初積雪 1/ 30 夕べのあいだに降ったらしい雪が、うっすらと積もっていた朝。
冷えこみがそれほどでもなかったせいか、みぞれ状の氷のような結晶が重なり、 朝の光を受けて七色の輝きを放つのが本当に美しく、見とれました。 こちらが動くたびに、見る角度によってきらきらと、色が変わるのです。 そして、どんなにシャッターを切っても、その宝石のようなきらめきだけは、 どうしても写真に収まってはくれないのです。 レンズを向けながら肉眼でその輝きを見て思い出したのは、 『注文の多い料理店』の序文でした。
桃いろのうつくしい朝の日光がきらきら輝いて、 桃いろだけでない透明な色たちが、つぶつぶになって混ざりあい、跳びはねている。 秋の朝の川べりで見た、草むらの朝露のきらめきにも似て。 これこそ「十力の金剛石」だ…と。 ダイヤモンドの中をのぞきこんだ時と同じ、光の競演。 宝石と同じ輝きを、自然の中に、不意に見つけられるしあわせ。 これもまた神さまの祝福と、心洗われたひとときでした。
↑ わたしのカメラでは目で見るようには撮れないけれど、少しだけ光の粒がにじむ。
シリウスに 1/ 29 夜遅く、ふと見上げた東の空にシリウスが輝いているのを見つけて、 思わず、あとふたつの頂点を探す。 目で三角形を空に結んで、変に安心して、ほおっと白い息を吐いたら、 背中から身体じゅうの力がふっと抜けるのを感じる。 その時不意に、大きな気づきが降りてきた。 ああ…今までの人生、自分は人と上手く付き合えないと悩んできたけれど、 わたしはこんな自然の美しさから何かを感じるために、 そうあったのかもしれない…と。 むしろ、それを得るために生きているのだ、と。 自然がくれる気づきは、計り知れないもの。 心を澄ませて、見ようとしなければ、見せてもらえないもの。 わたしは誰かを満足させるために、また、賛辞を浴びるために、生きているのではない。 それができなかったことを嘆きつづけるよりも、 自然からの聞こえないくらい小さなささやきに気づけることを、 それが示す大きな真理に気づけることを、 わたしにとっての"ほんとうのさいわい"として生きていければいい。 それらを世界に表すために与えられたことばという手段を、 神さまからの祝福として生きていければ、それでいい。 蝋梅 1/ 28 近所を歩いていて、蝋梅(ロウバイ)の花が咲いているのに、はっとしました。 実家の猫の額ほどの庭(植え込みと称した方がいいくらい…)に植わっている、 同じ木を思い出し、帰れなかったこの2年を思いました。
このつやのある花弁がまるで蝋のようで、この名で呼ばれているのでしょう。 春の花らしいつんと冷ややかな香りがして、ほっと心が和みます。 坊ちゃんたちは、大学のオンライン試験の真っ最中。 それぞれに家の中にこもり、後期の試験に備えて勉強をしているようです。 思えばもうすでに、次の学年の入試が始まっていて、 この後期試験が終われば、彼らの二次試験が待っています。 「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のり子さんの詩が、ふと浮かんできました。 あの詩では国同士の戦争、坊ちゃんたちは、感染症との戦い。 わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった たいせつな青春の時を阻む何かは確かにそこにあるけれど、 その「時」はきっと、あなたたちの手に帰ってくる。 そう信じて、祈って、彼らの道行きをただただ、見守っています。 ふと見上げたら、早春に咲くミモザの花も、つぼみの準備を着々と。
教訓 1/ 27 春のような強い雨が降った後、思いがけず晴れた朝。 まだ残っている雨のしずくと湿った土、暖かい日差しに、いきいきと輝く緑。 そのひかりとの共演に、心躍るわたし。
鉢の見回りをしていたら、スイセンの小さな芽吹きを発見! カモミールに駆逐されて(笑)秋に出た一部の葉っぱ以外、 もう球根がだめになったものと信じこんでしまっていました。 もうちょっとで鉢を開けてしまうところでした。。 植物のちからに感心・感激。そして、教えられることがたくさん。 実は昨日、雨の前にと、見栄えの悪い枯れ葉を切ったり、取ったりしていました。 -3.7℃は厳しかったようで、早々と伸ばしていたジャスミンの花芽や、 オリヅルランの葉の凍死(近年なかった 涙)があり、しなびて汚く見えたのです。 一緒に、あじさいの枝にくっついている枯れ葉も取ってしまおうと、 奥へ奥へ手を伸ばして作業しているうち、手前の鉢の新芽を、腕で折ってしまいました。 ああ〜。 周囲の芽と見比べても、それはたぶん、花芽…。 あじさいの花芽は2年越しなので、ようやくあと4ヶ月と迫ったところで、 わが手で折ってしまったそのショックたるや…。 横着したことを後悔し、しゃがみこんで、ひとりでぶちぶち言っていました。(笑) そして、はっと気づいた。 枯れて自然に落ちている大きな葉とは違って、 枯れてもくっついている枝先の葉っぱは、春まで新芽を守る役目なのだ、と。 それは新芽が葉を伸ばし、開くちからで、やがて落とされていく。 すでに落ちている葉は、もうお役御免だから、拾えばいい。(病気防止) 枝に残っている枯れ葉まで、見栄えが悪いからといって、はぎとる必要はないのだ、と。 同時に、ベニシアさんの、イングリッシュガーデンの話を思い出した。 イギリスでは、枯れた植物も植生の一部として愉しみ、慈しむのだという。 それ自体が自然のサイクルの一部であり、美しいという考え方なのだろう。 新しいいのちが輝く春夏も、次の世代へと移り変わる秋冬も、 どれも同じように、美しい。 そして、春夏輝いた後、次の季節の訪れを守り、支えている枯れ葉たちを思い、 胸がぎゅっとしたのでした。 枯れているものをこまめに取り除いて、いつも緑や花が際立つようにというのは、 アスファルトやコンクリートで整然とした環境、町、おうちを維持しなければという、 都市社会が作りあげた幻想にとらわれているのかもしれない、とふと思う。 畑や川べりを見ていたら、季節ごとに移り変わり循環するのが、 当たり前の自然の姿だと分かるのに。 それは、人間とて同じなのだと、そんなことも教えられた気がしました。 クリスマス・ローズ 初開花 1/ 24 ここ数年畑にかまけて植え替えをさぼっていたため、根づまりを起こしていたのでしょう。 梅雨時の高温多湿に耐えきれず、葉が次々かびて枯れていき、 昨夏、時季はずれの植え替えを決行した、クリスマス・ローズ。 枯れるのを覚悟での処置だったけど、どうにか2鉢とも生き延びてくれました。 さすがに今年の花数はわずかで、2〜3輪のつぼみが出ているくらい。 そのうちのひとつ、ひょろひょろと細かった茎が、-3.7℃の朝の寒さに凍ったのか、 ぐったりと倒れてしまい、そのままつぼみもしんなりとしてしまっていました。 ようすを見ていたけれど、これでは枯れてしまう…と思い、 思いきって茎を切りおとし、浅いお皿に水をはって浮かべてみたら。
もうだめかとあきらめ半分だったのに、2日後に開花しました。 朝起きてきて、テーブルの上の花が咲いているのを見たら、 にわかに気持ちが高まりました。 しなびてたたまれていた花びらがぱりっと開いて、 なんと小脇に、もうひとつ小さなつぼみを抱えているのも発見。 ああーよく咲いてくれたなあと…うれしい気持ちになって、 外に出てのぞいたら、鉢の方にも白いつぼみがふっくらと、花開いていました。
夕景 1/ 21 1/7に借りて、本日返却予定だった中村哲さんの本。 前書きもすばらしかったけれど、最終章・「日本の人々へ」も、 簡潔で美しく厳しい文章、内容について深く考えさせられる、まさに名文でした。 次の予約ありで延長ができず、大急ぎで読み終えて、返しにいった帰り道。
さっと返却を済ませ、帰宅を急ぐ途中の橋の上で、 ふと目を奪われた夕景。 自転車をとめて、カメラを出して、電源入れて、構図を決めて…と、 かじかんだ手でおたおたと準備している間にも、刻々と風景が変わっていく。 空の色、川の明るさ、闇の濃さ… 測光するカメラの方も、どこを基準にするかおたおたして、 思う風景が撮れない。 そんなことをしているうち、数秒ごとに夕焼けが消えてゆく。 1枚ずつが違った風景になって、よかったような、残念なような。 冬の夕暮れは寂しくて、それを持て余していた子どもの頃を思い出す。 オレンジ色のカリフラワー 1/ 17 昨年末、寒風の中で収穫したカリフラワーは、カリフラワーらしい?白でしたが、 もうひとつのカリフラワーは、なんとオレンジ色をしていました。 長く葉っぱにくるまれていてその姿は見えず、現れてきた時に気づいて、びっくり。 ゆっくりと大きくなって、ようやく収穫の時を迎えました。
カリフラワーとキャベツは、今年は虫もほとんどつかず、とてもきれいで感激です。 さらにこれは珍しいオレンジ色で、嬉しさ倍増。 半分はゆでてそのまま、残り半分は、くるみと一緒にマリネにする予定。 成人式〜センター試験の思い出 1/ 16 松の内が過ぎたら成人式、そして入試… このところ過熱ぎみとも思えるニュースにふれるたび、 波乱万丈だった昨年の記憶がよみがえる。
今年はこんなのぼりもなかったのでしょうが… がんばれ受験生! そう思わずにいられない、受験の週末です。 大きい坊ちゃんの成人式があり、 小さい坊ちゃんのセンター試験があった昨年。 式典に参加しないことに決めた大きい坊ちゃんは、 小・中時代に会いたい友達がいるか?(大事な友達とは今もつながっている) 式典に出る意味は?と、長らく考えて迷っていました。 結果行かなくて正解だったと、SNSでその日の写真を見て感じたようでした。 (集まって騒いで…というのが好きな子たちがほとんどで、話せる友達がいない) SNSでどうしても情報が入ってくる世代、なんとなく右へならえで人に合わせてしまうと、 意に染まないおつきあいも広げなければならなくなる。 形にこだわらず、意思を通すことも大切とあらためて感じた、成人の日でした。 そして翌週末、いよいよ、小さい坊ちゃんのセンター試験。 ところがその数日前に急に発熱して、体調を崩した坊ちゃん。 学校を休んで病院で薬をもらい、寝たおしたおかげで、 熱はひと晩で下がり、再び上がらなかったのが本当に幸いだったのでしたが、 さすがに当日の体調は戻りきらず、ふらふらの状態で受験。 体調を崩した人のために、翌週に追試が準備されているのですが、 なんと東日本と西日本に1校ずつしか、会場がない!(=遠い!) (今年は試験が3回あるため、無理をしないようアナウンスされているようだけれど…) しかもわずかに難度が上がるのを憂慮して、満身創痍で戦う覚悟をした坊ちゃん、 ウルトラセブンのソフビ(=おにんぎょう)を太宰府のお守りと一緒にかばんに入れて、 送り迎えつきで試験会場(通っている学校)に向かいました。 (「セブン兄さんは満身創痍でも戦うから…」←いじらしい坊よ。涙) 通いなれた自分の高校でどうしても受けたい、という気持ちも強かったのです。 そんな状態で送り出し、時計と試験の時間割を見ながら、 はらはらしどおしだったあの2日間の緊張…忘れられません。 (追試験は科目ごとでなく1日単位でしか認められないため、途中放棄はできず、 走り出したら最後まで走り抜けなければならなかった) 「賽は投げられた」と、オットーも会社の用事を抜けてきてくれて、 途中で倒れないか心配しつつ、会場近くで一緒に終了を待ちました。 1日目は緊張で眠れなかったせいもあり、ふらふらだったようでした。 2日目午後遅く終了、帰宅してすぐに寝て…落ち着いた深夜、自己採点。 「ちょっと待って」と言って、PCでなにやらごそごそやっていると思ったら、 PowerPointで採点結果のプレゼン画面を作っていました。(漫才コンテスト風 笑) その余裕にようやくほっとしたのも束の間、その採点結果が発表される頃、 それを一緒に見ていた大きい坊は、せきこみながら高熱に喘いでいたのでした…。 (その後1週間、大きい坊ちゃん肺炎騒動。涙。 思えばあの頃はまだ、今の感染症は遠いところのものでした。) ニュースの対談から 1/ 7 12月の最後の日記の画像に手間取り、 1/3の記事を先に書きながら、アップできなかったという…。(笑) 昨年末に図書館で予約していた本がまわってきて、早速借りてきました。 『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(中村哲・著) あの特集番組の引力に抗えず、(7年前の発行ですが)読みはじめました。 「はじめに」を読んで、驚く…著者の文章が、専門の文筆家かと思うほどに、 簡潔で、美しいことに。 それだけではなく、そのことばに体温がきちんと載っていること、 温かくも冷静なことばで綴られる現実が、強くこころに響いてくること。 著者の人柄がしのばれる、本当に素晴らしい文章、書物です。(まだ現在進行形) 書かれていることばに、いくつも心をつかまれた。 それは日本から遠く離れた国の話なのに、 今の自分に通じる多くの発見があり、目が開かれる思いがする。 なぜ今まで読まなかったのだろう?こんな心地良い、美しい文章を! ・・・これから読みあさります。 夜。 ニュース番組のなかで、ある歴史作家の方がリモート対談に応じていて、 そのことばのなかに、定義を超えて共感するものがあったので、書いておきます。 「歴史に学ぶ」という視点のもとに、現在の社会の在り方について、語られていました。 ひとつは、"日本は、100%安全主義をやめたほうがいい"ということ、 そのために"強制的な圧力で押さえつけつづけることもできない"ということ。 "民意すべてに寄り添おうとするのは不可能なので、 安全に生きのびるための中間的な政策を打ちだし、リーダーの責任のもとにやる"ということ。 ふたつめ、 今の社会は、「階段の踊り場」であり、息を整えるための場所にいる。 上っていくために必要な場所であり、さらに上へと上がっていくために必要なものは、 "自由である"ということ。 "そして自由とは、失敗をゆるすこと、失敗もOKとみなすこと"。 "失敗がゆるされないことは自由ではない、その自由があってこそ、上へ進んでいける"と。 現在の社会について、歴史に鑑みて政策を問う、というお話だったのに、 自分自身が生きるのに大切なことを示唆された気がして、釘づけになりました。 完璧主義をやめる。 失敗をゆるす。 自分の今いる位置がどこか、全体を見渡しながら、 無意識にそうなっている自分に気づいて、中庸の目をもって、見守る。 そんなふうにありたいと思った、とても有益な?対談でした。 年賀状と3つの返事 1/ 3 あけましておめでとうございます。 昨今の通信事情から、年賀状の数が年々、減るばかりなのは、 きっと我が家だけではないのでしょう。 そして、心をこめて相手に届けたいと思うのはこちらの勝手であって、 それをどう受けとめるかは、相手方それぞれの自由、なのでしょう。 それでも、送りつづけたいと思うか、どうか。 これから会う機会がなくとも、このつながりが大切と思えるか、どうか。 また、ご高齢になりつつある、お世話になった方々の、ご負担になっていないか。 宛名面も通信面も、両面が印刷だけの年賀状に出合うたび、 関係をつむいだ時代から経た年月を想うたび、 十枚単位で余ったまっさらの年賀状を片手に、 そのやりとりの意味を、考えずにはいられない、ここ数年の、この季節でした。 その一方で、年末、思いがけなくいただいたお返事が、3つ。 ひとつめは、昨年4月頃に出したご結婚お祝いカードへの、お礼。 昨年の年賀状で知ったご結婚報告に、ずいぶん遅れて送ったお祝いカードだったのに、 仕事の異動で忙殺されながらも忘れずにいてくれて、「ようやく書けました」と、 ていねいに返事を書き送ってくれたカードが、ありがたくて、嬉しくて。 ふたつめは、近所に住む、学生時代の友達からのクリスマス・カード。 彼女も多忙な暮らしのなかで、留守中にわたしが届けたみかんのお礼を、 「何もできない代わりに、心をこめてこのカードをおくります」としたためてくれてあった。 そして大晦日の夜。 オットーが、「メール来てるで。」とPCのメールソフトを開いて示した、 その名前に驚愕。 クリスマスに通販で購入し、大感激したとあるサントラCDの、 感想を書き送った音楽事務所から、作曲者のピアニストさん直々の文面でした。 CDのパッケージから中の装丁、しおり、そして音楽、すべてが素晴らしすぎて、 感激のままに想いを書き綴ったわたしの興奮メールに、温かいお返事をいただいて、 恥じ入るやら、嬉しいやら。 顔を覆いながら、指のすきまからメールを読んで、なんともいえない気持ちでした。 こうして思えば、他にも… 幼なじみのお母さんが、ふと手紙のやりとりをした流れで、 趣味のろうのお花のフレームを送ってくださったこと。 そして、いつもいつもお気遣いくださる、学生時代の大事な先生からの、 宝箱のような年末の贈り物。 こんなふうに、わたしのそのとき、そのときの気持ちに、 誠実に向き合ってくれる、ひとはいる。 みんながみんな、そうであるはずはないのだから、 また、目に見えるかたちだけが、すべてではないのだから。 ひとつひとつに、落ちこまなくていい。 受けとめられ方は重かったり、なんともなかったり、人それぞれなのかもしれないけれど、 わたしはただ、まごころをもって、ひとと向き合っていきたい、と、 そんなことを思いながら、過ごしたお正月でした。 今年もどうぞよろしくお願いします。 |