桜降る夕暮れに



4


 「できたよー。おまちどおさま」
 ボウルと大きな木のしゃもじでままごとをしながら、たきこみごはんが炊けるのを待っていた二人はものすごい速度でテーブルについた。
 「手、洗った?」
 「忘れてた!」
 小さなふたつの背中が、競うように洗面所に向かう。
 先に洗面台の前に立ったはなちゃんが、はるちゃんに諭すように「じゅんばんね。」と言い、手を洗いはじめた。
 口をとがらせたはるちゃんが、聡子を振り返って大真面目で、「じゅんばんね。」とまわしてきたので、聡子はふきだした。
 「はいはい、お母さんは、はるちゃんの次ね。」と笑いをこらえながら答えると、はるちゃんは満足げにうなずいて、蛇口をひねった。
 テーブルに戻ったはなちゃんが、すばやくいただきますをして食べはじめる。
 姉妹は聡子が一人でこの部屋に帰る夜のことを、たった二日で忘れさせるだけの眩しい存在感に満ちていた。
 しずくをぽたぽたさせながら走ってきたはるちゃんの手を拭ってやりながら、聡子はその柔らかい髪をそっと撫ぜてみる。はるちゃんは照れくさそうに身をよじって逃げながら、ごはん、もう食べてもいい?ときいた。

 しんとした空気に気付いて、食事の後片付けをしていた聡子が振り向くと、はなちゃんもはるちゃんも、真剣な表情で画用紙に何か描いていた。
 洗い物の手を止めて、背後からそっとのぞきこんでみる。するとどうも、二人ともが思い思いに、あの桜並木の絵を描いているようなのだった。
 大きく張り出した枝に、まあるい、白いまりのような花。それはひとつひとつが、あの華奢な花びらからできている。花見提灯がぼんやりと灯る夕暮れの風景。どこか懐かしい空間が、二人の前の画用紙の中に、組み立てられていた。
 ふうっと吹く風、ゆらりと揺れる枝。
 いつの間にか聡子は、その木々を見上げていた。
 はらり、と落ちてきた白いひとひらを、てのひらで受ける。
 「きれいだね」
 思わずつぶやくと、
 「きれいでしょ」
 と、はなちゃんが微笑んだ。大人びた笑み。ついさっき、買い物帰りに垣間見た表情。
 「ほら、こうやって、手でつくのよ。てんてん、てんてん、って」
 はるちゃんが、桜の枝の先にある花のかたまりを、ぽーんと手で打ち、まりのようにつきはじめた。やわらかくしなる、花のまり。
 さらさらと、散りはじめた桜の花びらの下で、二人は静かに、歌いながら桜の手まりを続ける。
 ひとーつ、ひとひら、ふわふわり。ふたーつ、ふくかぜ、ひらひらり。

 「ほら、この手まり、お母さんにあげる」
 はなちゃんがぽん、と聡子の手に、桜の花のまりを載せた。
 「お母さんも、ついてみて?子どもの頃、やったでしょう」
 そう言われてみれば、確かに、桜の花の手まりをしたような気がした。
 誰かがそばで、その数を数えていた。歌うようなその声が、耳元によみがえる。
 聡子はぽん、とついてみた。
 やわらかなその手ごたえが、胸の芯のところにつん、と響く。
 「じょうず」
 はるちゃんが、まるで小さい子をほめるように、ゆっくりと微笑む。
 桜の木々はますます大きく風に揺れ、はらはらとはらはらと、留まることなく惜しむことなく、白い花びらを降らせている。
 ハンバーグも、たきこみごはんも、おいしかったよ。
 ありがとう、お母さん。
 はなちゃんとはるちゃんの、やわらかな声が心に響く。

 気付けば聡子はひとり、アパートの桜の木の下にたたずんでいた。
 あんなに散っていた桜の花は、元のとおり、満開にはまだ間がありそうな風情で風にゆらゆら揺れている。白い大きな手まりのように。てんてん、てんてん。ついて喜ぶはなちゃんとはるちゃんの笑顔がまぶたの裏によみがえる。けれど、ついさっきのことのはずなのに、もう焦点の合わない昔の写真みたいに、ぼんやりとしか浮かんでこない。
 昔の写真。
 頭の隅に僅かな光が差したような気がして、聡子は半ば力が抜けたまま部屋に戻り、押入れの中から古いアルバムをひっぱりだし、開いてみた。
そこにははなちゃんに良く似た聡子と、はるちゃんに良く似た妹の絵美と、若い日の母の笑顔があった。いや、…似ているような気がしただけかもしれない。あまり似ていない姉妹、というところは似ていたけれど。
けれど若い母の目元に、鏡に映る自分の顔を見つけた聡子は突然、母の声が聞きたくなった。話をしたらまたどうせ、軽い言い争いになるのは分かりきっているのだけれど。
「ひとりで大きくなったような顔をして。」
母のお決まりの憎まれ口が聞こえてくるようだ。
聡子は大きな深呼吸を二回して、受話器を手に取った。


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