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初積雪  1/ 30

夕べのあいだに降ったらしい雪が、うっすらと積もっていた朝。


冷えこみがそれほどでもなかったせいか、みぞれ状の氷のような結晶が重なり、
朝の光を受けて七色の輝きを放つのが本当に美しく、見とれました。
こちらが動くたびに、見る角度によってきらきらと、色が変わるのです。
そして、どんなにシャッターを切っても、その宝石のようなきらめきだけは、
どうしても写真に収まってはくれないのです。

レンズを向けながら肉眼でその輝きを見て思い出したのは、
『注文の多い料理店』の序文でした。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、
きれいにすきとほつた風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。

桃いろのうつくしい朝の日光がきらきら輝いて、
桃いろだけでない透明な色たちが、つぶつぶになって混ざりあい、跳びはねている。
秋の朝の川べりで見た、草むらの朝露のきらめきにも似て。
これこそ「十力の金剛石」だ…と。
ダイヤモンドの中をのぞきこんだ時と同じ、光の競演。
宝石と同じ輝きを、自然の中に、不意に見つけられるしあわせ。
これもまた神さまの祝福と、心洗われたひとときでした。


↑ わたしのカメラでは目で見るようには撮れないけれど、少しだけ光の粒がにじむ。


『十力の金剛石』


日曜日の朝。
仕事に行くオットーを隣町の駅まで送っていった後、まだ寝ている子どもたちを置いて、
川べりに、望遠鏡のハンドルさがし…。草かきわけ用の、傘持って…。(笑)
このへんかなー。
このへん歩いたかなー。
と、傘で探るも、ひと夏を越した後の川べりは、きれいに草刈りもされていて、
落ちていたとしても、ゴミとして捨てられた可能性が。。
まあ。。しょうがないか。部品取り寄せもたぶん、できるでしょう。。
あきらめモードでそんなことを考えながら、朝つゆで濡れたくつの先を見ていたわたし。
ふっと視線をずらした先に、、、きらきらっと光る、まぶしいものが!!
あっと思って顔を近づけてみたら…
なんと。
それは、まだ低い太陽の光をななめに受けて、輝く朝つゆでした。
あっと思った瞬間、わたしは「十力の金剛石だ!」とも、同時に思っていた。
その直感は、間違いなかった。
そう!
見渡してみれば、あっちにも、こっちにも!!
本当に、本当に、ダイヤモンドのように虹色に輝く、
または、青になったり、赤になったり、色を変える、
美しいつゆがいっぱい、いっぱい、草の上に落ちていました。

十力の金剛石』は、宮澤賢治の童話です。(←青空文庫へ)
金剛石とは、ダイヤモンドのこと。
虹のふもとにあるという、「もっといい宝石」を探しにいった王子さま。
本物の宝石が丘に雨のように降り注いでも、
林の木々や花たちは、「かなしい、十力の金剛石が来ない」と嘆く。
やがて、現れた「十力の金剛石」とは…
「その十力の金剛石こそは露でした。」
そしてそれは露だけでなく、輝く太陽、わたる風、
花のしべ、草のそよぎ、この丘、王子さまの瞳、、、
文章はちょっと分かりづらい童話ですが、
雰囲気、や、イメージ、は伝わってくる、そんなお話です。
その空気感だけがわたしのどこかに残っていて、
宝石と違わぬ輝きを放つ、美しい朝つゆが、それを呼び出したのです。
もうずいぶん長いこと、読んでもいなかったのに。
物語の喜びを、新たに教えてもらったできごとでした。

そんなこんなで、早起きは、三文の得。と、
ちょっとほくほくして、帰ってきました。

ハンドルは、見つからなかったけど。(笑)

(2009/10/4)



シリウスに  1/ 29

夜遅く、ふと見上げた東の空にシリウスが輝いているのを見つけて、
思わず、あとふたつの頂点を探す。
目で三角形を空に結んで、変に安心して、ほおっと白い息を吐いたら、
背中から身体じゅうの力がふっと抜けるのを感じる。
その時不意に、大きな気づきが降りてきた。

ああ…今までの人生、自分は人と上手く付き合えないと悩んできたけれど、
わたしはこんな自然の美しさから何かを感じるために、
そうあったのかもしれない…と。
むしろ、それを得るために生きているのだ、と。
自然がくれる気づきは、計り知れないもの。
心を澄ませて、見ようとしなければ、見せてもらえないもの。
わたしは誰かを満足させるために、また、賛辞を浴びるために、生きているのではない。
それができなかったことを嘆きつづけるよりも、
自然からの聞こえないくらい小さなささやきに気づけることを、
それが示す大きな真理に気づけることを、
わたしにとっての"ほんとうのさいわい"として生きていければいい。
それらを世界に表すために与えられたことばという手段を、
神さまからの祝福として生きていければ、それでいい。



蝋梅  1/ 28

近所を歩いていて、蝋梅(ロウバイ)の花が咲いているのに、はっとしました。
実家の猫の額ほどの庭(植え込みと称した方がいいくらい…)に植わっている、
同じ木を思い出し、帰れなかったこの2年を思いました。


このつやのある花弁がまるで蝋のようで、この名で呼ばれているのでしょう。
春の花らしいつんと冷ややかな香りがして、ほっと心が和みます。

坊ちゃんたちは、大学のオンライン試験の真っ最中。
それぞれに家の中にこもり、後期の試験に備えて勉強をしているようです。
思えばもうすでに、次の学年の入試が始まっていて、
この後期試験が終われば、彼らの二次試験が待っています。
「わたしが一番きれいだったとき」
茨木のり子さんの詩が、ふと浮かんできました。
あの詩では国同士の戦争、坊ちゃんたちは、感染症との戦い。

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

たいせつな青春の時を阻む何かは確かにそこにあるけれど、
その「時」はきっと、あなたたちの手に帰ってくる。
そう信じて、祈って、彼らの道行きをただただ、見守っています。

ふと見上げたら、早春に咲くミモザの花も、つぼみの準備を着々と。




教訓  1/ 27

春のような強い雨が降った後、思いがけず晴れた朝。
まだ残っている雨のしずくと湿った土、暖かい日差しに、いきいきと輝く緑。
そのひかりとの共演に、心躍るわたし。


鉢の見回りをしていたら、スイセンの小さな芽吹きを発見!
カモミールに駆逐されて(笑)秋に出た一部の葉っぱ以外、
もう球根がだめになったものと信じこんでしまっていました。
もうちょっとで鉢を開けてしまうところでした。。
植物のちからに感心・感激。そして、教えられることがたくさん。

実は昨日、雨の前にと、見栄えの悪い枯れ葉を切ったり、取ったりしていました。
-3.7℃は厳しかったようで、早々と伸ばしていたジャスミンの花芽や、
オリヅルランの葉の凍死(近年なかった 涙)があり、しなびて汚く見えたのです。
一緒に、あじさいの枝にくっついている枯れ葉も取ってしまおうと、
奥へ奥へ手を伸ばして作業しているうち、手前の鉢の新芽を、腕で折ってしまいました。
ああ〜。
周囲の芽と見比べても、それはたぶん、花芽…。
あじさいの花芽は2年越しなので、ようやくあと4ヶ月と迫ったところで、
わが手で折ってしまったそのショックたるや…。
横着したことを後悔し、しゃがみこんで、ひとりでぶちぶち言っていました。(笑)

そして、はっと気づいた。
枯れて自然に落ちている大きな葉とは違って、
枯れてもくっついている枝先の葉っぱは、春まで新芽を守る役目なのだ、と。
それは新芽が葉を伸ばし、開くちからで、やがて落とされていく。
すでに落ちている葉は、もうお役御免だから、拾えばいい。(病気防止)
枝に残っている枯れ葉まで、見栄えが悪いからといって、はぎとる必要はないのだ、と。
同時に、ベニシアさんの、イングリッシュガーデンの話を思い出した。
イギリスでは、枯れた植物も植生の一部として愉しみ、慈しむのだという。
それ自体が自然のサイクルの一部であり、美しいという考え方なのだろう。
新しいいのちが輝く春夏も、次の世代へと移り変わる秋冬も、
どれも同じように、美しい。
そして、春夏輝いた後、次の季節の訪れを守り、支えている枯れ葉たちを思い、
胸がぎゅっとしたのでした。

枯れているものをこまめに取り除いて、いつも緑や花が際立つようにというのは、
アスファルトやコンクリートで整然とした環境、町、おうちを維持しなければという、
都市社会が作りあげた幻想にとらわれているのかもしれない、とふと思う。
畑や川べりを見ていたら、季節ごとに移り変わり循環するのが、
当たり前の自然の姿だと分かるのに。
それは、人間とて同じなのだと、そんなことも教えられた気がしました。



クリスマス・ローズ 初開花  1/ 24

ここ数年畑にかまけて植え替えをさぼっていたため、根づまりを起こしていたのでしょう。
梅雨時の高温多湿に耐えきれず、葉が次々かびて枯れていき、
昨夏、時季はずれの植え替えを決行した、クリスマス・ローズ。
枯れるのを覚悟での処置だったけど、どうにか2鉢とも生き延びてくれました。
さすがに今年の花数はわずかで、2〜3輪のつぼみが出ているくらい。

そのうちのひとつ、ひょろひょろと細かった茎が、-3.7℃の朝の寒さに凍ったのか、
ぐったりと倒れてしまい、そのままつぼみもしんなりとしてしまっていました。
ようすを見ていたけれど、これでは枯れてしまう…と思い、
思いきって茎を切りおとし、浅いお皿に水をはって浮かべてみたら。


もうだめかとあきらめ半分だったのに、2日後に開花しました。
朝起きてきて、テーブルの上の花が咲いているのを見たら、
にわかに気持ちが高まりました。
しなびてたたまれていた花びらがぱりっと開いて、
なんと小脇に、もうひとつ小さなつぼみを抱えているのも発見。
ああーよく咲いてくれたなあと…うれしい気持ちになって、
外に出てのぞいたら、鉢の方にも白いつぼみがふっくらと、花開いていました。




夕景  1/ 21

1/7に借りて、本日返却予定だった中村哲さんの本。
前書きもすばらしかったけれど、最終章・「日本の人々へ」も、
簡潔で美しく厳しい文章、内容について深く考えさせられる、まさに名文でした。
次の予約ありで延長ができず、大急ぎで読み終えて、返しにいった帰り道。


さっと返却を済ませ、帰宅を急ぐ途中の橋の上で、
ふと目を奪われた夕景。
自転車をとめて、カメラを出して、電源入れて、構図を決めて…と、
かじかんだ手でおたおたと準備している間にも、刻々と風景が変わっていく。
空の色、川の明るさ、闇の濃さ…
測光するカメラの方も、どこを基準にするかおたおたして、
思う風景が撮れない。
そんなことをしているうち、数秒ごとに夕焼けが消えてゆく。
1枚ずつが違った風景になって、よかったような、残念なような。
冬の夕暮れは寂しくて、それを持て余していた子どもの頃を思い出す。



オレンジ色のカリフラワー  1/ 17

昨年末、寒風の中で収穫したカリフラワーは、カリフラワーらしい?白でしたが、
もうひとつのカリフラワーは、なんとオレンジ色をしていました。
長く葉っぱにくるまれていてその姿は見えず、現れてきた時に気づいて、びっくり。
ゆっくりと大きくなって、ようやく収穫の時を迎えました。


カリフラワーとキャベツは、今年は虫もほとんどつかず、とてもきれいで感激です。
さらにこれは珍しいオレンジ色で、嬉しさ倍増。
半分はゆでてそのまま、残り半分は、くるみと一緒にマリネにする予定。



成人式〜センター試験の思い出  1/ 16

松の内が過ぎたら成人式、そして入試…
このところ過熱ぎみとも思えるニュースにふれるたび、
波乱万丈だった昨年の記憶がよみがえる。


今年はこんなのぼりもなかったのでしょうが…
がんばれ受験生!
そう思わずにいられない、受験の週末です。

大きい坊ちゃんの成人式があり、
小さい坊ちゃんのセンター試験があった昨年。

式典に参加しないことに決めた大きい坊ちゃんは、
小・中時代に会いたい友達がいるか?(大事な友達とは今もつながっている)
式典に出る意味は?と、長らく考えて迷っていました。
結果行かなくて正解だったと、SNSでその日の写真を見て感じたようでした。
(集まって騒いで…というのが好きな子たちがほとんどで、話せる友達がいない)
SNSでどうしても情報が入ってくる世代、なんとなく右へならえで人に合わせてしまうと、
意に染まないおつきあいも広げなければならなくなる。
形にこだわらず、意思を通すことも大切とあらためて感じた、成人の日でした。

そして翌週末、いよいよ、小さい坊ちゃんのセンター試験。
ところがその数日前に急に発熱して、体調を崩した坊ちゃん。
学校を休んで病院で薬をもらい、寝たおしたおかげで、
熱はひと晩で下がり、再び上がらなかったのが本当に幸いだったのでしたが、
さすがに当日の体調は戻りきらず、ふらふらの状態で受験。
体調を崩した人のために、翌週に追試が準備されているのですが、
なんと東日本と西日本に1校ずつしか、会場がない!(=遠い!)
(今年は試験が3回あるため、無理をしないようアナウンスされているようだけれど…)
しかもわずかに難度が上がるのを憂慮して、満身創痍で戦う覚悟をした坊ちゃん、
ウルトラセブンのソフビ(=おにんぎょう)を太宰府のお守りと一緒にかばんに入れて、
送り迎えつきで試験会場(通っている学校)に向かいました。
(「セブン兄さんは満身創痍でも戦うから…」←いじらしい坊よ。涙)
通いなれた自分の高校でどうしても受けたい、という気持ちも強かったのです。

そんな状態で送り出し、時計と試験の時間割を見ながら、
はらはらしどおしだったあの2日間の緊張…忘れられません。
(追試験は科目ごとでなく1日単位でしか認められないため、途中放棄はできず、
 走り出したら最後まで走り抜けなければならなかった)
「賽は投げられた」と、オットーも会社の用事を抜けてきてくれて、
途中で倒れないか心配しつつ、会場近くで一緒に終了を待ちました。
1日目は緊張で眠れなかったせいもあり、ふらふらだったようでした。
2日目午後遅く終了、帰宅してすぐに寝て…落ち着いた深夜、自己採点。
「ちょっと待って」と言って、PCでなにやらごそごそやっていると思ったら、
PowerPointで採点結果のプレゼン画面を作っていました。(漫才コンテスト風 笑)
その余裕にようやくほっとしたのも束の間、その採点結果が発表される頃、
それを一緒に見ていた大きい坊は、せきこみながら高熱に喘いでいたのでした…。
(その後1週間、大きい坊ちゃん肺炎騒動。涙。
 思えばあの頃はまだ、今の感染症は遠いところのものでした。)



ニュースの対談から  1/ 7

12月の最後の日記の画像に手間取り、
1/3の記事を先に書きながら、アップできなかったという…。(笑)

昨年末に図書館で予約していた本がまわってきて、早速借りてきました。
『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(中村哲・著)
あの特集番組の引力に抗えず、(7年前の発行ですが)読みはじめました。
「はじめに」を読んで、驚く…著者の文章が、専門の文筆家かと思うほどに、
簡潔で、美しいことに。
それだけではなく、そのことばに体温がきちんと載っていること、
温かくも冷静なことばで綴られる現実が、強くこころに響いてくること。
著者の人柄がしのばれる、本当に素晴らしい文章、書物です。(まだ現在進行形)
書かれていることばに、いくつも心をつかまれた。
それは日本から遠く離れた国の話なのに、
今の自分に通じる多くの発見があり、目が開かれる思いがする。
なぜ今まで読まなかったのだろう?こんな心地良い、美しい文章を!
・・・これから読みあさります。

夜。
ニュース番組のなかで、ある歴史作家の方がリモート対談に応じていて、
そのことばのなかに、定義を超えて共感するものがあったので、書いておきます。
「歴史に学ぶ」という視点のもとに、現在の社会の在り方について、語られていました。

ひとつは、"日本は、100%安全主義をやめたほうがいい"ということ、
そのために"強制的な圧力で押さえつけつづけることもできない"ということ。
"民意すべてに寄り添おうとするのは不可能なので、
安全に生きのびるための中間的な政策を打ちだし、リーダーの責任のもとにやる"ということ。

ふたつめ、
今の社会は、「階段の踊り場」であり、息を整えるための場所にいる。
上っていくために必要な場所であり、さらに上へと上がっていくために必要なものは、
"自由である"ということ。
"そして自由とは、失敗をゆるすこと、失敗もOKとみなすこと"。
"失敗がゆるされないことは自由ではない、その自由があってこそ、上へ進んでいける"と。

現在の社会について、歴史に鑑みて政策を問う、というお話だったのに、
自分自身が生きるのに大切なことを示唆された気がして、釘づけになりました。
完璧主義をやめる。
失敗をゆるす。
自分の今いる位置がどこか、全体を見渡しながら、
無意識にそうなっている自分に気づいて、中庸の目をもって、見守る。
そんなふうにありたいと思った、とても有益な?対談でした。



年賀状と3つの返事  1/ 3

あけましておめでとうございます。

昨今の通信事情から、年賀状の数が年々、減るばかりなのは、
きっと我が家だけではないのでしょう。

そして、心をこめて相手に届けたいと思うのはこちらの勝手であって、
それをどう受けとめるかは、相手方それぞれの自由、なのでしょう。

それでも、送りつづけたいと思うか、どうか。
これから会う機会がなくとも、このつながりが大切と思えるか、どうか。
また、ご高齢になりつつある、お世話になった方々の、ご負担になっていないか。

宛名面も通信面も、両面が印刷だけの年賀状に出合うたび、
関係をつむいだ時代から経た年月を想うたび、
十枚単位で余ったまっさらの年賀状を片手に、
そのやりとりの意味を、考えずにはいられない、ここ数年の、この季節でした。

その一方で、年末、思いがけなくいただいたお返事が、3つ。
ひとつめは、昨年4月頃に出したご結婚お祝いカードへの、お礼。
昨年の年賀状で知ったご結婚報告に、ずいぶん遅れて送ったお祝いカードだったのに、
仕事の異動で忙殺されながらも忘れずにいてくれて、「ようやく書けました」と、
ていねいに返事を書き送ってくれたカードが、ありがたくて、嬉しくて。

ふたつめは、近所に住む、学生時代の友達からのクリスマス・カード。
彼女も多忙な暮らしのなかで、留守中にわたしが届けたみかんのお礼を、
「何もできない代わりに、心をこめてこのカードをおくります」としたためてくれてあった。

そして大晦日の夜。
オットーが、「メール来てるで。」とPCのメールソフトを開いて示した、
その名前に驚愕。
クリスマスに通販で購入し、大感激したとあるサントラCDの、
感想を書き送った音楽事務所から、作曲者のピアニストさん直々の文面でした。
CDのパッケージから中の装丁、しおり、そして音楽、すべてが素晴らしすぎて、
感激のままに想いを書き綴ったわたしの興奮メールに、温かいお返事をいただいて、
恥じ入るやら、嬉しいやら。
顔を覆いながら、指のすきまからメールを読んで、なんともいえない気持ちでした。

こうして思えば、他にも…
幼なじみのお母さんが、ふと手紙のやりとりをした流れで、
趣味のろうのお花のフレームを送ってくださったこと。
そして、いつもいつもお気遣いくださる、学生時代の大事な先生からの、
宝箱のような年末の贈り物。

こんなふうに、わたしのそのとき、そのときの気持ちに、
誠実に向き合ってくれる、ひとはいる。
みんながみんな、そうであるはずはないのだから、
また、目に見えるかたちだけが、すべてではないのだから。
ひとつひとつに、落ちこまなくていい。

受けとめられ方は重かったり、なんともなかったり、人それぞれなのかもしれないけれど、
わたしはただ、まごころをもって、ひとと向き合っていきたい、と、
そんなことを思いながら、過ごしたお正月でした。

今年もどうぞよろしくお願いします。