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晦日  7/31

干したあと、梅酢に戻した梅が、さらに紅く紅く、染まりました。
ルビーをとおりこして、ガーネットのよう。。
わたしにとっては、ひとつぶずつがまさに、宝石。
ずっとながめていても、あきません。


そんな梅を、みつめる誰かが…


小さい坊ちゃんが、夕べ作っていた、ペーパークラフトのゆるキャラ。(笑)
名前は、「そばっち」です!


1年前に物産展で出会って以来、注目してきた彼ら。(実は5人兄弟のひとり)
この夏は、大活躍の予感!(我が家のブーム)


そして、今年、思いつきで買った綿の苗。
とっても元気で、すくすくと伸びて、すくすくと花を咲かせ、
あっというまにふっくらした実をつけはじめました。

「なごみポケット」に入っている、コットン成長記を懐かしく読み返した。
すっかり忘れていたけど、あの時も、新芽をとめられなかったんだ。(笑)
今年も悩んだけど、先日思いきって、新芽をとめました。
うまく枝を増やしてくれるといいなあ。。



夏の夕暮れ  7/30

暑さと裏腹に、少しずつ、日没の時間が早くなってきた。
病院に行こうと表に出たら、まだまっさおな空に、ぽっかりと白い月がのぼり。
思ったより早く済んで、また外に出たら、
ソフトクリームのようなくっきりとした入道雲が、
夕焼けを反射して、オレンジ色に夕映えている。
やがて西の空は美しくグラデーションしながら色を変えてゆき、
東から刻々と藍色のキャンバスを広げはじめる。

夜遅く、オットーが帰る頃。
駐車場まで歩きがてら、空を見上げていたら、
夏の大三角がもう真上にいて、
麦星は、西に傾いている。
さっき東にいた月が、南の空に明るく輝いている。

冬の夕暮れのしん、とした空気も、りんと澄みわたる星空も好きだけれど、
夏の空の変化は、またそれとは違って、美しい。
写真にも収められない空気感と、微妙な色合いを胸に沈めて。
ため息をさらっていくやわらかな風に、慰められる夜。



おもしろ発言  7/27

また。。ふとした会話から、思い出した。(笑)
先週の、夏祭りのあとのお話。

2日間のお祭りのおこづかいを、ふだんとは別に、わたしてありました。
どれだけ使ったのか??と、くんくん!(笑)聞いてみると。
小さい坊「全部使ったー」
大きい坊「150円残ってる」
わたし  「・・・何に、いくら使ったか、全部書き出しなさーい!」
ま、もともと、多すぎずわたしてあったから、いいんだけどね。
大きい坊ちゃんが小さい坊ちゃんに、なぜか途中で、50円あげたらしい。
その上に、小さい坊の「あと○円残ってるから、何に使おうかなと思って」というせりふに、
ちょいとお小言を言っておきました。
「お金は、あるから使うんじゃなくて、ほんとに欲しいものに、使うんだよ!」
これ、貝原益軒の『養生訓』にも通じると思うんだけど(飛びすぎ?笑)
五感に心が振り回されるのでなく!心が五感を統括し、コントロールするのであーる。

あ、それで、おもしろ発言は。

小さい坊「みたらしだんご、70円。やきせん、30円。・・・(書いてる)」
わたし  「この、やきせん30円は、70円に合わせて、使いきろうとしたのっ?!」
小さい坊「(怒られたとおもい真顔で)・・・合わせたんやけどっ。
      だんごに合わせたんやけど・・・・・・おいしかった。」

次の瞬間、差し向かいのわたしと、隣の大きい坊ちゃん、大爆笑。。
ま、まけた・・・。
3人で、笑ってしまいましたわ。
思いっきり、五感に振り回されてるやん。



つづき・雑感  7/25

自己肯定感つながりで、もうひとつ、出会った文章がありました。
「自己肯定感を育てることが、子育ての究極の目的」
ああ、水谷先生の話と、わたしが感じたこととも、同じことを書いてくれている。。
ひとつ発見だったのは、
「自己肯定感を高めた状態を正解とすることが、逆に今の自分を否定することになる」
という一文でした。
自己肯定できない自分を認めていい、ということ。
なんだかパラドックスですが、そうして自己回復力を待つしかない、と。

こころは、不思議な生き物のよう。
目に見えないけれど、そのちからは大きくて、なぞに満ちていて。

そんなことから、
鈴木秀子さんと、中村天風氏の本を、久しぶりに開いた。
たまたま、手にとって一部を読んだ、という程度だけれど、
そのどちらもが同じことを伝えていて、はっとする。
それは、両氏とも、それぞれの人生で死に瀕して学ばれたことで、
時代もひとも、ことばさえまったく違っても、
そこには紛れもない真実があると、心の深いところに落ちた。

坊ちゃんに話したら、「それは、なんの宗教?」とやられたけど。
宗教と呼ばれるものが、みんな共通して持っている、要の部分、なのかなあ。。
わたしは、区切りのある一般的な「宗教」は持たないけれど、
こころに、「信仰」を持っていたいと願っている。
その真実に通じていく道として。
自分のこころに落ちたものを大切に、それを生き方で実践する、努力をする。
それが「信仰」というものなのだとおもう。

そのために、日々、こころとからだに表れる、自分の内側を見つめて。
外側は、すべて内側の反映により、変化していく。
その移ろいのすべてを愛し、ただ淡々と流してゆけたら、どんなに幸せだろう。
咲いた花に心を移し、ただそこに咲いてみれば、
ほんの少し、その気持ちが分かる、気がする。



自己肯定とピアノ  7/24

2年に一度の発表会、再び。
出るかどうか。。また悩む時期に来てしまった。

「ピアノを弾くという能動的な行為をするには、自分を肯定していること。」
そんな時に、このことばに出会って、涙が出た。
自分の中の、越えられない壁が何か、と考えるとき、
いつも行き当たるのは、やっぱり、そこだった。
ピアノがすごく好きなのかも、分からない。
どうして弾いているのかも、分からない。
けれど、あんなにのめりこんだギターではなく、いつもピアノに戻る、というのは、
何か、自分の中に理由があるのだろうとおもう。
もう、自分の中にめりこみすぎて、分離できなくなった、何か。
そうか…幼い頃からの、自己肯定感とつながっていたなら、
手放せない訳も、また、越えられないのもなぜか、分かる。

ピアノを弾こうとする時、そんな心の状態がむきだしになるのが、分かる。
だから恐ろしくて、人前で(特に子どもに交じって)弾くことを躊躇する。
上手か下手か、見た目はどうか、失敗しないか。
そんな基準で見つめられている気がして、緊張する。
「受け容れてもらえない」と思うからだ。たぶん。

大人のための発表会は、そこが違った。
聴きあうお互いが、技術ではなく、その人の生き方が滲みでるピアノを、
温かく受け容れてくれていることが分かったから。
だから、安心して、弾けたのだ。

それでも、その人は言う。
「大人が集まって弾くのは、それもいい機会。
 けれどそれは別にして、
 大人の人たちは子どもや若い子たちに交じって弾いてほしいと思う。」と。

ピアノを楽しんで弾いている姿を、ぜひ子どもたちに見せてほしいから。
家庭のこと、仕事、いろんな事情と重荷を背負いながら弾くピアノ。
生きることが楽なはずがない。
時間もない、エネルギーもない、そういう中、
ピアノを弾いている姿を、若い子たちに見せてほしい。

ピアノを習わせているお父さんお母さん、
発表会で大人が演奏している時、イメージしてほしい。
自分の子どもが大人になってピアノを弾いている姿を。
どうしてピアノを弾くのか、それがわかるのはずっと先のこと。
何事もなければ、必ず大人になる。
その時に、
「子どものときピアノを習っていてよかった」「ピアノが弾けてよかった」と思えるように。

私はいつもそれをイメージしている。(つもり)
大人になった時、必ずついてまわる困難と重荷。
その時、そばにピアノがあったらどんなにいいだろうと。
ピアノがくれる力を知っているので、
大人も子どももなく、発表会ではいろんなことを感じてもらえたら。
自分もがんばったように、ほかの人もがんばっている。
そういう姿を、みんなで応援したい。
1人1人に人生のドラマがある。
私の目指す発表会はそういうもの。
技術も音楽性も大事。そして思いやりも。

若い、成長期にある子どもたちばかりの発表会で、
技術の向上が主眼になる傾向は、当然なのかもしれない。
けれど、子どもの頃からのその感覚をひきずって、
上手かどうかとか、間違えないかとか、そんなところにこだわる自分がいるから、
観客もそんな風に聴いているのだろうと、恐ろしくてたまらなくなる。

そして、どこかで、ピアノを弾くことへの罪悪感も持っている。
「ピアノばっかり弾いて、お前はお嬢さんか」「気楽やなー」
母の言葉が今も、耳元で聞こえる気がする。

けれど、もう今は、、そんな昔の感覚とは別に、
自分の心に溶けるような、やわらかい音楽を弾きたい、と思う。
(手の届かなかった、技術をとおして聴かせる曲への憧れも断ち切れないけれど。)

こんなふうに思って、聴いてもらえるのなら。
そして、続けていけるのなら。

『あなたがピアノを続けるべき11の理由』もよかったけれど、
自分の個人的な理由を探し出すことは、できなかった。
自己肯定感、でつながって、
深く心に染みた、すてきなことばたちでした。
出会いに、感謝。



せみの幼虫  7/22

雨の降る週末、公園の足元はどろどろ。
大勢のひとに、踏まれ踏まれて、最後には粘土と化していた。
二日目、開始前に、なんとトンボをかけられた地面(笑)
子どもたちのお母さん、泣いただろうなあ…
それでも、大盛況だった夏祭り。
わたしは周りを見る余裕もなく!ただひたすらお金を数え、守銭奴と化す。(笑)
子どもたちも、遊びながらお店の手伝いに入ってくれて、助かりました。

その時のこと。
隣に立っていた大きい坊ちゃんが、「ああっ!!」と何かを指差した。
「せみの幼虫が出てきた〜!!」
目をこらすと、薄暗い植えこみの陰をよたよた歩く、小さな姿が。
ゆっくりと、よいしょよいしょと、木を目指しているのが、分かる。
「うわーこんなん、初めて見た〜!」と、坊ちゃんは興奮ぎみ。
「今晩、羽化するんやわ。今、その場所を探してるんやわ!」と、わたしも興奮。
我が家の兄弟と、子ども会のお友達兄弟が、幼虫を囲んだ。
みんなでじっと、幼虫の姿を見守っている。。
小さな弟くんも、さわろうとせず。もちろん、いたずらもせず。
優しいみんなの気持ちに、胸がぎゅっとなる。

でも、その場所は、子どもたちが走り抜ける場所でもあったので、
踏まれないか心配だね、と、
お友達のお母さんが小石に登らせて、木の幹にひと足早く、移してくれました。
みんなが見守るなか、幼虫は、ずっとずっと高い場所へ、
自分で登っていきました。
大人の背丈を越えて、葉陰に入っていったところで、ほっとする。
「これで、誰にも見つからずに、取られずに、羽化できるね〜」

アブラゼミは、土中で6年の幼虫期間を過ごすという。。
土中といえども、天敵がいないわけではないらしい。
枯れ枝で生まれて、土にもぐって、6年の時を過ごして、
ハチやアリに襲われる危険もくぐりぬけ、
いよいよ羽化するという、そのたいせつな時に。
誰に教えられたわけでもないその過程を、ただ、自らの生命を「生きる」
そのちからの強さ、尊さを、みんなに見せてくれたようで。
慌しい時間のなかにいて、ふっと、心がゆるんだひとときでした。



おもしろ発言(ひさびさ)  7/20

ちょっと前のことですが、大爆笑した、おもしろ発言。
忘れないうちに、書いておこう。。

朝ごはんを3人で食べていた、土曜日のこと。
たまたま、聴いていたCDの曲から、歌手の話に。
わたし  「この歌は…松崎しげるって、パパの好きな歌手、分かる?」
大きい坊「さあ・・・」(首をかしげる)
わたし  「その人に頼まれて、作詞したらしいよ。」
小さい坊「パパの好きな歌手って…パパがはじめ好きになって、
      それからみんなが好きになった、…だれ?かに?かつお?」
(↑とつぜん話が大幅にずれて、「は?」となっている、他の二人。)
小さい坊「かつお…ああ!ひらいけん!!」
(一瞬、間をおいて…大爆笑)
大きい坊「なんで、ひらいけんがかつおやねん〜!!」
わたし  「堅→鰹…?はっはっはっは(涙目で理解)」

小さい坊は、漢字をイメージでとらえることが、得意なようで。(笑)
平井堅という漢字のひとまとまりが、魚がついてる字の印象と、
どこかでつながっていたのでしょう。

大きい坊「それに、かにってなんやねーん」(笑)
鰹から広がったんやろな、イメージが。
こっちは魚も堅も、ついてないけど。
あー可笑しすぎる。

要約すると、
「(その歌手は知らないけど)平井鰹さんが、売れる前からパパはファンだった。」と、
彼は言いたかったのでした。(笑)



おべんとうのはなし  7/19

メモリを増設したわりには、起動した直後でないと画像処理ソフトが立ち上がらない。。
そんな綱渡りをしながら、画像の整理をしています。
なぜか1学期、撮りつづけていたおべんとうの写真とか。(笑)
もう30年以上、お弁当を作ったり、作らなかったりしてきたけど、
特にこだわりもなく(笑)ただすきまを埋める!ことに心砕いてきたくらいで…
冷凍食品をほぼ入れないのも、こだわりではなく、
昔からただ作りつづけた習慣が成すもの、と思われる。
まず自分のもの、妹のもの、そしてオットーのもの、、、

ところが、子どものものは、やはり気持ちが変わるのでしょうか。
開けた時に、さびしいのはかわいそうだなと、どこかで思っているみたいで。
今後、困った時に、メニューと彩りの工夫を思い出すために。(笑)
消えモノゆえ、写真で記録してみた、というわけなんです。

今は、おべんとうを作るのに、おべんとうのレシピ本を、あまり見なくなりました。
1年ほど前に、『おべんとうの時間』という記事に偶然、そして本に出会ってから。。
その内容に心ひかれて、写真を撮ってみた、ということもあります。

その本は、とある機内誌の連載をまとめたものなのですが、
いろんな職種の方のおべんとうを取材して、
おべんとうにまつわる、その人の仕事や家族、人生、を語ってもらう、という企画。
取材されたご夫婦の物語もあり、とても魅力的な内容なのです。
おべんとうは人によってさまざま、ほんとうにさまざまで、
そこに、ひとつひとつ、作る人、食べる人、の物語があるのだなあと、
しみじみ、「食」というものの奥深さを感じました。

坊ちゃんの中学校には外部業者委託の「ランチ」なるものがあり、
それを「ランチカード」で予約すれば、いつでも学校で食べられるのだけれど、
3日前までに予約、というのがミソで。
当日急に!頼めないのが唯一の難点。
(わたしの学校では、購買でパンが買えたりしたけど…)
4月にお味見と称して1ヶ月予約してみたのですが、
数日、病欠した時も、当然キャンセルできず、
配膳でなくボックス式の時が多いので、余ってしまうんだなあと残念に思って。
味つけの口馴染みもあって、5月の下旬から、おべんとうに変えた、というわけなんです。
(配膳に当たっている期間だけ、温かい好きなメニューがあると、頼んでいます)
↑ランチの仕組みの説明だけで、ずいぶん長くなってしまった。。

ま、おべんとう(黒板に書かれたこのひらがなを、連絡帳に写すのが好きだった)のはなしは、
綴りだすとながーくなるので、過去の雑記に譲ります。(笑)
そこにも書いた気がするけれど、子どもの頃のおべんとうの記憶、って、
たぶん、ずっとずっと残っていくもの。
今でも、父の作ったお弁当(なぜかこれは、漢字だ)を、ふと思い出す時がある。
アルマイトの四角いお弁当箱に、白いご飯を半分以上と、梅干し、焼いたメザシ、卵焼き。
父と出かける時だけのお弁当。
それは、写真に残っていなくても、しっかり記憶の画像で残っている。

子どもたちの心にも、どこかで、おべんとうのあたたかい記憶と、
おべんとうにまつわる、食べても消えない「何か」を、残してあげたい。
そんな思いで、おべんとうを作っているこの頃なのです。



一年半分。  7/18

トップページの写真を写真館に移動するのを、ついつい不精していたら、
一年半もためてしまってました。(汗)
これ以上放置したら、いよいよ分からなくなると思い、えいやっ。と整理しました。。
あのメジロちゃん、今年のかと思ったら、昨春のだったのね。(笑)
またいい写真を求めて…がんばらねば。



梅雨明けです  7/17

雨つづきの予報が突然覆され、痛いくらいの日差しが届いたら、もう梅雨明け間近。
そして、午前中ふらふらと出かけているまに、梅雨明け宣言。
この日差しに、もう矢も盾もたまらず、お昼から作業開始!


そう、この子たちです。
そろそろ1ヶ月経つので、ちょうどいい頃。すっかり美しいルビー色に染まりました。
本当は、迫りくる大行事・学区夏祭りが終わってから、、、と思っていたけれど、
昨年は晴れの日を待ちこがれ、8月に入ったことを思い出し。。
善は急げ!!


それというのも、今年はこれを買ってあるんだよ〜♪
準備万端、といいたいところなのですが、
これでひとびん分の広さ?なので、ひとびんずつ3日間、合計6日かかるなあと考える。
しかし、このギラギラの日差し。逃すのは、もったいなーい。
ということで、ホームセンターにひとっ走り、
売り切れ寸前のざるをもうひとつ、ゲットしてまいりました。
これは、使って分かるすぐれもの〜!すばらしい包容力。
ざらざらっと、全員(注・梅)を広げられる手軽さ。
昨年の、普通のざるに並べた苦労を思えば・・・なんてすばらしい。ありがたい、専用ざる。


うめぼしちゃんと記念撮影してから、干されに出る今年の梅ちゃんたち。(笑)
いよいよ、「梅漬け」から「梅干し」に変身!
うめぼしちゃんも、また仲間が増えて、うれしそうです。



トップページが  7/16


↑の処置により、ようやく替えられました。。。やれやれ。
(6月の日記とともに、写真追加できました。ありがたや。)

グラデーションしていくとまとかいだん。
ここにも、神さまのはたらきをみる。
お日さまと、生きるちからとが相談して現れる、自然のすがた。
ただ、一途に。
わたしも、そんなふうに在りたい。
ただ、一途に。



風の画家  7/11

中島潔さんの展覧会に行ってきました。
「生命の輝きと無常展」

2010年に奉納された、清水寺成就院の襖絵。
その完成までのドキュメンタリーを当時テレビで見て、
いつか清水に見にいけたらと思ったけれど、
公開時期が限られているようだったので、あきらめかけていました。
製作現場を見た作品を、こんな間近で見ることができるなんて…
特に、金子みすゞの詩に触発され、
自らの人生で出会った人たちをなぞらえて描いた、という「大漁」は圧巻でした。
童画の系列の「風の故郷」、
源氏物語五十四帖の流れを感じる「かぐや姫」、
どれも息を呑むような、迫力のある筆致に圧倒されました。
生々しい、というか、
息吹、いのち、を感じるのです。その、筆遣いのひとつひとつに。
生命を削って描かれたことが、ひしひしと伝わってくる作品でした。

昔むかし、さだまさし対談集『夢行身発飛-ゆめいくみはっぴい-』という書籍があり、
その表紙を飾っていたのが、中島さんの女性画でした。
今も、友達に借りたその本の表紙を鮮やかに思い出します。
その頃から、絵を見かけるたびに注目していた画家さん。
何度か展覧会にも出向き、ずいぶん長い年月が流れました。

童画に描かれた、季節の美しい花々や木々、空、そして子どもたち。
そこからは、ふるさとへの強い憧憬が伝わってくる。
女性画には、憂いを帯びた儚げな表情に、瞬間の気持ちが閉じこめられている。
そしてどの絵にも、いつも風が吹いているのです。
絵の中に入りこんでしまうと、その風を肌で感じる。どんな風かが、本当に分かる。
もしかしたら逆に、風が媒介になって絵の中に引きこまれてしまうのかも、しれない。
絵の世界と観る人とを結ぶ、魔法のような風の糸。
たおやかな作風でありながら、その奥からあふれんばかりのいのち、情熱を感じる、
風の画家の偉大な画業に、感じ入った展覧会でした。



音階時報時計・グランソルフェ  7/9

先月、梅干しと同時期だったんですが。
写真がアップできなくて、書けなかった時計のはなし。


音階時報時計を購入しました。
我が家初の、電波時計!
それもただの電波時計では、ありませぬ。(笑)

先月、どうしてもほしい楽譜を探して、大きな楽器やさんに出向いたのですが、
その店頭に飾られていて、目を奪われてしまったのです。。
それが、このシリーズの時計。

なんと時報が、バッハの平均律。
12時間が12の音階に重ねて数えられており、
C-C#-D-D#-E…と、それぞれの音階の平均律のプレリュードが流れるのです!!
時報で音楽が鳴る時計は数あれど、
電子音や、うるさい音楽は、要らない。
音楽が鳴る時計、欲しいなーと長い年月思いながらも、
購入に踏みきるまでの出会いはないまま、今に至る。。
それがこれは、生のピアノをデジタル録音したというこだわりの音で、
バッハの平均律を毎時聴かせてくれるのですから。。

ちょっと悩みましたが、あっ。
ちょうど、大きい坊ちゃんの入学のお祝いで、何か買ってあげて。と、
言われていたのでした。(笑)
ま、耳からお勉強?とも思い、
しっかり、リビングにかけております。(笑)
坊ちゃんたち、そろそろ、各時間の音楽を覚えはじめたようです。



第二夜  7/8

そして流しそうめん、本番。
よいお天気になって、よかったよかった。
わたくしはただひたすら、裏で8kgのそうめんほぐして冷やしておりました。
見ているだけでおなかいっぱいになりそうな、すごい量でしたが、
会員さんたちと、全部終わってから役員で完食。
外の風に吹かれて食べるのは、なんでもおいしいな。
(それがたとえ、校舎の裏であっても。笑)
そうめんがだいたい終わったら、枝豆やわらびもち、キャンディやフルーツなども流す。
子どもたち、大争奪戦!みんな大喜びでした。

午後の会議を途中で抜けて、再びコンサートに向け、出かける準備。
さて本日は、歌うのみの第二夜。子ども連れです。
昨日の席にオットーと小さい坊が座り、わたしと大きい坊は、3階席へ。
3階もまた、なかなかよい席。(まんなかでした)
始まってみれば、確かに歌つづき、まさに歌うデイでした。
数曲続けての演奏、合間に、今後の展開を案内する程度の語りしかなく。(笑)
オットー曰く、「これはやりすぎやろ〜」
う〜ん確かに。。眠くなってしまった。(笑)昼間の行事の疲れから?
でも、オットーの周りも寝ている人が多かったとか。。

ニューアルバムからはもちろんだけど、
懐かしい歌もたくさん歌ってくれて、わたしはうれしかったです。
子どもたち、どの曲も、だいたいわかったらしい。
なかなか、聴きこんでますな。。もう中級レベル?(笑)

それにしても、子どもを連れて、40周年にくることができるなんて。
中1でファンになったわたしが、中1の息子を連れて、コンサートにこられるなんて。
あの頃からは、まったく見えない未来でした。
ずいぶん未来まで来たもんだ、と、
二日とも歌ってくれた新曲に、自分の想いも重なりました。
何より、長いあいだ、ずっと歌いつづけてくれたまさしさんに感謝です。




七夕  7/7

朝のニュースで、「今夜の七夕の再会は、なさそうですね…」と、
確実な雨予報にがっかり。
がっかりしながらも、、、今日・明日は気合入れていかねばなりませぬ。
子ども会の大行事「流しそうめん」準備・本番と、
夜は二日連続の、40周年記念コンサート!

振ったりやんだりの中、竹を運び出して組み、
2週間後の夏まつりの準備もして、午後まで過ごし。
そうしているうちに、雨がやんで風が吹き、雲が流れ。
西の空が、明るくなってきた!
明日の流しそうめん本番、晴れてくれるといいな。。

帰宅したら大急ぎで子どもたちに食べさせ、また、夜のごはんを作り置く。
(今夜は、子どもたちはお留守番デイです。)
夕べから帰ってこないオットーをあきらめ(後から来る予定)、
先に電車で行こうと玄関出たところに、やっと帰ってきた〜。
急いで着替え、一緒に出ることができました。
会場到着、開演30分前。よかったよかった。

二人とも、記念コンサートは20周年以来。フェスティバルホールでした。
(オットーは、10周年も行った。と自慢げに語る。 笑)
今夜はしゃべる、トークのみの日で、明日は歌だけの日。
何度も聞いた話ばかりなのに、笑い泣き3時間半。
そして合間に、7曲は歌った。(笑)
その中に、会場からのリクエストで突然歌った歌があって、
ええーなぜにこれ!という重い歌なんですが、それが意外にも、とてもよかった。

終了後、余韻を抱いてホールを出たら、
芝生広場いっぱいに湿った風が吹きぬけ、美しい星空が広がっていました。
「晴れてるー!」
朝からばたばたしているうちに、会えない二人のことを、すっかり忘れていた。
空高く、くっきりと描かれた二等辺三角形。
織女星ベガが青白く光り、
その下に、少し弱く二等星のデネブ、白鳥の羽もうっすら見える。
そして、牽牛星アルタイル。
このアルタイルとベガのあいだに、見えないけど大きな川があるんだなあ、と
思いをはせながら、見上げていました。
そこに白鳥のくちばしの二重星、アルビレオがあることも。
振り返れば麦星、アルクトゥルスが明るく光って。
頭の中で朝のニュースに立ち戻ってみれば、嘘のような七夕の再会でした。
「ふたつならんだ星〜アルビレオ〜」の美しい旋律が、ずっと心の中に響いていました。
会えて、よかったね。。