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山の記憶



あの山の記憶はあふれすぎて
引き出しには収まらなかった

酒屋を営む店の埃っぽいにおい
片隅に少しだけ置かれた袋菓子
「なんぞ菓子ん取ってこいよ」
子どもたちに促す祖母の声
盆正月の賑やかな集まりに
伯父は大将らしくごちそうをふるまった
いたずらざかりのいとこたちは全部で何人
写真の顔が重なって見えない
走り出し はみ出ている顔も

夏は座敷で 冬は炬燵で
布団を広げて眠った
昼間は山を歩いた
カブトムシをねらったことも
野イチゴを摘んだことも
枯れ枝を拾ったことも
みんな原色の思い出の中

酒屋はいつか小料理屋となり
やがてそれもなくなった
体の動かぬ祖母を残して
伯父は昨年亡くなり
いとこたちはみなばらばらに
それぞれの生きる道を 生きて
年を経ることの自然さと重さを感じている

あの山の記憶はこうして幻となったが
どうにか押さえこんだ引き出しを開ける度
圧倒的な眩しさであふれだす光の大群となり
少しも色褪せないまま
そこだけ生き生きと
時間を留めたような顔をして
あの日のこころたちを映し出すのだ