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『きみはいい子』読了  4/24

2年前の春、テレビで書評を聞いてから、ずっと気になっていた小説。
文庫版を見かけて、ようやく手にしました。
書店で単行本の表紙を見ては、「どんな話なんだろう」と想像をふくらませてきたので、
やっとなかみが分かる!というような、妙な期待感を抱きつつ…。

同じ町を舞台にした、それぞれの物語を抱える人々の、5篇の連作短編集。
重いテーマのアウトラインは知っていましたが、文の流れがとても心地よく、
また、物語のラストがとてもやさしくて、読後感がよかった。
どの物語も胸に迫りますが、わたしは「ありがとう、さようなら」がいちばん、好きでした。
「べっぴんさん」とあわせて、結末で嗚咽して泣いてしまうほど、反応しました。
自分のなかに同じ何かがあるのだ、と確認する思いで。
「きみ」は、悪い子じゃない。
「あなた」は、孤独じゃない。
誰もがどこかでつながり、支えあい、そうして、この世界が成り立っているのだ、と。
それを自分自身のこころで、感じることができたら。
そして信じることができたら、幸せだと思いながら、読み終えました。



拍手ってあったかい  4/23

何ヶ月も前から楽しみにしていた、2年半ぶり?の佐渡さんのコンサート。
(あまりに先なので、日にちを忘れないか心配していた)
無事に出かけることができました。

あの時は数日前に思いつきでチケットをとったのに、
1階真正面のほぼ真ん中で、音響的にはとてもいい席でした。
今回はちょっと気になった、ステージ真横の2階席を選んでみました。
指揮者や演奏者の様子が間近で見られそうだなと思って。。
これが、わたしとしては、大正解!ものすごくよかった!
佐渡さんが客席に向けて話す時(マイクなしで)は、ちょっと聞こえにくかったけど…
指揮をする時の表情や動きだけでなく、風のような呼吸まで聞こえてくる。
佐渡さん、魔法使いみたい。と思った。
それともうひとつ感激したのは、弓が弦をこする、音になる前の音が、
できあがった音楽と一緒に聞こえること。
まさに演奏者や楽器の呼吸が音楽と一緒に聞こえてくるようで、
「生」=ライブ感あふれる演奏を楽しむことができたのです。
わーここ、いい。S席より安いのに。(笑)
ちかい。オケが近い!!

佐渡さん率いる、兵庫芸術文化センター管弦楽団、10周年の記念公演。
オーケストラプレイヤーを育てるためのオケなので、
世界から集まった若手ばかりで、在籍は3年と決まっている。
佐渡さんのプレトークがあり、オケの紹介から、演奏曲目についての説明や、
今年1年目の新人奏者でこの県出身の2人の紹介と演奏など、
いつものコンサートと違って、砕けた感じのオープニングでした。

アンコールも…
「兵庫にちなんだ曲を…」と言って、始まったのは「すみれの花咲く頃」。
ちょっとジャジーななじみやすいアレンジに、客席の手拍子も加わって、
演奏者も聴衆も一緒になって楽しんだ演奏でした。
ロビーのアンコール曲紹介で、このアレンジが宮川彬良さんと分かり、納得。
やっぱり、場を和ませる力があるなあ。
もちろん、プログラム本編もすばらしかったですよ!
ウェーバー&ショパン&ブラームス。(長くなるので、作曲者のみ。)
全体とおして、のんびりと楽しめたコンサートでした。

アンコールで、思ったこと。
拍手って、あったかい。
今まででいちばん好きなのは、やはり大阪フェスの拍手だけれど、
(あそこは、まっさんの言葉どおり「拍手が降ってくる」。圧巻)
コンサートホールできく拍手はまた違って、会場いっぱいに満ちて、温かい。
今回は舞台の真上だったこともあって、客席の聴衆の拍手や歓声に、
演奏者が応えているのがよく分かった。
演奏する人、聴く人、みんなでこの場の空気を作っているんだなあと…
オーケストラは、たくさんの人が集まってはじめて音楽を作れるものだけれど、
拍手も同じだなあ、、、とも。
この場にいる、みんなの想いで作られている、一期一会のコンサート。
出会えて、よかった。



たかくおよぐや  4/23

やっと訪れた、晴天の日々。
突然の夏日に汗をかきつつ、布団干しつつ、端午の節句の準備。
いっぺんに両方出すなんて、あーよくがんばった。
今年も無事に飾れて、よかった。
子どもたちの、健やかな日々を願って。




愛がある ということ  4/22

大きい坊ちゃんの高校入学から半月。
うわさや口コミ的な評判しか分からない状態で入学したのでしたが、
(両親とも県外人なうえ、塾に通わず、模試と学校の面談の情報のみで決めた)
最初の説明会や入学式の印象、学校だよりに書かれている文章、
どこからも同じように、じわっと伝わってくるものがある。
聞いた話から想像していた雰囲気とはずいぶん違って、
まじめで、「愛」のある学校だなあ。。としみじみ感じることが多かった。
これは、実際に入ってみないと分からない空気感だなあ、と。

坊的に決め手のない(学力的にもほぼ同じ)2校で迷った挙句、
夢のお告げに従ってこの学校にしたらしいのですが、
それは正しかったのかもしれません。
(担任の先生にも、「そういうの結構だいじかもよ」と言われたらしい。笑)

やさしさ、というか、やわらかさ、というか。。
同じ先生が書いているわけはないのに、どの文章からもそれが伝わってくるのは、
杓子定規な定型文でなく、心がこもったことばが並んでいるからだと気がついた。
それがほけんだよりにまで(体を気遣って 笑)にじみ出ていたので、なんとも。。
これが校訓にそった校風だとすれば、本当によかった!と心から思います。
何よりたいせつなのは、「愛がある」ということ。
それが、いちばんだと思うから。。

雨のいちにち、坊が持ち帰った機関誌を熟読していて、
校長先生の巻頭言から、転勤・退職された先生の文章にいたるまで、
この学校を愛する気持ちがにじみ出ていて、
どれもなんと温かく、胸に染みることよ…と感じ入りました。
そしてそこから、驚くべきこともわかり…

戦争末期の昭和18年以降、海軍の要請により、
生徒の予科練(特攻隊につながる)志願を学校側が大々的に呼びかけることになるのですが、
実質的な初代校長先生は、立場上伝えたかたちにして、
実際には生徒に一切伝えず、多くの生徒の命を守ったとのこと。
終戦前後は県庁に転勤され、そこでも学徒の生命の安全に最も心を砕かれたということ。。
終戦後、新しい学校制度の準備をしてから再び校長として戻り、
今の校訓を定められたということ。そのまま定年まで、勤められたということ。
戦時下の物資窮乏に加え、学徒動員による勤労作業もあり、
学校で学んだ記憶がほとんどない、という当時の学生のことばも添えられていて、
平和な時代に学べることのありがたさをあらためて感じました。

そして…なんとこの校長先生、新美南吉の恩師であったらしい!!!
これは自分で調べて行き着いて、びっくり興奮。
病弱で教員の免状を取れなかった南吉の才能を認め、その創作活動を支えるため、
高等女学校の教員になれるよう力添えをされたという…
(就職に先生の口添えがあったことは、記念館で読んでなんとなく知っていた気がするが…)
そして夭折した南吉から、死後のこともいろいろ託されていたという。
こ、ここから、まさか新美南吉につながるとは…。
わたし自身も、ご縁を感じずにいられません…。

そんな先生が、礎を作られた学校。
第一義は、人間形成、人格形成、とうたった学校方針。
そこかしこに愛がにじみ出ているのも、うなずける気がしました。
目には見えないけれど、温かな空気に満ちた、これからに期待です。

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書き終えたところで坊ちゃんが帰ってきて、「はい。もらった。」と本をわたされました。
・・・高校についての、クイズ検定本。このタイミングで。
定価千円。(笑)どこまで、学校愛やねん。
れいの校長先生について、さらに詳しいエピソードが書かれていました。
約束された高い地位を捨て、自ら希望して校長として戻ったのは、
教え子を戦場に行かせてしまったことを悔いていたからだということでした。
美談のようですが、実際に校庭に銅像が建っていることを思うと、
(偶像崇拝にあたると最初は県が許可しなかったのに、どうしてもと同窓会が押したらしい)
本当に、多くの先生、生徒から、慕われていた方だったのでしょう。
(・・・賢治先生の銅像を思い出すのは、わたしだけ?)
そのほかにも、いろいろ。。

 ↑「学校の付属品」 通学路・桜坂。


- よだん -

受験前、この学校のことを「ちゃらい」と紹介していたらしい、担任の先生。
坊は迷い、「ええー」とびびったわたしは、面談時に、どんなふうかきいてみた。
「まあ、自由な感じで…昔から、○○温泉といわれるくらいぬるくて…
 自由なぶん、自分で勉強も何もかもしないと、だめな感じなんですが…
 ○○くんなら、流されずにやれるんじゃないかなと思います。」
そ、そうなんか…と思いつつ、先生、えらい詳しいな…と思ってたら、
合格報告の登校時にこそっと、
「先生も高校ここなんだ。○○くん、後輩だね!」と言われたらしい。(爆笑)
クラスでひとりだけだったので、こっそり教えてくれたんだと思うけど…
それにしても、ウケました。
ちゃらいとか、ぬるいとか、さんざん、脅かされて。(笑)



雨・雨・雨  4/20

どしゃぶりのいちにち。
こんな雨が春先に続けて降るなんて、ほんとに珍しい。
気候の変動に静かな脅威を覚えているのは、わたしだけではないと思うけれど。。
無力感に苛まれながらも、めくるめく循環の輪と地球の痛みに思いを巡らしつつ、
生きることの大切さを思う。



根負け…  4/16

冬のあいだ、リビングで暮らしていたパキラ。
夜間の冷えこみもなくなり、やっともとの場所に戻りました。


下の葉が落ちたり、上へ伸びたりするうちに、だんだん枝が一方向に傾いてきて、
そろそろ先をとめてやろうと、つらい思いで新芽をかくこと2回。(昨年の話)
1回かいて、また新芽が脇から出たので、もう1回。(↑かいた痕、、、見えますよね。)
それなのに。
ふと見ると、またその脇から、4つも新芽が!
・・・・・
ま…負けました…。

昨年の日記にも書いた、箱ごと土に埋めるだけの球根セット。
これも球根腐れ?を避けるために避難させていたのを、外に出して1ヶ月半。
ついにきれいな色のチューリップが咲いて、感激。
(冬の日当たりの悪い我が家ではチューリップが咲きづらくて、
長いこと植えるのもあきらめていたのです。)
ほかも、寄せ植えした球根の芽が出なくて、あきらめモードだったのですが…


なんと、脇からしゅるしゅるーと芽が出てきたかと思うと、ある日、咲いていました。
「あー!"アイフェイオン"(カタログ名)が咲いた〜!(感激)
 ・・・って。あれ??これ、、、ハナニラやん。」


球根セットの説明の"アイフェイオン"がどんな花か、楽しみにしていたのだけれど、
これ…庭に、すでに生えてる。
キャッチフレーズは、「野放し球根」。(笑)

チューリップ以外で唯一、秋からすくすく芽をのばしていたのは、ムスカリでした。
"チオノドクサ"(カタログ名)もまた、咲く直前にしゅるしゅるーと伸びてきて、ふっと咲きました。
なんだかフェイントが多い、球根セット。(笑)


果実組も、がんばっています。
昨秋植え替えてあげられなかったブルーベリーも、つぼみをつけてくれて感激。
次々と花が咲きはじめたいちごは、今年もナメクジと競争になりそうな予感。。


8年くらい放置した結果、花つきが悪くなっていたあじさい。
昨夏植え替えたおかげで、つぼみが20こ近くついていてびっくり!
復活の予感!!


オットー実家からやってきた花たち。


あの「つぼみのまま苦節5ヶ月」のカランコエはなんと、
外でお日さまを浴びているうちに、レモン色から鮮やかなオレンジ色に変身。
同じ故郷からやってきたカモミールも、思わぬ鉢のあちこちから芽を出し、
今まさに咲かんとしています。

花ざかりの植物たちの力に、慰められる日々。
次は、冬のはじめに枯れかけ?の株をあわてて植え替えた、都忘れ。
寒さに耐え、気温上昇とともに着実に新しい葉を伸ばし…
もうすぐ咲きそうなので、とても楽しみです。



桜散る  4/9

桜は盛りを過ぎて春の雨つづきで、もうお花見もできないなあと思っていたら、
川沿いの桜がまだがんばってますよと、写真を送ってくれたひとがいた。
ちょうど図書館に行く予定があったので、川沿いのいつもの遊歩道を走る。
桜の根っこででこぼこの遊歩道が、ピンク色に染まっていた。


ゆっくり自転車をこいでいたら、さらさら、さらさらと耳もとで音がする。
風に乗って、雪のように降る花びらが、肩先をかすめていく。
まるで、映画の場面に飛びこんだかのよう。

雪と、桜と、蛍の舞う速度は、ほぼ同じ。
その50cm/秒、が、日本人のこころを作っている、
そんな話を思い出しながら、小さな声で、"桜散る"を歌う。




帰り道  4/6

花びらがはらはらと散る歩道で、小さな新1年生の親子連れが写真を撮っている。
あの頃から、気付けば9年。
坊ちゃんの入学式を終えて、帰りにのぼった桜坂。




お花見  4/2

雨予報の前に坊たちとでかけた、毎年恒例のお花見(だんごつき)。
川沿いの遊歩道で、いちばん大きな桜の木は、
対岸からでないと全体を見ることができません。
珍しく対岸の歩道を歩いたので撮った一枚。
そして、ぐるっと回って橋をわたり、近くで撮ったそのひと枝。


水鏡に映るコサギ。時折首をのばしたりしながら、じっと立っています。


ベンチで3人ぎゅっと腰かけて、いつものようにおだんごを食べていたら、
隣のベンチのおじさんが大きな声で、「まあーなごやかだねえー!」と話している。
誰に話しかけてるんだろう?と思ってふと見たら、わたしたちにでした。(笑)
「なごやかだねえー。お母さんと一緒にお茶ー飲んでくれるなんて、
 いい子たちだなあ!なかなか、ないよ。これは、お母さんの教育が、いいんだなー」
そんなことをくりかえし言ってくれるので、とても嬉しくなりました。
(めちゃめちゃ名古屋弁なのもナイス!笑)
「ありがとうございます」
おじさんはタブレットをしたり、携帯でしゃべったり(「あの釜揚げーうまかったなあ!」とか 笑)して、
のんびり去っていきました。
ああ。。今日の天使だなあ。
雲のすき間から見えた青空のように、久しぶりにそう感じた、ちいさなできごと。