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「はなれてひとつに奏でる」  5/31

オットーが夜遅く、テレビのチャンネルをまわしていたら、
楽団員?らしきひとたちが、リモートで音楽を演奏し、合奏している。
その姿につい見入ってしまい、最後まで観てしまった。
テレビ欄で確認したタイトルは、BSスペシャル・
"はなれてひとつに奏でる〜奇跡の“パプリカ”誕生秘話〜"だった。

あとで調べて分かったのだけれど、それは3月末に動画サイトに投稿され、
大きな話題になった「新日フィルテレワーク部」の実験的リモート合奏動画で、
それが50分のドキュメンタリー番組になったものらしい。
ひとりのメンバーの呼びかけから始まり、参加者が日に日に増えていくようす、
音を合わせるのに苦労するようす、またそれぞれの日常、が紹介される。
そのなかで、演奏家ひとりひとりの胸のうちが語られ、
最後に、編集されたアンサンブル完成動画が流れる、というもの。
途中からだったので、何が何だか分からないまま見ていたのだけれど、
画面のちいさなひとこまずつに収まっている、ひとりのひとの持つ世界の大きさ、
それが重なってできている音楽にいつしか引きこまれ、胸がいっぱいになった。
最後の、手書き+手持ちのメッセージは、さりげなく、あたたかな「希望」に満ちていた。

奇遇にも先日、長らくお休みになっているチェロ教室の先生から、
夏のアンサンブル発表会中止の連絡と共に、
そこで講師演奏される予定だったという、番組と同じ楽曲・「パプリカ」の、
先生方5人のリモート合奏動画が送られてきたところだった。
不思議なつながりを感じて、ついつい番組に引き寄せられてしまった。
6/4(木)の夜に再放送があることが分かったので、
見逃した前半部分を楽しみに、観るつもりでいる。

さらに…その番組と並んで放送されていた別のBSスペシャル。
"外出自粛の夜に オーケストラ・孤独のアンサンブル"
翌日の再放送を録画して観てみたら、
目下絶賛練習中の曲を、オケの首席奏者が軽やかに演奏していた。
・・・・・偶然が続いてびっくり。



畑・お手入れ 2  5/30

週半ばの早朝に一度、ようすを見にいった畑。
伸びていたつるたちを支柱やネットに結んでやりながら、
ナス科とウリ科の苗に一回目の追肥(ボカシ)をしました。
そして週末。スタッフさんに会えたので、
きゅうりの剪定を教えてもらいながら、3節目までの子づるを切る。
そして、まだ植えられていなかった!3つめのきゅうりを植えて、あんどんをする。
枝豆の芽が出なかった場所に、3粒の補植。
立ちあがってきたねぎの土寄せ。
かぶや小松菜・唐辛子の種を、場所を見つけてまいてみる。
買っていった赤しその苗を、さつまいもの脇に植える。
ストチュー(酢と焼酎と木酢液)入りの水を、虫よけに葉っぱにかける。
里芋は、最初の植え方を見てくださっていたようで、「どちらでもいいよ」と。
種芋の上にしか新しい芋ができないので、
土寄せをしやすいように、深く掘っているのだそうです。

今年はズッキーニがないので、ちょっと気が楽。(笑)
あっという間に収穫できるけど、あっという間に病気になったり、実が育たなくなったり。
反対に、数日行けない間に巨大化したり。気をもんだ3年間でした。
しかし…過去、いちばん大変だった野菜は、ズッキーニではありません。
なんといっても、最初の年にやったトウモロコシ。
あの汗と涙の苦労を語るには、、、とても紙面(?)が足りません。。



『存在理由』  5/28

さだまさしのオリジナルアルバムが、2年ぶりに発売になりました。
タイトルの『存在理由』はフランス語からで、生きがい、とも訳されるらしい。

6月にはツアーコンサートに出かけるのが我が家の恒例行事で、
(たとえ残業が、中間テストが、あろうとも、全員で・・・)
アルバムともども楽しみにしていたのだけれど、今年は中止。
(なんと7列目が当たっていた!!涙)
アルバムが届いた発売日の夜、家族全員が耳になって、しんと聴き入った曲たち。
これらをコンサートホールで生で聴いたら、どんな感動が訪れただろう!と、
想像するだけで涙が出そうな、そんな楽曲たちでした。

まさしさんの書く旋律の美しさが、アレンジによってさらに温かく優しく、
歌詩とともに胸に響く。上手く言えなくてもどかしいけれど、そっと慰められ、励まされる。
発売日前に出演のあったラジオ深夜便をひとりで聴いていて、
不意に流れた「おかあさんへ」のイントロには、やられたなあ。。
歌からものすごい気づきを得て、涙が止まらなくなった。

中に一曲、12年ほど前のテレビ番組での、小田さんとの共同制作曲が入っていて、
当時からどうしてもその題名を覚えられないわたし、
「えーっと…小田さんと歌ってる曲何やっけ。…『それから』?」
「『たとえば』や!なんでそんな、夏目漱石みたいな…」(by 小さい坊)

提供曲も含めて彩り豊かな構成で、なんと東京藝大学長・澤先生の演奏から始まり、
ハワイアンあり、正統派バラードあり、6/8のせつないマイナーナンバーあり。
そして最後は、「風に立つライオン」に迫る(?)重厚・壮大な楽曲でしめくくられていました。
これは、中村哲先生に捧げられた曲。
この中の"私にできることをなせばいい"というメッセージが、アルバム全体から伝わってきました。

昨今の事情ゆえにコンサートは中止になってしまったけれど、
アルバムを家族そろって聴くことができたのは、昨今の事情ゆえの、大きな恵みでした。
CDが止まって、全員が大きく息をついて、「ええアルバムやな。」と言い合いました。
それぞれが言葉少なに、余韻に浸っていました。



畑・ふたたび  5/24

そんなこんなで、残った作業が多かった畑。
1週間空いての手入れが大変になってきたことも感じ、
そろそろ通う回数を増やさねばならない予感…
(収穫最盛期はほぼ毎日)

隣の市にある畑とは距離があり、車で15分前後、自転車で30分くらい。
この距離関係のせいで、毎朝毎夕ちょこっと手入れ、がなかなかできない。
収穫があれば震動のある自転車では持ち帰りも難しく、真夏の日中、
作業も含めての往復はかなりの負担になるため、車で行くことがほとんど。
もうちょっと近ければ…と思うのだけれど、それに優る条件とひとの良さゆえ、
ずるずると(笑)4年目に入った。

日の出が4:43と知り、思いきって夜明けめがけて自転車で行くことに。
車も人もほとんど通らない道のりを、澄んだ空気のなか走るのは爽快!!
そして、誰もいない畑は朝つゆだらけで、トリたちの楽園だった。(笑)
ハトが、作物を堂々と踏みながら歩いていた。(こらっ)

まずスコップとくわを出してきて、里芋の植えなおしから。
印を立ててある辺りを、スコップでそーっと掘りかえし、種いもを探しだす。
傷つけないようになんとか掘りだしたら、くわでクレーターを作る!
深さ10cm目安の大きな穴を掘り、その底の部分にスコップで種いもを植えつける。
(もう芽や根が出ようとしている、白い部分があった)
そしてまた、枝で印を立てて終了。

それから、補充されていたチップをバケツに入れて運び、うね全体に広げる作業。
(何回往復したでしょう…)
野菜を傷つけないように気をつけながら、かまで雑草の芽をたたきながら…
土をむき出しにしておくことは、土にも野菜にもよくないとのこと。
雨と日差しで土が固くなっていくので、時々かまでたたいて、根に空気を送る。

きゅうりのアーチの足もとに、持っていったミックスレタスの種をまいた。
真夏は葉焼けして、冬ほどきれいではないけれど、
なぜか虫がつかず、あると助かる、おいしいレタス。うまく育ちますように。
最後に、うね全体に水やり。

休憩もしながら2時間ほどで作業を終えて、帰宅。
里芋…あれであっていますように。(笑)



畑・お手入れ  5/23

週末、畑にて今週の作業に着手。

1のうね、ナス科。
1週間でトマトが伸びすぎて、風に吹かれて寝てしまっていました。。
折れないようにそーっと持ち上げて、麻ひもで何ヶ所か結んで、なんとか起こす。
4株とも、わき芽を取る。
ひと株、わき芽とは思えぬ太い枝が本線(本枝)と分けつして伸びていて、
スタッフさんに相談して、2本立てで育てることに。
ナスの一番花を摘み、わき芽を取る。
(この後、いくつかのわき芽を育てていくので、足もとのみ)
ピーマン・シシトウも、まず株を大きくするため、花を落として、
Y字に伸びた枝から下のわき芽を取る。
なんとシシトウ、いつの間にやら実をひとつつけていて、初収穫となりました。

(虫よけのマリーゴールドは、あまり大きくしないように。
 背丈が伸びすぎないように管理して、花は切り花にして持ち帰る。)

2〜3のうね、ウリ科。
すでにウリハムシ・うどんこ病が出ていることにショック…
うどんこのひどい葉を2〜3枚落とし、新聞にくるんで捨てる。(他にうつるため)
すくすくと親づるを伸ばしているかぼちゃとウリのあんどんをはずし、
わらを敷く作業に入りかけて…(ここにも、うどんこが…涙)
どうやらうね全体に、チップ(木材を熟成させたもの)を敷きつめなければならないことに気づく。
あわててその部分だけチップ(在庫が切れかけていて、少しだけ)を敷いて、わらをのせておく。
こうすることで泥はねを防ぎ、病気を防ぐ。(でももううどんこ 涙)
きゅうりと小玉すいかの伸びたつるを上へ向けて麻ひもで結ぶ。
いんげんの芽がひとつしか出ていなかったので、種を2粒、補植する。

4のうねの枝豆・オクラ。
枝豆はすべて芽が出ているが、まだペットボトルは外さない。(トリたちが掘るので)
オクラは1ヶ所2〜3つずつ芽が出ていればOK。

5のうねの芋類。
さつまいもの苗の周りに、枯れ草を敷きつめる。(チップなし)

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教えてもらいつつ作業していたら、ここまでで1時間半ほど経過。
晴れた日の真昼間に行ったので、暑すぎてここで切りあげる。
4つのうね全体に、チップを敷かなければならないことに気づいたので、
それは今日はムリ!とあきらめた。(バケツで運んで広げる作業が続くので)
さらに気づいたこと…
他の利用者さんたちの、里芋の場所がクレーターのようになっているのは…なぜ?(笑)
どの方のもそうなっているので…
どうやら、「10cm穴を掘る」の意味を、わたしが取り違えていたらしい。
「穴を掘って埋める」のではなくて、「穴を掘ったくぼみの中に植える」が正解だったらしい!
このことについてスタッフさんに聞くことができなかったので、後日、
チップ敷きの作業とともに植えなおしをすることにして、帰宅。とほほ。
この日の最高気温、26.8℃。



チャレンジ・特撮!  5/22

↓と言ってたら、一昨日ようやく大学図書館が開いたらしく、
足りない教科書を買いがてら、2ヶ月ぶりに学校に行ってきた大きい坊ちゃん。
借りてきた本は、『サツマイモと日本人』・『サツマイモがきた道』…
さつまいもが日本の経済の中で果たした役割について、レポートを書くためだそうです。(笑)
早速小さい坊ちゃん相手に、熱くさつまいも論を語っていました。

その日の夜のこと。
うちの一番奥の部屋(半書庫状態)から、ごしょごしょと話し声がする。
電気もついていないのに…誰かいる?
そーっとのぞいてみたら…

真っ暗な部屋に寝そべって頭を寄せあったふたり、
目が光るフィギュアを並べて、真剣に「特撮」相談中でした。(笑)
(「アルティメット・ルミナス」や!とつっこまれそう…)
小さい坊ちゃんが以前思いついたアイデアで、
ネットで拾った画像を、PCの全画面表示にして背景にする、という方法。
大きい坊ちゃん曰く、「いじゅのアイデアはすごいなあ!」ですと。
光るマンションは、フィギュアと一緒に出てくるガチャガチャの一種(ハズレ?)です。


うん…確かに。
臨場感バッチリです。
感心したわたしも、画像をいくつか分けてもらい、掲載の許可をいただきました。(笑)
子どもの頃から好きだった特撮を、自分の持ちものとアイデアで、工夫して真似る!
怪獣も、手ずから作ってみる!(笑・4/15の日記参照)
彼らの特撮愛と成長ぶりに、感心しきりです。



「完全生命体イフ」・再び  5/18

「最近、登場人物、少ないなあ…。」(by 小さい坊)
↑家族としか顔を合わせてないので。(笑)

そんな彼らの毎日は、授業受けて勉強するのはもちろんですが、
特撮作品(主にウルトラマン…)旧作の録画や配信を見たり、
ゲームしたり、音楽聴いたり、楽器弾いたり、まんが読んだり…
(本読んで!大学生!)

大きい坊ちゃんが、「今日は『第三番惑星の奇跡』や!」というので、
「何?」ときくと、「(ウルトラマン)マックス。名作中の名作や!楽しみやなー」と。

わたし 「ああ…あのイフのやつ?」(注・2012/1/18の日記参照)
坊   「そう。」
わたし 「『攻撃には攻撃を、音楽には音楽を。』ってやつ?」
坊   「すごいな!セリフまで覚えたらもう、マニアやで!」(笑)
わたし 「『いつかダッシュが解散できる日が来るといいね。』
坊   「すごいやん!」(爆笑)
わたし 「感動してHPの日記に当時書いたからなー。忘れられへんわ。」

日記が"「完全生命体イフ」が教えてくれたもの"という題名で書かれていたので、
そのままのタイトルだと思いこんでいたけど、正しくは「第三番惑星の奇跡」だった。
放送を夢中で観ていた当時、彼らはまだ、小学生。
それを大学生になって観て、「あれは三池崇史監督の作品やで。」とか、
「実は結末が二つあって、三池監督は最後まで、どっちにするか迷ったんやで。」とか、
いっぱしのうんちくを傾けるようになっていて、可笑しかった。
「その次の話も三池監督で、この2話は対になってるんやで。」と、
これは、小さい坊ちゃんのうんちく。(笑)
作品を外側から見て考えるようになったのは、大人になったからだねえと、しみじみ。
昨年、大学の友人たちと特撮のサークルを立ちあげた坊ちゃん。
特撮好きの仲間が増えて、ますます楽しそうです。

大きい坊はその後、ショパンの「別れの曲」を鼻歌で歌いつづけていました。
そう、、、怪獣・イフが、少女の吹くピッコロの音を吸収して、
楽器に変化して演奏していた曲です。



畑始動 4  5/15

今週末は本降りの雨予報。
雨がやんだ直後も、どろどろで作業できないので、
晴れて乾いている前日のうちに、できるところまで進めるため、畑に行きました。

今回の作業は、最後の第5のうね=芋類。
先週末、だいたい形作っておいたうねを、くわとレーキで整えた後、
出てきた石をどけて、苗が来たら植えられる状態にしておく。
4のうねの葉物の追加=モロヘイヤと空心菜、
1のうねのコンパニオンプランツ=バジル、マリーゴールドを先に植える。


ポットの苗=マリーゴールド・バジル・空心菜・モロヘイヤ。
土がほろほろ崩れてくるので、慎重に。
穴を掘って水を入れ、そっと植えていく。


2のうね・3本のきゅうりのうちの2本目(四葉=スーヨー)を植える。
1mの竹の支柱を立て、麻ひもで8の字結び。根づいたなすのあんどんを移動してくる。
1のうね・トマトの伸びた枝を麻ひもで結び、第一回・わき芽かきをする。

これらの作業中に、さつまいもの苗が到着したので、スタッフさんの指導のもと、
さつまいも・里芋植えつけ初挑戦。
(昨年までさつまいもは、共同畑でスタッフさんが植えたものを収穫して、分けていた)


↑作業後。さつまいもと里芋。


金時3本・紅はるか2本=計5本のさつまいも水平植え。(30cm間隔)
支柱を斜め45°(気持ち40°)くらいに深く差し、少し持ち上げてできたすき間に、
蓮口をとったじょうろからたっぷり水をそそぐ。(あふれるくらい)
水がひかないうちに、さらに気持ち支柱を持ち上げてできたすき間に、
苗を半分以上しっかり差しこむ。支柱をそっと抜いて、土をかぶせてしっかり押さえる。

里芋2本(40〜50cm間隔)の植えつけ。
10cmほど土を掘り、いもの底の平らな部分を下にして植える。
木の棒を目印に立てておく。


これで、5つのうねの作付けがほぼ終了。(↑全体図)
昨年までは6うねありましたが、今年はうねの数が減ったので、
その分うね幅が広くなり、作業も少し減りました。
うねが広いぶん、根をしっかり張って強く育ってくれることを期待!

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6日前に小さい坊ちゃんがまいたオクラの種が、発芽していました!!
うぶ毛をいっぱいつけて、きらきらつやつや光っています。
こんなに初々しく、可憐な芽が、いずれわたしの背丈を軽々と越えていく。
そして、台風が来ても倒れないくらいの強さで、地中深く広く、根を張る。
一日ひとつの花を咲かせ、実ればたった3日で食べられない大きさに成長していく…。
芽を見ていたら未来のそんな姿が浮かび、自然のちからの偉大さに感じ入る。

今日は買い物ついでに、坊ちゃんたちが作業に参加してくれました。
ふたりそろって手伝ってくれたのは、ずいぶん久しぶりで、とても幸せでした。
さつまいも植えも、わたしが支柱を差しこんで持ち上げたすき間に、
小さい坊がじょうろで水を注ぎこみ、あふれてきたところに大きい坊が苗を差しこみ、
土をかけて押さえる…という連携作業。三位一体の美しい作業ぶりでした。
今後も草取り・手入れ・収穫、乞うご期待!(笑)
この日の最高気温、24.7℃。
もちろん暑かったけれど、まだ作業しやすい気候でよかった。
明日は恵みの雨予報。おかげで水やり要らず。ありがたや。



つれづれに…中学時代 4  5/11

遡ると、大きい坊ちゃんが高校に入学した2015年あたりから、
ここの更新を止めようとしていたのでした。
PCを買い替えたため、HPビルダーの再購入を迷いながら、
動作が重い古い方のPCで、えっちらおっちら更新していた頃です.
昨年、ビルダーを再インストールしたのは、Yahooのジオシティーズ閉鎖がきっかけでした。
奇しくも初めて作った拙いサイトと向き合うことで、ここを動かすきっかけをもらいました。
そんなわけで、2年ほど抜け落ちているできごとを思い出しつつ…
小さい坊ちゃんの生徒会と陸高のことは、書き残しておこうと思いました。

「勉強きらーい。」
そんな小さい坊ちゃんも大きい坊ちゃんと同じく、通信教材の毎月提出と、
単元復習の問題集+定期テスト用問題集を1年生から続けていました。
(他には、英数の基礎がため問題集なども、ふたりとも。)
小さい時から、口ではいろいろ言いながらも、大きい坊がやっていることを見て、
後からなぞっていく小さい坊ちゃん、失敗には修正を加えつついくので、
やはり間違いが少ない。(「じゅんが草むらを切り拓いてから歩くから。」笑)
同じくこつこつと勉強しながら、模試は回数を減らして受けました。

大きい坊の高校見学の時に、一緒に文化祭を見にいったり、
入学後も文化祭やPTAの天体観測会などに参加していたので、
「じゅんと同じ高校に行く?」ときいたら、「いじゅは行かない。」と返された。(笑)
わたしは、その高校のあたたかい校風が好きだったので、(2015年4月の日記参照)
同じ高校に行ってくれたら助かるなあ〜と(笑)勝手に思っていたけど…。
同じところにと期待されるのがいやだったみたいなのと、
大きい坊ちゃんなりに部活などで人間関係の苦労をしているのをきいて、
学校の雰囲気が自分に合うか合わないかを考えていたのでしょう。
とはいえ、全然情報のない別の高校よりは親近感が持てたのか、
大きい坊の高校と、組み合わせできる高校を第一志望に選ぶかたちになりました。
(この地域では複合選抜といって、公立高校を2校受けられる仕組みになっている)

大きい坊の時の経験から、3年になったら周囲の追い上げもあるし、
成績は下がるか維持と思って静観していたけれど、小さい坊はなぜか上がっていってびっくり。
1月最後の懇談で、先生から組み合わせを変えますかときかれたけれど、
未だ見ぬ学校に変えることはせず、秋に見学に行った第一志望を貫きました。

学校生活では、前期で生徒会長、後期は総務(学級委員)をしながら、
美術部で11月の文化祭の展示作品を作って、部活引退となりました。

冬休み頃からは、エクセルを使って課題(問題集)別に毎日の学習計画を立て、
また、私立・公立の過去問の得点表も作って、こなしては記入していきました。
(これは、大きい坊の時にもやっていた)
大きい坊ちゃんは、数学の問題の最後らへんにある、苦手な図形問題を捨てていたけど(!)、
小さい坊ちゃんは冬休み、難題専用の薄い問題集を買ってきて、解きつづけていました。
「勉強だいきらい。」
そう言いながら、執念のように勉強し続ける坊。
(この姿、つい最近までみていたような気が・・・。)


2015年3月の日記に書いたように、公立高校の入試は筆記と面接があり、
それを2校受けると、1週間の長丁場。(注・1校だけということもできる)
当時は大きい坊ちゃんに、ヒゲメガネで面接官役をしてあげていた小さい坊ちゃん。(笑)
後半にあった大きい坊ちゃんの学校での面接では、
どうやら坊ちゃんの担任の先生に当たったらしいけど、
「質問も難しくて、めっちゃこわかった。」(小さい坊・談)
えー。めっちゃ優しい先生やのに。(笑)
そんなわけで、二つの学校を受験して、無事に第一志望の学校に合格。
彼もまた、新しい世界の扉を開いたのでした。



数える人  5/10

最近のオットー。

1週間ほど前から、ふと、
新聞に「コロナ」の文字がいくつ出てくるか気になったようで、(笑)
休みの日に数えはじめました。
そして表にして毎日、記録しているようす。
「今日は176やった。」
「えーそんなもんなん。もっとあるかと思ったら。」
「せやで。」

出勤したある日、数え終わった新聞を何気なく広げてみたら、
テレビ欄の文字に「コロナ」(赤チェック)があるすぐ横の、
隣の局の欄の「コロナ」には、チェックがない。

帰宅したオットーに、
「ここチェックしてるのに、この隣のコロナには、チェックがないで。」
と言うと、
「ええねん。だいたいで。見落としてる確率も、どの日もだいたい同じはずやねん。」(爆笑)
よくよく見ると、見落とし(?)コロナはかなりいて、なんかかわいそうな気もしてきた。
「あかんでパパ。このデータでは、怒られるで。ええ加減すぎて。」
「やってるうちに、だいたい傾向が分かってきてん。
 どれも同じような出だしの一文に出てきて、その後は略されてることが多い。
 金曜日は、週刊誌の広告が載るから、特に多いねん。
 でもだいぶ減ってきてるな。4月はもっと多かったやろなー。4月のもやりたいな。」
「・・・・・」

そして今日も、「コロナ」チェックは続くのであった。。



種をまく人  5/10

畑作業の後、夜のこと。
晩ごはんを食べながら…

大きい坊  「…それで、今年は、オクラ何本植えたん?」(←減らしたい人)
小さい坊  「4本。」
(わたしの心中・・・「4本に見せかけて実は12本やで。笑」)
大きい坊  「えっ!!減らさへんかったん?!きみら(←坊とオットー 笑)何しとったん?!」
小さい坊  「つい…かわいくなって。」(笑)
大きい坊  「じゅんはもう、今年は食べへんで!!」(←オクラに飽き飽きしている人)
小さい坊  「今年はな、いつもとちょっと違うねん!まず、五角形やろ。それから…」
大きい坊  「ほう。」
小さい坊  「四角形。」
(・・・一同 大爆笑・・・)
わたし    「四角形のオクラはないっ。丸!丸オクラ!いつものやつ。」
(爆笑・・・もしかして、昨年の四角豆と混同してた??)

平和やな〜としみじみ思うのは、こんな時。
話題も、坊ちゃんたちのつっこみとボケも・・・。(←ねらってないとこが 笑)

種をまくと、この種はこんな色・かたちをしているのか!と、発見ばかり。
枝豆の種はもちろん大豆だし、オクラの種は、まさにあの粒。
レタスやにんじんは、風の強い日には蒔けないほど細く細かい種だし、
ほうれん草は少し大きめで、手裏剣みたいな面白いかたちをしている。
極小のものほど土に落としたら最後なので、集中して種から目が離せない。
種が大きいと少し安心感があるけれど、土に埋めるともう分からなくなる。
この小さな粒々たちから、あんな大きな野菜が育つのか!!と、
まくたびに、土・太陽・水・そして植物の生きるちからに圧倒される。
わたしたちも、これに沿って生きるしかないのだ、とも。
畑のおかげで知ったこと、教えられることがたくさんあります。
わたしの修論は本の中でなく、実地に向かっていたのか…と最近、思います。



畑始動 3  5/9

今週の作業は第4のうね=枝豆・オクラ・葉物類。
種まきが中心なので、最初は何があるのか分からないくらいの更地ふう。


うねの段差すら分からない。(笑)
北側(写真左側)から…


枝豆2種×3ヶ所=計6ヶ所の種まき。(30cm間隔)
オクラ2種×2ヶ所=計4ヶ所の種まき。(40cm間隔)
虫よけ・目印のくん炭を上にまき、板で鎮圧する。
枝豆はハトやカラスに種をほじくり返されないよう、例年どおりカバーして土かけ。
今年はペットボトルを半分にカットして、ペグを差して留めている。(いつもは苗用ポットで)
この内側に3粒、ちゃんと種がはまっているかなあ…。(不安)


さらに40cmあけて、うねの西側の葉物2種。
ねぎは10cmほど掘って斜面に立てかけ、上からわらをのせ、少しだけ土をかけて押さえる。
(立ち上がってきたら、土寄せ)
にらは20cm間隔で穴を掘って水を入れ、、普通に植える。
この反対側(東側)には、モロヘイヤなどの葉物を今後植える予定。

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3月末にいったん全部抜いて持ち帰った大量のねぎ、
ゴミ袋のなかで立派なねぎぼうずになって、もう限界!!(匂いも)
いよいようねもいくつか立ったし、根っこだけにしてどこかに植えなおそうと、
うちから袋ごと持ちこんで、スタッフさんに聞いてみた。
「えっ!切らないで。これでしょ?」と、スタッフさんがバケツで持ってきたのは、
やっぱり抜かれたままのおねぎたち。(笑)
「こうやるの。きゅうりの虫よけ。」と、見本の畑の中にばらばらと広げられた。
「なるほど〜。」
真似して、鼻をふさぎながら(マスクで)ばらして、うねのあちこちにまき散らしてきた。
ねぎは半年くらいこうやって放置しても、生きているそうです。
しかしナメクジ、どこから入ったやら!ゴミ袋の中で何匹も…。(涙)
そして、2のうねのあんどんの中のかぼちゃの葉に、もうウリハムシ!!
と身構えたら、テントウムシでした。。


最後の第5のうねのかたち作りまで済ませて、作業終了。
(うねの隣の雑草地帯から急斜面になっていて、その下はお隣の畑)

今日は1年半ぶりくらい?に、小さい坊ちゃんが作業に参加してくれました。
(一昨年の大根の収穫以来だったような…)
鳥よけのペットボトルをはめながら、
「これ、うちの暗い押入れに何年もおったのが、こんな畑の太陽の下に来たんやなあ。」
(非常用の水の入れ替えをして出たペットボトルだった)
と言うので、ああ!そうだった、と思いいたりました。
文字どおり日の目を見たペットボトルでした。(よく働きました)

この日の最高気温、20.7℃。
風があり、作業中に汗ばむ程度の、心地よい気候でした。
種まき・植えつけ直後の明日は、恵みの雨予報!



つれづれに…中学時代 3  5/7

聞いていて胸が痛くなることも多かった、小さい坊ちゃんの中学時代。
(「中学で得た唯一の財産は英語の基礎。」(←坊ちゃん談 笑)
けれど、それらマイナス面をばねに(?)自分を守るものを持とうと、
彼の気持ちが無意識に働いた気がします。(大きい坊の勉強と同じく)

中学2年の春、学校から、市の中学生代表の一員として、
陸前高田市の中学生との交流に参加を、という話をいただきました。
これは、東日本大震災直後、修学旅行が中止になった陸前高田市の子どもたちを、
名古屋市へ招待するプロジェクトから始まったものです。
両市は「絆協定」を結んでいて、毎年、夏と冬に、
中学2年生がお互いの市を訪問・交流をするという取り組みを続けています。

陸前高田市の中2生は全員参加ですが、名古屋市は人数が多いため3つのグループに分けられ、
各校3年に一度・1人の参加、中2の男子か女子か、性別も教育委員会から指定されます。
坊の中学校では、取り組み3年めにして初めて回ってきたお役目でした。
なぜ坊ちゃんが選ばれたのかはわかりませんが(生徒会をやっていたから?)、
この2年前に家族で初めて岩手を訪れていた坊ちゃん、確率からも不思議なご縁を感じ、
喜んでお引き受けしました。

7月の結団式から始まり、出発までの1ヶ月で、初めて顔を合わせる他校の生徒とともに、
陸前高田市のみんなと一緒に行うレクリエーションや、歌の練習などの準備をしました。
各校から選ばれた中学生はみんな優しく賢く、活動もとても楽しかったようでした。
そして、3日間の旅。(2015年8月の日記・参照)
訪れた陸前高田でもまた、初めて出会うひとたちばかり。
緊張しながら震災遺構の見学をし、現地の方々の取り組みや想いを知り、多くを考え、
また、中学生のみんなの歓迎も受けて、晴れ晴れとした顔で帰ってきたのが忘れられません。
彼の居場所があったんだな、と感じた、大きなできごとでした。

秋の学校文化祭で、全校生徒に向けて、この交流団の活動を紹介し、
現地で見聞きしたこと、考えたことを伝える発表をしました。
遠い被災地の現状を自分の目で見て考える、そして人に伝えるという、
稀有な機会を与えてもらったことに、今もとても感謝しています。

冬休み、陸前高田から訪れた中学生のみんなと再会を喜んだ後、
半年間の活動を終えた交流団の解散式がありました。
ひとりで学校の外に飛び出したことで、学校の中が世界のすべてではないと、
認識が広がったのは、校内での嫌な経験も踏まえて、大きな収穫でした。
一方、生徒会も辞めることなく副会長→会長と経験し、
大きい坊と同じく、3年前期まで活動を続けました。

2学年の終わり、もらってきた成績を見たわたしは、
「あれ?いじゅってこんなに成績よかったっけ?」(←しつれいな)
「いじゅは1年の時からがんばってた。」(←むっとしている)
ちゃんと毎回見ているのに、ちゃんと見てなかったような、認識のない状態でした。(笑)
忘れられない会話です。



つれづれに…中学時代 2  5/6

大きい坊ちゃんが高校に進んだ春、小さい坊ちゃんは中学2年生に。
半年前に入った生徒会活動を優先しながら、図工の好きな坊ちゃんは、
小学校からの友達とともに、美術部にも所属していました。
行ける時に参加して、好きな絵を描き、文化祭で作品展示、と、
ゆるーく・地味にやるのが彼に合っていたようで、引退まで続けました。

一方の生徒会活動は、美術部よりも大変だったようでした。
先輩から活動を引き継ぎ、検討し、改善したり、また新たに計画したり、
それを実行するにも、先生方の意見の力が大きく、思うようにはできなくて…
生徒会メンバーで話し合って決めても、変更を余儀なくされることも多く、
計画すべてを何度も何度もリハーサルし、そのとおりに本番を遂行、というパターンに、
最後は飽き飽きしていたようすでした。
例年有志を募って行う体育祭のイベントなども、指導が厳しすぎて、空気が悪かったと。
それは、大きい坊も同じ気持ちだったようでした。
さらに小さい坊は、先生から「おまえは生意気だ」と因縁をつけられ(?)、
1時間もお説教をされたことがあるらしい。。(最近、聞いた話)
「いじゅが笑ってたら『おまえは生意気だ』って急に言われて、
 立ったままずーっと怒られるんやけど、何怒られてるのか、何が悪いのか、
 全然わからへんかった」と。
途中で頭がくらくらしてきて机にもたれたら、またそれが生意気だと怒られ、
そこに座って聞け!と椅子に座らされ、生徒会メンバーの前で1時間もお説教が続いた、と。
ああー見せしめ、みたいなやつやな、と、大きい坊ちゃんもつぶやいた。
その先生の名前をきいてまた、ああー…と。

大きい坊 「正門の横のところで、煙草吸ってる先生らな。」
小さい坊 「そうそう。いっつもあそこでたまって煙草吸ってる。」
大きい坊 「あの中に、ろくな先生おらんな。」
小さい坊 「な。」

子どもたち(中学生)から見えるところで煙草を休憩がてら吸っているというのは、
中学時代も聞いていたけれど、この説教話は初めて聞いた。
(これが一回きりのことだったのか、繰り返されたのかまでは訊かなかったけれど…)
わたし 「それ、中学時代に聞いてたら、ままはモンスターかあちゃんになってたかも…」

どうやらこの生徒会活動の中で、中学の先生への不信感は大きくなり、同時に、
小さい坊ちゃんの自分自身への不信感にもつながってしまったように思うのです。
「いじゅは年上からは生意気って言われるし、年下からはこわがられる。
 愛想悪いから、嫌われるねん。愛想よくしたら生意気って言われるし。」と、
今も投げやりに言うことがあるのです。

また、クラスでも、からかうように嫌なことを言う子が、どうやらいたようでした。
本人も嫌だったらしく、詳しくは話してくれないのだけれど。
わたしはそのことが引っかかっていて、以前のような無邪気さがこの頃から見られなくなったのは
それがきっかけかと思っていたけれど、どうやら、先生とのやりとりあれこれの方が
大きかったと、最近になって知りました。
「生徒会なんて二度とやんない。」と言ったのには、そんな背景があったのだと。

怨憎会苦とはよく言ったもので、嫌な出会いもまた必然の出会いであり、
その先生や、友達や、またわたしの場合では母つながりの人たちにしても、
その人がどうかということよりも、そのできごとと感じたことを経験することが重要で、
場所・人違えど、適切な時期に必ず起こってくることなのだと、理解はしている。
けれど、やはり納得できない自分も必ずあって、自分の味方を増やしたくもなる。
それは、自分を愛しきれていないからだと、分かっていても。
(自分を愛しきれていない人ほど、外側に多くの味方をつけたくなるもの。)

"忘れないで"わたしは、いつまでも、ふたりの味方です。
あの歌のように・・・"たとえ世界を敵に回しても"。



呼び名のこと  5/6

大きい坊ちゃんと小さい坊ちゃん。
今の彼らにもうその呼び名が合わないことは重々承知のうえですが、
ここではほかに呼びようもないので、今後もしばらくはそのまま、書きすすめます。

HP運営に夢中だった十数年前、管理者同士の活発な交流がありました。
中でも憧れていた、力強く美しい写真を撮られる方がいて、
息子さんふたりとの日々の記録がまた、すてきでした。
彼らが成長して高校生になった頃、もう今までの呼び名が合わないから、と、
息子さんたちのHNを新しくされたのですが、その途端、
別人のような感覚になってしまい、感情移入しづらくなってしまったのです。
また、兄弟どちらのHNなのかも、分かりづらくなってしまいました。
(わたしの理解力不足だったかもしれませんが)

そんないきさつを忘れられず、どうかなあと思いつつも、
それぞれの心の姿として、呼び名はそのままでいこうと思います。



気づく…「思い高じて」  5/5

毎日見ているわけではないけれど、
新聞の生活面にある「くらしの作文」という読者欄が好きで、
目に留まるとつい読みふけり、そのたび、心を打たれる。
限られた文字数だからこそ響く、読者の経験と想いの、小さな物語。
年配の方が多く、その年輪ゆえの重みと言葉の余韻があり、
朝から不意打ちに合ったように、涙腺が緩むことも多い。

数年前、同じ県内の90代の方の、何気ない日々の暮らしを綴った文章に心動かされ、
思いが高じて、編集部宛にお手紙を送ったことがある。
編集部からその方に転送してくださったようで、
ほどなく再び編集部経由で、丁寧な筆文字の返信をいただいた。
そこには、日々の暮らしのことに加えて、自分が戦艦大和の乗組員であったこと、
ほぼ全滅したレイテ沖の戦いでの生き残りであること、などが書かれていて、本当に驚いた。
簡潔な文章でいて、心に伝わる美しい言葉遣い、そして文字。
この国の、80代以上の方々のそれは、なぜこうも知的で美しいのだろうと、あらためて思う。
その方は、実は「くらしの作文」の常連のようで、戦争体験の語り部活動もされている方だった。
「思い高じて書く」ことからつながった、不思議な出会い。
先日久しぶりに、その方の投稿を読むことがあり、うれしかった。

つい数日前には、「こいのぼり」という70代の方の作文に出会った。
子どもだった頃、憧れのこいのぼりは貧しくて買ってもらえず、
4人めの弟が生まれた時に、叔父が2匹のこいを担いでお祝いに来てくれたのが、
とても嬉しかったこと。母が泣いていたこと。
自分の子どもの時には、大きなこいを庭に5匹も泳がせて、我が物顔で見上げたこと。
そして今も、こいのぼりを見るとそのことを思い出し、わくわくする気持ちは変わらないままに、
孫のベランダごいの揚げ下げはじいじの役目です、と結ばれていた。
ああ、なんと味わい深い「物語」なのだろう。
それを読んで以来、わたしも我が家のベランダごいを、感慨深く、何度もながめている。
そしてその気持ちを、こうしてここに綴らずにいられない衝動に駆られていた。

今朝ふと目に留まったのは、「発言」の欄。
「見えない物にひそむ力」と題されたその短文は、75歳の女性のものだった。
大きなハランの葉の足もとで、誰の目にも触れることなくひっそりと枯れてゆく小さな花を見つけたこと、
そのかれんさに心を動かされ、鉛筆でスケッチしたこと。
私たちはどうしても、庭に咲いた華やかなシャクナゲに目がいきがちだけれど、
小さなハランの花のように、(コロナウイルスも同じく)目に見えないものが、
大切なことは何かを教えてくれようとしたのではないでしょうか、と。

これを読んでいると、共感で胸がいっぱいになり、
同時に、草木を見る目の優しさに、心癒される想いがした。
我が家にも鉢植えのハランがあり、あれは花だったのか!と、初めて知る驚きもあった。
そして、どうしてもこのことを、心動かされたことを、書いておきたい、と思った。

そんなことどもから、今更のように気づく。
4/23の日記に書いたことは、実は、書こうとする衝動へとつながっているのだ、と。
その感情の波こそが、「書く」という行為への誘いなのだ、と。
何の波もなければ、書こうとするものごとへの、情熱も愛も生まれないのだ、と。
愛がなければ、伝わらない。そこに、体温がなければ。
言葉に載る「体温」はわたしの伝えたい思いであり、書こうとすることへの愛であり、
その糸口が、「思い高じて」なのだ、と。



畑始動 2  5/2

今週の作業は第2・第3のうね=ウリ科。
春夏準備で一番山場(?)になるアーチの支柱立ての作業があるので、
前日に畝たてだけを済ませておく。


定規でうねのサイズを測ってひもを張り、通路になる部分を掘って、
うねに乗せていく。うねになる部分は、絶対に踏んではだめ。
出てくる石を拾ってバケツに除けていく作業が、意外に大変。
(↑は、次の4のうねの畝たて準備状態)


第2・第3のうね・完成。


きゅうり・小玉すいか・いんげんのためのアーチ型支柱。
大きいので、2人以上でバランスを見ながら金具で固定し、ネットを張る。
アーチのない部分に、向かい合わせでえびすかぼちゃとまくわうりを定植。


ウリハムシ除けのあんどんをする。あんどんの中と外。(お気に入りのけいふんの袋)
きゅうりは時間差で収穫をするために、2週おきに1株ずつ定植。
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前週のナス科のうねの株もとに、保湿のため堆肥マルチをする。
虫よけでマリーゴールドの苗を3株植える。
前年度のねぎも一部植える。

4のうねのだいたいのかたちを作って、作業終了。
この日の最高気温、30.8℃。(!)



春爛漫 2  5/1

連休まっただなか。
外出制限期間を楽しく?過ごすには…。


ひっくりかえすのが上手になりました。(by 坊たち)

わたしは、植木に遊びにくるすずめをそーっと見ているだけで楽しい。
植木の写真を撮ったり…。蜜を吸いにくる虫たちを観察したり。


からりとした晴天が続き、ジャスミンが2日でほぼ満開に!
むせかえるような(文字どおり)香りに、鼻がやられてしまいそう…。
日中よりも夜のひんやりした空気に、香りが溶けこむように感じます。
ああ…初夏のにおい。


次の季節の花も、つぼみすくすくと。