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随想ノート 5



そふぃーちゃんのぱん・その後(2003/1/13)

 冬休みが終わる前にと、小学校の先生をしている友達を、我が家のおなべに誘った。ささやかな新年会だ。例の如く、自家製のおいしい冬野菜をどっさり持って、そして、あの「そふぃーちゃんのぱん」のおはなしが入っている、「フランスのおはなし」(やはり第4巻だった)を持って、彼女は現れた。
 数年ぶりに見る本を、数十年ぶりにちゃんと開いて読んでみた。あるある。記憶どおり、最初のおはなしだ。「ソフィーのいたずら」。これが正確な題名で、「1 びしょぬれ」「2 くりーむとやきたてのぱん」の2本だてになっていた。どちらも、題名そのまんま、ソフィーがいたずらをして、ママに叱られるという筋立て。叱られた顔はやっぱり、なんともいえないしょぼくれ顔・・・。
 「1 びしょぬれ」は、お友達のカミ−ちゃん(このネーミング・・・)の髪の毛のように、自分の髪も縮れさせたくて、雨の日、ソフィーが雨どいの雨水を頭からかぶる。タオルでごしごし、ぼさぼさに拭いてみるけれど、髪が縮れるどころか、パパといとこのポールに笑われ、ママには叱られて、部屋の隅でしょんぼり・・・という内容。雨で濡れてどろどろになった洋服に、懐かしさがこみあげた。強く心に残っている絵だ。
 「2 くりーむとやきたてのぱん」(この本、ひらがな書きの本文に、かたかなのルビという不思議な構成・・・)は、お手伝いのリュシーが、焼きたての黒パンとクリームをおとなりのおばさんからもらう。それを見ていたソフィーはリュシーに「おなかがすいた」と訴え、大きなパンと大量のクリームを全部たいらげてしまう。ご機嫌だったがそのうち気持ちが悪くなってママにばれ、いちご狩りに連れていってもらえなくなるし、ひと晩腹痛でうんうんうなるし、「くろぱんとくりーむはもうこりごり。」という内容。これはやっぱり、先に書いたあのパンのふわふわした輪郭が、忘れがたく、懐かしかった。
 目にした瞬間、遠い過去の記憶がはっきりと目の前に現れた感激、そして病院で見たあの絵本、『いやだ いやだ』と印象が一致した感激、が同時に走った。
 この童話集の初版発行年月日、1970年6月。『いやだ いやだ』初版発行年月日、1969年11月。せなけいこさんはこの『いやだ いやだ』『ねないこ だれだ』を含む全4巻「いやだいやだの絵本」で、1970年にサンケイ児童出版文化賞を受賞している。時期的な一致を見て、やはり、そふぃーちゃんを描いたのはこの人だ、と確信を深めた。いや、これは理屈の部分で、もう、「ソフィーのいたずら」を読みかえした時に、間違いないと思った。
 童話集のあとがきを見、もくじを見、あちこち開いて探してまわり、最後に「ソフィーのいたずら」本文の題名の下に、画家の名前を発見した。
 原作=ソフィー・ド・セギュール。絵=瀬名恵子。文=那須辰造。
 幼い頃から何度も読み返した、大好きな絵本。無垢な目でながめていたその絵に、30年の歳月を経て、同じ画家の同時期の作品を介して、再び出会ったのだ。
 本とはなんと素晴らしいものかと、心から感じた、一期一会の出会いであった。



「シリウス」(2003/1/4)

 新しい詩を書いた。「シリウス」という詩。題名はともかく、これを書いたことで、私の中の何かが震えた。
 作品の書き方にはその時々で、いろんなパターンがある。だだだっとことばが向こうからやってきて、一気呵成に書き上げる(というより、何かに「書かされる」)場合、ほとんど推敲の余地はない。それで見事にまとまってしまう。(人様から見たら、そんないいものでもないだろうけれど、私としては。)「よし」という段階が早く訪れるのである。
 また、書こうとするモティーフやテーマがばらばらにあり、放っておくうちに、ある時、それらが不思議に一直線につながって、作品となる場合もある。このパターンは、先の例ほどではないが、ある程度ことばがまとまっていることが多いので、少しいじるうちに、「よし」となることが多い。(ただし、この「よし」が、一番中途半端な妥協点になるパターンでもある)
 それらに対し、感じたこと、自分の中でうずくまっていることを、それを表現しようとすることばと戦い、或いは肩を組み、ああでもない、こうでもないとねじまわす時、例えようのない苦しみがそこにある。しかし、苦しいながらもそれが何物にも代え難い喜びでもあり、それが詩を書くことを辞められない理由のひとつなのだと私は思う。
 この詩は、後者である。自分の中にうずくまっている感情を、どんなバランスで表現するかということを、実に苦しんで苦しんで、書き上げた。ある方向に偏りすぎてはいけない。そうすると、本当に言いたいことが消えてしまう。或いは、違ってしまう。助詞の一字ですら、それががくっと傾くのだ。そのバランスを慎重に慎重に図りながら、切り貼りし、削り、書き足し、また入れ替えて・・・と、いじくりまわし、もうこれはやめ、といったん捨てかけた時に、「よし、これだ」というところに行きついた。詩の中の、ある重要なことばがぽんと出てきた時だった。そしてその時、何だか分からないが「詩を書きたい、もっと書きたい」という、突き上げるような衝動が訪れたのである。
 飽きっぽい性分ゆえ、どこまでそれが続くやらという冷静な自分もどこかにいるが、やっぱり書きたいという思いの火は、考えてみればもう二十年も、消えてはいない。

 期待しないで、期待していてください。



母の爪あと(2002/12/30)

 年賀状の宛名を書いていると時折、まだ真っ白のはがきに、母の爪あとが見える気がする。
 それは小学校低学年の頃だったろうか。
 年賀状の表書きをする時、住所はこのあたり、名前はこのあたり、という位置を私に教えて、母は親指の爪でぐっと縦に線を引いたものだった。そしてできた浅いくぼみを頼りに、そこだけ鉛筆の線が途切れることを少し気にしながら、年賀状を書いたことを思い出す。
 どうということのない小さな記憶だが、未だに見えないその線をたどって宛名書きをしている自分に気付き、苦笑いをする。だから私の宛名書きは、どうしても右に右にと片寄っていくのだ。母の爪あとを、追って。
 私の心にもまた、見えない母の爪あとが、深く残っている。
 良いようにも、悪いようにも。生かすのも、殺すのも。もう、私自身の問題なのだ。
 そう。それでも痛い爪あとを追って、今も生きている。



ゆく自転車、くる自転車(2002/12/28)

  
16年間、ごくろうさま。これからもよろしく。

 新しい自転車を買った。その名は「salut」、正真正銘の「ママチャリ」である。
 私の人生で、私のための自転車となったのは、これが2台目になる。
 私のための1台目は、実はこの赤い自転車ではない。おぼろげな記憶の中のそれは白い自転車で、小学校5年生の冬、思わぬ事故に遭って、捨てられた。その後は、絶対に自転車に乗ってはいけないという両親の厳命のもと、自転車なしの生活を余儀なくされたのだった。(ちょっと大げさ)

 赤い自転車の名前は「赤い風船」。妹の高校入学のお祝いに、両親が妹にと買ったものだった。それがいつのまにか、私の足となり、学生時代から講師時代の長きにわたり、活躍してくれた。そして妹にぶつぶつ言われながら、ここまでついてきた。足掛け16年。タイヤを替え、ベルを替え、鍵を替え、前カゴを替え、最後に子ども用の補助いすと荷物カゴをつけ、文句ひとつ言わずに、働きつづけてくれたのである。かなりサビがきているというのに、自転車の寿命というのはすごいものだ。

 まだまだ乗れそうなこの自転車を勇退させたのは、坊ちゃん二人と自転車移動するのに、もうおんぶで乗るには小さい坊が大きすぎるからなのだった。二つ目の、後部の子ども座席を取り付けなければならない。ここまで酷使した自転車に、さらなる負荷をかけるのは、かわいそうでもあり、怖くもあった。先に書いたように、部品部品と取り替えつづけてきたのも、もう限界であるように思われた。
 そんな折、リズム体操で一緒のお友達が、新しい子ども乗せ専用自転車を買ったと見せてくれた。それは、画期的な仕組みだった。通常の前カゴ部分が完全に子ども用座席になっていて、乗り降りの時、足がひっかからない。(しかも前輪タイヤにロックがついており、子どもを乗せ降ろしする間、タイヤがぐらつかないようになっている。)ハンドルへの後付け子ども座席だと、そのスペース分で足を入れる隙間がなくなり、子どもの体重がかかった重いハンドルを斜めにして足を入れるか、男の子のように後ろから足をまわすしか方法がないのだった。(上の写真で、見比べてみてください)
 「じゅ、16年・・・それは買い換えても、いいかも・・・」
 そんなママ友達の声に背中を押された。

 クリスマス・イブの日。耳鼻科通いのために、そしてその日引っ越してしまうお友達と最後に遊ぶために、salutはデビューした。
 試乗の感想。前輪タイヤのロックのおかげで、子どもの乗せ降ろしが安定する。前のものよりハンドルの重心が遠く、それに慣れていないため、ぐらついて怖い。特に減速・徐行時。けれどスピードがつくと、非常に楽。おんぶの時のような、自分の体にかかる遠心力がない分、こぐのも楽だし、力が入る。自分自身の乗り降りがスムーズ。これは前と比較にならない。ただ、移動という意味では楽になったが、荷物が積めないため、買い物には向かない。降りる度に二人の坊ちゃんを乗せ降ろししないといけないので、何軒も用事をしてまわるのも、無理。そして降りた後、小さい坊はまだ抱っこなので、手がふさがってしまう。おんぶひもかベビーカーだと、手が空くのだけど。こんなところか。
 あとは乗り慣れることが、負の感想の解決方法だろう。この新しい自転車も、「赤い風船」のように、私の体の一部(?)と言えるまでに馴染む日がくるのだろうか。
 ゆく自転車、くる自転車。そして、ゆく人、くる人。そんなことが重なった年末、ゆく年をいつになく感懐を持って振り返り、またきたる新しい年へと思いをはせたのだった。
 ブラボー!赤い風船!そして、新人salut!



そふぃーちゃんのぱん(2002/12/7)

 ずっと昔から持っている、ある童話集がある。
 全10巻、アメリカから日本まで、世界の国別のお話集で、「○○のおはなし」というタイトルで巻が分かれていた。現在は実家の本棚にある。その(おそらく)第4巻、「フランスのおはなし」には、ラ・フォンテーヌ童話をはじめ、いろんな物語が収録されていた。
 その中の、「そふぃーちゃん」という、ちょっとわがままな女の子が出てくる物語をふと思い出したのは、小児科の診察待ちの時間だった。(ここに書いていて、病院の診察待ちの時間に触発されることの多い自分に驚いている。閑話休題)
 「そふぃーちゃん」の話そのものはおぼろげにしか思い出せないのだが、とにかく絵が印象的だったので、今も各ページの絵は鮮明に目の前に広がる。そふぃーちゃんの顔、目や口。そして忘れられないのは、そふぃーちゃんが食べていた「ぱん」の絵なのである。
 ふわりとした輪郭、きれいなキツネ色。背景から浮き上がったような、不思議な印象の絵。それを、しょぼくれたようなそふぃーちゃんの顔とともに思い出したのは、せなけいこさんの絵本、『ねないこ だれだ』、『いやだ いやだ』を待合の本棚で見つけ、何気なしに子どもたちに読んでいた時だった。あの独特の貼り絵に、なぜか「そふぃーちゃんのぱん」を描いたのは、この人だ!という確信を抱いたのである。
 私自身は、子どもの頃にせなさんの絵本を読んだ記憶がない。もしかしたら出会っていたのかもしれないけれど、記憶に残ってはいない。だから今まで、共通項を見出す機会がなかったのではないか。
 いずれにしろ、そう思うといても立ってもいられなくなった。あの童話集の、そふぃーちゃんのページが見たくなった。そして、画家を確かめたくなってしまったのだ。
 よくよく考えてみると、「ラ・フォンテーヌ童話」を読みたいといったこちらの友人に、あの「フランス」の巻だけ貸し出し中ではないか!なんたる偶然。
 次に会う時に、彼女に見せてもらおうと思った次第である。
 さて、おいしそうなそふぃーちゃんのぱんは、そしてそふぃーちゃんは、せなさんの作品だろうか。
 早く確かめたいような、自分の中でもう少し、この印象の一致を楽しみたいような、不思議な気分である。



スプーンの実(2002/11/1)

 幼い頃、冬になると、保育園に通う道すがら、いつもする遊びがあった。
 常緑の名も知らない低木に、緑色の小さな実がなっている。それをちぎって、てっぺんに小さな穴を開け、実の部分をぎゅっと押すと、中から白い、小さな小さなスプーンが出てくる。それをくりかえしくりかえし、指先に出していくのである。
 誰にこんな遊びを教わったのだろう?大人になって、何度かあの実を探したけれど、常緑の低木は多く、緑色の実をつけているものもまた多く、試しに押し出してみても、あのスプーンは出てこないままだ。小さな小さな白いスプーンの、指先に残る感触は今も鮮明に思い出せるのに・・・。あれは、あの実の種だったのだろうか。今となっては、確かめる術を持たない私なのである。
 
 春にはいつも通る古い家の、崩れかけた土塀のすそに生えたスギノコをちぎって、さかさまにして踊らせた。ドレスを着たお人形のつもりだった。

 冷たい晩秋の風の中、子どもたちと散歩していて、そんなことがふと頭をよぎった。



眼鏡越しの空(2002/11/1)

 車の中で、ぐずる子どもの機嫌をとろうと、かばんの底にあったメガネをかけました。
 視力が落ちたなあと実感し、メガネを作って4年。学生時代はそう悪い方でなく、1.0〜1.2はずっとあったはずなのに、今ではスーパーの売り場案内の大きな文字も、目を細めて探す始末。それでも、かけていると慣れないせいか気分が悪くなってしまうので、せっかく作ったのにほとんどかけないまま今日に至っています。
 しばらくぶりだったので、何となくかけたままずっといたのですが、ふと車窓から空を見上げたら、雲がものすごくきれいだったのです。ちぎった綿のような、わたあめのような、ちりちりふわふわの雲の輪郭が新鮮でした。
 「うわーきれい!!いつもと違う、ちぎれ雲やわー」
 大喜びで写真に撮ろうとして、メガネを外してみたらば、あれ?
 いつもと同じ雲・・・
 で、もっぺんメガネをかけてみる。
 きれいなちぎれ雲。
 ってことは・・・なんだ、ふだんから私の目が悪かっただけなのね・・・
 ってことは・・・世間じゃ毎日、こんなきれいなちりちりふわふわのちぎれ雲が見えているのね・・・
 ちょっと悲しくなりました。
 ん?ってことは、撮った写真も全部ボケてるの?どきっ。
 ああ、これは大丈夫。全部オートフォーカスだった。カメラは目がいいのね。

 余談、「眼鏡越しの空」、と書いて、昔ドリカムにそんな片想いの歌があったことを、懐かしく思い出しました。



『いろいろおせわになりました』(2002/9/14)

 子どもと行ったリズム体操のクラスで、先生が一冊の絵本を読んでくれました。
 『いろいろおせわになりました』、という本。「こどものとも年少版」の最新号です。
 聞いていて、楽しい内容とは裏腹に、しんみりとした気持ちになってしまいました・・・。

 来週末、お向かいのおばさん一家が引っ越していきます。
 雑記にも、季節のぺえじにも、寄稿のぺえじのエッセイにも、いっぱい登場しているこのおばさん。
 我が家にとって、とても頼もしい存在でした。
 元・「むらさきおばちゃん」、現・「クリーニングやのおばちゃん」は、美容室を営む美容師さんであり、その店の隣ではクリーニングやさんでもあり、また三人の年子のお嬢さんを育てた立派なお母さんでもありました。長男妊娠中からずっと、妊娠・出産・子育てについてはもちろん、世の中の話、自分の身の上話、近所の話、など、示唆に富んだたくさんの話を聞かせてもらってきました。
 我が家で柿が大収穫だった年には、大家さんの次におばさんにおすそわけしました。またおばさんは郷里から送られてきたりんごやじゃがいもをくださったり、娘さんがもらってきたという、大きな花束をくださったりしました。こういう行き来は数えきれません。
 最近では病気のために10kgも痩せてしまわれて、本当に心配しましたが、なんとか休んでいた仕事にも復帰され、私たちもホッとした矢先でした。
 「ちょっと遠くなるけど、仕事には今までどおり、ここにくるから。」
 おばさんには、ここでまた会えるのだから、と思いながらも、「お向かいさん」として、時のあいさつを交わすこととそれはちょっと違います。それが、とてもとても寂しいのでした。

 「いろいろおせわになりました」。
 おばさん、落ち着かれた頃に、きっと遊びにいきますね。



アップップ!(2002/8/28)

              
        わらって               おこって                こまって
             
        ないて              あっとおどろく              すごいかお

 いろんなかおかお、あっぷっぷ♪
 じゃん!
 とさいころを転がして、出た目の顔をみんなで作る、というコーナーが、火曜日の「おかあさんといっしょ」にあります。「すごい!」と描かれた目では、それぞれにいちばんすごいと思う顔を作るのだそうです。
 春からのこの新コーナーを、坊ちゃんたちはとても気に入っています。手近な四角いモノを投げては、「あっぷっぷ〜じゃん!」とゴキゲンで遊んでいるので、これは作ってやらねばと、布やら綿やらを買ってきました。でも、針仕事だし、チビさんたちの目の前ではできなくて、なかなか進みません。
 計画では、顔は全部刺繍して、縫い合わせて…と考えていましたが、大乗り気のオットが、布を切ってボンドで貼ればいい、と自らやりはじめたのです。
 確かにその方が早いし、表情もはっきりするし…何より、私は表情を上手く描けるかどうか不安だったのです。絵がホントに下手なので。
 遅くに帰宅した後で、オットは地道に顔を作っておりました。感心しきりです。ボンドも水性ではくっつかなくて、わざわざ違うのを買ってきたり、結構手をかけたんです。
 できあがった顔を見て、私は大ウケ!!上手いし、困った顔なんて、オットの描く絵にすごく似てる!(←当たり前)彼の才能にあらためてホレボレしました。
 後は私の仕事です。坊ちゃんたちにせかされながら、雑誌の写真を参照して、正確に面と面を縫い合わせていきました。使った手芸綿は400g!大きく、安定感のある、素晴らしいさいころが完成!!
 坊ちゃんたち、もちろん、大喜びです。

 「泣いたり怒ったり、毎日いろんな顔をするけれど、最後には笑顔を忘れないひとになってね。」
 そんな願いをこめて。
 

                
                     遊び疲れて、あっぷっぷ!



わらびもち事情(2002/8/20)

 毎年夏になると、わらびもちやさんがやってくる。
 「わらびーもち、わらびーもちー」と、チャルメラそっくりの節まわしのテープを従え、軽トラックがゆっくりと町を回る。ここまでは、よくある風景だろう。
 不思議なことに、わが町ではこれが二通りあって、普通のチャルメラに近い、明るい「わらびもち」ソングと、「わらびー」の「びー」が、半音低い、シャープがかった、つまり、ものすごく悲しいマイナーメロディーの「わらびもち」ソングとがあるのである。
 どう表現すればいいだろうか?GのKeyでいうなら、「ソラシーラソ」というのと、「ソラシ(♭)ーラソ」というのと、二通り聞けるのだ。(分かりにくいかな、手もとの楽器で試してみてください)
 ふだんよく耳にするのは、なぜか悲しい方のわらびもちである。「わらびーもち、わらびーもちー」。やるせない心持ちになる。しかもこっちの方は、続きがある。同じメロディーで、「つめたーくて、おいしーいよ」とくる。せつなさ倍増である。これに出会うと、必ず音源の車を探してしまう。赤い旗を出して、ゆっくり走っているトラックを発見すると、「あれが、悲しいわらびもちやさんなんだ」と、妙に納得してしまう。
 またこれを、子どもが覚えて歌うので、始末が悪い。
 「まま、わらびーもち、きたね。つめたーくて、おいしーい、きたね。また、かいにいこね。」
 そういえば、まだ一度もあのトラックをつかまえたことがない。うんうんとうなずきながら、またまたやるせない気持ちに襲われる私なのだった。

 そして今日、まさに我が家の前に、わらびもちやさんがやってきた。幸いにも(?)明るい方のわらびもちやさんだった。寝ぼけて泣いている下の子を抱いたまま、今日こそつかまえたとばかり、財布をつかんで車を追いかけた。
 車が止まると、中からベージュの甚平を着たおじさんが現れた。貫禄ありのタイプである。
 「あのー、どういうのが」
 「三百円、五百円、千円とあります」
 「どれくらいの量なんですか」
 「三百円で、小学五年生の男の子のおやつくらいですかね」
 よく分からない説明である。
 「じゃあ、五百円のをください」
 荷台に積まれたパックを開いて、おじさんがわらびもちを詰め、きなこをふりかけ、ふたをして激しくシェイクする。ひええこうやってまぶすのか〜と驚きながらながめる。
 「男の子かな?おもちゃ付きですから」
 何のこっちゃと見ていると、荷台から小さな箱をひとつ取り出して開けてくれた。中には、赤いジュエル・ボックスが入っていた。おじさんがそのふたを開けると、小さなバレリーナが飛び出して、「エリーゼのために」が流れた。下の子はぽかんとしている。
 「これでいいかな?」
 わらびもちを買いにきて、おもちゃがもらえるとは夢にも思わなかった私は、ええ、と曖昧に返事をして、それを受け取った。それより、黒みつが欲しかった。
 「あの、黒みつって書いてあるのは」
 「ああ、黒みつ欲しい?あげるよ、サービス」
 そう言って、小さいパックに黒みつを絞り出し、わらびもちと一緒に袋に入れてくれた。
 「黒糖でできてるからね」
 そう言い残して、彼はひらりとトラックに乗り、去っていった。明るいわらびもちソングとともに。
 サーカス団の曲芸師に出会ったような、奇妙な思いがした。それは、おじさんの風貌のせいでもあったのだが。

 そんな訳で今、わらびもちのパックと、バラの絵のついた赤いジュエル・ボックスが、テーブルの上に並んで乗っかっている。
 追いかけてもナゾ、追いついてもナゾ。
 ずいぶん長くなったけれど、我が町のわらびもち事情は、このようなところである。