春・到来 2/28 ぽかぽか陽気のお昼間。(最高気温16.4℃!) 気候とはすごいもので、うす汚れたカーテンを見ては、 「洗いたいけど…もっとあったかくなってからかな…」など思っていたことなどすっかり忘れ、 頭より先に、手が、体が動き出す〜。 気がついたらピアノのカバーをはずして、洗い出していたわたくし…。 当然、ピアノの上のものものも、もろともおそうじ。 そうしたら…
我が家のチャップリン、(おそらく)さびついていることが判明。 ねじをいっぱいに巻いてもゆっくりとしか戻らず、音も動きもスローモーション…。 うう。年をとったのね…。(オットーの持ち物なので、かなり古いのでしょう。) スローな「エンターティナー」が、寂しいです…。 どっかから、油させないかな。。
一方、かえるぱん(チェロ担当)は、変わらず元気。 彼がやってきた頃は、特別チェロに興味があったわけではなかったのに、 このコンビ、、、なんと奇遇なことでしょう。 ピアノの上で、いつも一緒に演奏しています。
夕方。窓辺のあの球根の鉢を見て、びっくり! 今朝はまだ緑色だったつぼみらしきかたまりが、明らかに黄みを帯びている。 色だけでなく、明らかに朝より背が伸びて、かたちもふっくらしている。 わたしに思いもよらぬそうじをさせ、花のつぼみを一気にふくらませる… 細胞レベルから生命を動かす大きな力、ここにあり、と実感。 ありがとう 2/27 オットーが、ちょっとしたお礼にもらってきた、紙パックジュース。 昨日の朝、子どもたちが朝ごはんと一緒にいただいて空になっていたのを、 夜、台所の片付けをしながら、たたんではさみを入れ、中をすすぎ、乾かしておいた。 今日が紙資源の回収日だったので。。 その作業をしながら、しみじみ、手の遅い自分がいやになった。 牛乳パックはともかく、こんな小さなパックをちょこまか切って開いてすすいで乾かす、 その手間と時間と水を考えて… 名古屋市のごみ分別は、何度か書いているように、とても細かい。 (藤前干潟の問題からごみ非常事態宣言が発令されて以来、今月で14年になります) とはいえ、ここまできれいにしないといけないわけではないのに、 ついついやってしまい、ただでさえ時間がかかるわたしの手に、さらに負荷がかかっていく…。 こんなことしているから家事がエンドレスなんだ…とため息。 今朝、並んで乾いていたその紙パックを、オットーがさわっていた。 「あーそれ、紙資源の袋に入れようと思って…」と言いながら振り返ったら、 「『たたんでくれてありがとう』、やな。」と、白い文字をなでている。 あっと思った。 そうだった。 「たたんでくれてありがとう」、のはなし。 すっかり忘れていた。 たたみながらも、まったく目に届いていなかった文字。 なのに3つとも見事に、はさみはそこを避けて通っていた。 気付いたとたん、3つの紙パックがたたみかけるように、わたしに語りかけてくれた。 「たたんでくれてありがとう」、と。
こちらこそ、わたしのこんな気持ちを、優しくすくいあげてくれてありがとう。 あなたたちは紛れもない、「今日の天使」でした。
両手をひろげて 2/25
お日さまにむかって ひろげた両腕に たいせつに抱いているものがある あなたのように この腕のなかにある いとおしい大切なものを ひとつひとつ 数えるように慈しんで生きたい この腕すらも -------------------------------------- そのひとを見ていて、いつも感じるのは、愛。 なんのためらいもなく両手を広げ、相手の心をぎゅっと抱きしめる。 誰に対しても、同じように、相手の気持ちを尊重できる。 そして、行動できる。それも、当たり前のように。 そんな慈愛のひと。 たくさんの恐れにつぶれそうになっているわたしに、 「許されて在る」ことを感じさせてくれた、 あなたのことばと心に、心から、ありがとう。 摘果きゅうり 2/23 地元産・摘果きゅうり、再び購入。98エンナリ。
先日見かけた"円高つづく"のニュースに、きゅうり農家が登場しました。 一面の雪景色の中に立っていた、ビニールハウス。 そのハウスの材料(ビニール)から、中の暖房(!!)の燃料から、 すべて輸入に頼って育てているため、このまま円高が続くと大きな損害が出るという。。 暖房を入れているとは(考えれば分かりそうなものだけど)思わなかったので、びっくり。 そこまでして、この寒い冬にきゅうりを作って、食糧を生み出しているんだなあ…と、 ちょっとショックを受けました。地球の大切な資源を使って、真冬に夏の野菜を…。 冬のきゅうりは旬ではないので、必要がないかぎり買わなかったわたし。 でも、そのニュースを見て、そんな膨大なエネルギーを使ったハウス栽培で、 大きい実を作るために摘果されたきゅうり、 無駄なく食べてあげないとかわいそうな気がしてきました。 これから見かけたら、買おうっと。 さて、ぬか床でしばらく、おやすみなさい。。 最終回 2/22 「猫のしっぽ カエルの手」が、ついに最終回を迎えました。 全95回を懐かしく振り返るような、ほんわかとあたたかい最終回でした。 "日々の暮らしは、当たり前のくりかえし。 それがとても、ありがたい。" そんなナレーションに深く共感して、胸を打たれた。 奇しくも、今読んでいるいしらさん(石田ゆり子さんですよ)のエッセイにも、 同じことばが出てくる。 "毎日は、同じことのくりかえし。でも、その中にこそ幸せがちりばめられていて、 そのかけらを探すことがわたしは何よりも好きです"、と。 幸せはこちらが提示する条件ではなく、与えられた日常の中に自ら見出すものなのでしょう。 そのことを忘れずに、これからも日々のなかに、たくさんの幸せを見つけていきたいと思います。 なんだかこの日記の最終回みたいになっちゃった。(笑) で。 「猫のしっぽ カエルの手」。 4月からは、Eテレで再放送だそうですよ〜。 悲願の地上波デビュー。感涙。めでたし、めでたし。 なにげない笑い 2/22 「猫のしっぽ カエルの手」の最終回を見ながらの会話。 ベニシアさんが、おもてなしのためにトマトハーブ鍋を作っていました。 (これ、とってもおいしいです。わたしも、何度も作った〜。) 途中で、はまぐりを入れる。 その調理をじーっと見ていた小さい坊ちゃん、真剣な表情で、 「あれはー、入れたら、自動的に開くんや?」 そうだよー。貝は、自動的にねー。(笑) 夜。 お風呂から出てきて、またはみがきに行った小さい坊ちゃん。 洗面所でなにやら、ぶーんと音がする。 ドライヤー? でも、自分でやったこと、ないよなーと思いながら、見にいくと。 両手でドライヤーの持ち手を握りしめ、ぎゅっと目をつぶって、 ゆっくり動かしつつ頭の上にかざしていました。(爆笑) 「そんなかけ方する人、初めて見た〜」と言いながら、 受け取ってドライヤーしてあげました。 あの距離じゃ、髪の毛焦げそうやったから…。(笑) スイミングでは、壁に固定されたドライヤーだもんね。勝手が違うよね。 それにしても…かわいい姿でした。 おやつ 2/20 朝一番、おはようございますのローズマリー。 ふと目が合った時に、朝陽にきらきらっと光って、あいさつしてくれた。 おはよう。きょうもえがおで!
前から気になっていた本が、食事に行った自然食レストランの本棚に置かれていて。 手にとって読んでいたら、なんとそこに、ヒヨドリは飼い主を見分ける、と書かれていました。 なので、平安時代の貴族はみんな、ヒヨドリを飼っていたと! そうなのか〜。 感心して、彼らにまたおやつをあげようと思い(餌付け?)、 今朝、熟れたぽんかんを半分に切って、隣のみかんの木に刺してみました。 そうしたら…くるくる〜。食べにきてます! 果汁を滴らせながら、もう、必死で食べてる。 いなくなったら、次はメジロ。またメジロを威嚇して、ヒヨドリ。 確かにこのヒヨドリ…何羽もいるわけじゃなく、 いつもここに来ているのは、同じヒヨのような気がする。。 わたし、もしかして、、、すでに憧れの、「飼い主」?(笑) そしてこの季節…やっぱり、食糧は貴重なのかも。 また、おやつをあげましょう。ね。
子どもたちのおやつのことも。 寒い日、おやつにおもちを焼いて、簡単なおぜんざいを作ることがあります。 冷たい風のなか帰ってきた子どもたちは、とっても喜びます。 部屋に満ちたおぜんざいのにおいや、食べた感覚や、その時の気持ち… わたしも、おぜんざいではないけれど、 かぎっ子になる前におばあちゃんが作ってくれたホットケーキや蒸しパンのこと、 その温度とともに、今もふと、懐かしく思い出します。 こんなふうに、小学生だった時に用意してもらったおやつのことは、 においやその周辺の空気感と一緒に、ずっと記憶に残るものだと思う。。 おとなになって、ずっとずっと年をとって、 「あの時、学校から帰って食べたおぜんざい、おいしかったなあ。。」と、 彼らが思い出すところを想像して、胸がきゅんとした。 その時にはもう、その時間に、手は届かない。 まだこの年齢の子どもたちに、においのあるおやつを並べてあげられる幸せ。 わたしはもう、ずっと仕事で留守だった母の、おやつの記憶が欲しくても取り戻せない。 時間は「今、この時」しかないのだと、そう思うにつけ、 今、できることをする大切さ、それが許されるありがたさを、しみじみとかみしめる。 「街の灯」 2/18 雨のいちにち。 どうしようもなく沈んだ気持ちでこたつ布団に埋もれていたら、 ビデオデッキの録画待機ランプが点滅している。 何を録ってるのかなあとテレビをつけてみたら、チャップリンの映画だった。 消す元気もなく、転がったままじーっと観ていた。 次の動きもせりふもだいたい覚えているのに、なぜだろう、、、やっぱり笑える…。 元気がないからか…ちいさな笑いも、いつも以上に心に染みてくる。 そして、音楽もまた。 ひきずられるようにでも笑うことができたら、 ちいさなエネルギーが湧いてくる。 こうして生まれたちいさな元気を種火にして、今度は何かに、ちいさなお世話をするのだ。 そうしたら、大きなエネルギーが湧いてくる。自家発電できるようになる。 実はエネルギーはもらうものではなく、自分の内に、尽きせぬ源泉がある。 それをことばでなく、感覚で深く理解することができる、力を失った日々。 そこには、なんの無駄もない。 今月のカレンダーより "Our heart is our life's energy." ゆきだるまくんのかつやく 2/15 一昨年だったか…ここに、登場しましたね。 彼は冬のあいだ、とってもがんばっているんですよ。
ただいま晩酌中。 黒いぼうしをとった煙突のような頭が、プリティーです。
摘果きゅうりをぬか床に入れてみました。 ミニサイズなのでとても食べやすいうえ、味がよく染みて美味。 そのままぽりぽりかじれます。 冬はかぶや大根が主ですが、これもかわいくておいしいね。 新顔はっけん! 2/15 朝、紅茶に入れるしょうがをすりおろそうとして、見つけてしまいましたっ。
新顔、「しょうがのしょうたくん」ですよ〜。 高知園芸連の商品は、いつも目を光らせているんですけどねえ。 なかなか、出会いが気まぐれなんですよねえ。 ひさびさの新顔に、ほくほくの朝でした。 今後とも、よろしくお願いします。(?) お日さまにむかって 2/14 球根たちの芽が、次々と顔を出しはじめました。
暖かい窓辺で、すくすくと。 土のおふとんをむくむくと持ちあげて、お日さまにむかって。 ちゃんと、自分が向かうべき方向を知っている。 植物の生きるすがたは、シンプルに、いちばん大切なことを教えてくれる。 ただ、そこに在ること。 神さま(自然の摂理)にこうべを垂れ、祈るように生きるということ。 そのなかで、自らのいのちと使命を、全うすること。 ただ、淡々と。 いつか木になりたい、と思うのは、植物たちの、 「与えられたいのちをせいいっぱい、在るように生きる」すがたが、 いちばん尊く、美しいと思うから。
焼こうと思って買ってあったクリームチーズで、チーズケーキを焼きました。 お菓子とパン作りのHPをやっていた頃、 そこで知り合った方に教えていただいたレシピで。。 優しい方でした。料理ノートに貼ってあるメールを読みかえして、あらためて思います。 今はどうしていらっしゃるか分からないけれど、 笑顔で過ごしておられるといいな、、、と思いながら、ケーキを焼いていました。 こんなふうに誰かとつながっている不思議と、幸せ。 そんな、バレンタインデー。 ちょっとお出かけ 2/11 昨日の買い物帰り、久しぶりに覚王山に行きました。 オットーが妙に強く、行こうと誘うので…。 (彼らは先々週も行ったのです、実は。。) 彼らのめあては、日泰寺参道にある、とある洋菓子やさん。 年末に、みやげもの売り場で偶然出会った、ラスクのとりこになっていたのです。 その名も、「名古屋りゃスク」。(笑) プレーン・塩キャラメル・フランボワーズの3種類が入っています。
高級洋菓子店が作るものですから、ラスクのお味は上品で・軽く・食べやすく、 「まんじゅうか・せんべいか!」と、甘・辛に偏りがちな点が悩ましい土産品に、 新風を吹きこんでくれたのが、気に入った大きな理由。 パッケージのデザインも我が家ごころをくすぐる、なごやんのキャラクターが勢ぞろい! (右上から…はち丸、かなえっち、だなも、エビザベス…) 「これ、ええやん〜」と、すでに山のように買い物かごに取りこまれていた○角のおせんべいを、 棚に戻したことは、言うまでもありませぬ…。(←みやげもの売り場にて) 洋菓子店を出て、同じく参道の並びにある「えいこく屋紅茶店」へ。 子どもが生まれる前、それから友達が来てくれた時に来たけれど、ほんとに久しぶりでした。 名古屋では有名な紅茶やさんです。 わたしはどちらかというと、香りづけされた繊細な紅茶より、 土の香りがするような、どっしりとした(ボディが強い、って言いますね)紅茶が大好き。 大阪で、機会あらばいつも寄る紅茶やさんもそんなふうですが、 ここもそんなイメージに近い紅茶をたくさん扱ってくれています。 インド、スリランカ、ネパールなどでの現地買いつけ。 他にも、ハーブティーなど種類がたくさんあって、しばし、店内を楽しむ。
そして、アッサムCTCとロータスティーを選びました。 毎朝飲んでいるしょうが入りのチャイ用の茶葉と、 昔々、名古屋の友達にすすめてもらったケーキ向きのお茶。 これ、、、初めて買った〜。12年の時を越えて…。 外に出たら、すっかり日が暮れていました。 参道に並ぶお店の明かりが、とてもきれい。 知らないうちに、好きな食器やさんの、業務用ラインの店舗もできている! 美しい、真っ白な食器たちが、暖かい色のライトできらきらしていました。 マッチ売りの少女みたいだなーと思いながら(笑)、参道をあとにしました。 また来よう。梅花堂の鬼まんじゅうも食べたいし。 ・・・って、食べることばっかりかい!
これはわたしが行かなかった時に、オットーと子どもたちが買ってきてくれた紅茶。 ミルクティーにはどれがいいか、お店の人にきいて、選んでくれました。 ミッフィーか、ピーターか…迷うしあわせ。 今日は、ピーターで! ポトスのしずく 2/9 気にしていると、時折、ポトスのしずくができていることに気がつきました。
朝見かけて、夕方には消えているしずく。 きっと夜のあいだに、ひっそりと呼吸をしているんだなあ…とおもう。 そして、出会う日・出会えない日があることが、やっぱりとても不思議です。 今年のおみそ作り、初めて別ページにまとめてみました。 なごみポケットの中に、しまってあります。のぞいてみてね。 心の庭にあそぶ 2/8 じゃじゃん!ショコラーシカちゃんに今年、妹ができました。 なんとふたりも。
そして、それぞれの名前もわかったのです! 「お花を見ている時がいちばん幸せ こころやさしいエリーナ」 「森の動物と遊ぶのが大好き ちょっぴりおてんばターニャ」 「果物のいろ、かたち、香りにうっとり くいしんぼうジャンナ」 (↑姉妹の洋服の絵柄に注目ですっ。) よかったねー。窓辺が一気ににぎやかになりました。 五感をとおして心に入ってくるものしだいで、 気持ちが変わり、行動が変わり、自分を統べる世界が変わる…。 植物の生きているすがたや、粉から成長していくパン、 そしてかわいらしいショコラーシカ姉妹を見ていて、あらためてそう思います。 自分の心を、何で埋めるかということはとてもたいせつなこと。 自分の力でどうにもならないことや、 社会のいろんなできごと、暗いニュースで心を埋めて、なんになるというのだろう。 埋めたもので自分の周辺がコントロールされていくというのに。 自分で制御できるものは、自分の心だけなのだ。 それなら、できるだけ好きなもので埋めておいたほうがいい。 自分の心の庭なのだから。 美しい植物を、たくさん育てよう。 自分の心を、自ら汚すことなかれ。 特に集中して見る映像は、心に強い印象を残します。 なんでも真剣に観てしまう性分ゆえ、、、 目から勝手に飛びこんでくるテレビはつけっぱなしにしないで、 自分の心が喜ぶものを選んで、つけるようにしている。 ニュースもさらっと、知っておく必要以上には、見ない。 不安になったり、悲しくなったり、やりきれなくなったり。 無意識の層に、そんなマイナスの感情を不必要にためこまないためにも。 選んだ番組を見たら、「ぶちっ。」が基本。 そんなふだんなので、長くテレビがついていると、疲れてくるのに…。 ・・・今週は有料チャンネルが、無料放送期間で。 懐かしい、胸に染みるドラマをやっていて。 夜のテレビ、、、消せない状態…。 好きなものといっても、見つづけると、疲れてくるのに!! 消せない…。 頭のなかでは、ドラマの世界が、複数ぐるぐる…。 現実がどっちか、わからないくらい…。 ループにはまってしまってます。 おかげで心が懐かしい気持ちでいっぱいになったから、 これでよかったのかしらん・・・。 ・・・心の庭はたいせつ、というお話でした。 説得力…あった?(笑) 育ちゆくものたちの力 2/6 雨のいちにち。 久しぶりに、プルマンを焼きました。 我が家の愛称、「でんしゃのパン」。
最初の計量時は気分ものらず、のそのそと時間がかかり、 ほんとに焼けるかなと思うくらいだったのが、 こねあげ温度を計り、発酵の面倒を見はじめたあたりから、 ちょっとずつ、いつものペースを取り戻していきました。 およそ3時間半、パンが焼きあがる頃、少し元気になった自分を発見する。。 そして、きつね色に焼けたパンと対面した瞬間の高揚感、達成感、喜び。 その時々の生地と対話しながら、いちばんいい段取りを考えながら、 焼きあがるまでのお世話をしていると、いつのまにかエネルギーが戻っているみたい。 不思議だなあ… 時間とともに育ちゆくものがくれる、大きな力にあらためて脱帽です。 そして、パンを焼くことは、何よりの心のリハビリかも、と気付く。 (計量にとりかかれるようになるまでが、山ですな…。)
そしてこの子からも。 ゆっくりと、じんわりと、同じ力をもらっています。 ポトスのしずく 2/4 どんより気分の朝。 ふと目をやったポトスの葉っぱの一枚に、しずくが!
めったに見られない(特にこの季節…)ポトスのしずく。 それもなぜか、ハート型の葉っぱにできていて。 ポトスがわたしと一緒に泣いてくれたような、 そんな気持ちになりました。 いつものひそかなしあわせは、 心に寄り添うちいさななぐさめともなる。 ちいさなしあわせを、いつももっていること。 とってもたいせつなことだと知りました。 ちいさなほころびとちいさなきぼう 2/3 どうにもこうにも、身動きできない時。 自分のせいで、自分が動けなくなる時。 大きな何かに呑みこまれ、力を奪われて、どうしていいかも分からなくなる。 力なくしゃがみこんだところに、土だけの鉢があった。 秋に植えそびれた球根のてっぺんに、きみどりがのぞいているのを見つけ、 このままでは枯れてしまうとあわてて植えたのが、10日ほど前のこと。 まだまだ上には出ないだろうと思いながらぼんやりのぞきこんで、 あっと息をのんだ。 ちいさなちいさなきみどりの芽がひとつ、 鉢のすみっこで、土を頭にかぶってのぞいていた。 わずかな期間に、見えない土の中で、寒さの中で。 少しずつ少しずつ、上へ上へと手をのばしていたんだと、胸が熱くなった。 「どんな時だって、僅かな救いは必ずあるものなのだ。」 ふと浮かんだ、『ガラス窓…』のこの一節。 ・・・どの章にあったかも、忘れてしまったのに・・・ ここまで書くのにさえもがくほど、ちいさなほころびをもてあましながら、 伸びようとするいのちと、それを伸ばしたいと思ったわたしのこころが育てた、 ちいさなきぼうの温かみに、深く、慰められている。 如月・衣更着・木芽月 2/1 2月はけっこう好きだということに、突然気がついた。 窓から差し込む光が強く、高く、長くなって。 それを教えてくれるかのように、植物たちが季節の準備を始める。 クリスマスローズの白いつぼみがふくふくと上がってきて、数が数えられるくらいになり、 今まで見えなかったジャスミンの赤い花芽も、すくすくと伸びてくる。 川べりの桜の、固いつぼみがふくらんできたのも、はっきり分かる。 まだ厳しい寒さのおかげで、そんな微かな春の兆しに敏感になれるうえ、 春本番ほどには、日々の予定も慌しくなく。 季節の移り変わりを感じる心の余裕が、反比例して、その頃よりもずっとある。 本格的な春の訪れの準備期間。 寒さの水面下で、着々と。 |
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