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neko*nekoワールド出現  7/29

我が家に突然、小さな保育園が現れたことは、前述の通りです。


しばらくテーブルの上でお散歩していましたが、
このたび、遠足先の2階が気に入り、ニッチにお引越ししました。
・・・・・
あら?この、大きな足…


なんと、そこにお猫さまたちが鎮座されていたことを、
毎日見過ごしておりました。(反省)
完全に見守られるかたちで、保育園の運営が続くようです。


わたしの意図を超えてneko*nekoワールドが勝手にできあがっていき、
驚いていた翌日のこと。
車に乗りこんだオットーが「あれ、なに?鳥?」ときいてくる。
「???」
・・・指さす先に鳥の姿など見えず、なんのことかと思ったら、
フロントガラスに、何かの足あとが白くうっすらと…。
「えー!!鳥じゃないよ、これ、肉球あるやん。
 それも犬じゃないで、猫やろう!」(爆笑)

・・・フロントガラスのどまんなかを登って、降りて、
往復したらしい足あとに、大爆笑でした。




傷だらけで演奏会  7/24

数ヶ月前には思いもしなかったコンサートに行ってきました。
反田恭平さんのリサイタルです。
5年前、佐渡さんの公演で、初めて彼のピアノを聴きましたが、
今は時の人すぎて、とても取れないだろうとチェックしていませんでした。
突然北海道の友人から連絡があり、
反田さんの今回のツアー、札幌入ってないんだよねーと。(笑)
名古屋であるんだけど、行かない?取れない?ときかれ、
調べてみたら、地元のチケットセンターに扱いがあったので、
そちらからチャレンジしてみることにしました。
しかし、ファンクラブ優先枠もあるし、
「取れるかな?」と聞いたら、「秒で売り切れるよ!」と彼女。
事前にログインしておき、発売時間きっかりに画面に入ってみたら、確かに!
押しても反応のないグレーの座席がほとんどで、それは売約済みと気づき、焦りました。
なんとか3階席中央を押さえて、安堵。
その後見ていたら、およそ18分で完売していました。
秒じゃないけど、相当早かった。
メインプロモーター(地元テレビ局)に電話にしなくてよかったー。

そんな争奪戦を経たコンサートは久しぶり。
初の自伝本や発売前の新しいCDも特別に並ぶとあって、
演奏はもちろん、ほかの楽しみも盛りだくさんでした。


購入したこの本は、会場限定カバー。
いい記念になったなーとうれしかった。
というのも、声をかけてくれた彼女とは、18年ぶりの再会!だったから。
「おさんぽ日和」の奥にしまわれている、
北海道のひまわりの時以来だったのです。
こんなかたちで再会できるなんて!思いもよらなかった。
反田さんのすばらしいピアノとともに、一生忘れられない日になりました。

実は、このリサイタルに出かけた直後、
思いきり前のめりに転んでしまったのです。
大けが…とまではいかなかったのが本当に幸いでしたが、
分散して何ヶ所にもけがをしたので、
いったん自宅に戻らざるを得ませんでした。
とりあえず、傷を洗って買い置きの絆創膏を貼り、
途中で絆創膏を買い足して会場入りしたのでしたが、
けがから浸み出る体液が絆創膏の容量を超えてくる!(涙)
その後数日は、一日に何度も貼りかえながらどうにか過ごして、
3日目からはかぶれとかゆみに苦しみ、
今、10日が過ぎたところです。。


すでに数箱、空にして捨てました。(笑)
大きい傷以外、ようやく普通のサイズの絆創膏を貼れるようになりました。
しかし、ひねった手首、打ちつけた肘は、ねじると痛みます。
けがと再会と演奏会、稀有なことが重なって、
まとめて忘れられない記憶になりました。



自然であること  7/14

不意に目にした動物の動画に、ふっと心がゆるんだ朝。
ただ無邪気に転がったり遊んだりしているその姿は、
微笑ましいばかりでなく、なぜだかほっとした。
なぜだろう…それは、そこに嘘偽りや計算がなかったから。
思えば、動物だけだなく、植物も、
そしてすべてを生んだ自然そのものも、
取り繕うことをしないで、ただ、あるがまま生きている。
そんなすがたを目にするたびに、心がゆるんで、
ああ、わたしも、そんな存在でいたい、と思う。

下に書いた詩集は美しいけれど、
選ぶことばの難しさは確かにあって、
表現しきれない心の色に、ずれてしまうこともある。
気持ちに乗じて美しすぎることばが並ぶのもどうかと思うけれど、
かといって、写真だけでは伝えきれないこともたくさんある。

ひとと会ったり会話したりする時も同じ。
それぞれに心のひだがあり、ことばの綾があり、
交錯する時に別の何かに変化することが、怖くて、せつない。

時々は自然のすがたを見て、その中に、心で入っていくようにしよう。
いつも自然で、ニュートラルな自分であるように。
無理な力を働かせないように。
自分の中に渦巻く感情や想い、社会の中の価値観、
人間だからこそ持っているその矛盾を受け容れたうえで。
自然であること、中庸に立つ心を基準に、歩いていけますように。



はじまりは…  7/11

大きい坊ちゃんがふと、
「ままが写真撮りだしたのは、なんでやったん。」と訊ねてきた。
会社の研修の英作文で、自分が元気になるものは何かと問われて、
「写真撮影」と答えるのに必要だったかららしい。
あらためてそんなことを問われると、即座に思いつかず、
カメラと写真についての記憶をひとつひとつたどり、時代を遡っていく。
デジタル一眼で撮りはじめたのは、20年ほど前で、
初代EOS kissが最初だった。(今は2代目で、X5)
その目的は家族の歴史の記録と、HP。
その前は、発売されたばかりのコンパクトデジタルカメラを、
大きい坊ちゃんが生まれるのを機に購入。
それを幾台か買い替えてから、一眼レフへと移行するのだけれど…。
その頃はまだ、フィルムカメラも並行して使っていた。
それは、ペンタックスのフィルムカメラ。
新婚旅行に行くのに、買った記憶がある。
それ以前もペンタックスのカメラを使っていて、それが良かったから。
そのカメラは学生の頃からで、旅行の記録と、
習っていたフラワーアレンジメントの作品を撮るためだった。
デジタルのように、たくさん撮ったり簡単に消したりはできないから、
一枚一枚が今とは感覚が違ったなあ、とあらためて思う。
そんな旅の風景や花や空を撮るようになったのは…
そう想いを巡らしていて、はっと頭にひらめいたもの。
これだ。


本棚の、一番奥のすみっこに連なって眠っていた、銀色夏生の詩集。
掘りだすようにして引っぱりだした。
ページを開くごとに広がる緑や空の写真と、ことば。
これだ。
このことばと写真を見ているだけで、心が広がるような気がしたあの頃。
こんなふうに、写真を撮ってみたい、そこにことばを乗せてみたい。
そんな憧れの気持ちが、わたしの写真の原点だったと、
思い出したというより、気づかされた。
パソコンどころかワープロすらなく、自分のことばが活字になる、というだけで、
憧れが昇華される気がしたあの頃。
そこにこんな美しい写真を添えてみたい…と夢見ていたあの頃。
カラーの写真の印刷なんて想像もできず、
白黒のコピーがせいいっぱいだった部誌や同人誌。
友達に贈るための、1冊だけの手づくり詩集なら、
写真を切り貼りして、それらしいものを作ることができた。
そんな憧れもいつしか忘れて、そのうちHPという世界に出合い、
そこでわたしは、それと知らずに自分の憧れを叶えていたのだ、と、
初めて気づいた。
坊ちゃんに問われなければ、そのことに気づくことも、
若き日の憧れを思い出すこともなかった。

わたしの話を聞いて、この本を見た坊ちゃんは、
「写真撮りだしたきっかけ訊いただけやのに、
 なんか、壮大な話になったなあ。」とあきれている。
そして、「これは結婚する時に、捨てなかったんやな。」と言われて、はっとした。
今までいろいろなものについて、「結婚する時に捨てた。」と言っていたから。
本棚の奥で茶色に変色した背表紙をながめながら、そうだったんだな、と思った。
わたしにとって、「写真」は=「詩」だったのだ、と。
今も捨てられないものだったのだ、と。




小さな保育園  7/11

突然ですが、テーブルの上に、
小さな保育園?が出現。


事の始まりは、数ヶ月前の、とあるサービスエリア。
オットーがなんとなく?好きな、「仕事猫」というキャラクターがいるのですが、
その保育園シリーズのガシャポンを見つけ、なにげなく手を出したオットー。
ところが中でひっかかって出てこず、「もういいわ」とあきらめたところ、
「いやいやそれは。。」と、大きい坊ちゃんが店員さんに伝えにいったのです。
すると店員さんが、ケースを開けて、「好きなものを選んでください」と言ってくれたそうで、
大きい坊ちゃんはどれがいいか分からず、とりあえず青のボールを手に取ったのでした。

その青のボールを開けてみると…
入っていたのは、青い帽子をかぶった、泣いている子猫でした。
(同じ色のカートもセット)
その青い子の泣き顔が秀逸で…。
変に可愛くて、見ているだけで笑いがこみあげてくるのです。
そこに引っかかり、あちこちのガシャポンコーナーで探し歩くようにになり、
ついに本日、全員がそろった次第です。


なんと、シークレットの、笑い顔(くしゃくしゃ顔?)の先生も出て、
先生の数が2人になり、心強いかぎりです。
わたしの勝手な想像では、青い泣き虫子猫のほかは、
ピンクは恥ずかしがり屋さん、黄色は元気ないたずらっ子、
緑はにこにこおとなしい子猫、という印象。
この小さな保育園が可愛らしくて笑いが止まらず、
ついにやにやと、カメラを向けてしまったのでした。