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随想ノート 3



パン焼きへの限りなき挑戦(2002/3/19)



♪あさいちばんはやいのは・・・

 そして、ホームベーカリー始動報告です。
 デビューは、ホームベーカリーの大御所サイト・「Home Bakery まりの部屋」の、まりまりさんのレシピから。人気No.1の「生クリーム食パン」。ウワサどおりの絶品でした。
 翌日は豚まん・あんまんの生地をベーカリーくんにこねてもらい、「これは551をしのぐ!」と(勝手に言ってるだけですが・・・)思われるものができました。その晩、食パン第2作、基本のぶどうパンを取り扱い説明書を見て焼きました。これもとても立派でおいしい〜!!
 とにかく、いわゆる普通の食パンの代わりになるものと思っていたけれど、これが大違い。すべて、あのパンやさんのパンなのです。感激の連続。なめ茸を知らなかった話から、義兄(あに)に「人生を30年損したね」と言われましたが、これはそれを超える人生の大損だと思いました。私としたことが、なぜ今まで購入に踏み切らなかったのだろう!と、衝撃を受けています。
 計量だけが、めんどくさがりの私にはちょっとつらい気もするのですが、あとはケースに放り込んでスイッチを入れるだけ。途中で発酵の具合を気にすることもなく、突然の用事で作業を中断されることもなく、4時間後にはきっちり、きれいに、おいしいパンが焼きあがってくれるのです。
 ブラボー!!ホームベーカリー!!
 これから、パン焼きへの限りなき挑戦が始まることでしょう・・・
 ああ!たった今、「プーのハニー食パン」が焼きあがりました・・・!

 余談。
 購入計画以前から訪れていた「Home Bakery まりの部屋」でしたが、ここで大変な偶然の出会いがありました。HPを始めた時から、特に気に入っていた素材やさん、「mariのいろえんぴつ」が、なんとまりまりさんのもうひとつのサイトだったのです。パンとHP素材、どちらも有名な大御所サイトです。まさか同じ管理者の方だったとは・・・驚きました。



パン焼きへの情熱・ふたたび(2002/3/14)

 ついにホームベーカリーを購入した。
 数年来、欲しいなあと思いながら、なんとなく買わずにきたものである。
 オットも今まであまり乗り気でなく、私の妹が持っていたことから、「もうちょっと待って、もらえば?」とすげなく答えていたものである。(彼女はいろいろな買い物をしてはすぐ使わなくなることで昔から有名?なのだ。先日妹が来訪した時にも、数十万したというコンピューターミシンの話から、オットは「えーと、パソコン買ってからあのカラーのワープロはどうしたん?」とか、「ポケットボードは?」とか、彼女を質問攻めにして絶句させていた・・・。閑話休題)
 我が家は毎朝、基本的にパン食だ。以前の雑記にも書いたけれど、パンが好きだからというのが主な理由。けれど、1週間で平均3斤の消費となると、2日に1回は消費期限の短いパンを買いにゆく計算になる。けれど、そんなにまめに買い物に出られないことも多い。天候、子どもの状態、等々。それではと、冷凍庫で保存するにも、とるスペースが大きいし、常にその場所が埋まりつづけることになるので、とても困る。
 ある日突然、そんなパン状況に嫌気がさした。ホームベーカリーさえあれば、要る時に要る分だけパンが焼けるじゃないか!やっぱりホームベーカリーは買うべきだ!となぜか強く思ったのである。(強力粉やバターが切れてしまったら、結局同じ状況に陥ると後で気付いたのだけどね。)
 とにかく、そう決心したら即行動。まずは手近にインターネットでホームベーカリーについて調べあげ、デンキやさんを回り、メーカー、機種、値段、などさまざまに検討、ほどなく購入のはこびとなったのであった。

 ホームベーカリー・デビューはこの週末となる予定。
 これで私のパン焼きにおける長年の?苦労と悩みは報われる(はずである)。
 めでたしめでたし。
 活躍そのものについては、後々ゆっくりとご報告していくことにしましょう!

 デンキやさんからの帰り道。
 「パンと並んで消費が多くて、しかも消費期限が短くて、買い物が大変で・・・というのはやっぱり、牛乳やなあ・・・」と私はつぶやいた。「うちで牛が飼えたらなあ・・・」
 オットは運転しながら「それじゃあ、まずインターネットで調べて・・・って、そんなことできるかい!」
 そういいながらも、「うちで牛飼うならやっぱり柿の木の下かなあ・・・」と大まじめに答えるあたり、そんな気もないではない・・・のかもしれない・・・。



500系!(2002/3/12)



 日曜日、いいお天気だったので、名古屋駅まで電車を見にいきました。
 名駅はJR、名鉄、近鉄、市営地下鉄が乗り入れるメインターミナルであるとともに、二年前にオープンしたJRセントラルタワーズがあり、休日ともなるとものすごい人でごったがえします。その人ごみを見事に避けて、駅のホームからホームへと練り歩き、JRではベンチでお弁当まで食べて、電車を見て、ビデオと写真を撮って、ご満悦の私たちでした。
 坊ちゃんが電車にはまりはじめたのは、一年近く前のことでしょうか?
 オットも私も列車旅行は好きなので、なんとなくそれにひきずられるようにして、いろんな列車の絵本を見たり、インターネットで調べたり、模型を買ったりするようになり・・・。
 列車の名前までは大して興味がなかった私も、毎日毎日絵本を見せられているうちに、知らず知らず種類を覚えていきました。模型やビデオでも、同じ列車を何度も何度も見せられて、正直「はい、はい」と適当に流していたはずだったのに・・・。
 名古屋ではなかなかお目にかかれない500系のぞみを、ホームで一時間待って撮ったビデオには、
 「わ〜!500系や〜!すごお〜い!見て見て〜!かっこいい〜!わあ〜!500系や〜!」と興奮した私の声だけが入っていたのでありました・・・。

 次の感動は、新大阪以西で出会えるであろう、ひかりレールスター(700系)でしょう・・・。名古屋では一日に一本しか通らないのです。

 「人生を二度生きる」。子育てについての、オットの座右の銘です。
 三姉妹で育った私に、今度は男の子の目で男の子の遊びを楽しむチャンスが巡ってきたのだ、とよく言われます。
 ほんとにそのとおりだなあ・・・と、子どもの頃には全く興味のなかった電車や車に、ちょっとずつ親しみを覚える私なのでした。



「りんごのひとりごと」(2002/3/2)

 子ども番組を見ていて、懐かしい童謡を耳にした。
 私はその歌がとても好きで、そしてなぜか、歌の全貌を知らなかった。
 出だしと終わりのところしか、歌詞もメロディーも分からなかった。
 そこで検索エンジンにかけて歌を探し出し、聴いてみた。便利な時代である。
 ああ、そうそう、テレビでやってた、とおりだ・・・と思ってワンコーラス聴き終え、2番の歌詞を当てはめて歌っていて、はて?と思うと同時に、若い頃の母の顔が浮かんだ。
 「くだもの店の/おじさんに/お顔をきれいに/みがかれて」
 ここにひっかかったのである。そうして突然、これを歌ってもらっている子どもの目線になった。
 そうだ、この歌は、母が歌ってくれたことがあったのだ。
 もう完全に埋もれてしまっていた、風化寸前のはずの記憶が、突然に幼い頃の感覚そのままによみがえる、そんなことが時々、ある。
 お風呂上がり、ふざけて転げまわる子どもをつかまえて、ぶつぶつ言いながらあたふたと服を着せる時。ぎゅっぎゅっと強く袖を引っ張る感じ、長い袖を折る感じにはっとする。突然、母の手を思い出す。こうしてぎゅっぎゅっと引っ張られる子どもの側の感覚になっている。私はこれがちょっと嫌いだったっけ。「嫌い」という言葉以前の幼い感覚で、その時の感情がリアルに戻ってくる。
 「ゆきのペンキやさんは、おそらからちらちら」と歌っていると、母と妹と3人で、保育園に通った雪の坂道を歩いている気持ちになる。歌は特に、その頃の状況や感情と深く結びつく。

 以前書いた、遠足の話もそうだが、子どもの頃の記憶はおぼろげでありながら、鮮烈だ。
 風化したようなふりをして埋もれていても、もしかしたら、心の中の一番大切なひきだしの中で眠っているだけなのかもしれない。
 そうして折にふれ、素知らぬ顔をして現れて、こちらをどきりとさせるものなのかもしれない。



おじからの電話(2002/2/23)

 夕べ、母方のおじから電話があった。
 二人目の出産祝いのお返しの、お礼だった。
 直接話すのは数年ぶりで、電話があったことも意外な感じだったが、久々に聞く声は昔と変わらずあたたかく、べたべたの紀州弁がとても懐かしかった。孫ふたりの話を嬉しそうに語り、「孫ほどかわいいもんはないって言うけど、ほんまそのとおりじょ」と笑った。

 このおじは、四人兄弟の末っ子である。
 なかなかの男前で、地元では「滝の郷ひろみ」と呼ばれていたらしい。(自称?)
 確かに、昔の写真を見るとその言葉に偽りはない?と思える。母より四つ下になるから、去年母が還暦を迎えたということは・・・そうか、滝の郷ひろみも、もう五十六になったのか・・・と、妙な感慨に浸った。

 子どもの頃、このおじの存在は大きかった。
 末っ子ゆえにか、非常にバイタリティあふれる人柄で、長男・長女だった両親、そのまた長女の私にはない大らかさがあり、それが私や妹をはじめ、いとこたちみんなをひきつけた。さまざまな武勇伝を持ち、命が危うかったことも何度となくあったが、常に生還した。そして、毎年夏休みにはいろんなところへ連れていってくれた。足の届かない深いプールに投げ込まれたこともあったし、軽トラックの荷台に私たち子どもを全員乗せ、田舎(母の地元)の山道の急斜面を、「ジャンプ台」と称して加速して下ったり、夜にはその道で、よさそうな木を選んで足で蹴り、カブトムシやクワガタを難なくつかまえてくれたりした。夜の山道でタヌキと出逢い、つかまえて剥製にしたのもおじである。トラック運転手という仕事柄、また住んでいる地元柄、筍やら桃やら、いろんなものを朝早くから、南大阪にある私の実家まで届けてくれたりもした。おじの仕事に同乗したこともある。その日は学校で眠くて眠くて、太ももをつねりながら授業を受けた。
 大きなバスを借りて、母方の兄弟・いとこ総出で信州方面に旅行したこともあった。提案者も運転手も、もちろんおじである。いつもいつも、ここぞという場面でみんなが「よっちゃん、よっちゃん」と、おじを頼りにした。子どもたちの通称「けんちゃんのおっちゃん」は、そんな人だった。

 明け方、半分寝ながら子どもにお乳を含ませていて、そんなことをいろいろ思い出した。
 早く布団に戻ろうと思っていたのに、考えているうちに、すっかり目がさえてしまったのである。



歯医者さんはこわい(2002/2/9)

 久しぶりに歯医者に行きました。
 前の治療は結婚前、実家近くの歯医者でだったから、もうずいぶん前のことになります。
 数年間知らん顔してきた奥歯の痛みが増してきたのでした。
 それにしても、その歯は完全に治療済みで、神経もない歯なのです。
 大家さんに地元の歯医者さん情報をもらい、母子手帳についている妊産婦歯科検診無料券を持って、行ってまいりました。自転車をこぎながら、信号待ちをするたびに、これからまた歯医者通いが始まるのかとうんざりしました。歯医者との縁は小学校以来、まともに切れたことのない私なのです。ここ数年は嘘のように静かだったのに。
 どきどきして行った結果、虫歯はなく、歯ぐきの炎症ということに落ち着きました。
 ホッと胸をなでおろすとはこのことかと思うくらい力が抜け、呆然としたまま、近所の児童書専門店に立ち寄って帰りました。

 今回は歯医者に行くのが異様に怖くて、何とか行かずに済ませられないかと、ずっと知らん顔していました。
 けれど、歯が痛いことをふともらしてしまったオットに「明日は、歯医者?」ときかれ、もう逃げられないと(なぜか)腹をくくりました。
 前の晩はどきどきして胸が苦しかった。
 こんな緊張と恐怖は初めて?でした。
 緊張感のない毎日を過ごしていたからでしょうか。

 好きな人はあまりいないでしょうが、やはり久しぶりに歯医者に行くのには、かなりの勇気が必要です。



冬の遠足(2002/2/1)

 寒く冷たい、雪のちらつく今日のような日に、いつも思い出す情景がある。
 小学校四年生の冬、多分あれは耐寒遠足だったのだろう、隣の市のお寺まで遠足に行った。とてもとても寒い、曇り空の日だった。記憶にある限りでは、その後、もっと寒い遠足や登山やスキーを学校行事で経験しているのだが、なぜかあの遠足の寒さが、身に染みて思い出される。
 お寺について、お弁当を広げた私は、寒さで手が凍えてお箸が持てなかった。そのことを担任の女の先生に告げると、先生は私の手をとって、両手でさすってくれた。たったそれだけのことだが、妙にそのできごとが深く心に刻まれている。その時の先生と私の姿が、まぶたに浮かぶのである。そうしてやっと食べたおにぎりが、ものすごく冷たかったことも。
 今、大人になってあの時のことを思い出し、客観的に考えてみると、自分が先生の立場だったら、何気なく同じような行動をとるだろうと思った。本当に、何気なく。しかし、子どもだった、生徒だった私の記憶の中では、それは何か特別なことのように思える。先生が凍えた手をさすってくれた、ということが単純にうれしく、癒される気がするのである。
 そして今、あの小さなできごとが、大人と子どもの両方の目から見える、奇妙な感覚を味わっている。記憶とは生き物で、現れる度にそれは違う顔をしている。それをひとつ、実感したように思うのだ。



おはぎ(2002/1/27)

 最近、おはぎを作って食べています。
 ずっと食べたいなと思いながら、近所にあったおはぎの丹波屋がなくなってしまっていて、そのままになっていました。スーパーで売っているパック入りはあまりおいしそうでないし・・・。
 もち米さえあればすぐできるのに、と思いながら数ヶ月過ぎました。そしてやっと、もち米を買ってきました。お米と砂糖とを混ぜて炊いて、すりこぎでつぶしてまるめて、井村屋のつぶあんで包むだけ。中にあんを包んで、きなこをまぶしたのが好きなので、そっちをたくさん作りました。お手軽でおいしい。はまってしまいました。井村屋のあんは、ちょっと甘いのですが、それも一興。毎朝、残ったあんで「名古屋名物」小倉トーストが食べられるダンナさんもうれしそうです。?
 晴れた朝の日差しの強さ。午後の太陽の高さ。日が少しずつ、長くなってきているのを感じる夕暮れ。オリオン座の南中時刻が早い夜空。少しずつ、少しずつ、春に近づいている今日この頃。
 春のお彼岸には、おはぎ、ではなく、ぼたもち、でしたね。
 みなさん、あけましておめでとうございます。お元気でお過ごしですか?



チョコレートの思い出(2001/12/24)

 子どもの頃、クリスマスになると、母が勤めていた保育園の園長先生が、プレゼントをくれました。毎年、何冊かの本と、大きなクリスマスのチョコレートをくれるのです。こうしてもらったたくさんの本が、後の私を児童文学へと向かわせたのでしたが、このチョコレートがまた、とても嬉しかったのを覚えています。それは大きな1枚のチョコレートで、サンタクロースやトナカイや、クリスマスの絵がレリーフのように描かれているものでした。毎年、絵がちょっとずつ違いました。
 「アイスクリーム」の歌のように、どこから食べようか迷って、それも毎日少しずつ、かじったものです。今もあのチョコレートは、どこかで売られているのでしょうか。

 子どもたちとクリスマスを過ごしながら、そんなことをふと思い出しました。



クリスマスの日(2001/12/23)

 今日は我が家のクリスマス会の日だった。
 昨日は買い物のために、車で15分ほどのところにある大きいショッピングセンターにでかけ、例のごとくぐったりして帰ってきた。覚悟の上で行ったのだが、ものすごい人出だったのである。
 家族全員がカゼの病み上がり、または治りかけとあって、用事だけを速やかに済ませたつもりだったが、それでもかなり疲れた。もう年末年始、どこにもでかけないぞと心に誓った。
 そういうわけで、今日は朝も遅かったのだけれど、クリスマス会をやろうということになっていたので、格好だけでもと、ケーキを思いつきで焼き、チキンとワインを買ってきて、ちょっとおいしいものを作った。そんな一日だったのだが、夕方、日暮れ間近のスーパーに買い物に行った時、ふだんは何をしているのか、どんな人なのかもよく知らない、同じマンションの独居老人ふたりに出会った。
  うちのマンションは我が家以外、すべて1Kの独居用で、3階までの7部屋に、7人の住人がいるはずなのだが、ほとんど顔を合わせる機会もなく、ナゾに包まれているのである。そのうち、ちらっと接することのあったふたりであった。お互い笑顔で挨拶を交わし、ふたり目の老人は、「もらいものだけど」と、ドーナツをくれた。なんだか分からないが、笑顔で受け取り、お礼を言った。(オットは帰宅後「毒もられてないかなあ・・・」を繰り返し、かなり不信気であった)
 そんな小さなできごとに、オットとふたり、心和ませたのだった。テレビのニュースは連日、繁華街のクリスマスの情景を伝え、賑やかなイベントと人々の熱気を映し出している。そんな街のクリスマスも美しく、楽しいものだけれど、今日のように、近所のスーパーに自転車でゆっくりとでかけ、いつものように買い物をし、冬の冷たい夕暮れの空を見ながら帰る、というのもなんだかいいものだ。そして、いつもは会うことの少ない、ナゾめいた同じマンションの住人が、みんな同じスーパーにくりだして、にこやかに挨拶を交わしている光景というのも、なんだかクリスマスっぽくて素敵だなあ、と思えたのであった。