なのだ。

ただ寄り添い、黙って耳を傾けてくれる、ことのたいせつさ。
胸の痛みに効く、こんなうたたちを聴きながら、思う。
中島みゆきは、やっぱり、あの頃の自分に必要だった、と。
そしてまた、今も。



つかまえた  11/12

夕べも慰めてくれたコオロギの声が、正午近い、暖かい日なたから聞こえてきます。
窓を開けて身を乗りだし、目で音を追っていったら。


あーっ!!
いた…。

ふるふると羽根を震わせて、あの美しい声を出しています!!
感激。。
ついに、その姿を見ることができたのですっ。
よく、元気で鳴きつづけてくれたね…。

昨日の自分のピアノ演奏のつづきに、コオロギが鳴いているようすを(爆笑)
必死でズーム録画する、わたくしでございました…。

このあと、コオロギは、この波板(右下の白いの)の下にもぐっていきました。
あそこに住んでるんだー。(笑)
でもまた出てきて、鳴いていましたよ。
暖かいお日さまの当たるところも、好きなんだね。
姿を見せてくれて、ありがとう。
なんだか、とってもうれしかったできごとでした。



発表会  11/11

おとなのためのピアノ発表会、第2回がありました。
昨年が初めてで、6人の参加でしたが、今年は少し増えて、8人に。
こじんまりしたスタジオで行われるので、ちょうどいい人数でした。

今回は、順番をあみだくじで決めました。
じゃんけんに負け(笑)、最後の残りくじだったわたくし、
線がいっぱい入っていたのにも関わらず、なんと最後になってしまった!!
と、トリですか…。まあ、いいけど…。
面白くないよ?(笑)まじめに一曲やるだけだし…。

実際始まってみると、昨年から参加されている年配の方々の演奏は、
ばりばり弾かれるわけでないけれど、選曲が渋くて、音にも味と深みがある。
間違えたり、止まったり、やり直したりしながら…でも、なぜだろう。泣けてくる。。
なんだろう。この、言葉にならない、、、
その人にしか、できない音楽。
・・・・・
今年から参加の主婦の方たちは、先生と連弾されたり、ポピュラーを弾かれたり。
自己紹介も上手だし、初心者らしい、力の抜け具合がとてもいい。
発表会も腰が引け気味だったけど、勇気を出して出てみました、と。
少し照れながらも、背伸びしない感じが、とてもよかった。
・・・・・
昨年から一緒の、若い姉妹。
お姉さんは幼稚園の(子どもたちの)発表会のために、
毎年、課されたクラシック曲を頑張って弾いているそう。
今年はその中からの曲と、もう一曲を弾かれていた。
このお嬢さんは屈託のない、マイペースで明るい人。
音楽にも、そんな人柄が出ている。。美しい演奏だけれど、失敗も受け容れられる大らかさ。
気軽に話しかけてくれる、そんな雰囲気の音楽。
妹さんも、自分にできるだけのことを、精一杯やっている風で、気取りがなくて。
懐かしい、わたしの好きな、かわいらしい曲を弾いてくれた。
それは昔々、わたしの妹が、発表会で弾いた曲。
・・・・・
それで、わたしです。
出番直前にくしゃみが出て(思えばカゼぎみだった…)、ハナが止まらなくなり、
自己紹介もそこそこに、とにかく、ハナが垂れてもこの曲を弾きとおすのだ!!と、
(頭の中では、役者さんがハナを垂らしても泣く演技に集中しているイメージがぐるぐる)
それだけを考えていたので、観客の目を気にせずに弾けた!!のは、大きな収穫でした。
(たいへん、困ったけどね。。)
あとでビデオを見たら、出だしの重い曲想部分は、けっこう良かった。(やわらかく)
しかしその後は、よかったのやら、悪かったのやら…そのどちらとも、取れないような。
「伝わってくる」何かよりも、譜面をさらさらと、というわたしの悪いくせが出ていたように思えて、
ちょっと(いやだいぶ…)がっかりしました。
間違いはひとつもなく、止まりもしなかったのに、
なんなのでしょう。この、「音楽」の違いは。
ここなのです。
感動は、巧いか下手か、間違えるかそうでないか、ではないのです。
「ひと」が出る。顕著に出る。
わたしの、「むきだしにできない」壁もまた。
「のだめ」の中の、ミルヒーと千秋の練習シーンがよみがえる。。
「もっと、音楽に没頭しろと言ってマス!!」
↑このせりふを、これほど痛く感じることはない。
奇遇にも、幼稚園の先生されてるあのお嬢さんが、
終了後のお茶会で、これと同じことをおっしゃってました。
「緊張することを忘れるくらい、曲に集中できたらいいなと思います。」と。
わたくしも、同感。
そして、「まず自分自身が心からよかったと思える演奏ができるように、がんばりたい」と話しました。
そして今、書いてみて、気付く。
これは結局、わたしが思う「自己肯定感」そのものではないのだろうか、と…

砂山に埋もれていってしまうような、
どこまでも果てしなく続くピアノ修行は、結局は、自分発見への道のりなのかも…。
ならば、まだまだ、遠いです…。
「上手に弾く」「上手に生きる」ことが目標なのではなく、
「自分らしく弾く」「自分として生きる」道のりでありたい、と思いながら。

…雨のなか、遠くまで足を運んでくれたお友達、貴重な時間をありがとうね。
そのあたたかい気持ちに、深く、感謝です。


とにかく、いろいろな勉強ができた、すてきなコンサートでした。
個性あふれる音楽をたくさん聴くことができて、幸せでした。
胸に満たされた、温かいものを味わいながら…
思い返してしみじみと、「よかったわー…」とつぶやいたら、小さい坊ちゃん、
「一回発表会に出ただけなのに、こんなにお菓子をもらっちゃって?」ですと。(爆笑)
「ち、ちがう〜!!」

分かってる?!・・・来月は、あなたの番よ!坊ちゃんたち!



美しい午後  11/10

学校で学芸会の観劇のあと、隣町の劇場で、友達の指揮する音楽会にゆき。
川沿いの帰路を、のんびり散策。


わが町の川。
蛇行するこの川の流れに沿って、生活圏も、文化も!分かれていると思う。
橋がどこにあるか、ということだけでも、移動のすべが分かれる。
こんなに建物が立ち並び、車がたくさん走っても、
自然が作った流れには逆らえず逆らわず、それに従って、みんな暮らしている。
そんなことを、いつも思う川べり。


川のそばの公園で。
木々の葉にはまだ緑も多く残っていて、黄、オレンジ、赤、と、みごとなグラデーション。
そして青空と、太陽光線の魔法。


きらきら光る川面に目を細めながら、橋をわたる。
プラットホームではなく、遊歩道のはしっぽにみつけた、
"群れてよし、また一輪でよし"・・・コスモスの花。



そして、3杯め  11/8

そして今年…みっつめのカップが、届きました。
3杯めのチャイ。


箱の商品名のところに(ステンシル)とあって、
ステンシルふうのムーミンのイラストが全体に印刷されています。
このシリーズのかわいいところは、とっての部分!
ごくごく小さいムーミンとか、スナフキンとかがついていて、なごみます。

今日は文化祭のメインイベント、合唱コンクールの日。
坊ちゃんの学年だけしか見られないのですが(席数の関係上)、
一番最初だったので、コンクール前の注意や審査員紹介など、
開会のようすが見られて、よかったです。
驚いたことに坊ちゃん、なんとその司会をしていたらしい!!
声がふだんと違ったので、まったく分かりませんでした…。
最近、少し声が低くなったような気がする坊ちゃん…。
そのせいでも、あるのかも。

夜。
「もう、"おにいちゃん!"の声は、できなくなるんかなあ…」とわたしがしみじみ言うと、
「できるで!『おにいちゃん!ねーねーおきてよ!あさだよ!・・・』」
いつものように裏声で、ぬいぐるみたちの声を実演してくれる坊なのでした…。



祝・金賞!  11/7

先月の今頃、大きい坊ちゃんのお尻に火がついて仕上がった、
あの課題研究。
今日からの文化祭で展示されていたのでしたが、
なんとめでたく、金賞を受賞したそうです!おめでとう〜。ぱちぱち。
(クラスで、8人くらいがもらえたそう。よかったね。。)


何を研究してもいいのですが、坊ちゃんの場合、
「植物の観察」というたいへん大まかなテーマしか決まっておらず(汗)、
そばで見ていてどきどきいらいらするくらい、実際のとりかかりが遅かったのです。
「植物の観察」っていうからには、採集なり、栽培なり、
それなりに、時間がかかりそうだというのに。。
観察とひとくちに言っても、
顕微鏡を使って、微細な観察をするのか、
それとも、ひとつの植物の生育について、日数をかけて観察をするのか、
そんなことも決まっていなかったのです。
3ヶ月あるという、余裕のもとに…。

8月になってやっと、わたしが思いたって切り戻したパキラの成長を観察する、と決め、
写真をほぼ毎日、撮って記録することにしました。
パキラは、みごとに期待に応えてくれ(感涙)、日々目に見える成長ぶり。
おかげさまで、観察記録としては、とても見応えのあるものに仕上がったのでした。
あと、保険として(単に成長がうれしかっただけ…笑)わたしが撮りつづけていた
綿の成長も目覚ましかったので、比較対照のための番外編で、載せてました。

つまり、この金賞は、、、坊ちゃんの頑張りだけでなく、
植物たちの協力もあってこそ、ということです。
パキラよ、綿よ。
よくぞ、助けてくれました。

そんなことを思いながら、ぐるぐると理科室内(部屋にはわたしのみ)を見てまわっていると、
たまたま、坊ちゃんの担任の先生と英語の先生が、展示を見ながら入ってきた。
(こちらに気付かず背中を向けたまま二人で)
「○○くんの、いいねー。」
「あー、○○くんの、いいねー。」
自然な雰囲気の会話で、坊ちゃんの名前が出てきました。
(たぶん、顔もほとんど合わせていないので、わたしが保護者とも気付かれていない)
それを聞いて、
また、坊ちゃんからふだん聞いている、先生がたとのやりとりも合わせて想像するに、
坊ちゃんは、学校でがんばっているんだな、
先生がたからも信頼されているんだな、ということを、
なんというか、薄いヴェール越しに見せてもらったような、
そんなうれしい気持ちになりました。
ちょっとぐずぐずして、お昼ごろというタイミングになったおかげで、
こういうシーンに出会えたこと。
まぎれもない、「きょうの天使」でした。

・・・・・
さて、あの時、アシスタント?だった小さい坊ちゃん。
隣でどんなお仕事をしていたかというと。↓


そう、大きい坊ちゃんの消しかすをせっせと集めて、ビニール袋にためるかたわら、
こんなアートを、作っていたんです…。(爆笑)

実は彼のこういった作品?は、これが初めてでは、ありません。
今までにも、↓


食べ終わったピスタチオの殻で、こんなアートを作ったり。(5月の作品)
そうそう!そういえば。(ぽむ!)


「かぼちゃマーン」(爆笑)
懐かしい二葉の、写真。(5年前)
この子は、小さいときから、こういうの好きだったのね…。


葉の陰から…まさか。

和紙のような花びらの一輪が。

学校から帰ってきて、ふと玄関脇にあった綿の鉢に目をやって、「あっ」と声をあげた。
なんと、花が咲いていたのです!
こんなに寒くなってきたのに。。
まるで「金賞、おめでとう」って、言ってくれているみたいに・・・(笑)



2杯めのチャイ  11/6

ちゅんちゅん!に混じって、チチッという、高く、澄んだ響きの声がする。
あの声…シジュウカラだっ!

そーーーっと、階段上の窓からのぞいてみたらば。
やっぱり、シジュウカラが!!
3羽、戯れに枝々を飛び移っています。
かーわいいなあ…。(ホレボレ)

実は、、、携帯電話の着信音を、シジュウカラの鳴き声にしているわたくし。
オットーに、「聞こえにくいし、紛らわしいな、それ!」と言われながら(笑)変えずに数年…。
電話が鳴っているのか、トリが来ているのか、、、
確かに分かりづらいこともあるのですが(笑)、気に入っているので…。
だから、着信音と違う鳴き方をしていても、声で、分かるんです。

(余談。。
 子ども会の会議で、置いてあったウエストポーチからコオロギの声が聞こえ、
 「誰か?携帯、鳴ってるよ?」と言ったら(←わたしの完全な思いこみ)
 ポーチの持ち主(=大きい坊の友だちの、生き物博士)が、
 リアルコオロギを入れていたという(爆笑)笑い話も、ありました…。)

さて。
今朝は、ふたつめのカップですよ〜。今日も、なみなみと。


この柄は、ムーミン谷の地図になっています。


ごちそうさま、ミイ!



「天のしずく」  11/5

静かで、胸にひたひたと広がる映画を観てきました。

テレビでダイジェストを観る機会があったのです。
瞬間に、「これは絶対に観なければ!」と直感し、調べてみたら、
劇場や期間が限られているようだったので、急ぎ、予定を繰り合わせて。

「いのちのスープ」を生み出した、料理家・辰巳芳子さんのドキュメンタリー。
辰巳さんは料理家でありながら、作家でもあります。
辰巳さんの書かれた、食にまつわる文章が朗読される背景に、
美しい日本の風土が重なって、なんともいえない、優しい気持ちになりました。
そこに寄り添う音楽もまた、美しく。
(とあるシーンでチェロの旋律に打ち抜かれて、誰?!とエンディングを観ていたら、
 なんとさだまさしのツアーメンバー、スタジオミュージシャンの方でした。笑)

そんな心和む映像を織り交ぜながら、
日本の食糧自給率の危機、伝統的な食文化の衰退…
食に関するさまざまな問題をも、同時に浮き彫りにしていきます。
その流れの中で、辰巳さんの来し方が紹介され、
辰巳さんが何をきっかけに何を思い、何を目指しているのかが、
胸に迫って感じられたのでした。

それをここでまとめきることはできないほどに、
いろいろなことで胸を打たれて…
後半、ハンカチが涙でぐしょぐしょに…
そして、この映画にこめられていることを、
できるだけ多くの人に伝えなければ!と、強く強く、感じたのです。

それは、
今まで何度かここに書いてきた、
食品廃棄の問題や、農業の問題や…
「初女さんのおむすび」や、「木村さんのリンゴ」や、
自然療法や玄米菜食、、、
すべての、「食=生きること」の話に、つながっているのでした。
料理にこめられた作り手の愛があり、
その食材を支える生産者の熱い思いがあり、
食材の成長に欠かせない、自然のちからがある。

昨年行った講演会で、木村秋則さんは、
農業をとおして世界を変える=農業ルネッサンスを提唱されていて、
「21世紀は地球を修復していく時代」と語られていた。
農業は、ひとのいのちを、ひいては社会を支える、基盤なのです。

そして料理もまた、ひとのいのちを支える、大切なもの。
スープは天の恵みそのもので、それを受け取るのは、わたしたち。
人間中心の考えで、工業化や経済効果に偏りすぎた結果、
何か大切なもの、ことが、置き去りにされてしまった。。
そういったことを、辰巳さんは、ぽつぽつと、けれど力強く、語られます。

とにかく、この映画、たくさんの方に観てもらいたい!
そして、気付いて、一緒に考えてほしい!
心から、そう思いました。
自主上映が可能になる来年以降、町に呼びたい。と、真剣に思ったくらい。
1週間上映では、あまりにもったいなく、短すぎる!
取り急ぎ、かさこじぞうのおっかさん(変な名前に落ち着いてしまった)には、
可能ならなんとか観てね。と、押しつけがましく伝えました。(笑)
(そういう話もできる友だちなので。。)

我が家にも、ひとつ、大切なオリジナルの料理があります。
誰かが病気になった時、元気がない時、
これを食べたらげんきになる!という、それはやはり、スープなのでした。
その名も…「お日さまスープ」。

かさこじぞうさんが胃腸かぜにかかった時、まだ家が近かったので、
玄関先に、作りたてをそーっと届けたことがあったな。。と、
懐かしく、そんなことを思い出したのも、この映画のおかげでした。
(逆に、今年初めに我が家がインフルエンザ・ファミリーになった時には、
 玄関先に、すぐに食べられるものをそーっと届けてくれたっけ…涙)

夜。
我が家のお日さまスープを作ったことは、言うまでもなく。。


ハンドミキサーでポタージュ状に

少しだけ牛乳でのばし、隠し味ぽたり。

実はこれ、新設・「くるみ食堂」(10月の日記参照)の、いちばんメニューなのでした。。
みなさんも、召しあがれ。
そして、映画を、ごらんあれ!

辰巳芳子さんが教えてくれたこと(ほぼ日刊イトイ新聞)
  (↑特に「第3回 いのちは、時間のなかにある」 ぜひ、読んでみてください)

* ↓映画「天のしずく」の予告編です。





こおろぎころころ  11/3

早朝、まだ暗い窓のそばに行って、ふと、気付いた。
すずめがさかんに鳴いているけれど、
あの高らかな、エンマコオロギの声が聞こえてこないのです。
どきっとして、目を閉じ耳をすましてみる。
けれど…
やっぱり、聞こえてこない。
ちゅんちゅんに混じって、かすかに、かすかに、じ、じ、じ、じ、と…
違う種類のコオロギらしき声が、遠くから聞こえてくるだけでした。

夕べ、ふと思ったことを、思い出した。

外で、こおろぎ、寒かろな。
寒かろな、こおろぎ。かわいそうに。

もうみんな、死んでしまったんだ…
そう思うと、胸が苦しくなった。
秋のはじめから、虫の声に心をチューニングしていたせいか、
気持ちがとんがった時、目を閉じてあの声を聴いて、
すーっと冷ましてもらったことを思う。
この秋は、ずいぶん助けられたな、と、心の中で手を合わせる。
昨年11月の日記の、あの美しい朝のなかで、
「まだがんばっている虫たちの声」と書いていたので、
まだ、もう少し、聞けると思ってたんだ。
でも今年は、冷えこむのが、早かったから…

そう思って、ちょっと寂しく、朝の家事をしていたら。
リリリリリリリ。
えっと思って、窓のそばに寄る。
少し弱々しいけれど、窓から身を乗りだせば、あちこちで呼びあっている。
リリリリリリ。リリリリリリ。
ようやく差しはじめた朝陽が、隣の草地を照らしている。
斜めに遠慮がちに届く、金色の光。
その明るさと暖かさで、エンマコオロギたちも、目を覚ましたのだろうか。。
きっと明け方は寒すぎて、鳴けなかったのでしょう。

ほっと胸をなでおろし、あと少しの、心の伴走者たちの声を、
たいせつに聴こう、と思ったのでした。



予防接種にて  11/2

毎年恒例、インフルエンザの予防接種シーズンになりました。
もう、さすがに坊ちゃんたちも、泣いたり逃げたりすることはなく、
順番に診察を受けて、打ってもらう…流れなのですが。

小児科の先生は優しくて、注射する時に気持ちを逸らすよう、
身近なことをきいてくれます。
小さい坊ちゃんの左上腕を消毒しながら、
「学校の学芸会、もうすぐなんでしょう?何をするのかな?」と…
注射器を構える先生。
ちょっと緊張して、身構えた、小さい坊ちゃん。
「うっ…が、学芸会…。」
隣で見ていたわたしと大きい坊ちゃん、声もなく、爆笑…。
たぶん、役柄とか、劇の題名とか、
そういう答えをすればよかったんでしょうが、
坊ちゃん、とっさに、題名が言えなかったんだよね…。(笑)
そこに、注射される瞬間の、緊張が重なったんだよね…。
ああー。それにしても。
可笑しかった…。

その後、先生と看護師さんはウケながら、
「来年は、何をするのー?」とフォローしてくれてました。(笑)

大きい坊ちゃんも、低学年の頃は、
小さい坊が打ってもらっているあいだに、
診察室を抜けだして、半泣きで隠れたりしたもんです。(笑)
小さい坊ちゃんが泣いてしまって、
泣きながら自分のハンカチを、なぜかはいているくつ下の中から、出したことも…。(笑)

・・・そういえばそんなことを書いたような気がして、探して、見つけたっ。
6年前の、11/9「そして、予防接種シーズン。。」
読んだ本人たちは大爆笑、わたしは、懐かしい日常に涙が出そうでした。



「なんのために生まれて なにをして生きるのか」  11/2

大学時代の後輩が、帰省ルートを途中下車して、
会いに寄ってくれました。
名駅で落ちあって、久々の再会。
時々連絡をくれるので、わたしはそんなに感じていなかったけれど、
最後に会ったのいつだっけ?という話から、よくよく考えてみたらば、
5年ぶりくらい?と分かり、びっくり!!
その間に、彼女はダンナさんの転勤で海外に移住し、また帰国して、
数年が経っていたのでした。。

震災の後、関東にいた彼女が心配でメールしたら、
気持ちが不安定になっていたようで、電話がかかってきて。。
しばらく、余震のない実家に戻ることを勧めて、彼女も同意してくれて。
行きの成田空港からの電話で、泣いていた彼女。
心配したけれど、体調も気持ちも落ち着いた頃、また、関東に戻った。。
あれから1年半。
家も変わり、今は元気に暮らしていると聞いて、ひと安心。
あの時に心配をかけたから、と言って、わざわざ、会いにきてくれた。

お互いに、別段、大事件や変化があるわけでもないのだけれど、
日常生活の話や、わたしたちの周辺の人々の話や、最近読んだ本の話や…
あれこれ花を咲かせて、やっぱり、なんだか懐かしい、気持ちになる。
一番共感したのは、「ことば」の話。
住む土地のことばに合わせてしまい、郷里のことばを使って話さないと、
自分を偽っているような(偽ってるつもりはない!のに)気持ち悪さがあって、
本当の自分を出せていないような、変な感じがするよね、と。
そして、大阪に帰ったら、「周りが大阪弁!」ってびっくりするよね、と。(笑)
やはり、生まれ育ったところのことばは、
知らず知らず、アイデンティティと結びついているのだ、と思う。

短いけれど、いい時間を過ごせて、よかった。
新幹線の改札で、笑顔で手を振る彼女を見て、そう思いました。
また、会おうね。

見送ってから、ちょっとだけ本やへ…と思い(またかい!)、
そこでたまたま見つけて手にとった、やなせたかしさんの本。
これが…とてもよかった。すばらしかった。

かの有名な、"アンパンマンのマーチ"を耳にする時はいつも、
楽しいあのメロディーに集中して、歌を聴くようにしてる。
まともに歌詞を感じて、味わってしまうと、泣けてくるから。。
メロディーの明るさに隠れているけれど、ほんとに深くて、まっすぐなんですよ…

その歌詞が、本の冒頭にどどん、とフルコーラス載っていて。
それを読んだら、やっぱり泣けてきた…。

どのことばも、エッセイも、人生譚も、
温かくて、強くて、優しい。そして、ユーモアにあふれている。
自分の体力や能力に、劣等感をたくさん持ちながら、
そんな自分を認め、ぼちぼちと人生を歩んでいたら、
こんな年まできていた、と。
熱中できる何かを見つけて、打ちこむことが、楽しく生きるコツ、と。
そのことばの重みをひとつひとつ感じながら、
どのページからでも読みはじめられる気軽さもあって、
やなせさんの思いが、どんどん心に入ってきます。

雑誌「詩とメルヘン」の編集でも有名なやなせさんですが、
詩とは、一部の人にしかわからない、難解なものでなく、
子どもからお年寄りにまで分かり、多くの人に愛されるものでありたい、と。
気づまりな人生に吹きこむ風のような、さわやかさ、やさしさがなければならない、と。
"甘くたっていいさ"と、抒情詩の良さを訴える。
心に喜びを与えるものでなければ、と。
そう、本当にそうだと思った。
・・・わたしは実は、柴田トヨさんの詩を読んだときに。
あんなに分かりやすいことばで、どうしてあんなに強く、心を揺すぶられるのだろう。
まど・みちおさんしかり、坂村真民さんしかり。
井伏さんの詩も。
自分の表現についても、考えさせられました。。
もちろん…いろんなかたちがあって、いいと思うのだけれど。
"誰かの心に寄り添うことば"になるには、そういうことが大切だと、心から感じる。

後輩との再会、そしてやなせさんのことばとの出会い…
いろいろなことを思い、考えた、一日でした。
-- なんのために生まれて なにをして生きるのか --
やなせさんの明快な答えは、奇しくも寂聴さんと同じでした。
わたしもまた…その方策を一歩ずつ、恩師の好きな絵本のように、
亀の歩みで探していきたい。

"ぼちぼちいこか"と。



なみなみと  11/1

とあるエッセイを読んで、チャイが飲みたくなりました。
(毎度、このパターンのような…)

小さななべにお湯を沸かして、茶葉を入れて…
"シチュー・ド・ティー"とあの紅茶やさんが呼ぶように、
しっかり煮出してから、牛乳とスパイスを。
茶葉を漉したら、たっぷり、スープカップに一杯分。
冷えこんだ朝、、、文字どおり、五臓六腑に染みわたる〜。


このムーミンのカップは、2年前の秋、友だちから誕生日にもらったもの。
(あの、たまたま図書館で借りていた巻の表紙と、同じだったという…)
あれから毎年、違う柄を送ってくれる、古い友だち。
今年で3つめのカップ、今朝、届いたよ。
配送状況錯綜で、いろいろたいへんだったけど(笑)、ありがとうね。