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夏休みの記録  8/31

長かった夏休みも、今日で終わり。
坊たち、夜になってあたふたと、夏休みの振り返りを書いている。

できあがった夏休みの記録に印を押す前に、ざっと中を拝見。
小さい坊ちゃんの一行日記で、ある日のこんな記録が目にとまった。

「晩ごはんにたくあんが出た。おいしかった。」

可笑しくて、「なんでたくあんなん〜?」ときいてみたら、
すまして「ささやかなことでええねん。」と。(笑)
大きい坊ちゃんの記録もよくよく見たら、
半分くらいは、食べたもののことが書かれていた。(笑)
彼らの夏休みの半分は、食べることやったんか。。
(ほかの楽しみがなかったとも言えるけど。。)
ささやかやけど、大事なことなんやなー。
食いしん坊・バンザイ!



初仕事  8/30

気持ちが持ちあがったすきに、シフォンケーキを焼いてみた。
やってきた新しいハンドミキサーの、お仕事ぶりを見てみたくて。


165℃27分焼成。

よいしょっとさかだち。

卵白の泡立て具合は上々。
確かに、時間も早くなっている。これはなかなか、うれしいこと。
ケーキのふくらみもとてもよくて、筒の高さよりも高くなって。
「誕生日とクリスマスのにおいがする〜」(by 坊たち)
これからの活躍が、期待されます。
ブラボー!新顔くん!




コロコロコオロギ  8/28

銀行の帰りに、ふと立ち寄ったコンビニにて。

自動ドアをくぐり、奥のほうに歩いていくと、
「ルリリリリリリ。・・・ルリリリリリリ。」と、なぜか、高い虫の声がする。
これは、間違いなく、エンマコオロギ。
秋を演出して、お店が流しているのかなーと思っていたら。
「・・・・・・・。」
突然、しんとする。そしてまた、声がする。
「ルリリリリリリ。ルリリリリリリ。・・・ルリリリリリ・・・」
妙に泣き声の間隔が不規則で、そして声が大きい。
気になって、声のする方向に歩いていくと、そこはアイスクリーム用の冷凍棚。
どうやら、この下から聞こえるよう。
かがんで、不規則に続いている鳴き声に耳をすませる。
うーん…これはやっぱり、リアルコオロギだ。

買い物のレジがすんだタイミングで、店員さんに話しかけてみた。
わたし   「(方向を指差して)コオロギ・・・鳴いてますよね?」
店員さん 「そうなんです〜!先週から、ずっとあそこで鳴いていて…」
わたし   「えっそんな前から?!」
店員さん 「そうなんですよ。探してのぞいてみるけど、姿が見えなくて。
       生きものだし、食べるものがあるのかなと思って、気になってるんだけど…」
わたし   「そうですよねえ。・・・最初、秋の雰囲気で、お店が流しているのかと思いました。」
店員さん 「私も、最初そう思ったんですよー。」

店員さんとそんな会話をして、お互いに笑いあって、お店をあとにした。
コオロギをちょっと心配しつつも、ほんわかした気持ちになれた、ちいさなできごと。



世代交代  8/24

およそ20年、使いつづけたハンドミキサー・一代目が、ついにこときれました。


まだ実家にいた頃、大手通販のポイントをためて、もらったもの。
(当時はこんないいものをくれたんだ!と、あらためて思う。)
卵白も、生クリームも、すべて手で泡立てるのが当たり前だったあの頃。
腕のだるさに耐えかねて、ボウルを抱えたまま、
廊下を行きつ戻りつ、ウロウロしながら泡立てていたわたし。
これがやってきてからは、どんなに助けられたことでしょう!
やがて結婚して、子どもたちが生まれ、、、
その日々の中でも、どれだけたくさんの泡立てをこなしてきてくれたことか。(しみじみ…)
今年の初夏、モーターの音がおかしくなり、本体が過熱状態になったとき、
ああ、ついに、来るべき時がきた…と、使用を中止したのでした。
しばらく放置していましたが、秋のお誕生日月間に向けて、ついに購入を決意。


同じメーカーの後継機種に、心は決まっていました。
パン作りにのめりこんだ日々で出会った、
某・有名メーカーのハンドミキサーに憧れたこともあったけれど、
この、シンプルで軽く、手になじんだハンドミキサーが、やはりいちばんです。
何より、長生きで、働き者。
さらにメーカー名が…。(笑)


新 「ながいあいだ、おつかれさまでした。」
旧 「これからのおしごと、どうぞ、よろしくね。」(握手)

ビーター(泡立て部分のパーツ)の形だけが変わっていて、あとはまったく同じ仕様。
その改良のおかげか、泡立て効率が50%アップしたらしい。
なんと、旧・ビーターもはめられました!ふたつあると、とても便利。(ケーキのとき)


「まかしといて!」
新顔くんには、ゴムのデコレーションへらつき。
今後、さらに活躍の場を広げてくれることでしょう。
旧型くん、酷使にめげず、本当に長いあいだ、お世話になりました。
わたしたちに、おいしいしあわせをたくさん、ありがとうございました。



偶然の出会い  8/23

今月は、とある電機やさんで、電化製品を買う機会が多かった。
帰省中に実家近くで利用したり、こちらに戻ってから、いつものお店を利用したり。
ポイントをためるカードをその都度忘れて、
まとめてつけてもらうのも、数週間、忘れていて。
・・・1ヶ月以内だから、早く持っていかなければ。

今日は、ついに壊れたハンドミキサーの買い替えを決心して、
いつものお店にでかけた。たまったレシートと、ポイントカードも持参して。

その途中、なくなったつまようじを探して、とある100エンショップに立ち寄る。
つまようじを買うときは、必ず、発売元を見て、選ぶわたし。
国内シェア95%、全国一の産地である、我が地元のものを!!
そして、2社も発見。O町のにしようか、H町のにしようか。(笑)
こんなところで選んで買える、しあわせ。

ほくほくとH町のつまようじを購入して、その足で電機やへ向かう。
ハンドミキサーは、思っていた後継機種を見つけることができて、これも満足。
またほくほくとレジに向かうと、今まさにレジに入った家族があり、
たまたま横に立っていた女性店員さんが、隣のレジを開けてくれた。
「こちらへどうぞー」
「お願いします。」
たまったポイントをつけてもらうべく、商品と一緒に、過去のレシートをずらりと並べる。
「これもお願いしたいんですけど…」
「はい、分かりました。」
店員さん、レシートをバーコードに通しながら、さりげなく、
「狭山店まで行かれたんですねー」と言うので、
「あ、はい…大阪の狭山ですけど。」と答えると、
「私、実家が河内長野なんですー」と笑う。
驚いたわたしは、とっさに「私も河内長野ですー!!」と即答。
ええー。
こんなところで…。

つい、「河内長野の、どこですか?」ときいてしまう、おのぼりさん(?)なわたし。
店員さん 「N町です。」
わたし   「あー!わたし、(別の)N町です。(同じ学区)」
店員さん 「あ、バス停があるとこですね。」
わたし   「そうですーそのレシートも1枚、河内長野店です…。」

それにしても、地元のつまようじ…と探していた直後に、こんな出会い。
それも、レジのタイミングがちょっとずれていたら、
それ以前の数週間のうちに、ポイントをつけてもらっていたら、
こんな出会いもなかったことでしょう。
驚きつつ…名札をふと見たら、小学校時分、好きだった子の苗字と同じでした。(笑)
これもまた、奇遇な。
感慨に浸りつつ、「またよろしくお願いしまーす」の声を背に、
ほくほくと店をあとにしたのでした…。



うれしいおくりもの  8/23

ぴんぽーん、と届いた郵便小包。
誰からだろう、とわくわくしながら受け取ると、
なんと、先日の旅で再会した旧友からでした。


ていねいなお手紙と、お引越しのお知らせと、土地の味のお菓子。
彼女らしいおくりものに、胸がいっぱいになる。
昨年の日記の、どこかにも書いた。
 "後ろを振り返らず 前を見て 明日はいい日だと希望をもち
  明るく元気で過ごしましょう!!"
あれは、彼女の手紙のことばでした。

20代半ばに出会って、すぐ結婚で地元を離れた彼女。
べったりと過ごした期間はなかったお友達なのに、
不思議なご縁で再会してから、こうして時折やりとりをして、
心を温かくしてくれる、たいせつな友達。
今年の年賀状では、ご主人のご実家に入られることが書かれていて、
ああ、さらに遠くなるなあ、もうなかなか会えないなあ…と、残念に思っていたというのに。

会えたやん!!こんな、早くに!!
そう思って、感激ひとしおでした。
急な連絡にも関わらず、娘さんを連れて快く会いにきてくれた、
彼女に感謝、です。

娘さんの出産の折に、里帰り入院したのがご縁で、
同じ病院に入院していたオットーの妹(2日違いで出産)と偶然、知り合った彼女。
兄の高校の同級生と分かり、それをきいた義母がまずあいさつにゆき、
次に、妹のお見舞いにいったオットーと、高校以来の再会をしたのでした。
そしてわたしはというと、高校の最初の友達が、彼女と中学の同級生だったのです。(笑)
その友達と彼女(ふたりともピアノの先生)が合同でピアノ発表会を開いた折に、
観にいったわたしと知り合ったのでした。(←オットーはこれを知らない)
オットーとわたしと彼女、それぞれに、
お互いにびっくりな再会をした、13年前の初夏のこと。

オットーはそれ以来、わたしは2年前、名古屋に遊びにきてくれて以来の再会でした。
お引越し前後のこと、娘さんの中学のことから、
これからわたしたちが行こうとしているガーデンへの道のりのことなど、
いろんな話をして、きいて、本当にうれしかった!
おじいちゃんが作ったおなすを「今、とってきたんだー」ともらって、
こんな生きてる(?)ものをもらえるくらい、彼女の近くにきたんだ!と実感して、
それもまた、本当にうれしかった!

そんなうれしい再会を思い出しながら、彼女からの郵便をながめています。
温かい、ありがたい気持ちでいっぱい。
いつも、ほんとにありがとう。


おなすと一緒に彼女にもらった、「そばサラダ」。"ドレッシングがお友達"!(笑)
近所のお友達にいただいた「そばパスタ」と並べると、
語呂あわせがいいなと思って、撮ってあった写真です。



ふたたび森へ  8/14

思いがけず、訪れることになった古い神社。
もののけ姫の世界を約2kmほど、ひたすらまっすぐ進んだところ。
最後はトレッキングよろしく、階段と坂道の連続!
肩で息をしながら上りきったところに、目指すお社があった。


木々のにおい、湿った土のにおい。山のにおい。
せせらぎの音。そしてそれらを運ぶ、やさしい風。
原始林のときと同じ感覚に、ふっと力が抜ける。
神さまって、自然そのもののことなんだなあ、と感じる瞬間。


突然、心構えもなくでかけたので、最初は大変でしたが、
旅の終わりには旧友と再会できたうえ、以前から行きたかったガーデンにも、
導かれるように訪れることができました。
(どこにあるのかもはっきり分かっていなかったのに、旅の途中で急に浮上。)
さらには、「どこかで採れたての野菜買いたい〜」とのたまっていたら、
ガーデンに行く途中、道を間違えた先に、偶然、直売所があったのでした。

最終的には、大団円の旅となり、めでたし、めでたし。



おもしろ会話  8/12

小さい坊ちゃん、夏休みの宿題も佳境に入り、
大嫌いな読書感想文を書いている。
下書きを読んでというので、見てみたら、
作品の中心になる部分に、まったくふれていないことに気付いた。

わたし   「いじゅ?肝心の、安曇さんの話は?」(←メインストーリー)
小さい坊 「・・・・・。話したら、長くなるから。」

そ、そりゃそうやけど…。(爆笑)
そんなん、感想文になるんか?!

また、晩ごはんを食べながらの会話。

大きい坊  「じゅんなー、太宰治と芥川龍之介が、頭でごっちゃになってるねん。」
わたし    「えー。そうなん?太宰治は、芥川龍之介を尊敬してたんちゃう?」
小さい坊  「じゃあ、ごっちゃになって、太宰治はうれしいけど、芥川龍之介は、迷惑やな。」
大きい坊&わたし 「め、迷惑って…。」(爆笑)

常に真顔で、落ち着きはらって、笑える発言をする小さい坊ちゃんなのでした…。



芸術作品  8/11

去年の種が落ちていたらしい、フウセンカズラ。
たった2本の茎がにょきにょき伸びて、狭い地面いっぱいに広がっている。
なんとか持ちあげてフェンスを這わせましょうと、つるをひっぱってみたら。
エアコンの室外機の下から、つるが一緒に連れてきたもの。


たまに見かけるのだけれど、これは見事なレース状の葉っぱ。
血管のような葉脈が、美しいもようを編んでいる。
隣の敷地から舞い落ちた、(今はなき)昨秋の柿の落としもの。
半年ほどで、こんな美しいかたちに分解されるんだ…。

白いかたまりのような部分は、たぶん、黄色や黒の斑点があったところ。
葉全体は、緑からオレンジになり、やがて赤く、茶色くなっていく。
そんなふうに、葉っぱが生き生きと色づいていた頃の姿を重ねてみると、
いのちのかたちの変化に、畏敬の念がこみあげてくる。
見せてくれて、ありがとう。
神さま=自然のお仕事に、ため息。

レンガのうえで、ブルーベリーの葉っぱと一緒に、ぱちり。



『裏庭』  8/9

書棚をながめていて、突然気になった『裏庭』(梨木香歩)の文庫。
再読したくて、けれど買ったまま、数年間眠らせていた。
『西の魔女…』は折にふれて何度も読み返しているけど、
『裏庭』はもう、ストーリーもほとんど忘れてしまった。
『西の魔女…』をなんとなく、ざっと読んだ後、『裏庭』の世界へ。

これは…
90年代に読んだ時には、まったく気付かなかったこと、
(自分の中でクローズアップされていなかったということ)
そして今の自分の課題と大きくリンクしていること、に、驚き、心乱れた。
読みすすめばすすむほどに、胸が痛み、うずく。
どこか、『はてしない物語』を思わせる、あちらの世界とこちらの世界とのつながり。
『トムは真夜中の庭で』を思い出させる、異界とのパラレルワールド。
そしてもちろん、のちの『エンジェル エンジェル エンジェル』、
『からくりからくさ』へとつながっていく、
壮大なテーマの対比、物語の重層構造に、翻弄される。

「裏庭」の三つの藩のおばばたちは、言う。
「傷を恐れるな」
「傷に支配されるな」
「傷は育てていかねばならん」


市場で大安売りされている「癒し」を批判しつつ、傷そのものの持つ意味を、
その扱い方を、それぞれの言葉で語る。

「どんな心の傷でも、どんなひどい体験でも、
 もはやこうなると、それをもっていることは宝になった。
 なぜなら、それがなければもう自他の区別もつかんようになってしもうたから」


「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」

「傷をもってるってことは、飛躍のチャンスなの。だから、充分傷ついている時間をとったらいいわ。
 薬や鎧で無理にごまかそうなんてしないほうがいい」


そう、、、傷からしか、成長はないのだ。
そう考えれば、傷は、崩れた世界の再建へとつながるきっかけであり、恩寵。

母娘三代の苦しい世代間連鎖を、主人公の旅をとおして、断ち切ってゆく。
解決…というすっきりした感はないけれど、それぞれに互いを受容していく過程が胸を打つ。
ミステリ仕立てになっている部分もあって、(それもすっかり記憶になく)一気に読んでしまった。
いろいろな要素が詰めこまれていて、問題が「濃すぎる」作品だけれど、
やっぱり、梨木さん好き!と、あらためて思った。
忘れた頃に再読すると、泣けること、必至。
物語で頭をいっぱいにして、いやなことをすっかり忘れてしまえる心地よさを、
久しぶりに味わった。

・・・ふと、思い出した、恩師の梨木香歩評。
「ぼくは理屈っぽいの、嫌い。(含み笑い)」
分かる分かる。(笑)
たしかに、理屈っぽい。
先生の好きな感じは、また違う。
いろんな評をきくも、またをかし。



古書がもたらしたもの  8/4

早めの帰省から戻ったら、寄贈した古書の送り先から、
それぞれに郵便が届いていた。

北海道立文学館から、寄贈を受け付けた旨の確認はがき。
ていねいな文字で、書名とともに、
「機会がございましたら、お立ち寄りいただけますと幸いです」と書き添えられていて、
うれしくなった。札幌のまちが、まぶたの裏に浮かんだ。
いつか、機会があれば、ぜひ。

そして、留守中に数回訪れたらしい宅急便で、大阪の出版社から届いたもの。


数冊の冊子、本、そして、出版社の代表からのお手紙。
そのうちの一冊の詩集のタイトル、次に帯に、目が釘付けになった。
そして、ふるえた。


"もうおそい ということは 人生にはないのだ"
『希望』 杉山平一


このことばを、わたしはすでに知っている。
手帳を開くたびに見ている、あれと同じだと気づいたから。


今年の初めごろ、胸に刺さって思わず切り抜いた、
中日新聞のちいさなコラム。
"もうおそい ということは 人生にはないのだ"
"おくれて 行列のうしろに立ったのに ふと 気がつくと
 うしろにもう行列が続いている"
不安でいっぱいだった心に響いて、ずっと手帳に入れて、ながめていた。
『希望』杉山平一 と記された出典以外、何も知らずに。
この詩集が、たまたま寄贈した本と同じ出版社だったことに、驚くしかない。
そしてその寄贈本は、我が家で20年ものあいだ、眠っていたのだ。

出版社代表の方の手紙を開いて、簡素な文のなかに見える本への愛、
そして、『ラムネの日から』をわたしが入手したいきさつに応えての、
「今も詩を書いていますか。」のことばに、
涙が止まらなくなった。

1981年11月30日 紀伊國屋書店・大阪 梅田 と印字された、
黄ばんだレシートが『ラムネの日から』にはさまれていた。
「それをこの本のものだとするならば…」と仮定して、
塾の生徒のお母さんは、この詩集を13年間所蔵してから、
わたしに譲ってくれたことになる。
その後20年、我が家で眠りつづけ、ふるさとである出版社に帰り、
生みの親に再会し、そこに眠ることになった。
「本の旅(精神の旅)、運命を感じます。」
生みの親である代表の方が、そう手紙に綴られていた。

冊子の中には、その代表の方と、編集者でもあった詩人・黒瀬勝巳氏とのやりとりや、
黒瀬氏が36歳で早世したこと、その後の自身の編集者としての人生、
などが書かれた文章も掲載されていた。

福永武彦のあの詩集も、66年の長い年月、あちこちを旅してきたのだろう。
そのうちの最後の20年を我が家の書棚で過ごし、ふるさとの地へ帰った。
(奇遇にも、寄贈本が到着したであろう日に、
 長男・池澤夏樹氏が北海道立文学館の館長に就任された。)

黒瀬氏も、福永武彦も、今は鬼籍の人であるけれど、
彼らが生んだ作品は色褪せることなく、時の流れの中で、旅を続けている。
精神が「本」というかたちに結実し、ひとびとの心を打ち、生きつづけている。
そのことの重さ、すばらしさを、出版社の方に教えてもらった。
偶然とは思えないご縁に、深く深く、感謝。