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ポトスのしずく  5/29

急に気温が上がったここ数日、窓辺のポトスが水切れしたようで、
元気がなくなっていたので、キッチンに持ちこんでたっぷりと水をあげた。
シャワーを浴びるように。
ライムのきみどり色が美しく、葉焼けするとかわいそうなので、
食卓にそのまま置いていた、夕方のこと。

炊事の合間にふと振り返ると、きらりと光るものがある。
あっと思って、近づいてみたら。
葉の先にダイヤモンドのような透明のしずく。
よく見れば、葉のあちこちに光っている。


何度もここに書いている気がするけれど、
ポトスのしずくは、わたしのしあわせのもと。
いつでも見られるわけではなく、気まぐれに現れるから、
見られたときは、いいことがある前兆、だとも思っている。
それも、朝あげたばかりで夕方見られるなんて、とても珍しいこと。

わずかに気持ちが下向きのタイミングに、きらきらしずくに励まされた気分。
フォーカスが難しく苦労して撮った一枚は、いちばん大きなしずく。
この数時間後には、最初気付いた小さなしずくが、
また少し、大きく育っていたのが、うれしかった。

誰かに話を聴いてもらえることのありがたさをしみじみ感じている、この頃。
ひとに重荷になる話はしたくないと、封じこめてなんとかしようともがきながら、
孤独感、疎外感に苛まれ、日々の気力を失っていた。
ほんのわずかでも、話をして、聴いてもらえることが、それが許されることが、
こんなに孤独感を和らげてくれるなんて。
そのことに感謝しつつ、同時に、誰に迷惑もかけずにすむちから、
わたしに元気をくれるポトスのしずくたちにもまた、ありがとうと言う。



それぞれの想い  5/28

小さい坊ちゃんがテレビをきろうとして、
なぜかわざわざ、リモコンのふたをかぱっと開けて、なにか操作している。
そして次に、電源ボタンできったようす。
「・・・何してんの?」ときいてみたらば、
「いじゅは、テレビをきる時、NHKにしてから切ることにしてる。
 次につけた時、うるさくないから。」と。
ほおお〜。
小さいと思っていた坊ちゃんが、そんな気遣いをしていたなんて。
大人な考えと行動に、ちょっと感心してしまった。

大きい坊ちゃんが、寝る前に私のところにきて、
「ママ!ゴキブリの出てくる場所が、だいたい分かった。」と言う。(笑)
気温が上がりだしてから、ゴキブリの赤ちゃんをちょこちょこ、
お風呂場で見かけることがあったのだけれど、それをみはっていたらしい。
「(ゼスチャーつき)浴槽が、こうあるやん。ほんで、こっちの台とくっついてるとこに、
 小さい穴があって、そこに入っていったから。
 ここや!と思って、水鉄砲も使って水いっぱいかけたけど、やっつけられへんかったわ。」
へええ〜。
水鉄砲で、ゴキブリやっつけようとするなんて。
まだまだかわいい、子どもらしい発想と行動に、にんまりしてしまった。


夕べ小さい坊ちゃんが折り紙で作った、カーネーション。
本人も、よくできたことに満足げなようすで、手に持ってながめていた。
どこに飾ろうか考えて、ふと目にとまった、ここに。
これも彼が作ったアンパンマンとメロンパンナちゃんが、
プレゼントしてくれているみたい。



旅立ち  5/28

朝ふと見たら、大きくなったアオムシくんが顔を出して、
わしわしと山椒の葉をかじっていました。
その速さたるや、まるで早送りのアニメーションを見ているようで…
ひと晩でハゲボウズになるのも納得です。

そんな元気なアオムシくんが、お昼すぎには行方不明になっていました。
枝葉のどこを探しても、見つからず…
生き物博士のお友達に教わったとおりで、びっくり。
さなぎになる場所を探して、旅立ったのでしょう。
その代わりに、新しいアオムシくんたちが3匹、脱皮して生まれていました。(汗)
数から考えても、この鉢では足りないだろう…と、
そっと葉っぱにのせて、みかんの木にお引越しさせました。
アシナガバチがうろうろしているのが気になりましたが…
どうかみんな無事に、成虫になれますように!

食べつくされた枝をぱちぱちと剪定して、残った幼虫は、2匹。(実は6匹いたらしい!)
調べたら、あの変な色(黒と白のしま)は、鳥のふんの擬態らしい。そっくり!
そればかりでなく、さなぎの色も、春だと緑、秋には茶色っぽくなるのだそう。
自然のちから、小さな彼らの知恵には、感心させられるばかりです。


↑ 旅立ち前のハラゴシラエちゅう。
たった5日で、なんて大きくなったんでしょう!



イーハトーヴからの贈りもの  5/27

なんと!気まぐれに応募していた、お米のキャンペーンに当選。
スーパーでいつもひいきに?している、岩手のお米です。
開けてびっくり、その名前は、「イーハトーヴからの贈りもの」でした。


なかみは、フレッシュソーセージ(生)の詰め合わせです。粒マスタードつき!
5種類のフレーバーがあるソーセージ、家族パーティのときに食べよう。楽しみです。

宅急便が届いて、「???」のうちにハンコを押し、受け取ったわたし。
差出人の名前(キャンペーン事務局)から当選商品と気付き、
ドアに向かって小さく「わーい」と言ったのが聞こえたのか、
配達のおじさんが振り返って、
「なんか、当たった?」と、にやっと笑ってくれました。(笑)
「はい。ありがとうございました。」笑い返す、わたし。
それは小さいながら、とってもうれしいやりとりでした。



ちいさなぎもん  5/26

一匹の幼虫が立派なアオムシになってから、目が離せなくなり、
外に出るたび、彼らを観察しています。

あの日、数時間のあいだに脱皮したアオムシくんの、皮はどこにいったんだろう…
ささやかな疑問点を、今朝、生き物博士の彼にきいてみました。
「皮は、食べちゃうんですよ」
「ええーそうなん?それで、なかったんや…。これから、まだ脱皮するかな?」
「いや、もう…次はさなぎになります。
 さなぎになる時は、ここからけっこう遠くまで自分で歩いていって、どこかでなります。
 ここでは、さなぎにならないです。…だいぶ、大きくなりましたね。」
照れながらも、ていねいに教えてくれたお友達。うれしかったなあ。
そして、幼虫たちの成長にまた、感慨を抱いたのでした。



しあわせのパンケーキ  5/25

最近はあまりいかなくなったショッピングセンターへ、思いつきででかけた。
そうしたら、たまたま、フードコートにパンケーキショップがオープンしていて…
めずらしくて、なによりおいしそうで、思わず注文したパンケーキ。
待ち時間に見わたせば、あちらにも、こちらにも。
パンケーキを食べているテーブルが、いっぱい!

なかでも、高校生らしい男の子ふたりが向き合って、
山のようにホイップクリームがのったパンケーキを食しているシーンには、
思いきりにんまり、笑顔になってしまった。

さてさて、我が家が注文したのは、いちごと、ブルーベリーのパンケーキ。
大盛りの、ふわふわホイップクリームが添えられていて、フルーツも山盛り。
見ているだけでしあわせ、食べてまたしあわせ、
食べているひとを見てさらにしあわせ、と、
にこにこ気分いっぱいにしてくれたパンケーキ、バンザイ!!



成長著しい幼虫たち  5/23

山椒の枝先がハゲボウズになりつつあるのを横目でみながら、
鉢の足もとに黒いてんてんがころころ落ちているのを認めながら、
まじまじとながめたのは、久しぶりだった今日。
残っていたアゲハの幼虫、著しく成長しています!






大きさの差を写すのが難しかったんですが…
確かに、大・中・小といて、並べて見ると、笑えます。
全部で4匹、確認。

さて、緑のアオムシになったら…
はらぺこも鉢植えでは満たされなくなるかもしれないので、
みかんの木にお引越しかな…。

追記

夕方、出かけようとしてふと見たら!


大の子の色、、、変わってる〜!!!



パズル完成  5/22

以前書いた白地図パズル以降、パズルに燃えだした?坊ちゃんたち。
「もっと難しいの、やりたーい。」
そこで、300ピースと1000ピースのパズルが登場。


スナフキンたちの300ピースのパズルは、買ってきたその日に、1時間半で完成したそう。
(そして、これは、一度崩してもいいという。)
ところがさすがに、1000ピースの方はそうはいかず…
日々、みじみじと、地道ーに、すきま時間で埋めていった彼ら。
(周囲のホワイトパズルがいっとう、難しかったらしい…)


中間テストをはさんで、ようやくかんせーい!
トトロと人物の部分は色がはっきりしているせいか、早く埋まったみたいですが、
とにかく、森の木々の部分が難しかったらしく。
四隅のどの部分のピースかもわからず、色の系統ごとに仕分けてばらまいていたら、
1ピースなくなるというハプニングもあり…。
(あっさりピース請求のハガキ出そうーという坊たちを制し、わたしが必死で探しました)
そんなこんなで、完成の感慨は深かった。
わーい。

次に遊ぶスペースを作るために、でっかい完成パズルを移動している坊ちゃん!
糊付けがまだやから、慎重にね!!(笑)



偶然の一致  5/21

不思議な偶然、ふたたび…

しばらく前から、「ニュー・シネマ・パラダイス」が頭にあったわたし。
また観たいなービデオ借りてこよかなーと思いながら、そのままでした。
テレビでやらないかなーとも思いながら…。

数日前のこと。
CDの整理をしていてふとサントラを見つけ、久しぶりにかけてみた。
そうしたら、オットーがごそごそと、
「ニュー・シネマ・パラダイス、やるでー」と言いながら、ビデオを予約している…。
「えーっ。なんで、知ってるん?!」
「今パソコンで調べたら、放送あるみたいやったから。今まで見たことないチャンネルやけど…」
サントラを聴いて、探してくれたらしい。。

今朝のこと。
知らない電話番号から電話がかかってきたと思ったら、オットーでした。
「携帯、忘れてない?」
「あっ。忘れてる…」
「あとで取りに帰るわ」

雨の中、中途半端な時間に突然、帰宅したオットー。
忘れた携帯を手にしながら、「あれ?録画ランプついてるけど…何?」と、テレビをつけた。
そうしたら…
なんとそれは、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のオープニングでした。
今やってるやん、とテレビをつけたまま、また仕事場に戻っていったオットー。
驚きつつ、録画予約したらすっかり忘れていた映画を、そのまま最後まで観ました。
信じられないタイミングで、念願達成…。
オットーはまるで、テレビをつけるために帰ってきたかのようでした。

そんな偶然と、映画の両方に感動しつつ、ひと息ついて再生したCDから、

 "身の回りの不思議な出来事には
  暗示的メッセージが隠れている
  ・・・神様の小さな合図
  何気ないけど偶然じゃない"

と流れてきた。
歌のタイトルは、「サイン」。
たまたま、友達に借りていたCDの1枚。
・・・・・

もしこの一連の流れが偶然でなく、確かになにかの合図なら。

「自分のすることを愛せ。子どもの時、映写室を愛したように。」
アルフレードの力強い言葉と、それに連なる大学時代の記憶。
そして昨日のライブで投げかけられたメッセージ、
"無駄なものは 何ひとつない" Keep on dreaming all your life.
また大人数のハーモニーからよみがえった、
高校時代の、音楽に夢中になったあの感覚。
連なり、浮かんでくるすべてが、つながっているのなら。

日々、心に響いたものをたいせつに、活かしていきたいと思った。
これからの、道しるべとして、糧として。



ラストツアー  5/20

かねてからライブで聴きたいと思っていた、アンジェラ・アキのコンサートへ。
初参戦してきました。
しばらく活動休止ときいて、あわてて予約したライブでしたが、
こじんまりしたホールのとてもよい席で、大満足。よく見えました!!
(クラシックと逆で、彼女は、ステージ右側にピアノの鍵盤があるのですね。。)

テレビであれだけのパワーが伝わってくることが驚きで、
生で聴いたらどんなにすごいだろうと常々思っていたのですが、
期待を裏切らぬ力強いパフォーマンスに、打ち抜かれた気分。
帰ってからもずっと、彼女の歌を聴いています。。
CDでは到底かなわない、生のあの音楽を心で重ねながら。

ライブの佳境の語りを聴いていて、ただ涙が止まらなくなった。
彼女の温かい人柄がにじみでる、切々としたことばたちが染みてきた。
「無駄なものは 何ひとつない」と。
そう信じて、夢を信じて、前へ、と。

それはおとといの、ブラックバーン校長の言葉とあまりに通じていて、
再び、胸がいっぱいになりました。
"最上なものは、なお、あとに来る"と。

そうして歌ってくれた、「手紙」。
自分の声を信じて歩くことの難しさを、
今、この年齢であらためて感じている、わたし。
それでも…
心の声がいつも聞こえるように、耳をすませていたい。
そしてそれを、環境や他人に屈して無視せぬ強さがほしい、と。



そ、それは…  5/20

中間テスト2日目。
帰宅した坊ちゃんたち、テストの内容をぺちゃくちゃ情報交換。(?)
小さい坊ちゃんの国語のテストでは、
最初に習った随筆の作者名を答える問題が出たらしい。
意外に、作者名の漢字までみんな覚えていなくて、困っていた…という話から。

わたし   「ほんでいじゅは書けたん?」
小さい坊 「書けた。たわらまち。」
わたし   「たわらって漢字分かったん?」
小さい坊 「たわらはみんな書けてたけど、まちの漢字が難しかったらしい。」
わたし   「いじゅは?」
小さい坊 「書けたよ。ま は万で、ち は○○ちゃん(友達)の名前の智。」
わたし   「へえー。よう覚えてたなあ。」
小さい坊 「それに、うちに『チョコレート革命』あるしな。」
大きい坊&わたし 「ええーーーっ!!!そんなん、いつ見たん?!
な、なに、その、大人な発言…。

それは、一番古くて大きな書棚のなかにある、ハードカバーの一冊。
坊ちゃんたちがふだんいる部屋には、ないのです。
わたしがその部屋にいる時に、まんが探しにふらーっと入ってきて、
なんとなくガラス越しに背表紙見てたんやと思うけど…
その作者名が俵万智と、よく覚えていたなと感心するやら、あきれるやら。
しかもそれが、テストで役立つとは…。(笑)

それにしても、『チョコレート革命』て!
教科書の出典の、『かすみ草のおねえさん』もあるのに。
読んではないから、よしとするか…。
18禁スレスレやん…。って、与謝野晶子の時代みたいな反応してる?



素晴らしき日々へ  5/17

明治村の村内で、くりかえし流れていたこの曲が頭でぐるぐるしていて…
久しぶりに、"素晴らしき日々へ"を聴いているこの頃。
そんななか、今日の「花子とアン」では、女学校卒業式が執り行われた。
素晴らしい言葉の数々に、心を打たれた15分間。

好感度の高かった、級長っぽい立場だった同級生の畠山さんが、
涙交じりで答辞を読みあげる。

ブラックバーン校長先生はじめ先生方。
長い間のお導きに感謝申し上げます。
ここで過ごした女学生時代ほど楽しい時代は二度と来ないと思います。
私たちの生涯のうちで一番幸せな時代はこの学校で過ごした日々です。
本当にありがとうございました。

そしてこれに応えるかのように、ブラックバーン校長が、
はなを通訳として、毅然と卒業生たちに語りかける。


My girls.
Grow old along with me.
The best is yet to be.

私の愛する生徒たちよ。
我と共に老いよ。
最上なものはなお後に来る。


If some decades later you look back on your time with us here and you feel that these were the happiest days of your life.
then…
I must say your education will have been a failure.

今から何十年後かにあなた方がこの学校生活を思い出して、
「あの時代が一番幸せだった。楽しかった」と心の底から感じるのなら、
私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。


Life must improve as it takes its course.
Your youth you spend in preparation because the best things are never in the past,but in the future.

人生は進歩です。
若い時代は準備の時であり、
最上なものは過去にあるのではなく将来にあります。


I hope that your pursue life,and hold onto your hope and your dream until the very and of the journey.

旅路の最後まで希望と理想を持ち続け進んでいく者でありますように。


ロバート・ブラウニングの有名な詩を引用して始まったこの式辞があまりに力強く、
素晴らしく、胸を打たれて…
調べてみたら、畠山さんからのこのくだりは、原案どおりとのこと。
深く響いたのは、校長の心からの言葉だったからなのだと腑に落ちた。
それと同時に、その意味の深さにあらためて自らを重ね、考える。
そして、17年前の日記に、自ら記していた一行を思い出す。
「過去は、未来のためにある」

素晴らしき日々へ向かって今を生き、
いつか旅路の最後に、「自分を生きた」と思えるように。
自分が求めるものを、いつも心に問いながら、進んでいけますように。



晴れた午後に  5/16

リビングで用事をしていたら、どこからか、リコーダーの合奏が聞こえる。
耳をすましてみたら、それは我が家の、2階から…。
テスト勉強は?(笑)

「エーデルワイス」が、アルトとソプラノで美しくユニゾンしている。
つづけて、たどたどしくパートに分かれて聞こえてくる「ふるさと」。
「夢の世界を」、「星の世界」、と、やわらかい音の優しい旋律が流れ、
窓からの午後の風と一緒になって、心に流れこむ。
ふっと力が抜け、なんともいえない幸福感に満たされた。
こんなふうに自然に、無心に、音を奏でている彼らの背中を思い。
音を合わせる喜びに、自らの心も重ね。
愛おしい気持ちで、胸がいっぱいになる。
まあるいふたつの、リコーダーの音に抱かれて。



はらぺこあおむし  5/15

心の波乗りのような日々のなか、突然、
お化けのように成長したローズマリーが気になりだし、
いきなり、剪定をはじめたわたし。
なかなかその気になれないでいたので、今やるしかない!とばかり、
それ以外もあちこち手入れを始めて、ふと、山椒の木に目をやった。
すると…何か、黒と白のちいさな葉巻のようなものがくっついている。
よく見ればそれは、葉っぱのあちこちに、いろんな大きさで…。
ああ…なにかの幼虫だ、と思って、
鉢植えごと草むらに持ち出して、わりばしでぽいぽいと捨てていく。

そこへ帰ってきた、大きい坊ちゃんたち。グッドタイミング!
生き物博士のお友達をつかまえて、「これ、何の幼虫?」ときいてみたら、
「アゲハです!アゲハの幼虫。もうすぐアオムシになります。」と即答してくれた。
「えー!!アゲハやったん!捨てんかったらよかったかなあ?」
「みかんとか、柑橘系が好きなので、みかんの木のところに置いたらよかったですね。」
「そう、そこのみかんの木に、アゲハがよく飛んでくるねん!
 ・・・これは山椒やけど、これも好きなんかな?」
「それも柑橘系の仲間なので、好きです。新芽、食べちゃってますね。」

す、す、すばらしい…。
彼は昨年、とあるコンクールで環境大臣賞を受賞した、正真正銘の生き物博士。
学校の課題研究でも、毎年別のコンクールで入賞している。
それは構成からすでに、大学生の研究レポートですか?というレベルのもので…。
絵がとてもじょうずで、虫のスケッチもお手のもの。
ただただ、大好きなものがあって、ひたすらそれを追究して。
そんな彼を、坊ちゃんたちはずっと大好きで、尊敬している。
もちろん、わたしも。

そうかー山椒も、柑橘系だったのか…。
またまた、彼に教えられたな。



押し花・一年後  5/14

昨年、母の日にもらったピンクのあじさい。
摘んだ花の、まだ枯れていない部分がかわいそうで、
切り取って辞書のあいだにはさみ、押し花にしたのでした。
ちょうど、1年ほど前のことです。(6/4の日記)


これが →

こうなった

薬剤も乾燥剤も使わない、昔ながらの単純な押し花なので、
押し花電報みたいなきれいな色ではないけれど、これが自然なのですね。
ピンクが青に変わっているのが不思議。
昔いとこにもらった、植物観察用?のスケッチブック、第一頁目に、
カバーフィルムで貼りました。
どう保存するかしばらく思いつかなくて、数ヶ月放置していたので、
うまくいった達成感でいっぱい!


残った花(=ガク)ではがきもひとつ、作りました。



豊作  5/12

今年はジャスミンのみならず、いちごも豊作のよう。


この前に5つ以上は収穫していて、あともまだ続いています。
よく見ておいて、全体が赤くなった!と同時に、ぷちっと収穫。
ナメクジと競争なので…完熟にならないうちに、さらっていきます。(笑)
(そのタイミングも、今年はうまくいっている!)
子株が育たず、もうだめだと思った昨秋、植え替えたのがよかったみたい。
ちなみにこの苗は、"ちいさな写真館"の「温室育ち」という写真に写っています。



浦島太郎  5/11

週末帰省していました。
お天気に恵まれた2日間、奇遇としかいいようのない不思議なタイミングで、
家族全員と出会え、親しいひとたちにも会えて、とてもいい週末でした。

お正月はすでに心身の調子を崩していたこともあって、
旅行と両実家の行き来をこなすだけでせいいっぱいで、
あの時、あまり意識が向かなかった両親の老いが、
明るい初夏の陽光のもと出会ったせいか、妙に胸にささりました。
玉手箱を開けてしまった、浦島太郎の気分。
わたしの心の目は、中学生のままで止まっていたんだなと…
"ニュー・シネマ・パラダイス"のラスト、
30年ぶりに故郷に戻ったトトの目に映る、老いた村の人々。そして母。
あの場面と音楽が心のなかでオーバーラップして、せつなくなった。
そして、遠くに続く山の稜線。なつかしい、まちのにおい。

幼なじみのお母さんを訪ねたらお留守だったので、
手紙も添えず、あとで連絡するつもりでおみやげを置いてきたら、
翌朝、電話がかかってきました。
おみやげと、それが入っていた袋を見て、あなたやと思ったんよ、と。
もし来れるなら、ちょっと寄ってちょうだい、と。
たまたま、そちらに行く用事ができていて、本当に不思議な流れのなか、
おばさんに会え、幼なじみの結婚写真も見せてもらえた。
手紙を添えなくても、すぐにわたしだと気付いてくれた、
わたしがどういう人間かを、ちゃんと知っていてくれるひと。
その袋に印刷されていた温かいことばごと、おばさんにわたしたい、というわたしの気持ちを、
きちんとくみとってくれていたことに、胸がいっぱいになった。
そしてまた、結婚式の親族写真に見た、彼女の老いにも。
長いあいだお世話になったがゆえに、若き日の印象のまま見ていた彼女のうえにもまた、
両親と同じ歳月が流れていたことに、今更ながら気付く。

前日のこと、実家の植木を見ていて、母がふと、
これは、あんたが初めて誰かの結婚式のブーケ作ったときの、残りを挿したもの。と言う。
斑入りのアイビーが、枯れた木の幹をつたってはいあがり、びっしりと繁っている。
誰?もり?あの、冬の結婚式やった。京都に泊まったとき?ときくと、
それは雪が降ったときやろ。違う。その前、誰かの…とにかく一番最初のブーケ。
うーむ…

もり(4/16の日記参照)の結婚式が冬だったことはなんとなく覚えていたけれど、
雪の降った日、と母が記憶していたことに驚いた。
それ以前、誰かの…というならば、それは結婚式ではなく、内輪のお祝いの会で、
やはりだいじな友達のために作ったものだ、、、と思いいたった。
そしてゆっくりと、思い出した。浮かぶ記憶。リリー・カサブランカと斑入りのアイビー。
そう、、、間違いない。
18年前の、5月のことだった。

その斑入りのアイビーを、ほかの種類のものと一緒に、何本か切ってもらった。
しばらく水に挿して、根が出たら、鉢に植えよう。
そしていつか…結婚20年の記念にでも、彼女にわたせたら。

それにしても、18年。
時の流れをこえて、あの日のブーケの花材が、こうして生きていることの驚き。
わたしたちが積み重ねた日々は、ずいぶん遠いところまで来てしまったというのに。
玉手箱を開けても、変わらずにいたもの。
その歳月をつないだのは、母の手。




うわさ  5/9

大きい坊ちゃんが学校から帰ってきて、真顔でおもむろに、
「今日、うわさになってたわ。」という。
わたしはどきっとして、「え、、、どんな?」と、おそるおそる聞き返した。
「うん…じゅんがな…高跳びがめっちゃうまいっていううわさ。」
一瞬目が点になり…
大爆笑。
「な、なんでー?!」
「体育の先生が、ほかのクラスで言ったらしいわ。○○くん(=坊ちゃん)がうまいって。
 今日、友達に言われて、"高跳びの神"とまで言われた…」
「か、神て…」
またまた、大爆笑。。

昨日のこと。
やはり帰宅するなり、
「今日、生まれて初めて体育の見本になった!」と、照れながら語りだした坊ちゃん。
なんのこと?ときくと、体育苦手な坊ちゃんが先生に指名され、
走り高跳びの跳び方の見本になって、ほめられたのだという。
「じょうずだね、力の抜け具合がいいですね、って言われてん。
 でもじゅんな、それが3回目で、やっと跳べたとこやったんや。どきどきしたわ。」
「へええ〜。よかったやん。」
小学校から体育は苦手でとおってきている坊ちゃん、
話し方から察するに、よほどうれしかったようす。

どうやらそれを受けての、今日の「うわさ」だったらしい。(笑)
苦手だったはずの体育で、あろうことか「神」とまで呼ばれては…
これからひそかに、走り高跳びに精進せねばなりませんな。。



塞翁が馬?  5/9

帰省で持ち帰るために、2斤の角食を焼いた。
このところ、フッ素加工の食パン型でも、焼きついて型から離れないことがあり、
ちょっとトラウマになって敬遠していた食パン。
念入りに油を塗って焼いたのに、やはりみごとに型にはりつき、恐ろしいことに…。
パレットナイフで必死にはがすも、クラストを傷つけ、クラムをえぐり…
汗を流しながらはずした食パンは、無残な姿に…。
近年ない失敗(しかもきれいに焼けたあかつきに!)にがっくり。
けれど、義母(厚切りトースト好き)にわたす!という強い思いのもと、
なんとか気持ちを奮い立たせ、再度生地の仕込みに入る。
そして再び3時間余が経過し、夕方、ようやく焼きあがった角食2本め。
べとべとになるまで、底にたまるくらい油を塗ったのに、これもまた型から離れず…。
1本めに続けて、余熱で焼こうと準備していたシフォンケーキも、
このせいで生地の泡が消えかけて、ふくらみが悪くなってしまったこともあって、
悲しくて腹が立って、、、ぼろぼろ泣きながら型からはずしていたら、
帰宅した大きい坊ちゃん、呆然。
「な、なんで、泣いてんの…」
結局最後に、0.5斤分が大きく割れてしまった。
半日かけたベーキング、すべて失敗…。前代未聞。

わたしは泣きながら、割れた部分をお皿に載せて、
「しょうがないから、熱いうちに食べるで!メープルシロップとマーガリンで!」と叫び、
猛然と準備を始めた。
思いきりメープルシロップをかけ、3人でばりばりちぎって食べる。食べる。
「はーおいしかった!」
・・・・・
誰かにあげようと思って焼いたから、たまらなく悲しくなったけど、
自分たちが食べるなら、ショックも、そこまでではなかったかも。

夜。
遅く帰宅したオットーが、晩ごはん後に食パン2袋を見て、「食べたい。」とのたまう。(笑)
「これなー!かくかく、しかじかで…」と説明しながら、
もういいわ!と、1回目に焼いたほうの、ぼろぼろになったはしっこを切ってみる。
これも、マーガリンとメープルシロップで…
「おいしい」と満足そうなオットー。
そこで、はたと気付いた。
本来、切り分けを遠慮するかたちのパンを、失敗のおかげで、家族全員試食できたな、と。
それも、おなかが満たされる量を。(笑)
そう考えると、まあ、はりつきもよかったかな。と思えてきて。
だいぶ、、、いやずいぶん、気分が軽くなった。
しかも、この度重なる失敗のおかげで、
「型に塗るのは、流れないショートニング!」と思い出したし…。(遅い)

禍福は、あざなえる縄のごとし。
…小さな禍福。(笑)



あらう?あらわない?  5/7

わたし   「おかえりー。制服のシャツ、汗かいた?洗ったほうがいい?」
大きい坊 「そうやなー洗おうかな。」
わたし   「じゃ、かごに入れといて。洗濯機にはまだ、入れんといて。こいのぼり入ってるから。」
大きい坊 「(爆笑)こいのぼり〜?!こいのぼり、洗濯してんの?!」
わたし   「あ、洗濯機で回してるんちゃうで。洗濯槽使って、手洗いやで。」
大きい坊&小さい坊 「(大ウケ)洗濯機のなかでも、泳いでるんやな!」
・・・・・

こいのぼり、最初の頃は2年に1回のペースで洗うことにしてたんですが、
そのうち、去年洗ったかどうかが思い出せなくなり(笑)、
めんどくさいので毎年、一応洗っています。
(ベランダごいで、てすりや屋根をこするので、黒ずんできたらいやだなあと思って。。)

その日の夕方のこと。
友達と遊びに出かけていた坊ちゃんたち、干しているこいのぼりを見たお友達に、
「こいのぼりって…洗うの?」と、きかれたそうです。(爆笑)
こいのぼりファミリー全員、ししゃもみたいに並んで、さおにかかってるからね…。
なんだかとぼけていて、けっこう、笑えます。



赤毛のアン、ふたたび  5/6

連休最終日の今日、チケットをもらった「モンゴメリと花子の赤毛のアン」展へ。
(新聞やさん、ありがとう!)
この連休中、避けるつもりだった人ごみのなかへ!勇気を出して。(笑)

予想どおり?デパートの催事場の展覧会は、おばさまがたでいっぱい!でした。
わたしも含め、これは『赤毛のアン』刊行当時からの、ファンの蓄積なのだろうか??
オットーに言うと、「ちゃうやろ〜単なる朝ドラファンやろ!」と。(笑)
そうかもしれないが。。(笑)
男の人には、少女時代の『赤毛のアン』との出会いの意味は、理解されないかも。。

日加修好85周年記念のこの展覧は、L・M・モンゴメリと、村岡花子、
ふたりの生涯の紹介と、直筆原稿の公開、書斎の再現、など、充実した内容でした。
モンゴメリの撮影した写真やスクラップブック、日記帳、村岡花子は恋文の往復書簡まで!
こんなん思いきり公開されて…恥ずかしいやろうな…と、勝手に憶測してしまうわたしでした。

なんといっても、モンゴメリ自身の筆跡で書かれた、『赤毛のアン』の一節。
(男の子と間違えてやってきた女の子アンを引き取るかどうか…の場面)
村岡花子自身の筆跡で書かれた、翻訳の一節。(これにいたっては、文章も記憶にある)
それらを同時に、目にすることができるなんて!
ふたりの執筆への熱意が生んだ、失われることのない想像の世界に、
あらためて、時間も場所も越えうることばの力と、物語の可能性を実感したのでした。



映画 『白ゆき姫殺人事件』  5/5

すでに夕方1回の上映になっていた、『白ゆき姫殺人事件』。
小説もおもしろかったし、ものすごーく考えさせられたし、
オットーはTSUKEMENみたさもあり(笑)、期待度は満点!!
そして、その期待を裏切らない内容だったのです。
オットーは大満足だったらしく、「いやー最高に面白かった!!」と絶賛。
(わたしが「すぐ犯人わかった」と言ったら、「読まんでよかった」と大爆笑されました。。)
小説とはまた違った味つけもあって、わたしは一部、泣けました。。
(ミステリーで、なんでや!って思いながらも…)
「世界中が敵になっても、おれはおまえの味方だ。ここにいるぞ。」
事件から、自分を信じられなくなったヒロインに、かつての親友がつぶやく、ことば。
それは、かつていじめられていた小学生の自分が、ヒロインからもらったことば。
孤独な気持ちが重なり、わたしの心にも響きました。
そう言ってくれるひとがいることが、どんなにちからになるだろう。

芥川龍之介の『藪の中』、またさだまさしの「検察側の証人」、を思い出す構成。
登場人物たちが順に、事件に関する状況・人物について、フリーライターに語るのです。
それぞれの都合から、見解から、「話を盛る」「話を省く」ことで歪む情報。
その不確かな情報によって微妙に、あるいは大きく、ずれていく人物像。
それがツイッターや週刊誌、新聞記事などによって「拡散」され、あおられ、
「拡大」もされて、また新たな憶測や妄想を生んでゆく。
メディアのこわさ、それを鵜呑みにする人たちのこわさ。
またそれ以上にこわいのは、人の心のありようによって、表現はどこまでも歪むということ、
真実は何か、ということが、こうなると当事者にすら分からなくなる、ということ。
自分に見えている世界すら、果たして、正しいのか、どうか…
真面目で内省的な人間ほど自分を疑い、自信を、やがて自身を見失っていく。

経験したトラブルにも通じるところがあり、「情報」というもののこわさ、そして、
生き物である「人の心」のこわさ、をも痛感・共感した作品でした。
そして同時に、それをじょうずに素材にしているところが、とても面白かった。

『赤毛のアン』のエピソードも、空想シーンも。
重要な場面で、ちゃんと出てきました。



『白ゆき姫殺人事件』にまで…  5/4

シャガールの五枚のステンドグラス…と考えていたら、
そっくりなかたちのステンドグラスに出会ったように…

「花子とアン」で頭がいっぱいになっていたら(笑)、
新聞やさんが、「モンゴメリと花子の赤毛のアン」展のチケットを、ポストに入れてくれていました。
このところ、興味を引くチケットはあまりなくて、行けずに終わり…が多かったのに。
もちろん、要求したわけでは、まったくないのに…。
それも、ただいま開催中!
びっくり。

さて…
先日のこと。

エネルギー不足ぎみの己を鼓舞するため、
ネットで"作家の読書体験"インタビューを読んでいたわたし。
もともと敬遠ぎみだった(立ち読みでギブアップした…)
湊かなえ氏のそれをたまたま見つけ、読んだのです。
(以前、テレビでご本人が、作品についてコメントしているのを聞いて、、、
 ああいうどろどろした感情いっぱいの作品って、わたしはしんどい…と思っていたけれど、
 人間が必ず持っている陰陽両方の感情のうち、処理に困る負の感情を、
 読書というかたちで昇華させることができるんだ、、、と発見したのでした。)

その影響から、ちょっと読んでみよう…という気持ちになった『白ゆき姫殺人事件』(2011年)。
実は、先月のTSUKEMENのコンサートでも、この作品が話題にのぼっていて。。
なぜかというと…3月末公開だった同作品の映画に、
TSUKEMENが"芹沢ブラザーズ"として出演しているからなのです!
そんなわけで、オットーも実は、少なからず興味を持っていたみたいでした。
でも、映画は未だ、観ず…

今日、書店で文庫本を入手し、読みはじめ…
ああ…。(←分かりますね?)
何十年ぶりだろう?!
この、犯人が分かるまで、読むのをやめられないという感覚。(笑)なつかしすぎるー!!
結局、深夜まで、読みふけり…。
犯人は…おまえかー!!

本当に久しぶりに、活字に集中できた時間でした。
心の状態が、死や殺人に耐えられないと思って避けていたのだけど、、、
それそのものより、注目すべきところがほかにあって、気にならなかった。ほっとした。
ミステリー、バンザイ!
・・・・・
そしてなにより、一番のびっくりは。
この小説のなかにまで…『赤毛のアン』が、ストーリーにからんで登場!!
またまた、たおれそうになりました。。
このタイミングで!
読んだら、出てくるなんて。

そんなこんなで、明日は、映画『白ゆき姫殺人事件』を観にいくことになりました。
まだ上映していて、よかった。。



ふたたび、本屋さん  5/2

朝ドラで話題の、「赤毛のアン」。あちこちで、特設コーナーができている。
ドラマが面白いのは、ストーリーが「アン」とリンクしているせいもあって…
先日出てきた、「ぶどう酒」のエピソード。
あのとき、アンはダイアナ(腹心の友)に、「いちご水」だと思って飲ませたのだった。
子どものころ、「いちご水」って、なんだかすごくすてきなもののような、
わくわくすることばだったっけ。
MOE6月号を読んでいたら、なんと!
「いちご水」は、原書では「ラズベリー・コーディアル」となっているそうな!
翻訳当時、村岡さんが、そのことばでは伝わりにくい、と、「いちご水」と訳したのだそうで…
今では「ラズベリー」も、「ハーブコーディアル」も、見て、味わったことのあるわたし、
「ラズベリー・コーディアル」と言われれば、なるほど!野いちごのシロップね!と、
経験値から想像ができる、わたし。
時代が変われば、社会が変われば、年齢が変われば、、、

けれど不思議なもので、「いちご水」ということばのひびき、イメージのわくわく感は、
今もわたしの心の中に、しっかり生きている。
あの場面を読むだけで、アンの「赤い飲み物」が好きという気持ちまで一緒にふくらんでいく。
意味はわかっても、ラズベリー・コーディアルということばとは確かに違う、
もっとなじみぶかくて、きらきらわくわくしたもの。

本屋さんでの時間は、豊かな時間。想像力の勝利。
あー面白かった。立ち読み万歳。



ぐりまの死  5/2

夜。
もう寝にいこうとしていた大きい坊ちゃんが突然、登校時の話を始めた。

「朝なー。友達待ってたら、足のとこに、鶏のから揚げみたいなんが落ちててん。
 で、○○ちゃん(生き物博士)が来て、きいてみたら、『鳥のひなでしょ。』って。
 どっかから落ちてきたんかなーって一緒に上見たけど、電線しかなかってん。」
そういえば、、、友達に大きく手招きしていた坊ちゃんを、窓から見たことを思い出した。
「それ…もし鳥のひなやったら、カラスかなんかに襲われて、巣から連れ出されたんちゃう?
 羽根とか生えてるん?」
「いや、まだ、羽根も生えてない、小さいの。茶色いかたまりやった。」
「それ、まだ落ちてるんかな…」
「うーん。分からん…」

そこは、四辻の、歩道の角。舗装されているうえ、人通りも多い。
もしまだ落ちているなら、鳥のひなとも分からず、誰かに踏まれたりするかもしれない。。
そして、土に還ることもできない。
「ちょっと、見てくるわ。落ちてたら、土のとこに埋めてくる。」
ジャスミンを見にいくついでに、新聞紙を持って角に出てみた。
暗いなか、街灯の明かりを頼りに、坊ちゃんが立っていたあたりをすかしてみたら、
形の分からない、小さなかたまりがある。。
木の足元から枯れた葉っぱを拾ってきて、
歩道にこびりついているそのかたまりをはがして、新聞紙に乗せて移動し、
みかんの木の根元のあたりを掘って、葉っぱではさんで、埋めた。
求愛の鳴き声から、すずめが子育てをする時季だなあと思っていたので、
すずめの子かなと思いながら…
次は幸せに生まれてくるんだよーと、埋めたところにジャスミンの花をひと房、乗せて。
甘い香りが、なぐさめになりますように。

ふと、草野心平の「ぐりまの死」が頭をよぎる。
るりだがぐりまの口に挿した、すみれの花。
カンカン夏の陽にひからびていくのが、舗装レンガの上では悲しすぎる、と…

実は私自身も、低学年の頃の数少ない、おぼろげな記憶に、
通学路の舗道に何か、生き物のようなものが落ちていたことが残っている。
白い、鳥のようなかたちをしたもの。
今でも時折、思うことがある…あれは、なんだったのだろう。
舗道だったから、妙に印象深くて、怖かった。

・・・・・・・・
またふと、3年前の春のことを思い出した。

"沖縄旅行には、たいへんなおみやげがくっついてきてました。
 今日は書く気力がないので、またのちほどここに…"

4月最初の日記にそう書きながら、ずっと書かずにいた、「帰ったヤドカリ」のことを。

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沖縄の海で、サンゴや貝がらを拾って、ジップロックに入れて持ち帰った坊ちゃんたち。
帰って開けてみたら、なんと…!
砂や少量の海水に混じって、ヤドカリと小さなカニが動いている!
「きゃー」
どうする…?!と考えた結果、やっぱりこれは、名古屋の海や川には返せない!と、
海にほど近い、お土産を購入したお店に電話してお願いし、宅急便で送ることにしたのです。
(笑わないでね 汗)
そして、お店の方のご好意で、海にヤドカリを返してもらったのでした。。
「砂浜を元気に歩いて、海に帰っていきましたよー」と言ってもらい、ひと安心。
お店の方には感謝、感謝で…

ただ、カニがいなかったらしい。。(汗)
小さかったので、もしかしたら、空輸中にヤドカリに食べられたかも…
坊ちゃんたちが図鑑で調べたところ、ヤドカリのえさは、、、
「さかなのきりみー、あさりのむきみー、かーいそーう!きゃー!」
雑食なんだね。。

小さな生き物のいのちつながりで…3年越しで、書きました。
「空輸で帰ったヤドカリ」の話。
坊たち6年・4年になる春のことでした。
忘れないうちに書けて、よかった。
鳥のひなの話から。。



おもしろ会話  5/2

晩ごはんを食べながら、ふたりの他愛ない会話。。

大きい坊 「じゅん年取ったら、いじゅと一緒にヨーロッパ旅行したいわー。」
小さい坊 「じゅんはどこまでもいじゅと一緒がええんやな。」
大きい坊 「(笑)いい迷惑ってか?」
小さい坊 「いやーそんなことはないけど。(笑)マネーがあるなら、連れていって。」
大きい坊 「そういう夢は、いっぱいあるんやけどなー。」
小さい坊 「いじゅと一緒にペンションやるとか?」
大きい坊 「その夢をかなえるためには、お金ためなあかんし、
       そのためには、仕事せなあかんし、
       そのためには、今勉強せなあかん…って、結局そこに行くんやよなー。」
小さい坊 「老後忙しいな。やることいっぱいあるな。」
大きい坊 「書いとかなあかんな。」
小さい坊 「書いてなかったら忘れて、データ放送で阪神の結果見てるだけやで。」
大きい坊 「そのころにはなー、データ放送じゃなくなってるで。もっと便利なんができて。」
・・・・・

ふたりのかけあいの、間が可笑しくて…
食べながら笑っているわたしでした。

今、毎日やっている勉強が、
兄弟が年老いてからのヨーロッパ旅行やペンション経営のためって、
遠ーーーい目標につながってて、すごいなーとも感心しつつ。。



あたり年  5/1

今年のジャスミン…
開花が近づくほどに、勢いが例年以上の大豊作ということが分かってきました。
一年で一番寒い時季、赤い花芽を見せはじめたときは、
むしろ、今年は花が少ないかも…と思わせたのですが。
夜気のなかの香りをかぎに出て、つぼみの数をかたまりでざっと見当つけてみると、
数万単位でつぼみがついている感じです。
いつも、フェンスの外側がきれいでも、家側にはあまり花がなかったりするのだけど、
今年はどこを見てもピンク一色。
つぼみが太陽に向かって咲こうと、上へ上へと向かっているのが分かります。
そのけなげな姿に、心洗われる時間。


3年越しのガーベラも開きはじめました。
母の日にもらったカーネーションも。
赤ぞろい。


レンガのすきまから咲いたオダマキも、たくさん花を開いてくれました。