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うさぎのしおり  9/20

インスタグラムを見ていたら、いつもはうるさく感じる「おすすめ」投稿で、
目を奪われたものがありました。


折り紙で作る、「うさぎのしおり」。
「うさぎ」なのに、ミッフィーのフォルムにとてもよく似ている。
早回しの動画に目が吸い寄せられ、数回見て覚えて。
数日後、折り紙を出して折ってみました。

とっても簡単だけれど、立体苦手のわたしは、
耳のところの折り込みで少し苦労しました。
動画を探しだして、くりかえし見て、どうにか完成。
カラフルなうさぎ(ミッフィー)に心弾んで、
ひとつひとつの顔が、ちょっとした違いでいろんな表情になることに驚いて。
折りはじめると楽しくなって、次々と。

・・・あれ?
かわいいだけで満足していたけど、これは「しおり」だったはず。。
裏返すと、角が袋状になっていることに気づきました。


とある雑誌の付録冊子で、早速おためし。
こういうふうに使うのね!!と、
できあがった嬉しさに続いて、またまた気持ちが高揚しました。
実用的でかわいくて、手軽な手づくり。
こういうものに出会うと、本当にうれしいのです。
まだまだ、作ってしまいそうな予感。



初秋の宇治へ  9/16

大きい坊ちゃんが有休を使って小さい坊のところに遊びに行くというので、
急に宇治への旅に出ることになりました。
行くつもりはなかったのに、人生初の宇治に心ひかれて…。
わたしだけ、日帰りのつもりでついていきました。


JR奈良線で宇治へ。
実は、「源氏物語ミュージアムがある」という坊ちゃんの言葉に耳が反応して、
行ってみたくなったのです。


駅からお茶屋さんの並ぶ通りを抜けて、宇治橋へ。
初めて見る宇治川の広いこと。。


橋のたもとにいた紫式部と、ミュージアムの入口に植えられていたムラサキシキブ。
この季節でないと見られない紫の実と出会えたこと、
そしてさらに…瀬戸内寂聴さん(名誉館長)の特別展会期中だったこと。
ここで寂聴さんに出逢うなんて!と、導かれたような気持ちになりました。


館内をぐるりと見終わった頃、アルバイトを終えた小さい坊ちゃんと合流。
ミュージアムにほど近い世界遺産・宇治上神社へ3人でお参りした後、
通りがかったお店でお昼ごはんにしました。
宇治らしく茶そばが食べられて、みんな大満足!

川沿いに船が何隻も繋がれているなあ…と思いながら歩いていたら、
大きなケージが目の前に現れ、中にたくさん鳥がいて、驚きました。
足もとには、竹で編まれた籠が!
そう、この子たちは、宇治の鵜飼待ちの?ウミウたちだったのです。
みんなおとなしく止まり木にとまっていて、まんまるな目がとてもかわいかった。


午後遅くなりましたが、3人そろって行きたかった平等院に到着。
ここは子どもたち二人とも、修学旅行で訪れたことがあるらしく、
来たことがなかったのはわたしだけでした。(!)
有名すぎる10円玉の鳳凰堂は、いつか見られたらいいな…くらいの熱量で、
ここまで生きてきました。(笑)
関西住みなので、修学旅行は京都じゃなかったし…。
遠足も奈良がほとんどだった。
ほおおこれが…とながめて写真を撮って、鳳凰堂だけに鳳凰が乗っているのね…と、
受付でもらった絵はがきが鳳凰だったことに納得。
さらに、坊ちゃんに教えられて驚いたのは、
1万円札の裏に描かれているのが、この鳳凰だということ。
そうだったのか…。こんなに有名な平等院に、今まで興味がなさすぎました。

そんな坊ちゃんたちも、阿弥陀如来坐像はまだ見たことがないというので、
せっかくだからと時間指定制の内部拝観をすることに。
外観を見たり、展示館の見学をしたりして、待つこと30分。
さっきまで池の向こう側からながめていた本堂に入り、
堂々とした風格の阿弥陀如来像を見あげた時、
その清々しさに、心がすーっと清められていくような、不思議な心持ちになりました。
逆光だったこともありますが、建物を外から見ている時には、
こんな立派な仏像が本堂に座してこちらをながめているなんて、
想像もできなかったのです。
東大寺の大仏殿のような観相窓もあり、
阿弥陀如来様がそこからこちらを観ておられるんだなあと、
内部の見学後に観た鳳凰堂は、その存在が全く違って感じられました。
他も、52体のうち28体が楽器を持っているという雲中供養菩薩像、
経年で消えかかっている壁扉や堂内の絵画、
数々の美術品が歴史の重みを語りかけてくるようで、
来てよかった、観られてよかったと、心から思いました。
坊ちゃんたちも同じように何かを感じたようで、しみじみと感想を語り合いました。
急に決めた旅だったけれど、本当に、来てよかった。




新しいノートへ  9/14

長いあいだメモに使ってきたノートがついにいっぱいになり、
新しいノートを購入しました。
右が今までのノート、左が、ファイルに入れ替えた新しいものです。


この日記には書いたことがなかったと思うのですが(!そのことも衝撃)、
実は6年と半年、チェロを習っていました。
その間、レッスンを休んだりあまり練習しなかったり、
半年くらい楽譜にしか書かなかったり、のろのろもいいところでしたが、
それでも、少しずつ書きとめるうち、やがて終わりのページが訪れました。
レッスンの注意だけでなく、楽器や弓のメンテナンスなども記録しているので、
これからもたいせつなノートです。


気づけば6年半。
別にここを目指してきたわけではないけれど…
ばんざーい!
・・・・・。


このノートはなんと、習っている教室の主宰者の方の、手づくりです。
最初のページ、「目指すところ」には、「チェロとなかよくなる。」と書かれています。
なんだか初々しくて、幼い自分をみるようです。
わたしはチェロと仲良くなれたのだろうか。。
そして6年半後の新しい一歩には、何を書こうかな。。



さようなら  9/13

何でもないごみの日の今日。
30年をともに過ごしたものとお別れしました。

学生の頃に買った、イミテーションのパールネックレス。
どこで買ったのか覚えていないけれど、確か1000円くらいで。
安いなりに、ふだん本当に活躍してくれて、
あらたまった場だけでなく、仕事に行く時も、
アンサンブルニットの上によくつけたものでした。

それが、10年ほど前に、金具が根元から外れてしまい、
修繕できるような状態でもなかったので、そのまま引き出しで眠っていました。
久しぶりに出してみたら、本体のパールも照りが消え、酸っぱいにおいがする。
おそらくプラスチックだろうから、あまりよくないなと思い、決心しました。


形あるものはいつか壊れていくし、それはわたしたち生き物も同じだけれど、
どちらも同じように、共に過ごした時間が長いほど、別れも惜しいもの。
思い出もたくさんあるほど、別れがたいもの。
あの日の自分までいなくなるような気がして、せつない。

今まで、わたしのそばにいてくれて、わたしを見ていてくれて、ありがとう。
あなたと過ごした時間、そして共にいたわたしを、忘れないでいるね。



「わが心の痛みの子守唄」  9/10

ブラームスがそう呼んだ自身の作品、Op.117ではないけれど、
わたしにとってまさにその言葉どおりだと思えた、間奏曲Op.118-2。
もう、こんなふうに心に入りこむ音楽には、出会えないと思っていた。
最初にチェロアンサンブルで聴いた時、美しい曲だなあ…と感じていたけれど、
原曲がピアノ曲だったとは、そしてそれがこんなにも美しく、せつない音楽だったとは、
反田さんが弾いてくれるまで、知らなかった。
プログラム中、アンコールと、二度も弾いてくれて、その音楽に打ちのめされた。
この曲を自分の手で奏でたい、そして、自分の心を慰めたい、と、
本当に久しぶりに、突きあげるような衝動を感じた。
もう、そんなふうに強く思える音楽には、出会えないと思っていた。

反田さんの演奏はすべての音が制御され、まとまり、一枚の美しい織物のようだった。
あんなふうでなくていいから、わたしはわたしの、
胸に詰まっている痛みをそっと撫でるように、
むしろたどたどしく、弱くとも、温かい音を紡ぎだせればいい。
自分の心をノックするように弾いて、その音が中に入って、
寄り添い、痛みを涙にして、流してあげられればいい。
たった116小節のその音楽を、自分がいちばん安らぐ色に染めて、紡ぎたい。

そう思って、日々。
譜読みと練習をくりかえし、くりかえし。
続けている。

そんななかで偶然見つけた、温かい、好きな演奏。
Brahms - Intermezzo in A major, Op. 118 No. 2 - 6 Piano Pieces



ひさびさに…  9/8

白露が訪れても、まだまだ暑い日に、
久しぶりのベーキング。


大きい坊ちゃんが半年ぶりに、バイト先の塾を訪れるというので、
お礼の気持ちで、栗原はるみさんの塩クッキーを焼きました。
焼こうと思いつつ長らく放置していた、なつかしのスコーンも一緒に。
これは昔々、大阪の紅茶やさんでもらったレシピで、
全く甘くない、どっしりとしたスコーンです。
紅茶によく合って、粉の風味があって、素朴で、ほっとします。
そのお店は今はもうないけれど、こうして焼いて紅茶をいれると、
ほっとする時間は変わらず、ここにあります。



おくりもの  9/3

就職して半年。
遅くなったけれどと、大きい坊ちゃんから、
初任給の贈り物をいただきました。


リクエストするには、お高いし、長い物語もあるので、
ずいぶん迷ったのでしたが、思いきってお願いしました。
"ブルーフルーテッドハーフレース"という絵柄のティーカップ。
いつか…と思いながら、気づけば、25年が経っていたのでした。

いざ家にやってくると、もったいなくてこわくて、
箱の中にしまったままだったのですが、
ふと、これをやってみたくなって、出してきました。


こつこつ集めていた食玩の小鳥たちで、ニルヴァーナ状態のカップ。(笑)
「ま、まさか、カップに最初に入るのが鳥だとは思わなかった…」(by 大きい坊)
坊ちゃん、ごめんよ…。
でも、妙に可愛くて、写真をたくさん撮ってしまったのでした。
次は、おいしいミルクティーを淹れるからね。