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習字帰り  1/31

夕方遅く、書き方から坊ちゃんたちが帰ってきた時のこと。

大きい坊  「あーもう今、頭がぼーっとしてる。めっちゃ、集中して書いてたから!」
小さい坊  「・・・せかいせいふく、ってな。」
大きい坊  「ちがうやろ!『世界平和』や!」

爆笑・・・。
(わたしも一瞬、「そんな言葉書くの?」と疑問に思ったら。)
小さい坊ちゃん、わざとぼけてるんじゃないんですよ…。
ほんとに、そう思ってたらしい。
そして、真剣に答えるその言い方とたたみかけるような間合いが…可笑しい〜。



朝の番組  1/31

朝7時、いつもの番組のオープニングからいきなり!
あのコーナーがっ!
小さい坊ちゃんに「ママ!」と呼ばれ、駆けつける…

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赤い仮面をつけて挑む

たとえ勝ち目のない戦いでも

妻よ、子どもたちよ、

これが男の生き様だ


 (映像)家族に豆を投げつけられるお父さん

 「鬼の役」

 COMING SOON


 (映像)部屋じゅうに散らかった豆を、ひとり拾い集めるお父さん

来年は、ママがやってください…。

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うわー不意を突かれました!
「カミングスーン」で始まるなんて、今までみたことがないので、
ほんとに油断してました。

さてぱたぱたと、用事であちこち行き来していると、
今度は大きい坊ちゃんが「カーム!」と呼びにきた。(笑)
『全問正解クイズ』やで!」

・・・全問正解クイズとは、朝からいい気分ででかけるために、
すべてのクイズに全問正解するよう、最初に答えを教えてくれるという(爆笑)
某・一般視聴者参加型クイズ番組(日曜日の…)を模した、
我が家的にかなりツボなコーナーなのです!

立っているのは、 マイクを持った司会者ひとり。
背景に、クイズ挑戦者たちの姿が描かれています。

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「全問正解、クーイズ!
さあ今日もクイズに全問正解して、朝から気分よくでかけましょう!
今日の答えは、すべて『ピアノ』です。では、いきますよ〜」(爆笑)

「第一問!
 小さい音も大きい音も自由に出せるチェンバロ、という意味の
 グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテという、イタリアで生まれた楽器は、何?
 …これは、簡単かな?あっそこのあなた!」
「正解!ピアノ、です。ピアノはもともと…(答えの解説と映像)」

「では次!第二問、いきますよ。
 その音域の広さ、表現の豊かさから、"楽器の王様"と呼ばれる楽器は、何?
 ・・・ハイ、どうぞ!・・・そうです!正解、ピアノです〜。
 ピアノは、一台でオーケストラともいわれ…(答えの解説と映像)」

「では、最後の問題です!
 『犬のためのぶよぶよとした本当の前奏曲』や
 『でぶっちょ木製人形へのスケッチとからかい』など、変わった題名のこれらの作品は、
 なんの楽器のために書かれた曲でしょう?
 ・・・こーれはちょっと難しいか?!おーっと、そこのあなた!」
「せーいかい!ピアノ、です!おみごと!!
 これらの曲は、エリック・サティという作曲家が…(答えの解説と映像)」

「さあ、これで今日も、気分よく、いってらっしゃーい!!」

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…っていう、コーナー。(笑)
答えが先に分かっていると、逆に問題の内容から、
へええ〜そうなんだ、という豆知識をもらえて面白いうえ、
司会者の男性の、「いかにも」口調がほんとに可笑しくて。
とても楽しみにしているんですが、この放送もかなり気まぐれで。
出会えたらラッキー、というくらいの頻度でしか、見られてないなあ…。
今までで見逃した答えと問題、、、知りたーい。(笑)



がんばるぞ  1/30

さっき友達が来てくれて、昨日届いた材料をふたりで分けました。


昨年のおみその残りを大だるから小さめのポットに移し、準備万端。
昨年たくさん仕込んだので(もうひとつ手付かずの容器が…)、
今年は一年休もうかと思ったりしていたのでしたが、
なんだかんだと見えない力に後押しされて、今年もやります。

(わたしが誘って、昨年始めた友人から「受験前にもうやったのよ」ときいたり、
 今日分け合った友達から「今年はどうする?」ときかれたり、
 「食育のためにみそ作りを!」と、偶然、耳にしたり。)

6年目にして初めての、一月仕込み!
立春までの寒仕込みがやはり、いいみたいなので、楽しみです。
今夜、浸漬始めます。
がんばるぞー。



ゆげのあさ  1/29

ぐっと冷えこんだ大寒前後の朝。
ぱあっと見事に晴れて、
力強い、赤いお日さまが昇ってくる日。
せんたくものから、ゆげがでる。
きんと冷えた空気の中で、
太陽の強い熱が蒸発させた水分が、瞬時にまた冷やされる。
赤い太陽光線と、白い水蒸気。
以前、詩にも書いたけれど。
こんな美しい自然現象を前にして、それを表現するのに、やはり、
畏れを抱きつつ、時間の畝につけることばの足あとを迷っている、今。



ヒヨ  1/28


朝、窓を開放して空気を入れ替えていたら、
すぐ目の前のみかんの木に、ヒヨドリがとまっていました。
どこか遠くで鳴いているなかまと、高い声で鳴き交わしているヒヨ。
けっこう、大胆不敵です。(笑)
こないだ、公園でナンキンハゼの白い実をいっぱい拾ってきたので、
飾るぶんをとってから、木の足元にまいておいてあげました。

次は、節分か。。
玄関にまいた豆をちりとりに集めておいたら、捨てる前になくなってるんです。
どうしてだか、、、分かりますね?(笑)
そう知りながら、どうして一昨年まで、こんな名案を思いつかなかったのか・・・。
玄関ではなく、こっち側にまく、という。
あの歌みたいに、ハトも来るし。
すずめも、喜んで食べてるみたいだし。
わたしは道路、そうじしなくていいし。(笑)
一豆三鳥くらい、いいことがついてくる気がする・・・。



空のいろ  1/25


昨日の黄昏時。
雨戸を閉めようと窓を開けたら、ほの明るい空に、おぼろ月。
電線を五線譜にして、ゆっくり、ひとつずつ、ぼんやりまあるい音を奏でていく。。


今日の夕暮れ時。
東の窓が妙に明るく光るので、開けてみたら。
ピンク色の夕映え。もくもくの雲。
美しさに見入っていたら、明るい月も。

日々、刻々、変化していく空のいろ。
とどまることなく連綿と連なりながら、うつろひゆくもの。
誰にも、何にも、平等に。
それは、人の心もようと、人生と、同じ。



日の当たるところ  1/24

冬至前後、陰になる場所が多くなる我が家の冬。
でもそのおかげで、太陽が少しずつ高くなっていくようすや、
日差しの角度や長さ、暖かさの変化に、
敏感に気付くことができるという、そして、早い春を感じられるという、
幸せなメリットがあります。


ここは、1ヶ月前には、日が当たらない場所でした。
ふと見ると、ワスレナグサの新しい葉がむくむくと。
お昼前のひととき、わずかずつ、日が当たるようになってきたのでしょう。
日差しのまぶしさと、新緑のきみどりに、思わず目を細める。
ちいさな春、到来。


10月の日記だったかな?
まだ小さくて、雑草と間違えられていた産毛だらけのふたばも、
わたしにときどき踏まれながら、こんなに大きくなりました。
あのかれんな花が、今からとても楽しみ。



おもしろ発言シリーズ  1/23

毎週水曜日、坊ちゃんたちが心待ちにしている、ウルトラマン。
時間前になると、ふたりでこたつの一番いい場所に陣取って、
折り重なるように寝そべり、肘枕で番組を待つ。(←ちょっとエラそう)
そしていよいよ始まる、本編前の番組案内。

テレビ   「俺は、ウルトラマン・ゼロ!」
小さい坊 「(うなずいて)知ってる。
テレビ   「きみは、パラレルワールドって知ってるかい?」
小さい坊 「それは、知らない。
テレビ   「パラレルワールドっていうのは…」
・・・・・
テレビと真剣に会話している小さい坊ちゃんに、
その横で声もなく爆笑する、わたしなのでした…。

また、先日。
ピアノのレッスンで、こんなことがあったらしい。(坊ちゃんたち・談)

小さい坊ちゃん、「狩り」という曲のレッスン中のこと。
勇ましい主題から、中間部(曲のまんなからへん)で曲想が変わり、
ちょっと静かで、不安なメロディーになるのだけど、
どうしてだと思う?と先生にきかれたらしい。
小さい坊ちゃん、答えて曰く・・・
「道に迷ったから。」

そんな答え、坊ちゃんが初めてだったと、先生にウケたらしい…。(笑)
小さい坊 「でもー、人それぞれやからー、べつにいいねんで。想像やし。」
まあ…タイトルが「狩り」だし、
獲物が出てきた、とか、今ねらっているところ、とか、
はたまた、野原で雲が出てきた、とか、
そういうのが一番、ありそうな答えだわね…。(笑)

それにしても、この話、、、思い出すたびに笑えてしかたがないのです。
なんだか、『注文の多い料理店』みたいで。
狩人たち…獲物もねらえず、慌てたやろうなー。(笑)
曲の最後は元の主題に戻るので、ちゃんと家に帰れてるといいな。。



窓辺の花  1/23

我が家の窓辺の、愛らしい花。


マトリョーシカならぬ、ショコラーシカちゃんは、
こんなふうにいつもつつましやかに立っていて、
お隣のおじいさんメトロノームを気にしています。

今朝、窓を拭こうと、ふと目をやると…


ショコラーシカちゃん、窓の外を見ていました。
今まで、メトロノームを気にしていたのではなくて、
ずっと、外を見たかったんだなーと、はっと気がつきました。
「ごめんね今まで、気がつかなくて。」
これからはときどき、外を見せてあげなくちゃ。


その脇のサボテンの森では、遠くふるさとの田畑と空を思ふやうに、
賢治先生とふくろうと猫が、じつと立つて(座つて)ゐるのでした。。



柴田トヨさん訃報  1/21

トヨさんの、ベッドに残されていたという、最後の詩に涙しました。
長い人生の最後に、
こんなにたくさんの人の心に響くものを残して、
注目を浴びたとたん、この世を去ったトヨさん。
あのお歳でしか伝えられないことを、
ご本人はなんの気負いもなく、けれど深い説得力を持って、遺していかれた。
生きるって、なんだろう。と、また深く、考えさせられる。。

先の芥川賞を受賞した、黒田さんも。
書いたものを積極的に世に送り出そうとしていたわけではなかった。
むしろ、理解されないだろうと、長年応募もしていなかったという。
会見の一問一答より、、、
「もし例外的な年齢でこういうことになりまして、
それが他にもたぶんたくさんいらっしゃる、
長年隠れているような作品を見つけるきっかけになるならば、
それがひとつの私の役割なのかと思って、喜んでお受けしたいと思います。
生きているうちに見つけて下さいまして、本当にありがとうございます。」
・・・すごいことばだなあと思った。

梨木香歩さんも、もともと作家になるつもりはなかったのだそうだ。
たったひとり、読んでもらいたいと思って原稿をわたしたある人が、
感想をきいた時にはすでに、それを出版社に送ってしまっていたのだそうだ。
しかも、その方に迷惑がかかると、そのことを長い間、黙っていた。

有名無名関係なく、すばらしい作品は、この世界のなかにたくさんある。
淡々と、気負いなく。自分の人生を、書いていく。
あまんきみこさんが坪田譲治さんに言われた言葉のように、
その人の「生」が織りこまれた作品こそが、
本当に、誰かの心に響くものになっていくのだろう。

あの日書店で、ふと開いたページから目が離せなくなった。
心がほどけるように力が抜け、涙がこぼれたトヨさんの詩。
それは、トヨさんの人生そのものでした。
こちらこそ、、、すばらしい詩を、ありがとうございました。




明滅するわたくし  1/20

助手席で、車のウィンカーの点滅をぼんやり見ていて、思ったこと。
人生は、結局、これと同じということ。
自分の中にいる神さまと、つながる時と、つながらない時。
明かりが点いたり、消えたり。
つながりっぱなしってことも、切れっぱなしってこともなくて。
その切り替え時が、気付きの時でもある。

笑えるのだけど、突然、551の蓬莱のCMに真理をみる。
551のある時、ない時。ある時、ない時。
明かりが点いたり、消えたり…
人生で、神さまとつながる時、つながらない時が、
お天気と同じで、くりかえし、くりかえし。
どちらがいいとかわるいとかいうことではなくて、ただ淡々と、お天気のように。
移り変わっていく。川が流れるように。
そして遠ざかり、消えていく。

"風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です"

賢治先生の"わたくしといふ現象"が思い出される。
それは、生きることの、呼吸。
わたしたちは、点いたり消えたりする、電燈みたいなもの。
いのちが失はれる時までただ、明滅しながら、ともりつづける。



西の魔女の正体  1/18

夕べ、BSで映画・「西の魔女が死んだ」を観ました。
20代半ば、『裏庭』から入った梨木香歩さん原作の、2008年の映画。
初読から10年以上経っていたので、公開当時、感慨深く観たっけ。。
そして不思議な巡り会わせで、その夏、義父母と旅した清里で、
偶然そのロケセットに出会い、大感激したのでした。
(その頃の日記、探してみたら、見事に抜け落ちてました。笑)


写真庫から探し出した、西の魔女の家。
おばあちゃんとまいがワイルドストロベリージャムを煮るかまども、
シーツを洗う洗い場も、外にちゃんと作られていました。


そして涙滂沱としてとまらない、あのラストシーン。。(いきなりネタバレ)

この映画公開の数年後、テレビでベニシアさんを知ったわたし。
瞬間、「この人、西の魔女だ!」と直感した。
さらに、台湾の大切な友人と、語り口がとてもよく似ていたこと。
さらに、その時見たエッセイのすばらしさに、「この人は、ほんものだ」と確信したこと。
(なにをもって「ほんもの」かといえば、魂の向かう方向の正しさ、という意味で。)
一気に親しみを覚えたのは、暮らしぶりよりハーブより、そんな理由からでした。

・・・数年ぶりに映画を観たらやはり感動して、古いこれらの写真を探しだし、
作品や作者のことを、あれこれ調べては、思いにふけっていました。
そんな情報の海で…「ええーっっ!!!」と絶叫するような文章に出会ってしまった。

梨木さんが、ベニシアさんの(英会話の)生徒だった、と・・・。
そして、西の魔女のモデルは、ベニシアさんだったと・・・。

まいのママ 「そうよ。あのひとは、ほんものの、魔女よ。」

そうか。
そうだったのか。
梨木さん、学校京都だし。英国留学されてるし。
ベニシアさん、京都市内で英会話学校されてるし。
思わぬ接点があったんだ・・・。

長らくの、西の魔女への憧れが、魔法の結末をもたらしたのか…。
自分の直感が間違っていなかったことに、
わたしも魔女になれるかも?!とかすかな希望を見出した、わたくしでした。


実は密かに西の魔女を目指し、修行中。
玄関にそのしるしをかけ、魔女修行ノート(映画パンフレットについてた)をつけています。
ノートのなかみは…ひ・み・つ。



ぬくぬく  1/18

今朝もこたつに、ふたり入っていました。


たこやきちゃんとしんじゅちゃん。
長崎で出会ったカステラちゃんから始まった、
"出身地自慢"シリーズのおともだちです。
ほどなく発売元がなくなってしまい(涙)終了になってしまったんだよねえ…。
でもここで、大事にされてます。
ようせいがっこうは楽しいし、こたつはあったかいし。
・・・よかったね。



ぬくぬく  1/17

今朝もこたつに、ふたり入っていました。


すぷーちゃんとにーにー。(ミッフィーと発音できなかった当時のまま。)
坊ちゃんたちの、1さいの頃からの、大事なお友達です。
入院にもついていったし、おかいもん(ごっこ)にもついていったし。。
ぬいぐるみたちの中でも、もう、盟友だね。



鳥たちのごちそう  1/16

昨秋にお隣の敷地の持ち主からいただいた柿を、
鳥たちのために、置いてあったわたくし。
昨日、最後のいっこを(もう、ジュクジュクの完熟状態)枝に置いてみた。
ほどなくトリたちがつついたようで、下に落ちてつぶれていたのを…


今朝見たら、トリたちが次々やってきては、それをついばんでいます。
乾燥したみかんの実や柿の皮ばかりの中、かなりのごちそうのよう!(笑)
メジロが飛んでいった後、ヒヨドリがやってきて、しっとりした皮ごと食べています。


ヒヨドリの後、すずめ登場。

そこにメジロちゃん合流。

木の陰から、すずめがもう一羽。

あっすずめさんたち、いっちゃった。

もうちょっと、食べよ。

そして誰もいなくなった…。


あとには、朝のお日さまが、にこにこと微笑んでいるだけでした。

おしまい。



影絵の世界  1/15


冬の朝、遅く目覚めた太陽と、わたしたち。
金色の朝陽が差しこんで、障子に木の影を映し出す。
この木に、鳥が飛んでくる。枝が揺れる。声が聞こえる。
影絵のバード・ウォッチング。
朝限定の、お楽しみ。



ぬくぬく  1/15


朝、こたつで足をのばしたら、ふわふわのまるいものがある。
なに?と思って、反対側をのぞいたら、
かめちゃんと、桜島だいこんちゃんでした。
夕べ坊ちゃんたちと一緒に寝ていたので、
ここまで連れてきてもらって、入れてもらったのでしょう。
前は、むーとモリゾーが、入れてもらってたね。
順番なのね。(笑)



小さい坊ちゃんのおあそび  1/14


小さい坊ちゃん、ひとりで静かにお絵かき。(注・5年生です)
何を描いてるんかなーとのぞいてみたら、こんなてんてん。番号つき。
わたし 「なに、これ?」
坊   「点でつなぐ絵を自分で作って、描いてる。」
やってることが、ヘンに高度やな〜。(笑)


(以下、原文ママ)
「目を書いて!」
「顔を書きこもう!」
で、自分で描くんや…。(笑)


気付いたら、冷蔵庫のポスターも一新されてました。



谷川さん&DiVa・ライブレポート  1/12

以下、長文。(笑)ご覚悟を!


谷川俊太郎さん&DiVaの、
"うたをうたうとき" 朗読と歌のコンサートに行ってきました。

DiVaは、現代詩を歌うバンド。
谷川賢作さん(作曲家・ピアニスト)がベースの大坪さんに声をかけ、
また大坪さんがボーカルのmakoring(まこりん)に声をかけ…で、始まったのだそうです。
俊太郎さんの詩は、合唱曲ではよくとりあげられるけれど、
ソロで歌われる形態というのがなかったために、
とても新鮮なものとして受け容れられたのだとか。
実際、わたしもこんな形態のコンサートは初めてで、、、なんと形容してよいのか!
コンサートと銘打ちながら、普通の形式の歌ではない、演奏だけでもない。
朗読だけではなく、音楽芝居のようで、けれど、ミュージカルでも、ない。
本当に、新鮮な感動をたくさんもらってきました。

舞台上では、俊太郎さんと賢作さんの、遠慮のない親子トークが炸裂。
「親父(哲学者・谷川徹三氏)が常滑の出身でしてねえ…その縁で、
 "かっぱかっぱらったの会"というのが、常滑にあるんですよ…」から始まって、
賢 「あなたいくつになりましたっけ?82?81?」
俊 「81。」
会場も、そのたびに笑いさざめいて…
「この詩はね!まじめに、聞かないでくださいよ!
 お子さんとかだと、笑って聞いてくれるんだけど、大人の人は、
 まじめに聞いてくれるもんだから…」と言いながら、
「ゆうぐれ」という、すごい詩を朗読してくれたり。(←笑ってよかったんだと知った。ははっ)
第二部の始まりには、"谷川俊太郎への質問コーナー"もあって、
会場から、たくさんの質問が飛びました。
気楽〜にかわす俊太郎氏。答えにつっこむ賢作氏。
会場 「きらいなものはなんですか?」
俊   「きらいなもの?・・・勲章!」
賢   「そういや、もらってませんね…」
俊   「現金のついてくる賞は大好きだけどね!」(笑)
俊太郎さんは、芸術家としてまつりあげられたくないのかなーと思いました。(笑)
そして、気さくに、気楽に、コンサートを楽しんでおられるのを感じました。

印象的だった話。
「詩を世に送り出す時、評価が怖くありませんか?」という質問に、
「まあ、締切があれば、どうしようもないですよねえ…」と会場の笑いをとってから、
「僕はかなり、推敲するんですよ。しょっちゅうパソコン開けて、
 かなりいじるので、これ以上、手を入れない方がいいなというところまでいく。
 あとは…評価は、読む人がするものだから。自分では、どうしようもないことだから。」
そういった答えをされていました。
・・・この言葉に深く深く、共感。
わたしの場合は、世間の評価はあんまり関係ないですが、
推敲していく中で、「これでよし!」という何か、腑に落ちる感覚があって、
言葉の力のバランス?が、つりあうような、ここだ、という位置が確かにあるのです。
(逆に言えば、そこに行き着くまでは、推敲の余地ありなので発表しません。)
谷川さんも、同じ感覚を持っておられるんだーと、恐れながらも感激…。
帰ってこの話をオットーにしたらば、
「あーそれ、俺もあるある。」
・・・あるんや。(笑)
「いろはがるたも、これ以上さわられへんなっていうところが、あるねん。」(笑)
ことばで表現をする人にはきっと、共通した感覚なのかもしれません…。

あと、「ご自身の作品の中で、好きなものはどれですか?」という問いに、
「ひとつというのは難しいんですけど…」と考えつつ、
「し○○…なんかは、よくまとまっているなと思います」と答えられ、
その時聞き取れなかったのだけど、語感を反芻してよくよく考えてみたら、
「芝生」じゃないかと…。(←わたしも大好き)
ポエムシリーズの絵はがきにもなっているので、きっとそうだ、ということに、しておきます。

朗読してくださった詩は、リクエストに基づいて選ばれていたので、
知っている作品が多くて、うれしかった。
いきなり、「二十億光年の孤独」。
「この詩を書いた頃は、まだ宇宙の直径が二十億光年と言われていて、
 火星人もいるかもしれないと言われていて…今では、百三十億光年と言われているし、
 火星人もいないって分かってしまったね。
 けれど、常に、広い宇宙の中に、ひとりぼっちの自分、という感覚があって、
 こういった詩を、書いた気がします。次の詩も、そのような感覚で書いたものです。」
そして、「朝のリレー」。
詩の半ば、中学生の自分の音読がよみがえり、不意に涙がこみあげる。
この詩に出会った時、作者自身の声で、これを聴く日が来るとは、想像もしなかった。
そして、その詩の背景にあった気持ちや感覚、まで、聞かせてもらえる時が来るなんて。
「ネロ〜愛された小さな犬に」の朗読のあと、賢作さんが、
「18歳だったあなたが、81歳になって、
 (この詩に書かれているように)すべての自分の質問に答えることが、できましたか?」と問うと、
「…実行力でね!実行力で、答えてます。理屈では、答えられないけどね!」と。
賢 「この詩は…若いですね。こんな詩は…今は、書けないですね?」
俊 「もう、書けないですね。」

昔々、30年のむかし、大人になったら、もっと詩がうまくなると思っていたわたし。
でも、年を取るずつ、その時にしか書けない、表現できないもの、感性の違いがあることに気付き、
自分の「生きている」感覚の、一瞬一瞬が、いかに大切か、ということに気付いていった。
詩を書くなかで教えられた、このことを忘れてはいけない、と、あらためて、おもう。
自分にとって、その時確かに存在した「真実」を見つめることの、大切さ。
これは、詩を書く以前の問題。
自分を「生きる」、ということの肯定。

第二部最後の朗読、「生きる」
淡々と、そして、粛々と。
この詩をすでに習っていた大きい坊ちゃん、(←注・ふたりとも一緒に聴いてました)
教科書は作品との大切な出会いの場所だけれど、
それは「学ぶ」ものではなく、「ことばで・声で出合い、心で感じる」ものだと、
どこかで気付いてくれたらうれしいな、と思いながら。。

賢作さんのピアノはジャズなのですが、やわらかくて、優しい。
それが自由自在に動きまわるベースと絡み、そこに…まこりんの歌声!!
胸にずぎゅーんと突きささり、抜けなくなりました。
恐らくCDで聴いても、伝わらないであろう、何かがあった。
なに?なに?これ…
ただ美しい声、巧い歌、というだけでない、それ以上の、何か。
打ちのめされながら、最後の歌を聴いた。
「さようなら」
・・・・・!
この詩とメロディー、どっかで聴いたことある〜!!
DiVaを聴いたのは初めてなのに、なぜ??
誰かが、カバーしていたのだろうか??
でも、これ、俊太郎さんの詩…
なぞめいた感覚を抱えたまま、第二部終了…。

アンコールでは、「103歳になったアトム」という新しい詩を朗読してくれました。
そして、ジャズ・アレンジの「鉄腕アトム」をフルコーラス、まこりんの声で、しっとりと。


購入したCD(朗読と音楽の親子共演)と、
こっそり持っていった、大学時代に買った詩集。
両方、中のページに俊太郎さんのサインをいただいてかえりました…。
恐れ多くて、写真には撮れませんでした…。
(CD表紙は、DiVaのみなさん。)

帰宅後。
ネットで調べまくり、4年前の「題名のない音楽会」にて、
親子共演があったことをつきとめ、思い出す〜!!
大きい坊ちゃんも、「あ、そういえば、見たな。」と…。
古い方のHDDレコーダーをひっぱりだし、テレビにつないで、録画を探す…。

あったぁ〜。これだ〜。
俊太郎さん 「僕、バンドの看板じじいなんです」(笑)
全部見て、コンサートで聴いた「さようなら」も確認、
まこりん〜!ここで初めて、聴いてたんだ…。
でもでも…今日のあなたの、生の歌声。
本当に、心に響いた。すばらしかったです。



ピアノ修行は続く  1/10

年末年始の喧騒をはさんで、しばらく遠ざかっていたピアノ。
譜読みはだいたい終わりましたが、運指が決まるほど弾きこんでもいなくて、
全体を通しつつ、曲想の流れと細かな練習法について指示を受ける。
これ、、、また、パズルを一から…という感覚に近い。
ばらっばらのピース。(=音符)
決してイヤじゃない。でも、わくわくとまで、いかない。(笑)
一歩ずつ。山を登るように。。


たとえば、このあたり。
左のベース音をつないだ旋律を歌いつつ、右も当然、主旋律を歌わねばならない。
(しかもその主旋律も、アルペジオの中に埋もれている。笑)
指が動けば、音符をたどれればいいというわけではなく…。
ロマン派といえど、左手を譜面どおり鳴らすだけの伴奏状態、ではいけない…。

これ…何も考えず、譜面どおりに弾いていた時期が長かったために、
とても苦労する部分なのです。
まず、聞き分ける耳がないもんね…。
それでも、訓練次第で身につくとか…。
同時に流れる旋律を全部ばらして、単旋律にして弾きながら、
耳で聞き、覚え、歌う(口と手と両方で)練習。
のだめも平均律でやってましたが、これ、、、本当に、根気が要る作業。
複数の旋律を同時に聴きながら弾き分ける、
いわば、聖徳太子状態が求められるわけです。


ここなどは明らかに、4つの旋律が絡んでいるので、
全部ばらしていっこずつ弾き、うたう練習…。(この場合のうたう、はピアノで)
最終的に合わせて、聴き分け、弾き分ける。
(これが同時に聴こえてきた時、前まで分からなかった
 その圧倒的な美しさに感動し、曲をもっと好きになるのです!)
もちろん横の旋律の流れだけでなく、縦のリズムも感じて作っていく。
そして速度も上げていき、曲全体を通して、曲想をまとめる。
・・・・・・
めちゃめちゃ山が高いの、お分かりでしょうか…。
(ピアノに関しても、凡夫ですから…。)
さらにはその中で、手の動きや脱力など、技術的なこともクリアしなければならない。
(おとなになってから気付いたことだけど、ピアノは、スポーツと同じ!)
本当に、緻密なパズルなのです…。
さらに、、、仕上げても、弾かなければまた、ばらばらに戻る恐ろしさ…。
(「曲を仕上げることは、穴のあいた袋にどんぐりを入れていくのと同じ」と、どこかで。)

書き出したらほんとにキリがないので、あまり触れてませんでしたが、
ピアノ修行はぼちぼちと、そして険しく続く…。という風情です。
時々のぞいているピアノブログに、「ピアノ学習のピーク」は、
何歳であってもやる気になった時!と書かれていて、励まされました。
いつのまにか自分で作ってしまっていた限界を壊して、
そこから先へ行ってみたい!というのが、今年の目標です。
千里の道も、一歩から。
雨だれ、石を穿つ。
何でもいいけど…遠いなー。(笑)
気長ーに、がんばろっと。



夜明け前  1/10


今朝の夜明け前の空。
うっすらと地球照の見える、月齢27.8の細い月。
東からそれを追いかける、明るい金星。
ドーンパープルの波が、その下にひたひたと広がっている。
冷たく、美しい冬の夜明け。



ついに完成・そして発表!いろはかるた2012  1/9

オットー、多忙で記録薄のなか、ようやく昨年のいろはかるたを完成させる…。
いやー今回も、笑わせて、また、ほろりとさせてもらいました。。
かなりここの記録も役に立ったようでしたが、そのつながりで、
ここに書いても分かるものを、いくつか…。

「は」 パキラ枯れど 金賞級の 復活す

あれですね。(笑)うまいですね。
8〜10月、パキラも坊ちゃんも、がんばってくれました。祝・金賞!

「こ」 東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅畑
    〜バイバイ 梅林〜

感心した一句?でした。
(梅林が我が家の東側にあったので)

「ゑ」 永遠に 咲く名作や カーネーション

オットーがはまりにはまった朝ドラでした。
どんなに忙しくても、帰ってビデオで観つづけてました。
彼にとっての金字塔・「ふたりっ子」をついに超えたとさえ思われる、神がかり的作品でした。

「つ」 C(ツェー)D(デー)E(エー) 時を奏でる 電波時計

6月ですね。これもうまいわ〜。またまた感心。。
どれもこれも面白さ満載で、大ウケでした。
毎年苦労するひらがながだいたい決まっているらしく、
そこに、数ある事件?を納めていくのにまた、苦心惨憺するらしい。。
11年目、投げ出さず踏み出した一歩に、賛嘆の声を捧げたいと思います。
お疲れさまでした。。



猫の手…カエルのしっぽ?  1/8

ベニシアさんの番組(「猫のしっぽ カエルの手」)が早春に終了と知って、
ちょっとがっかりしていたわたし。
4年かけてもう充分に、たいせつなことを伝えたとは思うけれど、
ふんわりとあの番組を見ているあいだ、ほんとに優しい気持ちになれたから。。

残念がっていたわたしを、晩ごはん食べながら、子どもたちが慰めてくれた。
大きい坊 「もしかしたらー、新しいベニシアさんの番組が、始まるんじゃない?」
わたし   「うーんどうかな…。そういう雰囲気じゃないささやかな番組やからなあ…。」
大きい坊 「BSじゃなくて、見やすい総合とかで。」
小さい坊 「つぎはー、『猫の手 カエルのしっぽ』とかで。」
大きい坊 「(笑)どっちもないやろー。」
わたし   「猫って手あるやろ?」
ふたり   「(声を合わせて)あれは手じゃなくて、前足と後ろ足やねんでー!」(爆笑)

ああ、大笑い…。
「猫の手も借りたい」っていうくらいやから、
猫に手があると思いこんでいた自分も、可笑しい…。
まあ、前足でも、手でもいいんだけどね…。
寂しい気持ちを和ませてもらった、ちいさな会話でした。



見つけたー!  1/8

ついに出会いましたっ。
あの市場もどきスーパーの山積みにはかないませんが、
特売コーナーの足元で、三段積みになってました。


れいの、くまモンの山。(笑)
嬉しげに携帯を向けるわたしに、店員さんは不審な目を向けていました…。
さ、撮影禁止ってことは、ないよね…。


ひさびさ、にらのニラコさん登場。
これは、ちゃんと買ってから撮りました。(笑)



Best Friend  1/7

昨年のお正月も同じことを書いているけど、
帰省してたくさんの人に会い、また戻って年賀状に目を通していると、
時空がねじまがったような感覚に陥り、呆然としてしまう。
まさに、デクノボー…
思考回路が停止する、この時期。

しーんと静かだった携帯も、日常のメールが入りはじめ。
その中に、旧い友達からのメールが混じっていた。
ほかと音楽を変えてあるその着信に合わせて、子どもたちが歌う。
「Best Friend」
彼らの歌声に慰められ、友達のメールに励まされ、
また新しい日々を、漕ぎはじめる。



「ならぬことはならぬ。」  1/6

「八重の桜」、第一回。
緑萌ゆる美しき会津の風景に、心奪われ。期待度・満点!
四人座りこんで真剣に観たあと、オットーが戯れにきいてきた。

オットー 「ならぬことは、ならぬ。…大阪弁やったら?」
わたし  「あかんもんはあかん。」
オットー 「(笑)…東京弁やったら?」
わたし  「だめなものはだめ。」
オットー 「(笑)…名古屋弁は?」
わたし  「いかんもんはいかん。」
オットー 「(爆笑)出てくるなあ…。」

家族全員、この会話に大ウケして、お芝居しはじめた。
子どもら 「鉄砲やりたいねん。」
オットー  「あかんもんはあかんっちゅーてるやろ!」
爆笑…。
子どもら 「鉄砲をやりたいんだ。」
オットー  「だめなものはだめって言ってるでしょ!」
爆笑…。
子どもら 「鉄砲やりたいんだがやー。」
オットー  「いかんゆーとるがね!たーけー!」(←注・「たわけ」)
爆笑…。
そのうちポーズまでつけだして、子どもたち、おなかを抱えて大爆笑。。
ああ〜涙が出るほど、笑わせてもらいました…。
今年の初笑い?
そういえば笑い納めも、大河ネタだったような…。



恋するキムチ  1/6

オットーが年末からそわそわと行きたそうーにしていた、
車で40分ほどのところにある街へ行ってまいりました。

ええ、、、オットーが、行きたそうにしてたんですよ。。8年前も。
当時押し寄せた70万人が、7人くらいになっていましたけど…。(笑)


しかも、今はイチョウがハゲボウズ。(笑)
これは7人くらいに、なるわねえ…。
でもおかげでゆっくり歩けて、写真も撮れて、楽しかった!
市民の方々の憩いの場になっていて、ゆったりとした時間が流れていました。


「学びの森」と名づけられた公園内を歩きながら撮った、
いつか木になりたいわたしの樹木コレクション。

目についただけで、こんなに!
集めきれてないものも、
きっとあるはず。。


並木道を抜けたところに、
なんと、ドラマで使用されたベンチが設置されていました!(←ほんと)
そしてそのベンチのテーブルには、マイタケが。(←うそ 笑)

調べてみたら、「冬のソナタ」以前に、
韓国・春川市の方から別の理由で姉妹都市提携を打診していたそうなのですが、
たまたまその街にこんなそっくりさんの場所があったなんて、ものすごい偶然!
たちまちブームの波にのって、市内を観光バスが走るくらいのお客さんが押し寄せたらしい。
そしてさらにその波にのって、
市特産のにんじんを使ったキムチを名産品にして街おこしを!の声が上がったらしい。。
さらには、その流れを下敷きにしたNHKドラマ「恋するキムチ」のロケ地になったそうなのでした。
(オットーが興味を示していたのはそのため)

「SAで休憩したのもよかったわー。お手軽な韓国旅行やったわー。」(爆笑 by オットー)

航空宇宙科学博物館や、日本さくら名所100選に入っている堤防など、
冬ソナやキムチを離れても、見どころはたくさんありそうな、この街。
次は、桜の季節にぜひ、訪れたいものです。
・・・もちろん!いちょうの黄葉・落葉の季節にも、ね。



おともだちとあそぶむー  1/4

この日記ではおひさしぶりのむーちゃんも、いっしょにお正月を楽しんでました。
おともだちとたくさんあそんで、たのしかったみたいです。


いつもおっとりむーちゃん・・・

じつは名ピアニスト!!


「お芋バナナじゃと。」

「ぜんぶ食べてしもうたのー」

…モリゾーも盟友に再会して、昔話に花を咲かせ。
楽しいお茶の時間を過ごしたようでしたよ。



大阪さんぽ  1/3

人ごみを避けながら、にぎわうお正月のまちを歩く。


昨春、名古屋のお友達みんなで訪れて以来の道頓堀川・夕景。
むかし読んだ『道頓堀川』(宮本輝)を、懐かしく思い出す。
夕空はどこで見上げても、吸いこまれそうな心持ちになる。


心斎橋筋から外れたところにある、ちいさなお店。
開いていたのが不思議なくらい、ここだけ取り残されたように、静かな空間。
むかし一緒に来た友達を、一緒に頼んだメニューを、懐かしく思い出す。
そして、遠い学生時代を思う。



寒北斗  1/3

あけましておめでとうございます。

2年連続で行ったカウントダウンコンサート(名古屋→大阪)が途切れ、
3年ぶりに、家での年越し。
それでも、ラジオのコンサート生中継(in 仙台)を雑音混じりに聴きつつ、
「大晦日」を共に歌い、今年も、さだまさしさんとともにカウントダウン。
年明け一曲目は、昨年と同じ、「春爛漫」
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

"幾つになっても 郷土へ帰るのはいいもんだ・・・"
「寒北斗」の歌詩が、胸に染みるようになった今。
30年近い昔、発売になったばかりのこの歌を聴いた時にはまるで気付かなかった、
歌詩の中に密かに仕込まれた「本歌取り」を、はっと見つけたり。
"古里の 窓に横たう 天の川" ≒ "荒海や 佐渡によこたふ 天河" (奥の細道・はせを)
幾つになっても、旧いものに新しい発見ができる自分でありたい、とあらためておもう。

一方で、変わらず飛ばしまくりの小さい坊ちゃん発言。
いとこたちと自宅カラオケに熱中の坊ちゃんとの会話。

坊  「低い声が出ない〜」
わたし「自分の高さにキーを合わせたら?」 ≠ 坊「自分の体積の二倍?」(爆笑)

お参りした、橿原神宮の空。


どんな状況にも、我慢ではなく、自分を慈しむ努力によって、
いつも平和で、あたたかな心でいられますように。
それがたくさんの人の心に、拡がっていきますように。