桜降る夕暮れに





 引き返したスーパーで、結局二人の母親は見つからなかった。
 もとより住宅街の一角の、小さなスーパーである。迷子なんかはレジのおばさん一人つかまえて話せば、即座に分かりそうなものだった。しかし尋ねられた店員はみな、一様に首をかしげた。困り果てた聡子は、仕方なくそのまま二人を自分のアパートまで連れ帰った。合挽きのお肉と、たまねぎを買い足して。

 「おいし〜い」
 自分の手のひらふたつ分はあるハンバーグをほおばって、はるちゃんは満足げに唸った。
 「またはでりしゃすというのよ、はるちゃん」
 はなちゃんがすましてつけたし、上手にお箸で割ったハンバーグをひと切れ、口に運ぶ。
 聡子はそんな二人をくすくす笑って見ていた。私もハンバーグ好きだったっけな。付け合せの野菜を先に食べちゃって、必ず最後のひと口がハンバーグになるように食べるんだった。そんなことをふと思い出したりもして、なお笑えてくる。
 気付けばはるちゃんは大きなハンバーグをぺろりとたいらげて、おつゆを飲んでいる。ごはん残しちゃだめだよ、と言うとはるちゃんは、はあい、と大口を開けてごはんをつめこんだ。
 「みて!お母さん!」
 「うわあ。いっぱい食べたねえ。でもあんまりつめるとのどつかえるよ」
 「しっかりかんでね!」
 はなちゃんが応援する。
 静かで暖かな食卓。一人で何となく終わらせてしまういつもの夕食と違う。
 聡子は心の中がほこほこと温まるのを感じた。なぜか、幸せだった。
二人にお茶を注ぎながら、明日は何の晩ごはんにする、と尋ねると、はなちゃんがうれしそうに、たきこみごはんにして、と答える。
「はるちゃんも、たきこみごはんがいい!」
 つぼみがほころんだような二人の笑顔を見ていたら、ぎゅうっと抱きしめたいいとおしさがこみあげる。
 「じゃあそうしようね。明日は、たきこみごはんね」
 「またお買い物、いこうね」
 「いこうね」
 お母さん、探さなきゃ、と思いながら聡子は、だんだんこの姉妹が自分の妹のような、娘のような、不思議な気持ちになっていた。いとおしい、家族。そう、きっとこんな感じなのだろう。仲の良い、家族というものは。
「お母さん、か」
台所を片付けながら聡子は呟いた。母とはずいぶん連絡をとっていない。聡子と母は、長い間折り合いが悪く、どうしても、どこまでも平行線でしかない関係に疲れ、就職と同時に家を出たのだった。
 いったい何がいけないのだろう。離れて冷静になっても、解決しない何かが立ちはだかったままだ。母の突き放したような態度。それに誘われるように出てくる、つっかかるような言葉。エンドレスで繰り返される言い争いにはもう疲れた。昔から母は私が嫌いなのだ、きっと。関わらないことが最善の策とあきらめて、家を出た。もうそれでいいのだ。
 まとめたごみを出そうとベランダに出たら、咲き始めたばかりの桜の枝が、手の届きそうなところで揺れていた。狭いアパートの敷地にある、たった一本の桜の木。ほおっと息をついて聡子は花をながめた。ゆらり、ゆらり。夜風に揺られる、白い花のまり。てんてん、とやわらかく、てのひらでつきたくなるよな。
 「お母さーん、この次どう折るんだっけねえー?」
はなちゃんの声に聡子は、重い窓を閉め、カーテンを引いた。箱を作りたいの、と四苦八苦するはなちゃんの手から赤い折り紙をとって、どうだったっけ、とうなりながら、ああでもないこうでもないと折って確かめていく。ああ、なんでもこうね。ちゃんと覚えたと思ったのに、忘れて、おぼつかない指先でまた折りなおして。前に進めないわけだ。聡子は苦笑する。
 「忘れても折ったら思い出せるなんて、お母さんすごいねー」
 はなちゃんの声がはずむ。そうかな。思い出して、また忘れて。それでもちょっとずつ、進んでいけるのかしら。
 「次はね、だましぶね教えて」
 「はるちゃんは〜アイスクリームね。ほら」
 何色かの折り紙を三角錐のかたちに丸めて、はるちゃんが誇らしげに掲げる。
 「はるちゃん、考えたねえ。うまいわ。お母さんより上手だね」
 いつしか自分をお母さんと言っていることに驚きながら、聡子は二人をますますいとおしく感じたのだった。お母さんより上手と言われたはるちゃんは喜んで、何色ものアイスクリームを作ってくれた。はるちゃんもはなちゃんも、聡子もおなかがいっぱいになるくらいに。
 にぎやかに夜は更けてゆく。明日のお昼間、二人だけでだいじょうぶかしら。お母さんは見つかるのかな。次々浮かんでくる不安もなぜか、静かなさざなみのようで、なんとかなるさと思えた。この子たちの、顔いっぱいの笑顔を見ていたら。


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