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資本主義社会が生んだ孤独 4/9 ホセ・ムヒカさんの言葉を聞いていたら、胸がふるえて涙が出てくる。 それは、1月に書いた両陛下の慰霊式のときと同じ感覚で、 ベニシアさんや、その師・プレム・ラワット氏のことばにふれるときとも共通している。 ただ異なるのは、彼が、一国の政治家であったということ。 現実味をもって、より多くの人の心に響くのは、その立ち位置から語っているからなのだろう。 環境破壊や貧困などの世界的問題を根本的に解決するためには、そのおおもとにある、 この資本主義経済でまわっている世界のしくみそのものを変えていかなければならない。 人間が作り出した巨大なしくみにコントロールされるのでなく、しなければならない。 政治家が、国を、世界を、変えていかなければ。 国民皆が幸福とはなにかを見直し、ひとりひとりのあり方を考え直さなくてはならない。 決して、失望することなく。あきらめることなく。 次の世代に、この地球と世界を手渡すために。 1/29に書いた、胸の痛みでしか感じられないことを、明確にしてくれた言葉たち。 そう、止まる、留まることができない、わっかを回るねずみのようなこの社会のしくみ。 巨大すぎて、誰もここから外れては生きていけないから、 疑問に思っても、そこに甘んじるしかない現実。 消費が止まると、経済が止まる。回転が止まる。不況が訪れる。 だから、消費しつづけなければならない。買いつづけ、捨てつづけ。お金を遣いつづけ。 それをつづけながら、この地球の環境をよくしていくことができるのだろうか。 そのなかで壊れていく、人の心や感覚を、取り戻すことができるのだろうか。 保育園と保育士に自分の子どもを預けて、働きに出なければ、生活が成り立たない。 だから自分の子どもを預けるためのお金もふくめて手に入れるために、他人に子どもを預ける。 核家族化が進んだ結果、両親祖父母の面倒をみる人がいない。 離れて住んでいる両親祖父母の世代を他人にみてもらわなければ、生活していけない。 お世話をしてもらうのには、また、お金がかかる。それぞれに、新たな責任も発生する。 幼い子どものそばにいて、見ていてあげること。 ただ、ともに時間を過ごすこと。 ただそれだけで、愛されている、何があっても自分は大丈夫という、 生きていくためにいちばん必要なちからを手に入れることができるのに。 それはもう、現代では贅沢なことなのだろうか。 少し前、いろいろなことがあって、気づいたことがあった。 深い罪悪感を伴う、「母の役に立てなかった」という思い。 母は(彼女の言葉を借りれば)わたしたちのために「身を粉にして」「髪を振り乱して」働き、 わたしは、父をふくめ、母以外のたくさんのおとなのお世話になって、大きくなった。 それはそれで、完結した、感謝すべきことなのだろう。 けれど、たぶん、自分たちのために母がしんどい思いをしている、ということが、 その言葉を使って押さえつけられるたびに重荷となり、罪悪感をつのらせた。 自己犠牲的に言われることが苦しかった。 ただ、母に、笑っていてほしかったのだ、と。 疲れて機嫌が悪くなるくらいなら、お金や、もので埋めてくれなくてもよかったのに、と。 そう考えはじめると、進学したことにも後悔がつのった。 でも、それが親の務めだという考えに、当時は逆らうことも、否定することもできなかった。 わたしたちを育てるお金を得るために、母がしんどい思いをして機嫌悪くなるのなら、 わたしはいない方がよかったのではないか。母は、どうしたら笑って過ごせたんだろうか。 そんな思いが、今もくすぶって苦しくなる。 わたしとは違うかたちでも、同じような気持ちを抱いている子どもはきっと、いると思う。 生きるためにお金が必要で、お金を得るために時間が必要で、 働く時間が増えれば家族とともに過ごす時間が少なくなって、直接交わす言葉が減って、、、 お互いの思いはすれ違っても、たいせつな家族のために、働いている。 この矛盾のなかで、どうやって答えを見つけたらいいのだろうか。 思うことが多すぎて、うまくまとめられないけれど。。 わっかをまわりつづけていることにまず気付いて、近しいひとたちから関係性を見直して。 そのなかで今、自分は幸せを感じているか。孤独感をつのらせていないか。 いつか訪れる死までの時間をどう生きたいのか。何をしたいのか、誰と過ごしたいのか。 そのために、ほんの少しでいいから、何ができるのかを考えて、踏み出すこと。 巨大な社会のしくみを変えることはできなくても、自分と、たいせつなひとのために。 それがひとりでもできる、ちいさな努力になるのではないかと思う。 桜の樹 4/8 激しい桜流しの雨から一夜明けて、買い物に出た朝。 信号待ちの車中で、一本の桜の木が目に留まり、 ふと、"花が散ったあとの桜もきれいだな"と思った。 がくの濃いピンク色がはっきりして、残った花弁の淡い色とグラデーションしている。 そして、木の下に広がる、桜色をしたやわらかなじゅうたん。 見とれていたら、不意に頭のどこかから、 「花の終わった樹を愛せたら、本当に樹を愛せたことになるのでしょう」と聞こえてきた。 ・・・・・ それは、30年もの時を越えて、記憶のどこかにしまいこまれていたエッセイ。 「桜散る」という歌の、ライナーノートの最後の一節だったと、思い当たった。 同時に、つい先月知ったばかりの、新しい歌の歌詩がよみがえる。 「桜は春にだけ美しいのではない」 学生時代、このエッセイをもとに、掌篇を書いたことがあった。 100歳の老婆となって、ようやく花の終わった樹を愛せた、という物語。 あの頃はまだ、腑に落ちなかった、「花の終わった樹を愛する」ということ。 ああ、わたしは、ここまできてようやく、 自然に、花の終わった樹を愛せたのかもしれない、と、 そして、本当に樹を愛せたのかもしれない、と、 感慨に浸った、数分間のできごと。 それも、100歳の老婆になる、ずいぶん手前で。 新曲の歌詩は、こう続く。 「ひともまた然り」 そんな日の午後に届いた友人の旅便り、 Washington,DCの、Cherry Blossom Festivalのはがき。
とと姉ちゃん 4/4 今期の朝ドラの情報が流れはじめて、びっくりしたこと。 わたしが長年、探しに探していたひとがヒロインのモデルになっているということ。 「大橋鎮子さん」 その名前をようやく知ったのは、鎮子さんが亡くなる数年前のことだった。 中学時代、母が誰かからもらった『すてきなあなたに』というエッセイ集。 その後、『すてきなあなたに 2』を、自分で買い足したくらい、大好きな本。 (中学生には決して安くはない、箱入り装丁の立派な本です) お料理やお菓子づくり、手紙やおしゃれなど、 読んでいるわたしの心をわくわくさせ、気持ちを浮き立たせてくれるものがつまったエッセイたち。 そしてその中には、戦争への深い思いが綴られたものも混じっていて、 まだ子どもだったわたしが、児童文学のほかに戦争にふれた、貴重な媒体でもあった。 この日記でも何度も取りあげてきたけれど、そのコンパクトな文章に垣間見える、 優しさ、あたたかさ、季節の感覚、ひとへの思いやり、料理やおしゃれへの好奇心など、 これを書いているひとは、すてきなひとだなあ…という思いがずっと心にあった。 そして、誰なのか知りたくて探すのだけれど、著者名がない!(と、当時は思っていた) 本の箱や表紙、扉など、おもて側のどこにも書いていなかったから。 いつの頃からか、このエッセイが、『暮らしの手帖』という雑誌の、 まんなかあたりにある黄色いページに載っている、ということを知って、 時々、立ち読みしたりしたけれど、やっぱり記名はなくて、 書いているひとが誰なのか、分からずじまいだった。 結婚とともにその本を手放して、数年経って、やっぱり読みたくて、図書館で借りて。 また、インターネットの発達とともに、どうやら、この著者は「大橋鎮子さん」というらしい…と、 (一時は、花森安治さんという、編集長かと思っていた… でも、どう読んでも女性の文章だな、おかしいな、と…) そして、編集長ではないけれど、『暮らしの手帖』の創刊当時から、関わっている方らしい…と、 ぼんやりした情報を得ることができたのが、ここ十年以内のこと。 そうか、雑誌の編集側の方だから、わざわざ記名がないのか…と気付いた。 (新聞などの編集あとがき、みたいに。) 鎮子さんが亡くなったことを『暮らしの手帖』で読んで知ったとき、 ようやくはっきりと、『すてきなあなたに』の著者が誰だったのか、認識した気がする。 (確かに、本の奥付には、「大橋鎮子」と大きく書かれているではありませんか。。) この方の名前を知ったのはずいぶん遅かったけれど、 どんなにすてきな方か、感性の豊かな方か、ということは、中学1年のときから、知っていた。 そして、共感できる感性に、親しみをずっと抱いていた。 その、大橋鎮子さんの人生が、朝ドラになるという。 それを知った時は興奮し、以来、とても楽しみにしてきた。 前作ほど歴史に影響があったヒロインではないけれど、 慎ましく、優しく、そして強くあったそのこころざしの美しさがどんなふうに生まれ、育ったのか、 最初から知ることができるのが、ほんとうに、とても楽しみ。 世代はまったく違うわたしに、こんな心のベースを作ってくれた、 折々読むたびに、あたたかい気持ち、胸がすっとするような気持ちをくれた、 大橋鎮子さんに、感謝をこめて。
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