夕暮れ桜 3/31 木々のてっぺんから微かに差すオレンジの光。 坂道のカーブに沿って、少しずつ少しずつ、光の角度が変わってゆく。 花見の人たちがカメラ片手に、のんびり行き来している、夕暮れの桜坂にて。
思ふこと 3/30 「エレーン」という、中島みゆきの古い歌の歌詞を、時折思い出すことがある。 出会った当時(中2)は、1曲目の「うらみ・ます」が友達のあいだで何かと話題にのぼり、 「こわい〜」とみんなが口をそろえて言ったものだったけれど、 わたしが本当にこわかったのは、「船を出すのなら九月」「エレーン」「異国」の、 アルバム後半の3曲だった。 アルバムのタイトルどおりに、問いかけられている気がしたからだ。 「生きていてもいいですか」と。 その歌詞を、今もふと、思い出す。 そしてそれに連鎖して、歌詞のもととなったと思われる、 高校時代に読んだ彼女の小説・『街の女』も、思い出す。 娼婦と思われる、歌のモデルらしき女性の名は、"ヘレン"。 "エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない" 長い、長いあいだ。。この答えとは、なんだろうと考えつづけていた。 誰もが知っている、その答えとは。 生きていてもいいのか、それとも。 "おまえは たちの悪い女で 死んでいって良かった奴かもしれない" この歌詞からも、思いあぐねた結論。もう、30年ほども。 ネットでぼんやり歌詞を追っていて、歌詞についての同じ問いに、 誰かが答えているのを見かけた。 "生きていてもいいかどうかを、誰もが本当は「分からない」から、 誰も問わないのではないか" 思いがけないその答えに、長いあいだの疑問が解決した、気がした。 "けれどどんな噂より けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は 笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う" 誰もが、心のどこかに淋しさを抱えて生きているのだろう。 そして、生きることの光と影から、心のどこかに、この問いを忍ばせているのだろう。 そんな流れのなかで、ふと目にした新聞記事。 少年犯罪についてのインタビューだった。 * * * * * * * * * * * * * * (元裁判官・井垣康弘さんのコメント)
「エレーン」とつながっている気がして、また、 わたしのなかにも、ここに書かれているのと同じ淋しさがあることを確認した気がして、 この記事を見過ごせなかった。 なぜ、そうなったのかは分からない。 原因を追及したところで、簡単に修正できるものでもない。 けれど、「淋しい」という思いが、まず自分を、次に周りを深く傷つける、ということ。 その痛みは、理解できるのだ。 * * * * * * * * * * * * * * 大きい坊が中学最後の社会科の授業で、先生の好きな歌手の歌を聴いた、という。 もらってきたプリントに印刷されたその歌詞は、中島みゆきの「誕生」だった。 そのことから、この歌を聴きなおす機会を得て、思う。 「生きていてもいいですか」 その問いへの答えは、ここにもあるのだろうか、と。 "Remember 生まれた時誰でも言われた筈 耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome Remember けれどもしも思い出せないなら わたし いつでもあなたに言う生まれてくれて Welcome" 春のお散歩 3/26 はー!! 坊たちだけで、初めて、実家へ帰しました。 この、開放感。(笑) 一緒に家を出て、途中の駅で別れ、わたしは期間限定のとある映画を観にいきました。 (ドキュメンタリー) そして何を思ったか、突然足を南へと向け、5年ぶり?くらいに熱田神宮へ…。 繁華街から地下鉄に乗れば10分ほどなのに、ずいぶん来てなかったなあ。。 お参りして、「熱田の杜」をぐるりと散策して、境内で食べた宮きしめん。 こしがあって、また、自分でやかんから注ぐお茶も濃くて、とても美味しかった! 心地よい、3月の午後。
そのあと、また同じくらい地下鉄に乗って、 大きい坊ちゃんが通うことになった高校の最寄駅へ。 ここは、何年か前に開通したばかりで、それ以前は車でしか来られない場所でした。 坊たちが小さかった頃、わたしの大事な友達に教えてもらった、通称「桜坂」。 住宅街の道路沿いにみごとな桜並木があり、車で下ると、桜に祝福されているかのよう。 上ると今度は、空と桜しか見えない、トンネルに入ったかのようなのです。 散り初めの頃はまるで、映画の場面のように美しく、 車中で名曲・「桜散る」(さだまさし)をリピートにして、通るのがお約束でした。 開花時期は限られるので、夜しか来られない年もあったけれど、 それでも何度も、訪れた場所。
ここが…なんと! 坊の通うことになった高校に、続いてたんです…。ビックリ!! 表の大きな通りからしか高校を見たことがなかったため、 まさか、反対側がこの桜坂に続いているとは、夢にも思わなかったのです。 (ここの桜の写真、'03年の"おさんぽびより"にもアップされてました) 説明会でも、ハザードマップで「学校の付属品くらいに(誇りに)思っています」と紹介され、 そうでしょうとも〜!と心で叫んだ、わたくしでした。
2005年、4月の写真を見つけた。 花びらを拾っては投げて、遊ぶ坊たち…。 時を越えて、こんなつながりができるとは、ご縁とは不思議なものです。
咲き初めた花が、今日の青空に映える。 桜に祝福された、実りある高校生活になりますように。 クッキー作り 3/25 坊たちがおそおそのホワイトデー・クッキーを焼いたのは、先週のこと。 お返しも配り終え、自分たち用に作っておいた生地を焼いてみました。
小さい坊が手成形で作った、「ミー太くん」!(笑) なかなか、雰囲気出てます。さすが、美術・5です! (このエピソードは笑えるので、また今度。↑)
そして、わたしが抜いた菊型のクッキー。 小学生の頃から持っているお菓子の本の、クッキーのページに載っている、 わたしにとっては憧れのかたちを、初めて作ってみた。 あの頃はオーブンなんてなくて、魚を焼くグリルの中で、パンもクッキーもタルトも焼いたっけ。 ガスオーブンのある友達のおうちに行って、何人かで作ったのが懐かしい。。 オーブントースターが高校時代に登場するまでは、 本の写真のようにきれいに焼くことができなかった。 ・・・お菓子作りの思い出は、尽きません。 初めて作る生地でしたが、とても扱いやすく、気に入りました。 しかも、食べたらサクサク! 型抜きクッキーは近頃あまり作らなかったけど…また作ろー。 『あとかたの街』・第3巻 3/24 しばらくチェックしていなかった『あとかたの街』の、最新刊が発売されていました。 いよいよ、昭和20年に突入し、年末に続いて2回目の大地震が起きるあたりからです。 日本人にとって考えられない、お正月の三日から始まる空襲。 読むほどに辛く、、、小さい坊(既読)に、 「前の巻、読み返すの辛いやろ。友達が死んでしまったところで終わった…」と言われ、 ああ…そうやった…と、それまでの流れを思い出しました。 抗えない時代の流れ、その現状の厳しさ、 それをまっすぐに見つめる主人公・あいの目線。 その対比が悲しくて、苦しくて、胸が痛くて、 病院の待ち時間に読んでも、泣けてくる。 家で集中して読んでいたら、嗚咽が止まらなくなる。 あの、「平和の俳句」の高齢者の投稿句が、紛れもない事実なのだ、と、 あらためて認識する。 折りしも、70年目の3月。 自分に何ができるだろうと、問うことを忘れたくない。 この平和三百万の骨の上 (73)
合格発表 3/18 掲示されるタイプの合格発表を見たのは、私の人生でもこれが3回目(のはず)。 インターネットも発達した昨今、そうそうない機会だしと思い、見にいきました。 …といっても、坊ちゃんとは別々の学校に…。 この県の受験制度では、併願した場合(多くは併願)2校両方で合格発表があるので、 (どちらかに行けば、どちらに合格したか分かるようになっている) 一応、両方見ておきたいという思いもあり。 坊が第二志望校に行くというので、わたしは第一志望校のほうに行きました。 (ここは、第一志望者の多い学校。↓)
左側に受験番号がずらりと並び、「本校に合格」か、「相手校に合格」か、書かれている! ウワサには聞いていたけど、、、これかー!と、初めて見る形式にビックリ。 併願先は、本人にしか分からないようになっている。 そして、番号がない場合も、ある…。 (注・受験番号は、第一・第二志望とも、違うのです!なんちゅう複雑なシステム。 中学校から、受検時も発表時も「受験票を間違えないように!」と必ず指導を受ける) 坊も第二志望の掲示を撮ってきました。(みんな、カメラやスマホで一生懸命、撮ってました。) 坊の見に行った学校は、県下で一番倍率が高いため、「相手校に合格」の割合が高かった。 いやーなんというか。。独特です。 通える範囲から選ぶと併願のかけあわせもかなり限られてしまう、 この受験方式がいいのか、悪いのか。。 (学力検査+面接)×2回が、いいのか悪いのか。。 坊は、「まあ…2つ受けられるから、ええんちゃう?」と言いつつ、 でも試験…長いよなー、、、と、そこには同意してました。。 これがまた、、、2年後にもう一回か。(苦笑) 苦節5ヶ月… 3/17 秋ごろから確実に花芽をつけ、ふくらませてきたカランコエ。 その後室内にとりこんでおよそ4ヶ月、いつ開くかと毎日ながめるも、 固い緑のつぼみのまま、月日だけが流れていました。 そのうち、あちらこちらのすきまで、つぼみが茶色くなって枯れはじめて… こんなにつぼみをつけたのに、寒さに耐えかねて枯れてしまうのかと悲しんでいたら、 この1週間ほどで急に、色づいたつぼみがゆるみはじめました! 感涙。。
小さなつぼみが、徐々にねじれたタオルみたいになって、やがて開いていく。 色も、濁りのない、きれいな黄色。 さらに新しいつぼみも、すくすくとのびてきています。 うれしさで、花を見るたびに気分が高まる今日この頃。 いつ、外に出してあげようかな。 もうひとつ、うれしかったこと。 近所のミモザの木がたくさん花をつけていて、 午後の陽光に映えてあまりに美しかったので、写真を撮っていたら、 そばでお花の手入れをされていたおばあさんが、ひと枝切ってくれたのです! わーい。 うれしくてうれしくて、でも、木のそばにずっといて花どろぼうと思われても困るので(笑)、 おばあさんにお礼を伝えて家に帰り、さっそく玄関に飾りました。 カランコエとはまた違った、明るい黄色。 どちらも、春を待ちわびて、ようやく咲いたのね。
おもしろ会話 3/16 家族全員で、ドラッグストアに入ったときのこと。 化粧品売り場のポスターを見て、ふと、オットーに「これ誰?新垣由衣?」ときいた。 (メイクが濃い?ので、誰なのか分からなくなることがある) オットー 「そう。それで、これが菅野美穂。」 わたし 「それは分かる。これ(隣の)は、井川遥?」 オットー 「そう。それで、これが永作ちゃん。あれは…長澤まさみやな。」 わたし 「…松下奈緒かと思った。」 オットー 「それで、あれが天海祐希で、その隣が、アンパンマンや。」 わたし (爆笑)「アンパンマンて!それは失礼やろう。」 オットー 「でも、機関車トーマスとは誰も言わんやろう。」 わたし 「えっトーマスもやってたっけ??」 オットー 「うん。…戸田恵子な。」 ・・・笑・・・ また、ある日のこと。 坊たち 「李大浩(イデホ)、年俸9億円やって!3年で。」 わたし 「すごいなあー、野球選手は!うちに9億円あったら、どうする?」 オットー 「…李大浩雇うな。」 他全員 「うちで李大浩雇って、どうすんねん!!」 ・・・爆笑・・・ 「平和の俳句」〜このひと月 3/15 毎朝、まず新聞の一面左上に目をやるのが、癖になってきました。 瞬間、あっと心をつかまれる日がある。 そんなふうに心に引っかかった句の、ひと月分の記録。
公開初日 3/14 本日、映画「風に立つライオン」公開日。 仕事を終えたオットーと待ち合わせ、家族全員で観ることができました。 28年も前の歌が先行とはとても思えない、現代にリンクした重奏的な物語。 感想をありきたりのことばに閉じこめてしまうのは、あまりに惜しい気がして。 そして、語るには、あまりに想いが多すぎて。 ぜひスクリーンで、たくさんの人に観てほしい、と、 それだけを願っています。 以前少しふれた、主題歌のシネマ・ヴァージョンも。 28年を経た再レコーディングの、あまりの違いに驚いて。 それもふくめて、ぜひ映画館に足を運んでほしい…と思いました。 歌に重なるラストの、思いがけないしかけに、また涙。 個人的には、28年前、初めてアルバムでこの歌を聴いたときのこと、 読んだライナーノートのこと。 (当時はまだ、ファンになって5年しか経っていなかったことにも、あらためて驚いた) そこからの28年の、自分の人生。 それらを重ねて、今、 こうして家族そろって、平和な国で、安全な場所で。 この映画を観ることができる幸福。 ただただ、感激と、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。 多くの人々の人生を変えた、この歌を作り、 この映画につながる道すじを作ったまっさん、 ながいあいだ、歌いつづけてくれて、ありがとう。 ずっとずっと、わたしを支えていてくれて、ありがとう。 ?? 3/12 ただいま、入試週間の大きい坊ちゃん。 (学力検査+面接、×2校=4日間、+中日1日…ながっ!) 勉強している机の反対側に、こんなものがぽんと置いてあった。
こっち側で小さい坊が勉強しているので・・・(笑) 「いじゅ、こんなん出して遊んでたん?じゅんが勉強してるのに?」 あきれてわたしがそう言ったら、大きい坊ちゃん、 「違うねん。いじゅ、面接の練習する時にそれつけててん。」 どうやら、面接官役をやってくれていたらしい。。 「あ、、、あほやな…」(大爆笑) 涙目になって、「しゃべり方や声も変えてやるん?」ときいたら、 「いや?それは、ふつうに。」と言うので、またまた可笑しくて、 大ウケしたわたしでした。 そして、なんでもふたりで協力してやっていることに、ウケつつ感心もしたのでした。 卒業式に思うこと 3/5 大きい坊ちゃん、中学校卒業の日を、無事に迎えることができました。 健康で、ここまで来られたこと、成長してくれたことに、しみじみと感謝しています。 ---------------------------------------------------------- わたしにとっても・・・ この2年弱の苦しみから、ようやく一歩、解放される日が来たことになる。 式だけは、子どもと自分のためにと、出席した自分はえらかったと思いたい。 そのくらい…その場には、重く、強烈な負が渦巻いていた。 それでも、なにより、30年前の自分を、そこに連れていきたかった。 中学の卒業式に、母は来なかった。 案内も、わたさなかった。 あの頃の、悲しい、寂しい自分を救うために。 30年前のわたし自身のためにそこに行くのだと、あの日の日記を抱えて行った。 外側で何が起ころうとも、あなたを見捨てはしないよと、伝えるために。 そうして、まだ胸の中で生きている、中学生のわたしを卒業するために。 ----------------------------------------------------------- ・・・卒業をきっかけに、それまで知らなかったことをいくつか、ふと耳にした。 世界はつながっている、と、強く感じたできごと。 思春期でシャイになったと思っていた子が、実はいじめられていたこと、 その状況が、今の自分の状況に酷似していたこと。 また、ほかにも、いじめていた子とクラスを離されて、大きい坊と同じクラスになり、 坊やほかの友達となじんでいくうち、明るく元気になった子が幾人かいたこと。 大きい坊が、傷ついた心を自然に、すくいあげるようにして関わり、 その子のあるべき姿に戻るための力添えを(わずかでも)していたことを知り、 坊の成長の別の一面を見たようで、うれしかった。 正義感が、生きていく邪魔にもなることは事実だ。 見て見ぬふり、知らぬふり、も必要だとも言われた。 それでも。言わずにいられないことも、ある。 坊がわたしより進化して、穏やかに、自然に、それを貫ける人になっていってくれるなら。 わたしの子育ての日々も、間違いではなかったと思えるだろうか。 わたしの人生も、間違いではなかったと、いつか思えるだろうか。 |
|||||||||||||||