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今年も  12/30

たくさん書かせてくれて、ありがとう。
書くための刺激をくれたひとたち、みんなみんな、ありがとう。
そして、降りてきてくれた、文章の神さま、ありがとう。
こうして細かに書き残したことが、また数年後、数十年後に、
心のたからものになっていくのです。

日々書くというのには、確かなリズムがある。
ふと間を空けてしまうと、(もう、何度もそんな状態をごらんになっているでしょうが)
小さな感動の種を、拾えなくなってしまうの。
どこから何を書けばいいのか分からなくなって、またそのうえに日々は流れて。。
どんどん、(意図的にでない)筆不精への道が広がってゆく。
種を見つける目線、というのは、日々、続いているものなのです。
わたしの場合、それは、こうして書くことによって保たれている。
そしてそのおかげで、いちにちずつをたいせつに思って、生きていけるのです。
この作業(=客観視して見つめる)がなければ、
心は何も感じずにただ、現実を流れていくだけ、流されるだけ。
そして忘却の日々へと、埋もれてしまう記憶。

それを、書きつづけてこられたのは、
書くことへの刺激を、ずっと受けつづけることが、できたから。
読んでくださったみなさん、そして、
共に書くことで刺激をくださったお友達、
今年も本当に、ありがとうございました。
どうぞ、よいお年を!



来年への布石  12/29

実は11/11の発表会以来、休日皆無だったオットー。
深夜帰りに早朝出勤・時折帰宅できず、、、
遠い職場との往復に心配しましたが、
やっとやっとのお休みに。。長らく、お疲れさまでした。
そしてそろそろ、「我が家いろはがるた2012」の編纂に入っている、ハズです。。
(内輪ウケな今年の事件満載。完成するまで、家族に秘密。笑)

最近、ちょっとうれしかったこと。。
ふとしたやりとりがきっかけで、リアルとネットの友達それぞれから、
「言葉ってつくづく大事だなあと思う…私の関わる人たちと、
 一瞬でもいいから心を通わす言葉を交わしていこう」と、
また、
「言葉で思いを伝える大切さをあらためて思う」と、
別々の場所で、同じ想いを聞かせてもらったこと。
(ごめんね、ちょびっと、引用っぽくて。)
全然違う場所にいる(互いを知らない)ひとたちが、わたしとのやりとりを通して、
同じことを思ってくれて、そういう言葉をわたしに還してくれたこと、が、
心から、うれしかったのです。

あと↑に書いたように、(また、裏ブログ?にもちょこちょこ書いてますが)、
書きつづけることのしんどさとか、これでいいのか?という疑問とか、
「自身とずれのないことば」を探るのが、いちばん難しいこととか、
日本語に限っても表現の壁はいろいろあって、、、
それでも、まず表現しようとしなければ、伝わらなくて。
やっぱり、あがきながらも、書きつづけている。

けれど、まずは、「ことば」に結晶させる以前に、
ありのままのわたしと、表層で「ずれない、ぶれない」わたしでありたい。
そこから、「ほんとうの」想いが生まれ、「ずれのない」ことばへと結晶していく。
その結晶がまた、ありのままのわたしを支えるものとなりますように。
その循環が、確かな生きる道すじとなりますように。

わたしの、来年への目標と、布石です。

あ、あと。。
「フライパンとナベは、熱いうちに洗え!」
こちらはかなり現実レベルの、目標。。



笑い納め?  12/28

今年の大河ドラマ、吉松さん&舘野さんの音楽に心奪われるも、
あまりの暗さに、ほどなく脱落…。

わたし   「さあー『八重の桜』、いよいよやなー。
       予約しとかなあかんなー。パパも楽しみにしてることやし!」
小さい坊 「(おにぎり食べながら)・・・三重の桜?」
(・・・爆笑・・・)
わたし   「話、変わってるし!!」
大きい坊 「復興応援、できへんし!!」

わざとじゃないところが、可笑しいんよね…。
今年の笑い納め?まだ「来る」かしらん?
笑いの神さま…。(笑)



「図書館にて」  12/28

(↑「Sada City」中の一曲より。。)

今日で閉まってしまう図書館に、わたしひとりで、本を探しに。
先生に、あのあとメールで薦められた小説…。あったあった。
あと、オットーが興味を示していた、野球解説者のお姉さんのエッセイ。
ついでに、坊ちゃんたちの退屈しのぎに、なんか借りていこう〜。

そろそろ、推理モノ、どうやろなー。と思い、棚の前をうろうろ。
高学年から中学の頃って、推理小説にかなりはまってたっけ。わたし。

手始めに〜ホームズとか、ルパン?
あー読みにくいなー。字が小さいなー。
「まだらのひも」あーこれ、怖かったよなー。
こっちも…なんか、不穏やったなあ。
「ホームズの事件簿 上・中」、、、長いなー。下巻ないし。(笑)
アガサ・クリスティ…。
これは殺人事件ばっかりやしなー。血なまぐさいよなー。
(横文字の名前、人物多すぎて覚えられへんし…。)
あの頃狂ったように乱読した赤川次郎も、殺人事件多発やし。
江戸川乱歩は…どれも不気味やったしなー。
あっ懐かしい!ポーの「黒猫」。江戸川乱歩つながり。
でもなー。推理じゃなくて怪奇小説やし。気味悪いよなー。
(わたしは怖いもの見たさで、何べんも読んだけど…。)

そんなことを思ってたら全然選べず、、、
結局、坊たちの好きな星新一に手を伸ばしてしまった。
過保護なわたくし…。(笑)

あとは、、、
"トム・ソーヤ"を友達が読んでた、と興味を示していたのでそれと、
さだまさしさんの同名の歌にちなんで(笑)O.ヘンリーの「賢者のおくりもの」、
わたしも読みたい、河合隼雄さんもおすすめ・ケストナーの「飛ぶ教室」、
そして、推理じゃないけどわたしのおすすめ!
デュマの冒険小説、「モンテ・クリスト伯」。(=日本語訳の古くは「岩窟王」)
これ、小学生の頃購読していた雑誌に連載されていて、
めちゃめちゃ面白かったのです。続きが待ち遠しくて!
原作はものすごく長大な作品らしく、わたしはそれっきりなのですが、
児童書用に短くまとめた翻訳者の方のあとがきを読んで、
"「復讐劇」という分かりやすいタテ線でない、
ヨコ線に拡がるデュマの知性あふれる壮大な世界"をあらためて読んでみたい!と思いました。
(主人公、エドモン・ダンテスと神との対話とか。。)
神父さんが死んで入れ替わる、あの脱出シーン…
今思い出しても、ドキドキするなあ。。

ああ。。この、「ドキドキワクワク」って、すてきですよねえ…。
子どもの頃は、その気持ちで頭も胸もいっぱいになるのが楽しくて、
本やまんがを読んでいた気がします…。
だから未だに、図書館や本屋さんで、
背表紙をながめているだけでうれしくなるのでしょう。
(パブロフの犬状態…)
そしてまた、最初何を探していたのかも分からなくなるくらい、
あれこれ目について、どっさり借りて帰ってしまうのでしょう…。
・・・今日は2冊の予定やったのに。(笑)

今年最後の、図書館にて…。



最終回…  12/27

「冬のソナタ」終わりました…。はああ〜。泣いた〜。
このラストシーン、何回も見たという印象なんだけど(録画して)、
今さらと思いながらまた泣いてしまうのは、
役者さんのお芝居が、表情が、やっぱりいいからです。
それがはっきりと分かりました。
ストーリーが混みいってきて、もうええわー的なラストに向けての数回ですが、
そこは音楽の作る世界と、演技のよさで。。(笑)

音楽も、目を閉じて、ただ感じるように聴いてみたら、
挿入歌の間奏部分の弦アレンジやコード進行が、
非常にナベさん(さだまさしさんのアレンジャーさん)の雰囲気に似ている。
物語のキイとなる小さなピアノ曲も、
吉俣良さん(代表作「篤姫」・「江」)の、とある映画音楽を彷彿とさせることに気付く。
すでに自分の中に染みこんでいるツボ的音楽と、
似ている部分がとても多かったことも、心に響いた理由なのでしょう。
だから、韓国のドラマで唯一これだけが、心に食いこんだのでしょう。
(当時すすめられていくつか見たけど、長大さについていけなかった…。笑)

映像に寄り添う音楽って、重要ですよね〜。
それ如何で、好きか嫌いかが分かれることもあり得る。

「この十年で、はまった(心に食いこんだ)ドラマって、何?!」と、
こないだオットーと盛りあがったのですが、
その中のひとつが、「鹿男あをによし」でした。

このドラマでも、挿入曲が非常に印象的で、大好きだったのですが、なんと、
坊たちがはりついてみていた「ウルトラマン・メビウス」と、同じ作曲者だったんです。
確かに、ウルトラマンと思って聴けば、そのようにも聴こえる勇ましさ。
怪獣が出てきそうな、怪しさ。(笑)
耳なじんでいたから、ドラマにも、すーっと入っていけたのかも…。
(もちろんストーリーも、目が離せない!)

そして今、、、坊たちが隣で、「鹿男…」の録画DVDを観ております。(笑)
冬休みは、これ見たおしかな…。



あと5日で  12/26


交代だね…。
(右の隅っこに、うまとひつじもひかえてます)

坊ちゃんたちの新聞の記事に、見つけました。



「冬のソナタ」の面白さ・ふたたび  12/25

小さい坊ちゃんに、「冬のソナタ」の始まりあたりのあらすじを話したら、
「じゃあ〜その人が転校してきてなかったらー、
 ぜんぜん冬のソナタじゃなかったんやな。」(爆笑)
そんな…おおもとのところを、つっこまないで〜。
ドラマ、始まる前に終わってるやん。(笑)

あと2話(あさってまで)で終わりというところまで観て、
ついつい、第一話と第二話を観てしまった。
8年も経ったらすっかり忘れているようで、意外にせりふを覚えてもいて、
曖昧だったストーリーが戻ってきて、あらためて、すごい、と思った。
第一話が完璧に、ドラマの流れと結末の伏線になっている。
伏線というより、結論そのものがそこにある、という感じ。
先を見てから戻ったから、それがよく分かった。
そして、なぜこの人に辛く当たったのか、など、
後半の疑問を納得させる理由が、ちゃんとそこに描かれていた。

初めて観た時は、主たるラブ・ストーリーに引っぱられていったけれど、
今観ると、仲間のつながり、友情の、なんと温かいことか。
いろんな個性があって、それもまだ高校生ゆえに、むきだしで激しくて、
優等生もいれば、一匹狼的な子も、フレンドリーな子も、プライドの高い子もいる。
でも、けんかしながらもお互いを仲間として認めあって、一緒の時間を楽しんで…
いろんな人がいて、だからこそ、その世界は面白く、美しい。
そんなことを思い、知らず知らずのうちに、涙が流れて。。
先週観た(おとなになってからの)ストーリーでも、そんなシーンがあった。
そして、やっぱり、泣けました。

同じドラマで、違う視点で、見られるようになるのは面白いものだなあと思う。
もちろん、何度観てもいいと思うのは、テーマやストーリー、構成の力だけではない。
なんといってもドラマ全体に寄り添う音楽、そして風景の美しさ。
それらの、脇役とは言いがたい活躍ぶりは、目をみはるほど。
あの空気感の中にいたくて観ている、と言えるくらいに。

小さい坊の言うように、現実に照らしたらありえない、
ドラマらしい設定の「嘘」は、いくらでも見つかるかもしれない。
けれど、それが観る側の心を揺さぶる時、「嘘」は「真実」を生む。
そんなドラマに、こうして再び出会えた、幸せ。



メリー・クリスマス  12/24

手のこんだものを作る気合がなくて、
切り株ふう・いちごのロールケーキになりました。
with いちごサンタ。


・・・今年は、ひび割れませんでした。(笑)

坊ちゃんたちから、メリークリスマスのプレゼント。


↑見出しのロゴに雪が積もってる〜。
 モリゾーが、ウキシロたち(注・架空の動物)をうがいに連れていってます。

いつも誕生日や記念日に、新聞を書いてくれる坊ちゃんたち。
もう何年くらい、続いているでしょう。
ふたりで協力して、ぬいぐるみたちの通う「ようせいがっこう」のできごとや、
クイズや天気予報などを、おもしろおかしく記事にしてくれるのです。
できあがった瞬間のこと。
一緒に筆を動かしていたふたりが、「はあっ」と息をはいて、
同時に「かーんせーい!!」と叫んだの、まさに、「阿吽の呼吸」でした…。

夕方。
クリスマスだし。。と、シベリウスの「樅の木」を弾きました。
うーんいい曲。大好き。
(これは昨年の発表会で弾いたので、昨年の日記に置いてあります。)
やっと録音した今年の曲…鈍らないうちに。
これもまた…きれいなんですよねえ。。
  * シベリウス 「ロマンティックな情景」Op.101-5

おまけ、、、川上ミネさんの、「道」も一緒に録音してみました。
(ベニシアさんの、エッセイのBGMです)
トップページと同じ、期間限定の、クリスマス・プレゼントでーす。



おもしろ言葉大賞・ノミネート  12/22

ふと思いついて、坊ちゃんたちにきいてみた。
 「あー今年も、おもしろいこといっぱい言ってたなあ…。
  一番、おもしろかったのって、どれ?」
・・・もちろん、「小さい坊ちゃんの」発言です。(笑)

大きい坊ちゃん 「うーん。『夏の夜の9時級に、暗い。』かなあ…」(笑)

これ、ここに書いてなかったですね。。
先月末にお出かけした帰り道、最寄り駅から歩いている途中で、
「もう、暗くなるのが早いねえ…」と言ったわたしに応えて、
真顔で、「夏の夜の9時級に、暗い。」(爆笑)

わたし 「ママは、『だんごと焼きせん、、、合わせたんやけど…おいしかった。』かなあ。
     ・・・あっ『平井鰹』さんも。」
大きい坊 「『平井鰹』さんは、けっこう面白かったけどなー。」

・・・ただいま、候補を考え中。
そしてスケートを観ながら、流れる音楽に反応するわたしたち。。

わたし   「あっ!!『セロ弾きのゴーシュ』やっ!!(by さだまさしのイントロ)」
大きい坊 「ほんまや!思いっきり、『セロ弾きのゴーシュ』やっ!」
小さい坊 「『白鳥』やろう。(by サン・サーンス)」(爆笑)

はっはっは。まじめなつっこみも、きみが言うとなぜか可笑しい・・・。



バードウォッチングと通知表  12/22

朝。
メジロが近くで鳴いているので、どこかな?と窓をそっと開けてみた。
隣地の柿の木ほど近くなく、梅林は駐車場になったので、とまるところがない。
声を頼りに見上げてみたら、電線に、一直線に13羽が。(笑)
シルエットだけど大小で見分けがついた。
メジロ7羽、すずめ6羽〜。
横並びして、鳴きあってるの。
なんだか、笑えました。。

終業式だった夕べ、子どもたちが寝てから、ゆっくり通知表を見た。
そしたら、すごいことに気がついた!!

小学校と中学校で、文章表現は異なるけれど、
「行動について」の評価項目が共通していて、
それぞれ同じ項目に○がついていました。(それもふたつも)

ひとつめは、
自分の役割と責任を自覚し、信頼される行動をする。(小学校)
自分の役割を自覚し誠実にやり抜き、責任を負う。(中学校)

ふたつめは、
思いやりと感謝の気持ちをもち、みんなと助け合い、集団生活の向上に努める。(小学校)
思いやりと感謝の心をもち、自他を尊重して共に協力し合う。(中学校)

これって・・・
彼らが、お互いに、お互いの関係の中で、育てあってきたことなのだなあと、
胸がいっぱいになりました。(プラス、ぬいぐるみたちと…)
遊びでもなんでもふたりで相談して、主張したり譲ったりしながら、
お互いの意見を折衷して、決めて、行動して…
そのくりかえしが彼らのなかに刻まれて、
社会生活の中で自然に発揮できていたなら、
本当にすばらしいと、しみじみ感じたのでした。

子どもは自分のちからで大きくなっていくんだなあ、と、
(プラス、ぬいぐるみたちと…)
またあらためて感じた、通知表でした。



冬至  12/21

久しぶりに見た0655(ETV)で、「今日は、一年でいちばん、昼が短い日〜。」と。
(子どもたちの動きが遅くなるので、最近、朝はテレビがつけられない。。)
今日は冬至だったと気付く。
ふと、今日あたり、ウワサの"マヤ暦"終焉の予定?だな、とも…。

そしてそのまま始まった、「シャキーン!」を見ていたら、
これまた久しぶりの、あのコーナーが!(2009/2/2&13の日記参照)

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せまりくる終末へのカウントダウン

荒れはてた地にただ立ち尽くす

我々はまた同じあやまちをくりかえすのか


 (映像)散らかった部屋で掃除中の家族たち

 大掃除

 COMING SOON


もっと早くから、始めておけばよかった…

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そう、あのなつかしの、「カミングスーン」のコーナーでしたっ。
(映画の予告篇を模した、あのコーナーです)
しばらく(ここ2年くらい)見かけなかったんです。
先々月あたり、大きい坊ちゃんが偶然「白い息」のカミングスーンを見たらしく
(「この冬 我々の体から噴き出す 謎の白い物体…」 笑)、
「まさかの復活!!」と喜んでいたのでしたが、
いつ、何が放送になるか分からないので(しかも期間限定)、
ずっと見ていないと、見逃すんだよね…。残念なことに。

それで。
まずこの一行目の文字を見た時に、"カミングスーン"なものを、
「マヤ暦」かっ?!と思ったわたくし、
「大晦日」やろ、と言った坊ちゃん、
ふたりとも、はずれでございました。(笑)
連想って、面白いね…。



全音符の難しさ  12/20

譜面上、一番簡単そうに見えるけれど、本当に難しいのは、全音符だと実感。
クレッシェンドやビブラートで音を保持できる管や弦と違い、ピアノは減衰していくだけ。
一小節間、押さえてのばすだけの音に、何をこめるか。どう、こめるか。
無表情でなく。もちろん饒舌でもなく。
その、ただのばすだけの音に、どんなふうに、何を。
数小節の、こんなわずかな空間にも、生きることの縮図を見る。
この曲では"嵐の予感"を、不安を煽るような低音の動きの上で。

和音もアルペジオも旋律が流れるように手直しつつ、レッスンが終わる頃に、
これいいんじゃない、すごくきれいに仕上がると思うよ、、、
そう先生が言ってくださったのが、
とても嬉しかったし、救いだった。

わたしはもう、"美しいもの"を、はっきりと見つけたから。
それを目に映して、生きていくだけ。
たとえ、嵐が来ようとも。
見失わない、美しい世界。



ウルトラマン、深い・・・  12/19

テレビの話題つづきで…夕方。
坊たちが毎週楽しみにしている、『ウルトラマン列伝』。
真剣に見ているふたりを横目に、テレビ下の引き出しを開けながら、
ふと、耳に入ったせりふにひっぱられた。

ウルトラマン・ダイナ(に変身する前の、つるのさんです 笑)が、
今はいないウルトラマン・ティガについて、かつての隊長に話を聞きにいくシーン。

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「ティガのこと、俺に教えてもらえませんか?
 もしできるなら…俺はティガに会いたい。
 会っていろいろと聞きたいんです。なぜそんなに無敵だったのか。
 どうして世界を闇に包み込むような、強大な敵を倒せたのか。」
「…残念だけど、わたしにその希望は、叶えられないわ。
 …でも、もし会えたなら…きっと、こう言うでしょうね。
 『俺は、決して無敵なんかじゃない』って。」
「え?」
「ティガが勝てたのは、その本質が、光だったから。」
「光?」
「…それは、誰の中にもある。もちろん、あなたの中にも。
 たくさんの人の光を輝かせる力が、ティガにはあった。
 だから、どんな恐ろしい闇にも、立ち向かっていけた。」
「たくさんの、人の光…」

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うーむ。思わず、うなってしまいました。。
なんて深いせりふなんでしょう。
自分もふくめたすべての人の光に気付き、輝かせることで、
どんな闇をも、恐れずにいられる。。
"一切衆生悉有仏性"でも、
"人はみな神の子"でもいいけど、
宗教を超えてたいせつなこと、真理が、ここにある。
それを、ウルトラマンが、暗に教えてくれる。(笑)
40年以上続く人気も、分かる気がするなあ…。
1月に書いた、「完全生命体イフ」の話も、深かったよね…。
「攻撃には、攻撃を。音楽には、音楽を。」
投げかけたものが、還ってくる法則…
すごいわ。ウルトラマン、バンザイ!



冬のソナタの日々・ふたたび  12/19

ちらっと見はじめたら、つかまってしまった。。
今見つけた日記、ちょうど8年前の12月。
読み返しても。。なんか、引力があるみたい。
わたしと、このドラマ。

今朝も見ようとテレビつけたら、チャンネルバッチリ。
(昨日はあれから、誰もテレビつけへんかったんや。笑)
音声を韓国語に切り替えて、字幕のみにする。
それでもCMのたびに家事に戻りつつ、また続けてみるのだけど、
最後の20分ほどは、画面から離れられなくなる…
・・・・・おそるべき集中力。

ラストシーン。
「思い出したんだ。言いたかった言葉。」
・・・・・
あー。もうだめ。のどにぐっとこみあげてきて、すすり泣く。
泣きながら「せつないなあ…」とひとりごちて、テレビぶちっ。(笑)
(わたしがこうだからか、子どもらも「ドラえもん」終わったら、
 「おもしろかったー」ぶちっ。笑)
鏡を見たら、目から鼻から真っ赤でした。
どうしたん?なにがあったん?っていうくらい…

うん。冬ソナがあったの…。



『食といのち』  12/18

辰巳芳子さんの新しい本を、図書館で予約していました。
返却期限の本日、読了。


対談本だったので、一度読んだら満足するだろうと思っていたのですが…
対談相手は、生物学者、倫理学者、看護師、小児科医。
これが、、、深くて、深くて。
「食」と「いのち」を軸に、元素から魂の話まで…
「科学」と「宗教」はいつかひとつになるだろう、というところまで。
「生きる」ということの真理に根ざした、すばらしい本でした。

単純に食べものをカロリー計算でとらえようとするならば、
大事なものを見落とす、ということや、
炭水化物や脂肪を構成するC(炭素)を大量に収穫するために、
たんぱく質を構成するN(窒素)を地球レベルで浪費していること、
(これは木村秋則さんも、肥料のことで触れられていた)、
そのことによって、地球上にアンバランスが生じていること、
そんな科学的な話から、
社会的に頑張っている人で、食事のことなんかかまっていられない、
というような人たちが、今の世の中には多いということ、
日頃の食べ方には、先祖代々の物の食べ方が深く関わっている。
だから、人は自分のためだけに食べていると思ったら大間違いだ、とか、
"よい食べもの"によって、"いのちの肯定"ができる。
死に臨んでいる人にとって、それはとりわけ大切、ということや。
・・・・・
ここにはとても書き尽くせないけれど、
「食べたものが、その人をつくるのだ」ということを、実感しました。
経済活動が先なのか、人間らしく生きることが先なのか。
連関するそれらを、どうつなぎ、よりよくしていけばいいのか。。
これは、日常でも、いろんな場面で感じることなのです。

理想のビジョンがなければ、前に進めない。
ちゃんとできない現実に失望もするけれど、「がっかりしないで、次!」
それは、以前も感じたこと。
日常生活で、自分にできることを考え、実践していこう、と、あらためて。

最後に、倫理学者の先生のお話にでてきた、
心に深く刻まれた、ある学校の記念碑のことばを。

すべてのものは過ぎ去り、そして消えて行く。
その過ぎ去り消え行くものの奥にある永遠なるものについて静かに考えよう

--- 日常 ---

わたし   「今日、大根葉買ってきてん。ふりかけと温浴剤にしようと思って。
       …大根って、根っこなんかな?」
小さい坊 「そらそうやろ。大きな根って書くやん。」
わたし   「ほんまや〜(爆笑)」

食?についても、おとなよりあたまが柔軟。
ほんとに、坊ちゃんに教えられることが多い毎日です。。

さあ、、、大急ぎで、図書館に返しにいってきます。



ゴミ?  12/18

朝、子どもたちが登校した後、廊下の隅に見つけた小さなゴミ。
ホコリ?糸くず?と思って拾いあげたら…
なんと、ちいさな「小さい坊ちゃん」でした。


わははっ。ひとりで涙・涙の大爆笑…。
(↑大きさ比較のため、日めくりに載せて撮影。)
坊ちゃんたち、集めている野球選手のカードに似せて、
自分たちでも、カード制作に勤しんでいるのです。
そのために、こういう写真を撮影して(ズームで大きさ調整)、印刷して、切り抜くの。
ずいぶん前に作ったのが、どこかから、はがれおちたんでしょう。
ああ、それにしても、、、
「あれ、ゴミ??・・・なんだー小さいいじゅかー。」
こんなことって…ああ可笑しいー。

そんな坊ちゃんたちの、新しいおあそび…。
突然、「昨日の新聞、使っていい?!」ときくので、なにかなーと思っていたら。
丸めて竹刀(≒紙刀?)を作り、剣道を始めました。(笑)
「どう、どう、どう、どう!めん、めん、めん、めん!」
攻めまくりの小さい坊ちゃん…。負ける大きい坊ちゃん…。
(深夜、オットーに話したら大爆笑…。「気合だけか!」)
ふたり 「あーいい汗かいたわー。」(爆笑)
室内で、どんな運動量やねん…。
頼むから、障子破らんとってね…。(←いちばんに破ったのは、わたくしですが 笑)



サンタのおんがくかい  12/17

全画面、ひさしぶりすぎて、やるのがおそろしかったけど、
あまりに可愛らしいので、ちょこっと期間限定で、やってみることにしました。
ブラウザの環境しだいで、崩れるよねえ・・・。
崩れたら、ごめんねえ・・・。
あまりに困ったら、、、ご一報くだされ。(笑)



My Memory…  12/16

「ハラゴシラエして歩くのだ。」

・・・そう、まるで、あの映画のポスターのような。
あの、フィンランドの湖畔の風景のような。
なぜかとても、よく似てる。。ここ。



それだけではなく・・・
朝の光の中、風にはらはらと木の葉が舞い落ちる、この風景。


「冬のソナタ」サウンドトラックをかけながら走ってきて、大ウケしつつ感激。
一昨日見たシーンと、B.G.M.も景色も、一緒やん!!
思えばここは、三度目4年ぶり。
余裕のなかった前回まではそんなこと、思いもしなかった。。

坊ちゃんたちのおもしろ会話。
大きい坊 「・・・(演奏を終えて席に戻り) あー緊張したー!!」
小さい坊 「笑顔が、かたくるしかったで。」


ロケーションのすばらしいこのホール。
大通りからそれたとたんに、驚くような森の中。
子どもたちのピアノ演奏の後ろで、鳥の鳴き声が聞こえる。
深呼吸したくなる、あたたかな冬の日。



Live This Moment  12/14

かばんにのせた、昨冬のかぜのおとしもの。
一緒に、銀世界を越えていこう。



死を予見して去る生命もあれば、
津波の時のように、突然奪われる生命もある。
「最後の一週間」をどう生きる?
生命ある時間に、本当にしたいことは何か。
最後の一週間までそれに気付かずにいないで、
先延ばしせず、今、この時を生きる。

自然をたいせつに。地球をたいせつに。
残暑の名残で狂い咲きした水仙を、引っこめることはできない。
"人間は、自分たちが腰かけている枝を切り落とそうとしている"

問題は、誰でも何かしら、抱えているもの。
そればかりに目を向けていては、美しい自然が、世界が、見えなくなってしまう。
いつか解決する時がくるまで、それを少し脇に置いて、
美しい自然に目を向けてみましょう。

"May your days be merry and bright
 And may all your Christmases be white "




バードウォッチングと朝の会話  12/14

連日、マイナスの冷たい朝。
結露した窓を開けたら、柿の木にやってくる小鳥たちの観察。
今朝は、メジロがいた〜。2羽。かわいい声だと思った。ひよひよひよ。
大きなヒヨドリもいて、無言で柿の実を食す。そして、相変わらず敏捷なすずめ。
ヒヨドリが立ち退くと、メジロがその実をつつきにいく。
ひよひよとかわいい声で鳴きながら。
あわただしい朝に、ついつい、見入ってしまうのだ。。

「う〜ん。来週いっぱいくらいか〜。」
朝ごはん並べながらひとりごとを言ってたら、大きい坊ちゃんが、「なんのこと?」と。
「冬ソナ。」
「冬ソナ!見てんの?」(笑)
「そう。偶然見つけてん。それが不思議でなー。
 基本設定が、字幕と吹き替え、両方同時やねん。
 でもまったく同じ言葉でも、ないねん。」
「ふーん。できるだけたくさんの人に見てもらおうと思ってるんやな。」
「?!・・・な、なんて?」
「ばーばが言ってたけど、もう目が悪いから、字幕の字が多いと、ついていかれへんねんて。」
「ほお。。」
「でも、小6の時、字幕か吹き替えどっちがいいって、友達と話した時な。
 だいたいの子が、字幕がいいって言うねん。声が替わらない方が、見やすいって。」
「へええ…(←めっちゃ感心してる)」
「だから、幅広い世代の人に見てもらえるように、そうしてるんとちゃう?」
・・・・・
彼の頭の中では、ばらばらに置かれていたであろう、
世代を超えた事情聴取をつなぎ合わせ、自分で考えて結論を導き出し、
この状況に、当てはめて答えられるとはっ!

「Oくん?Dくん?」の時の推測といい、
与えられた情報を自分なりに整理して、
理論的に考える力がついてきたんだなあと、感心しきりでした。



今日の天使たち  12/13

おそるおそる持っていった、新しい曲。
冒頭に、ドイツ語で"極めて速く"と、指示された曲。
速くはないけどこわごわ通して弾いたら、
「弾けるじゃん!来年、発表会で、弾く?」と。
あっさりと先生が認めてくれて、ほっとした〜。(でも肩と腕ガチガチだった)
ああ〜。力が抜けた。。

ポストの中に、再び、仲人さんからのおはがきが。
先のお便りは、どうやら、郵便物についてだけのお礼だったらしく、
あらためて、お歳暮のお礼をくださったよう。
ああ〜。
うれしさと申し訳なさで、急ぎ、メールをする。
あの"Oくんの話"の詳細。
同じゼミ仲間の友達(おとどけものの彼女)の近況と写真。
読んだ本のこと。
いろいろ、伝えたかった、手紙に書ききれなかったことを、長々と。

夜、返信をいただいた。
気になっていた、『さるのひとりごと』の"よみ"についても。
あたたかいお返事に心がほかほかして、泣きそうになった。
筆跡からあたたかさが伝わる手紙もいいけれど、
たくさん書けるメールの近しい空気感も、いいものだなあ。。
何より、先生とこうしてやりとりができる、ありがたさ。

ちょっと落ちこんでいたわたしの、今日の天使たち。
ありがとう。



懇談会  12/12

大きい坊ちゃん、中学初の個人懇談。
三者面談なので、一緒にでかける。
道中、坊ちゃんが、
「あ、先生と話す時な。」と突然切りだしたので、なに?と思ったら、
「名古屋弁になるかもしれんけど、そのへん、気にせんといて。」だって。(爆笑)
どんな前置きやねん…。
ついでに、
「先生に、話してほしいこととか、逆に話してほしくないこととか、ある?」ときいたら、
「そやなー。特にないけど、野球にはまってることは、言わんとって。」と。
「野球部に誘われるから?」
「うん」
はは…担任の先生、顧問なんです。
坊ちゃん(たち)は観戦専門の野球ファンなので、プレイに誘われると、困るらしい。
間宮兄弟か…きみらは。(笑)

懇談そのものは、滞りなく、時間もかからず、終わりました。
クラスの友達みんなと仲良くしていること、授業も生徒会も頑張っていること、で、
もう充分、充実した学校生活を送っていることが分かるから、心配もなし。
家でも、よく話をするし。よく食べるしよく寝るし。(笑)
今しかない時間、楽しく過ごしてくれたら、それで充分。
そしてまた、わたしがそんな坊ちゃんと一緒に過ごせるのも、今だけ。
あのタイムスリップの時のように、、、大切に過ごそうと思いました。

帰りみち…
「とにかくなー。人生のゴールは、死ぬときや。
 死ぬときに、『あーいろいろあったけど、楽しい人生やったー。』と思えるように、
 それを頭の片隅に置いて、何でも、やっていくんやで。」
そう坊ちゃんに言いながら、同時にそれは、自分への言葉でもあった。
そう、わたしたちは、同士。
与えられた時間いっぱい、共に、成長していこう。



現代曲?  12/12

下の日記から、アインシュタインが頭から離れなくなったわたしは、
突然坊ちゃんたちに、ある歌の歌詩の、記憶が曖昧な箇所を振ってみた。

わたし   「♪アインシュタインのお気に入りって♪(byさだまさし)・・・なんやった?」
大きい坊 「♪アインシュタインのお気に入りってじまんしてたヘーデルじかけの
        水のみ鳥の〜となーり〜♪」
小さい坊 「♪たぶんガーベラーらしきホンコンフラワーの下でほほえんーでいたー
        ふりそでーすがーたーのーきみー♪」
ふたり   「♪ああーとーきめーきは〜 そーこーから〜だーったね〜♪」
わたし   「・・・・・すごいっ!『廣重寫眞館』か!」
ふたり   「せやで。"♪ヒロシゲシャシンカンが今日で終わるって♪・・・"」
わたし   「よう覚えてるなあ。」
小さい坊 「さだまさしのー、現代曲やったらー、だいたい、おぼえてる。
わたし   「(爆笑)・・・さだまさしの、古典とか、現代曲とか、あるんや?」
小さい坊 「ジャズとかはー、わからんけど。印象派とか。」
わたし   「さだまさし、『印象派』ってアルバム、ほんまにあるで〜!」

古典も詳しいくせに〜。(笑)大ウケしつつ、その表現に感心しました。
彼の中では、「さだまさし」っていう、確立された単独のジャンルになってるらしい。(笑)
じゃあ、せっかくやから"廣重寫眞館"聴こう、ということで、
「なんのアルバムやったっけ?」ときいたら、「Sada City!」と即答されました。
すごいわねーきみたち。「現代曲」は、完敗ですわ…。

ひとつだけ、つっこませてもらうとすれば、
「ヘーデルじかけ」じゃなく「エーテル仕掛け」なんだけどね…。(笑)

昨夏の日記(2011/7/21)で、
「ヒロシゲ・ブルー」について調べた話を書きましたが、この歌のことでした。
ほんのりあたたかくて、少し寂しくて。そして、やさしい。
アルバム「Sada City」で、いちばん好きな歌かも。
どの曲も、捨てがたいけどね…。

歌詩に配置されたアインシュタインにベンヤミンに賢治にフェルメール。
ホンコンフラワーは、造花のこと。
パサージュ論って何?
E=mc2って、相対性理論やったんや。。
そして、ヒロシゲ・ブルー。
いろいろ調べながら、聴いてます。

小さい坊 「ママ?"真珠の耳飾りの少女"の、まねして描いたよ?」
小さい坊 「ママ?ベンヤミンって、誰?」

・・・ハイ、画伯。まだまだ、勉強させていただきます…。(笑)




ア・コース・イン・ミラクルズ  12/12

今、目の前にあることだけが確かな現実で。
過去も未来も、自分が感じられない範囲の現在も、
すべて頭の中にあるだけの、幻想。
そうだった、と、その文章を目にして、思い出す。
そのことをすっかり忘れて、妄想のとりこになっていないか。
自我のフィルターをとおして歪んだそれを、現実だと思っていないか。
時折、頭をからっぽにして、こころとからだに確認する。



I Love Vegetable!  12/11

夕べ、料理しようと手にしたみつばの袋を見て、びっくり。


大あわてでかごに入れた中の、ひとつだったんです。
それが…持ち帰ってみれば、「愛の野菜」。
これはもう、野菜への愛が感じられるどころではありません。
こないだあんなことを書いたら、
はっきり、「I Love Vegetable」と宣言されてしまいました!(笑)
お返事を受け取ったようで、キッチンでひとり大ウケしたわたくしでございました。


・・・「愛知県産」って、ここにも、愛があるしね!(笑)

いつも思ってますが、「愛を知る」って、いい名前だよね。
(由来は、万葉集より「あゆちの水」(湧水)から、など諸説あるようです)
全国一の工業県である愛知県ですが、意外にも、全国6位の農業県でもあります。
(大葉の出荷量全国一で驚いたこと、以前しそジュースの時に、書きました。)
花も全国一。野菜4位、乳業、鶏卵は7位。すごいでしょ?
さらに、知多の海も、近い。
名駅周辺はくらくらしそうな都会ですが、
おいしいものがたくさんあって、とてもよいところ。
住めば都とはこのことねー。
理想的な「地産地消」、地元の新鮮な野菜がたくさん食べられて、幸せです。



おてがみから  12/11

仲人さんから、お礼のおはがきが届きました。
季節のごあいさつの手紙と、同封物が無事に届いたようです。
そのなかで、わたしが手紙に書いた、あのできごとについて、
とても喜んでくださっていました。(11/28 「Oくん?Dくん?」の話)
"最近では100円ショップでも、印鑑を見かけるようになり喜んでいます"とあり、
やはり、そんなに多くない苗字なのかな?と思った。
そして、さらに、あの時の偶然が、意味のあるものに思えてきたのでした。。

同封したのは、子どもが学校から持ち帰った「こども新聞」で、
新美南吉の特集記事が載っていたからなのですが、
その後ろに、読書おすすめコーナーがありました。
その中に、関西弁らしき一冊が。


図書館で予約して、取り寄せました。
小さい坊ちゃん→大きい坊ちゃん→わたし、とまわし読み。
地元愛あふれる、さわやかな読後感のお話でした。
今江さんや灰谷さんのような、関西弁の作品を愛される先生も、
注文してみます、とお返事に書かれていて、うれしかった。

少し前、松谷みよ子さんの「さるのひとりごと」という作品を薦められ、
「人と言葉」の問題を考えさせられる、とおっしゃっていた先生。
これがせつないお話で…未だ、わたしには分からないところがあるのです。
あのかには、本当に、生き返って返事をしていたのだろうか?
それとも、かには死んだまま、さるが自分で返事をしていたのだろうか?
いややはり、どんなことをされても、かには返事をしつづけていたのだろうか?
どれにしても、あまりにせつない…

先生のお話をもっと、ききたい。
しみじみと、そう思いました。
そして、こうして今も、少しでも作品についてやりとりできることが、
本当にありがたく、うれしく思えるのです。




日常のなかに  12/10

日常の何気ない風景の中に、どれだけたくさんの物語を見つけられるか。
それは、どれだけ幸せをポケットにつめられるか、のかぎのような気がする。
もしかしたら、イコールかも。

今、ふと、思ったこと。



初雪  12/10

初積雪。


午前9時、まだ外は1℃の世界。
窓もいきなり盛大に結露していて、ふええ。となる。
にぎやかなしずくくんたち。
静かに雪が降りしきる朝。


たまたまテレビをつけたら、夕べオットーが見たまま、民放になっていて。
なんと、冬のソナタ新編集版をやっていた。
初雪の日に、これが見られるとは。
季節感と懐かしさで見入っていたら、不思議な構成になっていることに気付く。
字幕が出てるのに、吹き替えなの。
または、吹き替えなのに、字幕が出る。
なんで?(笑)

物語はすっかり中盤にさしかかっていて、
おぼろげな記憶をたどりながら、終わるまで10分ほどを見た。
音楽、やっぱりいいなあ〜。
楽譜、出してこようかな〜。(←こればっかり)
そして、初めて見た時と、気持ちが違うことに気付く。
あらすじをすっかり忘れた状態で、場面だけを突然見たからか、
当時まったく感情移入できなかった脇役の人に、ものすごく共感する。

そうなんだよね…本当は、違うのにね…。
素直に表現できないばかりに、理解してもらえないんだよね…。
でも、そうでしかない自分が、苦しいよね…。
そう思うと、ヒロインは人間関係に苦悩しているけど、
自分をありのままに表現するという意味では、気楽だよね…。

そんなことどもを思いながら。
ああ…家の中では、ホコリの雪が、舞っています。(笑)
そうじしなきゃ。
昨日無事に終わったクリスマス会の会計も、締めなきゃ。



「カバナフスキー」?ほか  12/9

ピアノの先生から電話があり、小さい坊ちゃんの演奏前の曲紹介が、
ちょっと味気ないので、もう少し付け足してください、と言われました。
(坊ちゃん、演奏する曲名しか、書いていなかったらしい。
 代わりに?立派な鳥の絵を、ふたつも描いてあったらしい。笑)
小さい坊ちゃんに、書き加えるよう促して、できあがった原稿を読んでもらった。
「ぼくは、カバナフスキーのおどりと、ラモーのメヌエットをひきます。・・・」
??
・・・カバレフスキーなら、知ってるけどな…。
訂正したら、坊ちゃん、「カバ、ナフ、スキー。」と言いながら、書き直してました。(爆笑)

坊ちゃんたち、発表会を控えて、連弾の練習中。
大きい坊ちゃんが、練習していない難所で左手を抜かして弾いていて、
おいおい!あかんやろ〜!と、ひとり練習させる。
だいたいできるようになったので、「さあっ。」と、あたまからふたりで合わせたら。


小さい坊っちゃん、いきなりつまずく。

大きい坊 「たった1小節で、間違えるな〜!!」
小さい坊 「ぴぎゃ〜!!」

目の前で思いっきり、のだめのあの連弾シーンが再現され、大爆笑でした。
(のだめは、2小節だけどね。笑)

・・・楽しいねえ、いつでもきみたちは。





ねぎ・・・  12/8

ひさしぶりに、高知県園芸連のやなせさんに注目。


ネギなら、ネギーおじさんと、相場は決まっているのに…。(←なんでや!)
ピーマンのピーくんや、
(テッカのマキちゃんそっくりの)ニラのニラコさんに続く、
この走るネギくんは、名前が書かれていません。
とっても、気になる。

本日、子ども会の買い出しに行った市場?もどきのスーパーで、
熊本のとまとの箱の積みあげに出会う。
それはつまり…くまモンの、山。(笑)
側面がかなり、笑えました…。(想像してみてください)

ナベ用に買った、土つきのおねぎの袋にも、注目。


"風にも負けず・・・雨にも負けず・・・
 今か今かと待ちつづけ、今ここに願いが叶う・・・。"

まるで演歌の歌い出しのような、書体とコピー文です。(笑)
なんだか、ねぎの育った気合が伝わる。
"光と風と水のハーモニー"っていう、JAのキャッチコピーも、いい。
ビニールに収まらない長い葉っぱを、麻ひもで束ねてあるのも、いい。

野菜だとふだん見過ごしがちな、パッケージに凝らされた趣向。
ちいさなことだけど、注目してみると、なかなか楽しい。
そして、野菜への愛が感じられるではありませんか。
元気な野菜が、育って、ここに届くまで。
応援するたくさんのひとたちがいるんだなあと、想像しながら。
あったかいお鍋、、、いただきまーす。



愛しき日々の輝き  12/7

トップページに、魔法をかけておきました。
天使に、出会えましたか?

あれから、オットーは3日ほど帰ってきませんでした。(笑)
やっと、もうすぐ、ご帰還の模様です。

過去日記に入ると、ついつい引きこまれて、時間が経ってしまいます。
先月初めに再会した後輩との、その前の再会(実に6年半前だった!)が見つかったり、
先日お届けものに来てくれた友達の、結婚式があったり。
(ご主人が当日まで、顔の分からない「惣一郎さん」だったことなど、思い出した。笑)
どこを開いても、新しい発見があって。
この頃はこうだったなあ、とか、こんなことがあったんだ!とか、
忘れているだけに、新鮮な物語として、ひとつひとつを楽しめて。
また文章が、我ながらたいそう面白い。(笑)
あはは、、、自画自賛、ですが。

そして、なんとまぶしい、日々よ。
一生に一度の、特別なできごとが続くわけでもない、
驚くような、スリリングな展開があるわけでもない。
こうして過ごす、何気ない毎日の連続こそが、その記憶こそが、
生きていることの輝きなのだ、と、あらためて気付かされる。
そのひとつずつが、人生というパズルのピース。
いろんなかたち、いろんないろ、いろんなおおきさがあって。
それをこの手で作りだす、作ってゆける、自由への畏れを抱きつつ。
最後のひとかけらをはめこんだ時…どんな作品が完成するのでしょう。
願わくば、登場するすべてのキャストに、ありがとうを何度も繰り返しながら、
泣き笑いでその作品を抱きしめたい。
その日のためにも、今、与えられたこの時をたいせつに、生きていきたい。

最後のコサージュを組みながら、私はこの四年の歳月を思った。そして、祐一や里美たちと過ごした日々を思った。そんな時間を、笑って話せる日も遠くない気がする。何もかも散り散りの、華やかな紙吹雪みたいに。その時は、すべてを受け容れた、泣きそうな、けれど笑い顔でありたい、と心から思った。

ふとしたときに浮かんでくる、「ガラス窓」の中の、このくだり。
この想いは、今も変わらず、心にあります。



「祈り」  12/6

先月の発表会で、心ひかれた曲がありました。
プログラムにあったその曲名は、ル・クーペの「祈り」。
和声の流れが美しく、途中短調に転じていくところに、胸がぎゅっとなった。
あーこの曲、弾いてみたいなあ。。とそのとき思ったのだけれど、そのままでした。

ふとそのことを思い出し、検索にかけてみたのですが、
有名曲ではないらしく、出てこない。
検索結果のしっぽをつかまえて、どうやらこれ?と思しき弦楽をたどり、
たどりついた楽譜名が、『ピアノの練習ABC』でした。
あれ?
それって、坊ちゃんがやってるやつ?(現在発表会前のためストップ中)
・・・というか、それ、、、もしかして。


あった。(笑)
もう、中がまっきいろ?…まっちゃいろ。(=茶色)
経年劣化による、色づき加減がすごい。
これ、、、ル・クーペって、書いてあったんだー。(大発見 笑)
子どもの頃は読めないし、なんて書いてあるのか、まず、考えたこともなかった。
だから、ル・クーペと聞いても、記憶のなかでは、まったく行き当たらなかったんだ。
しかも、楽譜内は番号のみで、曲名が書かれていない。
それと思しき譜面にたどりつき(いい!と思っただけで、曲を覚えていなかった)、
ページを開いてみたら。


まるもらってた…。
そうやったんや…。

あの頃は、退屈な練習曲としか思っていなかった曲が、
実は、こんなに美しいものだったとは。
淡々と「こなして」いくだけの課題だった楽譜の中に、
隠されていた秘宝…。(笑)
そんなものを、見つけられるようになったのね。(成長、成長)
(ソナチネについても、おんなじようなことを、6年前に書いてありました。。)

30年以上前に、すでに弾いていた曲。
それと知らず出会い、魅かれることの、不思議さよ…。
音楽を続けるということの、喜びを感じた再会でした。


そしてこの半年間、おつきあいした楽譜にも、ひと区切り、お疲れさまを。
やわらかな情感を持ったあなたが、大好きでした。もとい、大好き、です。
またこれからも、新しい演奏を求めて、、、おつきあいよろしくね。


さて、次なる譜読み中の曲。
最後の2ページが残ってます。
まるをもらった「祈り」(=練習曲11)をもういっかい弾いてみてから、がんばろうかな。

・・・しかし、ここまで縮小したら、おたまじゃくしどころか…。
なんのこっちゃ、わからんね…。



雨あがりの朝  12/3

夜の時雨が通ったあと、冷えこんだ朝。
ゆっくり昇ってくる太陽と、その金色の光の美しさに、小躍りする。
窓ごしに、カメラをあちこちに向けて、パシャリ。

鳴き声に屋根を見上げたら、樋のはしっこに、すずめが一羽。
どこかよそで鳴いている、別のすずめと、鳴きかわす。
ちゅんちゅん!ちゅんちゅん!
鳴きながらも、忙しく背中の毛づくろい。
おなかばかりで、なかなか、顔を見せてくれないの。
やっと、お顔が撮れました。


根っこまですっかり掘り起こされ、なくなってしまった梅の木たち。
空っぽになった原っぱを、上から見わたすような風情で。

人里近くなら、どこだって生きていけるのだろう、強いきみたちだけど。
…ここにいて、いいからね。



見送り  12/3

早朝、まだ真っ暗ななかを出勤していくオットーの背中を見送り。
ドアがぱたんと閉まるころ、突然、ぼわっと浮き彫りになった天使。
センサーで灯ったポーチ燈に照らされて、すりガラスの向こう、
現れた姿にはっとする。
天使に寄り添う、ひいらぎと小鳥たちも。
まるで、オットーの道行きを見守ってくれているかのように。

ああ…神さまが、いるなあ。
寝ぼけた頭で思い、祈る。
遠い道のり、今日も無事でありますように。




「切手のないおくりもの」  12/1

タイトルにひかれて録画してあった番組を見ました。
「切手のないおくりもの〜A SONG FOR YOU〜」(NHK名古屋)

夏川りみさん、馬場俊英さんが、
事前公募で選ばれたひとたちのところへ、歌のおくりものを届けにいく、という内容。
音楽仲間の結婚式でのサプライズ、
困難を乗り越えて職場結婚したふたりへの応援ソング、
そして最後に、息子をなくして力を失ったままのお母さんの心に、寄り添うために。

それぞれ、三人の方が出した、三通の手紙から始まった物語。
そのどれもが、完結した美しい、物語だった。
切り取られた、人生のひとひらに捧げられる、歌のおくりもの。
歌をおくる人(依頼した人)、おくられる人、
それぞれがお互いを思う気持ちが、ダイレクトに伝わってくる。
その心のつながりから、そのひとたちの人生全体が、見えてくる気がした。
深く、強く、胸を打たれたのは、そのせい。

「こうしてまた新しい、涙そうそうが生まれたし…」
夏川りみさんの、最後の物語での感想に、はっとした。
同じ歌であっても、何百回何千回、歌われたものであっても、
その時々で、異なるものになる。
そして、それぞれの状況下で、異なる力になる。
それが、音楽のちから。
ひとつとして、同じもののない。

舘野泉さんが、同じことを楽譜の解説に、書いておられたのを思い出す。
「演奏は1回毎に新しく生まれ変わるべきものであり、
同じ曲を何度演奏してもその新鮮さが失われないようであってほしいと思う。」
…これが正解、というものがない、音楽。

わたしの音楽も、ひとつとして同じもののない、
その時々でかたちの違うものであって、いい。
最後まで泣きっぱなしの、ひとがひとをおもう物語への感動とともに、
そこに寄り添う音楽の力の大きさと、たいせつなことに気付かせてもらった番組でした。



宴の後  12/1

出かける前に、超特急で焼いておきました。


良い生地は良い卵から

チャキーン

今回の勝負…引き分け?

自分たちで飾る

何回焼こうとも、毎度どきどきの型はずし。
どうやったらうまくはずせるのか…誰か教えてください。


点火!


うたげのあと…