なつやすみの、まんなかで

2



2

 ―――岸田奈美さま。暑中お見舞い申し上げます。
 それだけ書いて、続きをなんとしたものか、佐和子はペンを握ったまま思いをめぐらした。何から書けばいいのだろう?
 引き出しから探し出した絵葉書は、去年、どこかの絵画展で買ったものだ。青いガラスを透かして見たような、魚の群れの絵。愛用しているブルーブラックの万年筆のインクが、とても似合う。
 「お姉ちゃん、刺繍糸、持ってなかったっけ」
 佐緒里が部屋に入ってきた。ゆるくクーラーのきいた部屋に、生ぬるい風がふうっと吹きこむ。
 「刺繍なんてしてるの?呑気だねー、学生さん」
 佐緒里は短大の被服科の二年に在籍していた。もちろんこの夏は就職活動、のはずなのだが、学校推薦ですでにアパレル関係への就職が内定しているのだった。こんなふうにはっきり、着々と、人生の道すじができていくところもまた、佐緒里らしいと佐和子は思っていた。ぐずぐずと、試験に受からないまま中途半端な時間を過ごしている自分とは違う、と。佐緒里からしてみれば、優等生で真面目な姉は、子どもの頃から、常に比較対象として持ってこられる面倒くさい存在であった。しかし反面、困った時には、完璧なサポートをしてくれるありがたい存在でもあった。容姿からして二人は全く似ていない。佐和子は父に似て背が高くやせっぽちのおっとりやさん、母似の佐緒里は小さく丸く愛嬌があって、どこか現実的、それは昔から、ずっと周りにも言われてきたことだった。
 「なに色がある?…持ってるの全部、見せてほしいんだけど」
 「さあ…開けてみないと。あるかどうかも分からないよ。あってもいつのだか」
 机の下から、学校の家庭科で使っていた古い裁縫箱を引っ張り出した佐和子は、佐緒里のサマードレスの裾を見て、それ、見たことあるんだけど、どうしたの、ときいた。
 「何?この服?」
 佐緒里は無造作にドレスの裾をつまんだ。
 「こないだ学校の実習で縫ったんだけど、押入れの余り布袋に、この布がどっさりあったのよ。レトロな花柄で可愛いなと思って。黄ばんでるとこを避けて裁ってね。もう、足りないかな、お姉ちゃんもお揃いで縫ってあげようか」
 ―――お揃い。そこにひっかかって、やっと佐和子は思い出した。
 「それ、奈美ちゃんとお揃いで縫ってもらったやつだ。小学校の時」
 「ええ?そうなの?てことは、奈美ちゃんのおばさん?」
 「そうそう、そうだわ。ああ、やっと思い出した。すっとした」
 「それでだね、カーテンと同じ布も一緒に入ってたの。奈美ちゃんのおばさん、うちが引っ越した時に、カーテンも全部縫ってくれたんでしょ。私は覚えてないけど」
 なんで私にもお揃い縫ってくれなかったんだろ、とぶつぶつ言いながら、佐緒里は裁縫箱を受け取った。
 「あんたはまだ小さかったからね。そういえばあの服、何処にいったんだろ」
 佐和子はまた机に向かい、ペンを持った。奈美ちゃんとお揃いの、大好きだったワンピース。今、はっきりと目の前に浮かぶ。あれを着た私たち、そしていとこみんなで、さんざん山めぐりをして遊んだっけ。大きなカブトムシやクワガタは、毎夏難なくつかまえられたし、虹色をした美しいタマムシを初めて見たのも、あの山だった。アブを手で払いながら食べたスイカ、べたべたの口を拭ってくれた祖母の白い手ぬぐい、種の吹きっこをした古い家の土間。ひとつひとつ、記憶の輪っかが無作為に連なって、彼方から引き上げられてくる。次々と懐かしい情景が浮かび上がり、また消えてゆく。
 「『ふたりのひみつは、川に落ちた。』」
 「何だって?」
 佐和子が振り返ると、佐緒里は黄ばんだ二つ折りの、白い紙切れを手にしていた。
 「何これ、お姉ちゃん」
 「何それ」
 二人は顔を見合わせた。
 その紙切れは、二重底になっている裁縫箱の、布入れの部分に挟まっていたらしかった。幼い、大きな、しかしきっちりとした字で、「ふたりのひみつは、川に落ちた。」と書いてある。よく見れば、薄い黄緑のラインが入った小さな便箋で、裏側にも同じ筆跡で「小学三年生の子が、書いた詩です。」と書いてあった。
 「これ、お姉ちゃんが書いたの?」
 「うーん…記憶ないなあ。それに私の字じゃないような気がする」
 「ふたりのひみつって、何?」
 「分からない」
 佐緒里はあきれて、お姉ちゃんの持ち物は宇宙だね、と言った。本人にも何だか分からないんじゃどうしようもないよ。こないだも変な物出てきたじゃない、そらそのへんの古いかんかん、もういい加減捨てなさいよ、と母親とそっくり同じ口調でたしなめた。
 「もういいよ、分かったよ。で、刺繍糸はあったの?」
 「うん…これ小学校の小物づくりで使ったやつじゃない?原色ばっかりだけど…ちょっと借りとくわ。じゃね」
 佐緒里はさっさと自分の要る物を取り出し、裁縫箱のふたをかたりとはめた。部屋を出ていく佐緒里のサマードレスをぼんやり見ていた佐和子は、残された裁縫箱の隙間から、さっきの紙切れと似た小さな封筒がのぞいているのを見つけた。ふたをもう一度はずし、それを引っ張り出してみると、表にさっきと同じ字で、「ふじたにさわこさま」と書いてあるのが目に入った。誰からだろう。少しどきどきしながら裏返すと、予想どおりの場所に、ちゃんと差出人の名前があった。「きしだなみより」、と。

 岸田奈美さま。暑中お見舞い申し上げます。
 奈美ちゃん、ごぶさたしています。突然インドから絵葉書なんて、びっくりしたよ。どうして急に手紙をくれたのか分からないけど、なんだかとてもうれしかった。
 私は今、専門学校で講師をしながら、高校の先生になろうとしています。毎年試験を受けるけど、なかなか通りません。今年は地方も受ける決心をしたので、一次試験だけ、奈美ちゃんのいる東京で受けます。今月26日です。もう日本に戻ってきているのでしょうか?だとしたら、その時会えないかな、と思っています。どうだろう?そちらに着いたら、電話します。考えておいてね。ではまた。―――佐和子


<< 3 へ

<< Contents
<< Home