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まだまだ修行が足りませぬ  10/31

手の指、足の指。
固くならないように!

これも、魔女修行の、ひとつですっ。



ハロウィンの魔法  10/31

夏を越えて、久しぶりのおしゃべり。
・・・とはいえ、いつも何かと気遣いをもらっている、
先日のかさこじぞうさんの、おっかさん。

いつものように近況から、夏の旅の思い出、
最近見ているドラマ、よかった本、音楽、映画…
お互いの子どもたちの日常も、もちろん。

ふつうにおしゃべりしていただけなのに、なぜだろう。
途中からどんどん自分の内面を掘り下げる話になっていき、
涙が止まらなくなった。
それは悲しいとか、つらいとか、そういう涙ではなく。
真実に触れた、という感覚、
深いところで、「わたしはこう思ってたんだ」という気付きから、
自然に湧きあがってきた涙。
そしてそれさえも、うろたえるでなく、ただ受けとめてくれる。
彼女が、何のガードもなく、いっぱいにゲートを開いて向かい合ってくれるから。
わたしもそれに感応して、なんの気負いもためらいもなく、投げ出せるのだと思う。
(こんな人と、たまたま、子どもどうしが仲良くなったから、という
ありふれた理由で、出会えた偶然にも驚く。)
こんなふうに、具象的な話から、
どっちへ向かっていくのか想像もできない会話、というか、
言葉でなく感覚で話し合っている気がする、
魂どうしが会話している確かな手ごたえ、というか、
こんなやりとりは、他にあまり例がない。
思いもしない浄化が起こるのは、
彼女の聴く姿勢と力があってこそ、だと思う。
加えて、彼女は、「慈しみ」というフィルターをとおして、世界のすべてを見ている。
その目がわたしに向けられた時、
心の奥深くで、許された想いがするのだ、とも。

「心の深いところでちゃんと、光のあるほうがわかっていて、
 そっちに向かっていこうとしてるんだよ。」

見えないわたしの心を会話から感じとり、理解して、言葉にできる、そのちから。
率直で、本心とのずれのない、その響き。

自分の核心に触れて、気付いて、涙した。
思いがけず、彼女に、魔法をかけられたような、一日でした。



雨の日  10/28

しとしとと降りはじめた、雨の日曜日。
れいのおあそびの書きものもひと区切りして、
「王国で、演奏会やるのどう?」の話から、リコーダーの話になり…
「あ、そうや。こないだ言ってた『新世界』、聞かせてや。」と頼んでみた。
坊ちゃんたち、その気になったらしく、リコーダーと音楽の教科書を取りだした。

好き好きにぴーぴー吹きはじめる、坊たち。(笑)
はじめはばらばらにやっていたのが、そのうち、
音楽の教科書を見ながら、合奏をはじめた…
わたしは黙って、台所で片付けもの。

ふたりであれこれ、話している。
「あっ、これ、ええ曲やんなー」
吹きはじめる大きい坊。
小さい坊が下のパートを、たどたどしく吹く。
「あっこれ、懐かしいー」
いろいろ言いながら、次々と曲目を変えていく。
なんだか自然な空気で、
また、自分が昔、ギター片手に友だちと、
戯れに楽譜をめくって遊び弾きした楽しさが、そこに重なって。

片付けを終えてそっと2階に上がり、ベランダから外に出た。
雨のにおいで満たされた、湿った外気。
ひんやりとした空気の中、ふたつのリコーダーが響いてくる。
あの、まあるい音が、たどたどしく、ハモっている。
ふたりが奏でる音楽。
つたなくて、温かい音楽。
静かな雨の音と混じる、それを黙って聴いていた。
柔らかな何かに、胸をぎゅっとつかまれて。

子どもたちから、もらっているもの、教えられること。
誤解を恐れずに言うならば、
わたしには、子育てをしている、という感覚は、ない。
共に成長する「同士」のような、、、不思議な感覚。
あの子たちは、お互いにお互いを育てあっていて、
わたしをも、育ててくれている…
その潤いの源がなんであるか、それすらも、彼らから教えられた、と思う。

手すりにもたれ、目を閉じて、耳をすます。
遠雷が、かすかに聞こえた。



あたらしいおあそび  10/27

坊ちゃんたちが今、こっている遊び。
それは…お買いものごっこ(?)。
その金券を作ったり、それで利用できる施設を作ったり、
毎日とっても忙しい、坊ちゃんたち。

昨年、大きい坊ちゃんが友だちと一緒に、学校で広げた(!)遊び。
(クラスじゅうのお友だちがはまったらしい。。)
まず、「住民登録」をするので、クラスじゅうをまわって、みんなに書いてもらう。
それから、「ナゲッツ」(お金の単位)という金券をたくさん発行し、
女の子たちが折り紙やなんかでいろいろな商品を作ったり、
男の子たちは何人かでコントのグループを作って、お笑いをやったり、
その「ナゲッツ」を使って、いろんな「お買い物」や「鑑賞」ができるようになっている。
そして、売ったり、演じたりした方は、「ナゲッツ」をもらう…そんな遊び。

↑これは知ってたんだけど、先月、個人懇談で、
小さい坊ちゃんの担任の先生(=昨年の、大きい坊の担任の先生)に、
「"いじゅ"というお金を作って、みんなで遊んでます。
 女の子が特に、はまっていて…」と聞いた時には、びっくり、可笑しかった。
おんなじこと、してたんだ。(当然、先生も、分かってる 笑)
やっている学年が違うので(小さい坊=5年、大きい坊=6年時)、
女の子の盛りあがりも、大きい坊ちゃんの時以上だったんだろうなあ。。
さらに、その国は「天皇制」らしく、友だちと天皇を交代したので、
通貨の使い方が世知辛くなったとかなんとか…(爆笑)
晩ごはんを食べながら、真剣に「世間話」をしているふたり、ほんとにおもしろい。

そんな流れから、我が家の中でもふたりが盛りあがり、
新たな「ナンダ」通貨を発行し(笑)、我が家だけの「お買い物ごっこ」?を始めたのでした…。
小さい坊ちゃんは美術館の担当になって、中学の美術資料集を借りて、
パロディ絵画制作に、勤しんでいます。
 ・ Cメール「金魚の耳飾りの少女」(←さだまさしの歌の影響大。笑)
 ・ マグネット 「ミエネーの城」(←ピレネーです 笑)
などなど、ほかにも…。
絵画の絵はがきに合わせて、同じ絵柄の切手も売ってくれるので、
大きい坊ちゃんがそれを「10ナンダ」で買って、、、何をするか、分かりますね?
わたしに書いて、風景印を押して、送ってくれるわけです。(笑)
ポストも、電話のところに新設されてました。
国の名は、「ナンダ王国」(爆笑)
深夜帰宅したオットーが、書き散らかされた書面を拾って、
声もなく爆笑したことは、言うまでもございません…。

先日、わたしも住民登録を促され、サインしました。
この住民登録の記入欄がまた、おもしろくて…。
「好きな食べもの」
「好きなラーメンの種類」
「秋と感じるとき」
・・・・・
しみじみ、子どもたちの想像力、創造力に、及ばない自分を、恥じました。(笑)
なんて、心の自由を失っていたんだろう、わたし。
子どもたちには、教えられることばかり。

さて、わたくしも、ここで食堂を営むことになってます。
くるみのクッキーを食べていたところに食堂の名前を考えて、と言われたので、
名前は、「くるみ食堂」。
子どもたちに負けないように、
おもしろい、おいしそうなメニューをたくさん、考えましょうか。



くーっ  10/27

また、逃げられました…。


よくよく見れば、これ、25日の柿じゃあありませんか…。


苦渋の証拠写真…網戸越し&トリミング。


そんなふうに狙いながら、ふっと視線を外すと。
逆光に透けた柿の葉と、つやつや光る実が美しかった。



珍解答  10/27

大きい坊ちゃんの、社会科テストより。

孔牛→(正)孔子
 老子、孟子、荀子、韓非子、などの名前を知っていたならば、
 こんなことにはならなかったでしょう。(笑)
 坊ちゃんも、自分で大ウケ…。「こううし」て!

→(正)秦
 泰って誰やねん!(笑)韓非子が泣いてるかも。
 ま、ありがちな間違いかもしれませんが…。

大宰府の「宰」のうかんむりの中が、「幸」に。
 「だざいふは、はる〜♪」(by さだまさし)と歌いながら、
 太宰府天満宮のお札を学習机に掲げながら、
 なぜ…。(笑)
 「辛い」より、「幸せ」が、きみの中に入ってるってことだね。(笑)よかよか。

番外編・志賀島出土の金印の文字
 分からなかったので、適当に書いたそうですが。
 「ほら!答えはここに!」


国宝、うちにあるやん。(笑)
「だざいふは、はる〜♪」(by さだまさし)とメールで歌いながら、
社員旅行で太宰府行って、飛梅の開花を見て、都府楼跡行って、、、
ゴキゲンで梅ヶ枝餅と明太子と一緒に、これ買って帰ってきはったな。彼の方は…。

とにもかくにも、向かうところ敵なし?の珍・解答。
今後も、目が離せないっ。以下、次号!



たてのさん  10/26

本日のスタジオパークは、舘野泉さんの回の再放送でした。
朝、先日の友だちが、れいのごとくメールで教えてくれたのです。
5月の本放送をビデオに録ったので、何回か見てるけど、
時間にうっかりテレビをつけたら、消せなくなってしまった。
早く郵便局と買い物に行かなきゃ…と思いながら、引きこまれて、最後まで。

やっぱり、語り口がいいなあ。
演奏も、楽しいトークから、一瞬でがらっと切り替わる、あの空気。
ひとつひとつの音に深みがあって…心にひとつぶずつ、染みてくる。
音楽をするのに、手が3本でも1本でも変わりない、と語る、喜びに満ちた笑み。
番組終了とともに、思わず拍手してしまった。

思いがけず気分を変えてもらって、嬉しくなった。
今弾いている楽譜の解説も、舘野さん。
"フィンランドの蒼の時"にたとえられた、美しいあの曲を、
舘野さんのように一音一音、「音楽をする喜び」をもって演奏すること。
それがいちばんの、目標です。



晩秋の気配  10/26

オキザリスの白い花が、咲きました。


これ、なぜか、カネノナルキの鉢に混じってしまった球根らしい。
本来のプランターから離れた場所で、
葉っぱのすきまから、顔をのぞかせるように。


同じく白い花で、咲きはじめたのはローズマリー。
淡いむらさきの方も、とても楽しみ。
ローズマリーは気まぐれで、どういうふうに世話をしたら花がつくのか??
本当に、ナゾなんです…。(調べたけど、曖昧で分からない…)
ジャスミンみたいに、花芽が新梢につくというような決まり?もなく、
太い枝にもつくとは限らず…。
季節も、5月に突然咲いたり、秋に咲いたり…真冬にも、咲いてたり(汗)
そして、花がまったくつかない年もあり…
だから、ローズマリーが花を咲かせてくれると、なんだかとてもうれしいのです。


昨秋買った苗で、晩春にハンギングから鉢にあげて夏を越した、アリッサム。
気がついたら、これも花が咲いていました!やったー2年目!
白っぽいけど、淡いピンクが入って、かわいらしくグラデーションしています。
そして、ブルーベリーの葉。
このところの夜の冷えこみで、一気に色づきはじめました。
実はたいしてならないけど(世話不足)、紅葉はうっとりするくらい、美しい。
この彩りがあるから、、、捨てるわけにはいきませぬ。


深まる秋のかたわらで、綿の若葉たち、むくむくと。



なかなか…  10/25

すばしっこいトリたち、なかなか、つかまえることができません。


くーっ。
こんな写真、去年か一昨年にも、あったような…。

オートフォーカスの音で飛びたってしまうくらい、敏感なすずめたち。
広角だと写らず、望遠だと探せず…ぴょんぴょんとあちこち飛びまわる。


そろそろーっと窓の下からのぞいたら、なんと、おしりが撮れました。(笑)
そして、電線から、ようすをうかがうヒヨドリ。
なわばりがあるのかなー。
キーイキーイと高い声で鳴き交わし、何を話しているんでしょう。

そうそう、虫の声。
大きい坊ちゃんの友達に生き物博士がいるので、
登校時、通りがかりにきいてもらいました。
向かいの梅林では、やはりエンマコオロギと、マツムシが鳴いているらしい。
マツムシ…また、虫の音ワールドに行って、聞いてこようっと。

今夜も、エンマコオロギの澄んだ美しい声が、窓のすぐ近くから。。
リュリリリリーリーリーリーリー。
リュリリリリーリーリーリーリー。
遠くで応える、声もします。



虫の声  10/24

にぎやかな鈴の音のような、大合唱だった虫の声が、
やがて、ソロとのかけあいになり、せつない独唱になってきました。
気になって、声から名前を調べはじめた。(笑)
美声の代表歌手は、やはり、エンマコオロギ。(これは間違いなさそう)
その後ろで伴奏のように聞こえてくるのは、ミツカドコオロギ?ナツサザレ?
もう、今では、そのくらいに少なくなってしまいました。。
それにしても、声(や、音。)から、名前を探すって、とっても難しいのね…。

そういえば。
秋の始めによく聞く、「チッチッチッチッチ」という虫の声。
前の家に住んでいたころ、床下から聞こえてくるのが不思議で。
そしてやっぱり、何の虫なのかとても気になって、
虫博士の友達に名前をたずねたところ、「カネタタキ」と判明。
あの時、どうやって、遠方に住む友人に虫の声を伝えたのか…。
すっかり忘れてしまいましたが、これは、
耳で知っているが題名の分からない音楽をたずねる時にも、ぶつかる壁なのでした…。
(後日談…カネタタキは、このうちに来てから、フェンスの上で鳴いている姿を発見!)

今では、インターネットで探せる、便利なページもありますね。
いっこいっこ、しらみつぶし的に、聴いて探すんだけど。(笑)

虫の声に耳をチューニングしていたら、
車の音や、生活音に紛れても、それがちゃんと聞こえてくる。
きっと、目も、鼻も、肌も、そうなんだろうな…。
人間の知覚って、ほんとに不思議で、よくできてます。



ムコドノ・その後  10/23

御用騒動から一夜開けて。


ふたたび、社会面。
「連れ戻されたムコドノ、園内の動物病院で体調の検査を受け、
えさを食べて少しずつ元気になり、園職員を威嚇するいつものしぐさも…」

とりあえずは、ひと安心、といったところでしょうか。。
今日はなんといっても、最下段の河村さんのコメントに注目です。

「戻りたいかは本人に聞いて」

・・・河村市長は「ご心配をおかけしたことは、
市民の皆さまに申し訳ないと思う」と謝罪しつつ
「もともと野生だったんでしょう。そのまま外におられるか、
動物園に戻りたいかは本人の意向に従いたい」との珍案を披露。
・・・・・
「(メスに囲まれて)非常につらかったんじゃないか。
人間の世界と共通している」と同情も。
・・・・・
「戻りたいなら戻りたいで幸せな生活を送れるよう配慮したい。
 サルの人生も大変だ」と苦笑いした。

なんだか、「苦笑い」が、いいよねえ。
"河村流"の配慮と書かれていましたが、ほんとに、
おさるの好きなようにさせてあげたいのは、わたしも同感です。

ムコドノ、どこに帰りたい?
帰る、場所は、ある?

そんなことを考えていたら、
「こたたーん、こたたーん。」
突然、頭に浮かんだ、ふるさとの山を思う歌。
これは…
あまんきみこさんの、「くましんし」。

この「くましんし」は、人間の開拓のため北海道のこたたん山を追われた熊たちの話でした。
山を降りて、人間の世界に身をかくして暮しているくましんしは、
松井さんの前でほんとうの姿にもどって語り、手拍子を打って歌いだします。
 「こたたん山の くまたちは
  人におわれて 人になる
    こたたん こたたん」
 この作品でわたしは帰る故郷を失った熊たちの思いを書きたかったのですから、
運転手の松井さんがそれからもタクシーを走らせるとは思っていませんでした。
                       (出典/光村図書HP・作品誕生秘話より)

この作品を、思わず連想してしまったのでした。。
ムコドノも、ふるさとの山を追われてしまったのだろうか。
豪雨で土砂崩れを起こすほど、開発されてしまった山から…
そして、こたたん山のくましんしみたいに、人間の世界で、
暮らすしか、なくなったのだろうか。。

そうして、とてもせつない気持ちになったのでした。
こたたん、こたたん。



捕物帖  10/22

朝。
雨戸を開けたら香りくる、かすかなキンモクセイの香りに深呼吸。
ゴキゲンで街路樹まで歩いていって、写真を撮り、
ポストの朝刊を取って帰ってきたら。


これでございます。(笑)
一面トップ記事て!そしてこの見出しは!
もう、可笑しくて、可笑しくて、、、
(もちのろん!市民の方々のけががなく済んで、本当に良かったんですが。)


2日前の社会面。「逃走3日」

■歓迎されザル・・・自ら動物園に闖入してきたのを、生息域の市町にお願いされて、
            やむを得ず飼育を決めた動物園側。
            繁殖制限のためオスのいない群れで、ほとんどのメスと子をもうける。(名前の由来)
■素早くサル・・・2年半居ついた末、逃げ出した。野生のため、跳躍力がすごかったらしい。
■敵もサルもの・・・目撃は何度もされているのに、すばしっこいため、その場で追いつかない。
            十メートル以内といわれる麻酔銃の射程にも入らない。
( ↑オットー小見出し読みあげて、バカうけ…。)

隣接する植物園の森に逃げこんだらしいのですが、俊敏で、
「人気漫画ゴルゴ13の主人公デューク・東郷ほどの名手でも、
 (麻酔銃を)命中させるのは難しいだろう」と園長さんにコメントされている始末。(爆笑)

「市民の皆様に大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんっ」
記者会見で頭を下げる、動物園の皆様が不憫でした。
だって、みなさんは全然、悪くないんだもん…。
不手際で逃がしたわけでもないし…。
飼わなくてもよかった野生のおさるを、飼わザルをえなかっただけなのに…。


↑時間経過と、捕獲の経緯を細かく解説。
こんなん、よほどの大事件の時にしか見ない。(笑)
以下、笑いをかみ殺しながら読みふけった記事の一部。
(職員のみなさまには、ご苦労様です…)


執念の包囲作戦  職員+やじ馬多数

七日間にわたるムコドノの大脱走が二十一日、幕を閉じた。
東山動物園から約十キロ南まで逃げ続けたが、園職員たちの執念に負けた。
(・・・動物園は最大六十人態勢でムコドノの行方を追っていた。)
最後の『大捕物』は二十一日昼過ぎに始まった。
逃げ回るムコドノを、たもを持った園の飼育員ら三十人の捕獲班が追い掛けた。
・・・・・赤い尻を屋根の外に突き出し、落ち着かない様子で周囲を見回すムコドノ。
真下まで近づいた獣医師が隙を見て麻酔銃を撃つと、一発で尻に命中した。
・・・・・
逃走劇は終わり、住民らの「オーッ」という歓声が上がった。
捕獲班は近所の公園に集まり、成功を祝福した。

ちょっと可笑しいやら、せつないやら。
実はこのおさる、数年前に、うちの区あたりをうろうろしていたのです。(ニュースになった)
その後、移動して、自ら東山動物園に入ったらしい。(名づけはその時)
おさるも、自分たちの森が崩されていって、里に降りてくるしかなかったのかもしれない。。
そう考えたら、人間の安全ばかり考えるのでなく、
おさるの気持ちも考えてあげないとなあ…と思うのでした。


麻酔のせいか、ちょっとしょんぼりしているムコドノ。
なごやんじゅうを騒がせた大捕物、こうして幕を下ろしました。



秋の夜空  10/21

本日オリオン座流星群極大、22時頃から、というので、オットーと外に出てみた。
電線と、明かりのないところを探して、近所の駐車場へ。
月は沈んで、もういない。
木星が東に明るくのぼり、冬の一等星カペラがかすむくらい。
しかし…オリオンは冬の星座だから、まだ東の空低いんじゃない?
そう思いながら見上げれば、天頂近く、西に傾いた夏の大三角。
ほらほら〜。まだ、ヴェガがあんなにきれい。白鳥座も見える。
小学生の頃、理科の観察の宿題で、どうしても探せなかったカシオペア座。
頭の真上あたりにあるWのかたち、もしかして、あれが憧れの?(笑)
オットーに頼んで、スマートフォンに入れた、スカイマップで見てもらう。
(これはすごい、ソフト?アプリ?です。以前、アストロアーツから出ていた、
 DS用のものと同じようなので、空にかざしたら、そこにある星図が出る!!)
やっぱり、カシオピイヤ!(童話『水仙月の四日』ふう 笑)
そして北極星。
感動しながらぐるっと見渡していましたが、スカイマップによればやはり、
オリオンは東の地平線すぐ上あたりに、あるらしいのでした。(賢治ふう)
建物がいっぱいなので、地平線は、見えないなあ・・・。
残念。
流星群はあきらめて、星を見ながら、
姿勢を直すためのぎっこんばったんしてました。
空になんかかざしたり、突然体操したり、かなり挙動不審なわたしたち…。(笑)
あやしまれないうちに、帰りませう。

夜空を見上げると、心の天井が高くなる。
わずかだけれど、地上の柵から解き放たれた、ひとときでした。



かさじぞう  10/20

毎年、やってきてくれる、かさこじぞうさん。
今年も、玄関に、どっさりと置かれておりました。

「どわのまえにおとどけものです、か差地蔵より」(笑)


すてきな絵本を、ありがとう。
やさしい手紙を、ありがとう。
・・・かさこじぞうさんのおっかさんが、
本やでこれを見つけた瞬間、わたしを連想してくれたそう。
同じ誕生日のか差地蔵さん(笑)、出会えたことに、感謝。
そして、あなたのおっかさんにも、心から。
Birthdayの歌詞そのままに、胸がいっぱいになりました。
忘れずにいてくれて、ありがとう。
ほかでも、さりげない心遣いをくださった方々に、深く感謝。


咲きそめの金木犀がやはらかな香りを漂わせ、
ゆるやかに暮れなずむ空に染みていく。
この時刻。
またあたらしい、いちねんがはじまる。



親子清掃にて思ふ  10/18

恒例の親子清掃の日。
今年は雨だったので、校舎内のそうじになりました。。
と、落ち着きたいところですが。
なぜかなぜか、夕べ警報まで出た雨が、この1時間だけやんだのです…。
(あとはまた降り続いたのに。)
それでも、ほとんど外なんて担当がないなか、わたくしは、
小さい坊ちゃんと、そのクラスメートたちと、
走り幅跳びのために砂場の砂ならしをしておりました…。
いや…作業は、厭わないんですけどね。
ショベル持って、ひたすら土掘り起こして…ちょっと、清掃と、違うな?と思って。(笑)
気分は、ねじりはちまき状態。
持ってきたエプロンも、寒さよけのセーターも、いらんかった。。

学校の階段の、段の手前の部分(なんていうんでしたっけ?蹴込み?)には、
文字がはられています。
「Hello!(こんにちは)」
「Don't mind!(気にしないで)」
「ありがとう」
「大丈夫だよ」
「がんばって!」
・・・・・などなど。
昇っていくと読めるようになっているのだけど、
「こういう言葉をかけあおう」という意図なんだろうなー、と思いながら、
いつもむずがゆいような、面映いような、気持ちになるのです…。
これって、おとなの世界(社会)では、ちゃんと使われてるかな?と、ふと思ったり。
(それは建前としてでなく、心から、という意味で。)
わたしの変な気持ちは、そこからくるような気がして…。

でも、気付いた、
その変な気持ちのなかに、「うれしい」も入っているということ。
かけられたら、うれしくなる。
そんな言葉…

子どもたちにそういう言葉を伝えることは大切だけれど、
おとなの世界でふだんかけあう習慣がなければ、
やっぱりいつか、気恥ずかしくて言えなくなる時がくるんじゃないだろうか。
子どもに限らず、人を導きたい時は、
言葉だけでなく、やっている姿を実際に見せること。(五十六さんの言葉・再び)
共有し、共に感動すること。
それがなければ、人の心に根を下ろさない。
教えようではなく、共に学ぼう、楽しもう、という思いが、なければ。

おとなの世界でも、子どもと一緒に、温かい言葉をかけあえたら。
そうして社会が変われば、きっと子どももそれを写し取るように変わっていく。
その秘訣は、、、何よりまず自分に、温かい言葉をかけられるようになること。
そんなおとなや社会をみていたら、子どもは自分をたいせつにすることを知る。
そして自分と同じように、人をたいせつにすることができるようになる。

まずは、誰よりも先に、自分をたいせつに育てよう。
いつも、ここに帰ってくるのです。



投影  10/18

追加、みたいなものですが。
↓の調律師さんの話を書いていて、時を置いたからこそ気付いたことがある。

結局、以前の調律師さんは、当時のわたし自身の、心を表していたということ。
内にあって見えないそれを、見せてくれていたということ。

あの頃、わたしは、年を取ったピアノをどうするべきか、悩んでいた。
グランドと比べて、悪いところばかりが目について、
けれど買い替えやオーバーホールにまでは踏み切れず…。
またそれは楽器というハード面の問題に留まらず、
自分自身の演奏する音楽にもそれが及んでいて、
そのよさが感じられず、全然ダメだ!と思っていた時代。

あの頃のわたしの複雑な気持ちを後押しするように、調律師さんは、
これは当時出た中でも倍音が悪いダメなもの、と変な太鼓判を押し、
毎度毎度、ベヒシュタインは、ベーゼンドルファーは、コンクールでは、と
カタカナを並べたくっていたのでした…。
そしてまた、その言葉に踊らされ、心惑わされた日々…。

今の調律師さんの話では、
むしろこの時代の国産ピアノは、手作業でていねいに作られており、
材料もいいものが使われているので、新品に買い換えるのはもったいない、とのこと。
今は機械化が進み、海外の工場で安い資材を使い、
グランドのかなりいいクラスのピアノでも、
弦とハンマーは国産の安いものを使っていますよ、と教えてくれた。

先に書いたように、この方は、経歴からも口先だけの営業セールスではないこと、
"ピアノバカ"(言葉はシツレイですが、いい意味ですよっ)なことが、
むんむん伝わってくる、そう、それは、ピアノという楽器への愛?なのでしょうか。
よりよいものを作り出したい!という、愛の気迫を感じて。
我が家のピアノを、全面的に、お任せする決心をしたのでした。
そして、その後のケアもふくめ、それにしっかりと応えてくれたのでした。。
本当に、感謝しています。

その頃からでしょうか、どちらが先とも分かりませんが、
わたし自身の、ピアノへの否定的な思いは、影を潜めていきました。
たぶんそれは、幼少時からの、たくさんのこだわりや感情がからんだ複雑なもので、
それがほぐれはじめた、端緒となった時期でした。

その後、さまざまな分野、方面から、こころに関することを学び、
たくさんの気付きを経て、
"ひとは、自分の心を外側に投影し、見ているだけ。
事実は、「ただそこにあるだけ」の中庸なもの。
だから、ものごとへの感じ方は、人それぞれ。
似た人が集まるのは、課題が共通する人たちが、同じことを学ぶため。"
なのだと、知るにいたったのでした。
そして、そこから学びつづける、それが人生なのだ、と。
自分の心の深い痛みに分け入って、そこから世界を見つめなおすと、
なんと多くのことが明らかになるのでしょう。

感情は、すべてのナビゲーターであり、それを使って自分の心を見つめる。
快・不快、ともに大切で、何かあった時は、自分の中にたずねるのです。
「何が、わたしに、これを見せているのだろう」と。
そのフィルターを見つけること、許すこと、手放すこと。
分かっていても、作業はなかなか、思うようにいきません。
「自分を変える」ことはとても難しいと気付けば、
「相手が変わる」こともまた、それ以上に難しいことだと、気付くことができる。
それでも、1ミリ自分の思いを変えれば、
何かが、変わっていくのを感じます。

そういった真理のはしっこに辿りつけた、
きっかけのひとつが以前の調律師さんだったとすれば、
やはり、それに気付かせてくれたことに、深く感謝したいと思うのです。



友よ  10/17

調律のあとで。

「・・・調律師さんって、今もう、変わられたんでしたっけ?
 あの、掃除機かけただけで五千円っていう調律師さんは、もう…?」(爆笑)

会を途中で抜けたので、会っていたお母さん友達にお礼の電話をしました。
なんかもう・・・いっつも救われる、このタイミング。
気が滅入りがちで出かけるのも億劫だったところを熱心に誘ってもらい、
温かないい雰囲気のお茶会に、すっかり心癒されたのでした。
(7人が集まって、マックでおしゃべり。みんな優しい。話題も優しい。
 子どもの日常から、駅前のムクドリがなぜ隣町に移動したか?とか、
 東山動物園からムコドノ(ニホンザル)が逃げ出したこととか。平和〜 笑)

彼女は今は隣の区に住んでいますが、
4年前までは我が家から数十メートルの距離にいた、手作り友達でした。
転勤で東京へ引っ越して3年後、再びこの地に戻ってきたのです。
大きい坊ちゃんがまだ幼稚園の年少さんだった頃、
ここに引っ越してきて、同じバス停になったのが、おつきあいの始まりでした。

古い日記を読んでいると、
彼女が焼きたてのピザをポストに入れてくれたこととか、
一緒にベーグルを焼いて、お昼ごはんの会をやったこととか、
子どもの成長とともに、楽しい時間を過ごしてきた記憶がよみがえります。
彼女は手作り以外も、つづけて読んでいるマンガが同じだったり、
クラシック大好きだったり(当然一緒にのだめにはまった!)、
深夜の"生さだ"を観ていたり(笑)と、
感動を共有できるポイントが多いのです。
(そんな人に、いい大人になってから出会えるって、幸せなことですよね…)
性質的にも、ひとり上手なところがお互い似ているので…

東京にいるあいだも、メールで、
「今日、○○(テレビ)に、誰誰が出ますよ!」とか、
「あのマンガ、○巻出ましたよ!」とか(笑)
近所のときと変わらない内容のやりとりをしていたため、
全然、距離感を感じませんでした。
いつも会っているかのような錯覚に陥るくらい、心の距離が近かった彼女。
戻ってきても、未だに、「あれ?東京だったっけ?」と考えるくらいに…。
それなのに、お互い、まだ敬語のまま。(笑)
なんで?

わたしは彼女を、心から敬愛しているのです。
その聡明さ、優しさ、謙虚さ、
またどこかマニアックでもあり、バランスよく、抜けてもいる。(笑)
そしてそれらを表すような、きれいな目をしている。
彼女に会うたび、その心遣いを感じるたび、
「ほんまに、ええ人やなあ〜」とひとりごとを連発してしまう、わたくしなのでした…。



調律  10/17

急遽決まった久しぶりの楽しい会合を途中で辞して、一年ぶりのピアノの調律。
リニューアルからお世話になっている調律師さんは、
「ピアノの達人」とでも言うべき、いや、言葉は悪いけど、「ピアノバカ」?
いい意味で、ピアノを本当に愛し、自前のピアノ工場を持ち、
こだわりのもと、ピアノの巻き線まで自分で作ってしまうという、すごい人なのです。

我が家のピアノは、この方の手にかかり、みごとによみがえりました。
弦とハンマーは、名器と同じドイツ製のものに交換され、
途中でひっかかるようになっていた鍵盤は軽く調整され、
塗装のめくれた部分を直し、黒鍵には黒檀がはりなおされ。
つつましい家庭用のピアノが最大限に生きるように、大切に手を加えてくれました。
昨年は、音が出なくなったサイレントも格安で(笑)修理してくれました。

結婚した時、実家近くの楽器やさんから紹介された、
十年ほどお世話になった調律師さんは、ずいぶんうちのピアノの悪口を言いました。
そして、自分がいかに優秀な調律師であるか、という話を、延々と語ってくれました。
つらい思いを毎年、ここに綴っていた記憶があるのですが(笑)、
最後に、平均以上の調律料とそれに耐えきれなくなり、勇気を出して断りました。
(もっと早くすればよかったのにね。)

今の調律師さんと話していると、音楽は本当に、
自然や宇宙とつながっている、神の領域なんだなということを、ふっと感じる。
今日は、れいの音階電波時計から(音を消すのを忘れていた!)、
12の音階が12時間と一致する話、
(12ヶ月で1年が一周することも)
数字の並びと、音の振動数の整数比の不思議な一致の話、
不安定な音から安定する音を求める、
対極のどちらも存在するからこそ認め合えるそれぞれの良さ、ということ、
なんというのでしょう、音というものの不思議を越えて、
生きることの真理にまでつながっていくようなお話をさせてもらいました。
もともと音楽というのは演奏するものでなく、
自然を解き明かすための学問だったという話から、
さもありなんと、深く納得したのでした。

"音楽は魂を調律する"
ピタゴラス万歳!



一期一会  10/17

ある日、突然にやってくる別れがある。
近いお別れ、少し遠いお別れ…
温度の差はあれど、しのびこむ寂しさに変わりはない。
そして、何も考えずに過ごした日々を惜しみ、振り返る。
共有する時間をもっと大切に、過ごせたかもしれないと。

襟を正すような気持ちで、自分の周囲の人々を思う。
あらためて、今ともに過ごせる時間を、大切にしよう、と。
それは、神さまからのプレゼント。
顔を合わせ、ことばを交わし、笑い泣き、怒り喜び、同じ何かを、共有する時間。
一期一会の時。
二度と同じ時は訪れないけれど、
それが心にあるから、その後の人生を生きていかれるのだ、と。

そう思う一方で、
物理的にどんなに遠く離れても、
心は離れた気がしない、不思議な人たちもいる。
そんなひとに出会えるのは、なんと幸せなことだろう。
血のつながりに関係なく、また時間も距離も関係ない、大切なひとたち。
"心の家族"と呼べるような。いつも意識のどこかにいるひとたち。
一生共有できる何かを、お互いに持っているから。
これだから、人生は、途中で投げ出せない。

そうして、今年最初の日記へと、戻っていく。
"ゆく人・くる人・そばにいる人"



いちばんいい季節  10/15

毎朝見ている、0655。(ETV)
ぱたぱたしている朝のひととき、しばし和ませてくれる、大好きな番組です。


月曜日だったので、たなくじ!(前も、載せましたね?)
たまたまお弁当の写真撮って、カメラ手にしてるタイミングだったので、
そのままテレビに向ける!
どんどん変わるくじの、どこに当たるかがお楽しみ。
でも、「カステラ」の文字が見えて(笑)、それに当たりたくて待ちながら、ぱしゃっ。
うーん「念ずれば吉」。
念じる一週間にすることに、いたしませう。

今朝も、ぴかぴかの青空。
さわやかな風。
ああ、今が、一年で、いちばんいい季節!と思う。

そんななか、綿の実を、ついに収穫しました。
なぜかというと、木のほうでちゃんと、実の元だけを枯らして(!)、
新芽を伸ばしはじめたからなのです…。
綿の木も、いい季節になったことを、ちゃんと知っているのでしょう。

全部で九つ採れました 飾っていた木の実も虫干し中

↓寒さに色づいた?大きいのが夏前からの葉っぱで、ずいぶん、ばったにやられていました。
なので、あまりにひどいのは、ぱちぱちと切り落とす。
しかし、その脇から、出る出る〜。新しい、黄緑色の若葉たち。
てっぺんはもう、いくつかのつぼみをつけています。
強い生命力に、びっくり。
そういえば前も、11月ごろまで、実をつけていた記憶が…。


ハダニ?分からないけど、小さい白い何かがいっぱいくっついていたので、
葉っぱごとシャワーしておきました。
綿の実、まだなるといいなー。
楽しみに念じながら、お日さまに当てることにしましょう。


しゃがんだ足元の、レンガのすきまに、雑草がっ!
しかし目をこらしてみたらば、葉っぱにうぶ毛がいっぱい生えている。
あーこれ。
わすれなぐさだ…。

夏前に、種をばらまいて枯れていったのです。
可憐な名前にうっかり、蝶よ花よと大事にしていたら、
数年後には雑草も顔負けの強さに…。
オットーが、「さだまさし植物園」(歌に出てくる植物集め…しかし世話はしない)
作るから植えて、というので植えたけど、
歌のように枯れるまで置いておいたら、種がくっつきむしになるんだよ〜。(笑)

以上、現場から、レポートでした。
(マキメさんのマネ…)



  10/13

駐車場から見る空は、区切りなく、広々と。
秋の早い夕暮れを映す雲は、神々しい光に満ちている。
いつもここで、両手を空にのばして深呼吸。
歩き出す歩道に、気の早いイロハカエデの紅葉が一枚、落ちていた。
帰りの車の中で流れた、スピッツの楓。
乾いた空気の匂い。
せつなく、深まる秋。



今日は  10/ 12


子どもたちがめくっていった日めくりを見て、親友の誕生日だったことを思い出した。
おばちゃんに電話してから、メールしよう…。

そして、
長崎旅行記に書いた記憶があるけれど、偶然出会ったあの時、
「あと4つで90だからね。」とおっしゃっていた、お父さん。(佐田雅人さん)
「かすてぃら」の歌詞を連想して、せつなくなった。

わたしも、子どもの頃より大きくなったのか、小さくなったのか、、、
実のところ、分からないな、と。
心は年の数とは関係なく、「連続した自分の存在」でしかないから。。
ずいぶん未来まで来てしまったことだけは、確かなことだけれど。

「男の子の兄弟はいいよ。大きくなっても助け合っていくからね。」
今は亡きお父さんにかけてもらったあの言葉はずっと、わたしの宝物です。



今日のラッキーアイテムは  10/11

「あなたの今日のラッキーアイテムは、おはぎです!」
朝、子どもたちを起こそうとつけた瞬間、テレビに言われた。
ええーっ(笑)
その時たまたまついたチャンネルで、やっていたうらないで。
たまたま、わたしの星座を読みあげてたのでした。
しかし、おはぎて…。

けど、おはぎ、食べたい。
言われたら急にそう思って、床下からもち米を取り出し、
久しぶりにおはぎを作りました。
(買い置きしたまま期限切れのあんを使い)
実は今日は、栗おこわ(涙)の予定だったので、
そのためにもち米を、出したんだけど…。
結局、両方作って、もちもちしてました。
そして栗に小豆にきな粉(大豆)…。
ラッキーアイテムで、おなかいっぱいだね…。




トリ☆パラダイス  10/11

昨日あたりから急に、キーイキーイと、ヒヨドリの鳴き声が高くなってきました。
耳障りなほど鋭く、隣の草地と向かいの梅林から聞こえてくる。
そこに混じって、ちゅんちゅん!と、すずめの数も、心持ち増えたような…。
そして、近い!あまりに近い!
(うちの雨戸の上を、がさごそ歩いてるでしょっ。)
窓からのぞいてみれば…
気付かぬうちに、隣地の柿の実が紅く色づいていて、
それをつつきに、訪れる訪れる…。
あっという間に、一個の柿の実が、なくなっていく。
おそるべし!小さな訪問者たち。

すずめの敏感さと敏捷さといったら、すばらしい。
私がそーっと一歩、室内で踏み出しただけで、さっと飛びたってしまうのです。。
ようやく窓辺に寄り、枝を飛び回っているすがたをながめていたら、
すずめに一匹、違う模様の子が混じっている。
あれは…シジュウカラだ〜。(たぶん)ネクタイ、見えなかったけど。。
いつか…つかまえたい…。(注・カメラで。)

毎年訪れる、トリたちのパラダイス。
しばらく、楽しませていただきます。



美しさの章・完結  10/9


美しい人に
なりたい
あなたの美しい歌を
たいせつに聴くために



締切迫る!  10/8

朝から、緊張感漂う、リビング。
〆切に追われる、マンガ家??もどきが、ひとり。


提出日迫る、課題研究。
6月にテーマ決めをしてから、3ヶ月半。夏休みにすすめておく予定が、、、

夕方6時すぎまで、黙々と作業を続ける坊ちゃん。
下書きを消す消しゴムがすっかりまるくなり、
その消しかすを集めては、テーブルの端に並べて数えていた(爆笑)
退屈な小さい坊ちゃんが、いつの間にか、いなくなっていました。

ふと、大きい坊の足元をのぞくと…


ひとり遊びに疲れた坊ちゃん、つぶれて眠りに落ちていました。
アシスタント、ご苦労さま。。




まだまだつづく  10/8

"美しい歌とは
 何だろう
 歌の美しさとは
 何を言うのだろう"

もうええって?(笑)

つづきはね…
(ぱらぱら)

めくろうとしたら、子どもたちが。
「ママ!そんな、先にめくったら、面白くないやん!!」(爆笑)



日めくりはつづく  10/7

"美しい人に憧れる理由は
 自分の心の中の
 小さな小さな美しさが
 反応しようとしているのだ"

たいせつな、美しい人たちに囲まれて過ごした、幸福な週末でした。
ふるさとへと続く、山に囲まれて…
山があるって、いいなあ。
町を見下ろして、しみじみ、そう思いました。
ここで暮らしている時は、あまりに当たり前で、気付かなかった。
山のにおいが、こんなに、心に染みついていることに。

同じ年、月生まれの、いしらさんのHPが、更新されていました。
いしらさんは、わたしが憧れる、"美しい人"。
そのことば、綴られる想い、まとった空気…
新しいメッセージには、わたしが思っていることと同じことが書かれていて、
うんうん!と、うなずきながら、憧れつつ、同じ気持ちでいたい!と、
強く、思ったのでした。

うん。
確かに、さだまさしさんの、言うとおり。(笑)
わたしの中の、小さな小さな美しさが、反応しようとしているのでしょう。
10月は、いしらさんのエッセイを読んで、心を洗おう。



日めくりはつづく  10/6

"美しい人、とは、
 美しい心を
 持つ人を
 言うのだろう"

ひとが表現するもの、すべてに、そのひとの心が映る。
当たり前だけど、
まず心の動きがあって、→その発露としてことばや表情があって、→その先に、
かたちになるもの(現象…芸術でも、はたまた事件でも、、なんでも。)がある。

これを逆説的に考えるならば、
その「かたちになった」部分から、「目に見えない」部分まできちんと感じ取る、ことが、
ひとの美しさを見出すことに、つながっていくのだと思う。

「目に見えない」部分を感じ取るためには、
自分の心を、研ぎ澄ますこと。
事実と、自分の中に起こる反射的な反応を切り離し、見つめること。
そしてそれらすべてを、偏見なく受け容れ、手放していくこと。。

だからこそ、それは、自分しだい、わたししだい、なのだ。
かたちあるものを見て、ただあれこれ評しても、何も変わりはしない。
かたちあるものを見て、自分の心を見つめたら、何かに気付けるかもしれない。



人の美しさ  10/4

"美しいとは
 何だろう
 人の美しさとは
 何を言うのだろう "


毎朝子どもたちがめくってくれる、テーブルの上の日めくり。
ふと見たら、こんなことばでした。

人の美しさは…
感覚を統べて、心で感じるもの。
そして、どの人にも、平等に、備わっているもの。
それを、見出せるか、見出せないか。
それは、わたしの、心しだい。

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午後、突然に、かわいらしい小包が届きました。
差出人の名前を見て、びっくり。
夕べ、子どもたちとモリコロのDVDを見ながら、「これを録ってくれたのは…」と、
そのひとの、話をしていたところだったから。
そして、昨日たまたま見ていた音楽番組がドイツ収録で、
「そろそろ、帰ってきた頃かな…」と、そのひとのことを思っていたから。

彼女は、きんもくせいの香りから、わたしのことを思い出してくれたのだそうです。
なんという幸せ。
その気持ちに、心のなかで手を合わせて…

小包のなかみは、ドイツの数々のおみやげでした。
けれど、いちばんのおみやげは、彼女のお手紙だった。
その文面から、ブレーメンの美しい春や夏の風景が見え、
にぎやかで楽しい町のようすや、優しいお年寄りたちのすがた、
その場の空気を一緒に吸ったような気持ちで、胸がいっぱいになりました。

お手紙によると、ご主人の帰国はまだだそうで。
遠いドイツからの帰国、
小さなお子さんふたりと、新しい生活の準備と、、、
まいにち、てんてこまいをしているだろうに、
こんなにていねいなお手紙をしたため、品物それぞれに注釈をつけ(笑)、
心のこもった、あたたかなプレゼントを、用意してくれた。
その気持ちが何よりいちばん、うれしかったよ。
いつもこの季節に思い出してくれて、ありがとう。


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それから、もうひとつのおくりもの。

先月のこと。図書館に行ったら、イレギュラーな休館日…。
やられた…。
図書館前の掲示板に立ち尽くし、カレンダーをながめていたら、
その隣に、こんな手書きのクイズがはってあった。

「今月のテーマ ブドウ
 ブドウの品種はたくさんありますが、次の二つのうち、実際にあるのはどっち?
 @瀬戸ジャイアンツ A倉敷タイガース
                        答えは、図書館の中の掲示板」

↑中に入れない今日、ちょっと気になる…。
そこで、ブドウの国の友達なら(笑)知っているに違いないと、
クイズを写真に撮ってメールで送り、答え合わせをしてもらったのでした。

その、1週間後。
思いがけない小包が。


なんと「答え」がそのまんま、届いたのです。。

市場に行ったら、たまたま出荷されていて、
わたしのことを思い出して、送ってくれたのだそうです。

もちろん、わたしは、初お目見え。
とても近所では見つけられない、ブドウの国ならではの交配種。
"ジャイアンツ"の名前にふさわしい、皮ごとの歯ごたえのある食感に、
クイズの正解をかみしめたのでした。

突然のメールでの質問だったのに、
それも、あんな小さなことだったのに、
思い出してくれて、ありがとう。
あなたのたいせつな時間と手間を、ありがとう。

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いただいたおくりもののなかに、
目に見えないおくりもの、
わたしたちのあいだで光る、価値のあるもの、がたくさん詰まっていたことが、
受け取ったわたしには、いちばんうれしかったことでした。
相手を思う気持ち、、、"人の美しさ"のひとつのかたちを、
心で感じさせてもらったおくりものでした。



October  10/3

遅くなった夜明け。
光が斜めに差しこむ、金色の朝。
ぴかぴかの青空。
まっすぐな線になって広がる雲。
風に乗って、気持ちよさそうに流れていく雲。
心の空にも、穏やかなOctoberの訪れ。




Oh! That's Cello  10/2

幸せなことに、チェロに触れる機会に恵まれました。

まず、楽器を抱きしめて、一緒に揺れて…
いい位置を見つけて構えを決め、開放弦をピッツィカート、
それから、ボウイングの練習。

生まれて初めて鳴らした第2弦のD(デー)音に、胸がくしゃくしゃになる。。
そして、ゴーシュがセロを「ごうごうと」弾く、というのがよく分かった。
心の奥までしのびこむ、あたたかく深い音。
弱いけれど、確かに今、
それを自分で、自分の胸の前で、鳴らしている…。

20年ほど前、G-クレフというグループがあって、とても面白い音楽をやっていた。
メンバーはみな芸大生で、クラシックの畑からはみ出したような…。
彼らのオリジナル曲・「90番目の夜」の旋律のチェロが、大好きだった。(いまでも)
メンバーだった柏木さんが弾いていた、映画『冷静と情熱のあいだ』のテーマ曲、
タイトルにもした↑チャップリンの音楽のチェロ版CD、
心にしのびこんだまま抜けなくなった、フォーレの「夢のあとで」の旋律、
La Quartina(N響のおじさまたち)のCDとの出会い…
おとなになって、そんなふうに少しずつ、チェロ好きが顕在化していった気がする。

チェロのCDを流すのは、たいてい、夜。
あの深く豊かな音に癒され、一日の終わりの、安らぎを感じさせてくれるから…
けれどそれは、いつも「もらう」ものであって、
自分が鳴らすというのは、夢のまた夢、だった。

そんな体験の報告を、いちばん楽しみにしていたのは、オットー。
(いつかヴァイオリンを習いたいと言いつづけ、ついに楽器店に申し込むも、
 キャンセル待ちのまま、2年も電話がかかってこない。。)
「チェロ、どうやった?どんなことしたん?」ときかれて、先に書いたようなことを話すと、
「おお…ボウイング。」(笑)
感嘆の声を上げるので、可笑しかった…。
私らのギターにピックはあるけど、弓はないもんね…。(笑)

貴重な経験をさせてもらって、本当に嬉しかった。

「おくりびと」のサントラを聴きながらしみじみと、
あの音を思い出しています。



長すぎて…  10/1

覚えておられるでしょうか?
昨夏、日記に書いた、あの生八ツ橋の小説のことを…。(7/28)

謎めいていたその作者が、ついに判明したのです!
その興奮から一気に文章を綴りましたが、あまりに長すぎて。(笑)
結局、雑記の方へ移動すべく、書き直した次第です。。
(前に書いた、「名前」の話なんかも、雑記いきがよかったかもね…)

ひと昔前は(ほんとうに…)日記を兼ねていた"つれづれ雑記"。
この日記がある今では、話題のシェアに迷うことが多く、
リアルタイムで書きやすいこっちに書くことが多くなったけれど…
客観的に、少し大げさな文章で書き(笑)、
くすっと笑えたり、泣けたり(?)する、というのは、雑記ならではの味だと思っています。
「状況の説明に写真(視覚)を使わない」一線は画して、
想像力をかきたてる文章、エッセイの質を高めていかねば。。
あの短篇小説を、見習って。(ま、気楽にね。)