<< 風待ち日記TOP
<< Home




日々のなかで  6/21

一昨日のこと。
朝刊一面を見ていたら、帰宅した大きい坊が、
「寂聴さんが(議事堂前で)抗議してるの読んだ?」というので、
「うん。じゅんは読んだん?」ときいたら、
「読んだよ。」と。

今朝、日曜版の特集記事を読んでいたら、部屋に入ってきた大きい坊が、
「あ、日曜版、読んだ?ひめゆり学徒隊。」
「えっ。じゅん、もう読んだん?」
「うん。」
「全部?」
「うん。」

ほどなく小さい坊が入れ違いにきたので、
「いじゅはこれ読んだ?」ときいてみると、
「読んだ。」
「全部?」
「うん。」

夕方。
公園にふたりで遊びにいったかと思うと、すぐに大きい坊が帰ってきて、
「ママ!空が、すごくきれいやで!ほら。」と窓を開けてくれた。
「ほら!天使のはしご。」
「ほんまや。太陽が、雲の裏側から照らしてるから、
 雲のふちが透けてきれいに光るんやな。」
わたしがそう言うと、満足そうにまた、公園へ走って戻っていった。

先月の「上高地ナウ」もしかり、
ふと、この子たちの子育ては成功したと思っていい、と浮かんだ。
生きるちからが試される逆境や挫折はまだまだこれからなのだろうけれど、
心が向いている方向が、間違っていなければ。
美しいものを美しいと感じるこころを持っていること。
自分と世界にとってたいせつなものが何かを正しく知っていること。
これからの道行きを照らす自らの明かりを、彼らはすでに手にしているのだ、と。
ここからはもう、彼らが彼らのなかに育てた、
その明かりへの信頼を伝えるのみ、と思う。



人間の構造  6/19

今期の朝ドラ離れから、朝はテレビをまったくつけなくなっていたこの頃。
何気なく新聞のテレビ欄に目をやると、今日のあさイチのゲストは、谷川さん!!
大急ぎでつける。
舞台で聴いたのとなにも変わらない、ひょうひょうとした口調で、
自らの詩について、日常について、気負いなく語る。
ああ、やっぱり、心地いいなあと思いながら聴き入って…
「人間って、同心円状に、年輪のように、成長していく」という話に心をつかまれた。
「だから自分の中心には必ず、生まれたときの赤ん坊の自分がいて、
 その周りに幼児の自分がいて…
 子どものときの思いが今も自分の中にあるから、分かるんですね。」
それをきいて、少し、安心した。
すっかり忘れてしまっているようで、でも、ちゃんと自分のなかに生きている。
そしてたぶん、死ぬまで一緒にいる。
子どもの自分。
谷川さんが以前、新聞記事でも話していたことを思い出す。
「自分のなかの子どもとうまくつきあえる人が、大人なのだ」と。
めまぐるしい外界の変化に心奪われていると、見失ってしまう。
見失うと、生きる道すじまで、見えなくなる。
最後までともに生きる、自分自身の核でもある、たったひとりのひと。



積年の…  6/18

数週間前から、わたしたい、送りたい、と思っていたものを、
手紙を書いて、わたし、送ることができた午後。
風は強いけれど雨は降らず、薄日が差している。
今だ、と思いたって、ブルーベリーの本を見たら、土の配合はかなり簡単。
俄然やる気がわいてきて、エプロン・袖カバー・マスク着用で外へ飛び出した。
何年間も植え替えることができないまま、別の植物まで生えてきていた鉢。
いつのまにか留め金具も壊れてしまい、崩壊寸前だった鉢。
植え替えるために買い換えた鉢も、土も、一年近く放置されていた。

驚愕。
下に根を伸ばすことができなくなったブルーベリーは、まるでつるのように太い根で、
鉢の内側の円周に沿って、自らの細い根鉢をぐるぐる巻きにしていたのだった。
そして、種が落ちて生えてきたらしいローズマリーと、名も知らぬ雑木?は、
根がブルーベリーのそれと一体化し、離れなくなっていた。
ちぎるようにしてそれらを分割し、リースになっている太い根を取りはずし、
やせ細った枝を整理して、広く新しい鉢へ移動したブルーベリー。
自らの呪縛と他者の侵略から自由になったその姿に、
安堵と共感とうらやましさを覚えつつ。。
またここから、元気に育ってくれることを願う。

映画を観て、手紙を書いて、植物を植えて、胸のなかに湧きあがる思い。
やっぱり私は、優しいものが好き。
美しいものが好き。
温かいものが好き。



海街diary  6/17

朝、突然、今日はレディースデーであることを思い出して、
「海街diary」を観にいった。
あちこちで広告を目にして、話題作なんだなあと遠巻きにみていたのに、
気まぐれにHPをみたときに、ああ、これは…と、何かが響いたから。。

映像と音楽の、圧倒的な美しさ。
どこか懐かしく、もの哀しく、優しい空気がいっぱいに満ちていて、
観ているこちらの心に、流れこんでくる。
登場するひとそれぞれの心もよう、そこから発せられることばが痛く、せつなく、
特異な設定の中にある普遍的な「家族」の想いに、共感するところが多かった。
そんなこころの動きに寄り添う、海辺の街の四季の移ろいが美しく、
また音楽が美しく…
通奏低音のように、かすかな哀しみや痛みがベースにあり、
その上に拡がる温かなやりとり、思い、変化、の彩りがより際だっている、そんな印象だった。
いろんな色があるからこそ、生きることは美しい。
そんなふうに思わせてくれた、優しい映画だった。