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随想ノート 10



被写体との距離感 (2013/1/21)

 もともと面白いなと思っていた写真を、興味を持って撮るようになって、もう15年近くになる。大した知識もなく、疑問に思って調べることがらと、自分にできる範囲でいい写真を撮りたいという意欲、それに伴う経験だけが、私の写真の師匠である。
 心惹かれた対象を撮ろうとカメラを構える瞬間、これを撮りたいという欲求に心が集中してしまい、何も考えず自分の立ち位置からシャッターを切るだけでは、当然だがいい写真は撮れない。
 そのことに気付けたのは、突然だが、パン作りのおかげのような気がする。
 自ら手をかけて焼いたパンは本当に愛しくて、そのパンの一番いい表情を記録してあげたいと思い、パンと語り合うように、何度も角度を変えて撮るようになったからだろう。
 私にとってそれは、動かない子どものようなもので、被写体への愛一心に写真を撮ろうとすること、さらに、「こう撮ってあげたい」イメージを持ち、育てておくこと、の大切さを教えてもらった。
 そのうちに、季節や時間帯による光の色や角度の違い、画面の配分など、たくさんの写真を見比べることによっていろいろなことが、未熟なりに感覚として分かってきた気がする。(それもまた、愛機のカメラの全面的協力があってこそ。)
 被写体に愛情をもって、同じ目線で寄り添うこと。
 そして心で語り合いながら、相談しながら、たくさん撮ること。
 何より、その対象へのこちらの気持ちが、いい写真を撮らせてくれる、ということに気付いたのだった。被写体との心の距離がそのまま、写真に表れるということに。
 写真もやはり人付き合いと同じで、「上から目線」では被写体が自分についてきてくれないのだ。(俯瞰する風景などは別である。その広大さゆえに、「上から」になりようがないだけであるが。)
 どんな場面でも、どんなことにも。心が、愛がなければ、よりよく成り立っていかないものだなあと、私は写真を撮ることと、歴代の愛機から学んだ。
 深く、感謝である。
 深く、愛をこめて。



顔、貌、かお (2012/12/7)

 お友達のおうちまで、お届けものにでかけた帰り。
 地下鉄の中吊りを何気なくながめていて、目に留まったものがある。
 広告の左半分に小さめの六葉の写真が並び、右半分に、スーツ姿の若い女性の写真が、大きく載っているもの。
 どこかの、就職関連の会社の広告らしかった。

 その六葉の写真は、古ぼけた赤ちゃんの写真から始まっていて、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生、と順に並び、どうやらその女性の、来し方の写真らしかった。
 すぐにそうだと気付かなかったのは、その変貌ぶりがあまりに見事で、途中途中の写真同士も、また、現在の姿と思しき女性の写真も、同じ人物とは思えないほどだったからだ。
 まじまじとその広告を見つめながら、ひとの顔って、こんなに変わっていくんだなあ…と、あらためて驚かされた。
 その間(出生から、おそらく就職活動までの)、たった二十年ほどで。
 成長期にあるとは言え、この後、何ごともなければあと五、六十年は続くであろう人生のうち、たった四分の一を過ごしただけで。

 その時、ふと頭に浮かんだのは、毎朝見ている子ども番組の、あるクイズコーナー。
 三葉の古い写真が並んでいる横に、ひとりの人物の写真がある。「さて、この人の若い頃の写真は、どれでしょう?」というもの。
 しばらくののち、時計の針が逆回転をはじめ、その人物の写真がどんどん、若返っていく。もとい、その年齢から徐々に若返るように、写真が連続して変化していくのだ。そして・・・現れるのは、三葉のうちの一葉、というわけ。
 この答えが現れるまでの変貌ぶりに、いつも驚いていたことを思い出した。途中途中の顔に、まったくつながりがない。まして最後にたどりつく若い頃の写真は、当てることも難しい、ある意味でとても興味深いクイズだったのだ。

 そんなことから、今目の前にある誰かの顔は、その瞬間、折々のものでしかなく、人生をトータルでみた時に、その人をその人たらしめるものとはならないのだと気付く。さらには、誰にでも同じ顔に見えているかということすら、実は誰にも分からない。しかしその「顔」を記号として、人を見分けていることも事実なのだ。

 最近、俳優さんの対談を見る機会が続いて、思ったことがある。
 回想のための過去の映像が、例に漏れず出てくるのだけれど、どの人も、そのどれよりも、今がいちばんいい顔なのである。年相応のしわが刻まれた笑顔、また、ひきしまった表情になった時にも。
 経験を糧に成長を続ける心の変化が、外見の変貌をもたらすのだと、あらためて感じた映像だった。

 もうひとつ、家族や友人、長く親しんだ人の顔は、なぜか時間が止まって見える。その時、変化する貌の奥にある、魂そのものと対峙しているのを感じる。
 心の、魂の成長こそが、その人たらしめるものだとすれば、折々の「顔」そのものではなく、変化していく「貌」の流れを貫く、目に見えない「かお」こそが、「その人らしさ」のように思えてくる。親しい人たちの「かお」を思い浮かべ、そのことを確信する。
 「自分の顔に責任を持つ」ことの意味は、つまり、そこにあるのだ、と。
 逆説的になるが、自ら磨きつづける魂の姿が、「貌」、そして「顔」に表れてくるのだ、と。

 以前の雑記、「顔」に書いたことは、直観として間違っていなかったと、あらためて思う。
 そしてまたあらためて、自分の真実を見極め、表現していくことの大切さを思う。
 いずれそれは、目に見える「顔」となって表れてくるのだから。



過去の自分に助けられる (2012/10/12)

 とあるところで読んだ文章に、数年前の自分が、未来の自分に宛てて書いた手紙を見つけた、という話があった。
 それはタイムカプセル的なおおげさなものではなく、当時の自分が、「もし将来、今と同じ状況になったら読むように」と書き残して、引き出しに入れておいたものらしい。
 最近、同じ状況下になった時、それを偶然に見つけ、読み返し、今の自分を省みた後、気付いたことを新たに書き足して、そっとまた同じ引き出しにしまった、というお話。
 その人は、数年前の自分が、すっかり忘れていたことを思い出させ、今の自分に現実を見せてくれたのだ、と締めくくっていた。
 そんなエピソードから、確かに「過去の自分に助けられる」ことがあるなあ…と思い至ったのだった。

 たとえば、おせち料理の作り方に、赤ペンでちょこちょこと書きこまれた、当時の文字。ちょっとしたコツや出来上がりの食感、味付けの好みからの調味料の加減具合まで、示してくれている。
 それを読みながら作っていると、使いこんだ料理本の隅っこから、昔の私が今の私に、一生懸命語りかけてくれている気がして、ふっと気持ちが和む。
 書きこみだけでなく、高校生の時からつけている、お菓子作り〜のちにお料理ノート、というのがあって、時代によって変わる筆跡が、今の私に、作り方をていねいに教えてくれる。友達のお母さんに教えてもらったクッキーの作り方から、何度も繰り返し焼いた同じパンの仕込み温度や状態、ひとり試行錯誤したお味噌の仕込みのコツまで…。
 数年、数十年、の時を越えて。
 ・・・書き残してくれたあなたのおかげで、同じ失敗を、繰り返さずにすんでいます。

 子どもたちを夕方遅く、スイミングに連れていく日があった。
 とっぷりと日が暮れて帰って、ただいま!とドアを開ければ、ふんわりとごはんが炊ける蒸気のにおいと、温めればすぐ食べられるカレーが待っている。
 ああ、先に、作っておいてくれたんだ・・・と、数時間前、時計とにらめっこで台所に立っていた自分に助けられた、と思う。

 おおもとでとらえるならば当然、過去の自分の連続が、今の自分を作っているのだけれど、こういう目に見えるところでそれに出会うと、不器用なりに精一杯だった過去の自分への慈しみと感謝がこみ上げてくる。そして、今の自分にもまた、同じ目を向けるべきなのだと気付き、反省する。今の自分が瞬間先には過去の自分となり、その経験値が未来の自分の支えになっていくのだから・・・。

 そんなことどもを思いながら、きっかけのエピソードに立ち戻ると。
 読んでまず思い出したのは、実は15年前の日記だった。
 数年間の日記の中で苦しみ、悩み、自分と対話する日々の末に見つけた、自分の本質への言及。
 月日とともに大切なことを忘れ、不安になった時、自信を失くした時、そのページを開けば、あの日の私が今の私に、苦しんで見つけた変わらぬものが何かを、淡々と教えてくれるのだ。
 「これからの私へ」・・・と。



八ツ橋短篇小説・顛末記 (2012/10/1)

 昨夏の日記から続く、息の長ーいお話。

 9月半ば、オットが、仲間に会いに京都に出向いた折のこと。
 そのおみやげに頼んだものは、当たり前のように、生八ツ橋。しかしそれは、メーカー指定つきで。

 あの後、短篇小説つきの生八ツ橋にすっかり心奪われてしまった私は、長男の修学旅行のおみやげも、オットの社員旅行のおみやげも、できるだけ違う味を選んで買ってきてもらっては、ほくそ笑んでいた。
  なぜ違う味を選ぶかといえば、それぞれの「味」にちなんで小説のテーマが設定されていることに、集める途中で気付いたからなのだ。
 (ここが、その生八ツ橋に個性を与え、想像力で味覚を助長すると考えられる所以である)

 そうして、衝撃の出会いから一年余。手元にあるのは、合計五篇の小説。
 これらの小説との出会いとなった、友人からいただいた「桃味」は、実家から下宿に届いた桃を食す、書生らしき人物と河童の物語だった。
 次に手にした秋包装の生八ツ橋(ニッキ味)は、八ツ橋屋の裏の路地で、蜻蛉をつかまえる話。
 「いちご味」は、小学校の校庭の隅に実った、いちごの朝つゆに蝶が訪れる話。
 ニッキと抹茶の詰め合わせセットでは、風とともに、雲水のような僧とすれ違う話。

 そして今回、オットが買ってきてくれた、「栗味」。
 期待に胸ふくらませ開封、出てきた短篇のタイトルは、「栗鼠」。

 リスが、栗を分けてくれる、そしていがを取ってくれる、なんとも微笑ましいお話。
 "そりゃあ、栗の鼠て言うやないですか。・・・"
 うまい。うますぎる。

 この八ツ橋のメーカーが外注で頼んでいるのか、それとも、社内に創作好きな人がいて、楽しみ半分に書いているのか・・・。この一年あまりの間に、わたしの中では、重役室で万年筆を持った年配の男性役員が、カリカリと執筆している・・・そんなイメージが、すっかりできあがってしまっていた。

 そして先日のこと。私自身が京都を訪れる機会に恵まれ、京都駅のおみやげやさんで、迷うことなくそのメーカーのカウンターに直行した。
 買ったことのない「黒胡麻」に、秋らしい「かぼちゃ」を発見、さっそく購入。
 袋に入れてもらいながら、ふと、売り子のお姉さんに、
 「このなかに、小説、入ってますよねえ。」と、話しかけてみた。
 「あ、そうですね。」
 「これ…どなたが書かれているんですか?」
 (まさかここで分かるはずがないと思いながら、きいてみた)
 「うちの企画室長が、書いているんです。」
 お姉さんが間髪を入れずさらっと答えてくれたので、吃驚した。
 頭のなかに、イメージどおりのおじさま社員が浮かび、嬉しくなる。
 「そうなんですね!私これが好きで、集めてるんです。」と伝えると、
 「かぼちゃには、入ってないんですけど。ここに黒胡麻のがあるので、どうぞ!」と、おそらく試食に使ったのであろう生八ツ橋の空箱から、ひらりとあの紙を、出してきてくれた。
 「ありがとうございます!書いている方に、頑張ってくださいとお伝えください!」
 私は嬉々としてお礼を告げ、その場を去ったのだった。

 手にした六篇めの、新しい小説。帰宅してから、楽しみに読んだ。
 それは…新月の闇夜に紛れて現れた、「影」のお話だった。

 この話、実は、ここで終わらない。
 以下、後日談。

 「とにかく、会社の中の人が書いてはるらしいわー」とオットに報告し、何の気なしに、メーカー名と"企画室長"の文字で、検索してみた。
 そうしたら、ヒットした大量の記事から、どうやらその企画室長とは、弱冠30歳の女性であるらしいことが判明!
 趣味の項目に「文章を書くこと」とあったので、おそらく間違いない。
 パッケージも刷新したというその企画室長の、新しいアイデアだったのか。
それだけでも驚きだったのだが、その女性のプロフィールをよく読めば、「創業320年の老舗に生まれ・・・」とあるではないか!
 つまり、
 そのメーカーの社長さんの、お嬢さんだった、ということ。
 ・・・・・
 頭のなかで、"おじさま役員執筆の図"ががらがらと音を立てて、崩れ去った。
 そして、売り子さんがたとえアルバイトであっても、社長の優秀なお嬢さんのことなら、知っていたことだろうと、深く納得したのだった・・・。

 たかが小説、されど・・・。
 たった一篇の小説に心ひかれたことから、深まるなぞの答え(?)が芋づる式に明らかになり、、感慨に浸った夜。
 そういえば以前は、このメーカーのものが地味に見えて、あまり選ばなかった気がする。
 そんな私をここまで夢中にさせたのは、私の齢のせいなのか、はたまた、新世代のアイデアの斬新さゆえだったのか。
 兎にも角にも、そんな方に気軽に「頑張ってください」だなんて・・・お見逸れいたしました。




人生の秘密 (2012/9/15)

 突然、レターパックが届いた。
 なんだろうと思いながら、宛名の美しい文字を見て、はっとした。それは、花巻から「木のはがき」を送った、もうひとりの恩師だった。

 初めて専門分野を教わった先生で、大学の先輩でもあり、ゼミの先輩でもある。
 もちろん、当時のゼミの先生のお弟子さんでもあり、わたしの進路づけに、重要な助言と、実際に助けもしてくださった方。
 さきに書いた先生に出会えたのも、この先生がいてくださったからこそ。

 細かくは書かないが、先生は、わたしが出会って以降に限っても、波乱万丈、(世間一般で言われる)苦労の連続をされている。けれど、そんななかにあってもいつも笑顔を絶やさず、こちらを思いやってくださるそのお気持ちに、わたしは甘えてばかりのような気がする。
 ご自身の体調や状況が大変なときであっても、なにくれとなく(子どもたちのことまで!)気にかけてくださる先生。
 未だに、歳の離れたお姉さんのような、親しみが抜けないままに・・・

 手紙を拝読して、涙がにじむ。いつもと変わらぬ、精一杯の、温かい文章。
 わたしは、こんなにもよくしてもらっていながら、いったい、何をお返しできたのだろうか、と、今の自分を振り返り、恥ずかしく、また情けなくなる。

 一緒に、スヌーピーの可愛らしい小さなバッグが入っていた。何気なく、入れてくださったのだと思うけれど・・・。
 それを広げて、わたしも何気なく、イラストと文字に目を留めた。

 "KEEP LOOKING UP…
  THAT'S THE SECRET OF LIFE!"

 そのことばに、はっとした。
 バッグを裏返したら、"HA HA HA HA!"とスヌーピーたちがおなかを抱えて、大笑いしている。

 示された道。
 そう、これこそが、人生の秘密(秘訣)であり、先生がわたしに、伝えつづけてくださっていたこと。・・・「いつも元気なママさんでいてくださいね」と。
 そして、先生との出会いは、人生の贈り物。

 わたしもまた、わたしにできる、せいいっぱいの毎日を漕ぎつづけていくしかない。
 そう自分に誓って、また、お礼の返事をしたためる。



恩師との電話から (2012/8/19)

 久しぶりに、恩師、O先生に電話をした。
 先生のお住まいの近所の、天候不良のニュースと映像に驚いたから…。
 それでも、かけようかどうしようか、逡巡していたところに、オットが「してみたら?」と背中を押してくれたので、その勢いで、かけることができたのだった。

 「おお!お久しぶり」と、懐かしい声で、先生は応えてくださった。
先生のいつもの散歩コースで落雷があり、心配したのだけれど、その日は出かけていなかったそうで、ほっと一安心。
 また、ニュースで見た、道路の冠水も、先生のご近所は大丈夫だったそうだ。

 はがきやメール、季節のご挨拶のやりとりはあるけれど、直接話すのは、1年前の秋、我が家の近所を流れる川が、あふれかけた時以来。
 先生が、NHKのニュース映像を見てびっくりして、お電話をくださったのだった。
 わたしはお隣さんと、「もし逃げるならどっち?」(わが町は、避難場所がなぜか川沿いなので、むしろ危険)とメールでやりとりしている時だったので、一瞬、町内会長さんの指示かと驚き、名前を聞いて、また驚いたのだった。
 先生のお気持ちが、その時、とてもうれしかった。

 先生の話は、すぐに近況に移り、学校の先生たちの話になり、政治の話になる。
 以前、おうちにうかがった時もそうだったけれど、本当に、胸を痛めておられるのだなあと思う。
 先生が長年力を入れてこられた、児童文学館が閉館に追いこまれたことに始まり、政治家が効率重視で文化の場を消していくやり方に、強い憤りを感じておられる。
 「まあ、愚痴ばっかりになってしまうんやけどね。教育なんて、すぐに結果が出るもんじゃないでしょう。文化も、儲かる、儲からないで裁定するもんじゃないでしょう。それを追いこんでいくのは…」と、ため息混じりに、話は続く。
 「政治家が芸術や文化を軽視するなら、その国は、滅びます。なぜなら、それは、人のこころを育てるものだから」と、先月、さだまさし氏からも、同じ人に対する言葉をきいたことを思い出す。

 そして、本の話。
 「毎月読書会をしてるけど、最近の日本の児童文学には、面白いのがないなあとみんな言うてるんや。うちの大学出身の(作品)は、身びいきで読むけどな」
 「そうなんですね・・・」
 図書館から絵本を借り出しては楽しんでいます、とはがきに書かれていたことをふと思う。絵本なら、どんな作品を、先生は推してくれるだろうか・・・。

 15年前のある日、先生から、お電話をもらった。
 「あんた、児童文学館の研究員、やらへんか?」
 ゼミの先輩がひとり、辞めてしまわれるのだという。
 結婚することが決まって、いつ先生に相談しよう、と思っていた私は、その話を残念に思いながら、今しかない、と話を切り出し、結婚して名古屋に行くこと、そして、先生に仲人をお願いしたいことを、伝えたのだった。
 先生は驚きながらも、快く引き受けてくださった。そして、仲人をしていただいたから、という理由だけではなく、当時のゼミの仲間とともに、恩師と教え子としてのおつきあいは、今も続いている。

 声の張りが衰えた気がするのが、少し寂しかったけれど、たった15分ほどの電話から、ああもう一度、先生の話を存分に聴きたい、あの頃のようにゼミ生として、ただ夢中で。と、強く強く、思ったのだった。