気づく 9/7 世に出た時期も、分野も全く異なる本を併読していて、 突然、別方向からある部分が重なって見えて、はっとする。 10年以上も前の本の内容が、現在を予言していることに震撼しつつ、 「大切なことは、"当たり前"にしている常識を疑うこと。そしてよく観察すること。 相手(作物)が何を必要としているか、自分に何がお手伝いできるか考えること」と。 千差万別の個性を見極め、無駄や余白と呼ばれるもので配慮すること。 「食を変えないと日本は滅びるかもしれません。」 「人格の涵養をしない国は滅亡するだろう。」 そして共通していたのが、「自然」と「目に見えないもの」への畏怖、敬意を忘れている現代への警鐘。 身体と精神の両側から、何をもってこの国が支えられているのか(いたのか)が、 はっとつながった瞬間だった。 切り捨てられがちな計測外の世界を慮り、 「無駄」や「余白」は相手を満足させるゆとりになること、 「八割の幸せを享受することに全員が納得しないと地球は滅びるにちがいない。」 川の中 8/31 暑い暑い1日、水辺に遊びにいきました。
なぜか15年前の話になり、あの場所に行ってみよう!と、急に決まりました。 川底に足を置いていると、足のかたちに沿って砂が崩れて、流れていく。 さらさらさら…と足場が心もとなくなる感覚。 すっかり忘れてしまっていたその感覚を楽しんで。 ごろごろ石の上を歩く痛みも思い出して。 摂氏35℃、足だけ冒険と避暑の昼下がり。 発見!「アハハッ」 8/28 ちょっと探しもの(写真…)をしていて、あちこち古いフォルダを開いていたら、 「アハハッ」のページ用?と思われる写真を2枚発見。 それらの前後に並ぶ坊たちの、小さいこと〜。 10年以上前の「アハハッ」ですが、せっかくなので、追加することに。 確かにこの頃は坊の言うとおり、"アハハッ"そのものなのも、確認できました。(笑) 奇跡のきゅうり 8/26 早朝、同じ時刻にうちを出ていると、夜明けが遅くなってきたのが分かります。 太陽が山の端から姿を現す頃、畑到着。
拝みたくなるような美しい空のもと、朝焼けに照らされて、 きれいなきゅうりがひとつ、なっていました。 ふつうならお盆前後には完全に枯れてしまうきゅうりが、 26日にもなって、こんなに美しいかたちの実をつけるなんて!!
一番最後に植えたきゅうりは、すぐに梅雨入りしたせいで、 ほとんど成長しないまま夏を迎えました。 もうだめかなあ…と思っていたら、子づるの新芽が伸びはじめ、 茶色の斑点に侵されつつもゆっくりゆっくり、成長していきました。 幼果が確認できたのは、8月半ば頃。 それでも、この時期なら突然枯れることもあるので、期待はしていませんでした。 ほかのウリ科は枯れて、何もなくなったネットに、 虫がちゃんと受粉に来てくれたんだなあ…と、そのことにも感慨。 いろんな要因があってこその、「奇跡のきゅうり」でした。 いや…開花・結実・完熟すること、種ができて、翌年にいのちをつなぐこと… 営みそのものがすべて、そしてそれを促す環境すべて、が、 時に適ってそこにある奇跡なのかもしれないと… そんなことをおもう、夏の終わりの朝。 成績発表 8/25 坊ちゃんたち初の全科目オンラインによる自宅学習?は、 おそらく先生方も初めての試みばかりで、大変だったのではと思います。 (・・・わたしの先生のお話でも、準備が本当に大変そうだったので・・・) 小さい坊の学習関連メールがPCに転送されてくるので目を通すのですが、 うまくいかない回があれば、坊ちゃんは先生にフォローメールを書いているし (外国語の先生に、拙い英語ですみませんと英語で謝りながら)、 先生の方でも連絡ついでに「上手く動作せずすみません」と書かれているし、 お互いに手探り状態でどうにか終えた前期、という印象でした。 「いくらオンラインやからって、図書館も使われへんのに、課題多すぎるわ!!!」 とは、二人が口をそろえて言った感想。 さらには、曲がりなりにも?2年間、大学で単位をもらっていた大きい坊ちゃんと違い、 小さい坊ちゃんは、授業もレポートもテストも初めて尽くし。 「この課題の多さで、どのくらいの力加減でやればいいかも分かれへんのに、 単位取られへんかったら困るわ。」と、困惑していました。 そんな坊ちゃん、、、一部の科目の成績発表が、今日でした。 「どうやった?」ときくと、ウェブ上の画面を見せてくれて、 どうやら無事に単位は取れていたようでした。(字が細かくてよく見えない 笑) わたし 「あっこれ100点ついてる!すごい!」 小さい坊 「これは、全部書いて出したらたぶんもらえるやつ。」(笑) わたし 「よかったやんー。単位取れるか気にしてたから。」 小さい坊 「そんなにひやひやしていたわけじゃない。」 この発言に、またも笑ってしまったわたくしでした。。 あれは、そんなにひやひやしていたわけじゃなかったんや。(笑) 夏休みの予定は… 8/24 今月初めにようやく、オンライン授業と大量のレポートから解放された坊たち、 せっかくの長い夏休みをどこにも行けずに過ごす毎日。 ぽつぽつとアルバイトや習いごとに出かける大きい坊ちゃんはともかく、 ほとんど出かける用事のない小さい坊ちゃんは日々、 「ああー…今日は、何しよかな…」と退屈そうにしています。 スマートフォンで音楽を聴いたり、お笑いを観ていたり、ゲームしたり。 近くのレンタルビデオやさんでDVDを借りてきては、 ウルトラマンを全話観たり、まんがを読んだり、絵を描いたり、塗ったり… ごくたまに、思いついたように夜明けの散歩にでかけたり、友達とテニスしたり。 小さい坊 「ああー去年の今頃は…そうか文化祭の準備してたなあ… やることいっぱいあったのに…」 大きい坊 「いじゅはもし、下宿してたら、今頃何してた?」 小さい坊 「せやなー、実家に帰って、ゴロゴロして、セブンのビデオ観て…」 大きい坊 「じゃ、ほぼ予定どおりやん!」(爆笑) 小さい坊 「違う!5日間働いてゴロゴロするのと、毎日ゴロゴロするのは!」 オットーと思わず笑った、ふたりのやりとり。 確かにね…。(笑)
『日本人よ、かくあれ』 8/23 奈良・春日大社に長年奉職された岡本彰夫さんの、新刊。 まず表紙の写真の美しさと紹介文に「これは!」と直感し、 また、さだまさし氏のウェブ上の書評が!すばらしく、 すぐに読みたくて、書店に出向きました。 とある車内雑誌の連載をまとめたものらしく、 一見開きで一話のエッセイ、という構成で、読みやすい。 その間にまた一見開きで、映像作家・保山耕一さんの写真。 交互に現れる文と写真はどれも奥深く、静かで、心ひきしまる思いがする。 「上へ上へではなく、奥へ奥へと」の一文にはっとして、 自分もそうありたい、と心から思った。 内容は、まさしさんの書評が言葉を尽くしている感じがするので、このへんで。 わたしには、とても書けません。(笑) とにかく、著者の「はじめに」の厳しく力強いことばに深く共感し、 保山さんの「終わりに」にある、風景への深いまなざしに打たれ。 何度もそこを行き来しながら、奈良の風景を思いながら、一篇ずつ読みすすめています。 先月録画した「映像詩 やまとの季節七十二候」(保山さんの作品)を流していたら、 小さい坊ちゃん、「あー奈良行きてー!」と言いながら、 まんが喫茶に出かけていきました。(笑) ほんとにねえ。 ありがとう、枝豆 8/23 長雨と日照不足、突風、カメムシの吸害… 枝豆はなかなか実がふくらまず、風で傾いて、さやが黒く枯れて… そんななかにわずかに、ふくよかなさやが混じる。 「大豆になるまで置いて味噌にする」夢はまたもついえたけれど、 ちょっとずつ収穫しては茹で、さやから出して仕分けて、冷凍。 ちょこちょことためて、これでパンを焼こうと淡い期待をしています。 (その情熱がいつわいてくるかは、未定…) マメ類は、根っこに根粒菌を住まわせ、自ら養分(チッ素)を土中に固定する、 優秀な作物です。(なので、追肥はしない) 土が肥えるので、収穫も地上部分だけ切り取ってしばらく置き、最後に根っこを抜きます。 根っこにびっしりついた根粒(菌)を初めて見た時は、 「これが噂に聞きし根粒菌か!」と(木村秋則さんの本で知った)感動して、 写真を撮りました。(1年目は、すでに根っこの根粒がすかすかになっていました。)
そんな仕事をして、わずかでも実をもたらしてくれて、ありがとう〜! あなたの肥やした土に、もう人参をまかなければなりません。
ありがとう、小玉すいか 8/22 合計3個の収穫のうち、2個はカラス被害と自然落下?だった小玉すいか。 最後に結実・収穫したものをどきどきしながら切り分けたら、 美しい赤い果肉がお目見え。感激もひとしおでした。 甘い実を、ありがとう〜! ↓小玉すいかの一生。(笑)
雨には雨の、日照りには日照りの 8/22 暑いなあ…と思いながら、ふと気づく。 厳しい暑さが続くのは、雨のありがたみを知るために。 長い雨が続くのは、日差しのありがたみを知るために。 どちらも恵みだと知って、ありがとうございますと感謝を伝えるためにある。 そんなことを思い、水の神様に、ありがとうございます、と心でくりかえしていたら。 カンカン照りの真昼の日差しの中から、ぱらぱらぱらと雨が降ってきた。 雨雲らしい黒雲もない、真っ青な空から。 そして数分間だけ、お湿りと言うほども降らず、熱気ですぐに乾いてしまった。 夕方。 ゴロゴロ雷とともに、本物の夕立が北東から近づいて、 けれどもなぜか、西の空は明るく晴れていて。 傾いた強い西日が差しこむ向かい側から、激しい風と雷雨。 なんと不思議な光景。 大きな雨粒に見とれて、畑の上を通ってきただろう雨雲を見上げて、 しみじみと、心からありがたく思う。 オクラも、いんげんも、なすもピーマンも、里芋も、、、、 みんな、ほっとひと息ついているだろう。 雨が降るだけで、こんなにも嬉しくて、幸せ。 この暑さのおかげで。
おもしろ発言・ひさびさ 8/21 数日前、氷菓子の「チューペット」の話になり、大きい坊ちゃんが、 「最近、食べてへんなあ…」と言うので、買ってきました。 冷凍庫に入れて、待つこと数時間。 兄弟ふたりで、ふたつの味を半分こにしようと考えて… (真ん中にくびれがある) わたし 「折れた?」 小さい坊 「うん…折れへん」 わたし 「真ん中で、ぱきってなれへん?」 小さい坊 「これはちょっと、折るには、柔軟性に優れてる。」 ・・・小学生の頃のような言いまわしだったので、 懐かしくて、可笑しくて、ひとりでウケました。 うん…ちょっと、凍らせる時間が短かったかもしれないね。 キッチンばさみで切ってみたら、確かに、柔軟性に優れてました。(笑) 配信ライブ・再視聴 8/20 毎年夏に東京で行われていたチャリティーコンサートが、 今年はこの地で開催の予定でした。 2週間前までチケットは発送されず、どうなるかと思っていたのですが… 初の、有料配信ライブとなりました。 会場も、都内の某ホールに変更に。 もちろん客席には誰もいなくて、どんなふうになるんだろうと見守っていたら、 まあ、なんと! NHKの番組で音響効果を担当している住吉さんが冒頭で紹介され、 拍手や笑い声の効果音を(笑)入れてくれるそうではありませんか! 観ていたわたしたちは大うけ! あとは、コンサートの画面に集中するのみ! 歌と、メンバーの息の合ったすばらしい演奏、トーク… 引きこまれるずつ、その「合いの手」ともいえる効果音が、次第にそう思えなくなってきて… さらに、「本当にライブ?」と思えるくらいに、映像処理の技術が際立っていて、 観るほどに、市販されている編集済みのコンサートDVDと変わりないのでした。 でも、歌はやはり生もの、演奏の緊張感が伝わってくるし、新曲もある! トークもまた、、、ことばにちゃんと温度があって、胸に響く。 家族全員、夢中になって最後まで観覧していました。 ああー・・・・・言葉にできない。するなら、「すばらしい!」のひとことでした。 終了後、家族全員が口をそろえて、大絶賛! なんといっても一番の賛辞は、陰の立役者たる住吉さんに! 大きい坊 (圧倒されたようすで)「すごいわ!住吉さん!」 オットー 「なんで俺が拍手するとこ分かるんやろ?」(笑) 小さい坊 「かゆいところに手が届く…住吉さん…ふだんあんなにゆるいのに…」(笑) オットー 「何十年コンサートに通ってるファンにも違和感を抱かせない笑いの間…すごいわ。」 わたし 「無観客っていうのを完全に忘れてたわ。」 とにかく、住吉さんのおかげで、なんの違和感もなく、 ふだんと変わらないコンサートの一体感を感じることができたのでした。 ・・・配信なのに!(笑) 佐田工務店メンバーの演奏する姿も1年ぶりに観ることができて、 その温かくもアグレッシブな音楽に、やっぱりいいわ〜と胸がいっぱいになりした。 このかたちもありだなと思わせてくれた、すばらしいライブでした。 さらに配信の良さで、3日間は視聴可能だったので、 最終日の今日、再び、最初から流して観ていた、というわけです。 やっぱり…全部観てしまいました。ありがとう〜!!(と、叫ばずにいられない。) いんげんも… 8/19 晩ごはんを食べながらなんとなく、の畑の話。 オットー 「いんげんはどうなん?」 わたし 「あーいんげんは今、第二波が来てて!花が咲きだしてる!」 小さい坊 「えっそれってそこで使ってええの?」 わたし 「えーそういえば…でも、確かに第二波やしな…。 10日か2週間後くらいにまた"くる"な!」 小さい坊 「今、潜伏期間なんか…」 わたし 「・・・・・。」 翌朝。 ぼんやりといんげんを摘んでいて、はっと頭に浮かんだ。 「そうや、"第二の波"や!」 ・・・昨年まで、いんげんのこの状態(収穫がいったん落ち着き、二回目の花がつく)を、 「第二の波」と自分が呼んでいたことを、突然、思い出した。 自然にそう呼んだのが、今年はあちこちで目にした別のことばに置き換えられていたことに、 驚きとともに気づく…。 こわいわーマスコミ…。無意識の操作…。 このくらいで気づけたからいいけど… ただでさえ貧困になってるわたしの辞書に勝手に書きこまないで〜。 ・・・っと。『モモ』本文を思い出し、再び反省。 モモ 8/17 先月、偶然目にした「100分de名著」テキストが『モモ』だったので、 (しかも河合俊雄さん解説)購入し、久しぶりに観ています。 そして、久しぶりに本文に触れて、その訳文にあらためて打たれています。 原作者のすばらしい描写に沿って、流れていくことばの意味も響きも美しく、 どれも知っている、誰でも理解できる平易なことばの組み合わせなのに、 誰も知らない新しい世界がそこに立ちあがり、 どきどきわくわくさせられることに、目が開かれる思いでした。 初読時の、物語のすじを追う楽しみに埋もれて気づかなかったことに、気づけた気がしました。 (それはもう、若かりし30年くらい前のことなので… その年月のなかで、ことばの意味を体感する経験を得ていたのかもしれません) 観ようと思ったひとつの理由は、モモが傾聴の達人だったことを思い出したから。 『モモ』と離れていたあいだに、鈴木秀子さんや初女さんの本と出会ったおかげで、 実際に「きく」という行為のはたらきを知り、興味を持ったからでした。 「アクティブ・リスニング」と呼ばれるその聴き方をするだけで、 話すひとの中にある深い知恵が自然に出てくる、と。 初女さんは、「その方からお答えが出てくるから、私はただ空っぽになって聴くだけです」と。 あらためて、モモの話の聴き方の描写を読んでみれば、 鈴木シスターや初女さんの傾聴体験とまったく同じで、驚きました。 過去に素通りした部分に、経験を経て再び出合う喜びを感じます。 でも、、、これを実践するのは、本当に難しい。 感情移入してしまいがちな近しい人ほど、なおさらに。 実行はさておき…達人たちの体験を読むのは興味深く、そして癒される想いがします。 モモの聴く姿もまた、同様に。 時間はひとりひとりに与えられたいのち。それをどう使うか、ということを、あらためて省みる。 そして、ことばが熟すまでの時間、何かと何かが出合う星の時間、ということも。 前へ、次へと進む時間がすべてではなく、 進むために「待つ時間」も必要なのだと、そんなことも思う。 作品を解釈ではなく体験してほしいという原作者の意図を尊重しつつ、 結末の残り25分を楽しみに、待っています。 畑・正念場 8/15 連日の暑さをすり抜けるように、6時前の畑へ。(それでもすでに29℃) スタッフさんがいて、びっくり。お互い、「早いですねー」(笑) 早朝は水が出ないので、桶に溜めてある水をじょうろで運んで水やりです。 (夕方は長いホースの中が熱湯になっているため、やはり水やりできず…) うちは水場から最も遠い位置にあるので、じょうろでもホースでも、ひと苦労。
一番最後に植えた(5/30)きゅうりが、枯れつつも新芽を伸ばしていますが、 実が変なかたちに育っていて、あまり期待できず。(もうお盆ですから。。) オクラはついに、わたしの背を追いこしました。 今後はこれら夏野菜の片付けと、秋冬野菜の植えつけ・種まきが待っています。 用水が日によって出たり出なかったり、残暑も厳しいなかでの作業が続く、 1年でいちばん大変と思われるシーズンがやってきました。 時に、伸び放題の雑草に埋もれ、収穫されない完熟の実があちこちにぶらさがる、 なんともシュールな「耕作放棄地」(命名・オットー)区画も現れます。 あのようすを思い出すたび怖くなり、やはり放置できないわたしなのでした。。 (6日の日は帰宅後に熱中症になりました。それも怖いです。) 30℃を超える7時には帰宅。そして正午、家族で黙祷。 今日は、終戦記念日。 長崎の写真を見ながら、↓の記事を書いていたら、 いろんなことが思い浮かんで、心を流れていきます。 まさしさんのステージトークで何度も聴いた、ご両親の戦時下の青春。 疎開中だった義父が、愛媛の興居島の船着き場で聞いた、終戦の放送。 以前の住居でお隣だったおばあさんの、「大東亜戦争の時に地震があって…」の話。 新聞の投稿欄からつながった95歳の方の手紙、レイテ島での九死に一生を得た戦いのこと。 戦争に限らず、先を行く人の経験や想いを知り、記憶しておくことは、 さまざまな事象の理解へとつながるたいせつなことだと最近つくづく感じます。 殊に誰にも知られることなく、そのひとの生命とともに消えゆく小さな物語に、 できるだけ多く触れて記憶しておくことだけが、わたしにできることなのかもしれません。 精霊流しの思い出 8/15
4年前、2016年8月15日。 長崎にて、精霊流しの夜。
後ろから撮ったものをひとつだけ。 この年の春に亡くなった、さださんのお母さんの船でした。 これを見るために訪れたことで、この行事がどういうものなのか、 ようやく、本当に理解できたのでした。 長崎のひとにとっては、初盆に、故人とお別れをする、もうひとつの儀式。 やっていることは"死者を西方浄土に送る"という表現に尽きるのだけれど、 その送り方の、なんとにぎやかで、温かな…そして寂しく、哀しいものなのか。 今まで何度も聴いてきた歌と話、見た写真や映像。 それでも伝わらなかった空気を、伝統の重みとともに、痛いほど感じた貴重な経験でした。 深夜、ホテルのテレビをつけたら、いくつかのチャンネルで、 精霊流しの特集・中継をやっていて、それにも驚きました。(翌日も、中継録画として) 船は数時間かけてゆっくり、ゆっくりと進むのですが、 その映像を流しつつ、船の外観の特徴、乗っている亡き方々の人生、 船を送るひとびとの想いなどを、ていねいにナレーションしながら重ねるのです。 佐田家の船も紹介されていましたが特別な感じではなく、長崎のいち市民として、 どの船もみな平等に、愛をもって語られている印象でした。 番組の案内をされていた"越中さん"という郷土史研究家の先生(当時御年95歳)が、 「今年は、私の弟の船が出て…来年は、私も流されているかもしれません」としんみりとおっしゃり、 「先生…そんな…来年も、ぜひ出てください!」(女性アナウンサー)というかけあいも微笑ましくて、 (これは毎年のお約束だったらしいのですが 笑)観ているこちらまで、 それぞれの船と故人に親しみを覚えるような、すばらしい番組でした。 「なんであれ、全国放送せえへんのかなあ…」とオットーが今年も呟いていましたが、 あれは、長崎の町だけで流されるからいいんだなあとも、思えました。 (ぎゅっとつまった、郷土愛…土地の親密な温かさがあった)
実はこの日、不思議な偶然の出会いに導かれて、 佐田家の船の組み立てと飾りつけをしている場所に案内されました。 (全く知らない場所で、予定にもなかった) 正午には平和祈念像の前で黙祷、のつもりで移動中だったのが、 なぜか正午に、この場所に…。 真っ青な空に終戦記念日のサイレンが鳴り響き、思いがけず、船の前で黙祷。 組み立てを指揮していた佐田繁理(弟)さんたちの、後ろで。 この時、全く気付いていなかった事実が、1ヶ月後明らかに…。 「あっ精霊流しやってる。」とテレビを見ていたら、黙祷する自分たちが映っていたという…。(笑) どうやら、NHKの"ドキュメント72時間"の撮影中だったらしいのです。 カメラがあったような気もするけど、地元のニュース取材だと思っていました。 そんな後日ハプニングもあった、忘れられない長崎旅行。 写真を見ていたらいろんなことを思い出し、書き起こしたくなりました。
午後、平和公園・原爆資料館・平和祈念館も訪れました。 近頃なんでも… 8/14 お昼ごはんができる頃、リビングにいる小さい坊ちゃんに、 大きい坊を呼んできて、と頼むも、ゴロゴロソファで転がったまま。 「じゅん呼んだ?」 「呼んだよ。」 「ずっとそこにおるのに?」 「ラインで。」 「えー見る?」 「2階のパソコンでラインしてるから見るやろ。」 へーそうなんや…と思ってたらやっぱり来ないので、 呼びに上がってもらいました。(笑) 後でラインの画面見せてもらったら、 「めし。」 「めし。」 「めし。」 ・・・それだけが数日続いていて、笑えました。 夜。 オットーが、地元の友達からオンライン飲み会の誘いが来た!というので、 小さい坊 「じゅんとオンライン飲み会でもするか。1階と2階で。」 大きい坊 「わざわざ離れて?めんどくさ。」 小さい坊 「あーしょーもなー。」 (注・小さい坊はまだお酒は飲めませぬ) 便利なような、、、不便なような。 楽しいような、、、楽しくないような…。 同日 8/12 なんと同日のうちに、坊ちゃんたちの協力(?)により、 "なごみポケット"のなかのアハハッのページを更新することができました。 最終更新の日時から、およそ4年分の我が家写真をさかのぼり、 その中にまぎれている(何枚あるかも分からない)「アハハッ」の記録写真を探すという、 面倒くさい?作業だと思っていたのですが、意外と記憶に残っていて、あっさり見つかる。(笑) 見落としがないかが不安でしたが、大きい坊ちゃんが、 「お弁当のごはんの"アハハッ"あったやん。」と、 わたしの記憶にほとんどなかった1枚を、自分の携帯から探しだしてくれました。 それを追加して、小さい坊ちゃんが作った「おなべのアハハッ」を本人に確認して、 速やかに写真の整理が終わった、というわけなのでした。 大きい坊ちゃんにあのページを見せたら、「なんか…レベル上がってへん?」と。(笑) どういう意味かと思ったら、 「最初の方は"アハハッ"そのものが並んでるけど、 だんだんそうじゃないものが"アハハッ"に見えるようになってきてる。」と。 つまり、偶然の意図が創りたもうた"アハハッ"が増えた、ということらしい。(笑) そう…たかが"アハハッ"。されど"アハハッ"。 なごみのツボには、違いない。 最初の発見者・小さい坊すらもう、きっかけは覚えていないだろうけれど。 苦節6年半… 8/11 やっと… TOPページに使った写真たちを整理し、"ちいさな写真館"に収めることができました。 最終の更新日からおよそ6年半、最後は 2014年冬の、高山での写真。 TOPページを更新する時に移動して同時に更新、を課していたのが、 7年前に心身の調子を崩して以来、どうしても手をつけることができず… たまった写真を、期日を確認しながら整理することはできないとあきらめていました。 ようやく、、、あちこちのファイル更新日を確認しながら、終えることができました。 この時期はこんなに長いこと放置していたのか!とか、 つけるつもりでいた題名忘れた…とか、 いろいろ思いながら作ったページはそれでも、遠くに出かけられない今、 心だけどこか遠くにいった気持ちになれる気がして、ちょっと得した気分です。 次に、もうひとつ、4年分を見返して更新したいところがあります。 近いうちに… 立ち止まる 8月 8/9 タクシー運転手の松井さんを思い出したなら、 "すずかけ通り三丁目"を思わずにいられない8月。 「なにか、ひとこと、いいたいのです。」 物語最後のことばが、心の中によみがえる。 わたしが子どもだった頃にはまだ、物語の中の戦争が近くにあった。 今も手元にある大好きな童話は、戦争で傾いたアパートに住む娘さんや、 食べものがなくて、赤ちゃんのために田舎におみそをもらいにいく少年が主人公。 感想文を書いた課題図書は、戦死したお父さんの話を軸にした物語。 図書館で怪談ものを借りれば、兵隊さんの幽霊話がいくつも。 ミステリー仕立てで一気に読みすすめた物語の結末は、広島の話。 暮らしのエッセイ集にも、生活の楽しみに混じって、戦争当時の哀しい記憶。 戦後という地続きの時間で記されたそれらの物語を、 ほかの物語と区別なく一緒に取りこんだあの頃。 それらが自分のなかに立ちあがるたび、「戦争もの」という色づけのない、 こころの風景の一部になっていることを、あらためておもう。 そしてそれがアンテナとなり、今に至る情報や想いを蓄積してきたことに気づく。 通った小・中学校での平和学習は生々しく、時間も多く割かれていた。 「にんげん」という道徳の副読本(表紙が怖くて裏返して置いていた)が1年生からあり、 中3の広島への修学旅行に向かって、映画を観たり詩を読んだり歌を歌ったり、 トラウマになるほどみっちりと戦争と差別について学んだ。 起きた事実や歴史を知ることはできたけれど、事柄が大きすぎて、遠すぎて、 「なぜそうなるのか」を我が身に置いて考える学びにまでつながらなかった。 結局のところ、そのできごとと自分というちいさなものをつないでくれたのは、 数々の物語と、さだまさしの歌(これもまた、物語)だった。 声高に叫ぶのでなく、ただ淡々とひたひたと、こころにしみてくる何か。 それを「感じる」ことで、ちいさな自分の持つちからについて、考えることができる。 4年前の8月15日、訪れた長崎の写真をながめていたこの数日。 今年もまた、平和式典をテレビでみながら、夏休み中の子どもたちと黙祷。 さだまさしの歌を聴き、話を聴き、想いを聴き、してきた彼らのなかにも、 同じ想いが蓄積されていることを願いながら。
旅は道連れ…? 8/6 車を動かしはじめた時に、目の端に何か黄緑色が映った。 ええ…?と思って目を動かすと、 フロントガラスの上に、なぜか小さなばったが…(注・室内側) !!! 君…どうやって、ここに入った?? 知っていたのか、それとも、偶然なのか…行き先は、畑。 「ちょっと、じっとしといてよ。」と、うろうろするばったに話しかけつつ、畑を目指す。 あそこなら、ハーブも野菜も雑草も食べ放題。(笑) それを知ってて、乗ってきたのかな? そうとしか思えないくらいおとなしく、飛びもせず、歩いて往復するだけのばった。 鮮やかな黄緑色が若く、やはらかに見えて、もしかして、脱皮したてなのでは…とふと、思う。 畑に着くなり、スタッフさんとのやりとりで一瞬、ばったの存在を忘れる。(笑) シェイドをフロントガラスに差しこみかけて、!!思い出し、 あわててひっこめて、手近にあったビニールの端っこにつかまらせる。(つぶさなくてよかった…) そのままそーっとドアを開け、駐車場の後ろ側にあるハーブガーデンの上で振ると、 ミントの葉の上に、ぽんと着地。 「おおーそこがいいわ」 この間、まるでここに来ようとしていたかのように、おとなしくしていました。 ばったのことなどすっかり忘れた数時間後、帰宅して、玄関ポーチにふと目を落としたら。 背中が大きく開いた、あの黄緑色のばったにそっくりな大きさの抜け殻が、 蜘蛛の巣にひっかかって揺れておりました。
それを見た途端、自分がタクシー運転手の松井さんになった気がして… 「よかったね。」 「よかったよ。」 「よかったね。」 「よかったよ。」 と、最後の場面のことばが頭の中でこだましたのでした。 なにげない会話 8/3 大きい坊ちゃんが、 「ツイッターに弟のこと投稿したら、 ○○(小さい坊の友達)は必ず"いいね"してくる。」と言うと、 小さい坊ちゃん、ふふっと笑って、 「いじゅがツイッターに投稿したら、じゅんが全部"いいね"してくる。兄バカだから。」 大きい坊ちゃん、笑…。 「あれはな、どうでもいい記事こそ、"いいね"しようとわざとやってんねん。」 「"いいね"が1しかついてない時も、じゅんやった。」 「じゅんも、あれはいまいちやなーと思いながら"いいね"した。」 「きらいなものは、きのことおばけと○○中(中学校の名前)やったけど、 そろそろ、きのことオンライン授業と○○中に変更しよかな…」(by 小さい坊) 大きい坊ちゃんとわたし、笑…。 「そんなに中学きらいなんか…」 「きのこは、しいたけ・しめじ・えのき・まいたけの順にきらい。」(笑) おやつ食べながら、ふわふわ笑いながら、流れていく会話。 つゆのあとさき 8/2 永井荷風ではないですよ。(笑) You Tubeで、東大寺さんの落慶法要記念コンサート映像が出てきてびっくり。 トパーズ色の風がかけぬけて、 ひとつの季節が終わりを告げた。 なんて美しい歌。 梅雨明け・夕暮れの空。畑にて。
オクラはいよいよ目の高さまで。
そしてさつまいもの葉の上に…「こ…蝗害?!(涙)」 ここまででっかくなるとこわすぎます。。
庄屋長なす、25cmくらいで収穫するのが当たり前だと思っていたら、 こないだスタッフさんに、「もっと長くしてもいいんだよー」と言われてびっくり。 試しに放っておいてみたら、過去最高の大きさになってきました。 どこまで伸びるかな…。 楽しみですが、あまり欲をかくと失敗、はよくあることなので、用心しつつ。 ------------------------------------------- 後日談、 4日後、さわった感じの柔らかさから収穫しました。 過去最長のそれは、およそ35cmでした。
ざる、用意! 8/1 週間予報と天気図を日々チェックしつつ、ここ!と判断したら、 予定・ざる・もろもろ用意どん。
やっと干せた〜。 (ざるにはりついて皮が破れるのがいやで、パラフィン紙を敷いている) 干したては梅酢でしっとり、ふっくらとはりのある実。 2〜3日、驟雨を見張りつつ横目ではりつきです。 残った梅酢もびんごと干して日光消毒。
何度か裏返したり、移動したりしながら、全体に太陽で「ゆっくり火を通す」感じ。 あまり干しすぎても、乾燥して中の実がしぼんでしまう感じがして、 最近の気温と日差しから、早めに切りあげることが増えた。 この大きさならまる2日はどうあっても干すけれど、日差しが弱めなら2日半〜3日。 ギラギラの太陽なら2日で終わりにします。 梅の状態を見ながら決める。 重量が減り、大福もちのようなぽたぽたした手ざわりになったら、おしまい。 "三日三晩土用干しして、最後の夜は出したまま夜露にあてる" 昔から言われている作り方だけど、 アスファルトの都会では夜露も出ないな〜。畑に行かないと。(笑) ひと晩室内でねかせ(少し梅酢が浸み出てしっとりする)びんに戻すと、 色がさらに濃くなって、なんともいえない美しい紅色に。 宝石のよう…といつも思います。 一緒に干した赤じそは、このままさらに乾燥させて、ゆかりに…(なる予定)。 20%のびんの赤じそは、わずかですが畑で採れたものです。 |