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タオ(道)  5/31

今月はすごい偶然があって…

以前から興味のあった老子のことを、簡単に読めないかなーとまんがを買ってみた。
それはちょっと、内容があまりよくなくて、読んでそれきりだったのだけれど、
またネットでふらふらと老子思想を探しては、読んでいました。

そんなある日、気の合うお母さん友達から突然メールが来た。
「老子、いいですよねー。学生時代に習ったはずなんだけど、
 簡単に読めるいい本、ないですかねー。」
・・・・・
彼女とは、モノ言う前から考えていたものが伝わっていたかのように出てくる、ということが
その少し前にもあったのだけれど、、、まさか、老子まで!!(笑)
驚きでした。
「なんで、わたしが今、老子にはまってること分かったん〜?!」

そのメールのやりとりで知ったのですが、今月の100分de名著が、老子だったのです。
それを見て、彼女は興味を持ったようでした。
それにしても、老子…(笑)
興味のポイントにウケつつも…
わたしも後半を録画して、観ました。

タオ(道)は、自然の背後にある、万物を創造するエネルギーのこと。
そのちからに生かされ、支えられ、わたしたちも、ここに在る。

"世間や社会から見放されてしまった気がしても、
 秋桜が私に手を振ってくれる。
 自然はそっぽを向かないで、友達でいてくれる。
 何より、大いなる「道」が、常に私を見守っていてくれるのだ。"

番組の最終回にあった、深く共感したことば。
わたしも、すすきが手を振ってくれているといつも思っているなあ。。
生きている人間の社会がすべてのように感じても、
宇宙や自然の単位でみれば、それはほんの一部にすぎなくて。
その視点をいつもどこかに持って、しゃんと立っていたいなあ。。
"タオ"に見守られ、支えられ、生かされているということを。

とにかく、番組があったことを教えてもらってよかった。
彼女に、偶然に、感謝です。



うれしかった話  5/30

大きい坊ちゃん、無事に、いっぱいの思い出と洗濯物を持って帰ってきてくれました。
今日は、家庭学習の名のもとの、お疲れ休み(?)。
野外学習の感想をまとめたり、生徒会のポスターの下絵を描いたり。
まんがを読んだりして、ぼんやりのんびり、過ごしていました。

夜。
晩ごはんの支度をしながら、リビングで楽しそうに話をしているふたりをながめる。
さっきから一緒に、れいの「いじゅカード」をせっせと描いて、作っていたのです。
カードに描くことを相談しながらけらけら笑ったり、ほんとに楽しそう。


・・・ふと、大きい坊ちゃんが、「Kくんと、あれからしゃべってないの?」ときいた。
わたしはおととい、「じゃあね」と笑ってバイバイするところを見かけていたので、
「そんなことないよな?一緒に帰ってたもんな?」と話しかけると、
小さい坊ちゃんはうん、とうなずいた。
大きい坊  「あやまってきたん?」
小さい坊  「うん。」

・・・坊ちゃんの話では、ちょっとふざけながら(たぶん照れて)、
「ハイーこないだはごめんなさい!」と言ってきたんだそうです。
よかったーと思って聞いていたら、まだ続きがありました。

小さい坊  「それで、『おれもいじゅカード、買ってみたいなー」って言ってきてん。」
わたし    「えー!そうなんや!じゃあ、買うためのいじゅ通貨もあげて?」
小さい坊  「うん。」
大きい坊  「(わたしに)な、ちゃんとなるねん。いじゅは、なんか持ってるな。」
わたし    「ほんまやなー。」

わたしは胸がいっぱいになって、料理の続きをしながら、泣きそうになっていました。
Kくんのおとといの笑顔と、今の話と。
一緒に思い浮かべながら、感慨に浸っていました。
子どもって、なんてやわらかくて、優しいんだろう。
このあいだの悲しい気持ちが、こんなふうにまあるく包まれるなんて。
ありがたくて、うれしくて、また、魔法のような気もして、
心の中で、神さまにお礼を言いました。
調和という最良の対処をくださったことに、ありがとう、と。




「貧血って・・・」  5/29

昨日たまたま受けた血液検査で、
貧 血 で す」の判をばーんと押されてしまったわたくし。
ま、もともとその傾向があるし、いつだったか、
鉄剤も飲んだことあるなーと記憶を探ってみると、妊娠中だったような気がする。。
数年前にも、かかりつけの先生に「赤血球がね…うん、しょうがないね。」と言われ(笑)、
なんか、わたしの赤血球の、もともとのかたちとか大きさに問題あるらしい。
今回は数値が低かったので、ひさびさに鉄剤を処方されました。
南部鉄びん…使わなきゃ。(笑)

一緒にもらった貧血対策のパンフレットをそのへんに放置していたら、
朝、小さい坊ちゃんの目にとまったらしく、突然、真剣な表情できいてきました。
小さい坊 「ママ…貧血って、痛い?」
わたし   「い、痛くはないよ…」(笑)
かわいい発想に大ウケ・・・。自覚すらなかったもんなー。
わたし   「ヘモ、グロ、ビンっていうのがなー、血の中にあるんやけど、
       鉄が足りないと、それが作れなくなるねん。酸素を運ぶ仕事してるんやけど、
       少ないと、酸素も少なくしか回らないから、体の細胞が疲れてくるんやでー」
小さい坊 「ふーん」

小さい坊ちゃんと二人きりの朝、小さなおもしろ会話になごみました。



おともだち  5/28

実は今月、我が家に、新しいおともだちがやってきました。
長いあいだ待ちこがれた、むーちゃんの復刻版です!
長い時間をかけて、とても苦労をして、オットーがゲットしてくれたのです。
復刻版とはいえ、微妙にむーと大きさや抱き心地が違います。
とにもかくにも、家族じゅうが大喜び!


いつもこんなふうに、寝てばかりいるので、名前は「ねむー」となりました。
ねむーちゃん。


むーとハイタッチをしても、そのまま、「ぐー。」
寝てしまうので、むーは頭をなでてあげています。
むーちゃんにはやはり、年数ぶんの風格があります。


手をにぎってあげていたら、ねむーは安心したのか、ぐっすり眠ってしまいました。
さすがむーちゃん。おにいちゃんです。

そんなわけで、このふたり、今後とも、よろしく〜。



いってら。  5/27

玄関で、坊ちゃん待ちの荷物たち。


今日から2泊3日、市内の中学2年生恒例の野外学習です。
(市が持っている野外教育施設がふたつあり、
 小5の野外学習は「中津川」、中2のは「稲武」、と通称で呼ばれています。
 よそ者のわたしには分からないけれど、
 地元出身者はみんな「行った」という、長い歴史があるらしい…)
小さい坊ちゃん、うちでひとりになるのがとてもつまらないらしく、
「じゅんがいない間、何しよう〜」とばかり、くりかえしておりました。

大きい坊ちゃん、準備万端で、出発へ。
小さい坊ちゃんとわたし、「いってらっしゃーい」
手を振りながら、小さい坊ちゃんの考えたいじゅ語、「いってら。」も、
ふたりで言ってあげました。(笑)
元気で、いっぱい楽しい思い出を作って帰ってきてくれるといいなあ。



クイズ  5/26

晩ごはんを食べながら、小さい坊ちゃんが突然、大きい坊ちゃんにクイズを出した。

小さい坊 「勉三さん(注・『キテレツ大百科』)の、めがねのぐるぐるは、何重?」
大きい坊 「知らんわー!(笑)いじゅは、知ってるん?」
小さい坊 「数えたこともない。」
二人で大爆笑…。
こちらもかなり、笑わせてもらいました…。



悲しい気持ち  5/23

小さい坊ちゃんが帰宅して、れいの「いじゅ」の通貨で商品にしているカードを作りながら、
「今日、Kくんが…『こんなカード、紙くずだ』って言った。」と唐突に言って、
泣き出しました。
先日の家庭訪問時にも、担任の先生から、
同じお友達に糸を首に巻かれて、「死ねばいいじゃん」と言われたと聞いていたので、
そして、そのお友達の、今まで5年間の姿をよく知っているので、
「ふうん…」と考えこんでしまった。

Kくんは1年生の時から、本当にいろいろなことがあって、
小さい坊ちゃんだけが標的にされているわけではなく、
小さい小学校で、学年全員を敵に回しているといってもいい状況なのでした。
誰も彼と遊びたがらないし、関わりたがらない。
「ほんとに、誰も仲間がいないの?」と坊ちゃんにきいたら、
「みんな、遊びたがらないし。TとYくんが遊んでたら、押しこんでくるとか、そんな感じ。」
それは、押しこんでくるじゃなくて、割りこんでくる、やね…。(笑)
ウケつつも…。

ある時、また別の男の子にちょっかいをかけにいった時の話も、坊ちゃんからきいた。
「その子に『友達いないくせに。』と言い返されて、半べそだった。」と…。
それをきいた時、悲しくて、悲しくて、わたしが泣きそうになりました。
上手に周りと関われないもどかしさ、つらさに、同調してしまって。。

Kくんは、みんなと遊びたい、関わりたいのに、その方法を知らないのでしょう。
それは、1年生の時から、いろんな事件を見てきて、思っていたことでした。
そろばんを習いに通っていたり、歯の矯正をしていたり、
目に見える部分で、親御さんから大切にされていないわけでは、決してないのに…
昨年は、教室の窓から飛び降りると言って大騒ぎになったり…けんかは、しょっちゅう。
そしてそのまま、ここまで、6年生まで、、、きてしまった。

小さい坊ちゃんはずっと、先生から、
「誰に対しても公平で、偏見がなく、こちらがはっとさせられる」と言われてきました。
(それはわたしにとって、何より嬉しいことばでした。)
そんな坊ちゃんが、彼の言動に傷ついて、泣いている。
Kくんとふだんは普通にしゃべって、遊んだりもする坊ちゃんが。
坊ちゃんの気持ちにも胸が痛んで、また、Kくんの孤独な悲しみにも胸が痛んで。

「Kくんは、寂しいんだね。」
そう言って、話しかけてみたら、ときいたら、
「機嫌が悪い時にそんなことしたら、言い返したり殴りかかったりしてくるから、
 黙って、何も言わないようにせんとあかんねん。」
Kくんをよく知っている大きい坊ちゃんも、小さい坊ちゃんと声をそろえて、そう答えた。
彼らの賢さに驚きもしたし、Kくんの反応に共感して、また悲しくもなった。

Kくんの寂しい気持ち…わたしにも、どこか解る気がする。
じょうずにひとと関わるって、なんて難しいんだろう。
Kくんの場合は極端かもしれないけれど、少なからず、わたしの中にもそんな思いはある。
変な話だけれど、昨年末、「冬のソナタ」をいきなり途中から見た感想(12/10)にも重なる。
いつも意地悪をしたり嫌味を言ったりしていた、ヒロインの友達が、
泣きながら本音を語るシーンで。

 "そうなんだよね…本当は、違うのにね…。
  素直に表現できないばかりに、理解してもらえないんだよね…。
  でも、そうでしかない自分が、苦しいよね…。"

自分で自分を抱きしめるには、彼はまだ、幼すぎる。
わたしでさえ、まだ。



おかえり  5/23

修理が終わりましたと連絡をもらって、取りにいってきました。


おかえり。
たいせつな、わたしの時計。

これは、20年近く前からの愛用品。
二十代半ばの頃、仲のいい友達(…という表現が面映く、そわそわするような仲間)と、
偶然、同じシリーズを気に入って購入したという曰くつきのもの。
ひとりの友達は、小さな文字盤がふたつあるタイプで、シルバーの縁+グレーのベルトに。
海外転勤を控えて、日本時間と両方、分かるようにと決めたのでした。
もうひとりの友達は、文字盤が丸いタイプで、ベルトはブラウン。
大人っぽくてかっこいいなあと憧れていたけれど、今は、失くしてしまったそうです。
そして、わたし。ボルドーとブラウン、購入時に、ベルトの色をさんざん迷ったことを思い出す…

この時計とべったり一緒に過ごした濃密な時間と、その頃のわたし。
いつかブラウンに替えようと思いつつも、ボルドーのベルトからいつも元気をもらっていたこと。
・・・もろもろの思い入れが強くて、とてもたいせつにしてきたこの17年間。


長らく、おつかれさまでした。

ところが半年ほど前から、文字盤に茶色い染みができはじめ、徐々に広がってきました。
一度交換したベルトも再びぼろぼろになり、ベルト留めの部分がちぎれてしまった。
修繕を迷いながら使いつづけていましたが、あるとき、
意を決してオットーに相談し、修理に出すことに決めたのでした。。
折りよく、数年前にこのシリーズが復刻されていたので、
文字盤が廃番にならずにあることが分かり、安堵。ベルトも交換してもらうことに。
色はやっぱり。。ボルドーで。(笑)

いつも行くスーパーの、レジ係の女の子がまったく同じ時計をつけていて、
驚愕したことがあります。
思わず、「同じ時計、持ってます!」と言ってしまったのでしたが(笑)、
修理して気分一新、今度、つけていこうかな。。


懐かしい、自分が好きな自分でいられた時間。
この腕に、帰ってきた。



朝の会話  5/18

今朝のこと。
朝ごはんを食べながら、子どもたちと交わした他愛ない会話。
(4コマまんがふうに)

わたし 「左手がぴくぴくけいれんしてるねん。ほら。」(テーブルに左手をのせる。)

ふたり 「ほんまやー。勝手に動いてる。」(見てびっくり。)

小さい坊、自分の左手をテーブルにのせて、じっと見ている。
大きい坊とわたし、しばらくしてからそれに気付き、あわてる。

わたし 「だいじょうぶ。いじゅはならないから、だいじょうぶ。」(ふるふる)

・・・・・
会話が終わってから、これ、ぼのぼのみたいだなーと(注・らっこのまんがです)。。
思わず、笑いがこみあげてきたのでした。
ぼの的・小さい坊ちゃん。(もちろん天然)
毎度、笑いのツボです。

追記
↓5/5のおもしろ会話、忘れたくないので、いちばん下に追加しました。



実りのとき  5/18

先月開花した、いちごの実り、第一号。


色づきはじめたところで、2Fのベランダへ避難!
なめくじの攻撃をかわすため、です。。
すでに水抜き穴から顔を出しているのや、プランターの底にはりついているのや!(涙)
ぜんぶわりばしで落として、充分確認してから、避難しました。
うまく、どの実も大きくなって、色づくといいなあ。。



木になって  5/17

ヨガの"木のポーズ"をやりながら集中していると、
ああ、ひとも木と同じだな、ということが、よく分かる。
地から水を吸いあげ、生命を潤し、天へと蒸散させる。
天から太陽の光と熱を受け、代謝して、地へと還す。
基本は違わぬ、いのちのいとなみ。

集中してからだを動かしているうちに、
ふっと意識が遠のいて、夢をみるように、懐かしい光景が浮かぶことがある。
とあるワンシーン。
中学生のわたしが、仲良しの友達と一緒に、
隣の駅前のスーパーまでノートを買いにきて、選んでいる。
どれにしようか、大した選択でもないのに、
少しわくわくしながら、表紙の色を選んでいる。
それは、半透明の、水色。

思い出すこともなく、すっかり忘れさっていた場面が、
生々しい感情を伴ってよみがえる。
ほんの一瞬のことなのだけれど、数十年生きてきたわたしのどこかに、
こんな他愛もない一場面がたたみこまれているんだなあ…と、
不思議な気持ちになる。
そう、まるで、パズルのピースのように。



星めぐりの歌  5/15

NHKの朝ドラ「あまちゃん」を見ていたら、
終盤ごろに、聞き覚えのあるメロディーが流れた。
あれ…これなんだっけ。
頭で思いつくより先に、旋律にそって歌詞が浮かんでくる。

"あかいめだまの さそり
 ひろげた鷲の つばさ
 あをいめだまの 小いぬ、
 ひかりのへびの とぐろ。"
 ・・・・・

ああ〜。
「星めぐりの歌」だ!
やっと、タイトルに行き当たった。

全国でこれを見ている、賢治ファンはすぐに気付いただろうか。
彼の作った楽曲のなかで、もっとも有名な、この歌に。
そして、ひとりで、満足げに笑っただろうか。
賢治作品中で有名とはいえ、そう知る人もいないだろう、
素朴であたたかい、この歌に気付けたことを。
そんなことを想い、わたしもひとり、ふふっと笑う。

"オリオンは高く うたひ
 つゆとしもとを おとす、"
・・・・・



そなた!  5/14

21時半すぎ。
オットーからメールが届いた。

「そなた!」

・・・・・は?
古語かと思い返信。「誰?」
また返信がきた。「チュンサン録画!」
・・・つまり、帰宅が間に合わないかもしれないから、
「冬のソナタ」を録画して、って意味でした。
三文字じゃ分からん!(笑)

もう冬は遠く、終わったというのに…。
なんと、CSチャンネルで週2回やっている冬ソナに、
今頃になってなぜか、オットーがはまっているのでした。
さんざん、わたしが語るのを、鼻で笑いながら聞いていたのに、
8年以上も経ってから、ミイラ取りがいつのまにやらミイラに…。(ちょっとちがう?)

「なんでこんな真冬に、スキー場の工事やってんねん!」(←工事責任者の立場として)
「そりゃー冬にやらんと、冬ソナじゃなくなるし…」
「シーズンに入る前にやらんと、スキー場もうからんやろう。」
そんな、真剣につっこまれても…。(笑)

それにしても、今まで何度も冬ソナについて、面白おかしくつっこんでいたので、
わたしは8年前に、一緒に見ていたものと思っていました。
わたし  「8年前に、見てなかったん?」
オットー 「・・・・・。記憶喪失。」
わたし  「こないだ再放送見た時に話したけど、ストーリー覚えてないの?」
オットー 「・・・・・。記憶喪失。」
そしてついには、「ようできたドラマやなあ〜」と感心しはじめる始末…。
ミイラ取りが、ミイラに…。(笑)

そういうわけで、毎週火・水だけは、きっかり放送時間前に帰宅する、オットーなのでした。。
実はDVD、2階にあるんですけど…。(爆笑)
「HDDに録画せんでも、すぐDVD出せるで?あわてて帰らんでも、いつでも見られるで?」
「ええねん!この時間に、続きを楽しみに見るのがええねん!」
・・・だ、そうです。



自分で  5/11

↓の記事を一気に書いてから、いろいろ考えていました。
結局は、自分で実践しながら自分を生きていくしかないんだと。
「誰かの心にも…」というのは、たまたまの結果であって、
そのひと自身が"気付き"、自分の心に、自分で苗木を植えるのだ、と。
『木を植えた男』でも、そうであったように。
ブフィエ氏はただ黙々と、自分の為すべきことを、信じてやっただけだった。
これは、どんなことにも、言えることだと思った。
ひとは、それぞれの経験と価値観を持って、自分の人生を生きている。
そこを越えて、誰かの領域に分け入ることは、余計なお節介であり、越権行為なのだと。
先月にも、書いたばかりだったのに。。
わたしにできることはふたつだけ、
自分で自分の人生を生きること、
ひとそれぞれの生き方、在り方を、ただそのままに、受け容れること。
そのふたつでさえ、とても難しい。



危機感  5/10

毎週木曜に折りこまれる地域情報紙に、
木村秋則さんの自伝映画、「奇跡のリンゴ」の試写会のことが載っていました。
それを見てふと思いたって、本棚から著書を数冊出してきました。
しばらくぶりに、読みふけり・・・危機感で、いっぱいになってしまった。

ベニシアさんの講演で最近聴いた話と、同じことが書かれている。
木村さんのお話は、そこに不思議なできごとも加わるのだけれど・・・
「アインシュタインの予言」には震撼した。
"みつばちが全滅したら、人類は4年以内に滅びる"というもの。
みつばちの人類への恩恵は深く、植物の受粉ができなくなると、
食糧となる作物ができなくなる、ということらしいのです。
…3月に訪れたいちご狩りのハウスの中に、みつばちの巣箱があったことを思いました。

ここ十年ほどで、みつばちのコロニー崩壊が問題視されていて、
みつばち大量失踪の原因が、あれこれ指摘されているようです。
木村さんは著書の中で、農薬の使用を指摘されていますが、
ベニシアさんは、携帯電話の電波が彼らのナビゲーションシステムを狂わせている、と
話しておられました。
どちらもそれぞれに、原因になりうる話です。

「みつばちのために、携帯をやめました。」
今のわたしたちのほとんどが、それを聞いたら、不可解に思うでしょう。
わたしたちの「忙しい」日常と、基本的な「生存」が、あまりにかけ離れてしまっているから。
「生存」が脅かされることのない幸せゆえなのでしょうが、
わたしたちの日常は、「生」の存続が保証されてこその日常なのだと、
まず、気付かねばなりません。
危機感のなさは、そこからきているのですから。

今、スーパーで食べ物が買えなくなったら?
今、水道の水が出なくなったら?
今、空気が汚れて、吸えなくなったら?
・・・・・・
完全にそれらが断ち切られれば、わたしたちは、数分から数十日のうちに、死ぬしかありません。

なぜ、そうなったの?

かけ離れてしまっているものを、鎖のようにつないで、つないで、、、
きちんと意識できたとき、わたしたちみんなが、この震撼する状況に気付くと思うのです。
気付かなければ、
「みつばちの大量失踪より、連絡が取れなくなる方が困る」と思う人がほとんどでしょうが、
「生き延びることより、目の前の日常が大切だ!」とは、順序として、ありえないのだと。

いつか引退したら、みつばちを飼うつもりだとういうベニシアさん。
先のせりふは彼女のものでした。

いきなり、一足飛びに、彼女のような自然に優しい暮らしが営めるわけはない。
けれど、そこで「うちは無理だよね」とあきらめるのでなく、
ひとつずつ、一歩ずつ、学び、意識を変え、行動を変えていく。
彼女もそうであったであろう、その先に、あの暮らしがあるのだろうと思うのです。

わたしも理想どおり、完璧にできるわけではない。
そして自分にできることも、本当に小さい。
だからといってやらなければ、何も状況は変わらない。

『木を植えた男』のブフィエ氏のように、ただ黙々と。
自分の心の苗木を育てながら、誰かの心にも、苗木を植えつづける。
地球環境のことももちろん、"こころ"のことも。
そんなふうに、自分のいのちを使えたらいいな、と、使いたい、と、
しみじみと考えているこの頃です。

時間の猶予は、ないのです。

ベニシアさんのみつばちに関するエッセイは、こちらで。



OK!  5/9

オリーブの新芽を見つけた。


生まれたての葉っぱが輪っかを作って、「OK!」
そして、両腕を広げて育ってゆくのです。



甘い香り  5/9

外に出て、花ざかりの植物たちを愛でていたら、
ジャスミンと別の、甘い花の香りがふっと鼻をくすぐった。
その瞬間。
記憶をたぐりよせる時のような、甘美でせつない気持ちに、胸がぎゅっとなる。
なんだろう。この、くちなしに似た、甘い香り。
それは昔、若い頃に好きだった香水の香りにも似て。
街路樹脇の植え込みをきょろきょろしたけれど、これという花はなかった。
なんだろう。この、せつなさは。
懐かしい何かに、心をつかまれたような・・・

初夏らしい一日の終わり、心地よい夕暮れの風が吹いてくる。
和室の窓辺に肘をついて、風に当たっていたら、
目の前のみかんの木に、花が咲いていることに気がついた。
ああ・・・これだったんだ。
そう思った瞬間、あの甘い、やさしい香りが、
やさしい夕暮れの風にのって、わたしを包む。
しばらく、このままで・・・

"幸福とは、あるできごとや条件に対する反応ではなく、心の状態のこと"
古今東西、あらゆる書物に共通して書かれている、幸福の定義。
今、自分が幸福であることを確かに感じる、このひととき。




天然フレグランス  5/8

今年のジャスミンが、満開になりました。


窓を開けていたら、風に乗って香りが流れこんでくる。お風呂場にまで!
天然の芳香剤。それもジャスミン。なんてぜいたくなんでしょう。
1トンの花びらから1キロしか取れない、高級な精油…
…って、同じこと、一昨年も書いてました。(笑)
去年は、大雪のせいで一部の新芽が枯れてしまったのでした。。
そして今年、みごと復活!


そしてジャスミンの反対側でひそかに、タイムも満開。
4月につぼみが見えはじめてからは、料理に入れる時、どこを摘もうか迷ってました。。


チェリーセージたちにのぞきこまれている、レモンバームのひと枝。
なんだか、育ちざかりの小さい子をあやしているように…見えないか。(笑)


そして、旅から帰ったふたり。
連休中、ずっと一緒だった坊たちも学校へ行き、ほっとひと息。



本のタイトルは…  5/5

思いがけない流れで、連休後半、実家に帰ることに。。
実家最寄りのスーパーに、散歩がてら、買い物に行ったときのこと。

道ばたに、たくさんのシロツメクサが咲いていました。
くしゃくしゃの小さいのは、もう枯れたのかと思ったら、なんとつぼみ。
かわいいなーと思いながら見ていたら、ふと、先日読了した本を思い出した。
その本の表紙に、一面のシロツメクサが描かれていたから。。

わたし   「いじゅー?ママがこのあいだ読み終わった、図書館の本、なんてタイトルやった?」
       (彼はそのとき、表紙を見てタイトルを読みあげていたので、きいてみた。)
小さい坊 「え〜?なんやっけ。はじめての…。『はじめての、盗聴法』?やっけ?」
わたし   「(爆笑)そ、それは…別の本で…『はじめての傾聴術』やろ?」
小さい坊 「そうやった。(照れ笑い)」
大きい坊 「盗聴して、どうすんねん!(笑)」
3人で大笑い…。
小さい坊 「ああ、『クローバー・レイン』?やった?」
わたし   「そうそう。それそれ。表紙に、シロツメクサ描いてあったやろ?」
小さい坊 「うん。」
わたし   「やっぱり、よう覚えてるなあ。いじゅは。」

それにしても、、、『はじめての盗聴法』。
ツボにはまりました…。
読んでたら、怪しまれそう。(笑)