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10周年  11/30

今日、大きい坊ちゃんの誕生日。

そしてひそかに、HPも10周年を迎えました。

坊ちゃんが1歳になった誕生日、
「書くことを、忘れないために。」
始めたホームページでした。

途中でサイト名を変え、何度も引越しをし、
いろんな事件があり、日々の雑事に紛れて、
書くことから遠ざかり。。
徹夜もいとわず知識を吸収し、夢中になってサイトを作った、10年前が懐かしい。

けれど今、そんな季節を過ぎて、見えてくるものもあるような気がします。
共に育っていく、ってそういうことなのかもしれない、と。

これからも、のんびりと、細々と…
坊っちゃんたちと、このサイトと、また、自分と、「書くこと」と。
共に育っていきたいと、そんなふうに思っています。



ともだちのひとこと  11/28

大きい坊ちゃん、ただいま、学校でマット運動を勉強中らしい。
体を動かすのは苦手な坊ちゃんだけれど、
同じグループのともだちが、こう言ったらしい。。
「体育は苦手だけど、たむちゃんとしょうちゃんと一緒だと、楽しい。」
いっしょにやると、苦手なことも楽しめるって、すてきだなあ、と、
そんなともだちがいるっていうことも、すてきだなあ、と、
思わず嬉しくなった、休日のちいさな会話でした。



マザーウォーター  11/26

10月末に封切られた映画、マザーウォーター。
公開前にちらしを見て、舞台が京都と知り、
劇場で見られたらいいなあ、とぼんやり思っていたのだけれど、
それが、友人のご好意によって、実現したのでした。。

春の鴨川の風景から始まって、登場する人々に大きなドラマや関係性はなく、
ただ川の流れのように、止まることのない淡々とした、
充実した日常だけがそこにある、そんな映画でした。
疏水の風景、狭い路地、哲学の道…
過去に歩いた風景を、映像で歩いているような、不思議な感覚。
観ながら、町の空気感やにおいまで、肌や鼻に感じられる。
そして、不思議な関係の登場人物たちが、場面場面でぽつりと語る、
奥深いことばたち。
今年、いろいろに感じ、学んだことの集大成のような、
そんなふうにも感じたのでした。

流れる水の風景とともに映画を貫くのは、
その日その時を、たいせつに生きる、ということ。

コピーは、
「あしたへは、ダイジなことだけもってゆく。」
でした。



晩秋の彩り  11/23

深まる秋の空気のなか、美しい色があちこちに。


我が家のブルーベリーはどの子も真っ赤に色づき。
隣の敷地にある、みかんも柿も、熟して色づき。
虫の声が聞こえなくなるこの季節、代わって鳥たちが集まってきて、さえずります。
すずめはもちろん、ヒヨドリは権力が強く、たまにシジュウカラ、メジロ。。
変わった鳴き声が聞こえると、窓からそっとのぞいて、なんの鳥か見つけるのが、楽しみ。
雨戸や窓の開け閉めも、小鳥たちを驚かせないか、確認してからなのです。



シマトネリコさん、いらっしゃい  11/21

我が家に、新しいなかまがやってきました。


その名は、、、「シマトネリコ」さん。↓


十年以上前から(たぶん結婚した頃)、
実家にむりやり持たされたカポックがふた鉢、あったのですが、
これが強健で頑強で(?)引越しもなんのその、わさわさと茂りつづけていました。
そのうちひと鉢が、最近根切り虫にやられているのを発見。
2本はいらないとずっと思っていたので、この機会にその1本を処分したのです。
しかし。。やはり、いなくなると寂しく、すきま風が気になる。。
母がトネリコを買うようにすすめたため、迷いながらも「シマトネリコ」さんの登場です。

ホームセンターで、「目があった!」と思った鉢をひっぱりだしてながめていたら、
小さい坊が、「シマト…ネリコさん?」ときいてきた。
「え?シマト、ネリコさん?シマ、トネリコさん、じゃなくて?」
「シマト、ネリコさん。」
爆笑。。島戸練子さん。(←わたしの脳内変換による。)
そんなわけで、「シマト・ネリコさん」が、突如お友だちになってしまったのでした。
もう、連れ帰るしかないっしょう。という空気に…。

これから末永く、仲良くしてね。



もうひとつ  11/20

思い出した。
書き残しておきたいこと。

先日、友人から半月遅れの誕生日プレゼントが届いた。
もちろん、中身は、開けるまで分からない。
開封したらば、ムーミンのスープカップに、ハンドタオル、そして指揮棒(!なぜに!)。
これが驚くべき、「偶然の一致」をみたのだった…

そこからさかのぼること1週間ほど前、
図書館で、ふだん目につかないところにあるムーミンシリーズ2巻が、おすすめ棚にあり。
何気なく手に取り、借りてきていたのだけど、
その2巻の表紙絵と、そのカップのイラストが、まったく同じだったのです…。
(ちょうど読んでいた、小さい坊が発見。)

そして、ハンドタオル。
すでに持っていた、数年前に別の方からいただいたものの、色違いだった…。

さらに、指揮棒(!なぜに!)。
まさにその時わたしは、指揮者の自伝を読んでいたのだった!!!!!
考えられへん!!

こんなことが、あるんです。
これが、最近いちばんびっくりの、シンクロニシティ、または、以心伝心、でした。。



父の誕生日前日  11/19

明日は、父の誕生日。
それも区切りの、70歳。
急いでカードを書き、何にしようか迷っていた贈り物もお花に決めて、手配する。
ほっとひと息。
ふと思い出す、父のてんぷら。
あの、だしの素のだしに適当にしょうゆを入れただけの天つゆで、
てんぷらが食べたくなる。。

そんな水面下にあった意識が、子どもたちの、
「安納芋のてんぷら食べたい!」のリクエストから、はっとよみがえる。
安納芋(さつまいもの一種)をどう調理しようか迷っていた気持ちと重なって、
今夜は、てんぷら。
もちろんだしには、だしの素っぽくするため塩を少し入れてから、適当にうすくちをいれて。
これで食べる、しょっぱいなすとじゃがいものてんぷらが大好き。

これもまた、シンクロニシティ、だったね。

7年前の父の誕生日の随想は、こちら



シンクロニシティ  11/17

シンクロニシティ…「共時性」、とユングがよんだもの。
生きる道すじが間違っていない時には、神さまが背中を押すように、
シンクロニシティが起きるものなのだ、という。
ふらふら曲がったり、めそめそ泣いたりしながら、
小さなシンクロニシティに、背中を押されているのを感じるこの頃。
そういえば、「その日の天使」とわたしが呼んでいるものも、
そのひとつなのかもしれない。。

ビデオを再生する前に、何気なく2Fから降ろしてきたCDのなかに、
再生した夕べの番組のBGMと同じ曲が入っていたりとか、
予定を考えていたら、オットーから同じ考えのメールが来たりとか、
(オットーとは、以心伝心が結構多いが)
ちいさな天使は、意外とそばにいてくれる気がする。

今日、新しい楽譜が届いた。
ピアノを弾く気力もあまりないまま、
そのまだ折り目のない、吉松隆編曲、カッチーニ「アヴェ・マリア」のページを開く。
そのページを押さえるために…開封せずに置いてあった、真新しいオープンホルダーを差しこんだ。
その黒い、オープンホルダーに小さく刻印されていた文字が目に入った。

「MUSIC FOR LIVING」

「生きる」ということに寄り添っていく音をつむぐ。

深く想い、ここに綴ったことばと同じ意味であったことに、身震いした。

こうして、神さまに背中を押され、
もうやめようか、いつやめようか、もう先はない、と、迷いながらも、
人生のほとんどを共にした、音をつむぐことを、まだやめられずにいる。



今、心にかけていること  11/12

この一年、こころに関する探究が楽しくて、楽しくて、
そればっかり読んだり、考えたりしていた。

仏教から始まって、脳科学、心理学、精神世界、キリスト教、人生哲学、
いろいろな分野にまたがって乱読しては、共通するところを手帳に書きとめて。
以前にもここに書いたことがあったけれど、どんな分野であれ、
切り口や言葉が異なるだけで、同じことを語っていると実感する。
みんな、真理に達するために、自分に合った分野から探究しているのだと。
つまり、真理はひとつ。表現の仕方が、それぞれ、違うだけ。
これを見出して、実生活に活かすこと、それが生きる意味なのだ、と。

探究の季節を過ぎて今、気付きを日々に活かすため、少しずつ、心がけていることがある。
今月?は、
「五感の感覚を研ぎ澄ませて、過ごす今を感じる」こと。
「すべてのものごと、できごとは中庸で、そのものに善悪はない。
 自分のフィルターを通さず、判断せず、ただそのものとしてとらえ、受け容れる」こと。

この練習をしています。
まだまだ、一歩。



舘野泉さん  11/12

NHKのあさイチに、舘野泉さんが出演されてました。
今年は演奏活動50周年の節目だそうで、
演奏会や、新しいアルバムや、精力的に活動されているご様子。
数年前にニュースで特集された時に打たれた、
演奏会でのカッチーニのアヴェ・マリア。
奇遇にもこの1曲だけが、番組内で演奏されて、思わず涙した。
わたしの中の、いちばん深い場所にある、かなしみに直接響いてくる音楽。
しばらく忘れていた、その心の場所を思いだし、確認し、安心し、せつなさに涙が止まらなくなった。
この場所を、忘れてはならない。

先日、公開放送の収録見学で、西村由紀江さんのピアノを聴く機会があった。
ちょっと思いつめていた時で、
その音、音楽を聴いた瞬間に、
張りつめていた糸が切れたように、涙がこぼれた。
そこに、なんの理屈も、言葉もなかった。
わたしが助けられてきた音楽は、これなんだ、と。
やりたい音楽があるとすれば、こういうものなんだ、と。
舘野さんや西村さんの「人」と、生みだす「音」に触れるたび、
「生きる」ということに寄り添っていく音をつむぐ人になりたい、と思う。



重曹爆発の効用  11/11

夜、最後の鍋洗いも終わり、さあっ。と、掃除用の重曹のびんを直そうとしたら。
ふたがはずれた(泣)
大びんはシンクに転がり、1/3ほどをどばっとまきちらした後、
あわてて起こした手からまた滑って、エプロンのポケットにもまきちらし、
キッチンマットやら、ひきだしのふちやらにも大量にこぼした揚げ句、体勢を立てなおしました。
「ぎゃー」と思わず叫んだほどの大事故!あちこちに真っ白な粉の山!
どうしよう…と思いきや…

シンクの中は…ま、みがけばいいや。と、全部みがいてしまう。
キッチンマットは。。そうだ、じゅうたんに重曹をまいて、掃除機で吸うとにおいがとれるって言うよな。
と、掃除機出動。吸いこめば、排気にも防臭効果アリ?
エプロンは…あ、たしか、洗濯に重曹入れると、柔軟剤代わりになるって言うよな。
と、そのまま洗濯へ。
ひきだしのふちとタオルかけに積もったのは…
濡れふきんで拭く。拭く。拭き取る。すると…
水滴のあとやら、積もったホコリやらがとれて、扉も引き出しもぴかぴかに!!

重曹・万歳!!!!!
今度はそう、絶叫しそうになりました。

たとえ大爆発しても、一切メイワクかけず、こんなに役に立つ重曹くんは、やっぱりスバラシイ!!
心から、感心したできごとでありました。。



めぐりめぐる  11/9

しばらく前から、トップページの下の方に、バナーが増えたこと、ご存知でしたか。
MOTTAINAIのHPとリンクしています。
ワンガリ・マータイさんの運動については、HPをごらんください。

先日、パチンコやさんの前で、千円を拾ったのです。
以前、公園で拾った200円を買い物ついでに交番に届け、まわりくどい書類を書かされ、
電話確認のために1時間近くも足止めされてうんざりしたことを思いだす。。
道で拾ったから、誰のものとも分からないし、
半年経って…なんてめんどくさい手続きも、もうごめん。
思いめぐらした末に、募金することに。

千円を足して、二千円にして、マータイさんのグリーンベルト運動に送金しました。
ここまで何も考えずにやってから、ふと、気付いた。
グリーンベルト運動に寄付をして(約7円で1本の苗木になるそう)、
木がどんどん植えられていって、
その木が大きく育って、
酸素を生みだしてくれるようになって、
その空気が風になって運ばれて、
どこのだれか分からない、お金を落とした持ち主の人に帰っていく。
酸素は、生命維持のために、すべての人間が必要とするもの。
だから、ちゃんと、その人に返したことになる!と。
なんてすごい、すばらしい循環。
ひとりで、感動してました。

循環するエネルギーのすばらしさを教えてくれた、落とし主に感謝。