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夏越の大祓  6/30

ふと気づけば、6月も晦日。
その数日前、思いがけず目の前に現れた茅の輪をくぐり、
半年ぶんの想いの穢れ落とし。
心軽く、できたかな。




色・いろいろ  6/30

3日経って、梅酢がだいぶ上がってきました。
沈殿している塩が溶けるまで、あと少し。
完全に溶けた頃、塩もみした赤しそを入れます。


大玉トマトが、この1週間ほどでカメムシにやられてしまいました。。(涙)
とにかく1個色づいたので、週末、急いで収穫。


吸汁された部分が色づかず、もやもやとした変な色づき具合。
白っぽい部分は固く、皮もむきにくい。
ああー楽しみにしてたのに…。
他の実にもうろうろしていたので、とりあえず見つけただけ、ホイホイで取る。
甘いからくっつくんだろうな…と思い、それなら果物の袋?よろしく、
カラス除けに使われていた、目の細かいネットをかぶせてみようと画策中。
(ネットの上から吸われたらどうしようもないけど。)
実は今年は西日本の多くでカメムシ注意報が出ていたと知る。
暖冬だったため、例年寒さで一定数死ぬはずのカメムシが越冬し、
数も多く、また活動しはじめるのも早かったらしい。
ストチューとホイホイで対抗するしかありません。


定点観測オクラ。
アオイ科らしいゆるやかな一日花が咲いて落ちて、実がなります。
どの植物とも相性よく共生できる、おっとりのんびりした印象。

畑の帰りにスーパーに寄ると、野菜たちの鮮やかな色・大きさにはっとする。
こんなにぴかぴかで美しい野菜が売っているのに、わたしは何をやっているのかと…。
木村秋則さんの「農薬はありがたい」ということばが、身に染みて感じられる。
農薬のおかげで、虫や病気にやられることなく、野菜が安定供給されているのだから。


初採りの野菜たちのお味見。
トマトは直径9cm!一部固くて食感が悪いけど、味は悪くない。
まだ数の少ないオクラ(五角形と丸!笑)は、モロヘイヤとともに。



梅を漬ける  6/27

毎年、店先で何度も目が合って、素通りできなくて、つい買ってしまっていた梅。
思えば今年初めて、自ら手を伸べて(笑)梅を求めました。
先日、電話で教えていただいた農園の名前を頼りに、
そこの商品を扱っているお店を見つけ、注文することができました。
そして、今朝無事に到着。


14%で2kg、20%で1kg。(いつもより少なめ)
洗ってへたを取り、ホワイトリカーをくぐらせながらびんに入れて、塩をまぶす。
漬けるとしぼんで4kgぐらい入りそうなびんですが、最初は2kgでいっぱい。
和歌山県産ではないけれど南高梅で、しかも…スーパーなら3L?くらいのサイズです。
ふくふくとして、立派な梅。
ひとつずつ大切に、びんに詰めました。
梅酢が完全に上がるまでは、一日に何度かまわして、梅全体を浸します。(カビ防止)
数時間でじわじわと上がっていくのが楽しみ。




畑・収穫  6/24

早朝、通りがかる田んぼにはいつもダイサギやカモがいるのですが、
今朝は間近にアオサギを見ました。かわいかった。

前回、まだ少し小さかったスーヨー(きゅうり)を切ることができず、
日にちが経ってしまい、えらい大きさになっていました。(おばけ一歩手前)
比較すると分かりやすい??(洗ってから撮影)


長なすは初収穫。1。(笑)
黄色のミニトマトも初収穫。4。(葉物たちの下に…笑)
赤しそも初収穫…ですが、摘芯を兼ねています。
まだいっぺんにたくさん収穫できないので、こうして少しずつピンチしながら、
梅干し用に塩もみして冷蔵保存しておく予定。
バジルも青じそも、適宜摘芯。
モロの・ヘイヤさん(と、心の中でつい呼んでしまう)は、今はちょっと摘むくらいで充分で、
一回分がスーパーの袋入りより少ないくらい。
これが盛夏には、黄色い花+毒入り種をつけないよう、競争でピンチしまくります。
そして、家族に飽きられても、出しつづけます。(夏ばて防止目的)
一方…
「モロヘイヤはまだええねん。じゅんは別に。でも、オクラはな…」
そんな大きい坊ちゃんのため息まじりの言葉をよそに、
すくすくと育っているおっとりオクラ、もう白い花を咲かせていました!!(歓喜)
いんげんも白い花を咲かせながらネットをよじのぼり、小さなさやをつけはじめています。
枝豆も白い花が咲いたと思ったら、一部のさやが結構な大きさになっていてびっくり!!
新しいウリやかぼちゃも発見。(笑)
雨が降るたびに変化する植物たち、次に行くのが楽しみなような、怖いような…。


↑クイズ・この中にいくつ隠れているでしょう。(笑)



梅不作…  6/23

ようやく重い腰を上げ、梅を漬けようと、いつも購入するスーパーへ出かけた。
「梅が出てるよ」と、6月初旬に誰かから聞いていたのに、
今年は早いなと思いつつ、まだ大丈夫と例年の感覚で過ごしていた。
(・・・理由のひとつとして、畑の赤しその成長を待っていたのだった)
ところが…いつも並ぶ特設コーナーの、どこにも見当たらない。
赤しそ、新生姜、らっきょうなどは例年どおり、並んでいるのに。
その場にいた店員さんに、「梅はもう終わったんですか」ときいてみたら、
中の担当さんに問い合わせてくれて、「すみません、そうみたいです」と。
さらには、「今年は梅が不作で少ないうえ、出回るのも早かったらしいです」と。

そういえば…と、思い当たるふしがあった。
利用頻度の高い最寄りのスーパーで、この1ヶ月、
「梅」や「梅酢」を売り出すコーナーを一度も目にしなかった、ということ。
新生姜やらっきょうは大々的に(甘酢もびんも一緒に)例年どおり宣伝されているのに、
いつも5月下旬から始まる小梅→青梅→黄熟梅の変化を、
今年はちらとも見かけることがなかった。
変に思いながらも、いつも購入するスーパー(種類や数が多くて安い)に行けば、
きっと並んでいるだろう、、、と、気楽に考えていた。
ああ…時すでに遅し。
重ねて「不作」の言葉に驚き、帰宅してすぐ、ある方に電話してみたのだった。

佐藤初女さんの大阪での講演会を毎年企画・実行されていた方。
初女さんが深い信頼を寄せておられたその方は、
今も初女さんの想いを受けて、「おむすびの会」を月に一度、持たれている。
そのためにも毎年梅を漬けておられるので、現状をご存知だろうと思って…
手紙は別として、一昨年、森のイスキアのドアが開いた弘前でお会いして以来、だった。

「あー○○さん。お元気にされていますか?」と温かい声に、なぜか涙が出そうになった。
「梅はね、そうなの、今年不作。大不作なのよー。もうずっとお世話になっている梅農家さんも、
 過去こんなに採れなかったことはなかったって。
 初女先生にもずっと送ってくださっていた農家さんなんやけど…。
 今年は値上げしてごめんねーって、そんな…それで生活してはるのに、気の毒でねえ…」
採れなかった原因を伺うと、
「まず暖かかったでしょ。冬も春も。それで、花が早く咲いて、実が早くなって、落ちるのよ。
 それと、みつばちがあまりこなかったみたい。実がならなかったって…そして落ちてしまうんだって。」
ああー…と、みつばちのコロニー崩壊の話を思い出す。
「それから、和歌山の方は、2年前にひどい雨が降って…台風で、木がたくさん折れたの。
 それで木そのものも減っているのが影響してるみたい。今年は南高梅は、あかんね。
 あなたは、南高梅を買ってる?」
そうですね…ふっくらして、おいしいので、と言うと、
「みなさんそうおっしゃるもんねー。でも、今年はもうないわ。残念やけど…
 和歌山じゃないけど、こちらの生協に入ってた○○さんのところ、ちょっと調べてみて?
 最終って書いてあったから、もしかしたら、そこでまだ買えるかもしれないから。
 手に入るなら、ちょっとでも漬けときはったらいいわ。
 続けてはるんやから、今年もやったなあって思うでしょ。」
 でも、あるのが当たり前と思ったらあかんねえ…この気候やしねえとしみじみおっしゃるので、
本当に、共感するしかなかった。
 みそを仕込むにも、大豆とお米と塩と水。
 梅干しを仕込むにも、梅と塩。
 みんな自然の恵みやなあって、あらためて思いますよねえ…と、お互いに話しあった。
「梅干しは、3年から5年くらい置いといたほうがいいよ。よくなるよ。
 色が褪せてきても、また干したらいいの。
 初女先生はそうしてはったよ。古くなっても出してきて、干すの。
 私も整理してたら、しそ固めて入れてあったのが出てきて、
 古いけど、干してゆかりにしようと思って。」
じゃあ、わたしも、去年のも一昨年のも(笑)乾かしたままの赤じそ、砕いてみます…と話して、
お礼を言って、電話を切った。
こんな温かな気持ちをくれるひとに出会えたことに、心から感謝しつつ。

みそも梅干しも、とりかかるまでは腰が重く、どこかでめんどくさいなあと思いながら、
時が来ればやはり見切ることができないで、手を動かしはじめる。
「めんどくさい」は、初女さんの嫌いな言葉。(笑)
"手をかけることが、心をかけることになりますね。"という初女さんのことばを思いながら、
今年も、わたしの"手しごと"は続く。



いせひでこさん  6/21

ふと開いた新聞に、伊勢英子さんの新しい本の紹介を見つけて、
ああっと引き寄せられた。
読みはじめてすぐに、そのリズムでご本人のことばだと気づく。
文字と文字の間から、あの絵の情景を立ちあがらせることばたち。
折しも、『チェロの木』や『1000の風 1000のチェロ』の背表紙を、
本棚の前を通るたびにちらちら眺めていたところだった。

長くぼんやりと願いながらも現実から遠かったチェロに踏みだしたきっかけは、
これらのいせさんの絵本だった。
『1000の風…』のあとがきに打たれ、図書館や書店で何度も手に取り、
辛いから買わないと決めていたのに、ついには買ってしまった。
そして、13歳からチェロを弾きつづけているいせさんの描く、
"ひとが自分の影を抱きしめているよう"だというチェロを弾く姿に魅了され、
また『チェロの木』の森のいのちの音に背中を押され、
たまたま出会ったチェロの教室に飛びこんだ。
そこには、偶然とは思えない多くのタイミングがはからわれていた。

その年の秋、『いのちのかたち』といういせさんのドキュメンタリー映画を観た。
映画のなかで、"1000人のチェロ・コンサート"の奏者のひとりとして、
そうと知らず参加していたチェロ教室の主宰者の方と一緒に。
あれから4年。
わたしもいつか…の願いむなしく、今春事務局が解散してしまい、
"1000チェロ"は終わりを告げた。

そんなことを思い出してあれこれ読んでいたら、
無性にチェロの音が聴きたくなった。
グノーから始まって、シューベルト、カッチーニと、
たどたどしい三大アヴェ・マリアを弾きならべてみる。
夏至の夜。



覚えられない…  6/20

録画してあった音楽番組のタイトルに「パガニーニとラフマニ…」と出たので、
早押しクイズのごとく、
「ああっあれやっ。あの曲!"独り暮らしの…"??なんやった?!」
(注・小さい坊の好きなさだまさしの歌↑)

小さい坊 「???独り暮らし??」
わたし  「独り暮らしの…恋?小さな恋?パガニーニの…」
小さい坊 「ああー…独り暮らしじゃなくて、"都会暮らしの小さな恋の…"」
わたし  「そうや"都会暮らし"や」
小さい坊 「"都会暮らしの小さな恋に捧げる小夜曲"?」
わたし  「捧げるじゃなくて、与ふる…じゃなかった?」
小さい坊 「セレナーデじゃなくて、ラプソディや。」
わたし  「"都会暮らしの小さな恋に与ふる狂詩曲"??」
小さい坊 「『都会暮らしの小さな恋に与える狂詩曲』やな。」

坊ちゃん正解。(↑編曲者ナベさんのブログより。)
ラプソディつながりの名曲2曲がオマージュとして取り入れられた歌。
長い題名、出会った段階で混乱するともう覚えられません。。
覚えているはずの昔の題名(「おそらくあなたに聴こえない小夜曲」)まで混ざりだして…。

わたし  「ちなみに、さだまさしの一番長い題名って何やった?」
大きい坊 「『もしかしたら君は空を飛ぶんじゃないかな』?あ、副題含める?」
間髪入れず答えるなあ。(爆笑)

わたし  「一番短いのは『ふ』やな。」
小さい坊 「『破』やろう。」
盲点を突かれました。(笑)

あれ?
音楽番組は当然、、、さだまさしじゃなく元の曲でした。
「パガニーニの主題による狂詩曲 第十八変奏」。これがほんとの正解。



野球観戦  6/19

大きい坊ちゃんが何日も前から、
「あーもうすぐや。」「あーやっと始まるな。」と、ぶつぶつ言いながら、
いろんな用事を早めに済ませて楽しみにしていた、開幕戦。
18:00すぎ、変に静かなので気がついたら、坊ちゃんたちふたりとも、
転がって真剣にテレビを観ていました。
この風景…ものすごく久しぶりな気がして、わたしはふたりを観ていた。(笑)
小さい坊ちゃんは昨年、ほとんど野球を観ていなかったので、
「どこが優勝したかもあんまり覚えてない…」と。
大きい坊が、こうなって…日本シリーズはこうで…と説明すると、
「あーそうやったな。」と思い出したらしい。
それからふたりで試合を観ながら、合間に選手のことをぼそぼそと、
低い声であーだ。こーだ。と語りあっているのが可笑しくて、
突然高い声であーっ!!(ホームラン)と叫ぶのが可笑しくて、
彼らを横目で見ながら、ごはん作ってました。
平和で、幸せなひととき。(笑)



数える人・四たび  6/17

収穫3回めを終えた頃。
野菜を洗っていたら。。

オットー  「ちゃんと数えてる?」
わたし   「えっまだ今年の表作ってくれてないから。」
オットー  「こないだ作ったで〜」
わたし   「デスクトップにショートカット作っといてくれんと気づかへんで。」(笑)

・・・なんと3年間ずっと、収穫した野菜の数を数えつづけているのです!!
実はこれが、隠れた苦労で…
最盛期、洗ってざるに上げながら、
ししとう70個とかオクラ50個とか同時に数えるのは苦痛。(笑)
10の束がばらばら崩れてやり直したり、うっかり忘れてしまうことも。
もうやめたい〜と思いながら、毎年やりかけたら途中でやめることができないでいる。
そして今年も…
・・・・・。

今日はスタッフさんに会える時間に行こうと思って出かけたら、
橋の上で先ゆくかめさんに出会い、びっくりして自転車を止めました。
普通ーにおさんぽ中でした。(笑)


オクラはもう、1週間前とは別人(?)になっていました。


かぼちゃのうどんこがひどいので、他にうつらないようにだいぶ葉を落とした。
(新しいつると葉がどんどん出ているので大丈夫)
すいかもかぼちゃも、子づるが出すぎているので、先を止める。
(ほどほどで止めないと、実にいくはずの栄養が成長に使われてしまう)
きゅうりは、実をとったらその元にある葉を落とす。(風通しよく、病気防止)
枝豆は先週より一回り以上大きくなり、白い花が咲きはじめた。
そして、長らく待っていた唐辛子の苗がやってきました!


空けておいた4のうねに植えようとして、見つけたもの。
うねの両端に種をばらばらとまいておいたのが、なんと!
発芽していました!!(狂喜)
これは雑草ではありませぬ!わたしには、わかります!
ほら、、、もらった苗とそっくりさん。(笑)
お隣どうしで、芽をつぶさないよう、そーっと植えておきました。
あー間引くのつらい。間引けない人。(笑)



畑・梅雨入り  6/14

雨が4日間降りつづき、きゅうりの成長が気になって(大きくしすぎないため)、
少しやんだすきに、そーっと畑に入る。(どろどろなので)
1のうねのトマトが色づいていて、あわててカメラを取りに戻った。


この緑から赤へのグラデーション、昔(プランター時代)から大好き。
まだカラスに落とされてなくてよかった。(毎年いくつかは、泥の中でつぶれている)
完熟したのを収穫後、用意していった新聞紙と麻ひもで、くるりと覆う。


カラス…だまされてくれるかな?(笑)


雨が降ったあとは、たった数日で、え?と思うくらいに、すべての植物が伸びている。


これは、10日→14日、のオクラのすがた。
おっとりオクラが…高さまで違う!!
かぼちゃは、色がさらに深くなっていました。
食品トレーを裏返しにして、そっと下に差しこむ。(腐らないように)
突然できたかのように、足もとに隠れていた小玉すいか2つめの実を発見。


まくわうりも、ある日突然。(笑)
ある大きさ以上になって初めて発見されるきゅうりも多く、
今朝の収穫は6本(!)でした。
なすも木を大きくするため、2本を小さめで初収穫。
同じくピーマンも。
とにかく今は成長優先で、最盛期に向けて、適宜早めの収穫と摘芯が大事です。
4年めともなれば、多少なりとも、野菜の状態が見極められるように…
なったような、でも、、、突然だめになることもある。(白菜はすごかった。3日で消滅。)
・・・なので、毎度毎度、人事を尽くして天命を待つ、のみです。



「根のことの葉」から  6/12

3月に録画したままだったドキュメンタリーを、ようやく観た。
副題は、〜伊勢神宮の森が倉本聰に伝えたこと〜。
倉本聰さんが、五十鈴川上流にある神宮宮域林を訪れ、
神秘的な木の根や生き物たちに出合うなかで受けたインスピレーションを、
ライフワークとしている点描画(と詩)で表現する、という流れになっていて、
合間に、旧知の仲の阿川佐和子・さだまさし(3人では初顔合わせ)との鼎談をはさみ、
森について、木について語りあう、というもの。

・森が先か?神(神社)が先か?
・土の中にあって見えない木の根が、見える枝葉を支えている。
 (ドラマのリアリティを支えるのは、人物の見えない"履歴")
・「人間の都合で植えて手入れをしなくなった杉の木が怒っている」
・一色の緑にしか見えない山は崩れやすく、
  いろんな緑が混ざって見える山は崩れにくい=多様なかたちの根が支えあっている
などなど。。
見える部分の話から「見えない」部分に言及したいろんな話が飛び出して、興味深かった。

倉本さんの書かれた小説『ニングル』に、学生の頃衝撃を受けた。
ニングルは森の妖精で、木そのものではないけれど、
文明を全く知らなかった("知らん権利"を主張する)彼らがニンゲンと関わったがために、
悲しくも恐ろしい結末を迎える物語。
当時持っていた本を手放してしまっていたので、後輩に借りて再読した時も、
すっかり忘れていた内容にまた、戦慄を覚えた。
"『リンゴが教えてくれたこと』の本と、なぜか、深くリンクしているのです"と感想を残している。
(2009/9/8の日記より)
10年が経ち、それはさらに強く感じられるようになった。


思えば、わたしが生まれ育った町の「面積の9割が森林」だった。
その頃からおよそ40年が経ったいま、住宅地も増え、7割になったという。
式年遷宮の木材調達のため、宮域林では200年かけて木を守り育てるという話から
森の時間と人間の時間とは流れが違うことを、あらためて感じる。

ここ数年で我が家に弦楽器が増えたのがきっかけで、
木が生きている"時の流れ"に想いをはせることが増えた。
中澤宗幸さんの著書(これは名著です)に、こんなことばを見つけた。
(古いヴァイオリンの横板にギリシャ語で刻まれていたという)
"わたしは森にいるときには木陰で人を癒し、
 ヴァイオリンになってからは音で人を癒す"

長い年月を生き、伐採されてからも何年も乾燥させ、製作された楽器たちは、
生きていた時と同じように、わたしたち人間よりもはるかに長生きをし、
誰かの手から手へとわたってゆく。
わたしはその一時期を担っているだけで、実は誰のものでもないのだ。
この"木のいのち"を守り、次の誰かに引き継ぐのは、
神さまから任されたわたしの仕事のひとつだと思っている。
(充分に鳴らしてあげられていないのが、心苦しいけれど。)



つれづれに…高校時代 1  6/11

過去のことを思い出しながら書いていると、記憶が曖昧になっていることはもちろん、
今現在振り返ってみての感想が混じりだすので、いいのか悪いのか…
視点が増えてややこしい半面、全体的?に見られていいのかもしれないし。
あれこれ思いつつ。
大きい坊ちゃんが高校に入学してしばらくは、ここにぽつぽつと書いていたので、幸いでした。
(2015年4月〜)

高校生になり、もう生徒会はやらないで部活に入ると言って、
天文気象部と写真部に入部を決めてきた坊ちゃん。
高校に、珍しい天文ドームと大きな電動の望遠鏡があったことと、
写真部は週一回のゆるい活動で、兼部ができたことが理由でした。
天文気象部の方は基本的に毎日活動があり、
月に一回、学校の屋上で宿泊観測を行うのが恒例。
先輩たちに機材やカメラの扱い方を教わりながら少しずつ慣れていき、
夏休みのはじめに公式に、県の東の端にある天文台で合宿。
雨や曇りの日はこつこつと天気図記録。(わたしも小学校のクラブでやったので、懐かしかった)
夏休み中盤からは、文化祭で投影するプラネタリウムのドーム用段ボール切りを始めて、
休みが明ければ組み立て、投影機準備、直前には天気図の展示、など…
月一回の宿泊観測は天候を見ながら市主催の地域連携講座とも連動し、
12月にはPTAの天体観測会も組みこまれる。
そして冬休み、非公式の幹部交代合宿(?)で、また同じ天文台へ。(寒い!!)
12月にはそれに向けて世代交代があり、
気がつけば坊ちゃんは1年の1月から部長になっていました。(笑)

そんななかで出会った、個性的な先輩たち・同輩たち・後輩たち。(そして妖精ミッフィー)
大きい坊ちゃんは、学校でのできごとをいちから(バスに乗ったところから 笑)話してくれたので、
友達のことも先生のことも、まるで会ったことがあるかのように感じられるくらいでした。
ほんとにいろんなことがあったけれど(多すぎて総括 笑)、なかでも2年生で部活に入ってきた、
カナダからの留学生・Rさん(今ではわたしもRと呼ぶ)の存在は忘れられません。
最初はクラスになじめず、からかわれたりもして、孤立してしまっていたのでしたが、
天文部の活動に参加したことで、そこから友達の輪を広げていけた彼女。
頭のいい彼女は、あっという間に日本語をマスターし、
2年生の文化祭に向けて、準備も人間関係も怒涛の状況にあった大きい坊ちゃんに、
「あなたは真のリーダーだよ。がんばって」と励まし、元気づけてくれました。
そのRさんが急に、留学生の交換のために、当初の予定より半年早く帰国することになり、
文化祭の2週間後には日本を発つことになってしまったのです。
一度は会って、お礼を言わなければと思っていた彼女に、文化祭で会うことができました。
初めて会ったのに、初めて会った気がしなかったR。
辛かった時に励ましてくれてありがとうと、お礼を直接言えて、よかった。
すっかり日本語が上手になっていたので、何の違和感もなく、普通に日本語で会話。(笑)
聞けば、実は英国の某・有名大学の学生なんだとか(←学校名にびっくり!!!)。
でも国の体質?が合わなくて、ノイローゼぎみになり、
休学して日本の高校に留学してきたんだそうです。
だから退学手続きのためにもう一度英国に戻らなくてはならないと、ゆううつそうでした。
そんな彼女も、今は地元カナダの大学に通っていて、来秋から東京の大学に留学の予定。
(夢は、国際弁護士。この高校への留学がきっかけで、将来は日本で仕事がしたいと…)
この時は涙・涙のお別れだったのだけれど、あれから何度も日本に遊びに来ているので、
今ではうちの坊ちゃんたちそろって、「またか!」という反応ですが。(←すっかりお友達 笑)
来年からの留学…無事に始まるといいなと思っています。
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いま、大学の図書館から帰ってきた大きい坊ちゃんに、
「Rの話で、紙面が尽きた。」と言ったら、「なんでR?!」と笑われました。
ほんとに、話のタネは他にもまだまだあるけれど、天文部に捧げた3年間でした。
(写真部はゆるゆると、それもまた居心地よく、楽しかったようです。)



畑・梅雨入り前  6/10

ついに長雨予報がやってきたので、梅雨入り前の状態を記録しておきたくて、
カメラ持参で畑に行きました。
一年で最も日の出の早い(4:37)この1週間なのに、太陽が見られるのは貴重?
はっとするほど空が美しい朝でした。


出発すぐと、着いた頃の空。
そして道中、田んぼを水鏡にして映りこむ空と風景。

定点観測的に斜めに撮ると、隣の区画や背景で広さが分かりづらい。
正面右寄りで我が家区画を撮ってみたのが右の写真。(6×3m)
ずいぶん緑が増えました。


思えばこの生育期(だけじゃないが…)、作業に必死なうえ手も汚れているので、
カメラに収めたのは初めてだったかもしれません。
真夏は収穫の喜び?から、撮ったものがあるけれど。
ここに来ると常に、それどころじゃない感じがします。(笑)


ミニトマトと大玉トマト。
大玉は昨年が初めての挑戦で、ものすごく甘くておいしかったー!
ミニトマトももちろん甘いです。(あとは黄色のロケットトマトと、中玉)
えびすかぼちゃがずいぶん色づいてきて、びっくり。
日が当たらない部分は色づかないため、面をずらさないといけないのだけれど、
この作業がこわい〜。下手にねじると、つるがぽきっと折れます。(経験済)


きゅうり(夏すずみ)が採れはじめたけれど、後で植えた2本の生育が遅れ気味。
↑このうね、かぼちゃとこのきゅうり1本の成長が著しすぎて、
土の中で根っこが場所取りしてるんじゃないかと勝手に想像しています。

うねに敷く稲わらを少し足して、どんどん伸びる小玉すいかのつるをネットに結んで、
きゅうりの子づるを剪定し、花がつきかけているバジルとモロヘイヤの摘芯をする。
トマトもこのまま色づくとカラスにやられる(!)ので、今年は新聞紙でくるむらしい。
(昨年まではネットをかけていたが、収穫時に手間がかかる)
おっとりオクラも順調。(数えたら、10本は確実。笑)
里芋は伸びた芽が見えだした。
枝豆のカメムシ退治。(涙)
ああ…夏が来る。
実感。



中村哲さんのこと  6/9

ベートーベンソナタ・悲愴の第2楽章が、ずっと頭の中で鳴りつづけている。
あまり続くので、楽譜を出してきて久々に弾いてみたり。
けれど自分の認識しているこの曲と、頭で鳴っている音楽は、別もので。
・・・それは新しいアルバムの終わりの、大合唱なのだ。

「ひと粒の麦」というその歌をくり返し聴くうち、
中村哲さんご本人のことばに触れたくなり、図書館も不自由なこの状況下、
ネットで出てきた対談のことばや、近しい人たちの回顧録を拾い読みしつづけていた。

現地のひとたちが一様に口をそろえる希望は、
三度のごはんを食べられること、家族が一緒に故郷で暮らせること、
このたったふたつだ、と言う。
アフガニスタンの干ばつは、気候災害の先がけであったこと。
農民であった彼らが難民となり、生きるために傭兵となるしかなくなったことから、
井戸を掘り、水路を引いて農地を復活させる道を選んだこと。
土木を独学で学び、のちのちの手入れや維持が現地のひとたちの手でできるように、
江戸時代の工法の記録や遺構を調べて、自然に寄り添う方法で進めたこと
(「川にだって意志も"人権"もあるんだから、それには逆らわない」)、など。

そのなかで、中村さんが宮沢賢治の愛読者であったこと、に衝撃を受けたのだった。
"宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい実践的な活動"から、
イーハトーブ賞も受賞されていた。
その受賞式に出られず、寄稿・代読された受賞の辞に、強く胸を打たれた。
「わが内なるゴーシュ 愚直さが踏みとどまらせた現地」
帰れない現状を雨ニモマケズで語り、セロ弾きのゴーシュに自らの心情をなぞらえ、
どんぐりと山猫の裁判の結末を引いて結ばれた、この文章のセンス。
選ばれたことばの慎ましさ、奥ゆかしさ。
その想いと活動は紛れもなく、農民のために動いた賢治の姿そのものであったと。

これらを読んで、恥ずかしながら、今ごろ気づく。
中村さんのお仕事は、遠くアフガニスタンの地でなされながら、
実は日本の国にとっても、世界にとっても、大きなものだった、ということに。
お金や兵士を送るのではない、本物の信頼関係を築いただけでなく、
唯一の被爆国である日本への、現地の理解と共感があること、
そのため憲法9条に実際にいのちを守られてきたこと、を淡々とこちら側に伝え、
日本の外からだからこそ見えたこの国の今の在り方を叱咤激励されている。
そのことばには、日本の伝統と日本人への、深く確かな信頼と愛が見えた。
そしてそれだけでなく、気候変動の行く末についての警鐘を鳴らし、
目に見えるかたちで示してもくれていたのだ。

大地にまかれた「ひと粒の麦」がやがて、国の境なく多くの実を結ぶよう祈りつつ、
"わたしにできることを"思い、"天からの問いかけ"に行動で答えていくことを。
歌を聴きながら、わたしには、知ること、覚えていること、伝えること、
そして自分の「手を動かす」ことしかないのだ、と、あらためておもう。



トンネルを抜けて  6/6

今朝、養老孟司さんのインタビュー記事を、
ものすごーーく共感しながら読んでいたのだけれど、
その中にあった都会と田舎の「参勤交代」ということばが心に残った。
ほんとにそうだなーと思いながら、よくよく考えたら、
あれ?数日おきに参勤交代してる?と、突然、思い至る。(笑)
そして、ふわっと思い出したこと。
畑に行く道中、真ん中あたりで…明らかに、気が変わる場所がある。
それは日常的に感じていたことで、早朝、自転車で走るとよりはっきりと分かる。
つながっているのに、別の空間へ移動するかのような分かれ目が、ある。
思えばいつも何気なくながめて通りすぎるそこの小さな看板には、
"野に向かう"という意味の地名があるのだった…。(ぞくっ)



初収穫  6/6

真夏のような日差しと気温の日が続いて、再び早朝・自転車で、水やりに。
しょうがを植えた朝に見つけた幼果、これは3日後にくると見立てたとおり、
最初に植えたきゅうり(夏すずみ)が初収穫となりました。
あと、ししとうもひとつ。

トマトの足もとから、わき芽じゃない顔をして大きなわき芽が次々出ている。
もちろん見破って、ぽきぽき摘む。(笑)
実つきを確認していたら、大玉トマトが5つついているのを発見。
定期メールに書かれていた"第一果房は3つまで"の言葉が頭に浮かび、
大きさと傷とで悩みつつ、2つを落としてきた。
きゅうりは6節めの子づるの葉を2枚残して、先を落とす。
丸なすに遅れてやっと咲いた、長なすの一番花を摘む。

それから、同じメールで気が重くなった注意事項…
枝豆、確かに…カメムシ飛来。早いな…。
スタッフさんが一度、全部取って回ってくれたらしいのだけれど。(ごくろうさまです。。)
「カメムシホイホイを作っておいたので、ホイホイと入れていってください」と。(笑)
(これ、「ウリハムシホイホイ」を兼ねてる。)
ペットボトルで作られた、優秀な簡易虫取り器が置いてありました。
早朝からカメムシと対決か…。
・・・・・。
あとは伸びたつるをネットに結んだり、かぼちゃの伸びすぎたつるを方向転換させたり。
(折れないように…気を遣う)
ひたすら雑草をたたき、取ってから、ストチュー入りの水をたっぷりとあげてきました。
(6月からは、行くたびに雑草との戦いです。最初の更地状態が幻のよう。笑)
なんだかんだで、1時間半。
わたしは参加しませんでしたが、今日は畑の田植えの日。(←近くにある田んぼ)
その準備でいつもより早く来られたスタッフさんにあいさつをして、帰りました。



やっと見つけた!  6/3

今年はしょうがを里芋と一緒に植えてもいいということだったのですが、
(コンパニオンプランツといって、お互い助け合い、相性がいい)
その苗は自分で探さなければならず(基本は畑の自家育苗したものをもらう)、
外出控えがちなこの状況下、ホームセンター、農協…と、
何かのついでに寄ってみては、なかなか出合えないまま、1ヶ月。
そろそろ植えつけの季節も終わるので、半分あきらめ気分で、
たまたま通りがかった別のホームセンターに立ち寄ってみたら…あったー!!


しかもなんと、4種類も!!里芋と一緒に、売られていました。(笑)
そのうち3種類と、畑の育苗が遅れている青じそを購入。
いてもたってもいられず?夜、ネットでしょうがの植え方を調べ、
翌朝早く、苗をぶらさげて自転車で畑へ。
里芋のクレーターの周囲に3つを配置して場所を作り、植えました。
(覆土は5〜6cmとか、6〜7cmとか、15cmとか、情報が錯綜ぎみ)
やはり種しょうがの上にできる?みたいなので、里芋と同様、土寄せが大事なのかも。
青じそは、ツルムラサキとスイスチャード(不断草)を植えずに空けておいた場所と、
枯れてしまったマリーゴールドの跡地(笑)に、2本ずつ分けて植えました。
畑の土で育った青じそはのびのびあおあおとして美しく、また香り高く、
夏のあいだのお弁当と食卓に大活躍!!なので、楽しみです。
唐辛子(観賞用)は昨年の種をその隣に、ばらばらまいておきました。(笑)どうなるやら!