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おもしろ会話  7/31

おもしろ会話、ひさびさ。

帰省の荷物作りのついでに、たんすの引き出しの整理をしていた、小さい坊ちゃん。
感心して見ていたら、たたんでいるTシャツが110cm(!)のものだったので、
ふと気になった。

わたし    「あれ?そのシャツ、もう着られへんよな?」
小さい坊  「うん。こないだ着たら、脱げなくなった。」

笑…。

また、ある時のこと。
「躊躇」の漢字を確認したくて、辞書を引いたわたし。
けれど、「躊」の字が細かすぎて、どうしても見えない…。(←読めない、ではなく)
うーんとうなりながら、携帯で変換しているわたしを見ていた坊ちゃんたち。

わたし    「辞書の字、ややこしいと細かすぎて、見えへんわ…。」
大きい坊  「えーっ。そうなん?」(←ちょっとショック受けてる)
小さい坊  「(低い、まじめな声で)ママ?つぎの誕生日プレゼントは、老眼鏡?」

苦笑…。



秋風  7/28

今朝、突然やってきた秋の気配に胸が痛くなる。
猛暑に続いて訪れた、気まぐれな雨のあとのひとときの気配なのだろうけど、
その風のにおいは、まさしく秋。
記憶が揺すぶられ、昨秋の苦しい気持ちがよみがえりそうになった時、
宅急便がやってきた。
それは、先日、結婚のお祝いを送った、先生から。
思わぬ贈り物に、胸がいっぱいになる。
同時に、携帯のアドレスを知らせたひとからの返信。
病院でも、温かいことばをかけてもらって、胸のざわざわが少し落ち着いた。
今日は、世界がわたしに優しい。
窓からやわらかい風が吹きこんで、ふとそう思えた。
このにおいは、母校に実習に通った季節のにおいでもあったことを思い出す。
あの日々は、わたしの中の、たからもの。



古書・その後  7/26

あれから図書館に電話をして、詩集のことをきいてみた。
帯広図書館では、初版は特製本(ナンバー入り)とソフトカバー本とを2冊ずつ、
閲覧不可の蔵書として保管しているとのこと。
(れいの地元の研究者の方と、池澤さんと、資料展に貸し出すのみの利用だそう)
そこで、紹介された北海道立文学館に電話をして、そちらに寄贈することになった。
(そこも所蔵はしているのだけれど、発行の日付の違いがあれば、
 蔵書にしたいとのことだった)
文学館では資料展が行われることもあるらしく、
この詩集が本来の価値をもって利用してもらえそうで、ほんとによかった。
譲ってくれた方の意思にも添うだろうと思った。
それにしても帯広市立図書館の係の方、状況をとてもていねいに説明してくださって、
本当にありがたかった。

それから、もう一冊の詩集。
大阪の出版社に電話をしてみると、数冊は蔵書があるとのこと。
けれど、ご入用でなくなったなら、送ってくださってもいいですよ、と言ってくださったので、
蔵書に加えてもらうことにした。
やはり、大事に保管されているそうなので。。

今のわたしのぼんやりした頭では、これらの詩集のことばの鋭さを、
感じきることができなくて、少し悲しくなった。
ただことばの海をたゆたうように、イメージの世界に浮かぶだけ。

不思議なことに、放送地をすっかり忘れていた、
今夜放送の「生さだ」が、なんと、帯広からでした。
オープニングで歌っていた、美声のキャスターさんの出身校が、
その研究者の方のいる高校(おととい名前を知った)で、これまたびっくり。
なんか、あんねんなあ。このタイミングで、つながるって…。



古書棚卸し  7/24

子ども部屋の大掃除をして、古い文学全集を見たのをきっかけに、
自分の古い本も整理・処分していこうと手をつけてみた。

昔、詩集の自費出版をした折に、塾の生徒がくれた古い詩集が2冊ある。
「お母さんが、『大事にしてくれるなら、先生に譲りたい』と言ってた」と持ってきてくれたもの。
その時の彼の言葉が忘れられず、
古いし、大事なものなんだろうな…と、20年近く、本棚のすみで眠らせていた。
もし、本当に価値のあるものならば、蒐集家ではなく、
関係者か、研究者か、縁の図書館か、…大切にしてくれる人に、譲りたいと思った。


『ある青春』/福永武彦 昭和23年6月20日印刷・7月10日発行・初版
・・・・・
福永武彦ときいて、ボードレール・・・悪の華?…と連想するくらいの知識しかないわたしは、
20年前にはなかった便利さを駆使して、インターネットで検索にかけてみる。
・・・・・
とある、古書店の一覧表がひっかかる。
は、はちまんよんせんえん?!!!
び、びっくり…。

あれこれ読んでいくと、出版された場所が帯広であること、
帯広に研究者がいること、帯広図書館にコーナーがあること、などが分かった。
2年前に、この詩集の原稿が見つかって、地元で展覧が開かれたことも…
(なにより驚いたのが、作家の池澤夏樹氏が、福永武彦氏の息子さんだったこと!)
なので、まずは帯広図書館に電話してみることにした。


↑ 木版画の挿絵が4葉入り、うち1葉は多色刷り。

もう一冊は、これ。
『ラムネの日から』/黒瀬勝巳


黒瀬勝巳氏について調べてみると、知る人ぞ知る、京都の詩人、と。
これは私家版で、ほぼ入手不可能、絶望的、と書かれていた。
出版元である大阪の会社が黒瀬氏と交流があったらしく、
その会社でも、これを探していると。
なのでこれはまず、出版社のほうに連絡してみることにする。

どちらも、縁のある、たいせつにしてくれそうなところが見つかって、ほっとした。

そして、一番奥から出てきたもの。


古書じゃない。けれど、背焼けが激しい〜。我が家で古書化。(笑)
斉藤由貴の、作詞集。(+エッセイ)
彼女の歌をよくきいていた頃のアルバムから、彼女の自詞が網羅されている。
これは、銀色夏生の写真詩集と一緒に保存予定。

そして、最初に書いた、昭和初期発刊の文学全集。
大学の研究室から譲られたもの…なんですが。
全17巻、、、これもどこか、本が喜ぶ場所に寄贈したい〜。(涙)



奇遇なできごと  7/21

今朝届いた、野菜の宅配に入っていた「大和三尺きゅうり」。
(「いと愛づらし」といって、こんなふうにたまに珍しい野菜が入ってくるのです。)


奈良の伝統野菜で、三尺とまではいかないけれど、
35cmくらいになる、巨大なきゅうりらしい。
大きいだけに曲がりもするし、一般的なきゅうりの規格から外れていることで、
いつしか市場から姿を消したのだとか。(もったいないなあ…)
お味見のため、まずは生で!と、スティックにして食卓へ。(1/3の長さでふつうくらい)
家族でかじりつつ、テレビを見ていたら。。

なんと、番組のなかで、大和野菜の紹介が始まって、びっくり!
(ロケ地が、奈良だったのです)
そこで紹介されていたのは、「大和マナ」という別の伝統野菜だったけれど、
それを見ながら、家族全員で大和きゅうりをかじっている…この妙な感じ。
うちに、今日たまたま、大和伝統野菜がやってきたこと自体が、不思議なんだけど…。
(それも、3ヶ月止めていた久しぶりの宅配で。)

また、その1時間ほどのち。
手持ちのレターセット、はがき類を大整理中のわたしは、
オットーが使いそうなものを数点選んで、わたしたのだけれど…。
(注・お互い、別々のほうを見ながら会話が流れ)
わたし  「日中、どこかで風景印押すとか、無理なん?」
オットー 「・・・・・。そんなん言ってたら。ここに。」

オットーが指差した先は、読んでいる最中の新聞記事。
そこにはたまたま、風景印がそのまま印刷され、載っていたのです…。
きゃーこわい…。
偶然の一致、ふたたび。

ところで、大和三尺きゅうりのお味のほうは。
皮が固めで、歯ごたえ…以上の感覚でした。おいしかったけど。
よくよく説明書きを読んだら、皮が固めなので、漬物に適している、と。
なるほどそうだったのか。。
残りはぬか床に入れることにしました。



見つけた…  7/20

植え替えて、新芽を吹きだしたセージにさっそくかじられ跡が…。
急いで鉢を別の場所に移して、しばらくしてからふと見たら。


葉っぱがかじられてボロボロになったなでしこの、季節はずして咲いた一輪に、
堂々と乗っかっている、犯人の姿発見。
この後、この花は花弁をひとつ残して消えてしまった。
また、出たばかりのひまわりの芽もかじられていた。
いったい何匹、どこに潜んでいるのだろう…。
イナゴの害のこわさをこんな小さな世界で感じる、今日この頃。



梅雨明け間近  7/18

外にいるだけで汗が噴き出すような蒸し暑さのなか、
少しずつ、少しずつ、鉢花の植え替えを進めているこの頃。
(前の道路が4ヶ月近くかけて舗装工事をしていたため、なかなかその気になれず。。)
まだぽつぽつと実るいちごの傍らで、ようやくブルーベリーが色づきました。
長いあいだ、植え替えもしていないので、もうこのままかと思っていたら…
あなたも、秋になったらちゃんと植え替えてあげるからね。


植え替えと掃除に夢中になっている間に、終業式だった大きい坊ちゃんが帰宅。
一緒に帰ってきた友達に、うちの隣にバッタがいっぱいいるの、見てって!ということになり、
そこから、なんとバッタの抜け殻を拾ってきてくれた。
初めて見たわたしはちょっと感動して、虫博士のお友達に、
「これ、何回くらい脱皮するの??」ときいてみたらば、
「5回脱皮して、これくらい(指で示す)の成虫になります。」と。
きっぱりとした即答に、またまた感激してしまった。


ちいさなちいさな抜け殻。
わたしの鉢花も、気付けば少し、食べられているような…。
そういえば、オットーのだいじのコスモスの芽も、消えていた。(汗)
彼らのこれからの食欲が、こわい。。



夏の味  7/16

昨日の桃を、感激のうちにまるまるひとつ、いただきました。


甘くて、みずみずしくて、おいしい。
そして何より、送ってくださったかたの気持ちがありがたくて。
胸いっぱい、おなかいっぱいになりました。


ふと並んで、気がついた。
奈良で買った新しいふきんも、今着ているシャツも、
ペパーミント・グリーンのグラデーション。
高校時代に書いた詩を思い出す、初夏の色。



帰ってきたアゲハ  7/15

日暮れて、雨戸をしめようとしたら。


目の前のあさがおネットに、アゲハがとまっていた。
微かな夜風にときどき揺れながら、眠っているかのように。
この子は、うちの山椒の葉っぱを食べつくしていった、
あのアオムシくんなのか…。
だとしたら、うれしい里帰り。

・・・そして朝、雨戸を開けるまで、ここにとまっていたアゲハ。
軒先に宿を貸すことができて、とても幸せなわたし。



思いがけない贈り物  7/15

朝、でかけようと、ドアをばっと開けたら、そこに宅急便やさんが立っていました。
ものすごいタイミングに、びっくり。


急いではんこを取りに戻って、押して、受け取った。
「桃」。紀州の道の駅。
誰だろう…と差出人を見て、瞬間、胸がいっぱいになる。
それは、七夕の日に電話をくれた、あのひとからでした。


道の駅から送ってくれたらしい、きちんとパックされた詰め合わせのなかに、
お手紙が入っていました。
これを書いてから、送りに行ってくれたんだと、
そしてお店の人に頼んで入れてもらったんだと、またまた胸がいっぱいになった。
電話で少し近況を話したから、応援する気持ちで送ってくれたのだと、
それがありがたくてありがたくて、泣けてきました。
わたしはいつも、こんなふうに誰かからしてもらうばかりで、
それにお返しするのがせいいっぱいで。(それ以上にいただいている)
彼女からのこの信頼を絶対に、無駄にはしない。
彼女の気持ちとイコールで、自分を信じていよう、と。
胸が熱く、熱くなりました。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。



発見  7/14

先日、奈良ホテルに行った折、ロビーに飾られていた『花嫁』の絵。
見た瞬間、「松園さんだ」とすぐに分かる美人画。
ホテルのショップでこの絵の絵はがきを買って、義母に送った数日後の今日。


結婚祝いのカードを送ろうと、手作り封筒をあさっていたら、目にとまった、これ。
あ、花嫁さん…使えるかも。
って・・・これ!
奈良ホテルの、あの絵やん。。


なんと昨春、名古屋市の美術館で催されていたようです。上村松園展。
そして、奈良ホテルのフェイスブックに、「壁から取りはずされて、名古屋へ…」の記事。
1年前に、近くまで、来てたんだね。。
きれいなちらしを封筒にする、わたしの気まぐれな手仕事が、
1年を経てこんなふうにつながるなんて。
ちょっと感嘆した、発見でした。



似てる?  7/11

白熱燈に照らされて、妙に美しいお三人さん。


とくにつながりはないキャラクターたちなのに、
よくよくながめてみると、なんとなく、似てる気がする。
それは、シルエット…。
我が家の好きなシルエットなんだなーと、ふと気付く。



勝手に☆ベゴニアガーデン  7/11

うちの裏をふとのぞいたら、わずか数十センチのすきまが、
いつのまにやら、ベゴニアガーデンに!


実は冬頃から、なんとなく、気付いていたんです…。
(これ…ベゴニアの葉っぱやな?)
裏隣のおうちの庭で、夏じゅうベゴニアが咲き誇っていたので。。
お隣は挿し木もしてたみたいだけど、うちにはどうやら、花から種がこぼれたと思われる。
こんな条件の悪そうな土でも、芽が出て育つなんて、すごい。
さらにはこんなに、次々と花をつけて。


日当たりが悪いので(笑)、南庭のお隣より、優しいピンク色。
これもこれで、いいなあ。


木がなくなった東側には、オットーがまいたコスモスが芽を出していました。
そのとなり、ブロック塀のすみに、コオロギ?らしき虫を発見。
さらに目をこらしたら、雑草のうえに、わずか数ミリのバッタの子がいっぱい!
葉っぱをはたいてみたら、何十匹がぴょーーん!!!といっきに跳びだして、
思わず笑ってしまった。
虫たちは、強いなあ。
草地がなくなっても、わずかの雑草でこんなにたくさんのいのち。
あさがおやしそが食べられて困るけど、まだいてくれて、よかった。



台風の日に  7/10

手紙を読み返しながら、仕分けて、収める作業。
読むほどに、胸がいっぱいになる。

"やさしい手紙をありがとう 気にかけていてくれてありがとう
 下書きの跡が胸に沁みます
 こんなわたしの為に こんなに沢山の
 あなたの時間をくれたのですね
 心からどうもありがとう 忘れずにいてくれてありがとう"

あの歌の歌詩そのままに、
くれたひとたちに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
今までわたしに手紙をくださったみなさん、ほんとうにありがとう。


ふと見つけた懐かしい切手。ねむの花の句。



七夕のおくりもの  7/7

朝、突然に、懐かしいひとから電話をもらった。
昔々、病院のリハビリでバイトしていた頃、一緒に働いていたひと。
実家で思うところがあって、先日、はがきを出したのだけれど、
それがうれしかったから、わざわざ電話してくれたそう。

久しぶりに直接、話ができたことが、わたしも何よりうれしかった。
変わらぬあたたかい人柄と、励ましの言葉に、大きく救われた。
ああ、こんなすてきなひとに、こんなに信頼されて、
育てられてきたんだ、と胸がいっぱいになり、
大好きな彼女への信頼とイコールで、自分を信じられる気がした。

七夕の、神さまからのおくりもの。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。



奈良へ  7/6

義母の誕生日祝いのサプライズ企画で、突然、オットーが決めた奈良旅行。
わずか五日で段取りをして、出かけることに。
先週単身で帰ったときには、こんなことになるとは思いもしなかった。(笑)


保養所に泊まって、翌朝、浮見堂まで散策。
毛越寺の庭園を思い出すような、みごとな"鏡池"=鷺池。


鷺ならぬ鴨。片足で立ってます。
これを見たら、建仁寺の襖絵を思い出した。流木に安心しきって眠る鳥の水墨画。
生きることの心もとなさがせつなくて、「ガラス窓のある風景」の中にも書いた。
よく見たらこれは、流木ではなかったけれど。。

あちらこちらに立っている、ねむの木にふわふわの花が。


象潟や雨に西施がねぶの花

いつもねむの花に出合うたび、この句が頭に浮かぶ。
そして、憂いをふくんだ美女の横顔を、心のなかで花に重ねてみる。
ひとつの花が風に乗って、落ちてきた。
ふと香りをかいでみて、瞬時に浮かんだのは、"ディオリシモ"。
こんないい香りだとは知らなかった。
ますます、西施に似合う?
義母と一緒にいくつか拾って、押し花にすることに。

朝食後、宿を出て若草山へ。
7年前に行こうとしたときは閉鎖期間で登れなかったので、思いがけず、念願成就。
「鹿男…」の最終回の、あの場面のロケ地!


下界の鹿たちと明らかに空気が違う、本気でくつろぐ山頂の鹿たち。のんびりうとうと。
そしてマンゴーカルピスに、パッケージに似た色の蝶が寄ってきた!
色に惹かれたのか、それとも甘いにおいにか…


山頂から二重目まで下り、見た風景。奈良市内を一望。
(右下のでっかい屋根が、大仏殿です)

その後、引き返さずに、続くドライブウェイをつきすすむことになり、
思いもかけず春日山原始林(世界遺産)のなかにつっこんでいくことに…。
そして、思いもよらぬ滝に出合うことに…。
(実は数日前に、別の「滝」を調べて、行きたいなーとぼんやり思っていたら…)


特にあてもなかったのに、こんなに流れよく、
自然の森に入っていけたことに驚きました。
わずか数十分で、この落差!(まちなかより)ということにも…。
まさしく、もののけ姫の世界。
緑すだれごしの光と風が涼やかで、美しい。

このあと、奈良ホテル〜ならまちへ。
原始林から一気に都会に出たので、タイムマシンに乗ったかのような気分。
いつもの奈良とまったく違う旅になって、とても新鮮で、楽しかった。
オットーも、親孝行ができたと喜んでおりました。
さだまさしと縁深い「樫舎」さんにも、偶然出会えたし。

降りだした雨のなか、解散。
ささやかな時間、ちいさな旅だけど、見る、食べるのほかにも、
ふと耳にした会話や身の上話、「聴く」にもまた、それぞれの物語を感じた旅でした。



手紙は、人生とともに 2  7/3

あらためて、手紙を見直して整理しようと、少し開けて読んでみた。
わたしが苦しかったときに、後輩がくれた真摯な励ましの手紙。
これはもう、内容的に捨てようかな…と思ったけれど、
そのはしばしに、当時の特殊な人間もようが見え隠れして、あれこれ思い出し、
いつか、物語にしたいと思っていたネタ(種?)が含まれていることに気がついた。
うーん、やっぱり保留…。

もう今はまったく交流のない、一時期熱くやりとりしたらしい、
大学の後輩からの手紙の束が出てきた。
これは、もう捨てよう…と思いつつ、開けてみたらば、
第一通目の手紙の書き出しにいきなり打たれ。(さすが、文芸部!)
顔も未だ見ぬ先輩(わたしのこと。)に向けて、おそるおそる手を伸べる心持ちを、
美しい比喩表現で綴っているその手紙は、またまた保留扱いに。
真ん中あたりの絵はがきを手にとってみたらば、そこには、
訪ねた小泉八雲の旧居がよかったので、読んでみたという全集からの引用があり、
美しい文章に感激したと綴られていた。
今はどうしているかも分からないけれど、この時、文学について、創作について、
彼女と交わしたやりとりが刺激的だったから、残してあったんだな、と納得。

塾に行っていた頃の、事務員だった女の子からの手紙を読んでみた。
飲み会の日にち決めの話から始まって、当時の彼女の恋の状況が綴られ、
それが突然、キーボードの弾き方の話になって、最後、
「うずら、ありがとうございました!」のしめに、ひとりでおなかを抱えて大爆笑。
うずらって、、、なんやろ?!

卒業してずいぶん経ってからもらった、大学の友達の手紙には、
学生時代を思い返すと、何もわかっていなかった、未熟だった自分が恥ずかしい、と、
でも、あの頃はほんとに楽しかったね、と書かれていた。
その手紙からまた十数年経っている今、その文面に妙に共感して、泣けてきた。

生徒からもらった手紙には、当時よく一緒に遊んでいた、英語の先生のことが書かれていたり、
友達の手紙には、資格をとるための勉強を続けながらの、夢や目標が書かれていたり。
ルーティンワークをこなしながら感じる、漠然とした将来への不安が語られていたり。
そんななかで、わたしと一緒にただ、お茶をのんでおしゃべりして、ぼーっとしたい、
と書いてくれていたり。
懐かしい名前が出てきたり、その関係を思い出したり。
まるでたくさんの物語を読んでいるような、そんな気持ちになる。

そう、、、ひとつひとつの手紙が、物語になっている。
いろんな人生の時間が交錯して、つむぎだされた物語。
10年前、「随想ノート」に書いた年賀状の話にも通じるけれど、
登場人物のひとりひとりと対話しているような気がする、物語。

一方で、淡々と、文字どおり淡々と、
雲が流れるような日々の営みを、短く書き綴って報告してくれる、友達もいる。
パンジーの種をまいて苗床を作ったこと、飼っている犬のこと。
旅先からの絵はがきや、読んだ本、ドラマの話。切手の話。
そして、自分をとりまく近況報告。
ドラマティックでもなんでもないけれど、彼女らしい日々がそこにあり、
お互いの日々の情報交換、そして郵趣の楽しみに尽きる手紙。
(彼女は長く、郵便局員さんだった。)
それもまた、ほかと色あいの違う、彼女らしい物語。
いちばん捨てやすいけれど、捨てられない手紙。

わたしの手紙人生のなかでは、どうやら、
先週会った友達といちばんやりとりしている、ということもわかった。
懐かしいレターセット、どの時代にも出てくる差出人。
ことにメール時代の夜明け頃、おびただしい数の海外往復書簡があり、
それはほかのものと別保存にされていた。

まだメールが身近でなかった時代、お互いが手と心と時間を使って交わしたもの。
この十数年にはないものが、このなかにはある。

これからはもう、こんな手紙が増えることもないだろう。
そう思って、段ボールひとつぶん、置いておくことにした。
この中に収まるように、つめこむように工夫して。
オットーがひとこと、、、「小説のネタ、だいぶたまった?」(笑)

・・・手紙人生のみならず。
わたしにはまだ、「書きもの人生」段ボールがあるのです。ぐわあっ!!