あと(あ)がき




庄内川は、名古屋市の西部、中川区を流れる一級河川です。
それを横切る近鉄電車の八田〜伏屋駅間に、
毎年数十万本のコスモスが咲き乱れる河川敷がありました。
その時期になると、小さな橋のたもとで渋滞が起き、
わずかな駐車場は、必ず満車になりました。
名古屋に住んで最初の秋、新聞でそのことを知った私は、初めてそこを訪れました。
そして、それが最後となってしまったのです。
翌年の秋は、帰省出産のため長期で名古屋を留守にしていました。
さらにその翌年には、コスモスの開花を待たずして、
あの東海豪雨がこの地を襲ったのでした。

そして、豪雨の翌年…
コスモス畑を見たいと言った古い友人に、場所を伝えたのですが、
彼女が探した限りでは、見つからなかった、ということでした。
いろいろ調べていくうちに、やはりあのコスモス畑は豪雨で全滅したということ、
あの場所は緑地公園になったということ、
けれどあのコスモス畑を今も心にとどめて、
たくさんの人が記録に残している、ということが分かってきました。

中でも、涙を誘った記録がありました。
あの豪雨の後、電車から見下ろした河川敷に、
ぽつぽつとピンク色の花が咲いていた、というのです。
当時、地元新聞にコスモス全滅、と報じられながらも、
そうして咲こうとしていた、コスモスの強さに、私は感動せずにいられませんでした。
この記録を読む数ヶ月前から、あのコスモス畑のことを書いておきたい、と
あるラストシーンを書いて放ってあったのですが、
ここで、このラストシーンに向かってゆく物語がはっきりしました。

東海豪雨からまる二年が過ぎた、というニュースを見た日、
あのコスモス畑が頭をかすめ、なんとしても今、
これを書き上げておきたいと思ったのです。

懐かしい、忘れ難い、生徒たちが登場してくれました。
あの日の彼らは、今も私の心の中にいます。

そして啓子先生、物語の中でもやっぱり、あなたは素敵な先生でした。
ゴミの分別から安いお店まで、地元のことをなんでも
私に教えてくれたのは、啓子先生。
またおいしいお野菜持って、ゴハン食べにきてくださいな。


もう記憶の中だけでしかない、あの素晴らしいコスモス畑を、ここに。



                        2002年9月24日   草野 あずみ




庄内川河川敷より、近鉄特急をのぞむ





庄内川と約7000uにわたるコスモス畑



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