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随想ノート 7



タイミングよく (2003/12/15)

 何かをしようとする時、その行動が早い、遅い、ちょうど良い、というように、ケース・バイ・ケースのタイミングというものがある。
 これを常に正確に見極め、完璧に動ける人間でありたいと願いつつ、正直に言うなら、私はタイミングをはずす方の名人である。
 ふだんの行動は、基本的に遅い。起こすまでも時間がかかるが、行動そのものも、ひとつずつを完璧にこなそうとするため、時間がかかる。だから余計に面倒くさくなって、行動を起こすまでに時間がかかる…という、堂々巡りの図式になる。
 しかし、何か突然、やりたいことを思いついた場合には、この限りではない。即日即行動。頭の中に出来上がっている行動の終結に向けて、猛烈な勢いで突進する。自分のイメージに必死で追いつこうとして、自己満足の世界を作ってしまうのである。
 そんな中、実のところ、いちばん苦手なのは、誰かと関わる時のタイミングだ。
 あれこれいろいろと慮ってはいるのだけれど、感激のままに返事を返すと、早すぎる。早すぎるかなあと考えて、少し時間を置くうちに、思慮が先走りして、タイミングを見失う。遅くなったり、どうしていいか分からなくなったり。
 即行の時は相手を驚かせたかと思い至り、自らの暴走を恥じて恐縮してしまう。遅れたら遅れたで、申し訳なさにもっと恐縮してしまう。
 なんだか常に、相手に頭が上がらないような気持ちでいる気がする。
 もっと上手にタイミングよく、人とのやりとりもこなしたいものだ。
 そんなことを考えるだけ、大人になったのかしらん。
 若き日の、感情的で盲目だった自分を思い、そう自分を慰めてみたりして。



フライドポテト (2003/11/20)

 冷蔵庫がいよいよ上から下まで空っぽになり、ついに?自宅から徒歩十五秒にある、マクドナルドのお世話になった午後。
 テイクアウトにしてもあつあつのポテトが食べられる、この便利さがなくなるんだなあ…なんて、おバカな感傷に浸っている。
 子どもとふたり、「あつっ」と言いながらポテトをつまんでいた時、なぜか突然、「イズミヤのフライドポテト」のことを思い出した。
 小学校高学年から、中学生だった頃に、すぐ下の妹とふたり、よく父の買い物についていった。共働きだった我が家の買い物係は父で、車で行きやすいという理由から、「イズミヤ」というスーパーを御用達にしていた。
 私たちの目当ては買い物の後で父が買ってくれる、ソフトクリームか、フライドポテトである。そのポテトはしかし、決して揚げたてではない。三角の紙にくるまれて、保温機の中でしなっとなったものだった。
 それでも子どもの頃は、無性にうれしかった。おいしかった。
 フライドポテトとは、ああいうものだと思っていた。
 あつあつのポテトが、安くで手軽に食べられる今では、考えられないことだけれど。
 そんなことがふと心をよぎった今日、父の六十三回目の誕生日。

 あのイズミヤから、二十余年と数百キロ。
 思えば、遠くへ来たもんだ。



「従前の住所」 (2003/11/8)

 融資の手続きの関係で、住民票をひと足早く、新住所に移した。
 世帯主の代理人の証明として、免許証の提示が求められた。カードケースのいちばん上には、なぜか子どもの頃から通った図書館の貸し出しカードが入っていた。
 瞬間、古びた図書館が頭をかすめる。
 あの図書館も移転して、すっかり立派になった。この貸し出しカードは、もうとっくに使えくなっているだろう。
 できあがった新しい住民票の「従前の住所」の欄に、当たり前だが、家族全員、現住所が揃って記載されている。あっと思った。
 結婚・転入時に記された、夫婦それぞれの「従前の住所」が、欄から消えた。私はまじまじと住民票をながめた。
 こうして少しずつ、着実に、私たちはこの土地の者になっていく。
 そして、新しい家族の歴史をつむいでゆく。

 嗚呼、遠くなりにけりや、ふるさと。



顔 (2003/10/29)

 朝、起きぬけの顔を洗い、ふと間近に鏡を見ると、そこに母の顔があった。
 まじまじとながめる。瞳の色、額にかかる髪の癖。紛れもない母の顔である。
 ある時、薄暗い鏡に映ったのは、父方の祖母であった。ぞっとするくらいに祖母の顔そのものだった。
 また、父のこともあった。どこが、というのでなくて、父の顔、なのだった。
 その顔たちは、「若い頃の…」ではなく、かといって今の顔でもなく。
 おもかげ、という曖昧なものでもなくて、そっくりその顔が現れ、瞬間、私の顔が消える。
 「自分の顔に責任を取る」年齢にさしかかったというのに、年をとるごとに顕著に、ふとした瞬間、肉親の顔が現れるようになった。
 けれど、それが驚きでなく、当然のことのように受け容れられるのは、「自分の顔に責任を取る」年齢になったからだろうか。
 そして、私が負っているものは、希望も絶望も含め、ここに現れる顔皆のものなのだ、と感じる時、肉親の果たし得なかった思いを、私らしいあるかたちで果たすことは、私の責任なのだと、ぼんやり思うのである。



思わぬことから (2003/10/11)

 ある夜。子どもたちがおもちゃの取り合いをして、弟の方が泣きはじめた。
 この子の泣きは、性質が悪い。なだめてもすかしても、好きなものを並べても、絶対に泣き止みはしないのだ。号泣して泣き狂って嗚咽して、最後に吐く。
 風邪での嘔吐なら仕方がないが、親として、これほど理不尽な始末はない訳で、忙しい時にやられると腹立ちを通りこして、情けなさがこみあげてくる。
 この夜は最悪だった。最後、吐いた場所がなんと、私の大事なダンボールの上だった。
 (ふたが、中途半端に開いていたのも悲劇だった…)
 中には、私が今までに書いてきたものすべてのノート、出版前後の書類、作品が掲載された誌類、等々、創作に関するものから、卒業記念の色紙、サイン帳、日記、果ては卒業証書から論文に至るまでが収納されていた。
 泣きそうになりながら、それらをすべて箱から放り出し、ひとつひとつ点検して、汚れたものを拭いていく。一番上に入っていて被害に遭ったものは、仕事を辞めた時に、仕事仲間から寄せられた色紙だった。
 濡れたせいで、滲んで読めない名前がある。あやふやな記憶を辿りつつ、ぼやけた字の輪郭から、N・Kさんという、最初はそこの生徒で、その頃は事務のアルバイトをしていた短大生のことを思い出した。彼女のことなど、仕事を辞めて以来5年半、思い出したこともなかったというのに、彼女の語る口元やお嬢さんぽい雰囲気が、突然に現実味を持ってよみがえってきた。それと同時に、暗いビルの中にあった、その仕事場の、妙に明るい蛍光灯の光が浮かび上がる。
 私はその幻影に吸い寄せられるように色紙を読み返した。D、という名前もたぶん、バイトだった男の子。K、というのは落ち着いた感じの年配の女性だった。A、は無口だった男性数学教師。これは所長。これは、元所長で、長い付き合いだった人。…もう顔が浮かばない人、輪郭だけの人、はっきりと思い出す人、などなど、目の前に、一緒に仕事をしていた人たちが、あの頃の印象そのままに、列を成して現れたのだった。
 理不尽な片づけから、思いがけず、彼らと出会うことになったのである。そしてその色紙の中心にいるのは、今の私ではなく、A先生と呼ばれた、過去の誰かである。
 そんなことすら、忘却の彼方であった5年半の歳月を飛び越え、秋の夜、もう今は存在しない、その仕事場に思いを巡らせる。あの人、この人、皆それぞれに、今の時間をどこかで生きているのだろう。
 私の時間は、どこへ向かっていくのだろう…そんな曖昧な不安に包まれている日常に溺れ、見えなくなってしまっていた何かを、手品のようにスクリーンで見せられたような気がした。
 生きた軌跡は、跡形もないようで、しかし、確かにこの手の中にあるようで。
 滲んだN・Kさんの名前を、数十年後の私は思い出せるだろうか。
 そんなことをぼんやり考えながら、私はさんざん傷んだダンボール箱を、ついに潰したのであった。



奥行き (2003/9/15)

 自分には「奥行き」が欠けている、と漠然と感じたのは、まだ地元で、フラワーアレンジメントを習っていた頃のことだ。
 先生の指導どおりに、順序立ててフォームに花を活けていく。各々の花の高さや、バランスのコツもききながら活け、最後に先生に全体を見てもらう。
 この時、必ず指摘されるのが「奥行き」だったように思う。
 正面から見た時の立体感。思い返せば、子どもの頃から確実に、この「立体感覚」というものに弱い私なのである。そこに起因するのかどうかは分からないが、とにかく、全体を見ながら奥行きを出し、立体的に仕上げるという作業が苦手なことは事実のようだった。
 不思議なもので、活けられた花はそのまま、活けた人の性質をも映し出すものだ。
 教室の生徒皆が活けおえて、作品を並べた時に、見ただけで「これはあの人の」と分かるくらい、それは顕著に現れている。
 豪快に、大胆に、けれどバランス良く、活けられているのはYさん。大きくまとめるけれど、繊細に、優しく活けているのはWさん。かちっと基本形を踏んで、きっちりと美しく活けているUさん。素材を面白く使って、たおやかにまとめるのは、Nさん。
 今でも、その作品が目に浮かぶようだ。
 そして、私はというと…いつも小さくまとまってしまうのだった。活けているうち、細部にばかり目がいってしまう。最後に離れて見ても、?と分からなくなることが多かった。他の人の作品と並べて見れば見るほど、それが目立つ気がした。
 しかし、4年半のレッスンの中で、苦手なところは克服されてもいく。奥行きを出すためのコツや方策を、私は少しずつ学習し、習得していった。そしてそれは失われることなく、今も花を入れる時に、ふと戻る感覚として残っているのである。

 思えばあの頃は、自分の奥行きをも作ろうとしていた時代だった。めくらめっぽういろんなものに突き当たっては、自分の底を見、幅や高さを測っていた。レッスンを終える頃、ようやくぎりぎりいっぱいの奥行きを作り上げられた、そんな気がする。
 今も、何かに突き当たる度、自分の大きさを思い知る。
 そしてその度、あの時活けた、小さくまとまった自分の花を思い出す。
 もっと、もっと。憧れた、活け方があった。
 全体のバランスと力強さ。自由でフレキシブルな発想。そして、奥行きの深さ。
 それこそが、私の目指すもの。
 時間をかけて、これから得てゆくべきもの。
 見落としてはいけない、忘れてはいけない、自らの核、と目標。
 こんなふうにありたい、と感じたものを今、自分の中で反芻している。



わたしの夏休み (2003/7/22)

 この夏、春から幼稚園に入った子どもの、初めての夏休みが訪れた。
 親として体験する、初めての「夏休み」でもある。
 洗濯物を干しながら、勢いを増す蝉の声を聞きながら、周りで良く耳にするようになった、「夏休みは子どもたちが家にいるから大変・・・」というお母さん方の言葉を反芻する。
 その時ふと、鮮明に二十数年前の夏休みが頭をよぎった。・・・朝だ。
 起きる頃には、親はいない。共働きだったのである。のそのそと蝉の声に急かされるように起きだして、東の窓からの直射日光に喘ぎながら階下に下りる。夏休みのアニメ劇場をだらだら見ながら、妹とパンを食べる。宿題を朝のうちにする約束を守るのは、夏休みのはじめだけ。いつも8月30日と31日に、慌てて追われてやっつけた。ピアノの練習は妹と交代でする。お昼ごはんは父が買い置きしてある、レトルト食品や、カップ麺。「火を使ってはいけない」というので、古めかしい小型の電気ポットでお湯を沸かし、あたためる。午後は何をしていただろう。暑い2階で、汗びっしょりで昼寝もした。夕方、日が翳ると近所の友達と遊んだ。家の前でゴムとびをしたり、バドミントンをしたり、ケンパやドッジもしたっけ。
 近くの公園で遊ぶ日もあったし、図書館に本を読みにいく日もあった。
 でもおおよそ、このような夏休みだった。小学生の頃。
 中学以降は、クラブのスケジュールが夏休みを支配していったから、小学校の夏休みは特別なものとして、妙な感覚とともに私の中に沈んでいる。
 記憶の中では、あの頃の夏休みの日常には、2つ年下の妹しか登場しない。それが哀しい訳でも、寂しい訳でもない、当たり前の、夏休み。

 だからというわけではないのだけれど・・・「夏休みは子どもが家にいるから大変・・・」と言ってもらえる子どもたちは幸せだな、とぼんやり思う。「大変」なだけそばにいてもらえるのだもの。ごはんを一緒に食べる相手がいる。お昼寝から覚めたら、そこに誰かがいる。小さいうちは、そんなことが単純に、うれしいものだと思うのだけれど。
 子どもが親と一緒にいたいと思う時間はきっと、そんなには長くないもの。私だって、中学以降の夏休みが記憶の外なのは、クラブだけのせいじゃない。親がいない方が、自由で楽に思えたのだ。

 親が家にいないことを批難しているのではない。もちろんいることが良いのだと訴えているわけでもない。ただぼんやりと、わたしの夏休みの味を思い出して感傷に浸っているだけである。

 そしてまた、子どもたちとだらだら過ごす自分への言い訳にもしてみる。
 雑事に追われてばかりの私だけど、そばにいるだけで、いいじゃない。と。




風の篝火 (2003/6/25)

 長野県辰野町の蛍まつりは、例年6月中旬の2週間である。
 行きたい、どうしても行かなければと思いながら、いつも思い出すのはなぜか7月、蛍の季節を過ぎてからであった。
 7月になってからそのことを思い出すというのは、私が「風の篝火」という歌に出会ったのが7月だからである。
 辰野の町の蛍を題材に歌われたこの歌は、私の最も好きな歌のひとつである。この歌をモティーフに書かれた、歌の作者自身の散文「誘蛾燈」をも愛しており、これをなぞるように当時模倣して書いたのが、掌編「七夕」であった。恥を忍んで、20年も前の古い文章を発表したのは、これを機に自分の原点を振り返ってみたかったからだ。
 とにかく、この「風の篝火」の世界を愛してやまない私にとって、歌の舞台である辰野の蛍まつりに出向くことは、積年の夢だったのである。歌詞と歌について書かれた文章が収録された、もうぼろぼろになった文庫本をリュックに放り込み、歌の収録されたCDを車に積んで出発したのは、歌に出会ってからちょうど20年目の、今年の蛍まつり最終週のことだった。
 オットは数週間前から、辰野町のサイトに毎日アクセスしては前夜出現した蛍の数をチェックしてきた。先週半ばに18000匹という最高記録を目にし、興奮。台風の日にいったん7000匹台に減った数を心配しながら、また梅雨の晴れ間の夜であることを気にしながら(蛍は雨の後、風のない高温多湿の夜に多く見られる)、夕間暮れ、ひたすら中央道を北上し、辰野へ向かう。空気はどんどん冷たくなり、見上げる駒ヶ岳の山々は雪を抱いていた。
 5年前の夏に一度訪れたことのある辰野の駅は、その時の閑散とした面影が嘘のように、賑々しいお祭り気分に満ちていた。そんな中、「松尾峡 ほたるの名所入口」と書かれた古い看板の向うの秘境が、今夜明かされるのだ、と心がひきしまる。
 蛍の名所までの長い道のりは、ほの暗い提灯の明かりと「ほたる→」の看板だけが頼り。それにしても、ものすごい人の数である。
 「蛍が1万匹やったら、人3万匹くらいかなー」
 オットはつぶやいた。ぎゅうぎゅうの人波をうまくかわせなかったら、列からはみだして脇の田んぼにまっさかさまという状況も考えられる。
 名所である公園もまた、だだっぴろい場所で、水の流れる音と飛び交う蛍の光に心を奪われる反面、目が慣れてきた暗闇の中にはあふれかえる人、人、人。三年坂みたいやん、これ。とオットが笑う。明るかったら、まさにそれそのものである。

 「あの歌のような、夢のような光景は、ああやってことばにして残すからこそ、素晴らしいんや。こんなに文明が進んでも、人間は蛍の飛ぶ様子すら、肉眼で見えるとおりには再現できへん。実際に見に来たら、こんなにたくさん人が居て、中にはマナーの悪い人たちもあり、雰囲気を楽しんだり感動したりする気持ちも半減させられる。やっぱり、何より、美しい光景とその感動は、ことばにして残すべきなんや。」
オットがそういったことを淡々と語った。そうやなあ・・・と相槌を打ちながら、私はこの蛍見物を感動の涙で綴るべきか、当然のように歌の世界そのままでなかったことを笑いで綴るべきか、ということをぼんやり考えていた。
 複雑な思いであった。
 しかし「風の篝火」の舞台へ来られて、そこで蛍を見ることができた。これは本望である。
 20年前、中学生だった私は、こうして20年後の自分が、同じ夢を抱き続けたオットとともに二人の子どもを連れ、この場に立つことを想像し得ただろうか。否。
 今まで生きてこられたこと、ともに生きる人があること、そしてここに立って蛍を見られたこと・・・その幸福に、心から感謝せずにいられない。

 その夜、出現した蛍の数は17946匹であった。
 あの歌に「ふりしきる雪の様な」と歌われた蛍はもっとすごかったのだろうか。
 「蛍川」(宮本輝)のラストシーンの蛍など、どんなものだったのだろう。
 そんなことを思いながらも、あのふうっと明滅するたおやかな光の群れは、確かに「風の篝火」であったと、「光る風祭り」であったと、深い感慨のもとに思い至ったのであった。



深海魚さんへ (2003/6/10)

 いつもいつも、この雑記を楽しみにのぞいてくださっていた深海魚さん、きっとまたこれを読みにきてくださると思い、これを書いています。
 最後のメールからまだひと月も経っていません。
 水族館への書きこみのお返事をいただいて、まだ10日にもならないというのに。
 あれを書いた夜に戻れるなら、と思ってしまいます。
 今頃はまた、グレートバリアリーフに潜っているのでしょうか。
 それとも、「なまくら」の片隅で呑んでいらっしゃるのでしょうか。
 まだまだ信じられません。弱音を吐いた時に、ふっとメールが届きそうな気がします。

 最初お話をしたのは、関西弁同盟に参加した時、去年の夏でした。
 はしもっちゃんと3人で、地元の話をしましたね。
 気軽に声をかけてくださって(あそこはみなさんそうですが)、すごく先輩のように思っていたのですが、実は同盟員名簿では私と並んだ新入り生でした。
 サイトにおじゃましたらなんとダイビングをされていて、しかも「60過ぎて始めた・・・」の添え書きにびっくり。詳しく拝見していたら、私の父よりひとつ年上の方でした。
 深海魚さんも「最近できる友達は息子や娘の世代の人が多い・・・」と話しておられましたね。みんなにお父さんのように慕われていた深海魚さんのお人柄が、日記や掲示板をとおして伝わってきました。
 秋になってひょっこりメールが届き、私のサイトに通ってくださっていることを知りました。同じ掲示板を使っていたんでしたね。懐かしいです。
 結局、深海魚さんご自身のパソコンからは直接書きこみができなかったようなのですが、違うパソコンから一度だけ、書きこんでくださったのをうれしく思い出します。
 前サイトを閉鎖して移転した時、再開したら知らせてくださいとメールをくださったのは、実は深海魚さんだけでした。笑ってしまうけど、本当です。あの貼り紙に反応してくださったのは深海魚さんだけだったんですよ。
 それからも日記や雑記で弱音を吐けば、ふっと短いメールをくださって、さりげなく励ましてくださいました。以前のメールフォームの利用者は、主に深海魚さんと実妹でした。これも笑ってしまうけど、本当です。
 私も深海魚さんの日記が好きでした―――そして、俳句の詞書も。簡潔で的確な内容の文章。それでいて、身の回りのひとやものやできごとに対する、あたたかい視線が感じられる。読んでいて胸がすっとするのです。法事の話、半日かけて幸福の木の葉っぱのほこりを拭いた「お花のエステ」の話、そして「春の来ない冬は無い、朝の来ない夜は無い。例え雨の日でも、雲の上には太陽が輝いているのだ。」の言葉。―――心の洗濯をさせていただいていたのは、私の方でした。
 雑記「掲示板考」をアップした時、ご感想をメールでいただいたのでしたが、いただいたその日の日記に、深海魚さんの「掲示板考」を書いておられたことは最近知りました。
 私の書いたことから、深海魚さんご自身が何か感じられて、考えられたこと、本当にうれしかったです。(けれども、「思慮深く」我が身を振り返る深海魚さんのような方は、あのお話に相当しませんヨ。)
 解析を始めてから、深海魚さんが本当にしょっちゅう遊びにきてくださっていることが分かってきました。主に雑記を楽しみにしてくださっていたようでした。2日に一度は必ず、ここをのぞいてくださっていた深海魚さんの足跡は、6月2日の早朝が最後になってしまいました。

 いつか、「なまくら」に会いにいきたいと思っていたのに。
 ついにお会いすることは叶わなかったけれど、私の深海魚さんのイメージは、明るく前向きで冗談好き、それからもちろん、お酒大好き。俳句とダイビングを心から楽しみ、自然を愛し人を愛し、周りにある人、ものを大切に生きた方でした。一度も会ったことのない私に対してでも、日記から身辺を気遣ってくださったり、書いたものに感想を寄せてくださったり、大切に思ってくださっていたことに、心から、深く感謝しています。

 私は深海魚さんのことをこれからも折に触れ、思い出すでしょう。いつもひっそりと、足繁くサイトに通っては、つたない作品と日記を愛読してくださった、そして未熟な作者を思いやってくださった、ひとりの大切な常連さんは、私にとって大きな励みでした。サイトをここまで続けてこられたのも、深海魚さんがいてくれたから、こそ。

時の記念日に寄せて、深海魚さんとの時間をここに。
深海魚さん、
(^o^)丿



深海魚さんの思い出 (2003/6/10)

MAIL
Subject: 済みません
Date: Sun, 15 Sep 2002 10:40:06 +0900

掲示板の書きこ出来ませんでした。
教えてください。

関西同盟の深海魚

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From: "ukare-neko"
Subject: わあ深海魚さんや
Date: Sun, 15 Sep 2002 21:29:32 +0900 (JST)

メールありがとうございます!
とってもうれしいです。
○○○の住所なんて、めっちゃ親しみわいてうれしい〜

HPにきてくださったんですね。
ありがとうございます!
しかもカキコしてくださるなんて!うれしすぎます。
なぜ出来なかったのでしょう…
15日に日付が変わった0時半ごろ、ちょうどHPの容量を
増やして、データ満杯状態は脱したはずなんですが…
今もひとり書いてはったから、容量はもう大丈夫かな?
書きこみ制限はかけていないので、おかしいなあ…
「書きこみ制限」云々の表示が出ましたか?
あとは…入力情報が何か欠けていたのかなあ…
削除キーは、入力されてました?
名前と削除キーは必須項目やったかも…
もしダメだったら、もう一度状況を教えてくださいますか?
申し訳ありませんが…
他にも同じような方がおられてもいけないから…
すみません、お手数おかけしますが、よろしくお願いします。

和歌山の海はいかがでしたか?
うちの母は、かつらぎ町の出身です。
なんだか親しみわくなあ…
私のHPの、「季節のぺえじ」のnaganoというのは、
河内長野の写真です〜
よろしければ、ごらんくださいませ!
深海魚さんは俳句もたしなまれるとか…
またHPに遊びにいかせていただきます!
では、今後ともよろしくお願いいたします〜

    実家は野作です、の うかれ猫


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Subject: (^o^)丿
Date: Tue, 17 Sep 2002 10:42:41 +0900


うかれ猫さんのHP素敵で綺麗ですね。
無粋な酒好きの私ですが、貴女の詩を拝見して青春の日々が甦りました。
心の洗濯とはこの事でしょう。
秋の夜長には、ワインでも(地酒でも良いか)傾けながら、
貴女の言葉の宝石箱を開ける事にしましょう(^○^)。

同じ掲示板なのにどうして書きこが出来ないのでしょう(-_-;)。
名前も削除キーも入れたのに
「外部からの書き込みはできません」と表示され、削除キー欄が空白になる。
削除欄に半角英字や全角で入れても駄目。
私のパソコンの設定がおかしいのかな。(まるちょうさんちも、はいれないのです。)

野作町は私のテリトリーです。「くら寿司」「トヨタカローラ南海・・・
新車を契約しました」近くには「ラーメン・かむくら」が出来ていますよ。

では又、・・書きこは挑戦します。

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From: "ukare-neko"
Subject: (^o^)丿
Date: Tue, 17 Sep 2002 15:48:42 +0900 (JST)


深海魚さんのメールタイトル最高ですね!
思わず笑みがもれました。
私もお返し〜

HP見てくださってありがとうございます。
私も深海魚さんの五・七・五を拝見しましたよ〜
すてきでした。短い言葉というのは、なぜ
あんなに深いのでしょうね・・・
短い言葉に凝縮された風景や思い、私も好きです。
「なまくら」だなんて(笑)それすら素敵にきこえます。
たくさんあったので、また読みにいきますね。
ダイビングレポートも・・・。
それにしても、関西弁同盟の方は、俳句好きなのでしょうか?
(ラスカルさんも、ですよねえ)

掲示板のファイルを確認したら、
必須項目は名前だけでした(^^;)...わはは。
「外部からの書きこみはできません」で
思い当たるのは...書きこまれる時のアドレスは、
http://〜・・・・・
になってますよね?
そこからしか書きこめないように指定はしてあるのですが、
深海魚さんのパソコンだけそこに入れていないというのも
ヘンな話だし...う〜んナゼでしょう?
今度掲示板に来てくださった時に、一度、
アドレスを上記と照らしてみてください。
深海魚さんのかきこデビューを待ちわびております!!
ちなみに私は、深海魚さんのとこの掲示板で、
「書きこみが長すぎます」と注意されました。
わははっ

実家はモスバーガーのところ、トヨタカローラ南海のところを
入っていった住宅街なんです。
トヨタは父の御用達ですわ。
くら寿司、絶対1回行ってやるう〜と思いながら、
まだデビューを果たしてません。
また地元情報、教えてくださいね〜

ではまた、お会いしましょう!

               うかれ猫

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BBS
[80] お初です

関西弁同盟からやってきました。
うかれ猫さんのページ素敵で奇麗ですね。
言葉の宝石箱を開いたようです。
そして、書きこの皆さん花の乙女ばかりのようで、
私のような無粋な者は似合わないのですが、とに角ご挨拶を。

by. 深海魚
2002.9.18.Wed 12:59


Re:お初です

きゃ〜深海魚さん初書きこ成功おめでとうございます!!
黄色い声でお迎えいたします!!
うれしいです・・・花の乙女だなんて・・・(えっ私のことでない?)
深海魚さんの五・七・五、すてきです!
ひとつの句をじっくり何度も読み返してしまいます。
「なまくら」最高!!
また地元情報を流してくださいね。
どうぞよろしくお願いします〜

by. うかれ猫
2002.9.18.Wed 16:18

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MAIL
Subject: Re: わあ深海魚さんや
Date: Sun, 8 Dec 2002 21:58:31 +0900


HPお休みされるのですね(-.-)
再開の折はぜひお知らせください。
隠れフアンより。

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From: "ukare-neko"
Subject: 深海魚さ〜ん♪
Date: Mon, 9 Dec 2002 01:15:50 +0900 (JST)


深海魚さん、こんばんは〜
メールありがとうございました!!
とってもうれしいです。
HP、実はほとんど引っ越しで、だいたいOKな状態に
なってます。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tsumugi/

またいつでも遊びにきてやってくださいね!!
関西弁同盟の方も、リンク変更のお知らせを
ふくちゃん♪にメールしようと思っているところです。
今後とも、どうぞよろしくお願いしま〜す。

私、ご無沙汰していたんですけど、
ずーっと深海魚さんのサイトが気になっていて、
深海魚さんの五七五がとても好きなので、
リンクさせてもらいたいなあと思っていたんですよ。
今リンクページをリニューアル中で、
ちょうどそのことがまた頭でまわっていたので、
メールいただいてうれしかったです、ホントに。

子どもを連れて外出する機会が増えて、
サイトはのんびりペースでいきたいなあと思っています。
また深海魚さんのところにも、寄らせていただきますね。

あ、HN変わりました(^^)
「あずみ」です。ちょっと恥ずかし〜
旧姓名の頭文字の組み合わせなんです。

ではでは、またお会いしましょう。
年末年始は河内長野にも出没予定で〜す。


うかれ猫

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宛先 :
<kazetsumugi@hotmail.com>
件名 :
Microsoft Internet Explorer から投稿されたフォーム
日付 :
Sun, 5 Jan 2003 19:14:34 +0900


おなまえ=深海魚

メッセージ=お正月からお子様の看病、大変ですね。
少し落ち着きましたでしょうか。
頑張ってください。

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上記メールへの返信は30日を経過したため自然削除されていました。

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BBS
[41] (^o^)丿 From:深海魚 Date:2003/02/28(Fri) 21:03

「私のパソコン生活」面白い!!



[42] (41のRes) Res:(^o^)丿 From:管理人・あずみ Date:2003/03/01(Sat) 00:50

いや〜深海魚さんっ。書きこみうれしいです!
ありがとうございます。(^^)
あれは私としても、書いていてかなり面白いです。
「パソコン自分史」のようでして・・・。
もう、筆はノリノリなんです。わざと大仰に書いたりして。わはは。

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[43] 素敵ですね〜 From:深海魚 Date:2003/03/01(Sat) 15:55

「風つむぎ」のかきこお仲間、素敵な方々ばかりですね。
「ソヨ」さん「そらのさかな」さん「そらみみ」さん「なずな」さん「ふみ」さん「憩」さん。
皆さんのお部屋覗かしていただきました。音楽・写真・言葉つむぎと、
夫々個性豊かな世界をお持ちで、心が洗われる思いでした。
さすがに「あずみ」さんのグループですね。
これからも良い作品を発信していってください。酒場の陰から見ています。



[45] (43のRes) Res:素敵ですね〜 From:管理人・あずみ Date:2003/03/03(Mon) 01:53

深海魚さん、お友達のサイトを訪れてくださったのね〜。
そうでしょう、みなさん個性あふれるすてきなサイトばっかりですよね。
私は日々、勉強させてもらっています。良い刺激をいっぱいもらっています。
当然、深海魚さんのところもですよ〜。(^^)
あの森閑とした五七五、添えられた詞書・・・私は大好きです。
また読みにいかせてくださいね!
こちらこそ、ダイビングレポートの海の写真に、心洗われているんですヨ。
深海魚さんの酒場はやっぱり駅前でしょうか。
月末に実家に帰ったら、のぞいてみようかしら。なあんて。(^^)
書きこみ嬉しかったです。また遊びにきてくださいね〜♪

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MAIL
宛先 :
<kazetsumugi@hotmail.com>
件名 :
Microsoft Internet Explorer から投稿されたフォーム
日付 :
Mon, 12 May 2003 06:01:29 +0900


おなまえ=深海魚

メッセージ=「掲示板考」拝見しました。
今までも何人かの方が、いやになったとか、疲れたのでHPを閉鎖されたのを聞きました
が、♪何でだろう〜♪と思っていました。
貴方のお話で少し世間が分かりました。人の玄関へずかずかと乗り込むセールスや、呼び
鈴を押して逃げる奴や、はては犬のうんちを置いていく人など、色々おりますね。
腹立つこともあるでしょうが、掲示板はともかく、詩や写真を楽しみにしていますので、
どうか頑張ってください。\(~o~)/

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件名 :
深海魚さんありがとう^^
日付 :
Mon, 12 May 2003


メール拝読しました。ありがとうございました!
ひとりでもそんなふうに、楽しみにしてくださる方があるというだけで、
どんなに心強いことでしょう。
いろんな方の作品を拝見していると、自信喪失してしまうことも
しばしば・・・。こんなんでええんかいな?と不安に思ったりもします。
掲示板の件は、今回のはそんなにダメージ受けてるわけでないんです。
連休前でバタバタしていて、ややこしい書き込みにレスできなかったので、
一時的に閉めてしまいました。
そろそろ復活の準備しています。
深海魚さんの俳句もまた拝見しにうかがいますね〜。
お友達も俳句をされていて、すてきなんですよ。
短いことばの中の、奥深い世界に魅了されています。
俳句はすばらしいですね。季語も大好きです。
またいっぱい勉強させてくださいね。
ではでは、また遊んでやってくださいませ〜 ^^
ありがとうございました!


あずみ

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