桜降る夕暮れに





「あ、提灯」
 薄暗闇の中、ぼんやりと花見提灯が灯っている。駐車場を出た、沿道の桜並木。スーパーの袋片手に立ち止まった聡子はほっと息をついた。提灯に照らされて、張り出した枝の先にも、小さな淡い光が灯る。夕暮れの風が揺らしていく、白く儚い灯火。店を出ていく人たちが足早に聡子を追い越していく。
 もうそんな季節なのだ。この桜で、いくつの春を数えただろう。毎年数え直さないと忘れてしまう。そしてその月日を、いちからたどる。この木の下で。今の仕事場に勤めて、家を出てひとりで暮らしを始めて、母と会わなくなって。
 「お母さん」
 唐突にそう呼ばれて、え、と聡子は振り返った。自分でも意外なかすれ声だった。そして、小さく息を呑んだ。
 聡子の後ろに、小さな女の子が二人、いた。
 「お母さん。暗くなってきたよ。早く帰ろうよ。おなかすいた。」
 大きい方の女の子が聡子を促す。
 「お母さん、て」
 「今日は何の晩ごはん?」
 小さい方の女の子がぎゅっと聡子の手を握って、きいてくる。
 「はるね、ハンバーグがいいな。大きいの。お姉ちゃんとおんなじ、大きいの。」
 「そんなこといって、はるちゃんいっつも全部食べないじゃない。」
 ちょっと偉そうに、姉らしき女の子が「はるちゃん」に言う。
 「食べるもん!全部食べるもん!」
 二人が言い合いを始めたので、呆然と見ていた聡子ははっとして制した。
 「ちょ…ちょっと。あなたたち…お母さんと、お店の中で、はぐれちゃったんでしょう。一緒に行ってあげるから、お店に戻ろう」
 二人はぴたりと黙って、聡子の顔を探るように見た。姉妹にしてはあまり似ていない、とぼんやり聡子は思った。
 「あ、分かった。お母さん、知らない人ごっこだね?ようしはなもやるぞ〜」
 「はるもやる〜」
 聡子はさらに困惑して尋ねた。
 「え〜と、お母さんの、お名前は?」
  二人はげらげら笑い出した。そうして、声を合わせて同時にさけんだ。
 「お母さんは、お母さん!」
 この姉妹、何処かで会った気がする。
 日暮れは早く、提灯の明かりがだんだんにまぶしくなる。ふうっと春の夜風が香り、その湿り気に深呼吸した聡子は、二人の手を引いて、歩き始めた。


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