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随想ノート 2



心に響いたことば(2001/12/17)

 今日、4日ぶりに買い物に出た。
 家族中がカゼをひき、しばらく外出自粛に入っていたのだった。
 しつこいカゼで、未だなかなか完治しないのであるが、冷蔵庫は容赦なくカラに近づき、仕方なく出かけた次第である。
 1日に1本、きっちりなくなる牛乳や、毎朝食べる食パンなども含め、1週間分をまとめ買いしたら、相当な量になってしまった。牛乳4本を自転車の荷台にくくりつけ、前かごに重たいひと袋を入れ、やれ、もうひと袋も重いけれど、これは片手で提げて運転しよう、と思った。
 こうして荷物を整理している間、手持ちのはずのひと袋を、自転車置き場で隣にとめてあった自転車の荷台に、「ちょっとごめんなさい・・・」と乗せていた。気付けば、その自転車の持ち主らしきおばさんが、私と子どもを見ている。「すみません、勝手に乗せてしまって」とその袋を持ちながら、狭いスペースで子どもをどうやって乗せたものかと考えていると、「いいよ、いいよ、坊ちゃんを乗せてから持ったらいいから」とそのおばさんが笑って言ってくれた。申し訳なさでいっぱいになりながら、すみません、を繰り返し、子どもをなんとかいすに乗せ、最後の荷物を持った。
 「あなた、その袋、どこに乗せるの?」
 「あ、これは手で持っていきます」
 「まあー。若さだねえ。」
 おばさんがしみじみとした口調で、ため息まじりに言った。このことばが、妙に心に残ったのである。
 おばさんは子どもに、「そう、じゅんちゃんていうの。元気でね」と笑いかけて、帰り支度を始めた。
 私は、ありがとうございました、とお礼を言って、その場を去った。
 帰り道、重い自転車をゆっくりと注意深く運転しながら、おばさんの「若さだねえ」というしみじみとした口調とことばをかみしめていた。毎日無我夢中で、ただ目の前にあることをこなすだけで精一杯、余計なことを考えている暇なんかはない。そんな日々の中で、少し距離を置いて、今の自分の姿を見ることができたような気がしたのである。守るべきものを守ることが今の私の仕事であり、自分で選んだ道であり、そのことを大変だとか辛いとか、感じたり考えたりすることもなかったけれど、否定しつづけた自分の中の暗い何かを、少しは許せるような気がしたのだ。
 私自身が年老いた時、やはり若い人を見て、また今日のひとコマをふと思い出して、おばさんと同じことを思うのだろうか。
 なんだか少し、せつないような気持ちになりながら、家路を急いだのである。



コーヒーでちょっと一服(2001/12/17)

 我が家のすぐ近くに、「ワルツ」というコーヒーやさんがある。
 このお店は、愛知県豊橋に本社を置くコーヒー豆の専門店で、この地方ではかなり有名なコーヒー店である。うちの近所にあるのは「名古屋本部店」といい、製菓材料・器具も、かなり充実した内容で合わせて販売している。さらには、輸入食品・調味料、紅茶、そして憧れの輸入チョコレート。お茶好きの私にとって、ワルツはまさに夢のようなお店なのだ。
 コーヒーよりも紅茶派の私だが、ワルツのコーヒーだけは別格である。まず、豆を選ぶ楽しみ。昨日買ったのは3種類。ブレンド2種に、ストレート1種。いつもこまめに1種類100gずつ買うのだけれど、的を絞りきれなかったのだ。
 スーパープレミアム・・・「香り高い酸味が隠し味。うま味・コク・酸味の三拍子そろった絶品。」
 炭火焼コーヒー・・・「炭火にて、焙煎した香ばしい風味を有す。」
 カフェ・ド・パリジャン・・・「炭火にて丹念にいり上げました。幻のブラジル産エルドラド使用。」
 この「幻の・・・」という言葉には打たれてしまった。迷いだしたらきりがない。説明を読んでいるだけで、そのコーヒーの香りがしてきそうだ。来客のためだったので、惜しげなく3種類注文。
 そして、その場で挽いてもらう。この時のわくわく感、ざあーっという豆の音、香ばしい豆の香り。これがまたたまらないのである。袋に詰められた豆をカバンに入れて、いそいそと帰る時の気持ちまで、ぽかぽかだ。
 家に着いて、カバンから袋を出すと、ぷうんと挽きたての豆が香る。最初にどれをいれようかな。お湯を沸かしながら悩む。そうして、熱湯で豆を少し蒸らし、いれはじめる。家中がコーヒーの香ばしい香りに満ち満ちる。この瞬間、至福のひとときである。
 濃いミルクティーを一日に何杯も飲む私だが、ふと「コーヒーいれようかな」と思う時がある。それはコーヒーそのものを飲みたい、というよりも、家中をあの独特の香ばしい香りでいっぱいにしたいから、というのが正解のような気がする。そしてその幸福感を、コーヒーと一緒に味わう・・・それが私の「コーヒーでちょっと一服」なのである。



クリスマスのぴかぴか(2001/12/11)

 十二月。
 町ではどこもかしこも、クリスマスの装飾一色になりました。いつものおなじみスーパーですら、何だか華やいで見えます。「クリスマスシーズンの町なみ」で思い出すのは、大学時代、フォーク部の先輩と組んで演奏した、「さよならの季節」という歌。そうして、拙作『ガラス窓のある風景』の一節。

 「引き戸を開けて暖簾をくぐると、冷たい空気が私たちを包む。繁華街になっている駅までの道を、人の流れに沿って歩く。雑貨屋、ブティック、レストラン、喫茶店、立ち並ぶ店々のウィンドウは、どこもクリスマス一色に染めあげられている。白いスプレーで型抜きされたサンタクロースや、クリスマス・ツリーで点滅する色とりどりの小さな電球。きらきらする包み紙と大きなリボンでラッピングされたプレゼント・ボックス。あふれるクリスマス・ソング。二十五日を過ぎれば、たちまち消え去る幻たちは、それゆえに押しせまった年の瀬を高揚させる。一年のいろんな出来事を、淡々と押し流していく。人々は、その流れに身を投じるように賑やかに通り過ぎていく。」

 このフレーズを、私はとても気に入っています。
 去年は京都御所で、いい松ぼっくりをたくさん拾ってきたので、この小説の由希子と同じように、クリスマスツリーのミニチュアを作りました。今年はちょっと、できそうにないですが・・・。
 そういう小さい楽しみが、私は好きです。

 そして我が家も、先月最後の週末に、クリスマスツリーを飾りました。
 このツリーに飾っているライトは、赤・ピンク・黄・緑・青の5色が点滅するもので、電球の形はとがった細長い形をしています。ある日、どこかのお店で飾られていたツリーの電球を見て、はっとしたのですが、私が子どもの頃、家にあった小さいツリーの電球は、そのお店のものと同じような、花の形、ラッパ形をしたものでした。なんだかものすごい郷愁に襲われて、「ああ、ツリーのライトは、やっぱりあの形がいいなあ」と思いました。古くさくて、懐かしい感じがいいなあ、と。

 あと2週間。今年もたくさんのクリスマスのぴかぴかを、楽しみに過ごします。



なめ茸(2001/12/10)

 先週、我が家に衝撃が走った。「なめ茸」の食卓初登場である。

 ことの発端は、オットの昼食の話だった。
 「今日、昼に、ちんげん菜のおひたしを食べてんけど、その上になめ茸がかかっててなあ。これが久しぶりに食べたからか美味しくて、帰りに100円均一の店で探したけど、なかったわ」
 晩ご飯を作りながら、何気なく話を聞いていた私は、生返事で、「ふうん、なめこがかかってるの」と答えたのだったが、これにオットはひっかかったらしい。
 「いや、なめこじゃなくて、なめ茸。知らん?」
 「だから、なめ茸って、いっつもタチヤで買う、なめこのことやろ?」
 「いや、なめこじゃなくて、そうや、うちではえのき茸って言ってたわ」
 「えのき茸は、これやん、いっつも使ってるやん。なめ茸じゃあないでえ。なめこやろ?」
 「えっ、もしかして、なめ茸知らんの〜!!!!!」
 オットはショックを受け、「そうかーそれでうちにはなめ茸が出てこなかったんか・・・」とぶつぶつ言いながら、「なめ茸、買ってくるわ」と、閉店間際のスーパーに、自転車を飛ばしていったのである。

 そうして私の目の前に置かれたのは、メンマのびんと同じような大きさ、形をした、「なめ茸」であった。会社は「ナガノトマト」とある。長野県松本市の会社らしい。ふーむ。こんなものは初めて見た。
 味は・・・ちょっとのりの佃煮に似ている。原材料は、えのき茸。なるほど。それでオットの実家ではそう呼んでいたのか・・・しかし、これを知らなかったということが、そんなに驚かれるようなことなのだろうか?私は父の携帯にメールを送ってみた。「なめ茸って、知ってる?」
 数分後、父から電話がかかってきた。「何?なめ茸?何?知らん・・・」
 そうだろうとも。少なくとも私の実家では、そんなものは見たことも聞いたこともなかったのだから。
 しかし、私がなめ茸を知らなかったという事実は、オットを打ちのめしていた。「これって・・・うちだけの常識やったんか?いや・・・そんなことはないはずやけど・・・」

 その後、私はスーパーでこの「なめ茸」をじっくりと吟味する機会を得た。そうして、買ってきてもらった標準サイズの他に、大びん、減塩タイプ、さらには標準サイズ2本セットの大セール棚に出くわしてしまったのである。
 これだけのシリーズを目のあたりにすれば、「なめ茸」が世間の常識であるということを、認めざるを得ない。それも、かなり一般に広く愛されている「ごはんの友」のようだ。これは・・・いろんな会社が作っているのだろうか?それとも、「ナガノトマト」の専売品?大阪と名古屋など、地域によって違うもの?とにかく、ナゾは深まるばかりである。
 カルチャーショック・「なめ茸」・・・これから、さらなる調査に乗り出すことになりそうだ。



流れ星(2001/11/19)

 今朝早く、たくさんの流れ星を見た。
 しし座流星群の大出現が予測されていた今日の未明、4時ごろオットに起こされて、玄関先で東の空から天頂を見上げた。北の低い空に北斗七星。夜空のあちこちに、しゅっ、しゅっ、と光が走る。大きなもの。小さなもの。他の星たちも、小さな光まできらきらとよく見える。天気は快晴で、最高の星空だった。
 結婚した年から、流星群のニュースを聞く度に、眠い目をこすりながら、オットと明け方の空を見上げたものだった。けれど大出現の年があっても、天候がいまひとつで見えなかったり、なかなかその姿を見ることができないまま、4年が過ぎた。そうして今日初めて、こんなにたくさんの流れ星。感動した。
 昨日は用事で名古屋駅前の大きなデパートまででかけ、たくさんの人にもまれ、家族全員ぐったりして帰ってきた。子ども2人連れでは、ゴハンも食べられない混み合ったレストラン街。どれも満員で、移動に時間のかかるエレベーター。ベビー休憩室すら、家族連れで満員。休憩どころではない。疲れただろう子どもたちを寝かせて、ふたりでぼんやりパソコンをのぞいたり、雑誌をみたりしているうちに、深夜2時になった。流星群を気にしながらオットは仮眠に入り、私はそのまま布団で寝入ってしまったのだった。
 3時13分というピークの時間にはふたりとも起きられなかったのだけれど、4時に起きたオットが大きな毛布をたたんで、私をくるむようにして外へ誘ってくれた。生まれて初めて見る流れ星の大群。白い息を吐きながら言葉少なに、私たちは流れる星を探しつづけた。そうしてお互いに今までの私たちの道すじを思い、子どもたちの寝顔を思い、これからを思った。自分たちに一番似合ったところ、安心できる場所。それがどこなのかをあらためて教えてくれた、心洗われる時間だった。
 



夏のしあわせ(2001/8/4)

 八月になりました。
 梅雨明けからずっと、東海はものすごい暑さです。一昨日はついに39.3℃と今夏最高を記録しました。こうなるともう、家中が34℃以上あって、息も出来ません。じっとしているだけで汗が吹きだし、頭は回転せず、ホームページを更新したいと思っても、体がついてきません。そんなわけで、(ヘンな言い訳で恐縮ですが)最近ではすっかり更新が滞ってしまい、申し訳ないです。

 暑すぎて日中は外にも出られず、時間を持てあます毎日。夕方と週末だけ活動を外に広げています。そんな中でも、夏の空気の持つ独特の季節感にはっとさせられる瞬間があります。
 ゆるいクーラーのきいた部屋の窓から、暑い明るい夏の午後の空を見る時。静かな時間。灼けたアスファルトに水を撒く時。太陽の反対側にできる虹の美しさ、たちのぼる匂い。
 まだ暑い風の吹く夕方、駅前のバスのりばでぼんやり腰かけている時。
 夜、ふと庭に出て夜風にあたる時。
 そんな日々の何気ない瞬間に、夏のしあわせを感じることが多いこの頃です。
 呑気に構えていた帰省が迫り、今年は旅行もプールもおあずけですが、こんなささやかな夏のよろこびがあることに満足しています。



Mister Donutと私(2001/6/17)

 二日間降り続いた雨がやみ、夕食後にちょっとコーヒーでもと、近所のミスタードーナツにでかけた。ずっと家にこもりきりでいた時、病院に行った帰り道、など、ちょっと気分を変えにいくのに、あの店は明るくてちょうどいい。ひとりでも、友達とでも、家族とでも、気軽に入れるのもいい。
 考えてみれば、ミスタードーナツの店が私はとても好きで、ずいぶん長いこと、いろんな場面で利用してきた。そして助けられてきた(そういうとおおげさな気もするが)。
 かの店との出会いは二十数年前、小学生の頃。母の勤めていた保育園の運動会後に、園長先生のさしいれとして、それまで見たことも食べたこともない、おいしそうなドーナツが出された。今でもあの時のドーナツ、ゴールデンチョコレートがまぶたの裏に焼きついている。
 しかしその頃はまだ、電車でいくつか行ったところにしか店がなかったので、ミスタードーナツのドーナツとはそれっきり、学生になる頃まで出会わなかったのではないだろうか。記憶がない。
 大学生になり、電車に乗って通学する頃には、ミスタードーナツはとても身近な店になっていた。大学の最寄駅の高架下にあったり、自宅の最寄駅前にも、新しく店が入ったりした。電車を乗り継ぐターミナル駅の、繁華街の中にももちろんあった。友達とよくお茶を飲みに、ドーナツを食べに寄ったものである。学校に着いてから食べる朝ごはん代わりに買っていって、部室で食べたりもした。そんな時よく買った、「スイートポテトパイ」。懐かしい。(どうも今はない商品のようだ。)
 それから卒業後の講師時代。私にとって、ミスタードーナツの店がとても大切だった?時代である。朝早い電車で行かねばならない日は、着いた先の駅前で店に入り、授業の準備をした。夕方の仕事でも、早く着いた日は、講師控え室にこもるのが嫌で、よく利用した。仕事が終わって、講師仲間とちょっとおしゃべりする時もそう。とにかくよく行ったものだ。
 そして何より、この頃は、ひとりでぼんやりするために店にいたような気がする。どこにある店に入っても、あの店は同じ雰囲気で安心するのだ。仕事の行き帰り、その時その時でふらっと入った。そしてあてもなくぼんやりと座って店内を見ていたり、ノートを開いて詩を書いたりした。『やはり野におけ れんげ草』の中の詩にも、そうして生まれたものがいくつかある。「帰途」などはその帰り道のことを書いたものだし、『ガラス窓のある風景』で、主人公と女友達が利用する駅前のドーナツやとは、やはりミスタードーナツのイメージである。こうしてみるとミスタードーナツは、私の創作にも、大きく貢献してくれている。
 ただ何を思うでもなく、考えるでもなく、ゆらゆらと自分ひとりになるための場所。私にとってミスタードーナツは、そういう役目を果たしてきてくれた。それと同時に、誰かと一緒にいる、話をする、時間も場所もまた、提供してきてくれた。
 なんだかそんなことをつれづれに思いかえし、あらためて、ミスタードーナツを私は好きだなと思った。ひとりぼんやりとあの店で過ごした時間が、今も変わらず私と私の創作意欲をを支えてくれている。



旅の途中で(2001/6/17)

 先日、久しぶりに新幹線に乗る機会があった。
 もうすっかり夜になった、帰りの新幹線。
 途中の停車駅で乗りこんできた男の子は、ホームで見送る女の子に、彼女の姿が見えなくなるまで手を振りつづけた。
 列車は走りつづける。それから45分、目的地で降りようと通路に並んでいると、傍らで授業展開についての本を読んでいる、学生らしき男の子がいた。その斜め前の座席では、『ナースシリーズ・術前・術後のケア』と書かれた本と携帯電話を重ねて膝の上に置いている女の子がいた。
 そんな様子を横目で見ながら、私は列車を降りた。
 みんなそれぞれに、自分の人生を生きているのだと思った。
 そうして、自分はどうなのだろう、と思った。
 今まで生きてきた軌跡はくっきりとここにあり、しかしまたそれは、幻のようでもあり。
 本当に確かなものは、「今」だけなのだ。
 ここから、何が残っていくのだろう。

 彼女と別れを惜しんでいた、遠距離恋愛中らしき男の子は、ヘッドホンをしたまま熟睡している。
 この列車はもう、終点まで止まらない。



『ぱん だいすき』(2001/6/9)

 福音館書店の「こどものとも 012」という月刊絵本を、毎月とっている。半分私の趣味で買っているようなものである。毎号、違った作者が、まったく違う作風の内容を描くので、楽しみにしている。これの2月号が『ぱん だいすき』というのだった。
 やわらかいタッチで描かれた、ページいっぱいの「ぱん」。子どもの頃、「町の焼きたてパンやさん」に憧れた、という作者が作った絵本で、作品全体にその思いにあふれている。まさに「ぱん だいすき」の私は、一目見てこの絵本を気に入った。また子どもの方でも、これがお気に入りの一冊のようで、よく持ってきて開く。
 「ぱん ぱん ぱん。これも これも、おいしそう」「これも これも、これも これも、みんな おいしそう。」「ぱん ぱん ぱん。ぱん だいすき。いただきまーす。」・・・この絵本を二人で見た日は、思わずちょっと遠くのパンやさんまで、焼きたてパンを買いにでかけてしまうのである。
 そんな私だったが、前にも書いたように、今、パンを焼くことに凝っている。まさにこの「焼きたてパン」を自家製で、楽しんでいる最中である。
 今朝、どうしてもこの「焼きたて」を家族に食べさせたくて、早起きしてパンを焼いた。発酵の間に家事など片付けながら、あつあつのパンをみんなで食べるのをとても楽しみに、2時間過ごした。
 そうして焼けたパン。みんなでテーブルについて食べた。


今朝焼いた、ハイジの白パンとウインナーロール

 
おととい焼いた、ベーコンフランス

 焼きたてパンは、売れに売れた。「おいしいなー。おいしいなー。」至福のひとときである。この気分を味わうために作る、というのも大きな理由のひとつ。それに、焼きたてあつあつのパンを食べる機会は実際、そんなにあるものではない。大好物の濃いミルクティーをがぶがぶ飲みながら私は、まだもうしばらく、パン焼きにはまりつづけるであろうことを確信したのだった。



メロンパン!(2001/6/5)



焼きたてです!!

 今しがた、パンを焼いた。実に20年ぶりのことである。
 オレンジページの最新号の特集が、「90分で焼きたてパン」。先日それをチェックした時、「パンか〜」と思った。オレンジページは好きな雑誌で、たまにいい特集の時だけ買う。いつも特集のチェックだけはしている。今回はパン。パンというと、「めんどくさい!(何でもそれか・・・)時間がかかる!手順がややこしい・・・力が要る!」と、どうしてもそういうイメージがついてまわる。
 小学生の頃、一時よく作ったけれど、なにせ当時は(最初の雑記にも書いたが)魚を焼くグリルで焼いていたし、「パン生地を100回たたきつける!」という激しいレシピを実行していたので、作るのは大変な作業という思いこみがあった。あれ以来、パンは作ったことがない。
 そんなわけで、この特集は敬遠して終わり、と思っていた。
 ところが、である。今朝、出向いた病院にこの最新号が置いてあった。半分立ち読み気分でちらちらと見ていたら、パンの写真にやられてしまった。おいしそう!決定打は、「メロンパン」のレシピだった。数週間前、「べとべとのメロンパン」にやられてしまった私は、「ぱりぱりのメロンパンが食べたい」とひそかに思いつづけていた。しかも、ハイジの白パンも載っている!
 これは作るしかない、と診察までに決心し、頭の中はそこから先、メロンパン一色になってしまったのである。
 帰り道のスーパーで速やかにオレンジページとイーストと強力粉を購入し、帰宅するなり作る準備にかかった。昼食も用意しなければならない。発酵の時間も計算しながら、ものすごい勢いで作りはじめた。オーブンに入れるまで2時間弱、間に昼ゴハンも作りながら、ほぼタイトルどおり「90分で焼きたてパン」となった。ふだんだらだらしている私だが、こういう時に限り、こういったハヤワザが可能なのだ。

 こうして焼けたパン。半分はそのまま基本のバターロール、半分はメロンパンだ。いいタイミングで子どもが昼寝から起きてきた。いち早く見つけて「パ!」と欲しがるので、二人でメロンパンを半分こ。幸せなひとときである。味もなかなか良し。市販のもののように甘すぎず、柔らかくてとてもおいしい。問題のビスケット生地が、固く焼けているわりには、歯ごたえに欠けるのだけれど・・・。まあ、これも良しとしよう。
 次のターゲットはハイジの白パンである。雨がやんだら、スキムミルクを買ってきて作ろう。あと、ベーコンフランス。しばらくパン焼きへの情熱は続きそうだ。

 今までパンを焼くのを敬遠していたわりには、友達と、いつかパンやさんをやろうと言っていた。彼女は元銀行員なので、「お金の計算は私がやるから、パン焼いてなー」と役割分担も決まっている。今はオーストラリア・パースに住んでいる彼女、日本のパンを恋しがって、パンやの話をよくしているそうだ。帰国の暁には、一緒においしい焼きたてパンを、たくさん食べたいなあと思う。それはもちろん、パンやさんのパンなのだろうが、その日までに、手作りパンの方も腕を上げておきたいなあと思った次第である。