カルビー、UCCから思うこと 8/30 夕べ録ったビデオを見ようとたまたまつけたテレビで、工業と農業の共生について特集していた。 取り上げられていたのは、カルビー。 じゃがいも農家と契約を結び、契約農家同士が競争でよいじゃがいもを作る。 その結果、以前Bランクだったじゃがいもが、Aランクになり、売価が上がったという。 そのじゃがいもを、カルビーが買い取り、製品にする。 意外なことに、わたしたちがふだん調理に使うじゃがいもより、 ポテトチップスになるじゃがいもの方が単価が高く、よいいもなのだという。。 契約農家の8割近くが、「カルビーと契約を結んで収入が上がった」と答えており、 冬の出稼ぎをせず、その間、海外の農業の視察にも出られるようになったそうだ。 工業と農業が結びつき、よい結果を出した例、として、紹介されていた。 カルビーは、じゃがいも買い取り専用の子会社を作っており、 そこが企業と農家との折衷をする。 マニュアルどおりに進めるのであろう企業と、 天候次第で左右される、自然が相手の農業と、 言語の違うふたつの分野を、結びつけるための工夫をしたことで成功した、と識者が語る。 この工夫がなく、企業が直接農業に参入して、失敗した例も、数多くあるとのこと。。 2005年の「種芋事件」についても触れられていた。 発芽抑制剤の使用制限があるなか、一斉に芽が出るたねいもをどうすればいいのか。 その「発芽しない」たねいもがあったから、生産者が守られたのだ、と農家は語る。 マスコミ、社会が「法律違反」「食の危険」と批難する背景には、そんな事情があったのだ。 一年中安定してスーパーで買える、食べられるポテトチップスの背景に、 じゃがいも農家と企業の、そんな苦労があっての事件だったということに、 消費する側の大半の人々は、気付いていない。。 言ってみれば、消費者の要求どおりに供給するため、施した手段ともいえるのに。 最近のこの手の事件のほとんどが、怪物になった消費者のせいなのだ、ということに気付くたび、 恥ずかしい気持ちでいっぱいになるのです。。 わたしたちは、目にしている、手にしているものが、 どこからどんなふうにここまでやってきたのか、 どんな自然の力があったのか、どんな人の努力と工夫があったのか、 すべてを知ろうとせず、目の前にあるものだけを見、価格で価値を判断し、消費し、捨てていく。。 また、その行く末を知ろうともせずに。 いつもスーパーで見かけては、買いたいなと思っていたコーヒーがありました。 でも、少々価格が高め。 なかなか手が出なかったのですが、先日、思いきって購入。 淹れて飲んだついでに、メーカーのホームページを何気なく開いてみました。 UCCが、海外に持っているコーヒー農園のうちのひとつで生産された、このコーヒー。 その農園を開業するまでの長い苦労、創始者の思い、畑の特徴、コーヒーの木の生態、 コーヒー豆が生産されるまでの過程、メーカーだけのコーヒー豆を選別して詰めていること。。 知らないことだらけ。 ここにやってくるまでに、これだけのものを背負って現れる製品。 しかし、消費者であるわたしたちは、それを、価格でしか判断しない。。 流通というしくみのなかで、わたしたちが見失ってしまったものは、 とてつもなく大きなもののような気がする。 以前にも書いた気がするけれど、生産することができないわたしたちなのに、 製品や企業に対し、どうして意見や批判ばかり向けるのでしょう。 もっと謙虚に、生産者に寄り添う消費者であらねば、とおもうのです。 あの後、『リンゴが教えてくれたこと』を読了し。。 " わたしたちの体には、米粒ひとつ、リンゴひとつならせることはできないのです " ということばに、衝撃を受けつつ、深く同意しています。 実らせてくれる稲や、木や、土への感謝。 こうして抜け落ちてしまったものが、わたしたちの食や、生活、環境の危険を招いたのです。 2月放送だった『森のラブレター』という番組のビデオをあらためて見返して、 百年、千年のスパンで、いのちの連鎖を考える目を持たなかった自分に愕然とし。 もうわたしは、人間をやめて、ブナの木になって光合成したい。 と、そんなことを思っているこのごろです。。 「土を作る」 8/30 月下美人の彼女と語り合ったこと。 お互い、ゴーヤの実がいくつなった?!の話から・・・ 彼女は10個くらい、わたしはみっつ。(笑 しかも、1個しか食せなかった。) 彼女の実家、お母さんのプランターで育ったゴーヤは、葉をいっぱいに茂らせ、 実も、とても立派なものがどんどんできているのだそうです。 「やっぱり、土だよ。土がよければ、たくさん葉も茂るし、実もなるんだよ。」と。 石灰や肥料のことを、あれこれ話し合う。・・・本当に、貴重な友だ。(笑) 数日前、立ち読みした本にも、同じことが書いてあった。 今話題の、『リンゴが教えてくれたこと』。 健康な土を作ることが、健康なリンゴの木を育てるのだ、ということ。。 これらを思い重ねて、それは、「ひと」も同じ、とふと思った。 よい土壌、自然の健康な土で育つことが、ひとのからだにも、こころにも、 一番大切なことなんだ、と。。 それは、子どもにかぎったことではなく。 おとなもまた、然り。 ・・・おとなとは、なに? 年を重ねるごとに、おとなって、なに?という疑問が浮かんでくる。 わたしはもう、おとな? 年齢の上では、充分におとななんだろう。 けれど未だ、道の途中。果ては見えない。 情けないような気持ちになることも多いけれど、 死ぬまで、永遠に成長する可能性を秘めた、「子ども」でありたいとも、、、願う。 そのために、自分の土を、土壌を、耕しつづけなければ、とも。 スペシャルおべんとう 8/28 本日パン教室のため、坊たちにお弁当を作り、学校に行かせる。 たまにはね。。学校に行くのも、いいもんです。お友達もいるしね。わたしもね。(笑) 前日に明日のお弁当の話になって、大きい坊ちゃんが突然、提案した。 「ままー。おべんとうに、ごはん、おにぎりじゃなくて、そのまま入れてくれない?」 「たまには、おにぎりじゃない、売ってるお弁当みたいなごはんがいい。」ですと。 ・・・待ってました!(笑)その、ばらごはん提案。ラクちん!! でも、、、今までも何度もやってみようと思いながら、なぜか、やらなかった。 わたしの中ではなぜか、子どもたちのお弁当にはおにぎり、という思いこみがあったのです。 それが、坊ちゃんの提案を受けて、はっと気付いた。 わたしのお弁当は、自分で作っていたので、朝、時間がなく、必ずばらごはんでした。 ばらごはんに、ごましおふって、梅干し。 だから、そのごはんが、今も苦手です。おいしくないごはんの、代表なんです。 塩がきいた、のりが香ばしいおにぎりは、遠足や運動会だけの、スペシャルなごはんでした。 おにぎりはわたしにとって本当に、特別なごはんなのです。(今でもね。) してあげられる今は、絶対にそっちがいいんだ、と、 子どもたちのお弁当はおにぎり、と思いこんでいたんだけれど。。 「いつもおにぎり」の坊たちには、逆現象が起きたのでした。 そのことに、深い感慨を抱きながら。。 朝いちばんに炊けたごはんを、ひとつは、ごましおふったばらごはん、 もうひとつは、醤油をたらしたのりをはさんだ、のりごはんにして、 初めての、坊たちの「ばらごはんべんとう」を作ったのでした。。 坊っちゃんたち、おべんとうだった時は必ず、 食べ終わってすぐに、わたしの携帯に電話をかけてきます。 「ままー。おべんとう、おいしかった。」とまず言ってから、 「ミートボールの下のやつ(紙カップのこと)、じゅんはトースターやった。」と絵柄を報告し、 「いちばん好きなさつまいものおかずは、最後に食べた。おいしかった。」と言う。 次、小さい坊にかわったら、 「ままー。いじゅは、チューリップやった。」と、また紙カップの絵柄の報告。(笑) ずっと一緒にいると、つまらないことで叱ったり、いらいらしたりすることもあるけれど、 たまにこうして離れて過ごすと、 そんな小さなものを喜んでくれる坊っちゃんたちに、愛おしさが胸いっぱい、こみあげてきます。 まだまだかわいい今を大事にしないとな。とも、あらためておもうのです。 それにしても、わたしにとって、おにぎりが入っているのはスペシャルなおべんとうだという、 無意識のうちに刷りこまれていた感覚に、驚かされたできごとでした・・・。 ムクドリの生態 8/27 夏の終わりにして、すでにムクドリの家と化している、我が町の駅前通り。 夕方ともなれば、電線が真っ黒になり、 きゅるきゅる一斉に声がひびきわたる・・・いったい、何の音かと思うほど。 夜になれば眠っているのか、静かーに、しかし、びっしりと黒い影。 電線に、とまったままなのです。。 夜の買い物に出かけたときの会話。 「夕方になるとこんなにおるのに、、昼間はおらんねん…」 「昼間ー、どこ行ってるんやろうな?ムクドリは・・・」 真剣にそんなことを語り合っている、自分たちが可笑しくて、思わず噴き出してしまったよ。 ムクドリたちよ。。きみたちはやはり、すでに我が町の家族なのかしらん。 夕空晴れて・・・ 8/23 みんなそれぞれに、予定を過ごしたいちにちの終わり。 ちょっと疲れた気持ちで、死んでしまったカブトムシを埋めに行き・・・ 帰り道、夕日がとてもきれいだったので、電線のない高い場所を求めて車で走る。 たどりついたのは、ふた駅ほど向こうの、小高い公園。
日暮れ前の明るい空も美しく、雲も美しく。 日没直前の空の、さらに美しいこと・・・西は夕焼け、東は夕映え。 「おかあさんといっしょ」の、「バイ・バイ・バイ!」という歌をふと思い出し、口ずさむ。 いちにちが終わる。。この夕日は、今ごろ、どこの国の朝日になっているんだろう。 やさしい夕風に吹かれて、電線のない広い空を見ていると、 旅に出たときのような、すがすがしい心持ちになった。 少し疲れた心から、ほっと力が抜けていきました。 風も空も、もうすっかり、秋の気配でした。 最近ふと思いたって、しばらく忘れていた空の写真を、ちょこちょこと撮っています。 空を見上げると、忘れていた大事な感覚を取り戻す・・・そんな気がして。 『同窓会』 8/19 昨夏公開だった映画のDVDを観ました。 なんとなく、知っていたのを、レンタルやさんで見つけてふと借りてみたのですが。 思いがけず、とてもよかった。 回想シーンと、現在とが交錯しながらストーリーが進んでいき、 後半、怒涛の展開で、笑えるやら、泣けるやら。 青春時代の回想シーンの、若人たちの初々しさが微笑ましく。 細かいことはさておき、分かりやすい物語で、役者さんたちのお芝居も胸にしみて。 オチが二段で用意されているのがまた、面白い。 また、せりふのなかで、構成上シャレっぽいものもあり。 最後には膝を打って、「よかった!面白かった!」をひとりで連発していた、わたくしでした。 監督・脚本・主演の宅間孝行さん=今期のNHK朝ドラ「つばさ」のマナセさん。 そして、永作博美さん=12年前のドラマ「青い鳥」を見返した後だったので、 共通する「初恋」「耐え忍ぶ」イメージがかぶってしまい、せつなさ倍増・・・。 これがまたうまく、まとめてるんだなあ。 楽しめる佳作でした。 地下鉄アナウンス 8/18 先日、満員御礼の水族館に行ってきた坊っちゃんたち、 水の生き物たちのぬいぐるみを連れて、ソファで電車ごっこをしています。 みんなを連れて、遠足?に行く、自分たちは引率の先生、っていう設定らしいんだけど。 この、乗っている電車のアナウンスが、いつも乗る地下鉄のアナウンスにそっくり。 ついでに、地下鉄の発車〜走行の音も口でまねてるんですが(笑)これまたそっくり。 殊に何が可笑しかったかというと、次の駅の名前を、英語で案内するところ。 小さい坊が、「でくすてしゅん、かすてらのーくーにー」と、架空の駅名を、英語発音で言うんです。 「その英語なにー?!」ときいたら、「わからへんから、てきとう。」だって(爆笑) この言い方が可笑しくて可笑しくて、帰ってきたオットーの前でやってもらったら、 「『ネクスト・ステーション』やな!すごいな、耳いいな!」と大感心してました。(笑) そうか、ネクスト・ステーションか! それが分かって、わたしは再び、大笑いさせてもらいました。。 スケトルン? 8/14 ちらしを見ていた大きい坊ちゃん、 「この、スケトルンのおもちゃほしいわー。」と。 「スケトルン?」 ・・・・・ なんだろうと考えて、ちらしを見て、大笑い。 それは、「スケルトン」でした。 確かに…イメージは、「透けとるん」だね。(笑) 数日後、学習雑誌を読んでいた坊ちゃん。 「ステレンスのボウルに、ジュースを少し入れて。。」 「ステレンス?」 ・・・・・ 科学の実験で、シャーベットを作る方法だったみたいなんですが。 スケトルン と ステレンス。 本人は大まじめで、しれっと言うので、笑えて仕方ありませんでした。 思えば、私も未だに間違えそうな、子どものころの勘違いことばって、あるな。 仏性 8/9 お坊さんが、なぜ出会ったひとに対して合掌するのかというと、 そのひとに中にいる、仏さまに手を合わせているのだという。 どんなひとの中にも、仏がいるということを、 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)というのだそうです。 だから、周りのひとたちの仏性に手を合わせましょう、 相手の仏性に焦点を合わせれば、自分の中の仏が応える、と。 そんなような話を以前寂聴さんの本で読んで、ものすごく納得した。 好きな人になら、自然にそういうやりとりができているのだろうけれど、 なかには、苦手な人だっている。 そんな相手にも、好きな人に対するのと同じように、接することができたら。。 もしかしたら、本来の解釈とは違うかもしれないけれど、 「相手のいいところを見ましょうよ。いいところを見てつきあえば、、、」という、 さだまさし氏のことばとも相通ずる気が、するのです。 そんなことを思う事件(?)が、ここ数か月、そして数日で、いくつかありました。 そのことばを忘れていた最近、友達から、「あんたこないだ言ってたやん」と言われ(笑)、 はっとすることも、ありました。 で、忘れないように、書いておこうと思ったわけです。 それはわたしが、「私の空」と呼んできたものかもしれない、とふと思った。 何にも揺るがないもの。わたしの、ゼロの地点。 その発見を書いたのが、詩集のラストに置いた、「経る時」なのだ。 ・・・これがわたしの本質であり、祈りであり、吐き出された膿でもある、と、 これを見つけた以上、何にも揺れなくていいのだ、と、 当時の日記に、書かれています。 それでも、忘れ、傷つき、見失い・・・ 道標を失くすことも、往々にして、あるのです。 進歩しないけど…あせらず、のろのろとでも、歩いていくために。 時折、思い出したいこと。 ・・・凡夫ですから。 パズル・その後 8/6
完成!!!!! 枝豆収穫祭? 8/5 小さい坊ちゃん、学校の生活科で、枝豆を育てていました。 一学期の終わりに鉢を持ち帰り、夏休み中にとれた実は、収穫して食べましょう。とのこと。 そのお料理の絵か写真をつける、宿題のページもあって。 黒くならないうちにと、そろそろ収穫することにしました。 豆がまだ薄いものは、残して。
この枝豆を、さっとゆでて、さやから出したら、正味16g。 うちにあった、宅配の枝豆10gをたして、パンを作ることにしました。 生地にごはんが入るレシピで、なかなかおいしそう。 パズルしながら、3時間。
枝豆とチーズのもちもちパン、できあがり〜。おいしっ。 真夏日 8/4 じとじとしない、お日さまの照る真夏日。 同じ真夏日でも、やっぱりこっちがホンモノかしら…。 昨日のつづき? 今日はソファカバーを洗い、ラグを洗いました。 次々乾いていく感覚・・・すっかり忘れてました。 ・・・・・ 先月末から、『火の鳥』を読んでいました。(黎明編・未来編・乱世編上下) いろんな時代が舞台なので、心も一緒に時間をさまよった感じ。 繰り返される戦い、いのちのはかなさ、それでも受け継がれていくいのち。 それこそが、火の鳥なのだろうか…そんなことを思い。 天体を見ることや、カブトムシを育てることや、植物の手入れをすること。 そんななかで感じることと、同じものを作品の中に見つけた気がします。 梅雨明け 8/3 1週間、降り続けた雨。 今日だけ晴れて、明日からまた雨の週間予報。 ここしかないっ!とばかり・・・それでも、そんなにやる気があったわけでもないのに。 いちにち、よくはたらきました…。 リビングのレースカーテン洗濯、出窓掃除、窓みがき。 シーツ枕カバーパジャマ洗い、布団干し。 午後から、ぼうぼうに茂ったラベンダーの刈り込み、ラビッド系ブルーベリーの剪定。 3日に分けてやる仕事を、まとめてやったな…。 そしたら、今日で、梅雨明けですと。 明日も、晴れなんですと。 ・・・・・。 雨の日は・・・ 8/2 旅から戻って、また雨、雨、雨の日々。。 旅先で買った、こんなものに、ただいま夢中。
「ハイジの村」で買った、ハイジのパズル。 パズルに集中するなんて、子どもの時以来のような…。 淡い色調できれいな絵柄を選んだのだけれど、そのぶん、難しい…。 しかも、雨の日に向かないっ。(笑)照明つけてやると、とっても目が疲れる。。 子どもたちも、小一時間で別の遊びに移行してました。(笑) ・・・ま、気長〜に、まいるといたしましょう。 ズッキーニ 8/1 トップページの写真を替えました。 写真集に移動したブルーベリーは、我が家の今年の実りです。 「慈雨」というタイトルは、あの写真を使ったときに決めていたのでしたが、 なんのなんの! 慈雨なんて、甘い雨ではございませんでしたことよ。今年の、梅雨は。。 雨を覚悟で、2日間、おでかけしていました。 期待どおり???星は見えませんでした・・・(涙) いいんだー。日中、だいたい晴れてたから。。 泊ったペンションで、自家製のお野菜を、たくさんいただいて帰ったのでした。
その中でも、珍しく、とてもうれしかったのは、ズッキーニ。 畑も見せてもらったのですが、ズッキーニって、ほんとにでかい! ひと株が、ばさーっと、お化けのように畑を陣取っていました。 その節々になる、大きなきれいな実。 いただいたふたつのうち、大きいほうを、さっそくラタトゥイユにしました。 たっぷりのズッキーニと、たまねぎ、なす、ピーマン、トマト・・・なんてぜいたくなんでしょう。 冷蔵庫でよーく冷やして、いただきまーす。 |
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