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引き出しのすみっこから  7/31

先週、つい近所にある弦楽器やさんに出向く機会があり、
その店内でふと目にした、楽器ケースがありました。
部屋の隅に2台並んだそれは、黒い革張り風の古いチェロケースで、
軽い樹脂製のカラフルなケースがスタンダードな昨今、
色やかたちも、ロック部分の大きな金具も、重々しい昔風の印象でした。
昔はこんな黒い、大きなケースだったんだなーと、
なんだか妙に懐かしい気持ちでそれをながめて、帰宅したのでした。

数日後の夜のこと。
2階でじゃかじゃかとギターの音がする。
ああーギター弾いて、ふたりで歌ってるなと(笑)そーっとのぞきにいったら。


目に飛びこんできたこのケース、最近見た何かに酷似している!!
頭の中でそれがつながった瞬間、目の奥に一気に懐かしい光景がよみがえる。
そうか、そうだった。
自分がギターを弾いていたことすら、すっかり忘れていた。
フォーク部が、わたしの高校時代のほぼすべてだったのに。
重いこのハードケースを毎日提げて、高校の門をくぐり、坂をのぼった。
部活に慣れてくると、ギター庫と呼んでいた低い倉庫に、みんなで並べて帰った。
記憶の引き出しのすみっこに追いやられていたあの光景を、
昨日のチェロケースが、不意によみがえらせてくれた。
あの懐かしさは、これだったのだ、とようやく気づいた。

今はすっかり弾かなくなったギター。触らなくなったケース。
貯めたお年玉で母に怒られながら買ったあの時には、
30年以上もこうして、一緒にいるとは思わなかったね。
今ではときどき、小さい坊ちゃんのために弦を張り替えるのが、わたしの仕事。




畑・現況 2  7/30

ずいぶん長い梅雨だなあーと思っているうちに時は流れ、
例年ならもう干し終えているはずの梅のびんに、はっとしました。。

今朝また雨が降り、すでに湿地化している畑にも慣れっこに…。
(脱いだ長ぐつがドロドロかと思いきや、水たまりできれいに洗われていたことも!笑)
ウリは完全に枯れたのを確認、大玉トマトも徐々に枯れはじめていて、
よく観察してみると、土と接している茎の元の部分が腐ってきていました。
枝に残っている実が少しずつ色づいていっていますが、この色づき具合は何とも…。
(うまく言えない。ヘタが徐々に枯れ、オレンジっぽくというか、命尽きる感が…)
毎年、このようすが寂しくて胸が痛みます。今年もありがとうーと思いながら…。

きゅうりはほとんど取れなくなりました。(涙)
葉が少ないうえに、茶色の点々が上がってきて、打つ手もなく…。
新芽が出て伸びようとしているのに、日照が少なく、成長できずにいる感じです。
でもまだ少しできている幼果に期待!

水・肥料食いのなすは虫にかじられつつも順調。
ピーマンも今年はうまく育っています。
日照が足りず、色は薄めですが、すくすくと実をつけ、大きくなってくれています。
ししとうは葉の色が黄色っぽくなり、木自体が成長しなくなりました…。
唐辛子、苗で植えたものは、いよいよ白い花を確認。
空芯菜、モロヘイヤ、たまに摘みますが、いずれも成長が遅いです。

収穫の面倒ないんげん。(いっこずつ取るうえに、どこかここかに隠れている!)
摘んでいると、大きなハチがやってきて、小さな花のひとつひとつに顔を突っこんで、
ぶんぶんとあちこち忙しく飛びまわる。
彼らはめんどくさがらずに受粉してくれているのに、収穫面倒とは、大変失礼しました。(笑)
これもしわしわの実が結構できていて、あまり元気とはいえないですが、
去年ほどの不作ではなく、奇形と普通が半々くらい、数は取れています。
(食べられたらそれでよし)

オクラも、例年に比べて数が少ないです。(葉の数も)
今年は五角形と丸を半分ずつですが、五角形はどうも固めで、苦手。(そして刺さる!)
丸オクラはきれいなのですが、数が五角形より少ないです。

枝豆、葉は大きく繁っているのに、さやが一向にふくらみません。
これも日照不足か…。
成長できないうえに、カメムシはいつもどおりついています。つらそうです。

かぼちゃは、枯れた(白骨化)つるから、また新芽が出ています。
小玉すいかも最後のひと玉をつけて、一応、つるを伸ばしています。
どこまで頑張れるか…。

里芋、他の区画に比べて、まだ株が小さいです。
最初に植えなおしたせいで成長が遅いのか、土寄せが遅かったのか…。
一方、さつまいも、この無法地帯。(笑)
隣の区画に入りかけていたので、はみ出したつるを地面からひっぺがし、
雑草は左へ踏み倒し・つるは右へひっぱりあげ、で区画整理。
(その後定期メールで、この作業を"つる返し"と呼ぶことを知る。)

青じそ、バジルが最盛期。
今後は、アオムシ&ばったと競争で収穫です。
今朝はちびばったがすまして青じその葉に乗っかっていました。
払いおとしておきました。(意味なし 笑)

・・・わたしの畑に限って言えば、今年は収穫少なめなのが幸いのような気もします。
この世情ゆえ、知り合いに配って歩くことがしづらいからです。
もともと、畑から帰っても洗う!仕分ける!の作業が大変なうえ、
家族で食べきれないほど採れると冷蔵庫にたまる一方で、途方に暮れることも多く、
捨てるわけにもいかず配り歩くとわたしの時間が!なくなるのも、大変困ったことでした。
(相手にも気を遣わせるのが申し訳ないうえ、迷惑だったかもしれず。。)
スーパーに行けば、きれいな野菜はたくさん売っていますから!

・・・しかしこないだ、帰り道を運転しながら、ふとおもった。
これ…もしかして、世間で言う「オーガニック」なの?と。
確かに…無農薬。化学肥料不使用。虫・病気対策は、ネットとストチューと手。
分かっていたはずなのに、意識していなかったので、初めて知ったかのような、気づきでした。
そうかー。これがオーガニックと呼ばれる野菜だったのかー。(しかも採れたて)
スタッフさんに、「畑の看板見てないの?」と大笑いされそうです。

↑今日、畑でお安く買ったくずいもたち。(しつれいな!)
もし食糧難なら、これを捨てるなんてありえない!

そういえば…お隣の区画だった畑友達(今年は少し小さい場所に移動された)は、
ご主人の病気がきっかけで、ここを始められたと聞きました。(わたしより1年早く)
最初は無農薬野菜を探して買っていたけど、しなびていたりして、
「だめだ!自分で作ろう!」と思ったのだそうです。(ご実家のお父さんと協力して)
今はお父さん共々忙しくなったせいで区画を変わられたけれど、
「いつかこっちに返り咲けるように頑張る!」と(笑)言っていました。

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このあいだのひとつめのかぼちゃ、やはり切り口から傷んできたので、
追熟なしで調理しました。
まず、天ぷら…それから揚げびたし・焼きびたし。
これが、とってもとってもとっても!!!おいしかったのです!(感涙)
今まで採れたかぼちゃで、こんなにおいしいものはなかった…。
毎年毎年、べちゃっとした食感だったのが、今回はねっとりとした甘みのある果肉。
ちょっと感激しました。
スタッフさんに話したら、「畑で追熟したんだねー」と。
あの果梗の"コルクになりすぎ"にも、意味があったんだなーと感心しています。

↑おじいちゃんの顔に見える切り口(アハハッのページに入る予定)。



つれづれに…高校時代 2  7/28

書きかけのまま、次の記事・次の記事と、これを消しては更新していました…

「授業中にネット落ちたらあかんから、これ持って上がるな。」
大きい坊ちゃん、今も必ず断ってから、スマートフォンを2階に持って上がります。
すでにPC2階で使ってる時点で、あんまり意味がないんだけど…(笑)
その意図に気づいていないのか、忘れているのか。可愛くてちょっと笑えます。

大きい坊ちゃんが高校に入学した時、彼はまだ携帯電話を持っていませんでした。
中3の某・通信教材に(希望していないのに)タブレットが付属してきて、
(PCやスマホの普及で、通信教育の方も試行錯誤の時期だったと思いますが)
受験勉強の邪魔になってしまうという思いがけない落とし穴にはまってしまったのでした。
(2階でインターネットができるようになって、ついつい勉強よりネットという事態に)
これに懲りたわたしは、入学後しばらくスマホは様子見!と、購入を見送ったのです。

このせいで、彼はクラスで作るライングループに入れず、
(他にも持っていない子はいたので、はじかれることはなかったのですが)
友達を作るのもおそるおそる、委員会の連絡なども他の子から伝えてもらう、ということになり、
ずいぶん不自由をさせてしまいました。
半年が過ぎ、さすがにそれは…と、購入することになりましたが、
その際に決めたことのひとつが、「2階には持って上がらない」でした。
彼らは個室ではなくて(…仕切りたくないらしい。「室内野球いつやるか分からんから」。笑)、
遊ぶのも勉強するのも同じ部屋なので、2階は、ネットを使わない場所に。
ネットを使うなら、遊ぶのも調べものも下のリビング(目の届くところ)で。
と、決めました。
これを彼は(のちに小さい坊も)ちゃんと守り、不自由だったでしょうが、
友達との電話もこそこそと、リビングの隣の部屋を閉めきってしておりました。(笑)
良かったのか、悪かったのかは、分かりませんが…

そんなわけで、1年生の前半は少し緊張ぎみ、彼の慎重な性格からも、
新しい生活のリズムやクラスの友達になじむのに、そろそろと…という感じでした。
そのぶん、限られたメンバーで運営される部活動は安心感もあったのか、
次第にそちらに比重を置いた学校生活になってゆきました。
(最初なじみづらかったクラスでしたが、卒業後は、そのクラスの友達が親しい仲間に)

勉強の方も、成績はクラスの真ん中くらいで、
中学よりも範囲の広くなった定期テストをこつこつとこなしていました。
中学校では毎回、全教科範囲表と一緒になった"テスト計画表"が配られましたが、
高校ではもちろんそういうものはないので、
自分で計画表を作るようにとPCで書きこみ式のものを作成。(by パパ)
これに手を加えつつ毎回印刷して、小さい坊ちゃんともども、使いまわしました。(笑)
そして最初の学期が終わり、やってきた通知表に、中学との違いを実感したのでした。。
(・・・中学の方が断然厳しかった!!と。笑)
それでも、小テストの手を抜くことなく、通学バスの中でこつこつと覚え、
それを3年間積みあげたのは、えらかったと思います。

そんなこんなで、1年生の文化祭を終える頃には学校にもすっかりなじみ、
愛校心も芽生え、部活動では徐々に中心的な立場に。
勉強のペースもつかめてきて、成績も徐々に上向きに。
気が緩みがちな1年後半〜2年の勉強は、
周りがどうであっても手を抜かないように、と、ずっと伝えてきました。
(それは小さい坊ちゃんにも、同様に)
部活動も忙しくなるなか、塾には通わず、学校の勉強をたいせつに、というのは、
坊ちゃんたちの中高時代をとおして続けたことでした。
教育方針という強いものではなくて、それは、学校できちんと積みあげれば、
その先の道はちゃんと開けるだろう、という、学校教育への信頼のような思いでした。
(そうでなければ平等でない、という気持ちもどこかにあった)
塾に通えば、それだけ時間もお金もかかり、またやるべきことも増える。
こなすべき課題が多すぎて振り回されることのないよう、効率的に、
まず学校でしっかり学んできて、ということ、それから、先生を頼って、ということ。
そのうえで、目指すべき道が決まった時、足りない部分を見極めて、
そこは塾で補おう、という考えでした。
塾に勉強させてもらう、塾に行かなければ勉強できない、という主体性のない状況は、
避けたかったのです。(周囲のそういう話を聞くことが多かったので)
勉強するのは自分なので、するべきこと、範囲を見極め、ペース配分を考え、
自分に合った計画を立てて、こなしていく。
それで結果が出れば、またそこから考えて、修正を加えていく。
それで成功すれば、自分のちからを信頼することができる、と。
それは、学生時代はテーマが勉強だけれど、大人になって社会に出てからも必要な、
大切なちからだなあと今ふと、思いました。

とはいえ、その頃はそんな大仰なことを思っているわけではなく、
「雨の夜にわざわざ外に行かんでええやん〜」
「家族そろってごはん食べられるからええやん〜」という感じでした。
わたしも、偉そうに勉強の仕方教えられるような立場じゃないし。(笑)

中学時代にあった、「この成績を維持せねば!」というモチベーションを思い出したのか、
また、小テストの年間結果のごほうびのお菓子につられたのか(爆笑)、
全教科どれも手を抜くことなく(体育だけは努力でご容赦)、
1年後半からは安定した成績を保ちつづけました。
こつこつと、よく頑張ったなあと思います。わたしにはできない努力です。

進学校だったので、入学してすぐに、もう進路のアンケートがやってきます。
将来の仕事も、学校も、初めての入試を終えたばかりで、何の情報もない時期、
これらを調べたり、考えたりするのが面倒で、苦痛だったようでした。
それよりも、天文部の妖精・ミッフィーをきれいにすることを考える方が、優先でした。(笑)
しかし校外模試では、判定のためにはっきり志望校名を書かなければいけません。
中学時代から好きだった小説に出てくる、舞台になっている大学がいいな…と、
星もきれいに見えそうやし…と、そこを書いていました。(学部は違いますが)

文系選択が決まった冬の三者懇談で、担任の先生に、
「なんで今、ここ!もっと近くに、設備のいい大学があるでしょう。」と、喝を入れられる。
「はあ…」(by 坊ちゃん)←まさか星がきれいに見えるからとは言えない。
数学担当だった先生、授業ではめっちゃ怖くて恐れられていたらしいのですが、
クラスのみんなはひそかに自分たちのことを、
先生の名前から「○○○チルドレン」と呼んでいました。(笑)
そんな先生の言葉に坊ちゃんも心を動かされたのか、
少しずつ、近くの大学について調べはじめます。(その小説の舞台は、ちょっと遠かった。)
通える範囲で決められるなら、それがベストでした。
こうして、把握する進路情報も、少しずつ現実的になっていきました。

・・・つづく。



「命の輝きをうつす」  7/26

"こころの時代 「命の輝きをうつす」"(NHK)を昨年2月に観て、1年半。
カメラマン・保山耕一さんが、日々撮影されている奈良の映像とともに、
自身の来し方を振り返り、今の想いを語る、という番組でした。
その映像が神々しいまでに美しく、引きこまれたことと、それに寄り添うピアノに、
あ、ミネさん、と気づいた後は、映像のなかに入りこんだように見入っていました。

その番組が再放送されると知り、もう一度観たくて録画予約をしていたのでしたが、
番組の前後に今現在の保山さんの語りが追加されていて、
"こころの時代"に出演してからの、反響や出会いなどの変化を聴くことができました。
(録っておいてよかった。。)

そのなかで、ご自身が、「カメラマンとしての自分を取り戻した」きっかけとなったのが、
「さだまさしさんと出会い、奉納演奏の撮影をさせてもらったこと」と話しておられて、
その映像にのせて、撮影当時の日記が公開される場面がありました。
『生々流転』の歌詩と保山さんの人生が、シンクロしたかのようでした。
6年前、重い病を得て、"5年後の生存率10%"を突きつけられ、
周囲から人は去り、仕事を失い、空っぽになった自分が、
闘病の苦しみを束の間忘れるために、スマートフォンで始めた動画撮影。
このからだで、もう一度、カメラを手にしていいのか、と。
けれど、「どうしてもあなたに撮ってもらいたいのだ」という言葉をかけられ、
全力で夢中で臨んだ撮影後、自宅に帰って鏡を見た時に、
"あ、自分の顔だ"と、はっとした、という。
カメラマンである自分こそが自分なのだと気づき、
生きているから撮りつづけたい、
その仕事をとおしてひとに喜んでもらいたいのだ、と、
とつとつと語る姿に、涙が止まりませんでした。

奉納演奏の映像を撮っておられたことは知っていました。
けれどそれが、保山さん自身の再起のきっかけであったとは、知らなかったのです。

保山さんは、ふるさと・奈良の風景の、微かに微かに移ろいゆく季節を追い、
「見ようとしなければ見ることができない」一瞬の美しさを逃さず、あるがままにうつす。
時に従って風が吹き、雨が降り、開く花、揺れる草木、散る葉、流れる水。
沈みゆく太陽、生まれたての月、煙る雲海、凍る土、溶けゆく氷、光る鹿の背の湯気。
循環する自然の命の輝きが、ただそこにあるように、保山さんのいのちをとおして映しだされている。
"これに音楽は要らない、そこにすでに音楽がある"とその映像を評した川上ミネさん。
ミネさんの音楽にもまた、"そこに映像は要らない"と思えるたましいの世界がある。
(アニメ"モリゾーとキッコロ"での衝撃的な出会いから15年…)
その両者が紡ぐ映像詩が、関西ローカルから全国(BS4K)へと放送が拡大されると知り、
保山さんも、またミネさんも、活躍の場が広がっていることに嬉しい気持ちになりました。

やまとの季節 七十二候 (関西ブログ内)



体重測定  7/23

雨の合間に収穫したものたち。(夜の室内撮影)


ひとつめにできたかぼちゃは、放置しすぎたのか、下の食品トレイとの間が傷んでいました。(涙)
その部分に虫に卵を産まれていたもよう…。(こんなことは初めて!)
↓のように、へたの部分がコルク状になったら収穫できるのですが、
それぞれのへたを比べると、ちょっとコルクになりすぎた感じもします。(笑)


ひとつめのかぼちゃ、1259g。
ふたつめのかぼちゃ、2092g。
中が完熟しているのが見えたのはよかったのか…。
しかし本来は、収穫後20日ほど追熟させなければなりません。

次はウリ。


ウリは収穫目安が難しくて、2日半行かない間に、2つが割れて腐っていました。(涙)
へたの周りに輪っかのすじが出たら収穫なのですが、そんなわけでもう採ってしまいました。
268gでした。
右のは、5日に採ったいちばん最初のウリ。749g。底が割れています。でも甘かった。


ちょっと大きめまで置いておいたなすときゅうり(スーヨー)・202gと231g。

そんな、神経質にやってるわけじゃないんですけどね…。
あとで使えるかもしれないから…。↓

最初の年(3年前)の年間ランキング(2018年年賀状より)
1位 白菜5kg
2位 かぼちゃ1.7kg
3位 いんげん1041本
4位 オクラ409本
5位 ミニトマト292個
…自分たちの思い入れだけが基準のランキング。(笑)

おっとまだいんげんオクラミニトマトを数えなければ…。(量りません!)



いちばん長いのは…  7/21

2回に分けて、50本あまり収穫したいんげん。
ひたすらすじを取っていて出会った、いちばん長いのを測ってみることに。


頭からしっぽまで、17cmでした。(パノラマ写真 笑)
小学3年の時から愛用している「さし」で。


全体図は、こんな感じで。。

このあと、立派なてんぷらになりましたとさ。



坊ちゃん、髪を切る  7/18

この、ピッピみたいな題名…。(にやっ)

頭がぼさぼさになっていた小さい坊ちゃん、意気揚々と、パパと髪を切りにでかけました。
1年2ヶ月前まで、当たり前にあったその光景が、再び。
しみじみと、そんな思いを抱きながら送り出したのでした。

それは、1年前の初夏のこと。
我が家が長年お世話になっている散髪やさんに、
大きい坊ちゃんが予約の電話をかけたところ、「おかけになった番号は…」の音声が。
「???あれ?こないだパパ行ったとこやんな。」
「うん?番号間違えてない?携帯やからかな?固定電話からかけてみ?」
それでも通じず、オットーもまきこんで、閉店したままのお店を見にいき、
現実を突きつけられた我が家は上を下へのパニックに…。(←大げさでなく)
「なんで?こないだまでやってたし、休業や移転の張り紙も案内もなかったで。」
「マスター(一人で切り盛りされていた)も何にも言ってなかったし。」
「10日ほど前まで普通にやってて、こんな急にお店やめる?変じゃない?」
「まさか、マスター…遠距離の自転車通勤って言ってたから、事故に遭ったんかな?!」
「ええっっっ!!そ、それは…」(←最悪の想像しかない)
・・・・・。

それからは交代で毎日のようにお店を見にいく日々。
「今日も開いてへんかった…」
「ほんまにやめたんかな…」
報告の会話になるたび、ため息でうちの中の空気も沈み、どんよりして…
やがてコンテナ車がやってきて、業者さんが中のものをすべて積みこみ、
シャッターの文字をペンキで真っ白に塗りつぶしていくのを、
暗澹たる思いでながめていました。
オットー 「ちょ、ちょうど、あれから四十九日くらいやで…片付けにも来てないし…」
わたし  「マスター…やっぱり、事故に遭って、仕事続けられへんようになったんかな…
      とにかく、元気でさえいてくれたらええねんけど…」」(←最悪の想像しかない)
大きい坊 「なあ…どこに切りにいく?」
オットー  「うん…このへん、ないなあ。。。」
小さい坊 「それから…どうやって注文したらいいん?」(爆笑)
大きい坊 「せや。どうやって注文したらいいんか、分からんわ!」
・・・彼らは、ほんの小さい頃はパパカット、少し大きくなってからは、パパと一緒に、
ずっとそのマスターに切ってもらっていたので、髪型の注文の仕方すら、知らなかったのです。
「床やって…代わりがきかへんなあ、困るなあ…」(by 3人)

それからは、髪が伸びるたびに、「あー伸びてきた…」と憂うつそうな声。
やがて重い腰を上げ、目につく、思いつく限りの近所の床やさんに、
勇気を出して飛びこんでは、ああだった、こうだった…と、口々に感想を交わす日々。
オットー  「なんか…違うことない?なんか…変やよな。もみあげ。」
小さい坊 「頭が、縦に長くなった。」(笑)
大きい坊 「あそこ、なんか学生ばかにしてくる!もう二度と行かへん!」(笑)
そして3人ともが口をそろえて、
「あの兄さん以外、満足できるカットはありえない」と言うのでした。
それは、カットの技術の問題だけではありませんでした。
マスターは、わたしたち家族と、あれこれ興味のある会話を交わしては、
誰かひとりが行くたびに晩ごはんの話題にのぼるほど、
20年にわたって信頼関係を築きあげた、たいせつなご近所さんでもあったのです。
・・・・・
探す?
・・・・・

それから半年、、、オットーは、あらゆる手がかりをもとに、マスターの居場所を探りつづけました。
お店のポストや店内にかけてあった免許状から、名前と年齢は知っていたのと、
会話の端々にでてくるマスターの家族構成、趣味、住んでいるだいたいの場所…
マスターと常連のお客さんは親しげに話していましたが、
常連同士のつながりはうちはなかったため、そちらの手がかりは期待できず。
思いつくあらゆる手立て(限られていますが 笑)を使い、
いろいろ符合させた結果、どうやらここが自宅では…?という、住所をつきとめたのです。
(違法じゃないですよ…あやしすぎるけど!)
それが、昨年末のことでした。
(まず年賀状、出してみたらよかったのに!とは、のちの会話。笑)

明けて、正月5日。
オットーが耐えきれず、「今からマスターのうち、探しにいってくるわ。」と言います。
わたしが「それはちょっと…あやしいから、やめといたら?」と言うと、
大きい坊ちゃんまで、「いや、じゅんも行く。」と、きっぱりと言うのです。
「そこが合ってるかどうか分からんけど、兄さんがどうしてるかはっきりさせたい。」と。
ふたりで車で行くというので、わたしも気になって、結局、ついていくことに。
(受験直前だった小さい坊ちゃんは、塾の冬期講習中。)
・・・・・
住所を頼りに、おそらくここだろうと思われる場所にたどりつきました。
近くのパーキングに車を止めて、「ここまで来たら、行くしかないやろう」と、
寒いなか、それらしいマンションの入口でようすをうかがう。(あやしすぎる!)
中に入るのはさすがに勇気が要り(真実を知るのが怖くもあった)、わたしは下で待機。
オットーがその階までのぞきにいき(!)、降りてきて、
「!!自転車あった!!!」と!
なんと、マスターが通勤に使っていた自転車を発見したらしい。
わたし  「で、でも…もし、それが遺品やったら…」(←最悪の想像しかない)
オットー 「あそこで間違いないと思われる。ちょっと、ぴんぽんしてくるわ…」
わたし  「ええーっストーカーまがいやんっ」
大きい坊ちゃんは勢いづいたパパの後ろにくっついて、一緒に上がっていきました。

その間、わたしはマフラー巻き巻きしながら、下をうろうろぐるぐる…。
その時間が妙に長く感じられたので、もしや、中に招き入れられ、
事情を聞いた挙句お線香あげてるんじゃないかと(←最悪の想像しかない)
気が気ではありませんでした。

マンションから出てきたオットーは、あわてて、
「名刺!なんか書くもんない?ボールペン買ってこよかな?!」と興奮ぎみ。
「どうやった?マスター、おったん?」
「マスターはおらんかったけど、奥さんがインターホンで返事してくれた。
 名前も間違いなかったわ。名刺に電話番号書いて、家のポストに入れていいって」
そう言って、アンケート用の小さい鉛筆をどこからか出して、
名刺にメッセージを書いていました。
わたしはほっとするやら、力が抜けるやら…で、すぐには実感できずにいました。

「やっぱり"虎穴に入らずんば虎子を得ず"やで〜。」
オットーも大きい坊ちゃんも高揚した、満足そうな顔。
とにかくマスターが無事だったということが何よりの安堵で、(←勝手な想像から 笑)
興奮冷めやらず、落ち着くために紅茶やさんでお茶を飲んでから帰りました。

翌日、オットーの携帯にマスターから、待ち焦がれた連絡が届きました。

明けましておめでとうございます
昨日、帰宅して妻から話しを聞いて驚いています!
私なんかの為にわざわざ自宅まで来て頂き嬉しく思います。
遅くなりましたがお店を閉めた事、大変申し訳なく思っております

私自身を振り返ってみると
コテコテの職人だったので商売にはむかない性格でした
お客様と話をしたり、子供さんの成長を楽しみにしたり
学生のお客様には、進路などの分岐点で
「床屋のおっさんがこんなこと言ってた!」と人生の参考にしてもらえる
アドバイスが出来ればいいかな?と思っての日々を過ごしてきました。
そんなのでは商売が上手くいくわけはないです。
儲けよう!と思ってないから自分は職人気質だとジジイになってから
気が付きました。
遅すぎですよね(^_^;)
勉強してこなかったので文章は上手く書けないですが…
せっかくなので一度お会いしたいですね!

現在ですが理容師はまだ続けています!
・・・(中略)・・・
今の所、毎日忙しいながらいいスタッフ達にも恵まれ、
休みも土日が休みになることもあるので今までにない体験をしております。

ちょっと略しつつですが、このメールには胸を打たれて、オットーもわたしも泣きそうでした。
やっぱりマスターはマスターだったと、あのお人柄に変わりはなかったと、
胸がいっぱいになりました。

その後、小さい坊ちゃんの受験があり、それが終わる頃にはこの世情となり、
なかなか会いづらい状況になってしまったのでしたが、ラインの連絡先を交換し、
まずオットーが、次に大きい坊ちゃんが、マスターの新しいお勤め先を訪ねて、
カットをしてもらうことができました。(順番制なので、タイミングを見て並ぶ!らしい 笑)
お店の場所がもう近所ではないのですが、それでも、あの落ちこんでいた月日を思えば!!
市内の距離なんて、なんということはありません。(笑)
だって、マスターに切ってもらえるんですから。
・・・・・

今日行くことをオットーがラインで連絡してあったので、
マスターが店の外まで出てきてくれて、坊ちゃんに「久しぶり!」と声をかけてくれたのだそう。
10分のカットのあいだ、大学生活はどう?とか、以前と変わらず親しく話をしてくれたそうで、
坊ちゃんもとてもうれしそうな顔で帰ってきました。

小さい坊 「頭小さくなった。」(爆笑)
わたし   「よかったなー。よかったなー。前のカットやわ。てっぺんの方が軽くなったわ。」

これが我が家の、胸いっぱいの散髪物語…でした。



畑・現況  7/17

6月末から続く雨の影響は大きく、あちこちで大変なことに…。
ニュースが次々飛びこんでくるのがつらい日々、
ここの畑もえらいことになっていました。
8日の朝、台風並みの突風が吹き、大きい支柱が全部傾いてしまったのです。
幸いだったのは、植物が折れるところまで倒れなかったこと…
泥水でびしょびしょの畑で、スタッフさんと一緒に立て直しと固定をしました。
支柱の脇に杭を打ち、起こしてビニールテープで固定して、根元に空いた穴を埋める。
(他の区画と一緒に、ほとんどスタッフさんがしてくださいました。脱帽)
8月以降は毎年、台風でこういうことが起こりますが、まだ梅雨なのに突風が吹くとは!
雨続きで地面がゆるんでいたせいもあって、支柱が倒れてしまったのでしょう。
県内の別の地方ではビニールハウスが飛ばされるほどの被害があったようで…
生きている植物たちがだめになったすがたを見ると、本当に胸が痛いです。


そんな補修(↑トマト支柱の右に黒いテープ)を経た現在の畑。
まだちょっと傾いてます。台風に今後耐えうるのだろうか??
そして、下からくる病気(茶色い斑点・これも毎年)が上がってくるのが、今年は早い。
これも雨続きの影響で…
日照が少ないためか、葉の数が少ないうえにこれが上がってくると、
どんどん上にうつっていくのに(最終的に枯れる)、葉を落とすに落とせない。
小玉すいかも同じく長雨のせいで、最初に繁った部分が一気に枯れてしまいました。
そしてそれだけでなく…


なんと!雨続きのあいだに、カラスに実をつつかれてしまっていたのです!!(涙)
カラスは本当に利口で、雨だと人が来ないことをよく知っています。
知っていて、やります。(かぼちゃまでつつかれていた!←固かったから無事。)
スタッフさんに言われて気づき、中の水分を気にしながら持ち帰り、
重さを量ってから、食べられる部分と食べられない(腐敗)部分を仕分ける。(涙)
トウモロコシ(3年前…)はアワノメイガさまのおこぼれをもらったけれど、
すいかはカラスさまのおこぼれをいただくことに…。
ああ…せっかく待った完熟が…。
トマトもすいかも、、、全部食べないくせに穴開けないで〜。


うん、まあ、、、こんな、感じでした。(おこぼれ)

この後、2つめの実もやられて、それは未熟だったため食べられず。
3つめは熟れすぎて底が割れてしまいました…。


定点観測オクラは、ついに胸の高さまできて、ちょっと後ろに下がって撮りました。
朝だったので咲いていた、オクラの白い花。
その向こうは、通路も敷地もおかまいなしに繁り広がるさつまいも。
最初の更地状態が幻のよう…。


大玉トマトの完熟が!と思って収穫したら、底が腐ってきていました。
(そこだけ切って食べる)
尻ぐされ病かと思ったけど、他の実は無事でした。
ごみ取りネットの対カメムシ効果は、、、うーむ。


いやされるもの。
産毛につつまれたすいかのあかちゃん。
そして、歩くたびにぴょんぴょん飛びはねるあまたのちびカエルたち。
(田んぼからやってくる)


追記、
今週の新聞に、スタッフさんの声が!(←杭打ってくれた方)
記事から動画が見られて、そこにもスタッフさんが!(←野の師父あらため師母)
段ボールコンポストの取材記事でした。
(畑と呼んでいますが、実は正式な団体名がある)
水の生き物や田んぼなど、農業のつながりに広く取り組んでいる、懐の深い団体なのです。



ポトスのしずく  7/17

昨日、久しぶりにたっぷりと水をあげたポトスの葉。


朝カーテンを開けたら、しずくができていました。
以前はもっと見られていた気がするのに、
出合えたのは数年ぶりのような…。

わたし  「しあわせのポトスのしずくが!できてる!」
大きい坊 「えっそれって誰が言ったん?」
わたし  「まま。」
大きい坊 「ままか。」(苦笑い)

でもこれ、植物の中に水がいっぱいになって出てくるという以外は、
条件がばらばらでなかなか予測がつかない、不思議な現象。
たっぷり水をあげるだけが原因ではないことは確か。
だから、出合えるのは偶然のことが多くて、そう呼んでいるのです。


あっちの葉にも、こっちの葉にも。
「いいこだねー」(by 岩合さん)
根腐れから株が減ってしまい、種類もごちゃまぜで植え替えて数年、
ポトスもずいぶんがんばって、大きくなりました。



つかまえた  7/15

帰宅して、高く響く声にふと空を仰いだら。


頭上の電線に、長い尾っぽ。
・・・・・

うちからそーっとカメラを持ち出して、
ここぞとばかり、文明の利器・30倍ズームを活用!


おー!
拡大してみたらば、立派な尾っぽにふわふわと毛並みのそろった胸。
くちばしをきゅっと上へ向け、空をにらんでいるヒヨのりりしい姿!
ほっぺたの、赤い丸も見たかったなあ。。



不変  7/9

「いちばん汚ないぬいぐるみが、いちばん愛されたぬいぐるみ。」
本にあったそんなことばが頭に残り、我が家で一番汚れているむーを想う。
汚れてはいても、"汚い"はちょっと違って、抵抗が。。


小さい坊ちゃんにそんな話をしたら、やっぱり、
「むーそんなに汚くないで。」と…
彼らの、そしてむーの愛は、現在進行形。
昔も今も、変わらずたいせつなおともだち。




赤しそ投入  7/7

今年の赤しそはちょっとした"事件"でした。
梅に合わせてか、売り場の時季が終わりかけていたことが災いして、
廃棄率がすごいことに…。
洗って仕分けて乾かして、の手間も時間も水も…。
売り場担当のお兄さんのご親切もあり、さらに2袋いただいて(!!)、
・・・・・ようやくこの段階にこぎつけました。涙。

赤しそを塩でもんで、灰汁を捨てて。
もう一度繰り返して、ぎゅっとしぼって。
びんの中の梅酢を少しかけたら。


暗い青紫から、ぱあっと明るい紅色が現れる。
どんより曇り空に突然、陽光が差したみたいに。
よしよし、と発色を見極めて、びんの中へ。


入れた時いつも思う、"マジックインキを水に溶かしたような"透明な色。
それが日ごとに赤く、濃くなって、ゆっくりと梅を染めていく。
ああ…仕分けに苦労したけど、捨てないでよかったな。
時折びんを揺り動かしてながめながら、梅雨明けの空を思う。



電話?  7/4

このところ、シジュウカラの声が賑やかに響いてくる。
春は恋の季節、で、スズメも一緒に鳴くから気にもとめなかったのだけれど、
梅雨入りしてから、なぜかシジュウカラだけが、高く声をはりあげている。
ヒヨすらほとんど鳴いていないのに。縄張り争い?

「ままの携帯、鳴りっぱなしやな。」(by 小さい坊)
…わたしの携帯電話は、長年、シジュウカラの鳴き声が着信音。
紛らわしいから、メジロに変えようかな。(笑)



投稿話  7/3

奇数月発行のファンクラブ会報(通称・ワールド)が届きました。
わーい。会員投稿欄に載った〜。
何十年も読みつづけて、初投稿したのは、5年前くらい?
恐れ多くて?それまで書いたことなかったのですが、
この地の年越しコンサートのロビーで、地元の旧友との二十数年ぶりの再会があり、
その不思議なめぐりあわせに興奮して、書かずにいられず、投稿したのが最初。

その掲載をきっかけに、時折、「これは!」という話題ができるたび、
一般向けなら生さだ、マニアックなら会報、と振り分けて(笑)、
はがきか手紙を書くようになりました。
(生さだは、最初に読まれたのが10年くらい前?)

会報はテレビほどお便りの数が多いわけではないので、
掲載されなかった人は、欄外にお名前だけ紹介、があるのもうれしい。
最初は、その友人との再会話で、
2つめは、「野菜持ち」(←歌詩に出てくる)になった話、
3つめは、マイチェロ(←歌詩に出てくる)がやってきた話。
4つめは、歌いなおされた「望郷」(1983年の歌)への感慨。
そして今回…この日記の文章を使いつつ、新アルバムの感想など。
おおっ数えればもう5回も!載せていただきましたっ。(ぱちぱち)
「これは!」が来た時に書くので、欄外は1回?2回?
(生さだは、当たりはずれありますが…まっさんの手の中にあったのに読まれなかったことも!)
今号の他の方々のお便りは表現が良くて、感想がよく伝わってきて、
わたしも研鑽を積まねば!と、恥ずかしい思いでした。

読まれたり、載ったりした時だけ大喜びして、忘れてしまうのですが…
こんなアナログなかたちで、双方向、つながれているのがとてもうれしいのです。
また、、、「これは!」がやってくるまで、アンテナはっておきます。(笑)



ピアノから  7/2

大きい坊ちゃん、先月からピアノのレッスンが再開されました。
「オンラインレッスンじゃないの、じゅんともうひとりの高校生だけらしいわ。」
先生、こないだまでスマホじゃなかったのに、いつのまに…。(汗)

音階をつっかえながら弾いて、まだ始まったばかりの"別れのワルツ"を何回かさらって、
出かけてゆきました。

さて、、、
そばで転がっていた小さい坊ちゃん、おもむろにピアノの前に座って、
久石譲の「One Summer Day」の楽譜を出して弾きはじめました。
(坊ちゃんの好きな千と千尋のテーマ曲)
そしてすぐやめて、急に、加古隆の「パリは燃えているか」を弾きはじめました。
これは、ピアノを辞める前に「最後に好きな曲を」と言って、選んだ曲。
なぜに、映像の世紀…。
坊ちゃんが好きだからなんだけど…映像が浮かんで、こわすぎる!(笑)
そして結局、、、辞めるといいながらそこから1年間、弾きつづけた曲。
そのおかげで、完全に暗譜してしまったようです。(笑)

受験終了直後、久しぶりに弾いた時は、バンバンと叩くような音になっていて、
密かに耳が痛ーいと思っていたけれど、その時とはタッチが変わって柔らかく感じられ、
時々弾いて思い出してきたんだなーと、うれしくなりました。
誰かが弾いているのを聴いていると、音に集中して、心がゆるむ。
(自分では弾くのに必死で、音を全然聴けていないことがよく分かる。)

そしてなぜか…聴きながら、昔々の学生時代のことを思い出しました。
あの頃…PCがこれから普及する!という時代で、
一般教養で情報処理?だったか、そんな名前の授業かあって…
でっかい箱みたいなPCを前に、キーボードを正確に叩く練習?などがあったような。
そして、外部から来ていたその先生に、女子大をばかにされた記憶もよみがえる。
それに憤慨する友達のこととか。(笑)
電車の沿線、高架から見える、小さな川のそばの門。
こじんまりとしたキャンパスの中の、古い校舎とクラブボックス。
「ガラス窓…」のモデルになった、懐かしい光景が、目の奥で流れていく。
ああ…遥か彼方の時間。わたしの映像の世紀。(笑)
今やPCどころか、オンラインレッスンが1ヶ月で普及する、個人ピアノ教室。
ずいぶん、未来まで来たものよ。(しみじみ)



いのちのうつしかえ  7/2

この季節とは思えない爽やかな午後。
じじじじじ…と短く、けれど確かに聞こえた、初蝉の声。
あ、と思う間もなく、このところ鳴きつづけているシジュウカラの声にかき消されていった。


手入れの行き届かないブルーベリーが、それでもわずかにつけてくれる実。
日々少しずつ色づいて、グラデーションしていくさまが美しい。
神さまがかけた、時の流れという魔法。


虫食いのあとが残り、雨で割れ、かたちも大きさもばらばらな野菜たち。
それでも収穫されて集合すれば、
なんと美しい魔法がかけられていることだろう。
生きていた食材が調理される時、透明になる瞬間があって、
その「時」を見逃さないよう、食材と対話しながら、調理する。
佐藤初女さんは、それを「いのちのうつしかえ」と呼んでいた。
そうして調理することで、食材の持ついのちが活きてくる。
食材のいのちが、わたしたちのいのちにうつしかえられる。
伝えたいのは料理の方法でなく、食材との向き合い方なのだ、と。
そんなふうにていねいに、食材たちを扱えているかと自分を省みつつ、
それでも、畑のおかげで少しは実感できるようになったとも思いつつ。
自分のいのちは、食べたものすべてのいのちのうつしかえ。