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我が家の春・爛漫 4/30

我が家の春の最盛期を報せてくれるもの。


4月下旬に出すこいのぼりは、いつもジャスミンの開花とセットです。
そして、少し遅れて、五月人形も飾ります。


坊たちもずいぶん大きくなり、出したり片したりは面倒な気もするけれど、
一年に一度、健やかな成長を喜ぶ区切りとして、たいせつに思っています。
これらのものものにこめられた、祖父母の気持ちも伝わるかなあと思いつつ…
あと、ももたろさんも出してあげなければ。。(←小さい坊のケース人形 笑)


一昨年の秋、外壁工事のためフェンスから伐り離されたジャスミン、
昨年は花数が少なくなってしまったけれど、二年越しの復活?
暖冬だったために-2℃以下になる日もなく、雪も積もらず、
ピンクのつぼみがびっしりついていて、期待度大!
(このために毎年、汗びっしょりになりながら花後の枝を切りつめるのです。。)


↑1日後。花がどんどん咲き始めています。
ほかの花たちも、相談したかのように、一斉に!!


種が飛んだらしい、ブロック塀の足もとにすっくと咲いた一輪のオダマキ、
カランコエの鉢植えの中で、元気に(勝手に)群れて咲いたオダマキ。
開花して枝が重くなり、隣の「島戸・練子」さん(←小さい坊・命名)に助けられたコデマリ。
「島戸・練子」さん(シマトネリコです 笑)には、すずめがいっぱい遊びにきます。
すずめ!遊びながらあちこちに落とし物をしていかないで〜。(笑)

つぼみが緑のまま上がってきて、心配していたらちゃんと色がついたチューリップたち。
毎夜ナメクジに食べ放題されながら、どうにか頑張っているパンジーたち、
スイートハートと、ムーンライト。(どっちの名前か分かるかな…)
そして、さだまさしの歌、「デイジー」にちなんで植えたポンポンデイジー。


レモンゼラニウムの小さな花が咲き、レモンバーベナが新芽を吹いて。
あじさいも次の季節を待ちながら大きくなり、カモミールは満開に。
株分けしたり、切り戻したり、こぼれ種の芽を植え替えて集合させたり、
必要に迫られた時にちょこちょことしているだけで、たいした手入れもできていないのに、
季節を忘れない、けっして裏切らない花たち。
いつもそのすなおさに、大きなちからをもらっているわたしです。



畑始動 4/26

今年度の畑。今週はまず、1のうね(ナス科)の畝たて・植えつけ。
今年は1mと、昨年までより20cm幅が広い。うね全体図。↓


トマトの支柱を立て、向かい合わせに4種の苗を植えつけ。


トマトに並んでナス2種・ピーマン・ししとう。それぞれに支柱をして、8の字結び。
なすは風・虫・寒さ除けであんどんをする。


↑あんどんに使う、鶏ふんの袋の絵がかわいくて好き。(笑)
この最初の小ささ・何もなさが信じられないほど、盛夏には大きく、存在感を増す野菜たち。
細胞分裂であんなに増えるんやなあ…と、毎年感心します。
それを食べて生かされる、生命のふしぎよ。

この日の最高気温、22.4℃。



シーチキンのこども♪ 4/24

♪シーチキンのこども、シーチキンのこども、シーチキンのこども、ですー♪

突然、口をついて出てきたフレーズ…
これは…
坊ちゃんたちの口だけのごっこ遊び(ってよくやってた)で、CMソングだった歌です。(笑)
前にも書いたこと、あるような。。

一度歌ってしまうと、止まらなくなる不思議な歌…
♪シーチキンのこども、シーチキンのこども、シーチキンのこども、ですー♪
歌いながら、しばらく使っていなかったシーチキンのパックを出して、
白菜としめじと一緒に炊きました。

わたし 「これって…なんのCMソングやった?」
坊   「なんかのウルトラマン(注・オリジナル)やろ。」
わたし 「これって…2番なかった?おとな、の…」
坊   「くーるみのおとな♪、や。」

♪くーるみのおとな、くーるみのおとな、くーるみのおとな、ですー♪(笑)
そうそう。
↑の会話を聞いてなかった小さい坊に同じこときいてみたら、
「くーるみのおとな♪、やろ?」(爆笑)
なんだか…ウケました。
ふたりとも、ちゃんと覚えてるんや。



PandA…enjoy! 4/24

4月も半ばを過ぎ、履修科目登録期間も終わり、
いよいよ大学の課題が本格的に出されはじめたこの頃。
我が家の学生二人も例にもれず、会議用アプリを使ってのやりとりが始まり、
大きい坊は授業だけでなく部会まで、小さい坊は模擬授業の配信を、
それぞれ交互にやっていたのですが。。

小さい坊ちゃんの学校の学習システムの愛称が、「パンダ」というのです。
「えっパンダなん?」ときくと、「ゴリラっていうのもあるらしいで。」と言います。
動物好きの坊ちゃんにぴったりだなーと思っていたら、そこで受けた模擬授業の字幕で、
「今までにないこの状況を楽しみましょう。enjoy!」と言われたらしい。(←このノリ 笑)

次にそのシステムについての注意書きを見つけた坊ちゃん。

「授業開始に伴い、一時的にパンダが遅くなる、応答が悪くなる現象が見られています。
 …そのようなパンダに遭遇しましたら、しばらく待ってからアクセスする、
 利用者が少ない時間帯にアクセスする等、パンダと上手くおつき合い頂ければ幸いです


「これ…狙ってんの?」
「そりゃそうやろう。」
見せてもらった私も大きい坊ちゃんも、大ウケ。
これから大好きな?パンダと上手くおつき合いしながら、
学校生活をenjoy!していってね。(笑)



もの思ふ 4/23

こんな気まぐれ更新の日記を読んでいるひとはほとんどいないとはいえ…
気持ちが昂ったままいろいろ書いた後で、揺り戻しが来て、しばらく落ちこむ。
このパターンに嫌気がさしつつ…
自分に大したことができるわけでもないのに、偉そうに何か言うつもりもない。
気づいたことに興奮して、言わずにいられない感情に駆られるのは、私の業だ。
結局は、感情の波に左右されない思いを胸に、ただ黙って、淡々とやるだけなのだ。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

そんなふうにいられたらなあと、つくづく思う。
そして、坂村真民さんの詩「一番いい人」のような、
そんなひとになりたいと思う。



大気が… 4/22

アースデイにちなんだウェザーニュースの記事で、
世界中の大気汚染がはっきりと、目に見えて軽減されていてびっくり。
この1月と、2〜3月の衛星写真の比較で、同じ場所の、色が全然違う!
ええっこんなに簡単に(というのは言い過ぎかもしれないが)
大気の状態が変わるのかと、本当に驚き、同時に希望を感じました。
やればできるやん!!
そして、人間にとって脅威のウイルスが、なんと地球守ってるやん。
地球から見たら、人間こそが、脅威なのだと実感。

誰がどんなに訴えても、大きく変えられなかった環境汚染が、
本気になったら変えられることが分かった以上、
何をどう努力すればこの状態に近づけるのか、
さらに、もっと良くしてゆけるのか、速やかに考えなければ。
そして、その中で、ひとびとの暮らしが守られるように。
さだまさしの言う、「ちょっとだけおつめあわせください」の気持ちが、
奪いあうものも余り、また、地球環境も良くしていくことを、信じたい。



畑偵察 4/19

3/30にすべてのねぎを抜き、年度を終えた畑。
4/4に全区画の元肥入れがトラクターで行われ、区画の整理がこれから行われるのか、
目印らしき支柱があちこちに立っていました。


仕切りは今はありませんが、だいたいここがうちの畑、と分かります。
年度初め、継続者は優先的に区画の移動を希望できるけれど、
3年間、自分で耕してきた土には愛着があり、ずっと同じ場所で耕してきました。
今年は少し楽になるように、畝数が減ったり、作物の変更があったりするようです。
どろどろになるうえ作業優先なので、カメラはほとんど家に置き去りですが、、、
今年もここで、がんばります。

 「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう」
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、
土から離れては生きられないのよ。

この有名なせりふを、今まで知らなかった衝撃。
そして、我が身をもってその意味を理解したいま知る、計らいの不思議よ。



つながったこと 2  "Wake-Up Call" 4/16

一昨日の朝刊で、種苗法改正案についての記事が目に留まり、
切り抜こうとしたら。


意見を寄せている3人目の人の名前に、引っかかった。
印鑰智哉(いんやくともや)さん。
珍しい苗字だから…ではなく。いや、あまり見かけないからこそ?
記憶の中からまっすぐ浮かんできた、「いんやくりお」くんの本、
『自分をえらんで生まれてきたよ』。
確か、お父さんだったのでは。。
ゆきついたブログに息子さんの本の紹介があり、ああ…と思った。
あの本を読んで、すなおなことばに胸を打たれたわたしは、
今度はお父さんの確かな言葉に、胸を打たれている、と。
全然内容は違うのに、どこかでつながっている。

種のこと、食のこと、社会のこと…
論拠とする文献を示し、きちんと説明がされている智哉さんのブログを読んでいて、
先月、隣の畑の方に教えてもらった映画、
『種子- みんなのもの?…』の日本語版の監修がこの方と知り、驚く。
そして、さらに衝撃を受けた記事があった。
気づけなかったことが恥ずかしく、そのとおりだと膝を打った。
(その記事は、こちら

今、この世界に起きている大きな問題は、やはりここにつながっていたのか!!!
と、声を大にして叫びたい。
そして、この問題よりも大きなそれを解決しなければ、
ここをやり過ごせたとしても、この後どんなことが起きるか分からない。
生物多様性が、世界を救う、と。
すべての生物がそれぞれの役割をもって支え合い、調和している世界。
それはぬか床の中にもあると、佐藤初女さんはおっしゃった。
映画「地球交響曲」全作を貫くコンセプトでも、あった。
木村秋則さんの話にも、全部つながっていく。
地球、農業、、、私たちが今、本当に考えなければならないことは、
人間が作り出した世界の外側にある!

「獰猛な商業主義」という言葉をある本で読んで、その皮肉な表現に妙に納得した。
わたしからは出てこない組み合わせに、胸がすっとする。
そうなのだ、人間が世界を動かして生きているという錯覚に、もう限界がきたのだ。
その外側にある、わたしたちを生かしてくれているこの地球の在りかたに沿うように、
この世界の在りかたを変えていかなければ、わたしたちはもう、生き伸びることはできない。
そのWake-Up Call なのだと、誰もが気づかなければならない。

オクラ一本抜くのにも、支柱一本抜くのにも、非力で泣き言ばかり言っているわたし。
ほんとうに、何も大きなことはできない、影響力もなにもないわたしだけれど、
たったひとりのひとにでもいいから、このことを伝えたい、
共に考え、努力したい、と強く強く、願う。
そして、手を動かし、耕しつつ、祈る。



片付け終了 4/15

受験を終えた小さい坊ちゃんが、数年ぶりに?学習机の片付けを終えた頃、
大きい坊ちゃんの机の上がものすごいことになっていました。(笑)
その後、ようやくふたつの机がきれいになった記念に、一枚。


きれいになった小さい坊ちゃんの机の上には…
完成!怪獣「ギャラクトロン」。着色も補修も終了しました。
紙粘土3袋使用、相当の重量です。(笑)
顔の芯にポケットライトが使われていて、なんと目が赤く光ります!



つれづれに…周辺のことども  4/11

本編?と別に、つけたしてふれておきたいことどもを…

経てきた日々は、習いごと、遊び、塾、いろいろ含め、
彼らの意思あるところを進んできました。(当たり前ですが)
(親の観念や思いが無意識のコントロールをしている部分は、申し訳ないけれど)
塾も、絶対行かせないと思っていたわけではなく、
本人たちが行きたがらなかったから。(笑)
(さすがに大学受験では行くことになるだろうと思っていたけれど…)
周りの子たちが部活の後塾に行くというのを聞いて、大変だなあ〜と、
あの状態に今からなりたくないなあ…と、思ったらしい。(小さい坊談・高校生時)

彼らは一般のゲーム機を欲しがらなかったし、通信機器も欲しがらなかった。
それより面白いことが、自分たちで作り出す、ことだったのだと…
そして、兄弟二人で、また家族で、それを共有できたことが、大きかったと思います。
たとえば…(夕べの会話)

大きい坊 「うっほー、うっほー、うっほちゃーん♪やっほー、やっほー、やっほちゃーん♪
小さい坊 「気にしない♪気にしない♪」(←忘れていた自分たちの歌)
二人   「(…爆笑…)なんやこれ!」
大きい坊 「タスケテータスケテーダレカタスケテー♪とこえがする〜♪」
小さい坊 「あれは楽譜も起こした完璧な歌や。」(←小さい坊のオリジナルまんがの歌)
大きい坊 「み、み、み、み、みー太くん。」
小さい坊 「あれはもう、踊られへんかな。」(←小さい坊のオリジナルCM体操)
大きい坊 「きみの森の奥になんか声がする〜♪これは有名やな。」(←オリジナルウルトラマンの歌)
小さい坊 「きみの森の奥になんか目が光る〜♪」(←オリジナルウルトラマンの歌)
私     「それ2番なん?」(素朴な疑問)
二人    「違う!!これは曲一緒やけど、別の歌!」(笑)
二人    「今までの主題歌集、作れるなー!CD作ろうか?!」

録音・録画なしのオリジナルソング、ありすぎ!!(爆笑)
口承するしかないやん!!

…すべてこの調子で。。

習いごとでは一番早くやめてほしかった(笑)習字を、彼らは一番続けたかったらしく、
大きい坊はなんとまだ、「子ども書道」に通っています。
そして彼はまた、ピアノにも通っています。。
たいして上手くもなくとも、長く続けるってすごいことで、
彼は小1から12年以上かけて子ども書道の「特待生」になり、一般の部になりました。
スイミングも、足の怪我でやむなくやめることになった高1の頃には、
運動のできる友達が高学年で到達した、タイム測定の選手コースにいました。
ピアノも、同じ年の牛田智大くんとは比較にもなりませんが、
彼の看板曲を、坊ちゃんらしい丁寧できれいな音で弾けるようになりました。
一緒に習っていた子たちは、もちろんとうの昔にやめてしまっています。
小さい坊も、高校の部活や受験をきっかけにやめてしまったけれど、
高2まで習字、高3までピアノを、ずるずる(まさに)続けていました。
今は時々、自分でピアノやギターを弾いて、気分転換をしているようです。

体力を作ること、静かに集中する時間を持つこと、音楽ができるようになること。
これらが、生きていくうえでの糧になると信じて、
なんとなくでも続けてきてよかったと、あらためて思っています。

そして、ただ、こつこつと。
ひたすらこつこつと、地道に長く続ける、ということが、
習いごとだけでなく勉強にも、いや、生きていくことすべてにおいて、
どんな底力になるか、ということを、彼らに教えてもらった気がします。




つれづれに…小・中学時代  4/11

待ち針に刺されながらのプリーツとりに疲れたので、マスク作り小休止で…

先月、書店にでかけた折のこと。
学参コーナーをぐるりと歩きながら、しみじみ、もうここも卒業なんだなあ…と思った。
受験終了と同時に、突然要らなくなる寂しさを感じつつ…
中学の棚にまわったら、すっかり忘れていた問題集がたくさん現れて、
「ああーこれ、毎年全教科買ってやってたな。」「テスト用にこの教科だけ買ったな。」と、
ひとつひとつに、その時の坊ちゃんたちの学習が思い出され、懐かしい気持ちになった。
彼らは彼らで、夜寝る前に、
「小学校の頃がいちばん楽しかったなー。勉強しなくても100点取れたし。(笑)」
「なー。」
など他愛ない思い出話をしていたりする。
思えば小中時代の彼らは、運動は苦手・勉強は普通、の人たちだった。
小学校では、自分たちで遊びを考えてふたりで夢中になって遊んでいたし、
そこに友達を巻きこんだりもして、楽しんで過ごしていた。
小1から中3まで、岡山本社の某通信教材(通称チャレンジです)を続けた以外は、
長期休みに市販のワークをしたり、わたしがはまってしまった(笑)100マス計算をしたりしたけれど、
彼らの言うように、ほぼ学校の勉強だけで6年を終えた。

高学年〜中学に上がる頃は、周りでは習いごとを辞めて塾へ通いだす子が多かった。
けれどなぜか…わたしは、塾に行かせる気になれなかった。
(長いこと自分が塾講師やってたというのに!)
どこの塾がどんなふうだとか、そんな話題が増えていくなかで、
母つながりの人たち特有の「集団の空気」みたいなものに、心がついていかなかったから。
そして、中学校が勉強をするところなのに、二重に行く必要がある?とも…。
子どもたちの時間をどう使うか?ということも…。
「えっ行ってないの??」と、人から何度も何度も言われながら、
なんか違う、という感覚だけでそちらを選んだ。
ピアノ、習字、スイミング。
「えっまだ続けてるの??」と、人から何度も何度も何度も言われながら、
これはわたしも、どこまで続けるべきか迷いながら、でも、続けた。
とても肩身が狭かった。

大きい坊は中学に入って半年後、担任の先生の勧めから、生徒会に入った。
彼が言うのには、
「生徒会っていうだけで賢く見られるから、いい成績取らなあかんと思った。」らしい。(笑)
そんなわけで、彼自身が体裁を保つため(?)、
学校から配られる「定期テスト範囲一覧+1週間前計画表」をもとにこつこつと、
(数学の嫌いな分野は捨てながら 笑)テスト対策をして、頑張った。
わたしはれいの学参コーナーに通い、単元ごとの復習用に"教科書トレーニング"、
定期考査用に幾種類かの各教科問題集を購入した。(彼ら自身がやりやすいと選んだもの)
チャレンジの課題は毎月出すのを見届け、あとは坊ちゃん任せでこつこつと。
入試に内申(中3からの)が重要とようやく気づきはじめた中2の終わりに、
そこそこ良い成績を取ってきたので安心していたら、次の学期に急降下してびっくり。
どうやら、中3になるとみんなが頑張るので、今までの努力だと下がるらしい…。(当たり前)
しかも、生徒会が終わるまでは、受験勉強にとりかかれないという。(ええっ)
それでも、続けてきたチャレンジを頼みの綱に、学校販売の各教科問題集もこなしつつ、
県で一番受験者数の多い模試を毎回、個人で会場受験した。
わたしはといえば、坊ちゃんが学習している範囲を逐次チェックしながら、
保護者向けの冊子を熟読し、ネットに情報網を張り、
模試の結果と見比べながら、信頼できる受験情報集めを続けた。

下がった成績はその後、少しは上がったけれどそれほど復調せず、
公立が第一希望だったため、無理をせず、内申に見合った高校を選んで受験。
そこが、小さい頃よくお花見に行った桜坂のすぐ下の場所だと知ったのは、
合格後のことだった。
ご縁だなあ…と、しみじみ思う。
そして、その学校での、坊ちゃんの充実した3年間をあらためて振り返れば、
中3で成績が急降下したことすらもまた、このご縁のためだったのかと思う。

そして、小さい坊ちゃん。
彼も中学に入学して半年後、中3だった兄の誘いか影響か、から、
同じく、生徒会に入ることになる。
そして、、、中学卒業・高校進学時、「生徒会なんて二度とやらない。」と
彼に言わしめるような、嫌な経験をしてしまうのだった。

・・・つづく。(長くなりそうなので気長に)



つながったこと  4/10

「いま経済も大変だけれど、経済を回しているのは人なのだから、
 人を守ることがまず優先」という言葉をきいて、何かが腑に落ちた。

長い間、経済優先に傾く社会への疑問を持ち続けてきたけれど、
人間が作った巨大な仕組みの制限の中で生きるしかない矛盾を、解決できずにいた。

「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すが上」
数年前、ある対談番組で、そんな言葉に出合った。
「経済が49%、文化が51%。この1%の壁が大切。」
自分たちで一歩ずつ築き上げた事業の利益で、
さびれゆく地元の文化を守ろうとする人たちの物語だった。

時間差で入ってきたこれらの言葉と、大きい坊ちゃんの受験時(経済学部)に知った、
経済=「経世済民」の意味が、ようやくつながった、気がする。

4月下旬、およそ10年ぶりに、鈴木秀子シスターの講演会を聴きにいく予定だったのに、
この世情ゆえ、中止・延期になってしまい、とても残念に思っていた。
その鈴木秀子さんの言葉で、折に触れて読み返したくなるものがある。
そして時折、それを心で反芻しては、「縦と横のバランス」について考える。
書籍には見つけられず、ネットで探してみたら、どうやら対談によるものだった。


 物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、そういうものだけで、満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。
 あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。 その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃっるには、人間のエネルギーには縦と横の線があって、例えば横線をお金や物や地位のエネルギーだとすると、縦線は見えない世界だというんです。
もし人が10のエネルギーを持っているとすると、物欲が広がれば広がるだけ、縦のエネルギーはなくなるわけです。
 ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。あるいは会社が倒産したとか、社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。
 がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと何の役にも立たない。そこで初めて自分の頼りになるものは何だろうかと考えるんですが、 そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということをしみじみと感じるというのです。
  それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、その分を2しかなかった縦の線に振り替えていかなければならない。そういう人を何人も診てきたけれども、その振り替えがいかに大変かというお話しでした。


この世で生きていくのには、どちらも必要なのだけれど、
肉体を維持していくためにはどうしても、「目に見える」横の線が大切になっていく。
社会の仕組みも、そうなっている。
そんな中で、縦の線を保ちつづけていくことは難しいのかもしれないけれど…
横の線だけが伸びつづけた時、反動で、何かが問いかけてくる。
本当に大切なものは何か、考える機会が訪れる。
それはそれまでの世界を揺るがす危機でありつつ、希望でもあると信じたい。
1%の壁を、思い出すために。



おもしろ発言シリーズ  4/8

なかなかここを更新できなかった時期、残しておきたいおもしろ発言を、
日々の記録手帳に書きつけてありました。
昨年の秋冬あたり??
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大きい坊 「今まで生きてきていろんな人に会ったけど、
       いじゅほど趣味も気も合う友達はおらんかったわ。」
小さい坊・パパ 「そらそうやろー!ずっと一緒におるんやから。(笑)」

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(つれづれに、数学の話をしていて)
オットー 「サイン・コサインって、さいたコスモスコスモスさいたって昔覚えたなー」
小さい坊 「今は違うんやで。さちここばやし、こばやしさちこって覚えるんやで。」
オットー・私・大きい坊  (…大爆笑…)

↑あまりに面白かったので、生さだにはがき書いた。読まれなかったけど。

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小さい坊ちゃんが書いた、受験の提出書類をチェックしていて…
" 〇〇大学 / 受験日・〇月〇日 受験地 ・ 近所 "
(笑いをこらえながら)
私 「いじゅー、受験地は『近所』じゃなくて、『名古屋』って書かな。」
坊 「そうか。」(大真面目)

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『高2からの受験術』という本を、坊たちの年下のお友達に譲ろうと思い…
私 「この本、〇〇くんのお母さんにあげてもいい?」
坊 「いいよ。いじゅはもう、手遅れやから。」(←高3秋)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

笑、笑、笑…。



マスク作り・怪獣作り 4/8

給食マスク、外でつけるにはさすがに小さくなってしまっていたので、作り直し。(笑)
10年以上眠っていた残り布を掘り出し、マスクの構造と種類の研究に1週間を費やし…
さらに、スーパーで見かけた、完璧なプリーツマスクの人を目で追って研究。
作り方・型紙・想像、あれこれ組み合わせ、ようやく完成!完璧な?プリーツマスク!
「やるやん!」(by大きい坊)

さて、学校がなかなか始まらない、小さい坊ちゃん。
この間まで、あんなに勉強に追われていたのに!
今は時間がありすぎて、持て余す始末。
怪獣やウルトラマンの絵を描いたりしているうちに、
ついに紙粘土による立体製作にとりかかってしまいました。。
大きい坊ちゃんも、「持ち上げてみていい?」(笑)と興味津々。
こちらも、数日がかりの力作になりそう。




今年も… 4/5

毎日毎日、朝から晩までバイトに勤しむ大きい坊ちゃん。(制服やさんの書き入れ時ゆえ)
早く帰してもらえた今日、日のあるうちに!と、桜の花を撮りにでかけました。
季節限定、一年に一度の花の盛りを、カメラにおさめたくて。

大きい坊ちゃんの高校からつながる、桜の並木道。
小さい時から、毎年家族でお花見に訪れた場所。
今年も変わらず、美しい桜の木々が、道いっぱい、公園いっぱいに、
花びらを散らしながら迎えてくれた。
昨夏、一生懸命バイトしてお金を貯めて、フルサイズの一眼を買った大きい坊。
一緒に写真を撮りながら坂を上り、また下って。
夕暮れの風とひらひら舞う桜の雨を受けながら、心が洗われるような思いがした。
帰りの車のなかでさだまさしの「桜散る」を聞きながら、その余韻に浸る。。


2005年4月の桜坂。花びらを拾ってかけっこをしていたふたり。
あれから、15年。




「魔法使いとフリージア」 4/5

庭とも呼べない狭い土のスペースのすみっこに、
10年以上前に植えた球根が、今も、季節を忘れずに花を咲かせてくれる。
数は減ったけれど、ひょろひょろと出てくるムスカリ。
植えた覚えのない(笑)増え続ける「野放し球根」アイフェイオン(これハナニラやん!)。
そして、その存在をふだんは忘れているのに、ふと現れるフリージア。

このフリージアは毎年、思い出したようにつぼみが出てくるのだけれど、
混合でいくつか植えたのか、いつも花の色が違う。それも、一緒に咲かない。
昨年までは色の濃いピンクだったり黄色だったりしたのに、
今年はあまり見たことのない、真っ白な花だった。
占いのように…不思議な気持ちで、その花をながめていた。


「やまなし」の樺の花を連想したり、
グレープの歌を思い出したり。
白い車に乗って、まぶしい白いドレスの君が抱えていたのは、
やっぱり白いフリージアの花束だったのかな。



「ない」なら、「ない」で。 4/2

国会答弁のようすを見て、可愛らしさにふと笑ってしまった。
首相はじめ、閣僚全員がマスク。しかも、ふわふわラインの。(笑)
おそらく布でできたマスクだと思われる…
そして、ドラッグストアでの小さなできごとを思い出す。

キッチンぺーパーの予備がなくなったので買いにいったら、棚が全部空っぽ。
びっくりと同時に、ああー…と、昨今の事情に思いをはせる。
次はこれか…。
今日が入荷予定日と書かれていたので、一応店員さんにたずねてみた。
「確かに、今日が入荷予定みたいなんですけど…」
そう言いながら調べに走ってくれた店員さんと入れ違いに、
通りがかったおばさんがその言葉に条件反射のように反応して、
わたしに向かって、「あなた、マスク?!マスク入荷なの?!」とすごい勢いで近づいてきた。
こわくて即、「いえ違います!」と返したら、
「そうよねー、マスクないわよねー…」と言いながら、ふらふらどこかへ行ってしまった。
なんだか、いやな思いがした。
結局キッチンペーパーも入荷しておらず、そのまま帰宅。
途中で寄ったスーパーでも、いつも漂白剤として使っている過炭酸ナトリウムが売り切れ。
個人的にエコのために使っている、特に人気のなさそうなもの(笑)が、
この「消毒」ブームの中、消えてしまったことに、いやな気持ちがまた湧いてきた。
見れば、手洗いソープの棚も空っぽ。
どこまでいくのやら。。

使い捨てマスクが消えたことに、最初は驚きとあきらめと不安な気持ちを持っていたけれど、
今では、そんなに必要を感じなくなっている。
(わたしの立場では、ということ。医療現場など、本当に必要な場所はもちろんある。)
必死に買い求めようとするほど(わたしに)必要か?といえば、そんなことはなく。
確かに、ウイルスはともかく、花粉、黄砂、畑の土ぼこり、掃除のほこり、など、
アレルギーがあるので、わたしにもマスクは必要。
けれど、十年くらい前にガーゼで作った、子どもの給食マスクや自分のマスクがあり、
それにティッシュをはさんだりして、充分やりすごせている。
(はさまなくても、九重になっているのでだいたい大丈夫)
思えば、使い捨てってなんてぜいたくなことなんだろう。
地球の資源を、たくさんの手間をかけてあのかたちにしたものを、
何も思わず考えず買い求めて、使ってすぐ捨てるなんて。
そう思うと、今山積みになったとしても、買いだめしようという気にはまったくならない。
店頭に並んだとしても、あ、出たんだ…と他人ごとのように感じるような気がする。

歴史の出来事のような疫病の伝染を初めて身近に感じ、驚くとともに、
その疫病がもたらした災禍と恩恵、両側面を考える機会を得たのだと…
病気はこわいけれど、病気以上にこわいものもある。
見えないものが広がるのはこわいけれど、その見えないものが見せてくれるものがある。
この状況は、わたしに、何を問いかけている?
わたしは、目を、耳を澄ませ、その答えを探し、考えつづける。

とりあえず、わたしは畑を持っている。
頭のどこかに、こういう状況を置いてもいるから、やめられない、という、
ひそかな理由も持っている。
できうるかぎり、自らの手で、自らを満たす。
運命論的にでなく、能動的に。人事を尽くして、天命を待つ。
そんな思いで日々を過ごしている。



通帳まで… 4/1

ずいぶん前に作った、小さい坊の郵便局の通帳を使う機会ができて、
キャッシュコーナーで、試しに入金しようとしました。
するとお金を返され、「お取り扱いできません。窓口へ…」と言われるのです。
2回試してだめだったのであきらめて、窓口へ行きました。
「通帳の磁気がだめになっているかもしれないので、確認しますねー」
にこやかなスタッフさんに通帳を預け、待つこと数分。
「ああ!」と納得したようすで、笑顔でおっしゃるには、
「長い間使われていなかったので、睡眠通帳になってしまっているんですね。
 なので、睡眠を解除したら、元通り使えるはずです。」
「えっそうなんですか?!」
びっくりしたわたし。
そして同時に、すぐに寝る、寝てばっかりの坊ちゃんが思い浮かんだ。
赤ちゃんの時から、眠くなるとどこででもこときれたように寝てしまう小さい坊ちゃん、
なんと彼の通帳までが、「睡眠通帳」になってしまっていたとは!(笑)
そして、起こしてあげないと、使えないとは。。
可笑しくて、ひとりにやにやしながら、郵便局をあとにしました。