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花の色は…  11/30

我が家の借景と化している、隣地の菊が、今、まっさかりです。


こんなふうに、フェンスを越えてくるのです。
まったく、うちを装飾してくれているようにしかみえない。
大歓迎のお客さま。


実はこの2枚、1週間前の画像。↑
なんとこの花たち、今では。。


そう。白はピンクへ、黄色はオレンジへ、グラデーションしていっているのです。
葉っぱでさえ、黄緑とオレンジのまだら模様に…
若い花が満開になり、咲ききった後は、濃い色に変化していく。。
不思議な自然の摂理。
花の色は / 移りにけりな / いたづらに。。とは、よく言ったものです。。
(桜が色あせたのでなく、菊が色鮮やかになっていったという違いはありますが。。)


近くで見ると、そのなんともいえない美しさが、よく分かります。
小さな花たちが、ひとつとして、同じ色あいのものがないことも。

若い時にはなかった色を、ひとつひとつ、自分の中に見つけていく。
それは、人も同じだなと思う。

グラデーションした、一枚の織物を織りあげるような、
年とともに、誰にも真似のできない味が増すような、
そんな人生でありたいと思う。

そう考えると、小野小町のように、悲観したものでもないな、とも。



宴の後  11/29

街はすっかり、クリスマス模様。
お歳暮を送り、年賀状を買って…

気分はまだ、宴の後。
大人のピアノ発表会を終え、革命的な感覚の変化と感動の波に、
呑まれたままです。

ずっとずっと、澱のように心の底に沈んでいた、
音楽をやることの意味を、
ことばにならない、見えないかたまりで、はっきりと、知らされた気がする。

本当に、すばらしい会でした。
一音一音に、胸がふるえました。
生きるということ、ピアノを弾くということ。
みなそれぞれに、それぞれの人生の中で、
ふたつとない、その人だけの音楽を奏でている。

文字にしたら、よく言われる陳腐な言葉になってしまう。
だから、言えない。言葉にならない。

その見えない、言葉にならない、わたしだけの気付きを胸に、
もっと自由に、あふれるように、自分を弾きたい、と思った。
箱にきれいに納まった、「もっと上手に!」の演奏は、つまらない。
心に響かない音は、もう要らない。

わたしにとってピアノは、趣味ではなかった。気分転換でもなかった。
ストレス発散でもない。ぼけ防止でもない。
でも、人から尋ねられるたびに、言い訳せざるを得なかった。
答えが、見つからなかったから。

「大人になってまで、なんのために弾くの?」
「真実の自分を生きて、表現するために。」



発表会  11/27

6人だけの、小さなピアノ発表会がありました。


こじんまりとした、アットホームなスタジオ。
会そのものも、ホームコンサートのような、小さくあたたかいものになりました。

順番は、本番前にじゃんけんで決めるという方式。(笑)
リハーサルも、ひととおりみんなが弾いたら、あとは自由な感じで練習。

じゃんけんで決まったわりには、ベストな順番だったと思います。
アレンジされた、いろいろな曲を聴かせてくれる人が最初に決まり、
2番は、始めたばかりの年配の方、
3番は、数年続けておられる人がクラシックの一曲をじっくりと、
次は若い幼稚園の先生が、明るめの曲を、
その次がわたしで、北欧の空気感漂う曲を、
最後が3番目の方の妹さんで、哀愁漂う現代曲を、先生と連弾されました。
音の厚みがあって、ラストがとてもよかった。

弾く前に、簡単な自己紹介と曲紹介をすることになったのですが、
その話には、それぞれの人生があり、
演奏される音楽にも、その人自身が表れている…
それを、少ない観客が温かい目で見守り、聴いている。
本当に弾く方も観る方も心地よい、優しいコンサートでした。
そして、子どもの目指すピアノとは、まったく違うスタンスがあることを、
理屈でなく、心で理解できたのでした。

最後は、みんなで「ふるさと」を合唱しました。
この合唱でも、学んだことがありました。
「できないことをたいせつにする」

このふたつは、上昇志向の強いわたしには、目からうろこが落ちる、大きな気付きでした。
言葉にならない焦燥感を、常に無意識に抱えているわたしは、
それをムリに言葉に置き換えるなら、
なんでできないの?!それくらいできて当然!根性と努力が足りない!
と、意識下で自分を責めているようです。
ピアノの先生の言葉すらも、一時、そんなふうに聞こえた。
どこまでやっても、自分自身の満足感は、得られないまま弾いてきたし、生きてきた。
「他人から見て」ちゃんとできていない、わたしはおかしい、と常に思ってきた。
子どもと一緒にピアノを弾くとなると、
余計なプレッシャーが更にかかり、本当に苦しくてたまらなかった。

思いだせない記憶の底で、
「間違えてはいけない」という恐怖が染みついていたことに、気付いた。
指使いが違うと母に手を叩かれながら、泣きながら弾いていた、3歳の頃。

もう40年も経って気付いても、遅いかもしれないけれど。
できなくてもいいんだ。失敗してもいい。
箱の中にお行儀よく納まるみたいに、
きちんときれいにまとまったものが、人の心を打つとは限らない。
「正しい」「正確さ」はむしろ、そうあるべき、そうあらねばという理性を刺激して、人を緊張させる。
生きることも、音楽も、間違えてはいけないという緊張は、心を縛る鎖になる。
できない部分があるからこそ、人のできない部分、弱い部分と響きあい、
共感を生み、感動を生むのだ。

ピアノの目的は、「正しく、正確に」弾くことではない。
自分を慰め、聴いてくれる人の心に響く音楽をすることが、
いちばんの意味なのだ、と。腑に落ちたのでした。
まだまだ、人の心に届くような演奏はできないけれど。
帰り道、通った駅のデパートは、すっかりクリスマスでした。




レモンバーベナのチーズケーキ  11/26

春に植えたレモンバーベナが、ゆっくりと大きくなって、
そろそろ、剪定と寒さ除けをする季節になりました。
いつものことで、なかなかもったいなくて切れないのですが、
今回は、寒さに負けないためにも、少しだけちょっきん。

折も折、ちょうどテレビでやっていた、
レモンバーベナを使ったチーズケーキを作ることにしました。
この葉っぱ、ごわごわしていて、そのままでは口に入れにくい感じなのだけど、
刻んでみて納得!「レモンの香りの青じそ」って風情?(笑)


そして焼きあがったチーズケーキ。
残った葉は、レモンティーと一緒にポットに入れました。
半分ハーブティー、の紅茶になりました。



時を越えて  11/23

先月、布の大整理をしていて、これは…と見つけたものがありました。


刺しかけの、刺し子のふきんです。

たとえば、刺し子のふきんって、こういうのが一般的です。↓


これは結婚前に作ったものですが、今も立派にお仕事してくれてます。

この刺しかけの方、確か、友達と手芸やさんにいって見つけたもの。
わたしが作ってプレゼントするわと言ったら、友達が、
じゃあ、買うのはわたしが。。と、購入してくれたものでした。
あれから…ひいい。何年経ってるねん…

昨年からひさびさに、バースデーカードを送りあっている、その友達。
明後日の彼女の誕生日に間に合わせるべく、一生懸命、刺してます。
明朝には、郵便にできるように。
気長ーに、つきあえる友達っていいな、と思いながら。
おそらく、購入から、15年は経過しているこのふきん。
友達は、覚えていてくれるでしょうか。。



カーネーション  11/23

数年前の母の日の、カーネーション。
この季節になって、美しい一輪が花開きました。



初夏にたくさんつぼみをつけていたのに、
クロウリハムシというムシが、葉とつぼみをカリカリとかじっていくため、
まったく咲くことができなかったのです。かわいそうに。
ナデシコも咲いたはしから同じムシが食い荒らしてくれて、
我が家のナデシコ科は、ともども不作でした。

朝のドラマが面白くて、騒いでいたからかなあ。
呼ばれたと思ったのかもしれません。
今なら、クロウリハムシもいないし、チャンスです。(笑)
しっかり、咲きつづけておくれ〜。



写真  11/18

アルバム。時間の記憶。
同じ自分が生きる、まったく別の世界。

今の自分の足場が心もとなく思える時、
開けば少し、気持ちが緩む、不思議な異界。

昔に戻りたいわけではないけれど、
昔の自分のように、まっすぐな気持ちで生きたくて、
ふと、思いだしたその感覚に気持ちを重ね、真似てみる。

徹夜明けで論文を出した、あの日の朝の笑顔に。



りんご  11/16

友達が仕事帰りに、りんごを届けてくれました。
長野県で、りんご狩りをしてきたんだそうです。
彼女が自分でもいだりんご!
ぴかぴかの大きなりんご。
うれしかったです。やっぱり、買ったのとは、違う気がして。
『日本でいちばん大切にしたい会社』で紹介されていた「かんてんぱぱ」にも、
見学にいったそうです。

真っ暗で寒いのに、玄関先で半時ばかり、話をしてました。
りんご狩りの話から始まって、仕事の話つながりで、音楽の話。
目の前にあった植木の話から、彼女の庭の話まで…
「増えるよね!知らないうちに。」っていうのが(笑)合い言葉。
音楽と植物の話をすると、自然、元気になる自分を発見する。。
意外に、その話題で話せる人が周りに少ないのです。

休むひまのないお仕事のため、会う機会もなかなかないのですが、
同じ土地に、学生時代の友達がいるというのは、心強いものです。。
先月、手紙を整理していたら、
わたしがここに引越してきた時の彼女の励ましの手紙が出てきて、
泣けたものです。
この気持ちに支えられて、この十数年をこの場所で、
生きてこられたんだなとあらためて思った。

そう、植物で言うならば、根を張るまでの、支柱。
今ではたくさんの知りあいや友達、土地勘もできたけれど、
ぐらぐらの、しなしなの、植え替えられたばかりだったあの頃のわたしを、
ほどよい距離で支えていてくれた、彼女にまた、感謝した夜。



浜松の海  11/13

お天気の日曜日、浜松に(用事も兼ねて)行ってきました。

パパが「子どもたちに見せたい!」と、意気揚々と案内した海。
「浜松にも、砂浜があるんやでえ〜」
パパ自身もこの砂浜は見るのが初めてで、わくわくしていたらしいのですが…

大きい坊 「・・・・・。ここ、見たことある…来たことある。」
小さい坊 「うん。来たことある。ここや。」
大きい坊 「そうや、ここや。ウミガメの放流!」
パパ 「ええっ来たことあるの〜?!ママも来たん?!」
わたし 「いや子どもたちだけ…」
爆笑。。

一昨年、お友だち同士で参加した、ウミガメ放流体験ツアーが、
まさにここだったらしい。(笑)
そんなこと頭から飛んでいたわたしは、それが浜松だったということも、
すっかり忘れていたのでした。。

まぶしい太陽の光。
晩秋の海は、とてもきれいでした。
強い風に、刻々と風紋が描かれてゆきます。


お次は、アクトシティ浜松にある、楽器博物館へ。
まだ浜松にヤマハの本社工場があった数年前、
グランドピアノの製造見学には来たことがありましたが、
駅前にあるここまでは、足を伸ばせていなかったのでした。


2つの階にわたって世界各国の楽器が展示されていて、
ヘッドフォンで、多くの楽器の演奏が聴けるようになっています。
(展示されている楽器を使っての演奏会が行われることもあるようです。)
ワンフロアの半分を占拠している鍵盤楽器コーナーは、まるでピアノ展示会のよう。
それも、ちょっと(かなり)古めの…


最後に、楽器関連ではお約束?の体験コーナー。
馬頭琴にチャレンジ!の大きい坊に、
絵的には結構サマになっている、ドラムスと小さい坊。(リズムはデタラメ。笑)
真剣な姿が、なぜか笑えます。。



二輪の花  11/9

先月書いた、夏の花、ロベリア。
ふと目をやると、なんと花が増えていました。


なんともいえない美しいブルーに、思わずパシャリ。
よく見ると、中央に、小さなつぼみもついてます。

夏のあいだ、まったく花をつけなかったレモンマリーゴールドも、
ひょろひょろの枝の先に、つぼみができているのを発見。
もう切ろうかと思っていたのに。。
こんな季節にも、花を咲かせようとしている植物たち。
満開の菊のみつをもらいにやってくるミツバチたち。
その生きるすがたをマクロの目になってながめていると、
みんな同じ生命という仲間であることに、気付きます。
そんな、当たり前のことに。



美しい朝  11/9


雨あがりの朝。
秋ならではの金色の日差し、光る朝つゆ、洗ったばかりの真っ青な空と空気。
隣の敷地からフェンスを越えてくる菊がいっせいに花開き、枝ではたわわに柿が色づき。
ミツバチやアリや小さな羽虫が、菊のみつ、葉のつゆを求めてか飛び交い、
鳥たちはつぎつぎと、熟れた柿を狙って枝に降りてくる。
葉かげからは、まだがんばっている、澄んだ虫の声。
神さまに、手を合わせたくなる美しい朝。



モスコーヒーごっこ  11/9

昨日出かけた先で買った、モスバーガーのホットコーヒー。
外だったので、そのまま持ち帰ったのだけど、
この紙コップ。まじまじと見つめてみると、なかなかかわいい。
洗って資源に入れるつもりが、うっかり乾かしてしまいました。
そしたら、、、こうするしかないよね。(笑)


外でコーヒー飲んでるみたいで、なんだかうれしい。
このコップ、いっこでぐるりとイラストが続いています。
tea leaf、cofee bean、corn、cacao、だって。
熱くならないように、ふわふわ仕様になっている表面がまた、かわいい。

飲み終わったら、うっかりまた、洗って乾かしてしまいました。
使いすぎて底が抜けないように、気をつけないと!(笑)



サイレント修理  11/5

ピアノをリニューアルして、早1年半が過ぎました。
リニューアル半年後調律の折に、なぜか電源が入らなくなっていた、サイレント。
このサイレントは、結婚してピアノを移動した時の後付けなので、すでに13歳。
アダプターから確認ですね。。と言われたまま、今回の調律まで、1年が経過。(笑)
直す気がなかったわけではないのですが、
ないならないで、昼間だけ弾く、が定着して、特に不便を感じなかったんです。

1年ぶりに先月やってきた調律師さん、サイレントがあのままと気付き、びっくり。
「あーそうでしたねー…あのままでしたっけ?使われてない?」
そうなんです…」(わたしも、連絡しなかったので、ちょっと遠慮がち。)
「じゃ、アダプター交換を、まずしてみましょうか…」
というわけで、アダプター取り寄せになり、数日後、持ってきてくれたのですが。。
「あれー???」
・・・・・アダプターでは、なかったようで・・・・・
「鍵盤に水をこぼしたとかでなければ、センサーの方ではないと思うので…」と、
電源ボックスの方を取り外し、調律師さんよしみの修理やさんへ送ってもらうことに。
やはり、電源スイッチ近くの基盤や、ほかもどこか、調子が悪かったようです。
2ヶ所ほど基盤の取り替えになり、アダプターは返品不可のため、新品に交換。
はじめは修理費にどひゃー!でしたが、メーカーに送ったら、その倍近いとのこと。
そう思うと、すごくお安く思えてきて、単純なもんです。(笑)

無事に取り付けがすみ、音だしの確認。
「ないならない」でやっていたとはいえ(笑)、
ヘッドフォンからひさしぶりに音を出した時は、ちょっと感激しました。
簡素な機能ですが、弾いたものを録音して聴くことができるので、
それだけでもかなり、練習に役立ちます。
調律師さんにとっても、
リニューアルで一度付け外ししたサイレントがすぐ壊れたというのは、
その労力を考えても、忍びなかったと思うのです。。
調律師さんが熱心に、直そうとはたらきかけてくれなければ(笑)、
ほったらかしになるところでした。
あーよかった。
これで、夜中も譜読みと暗譜ができます。
さあ!発表会に向けて!がんばろう。。



「忙しい」のカラクリ  11/1

先月の、「忙しい」の話。

実は、これには、カラクリがあるんです。

そのとき忙しくても、忙しくなくても。
「忙しい、忙しい」と言いつづけることで、
忙しい状況を作り出してしまう、というカラクリ。

わたしの尊敬する、超多忙なあの方は、
何十年前から、そんな状況を「活発に活動している」と表現しています。
「心を亡くす」と書く、忙しいということばは、使われません。
分かっておられるからでしょう。ことばの力を。

もうひとつ、気付いたカラクリ。
「忙しい」から「できない」「断った」ことは、結局、
その人の中で、大きな位置を占めてはいない、ということ。
本当に心の中で大切に思っていること、楽しいと思うことは、
忙しくたって、どうしたって、やらずにはいられないはずだから。
だから、それでいいのでしょう。
(個人的には、1親等からそう言われて深く傷ついたのは、
相手に期待を持ったわたしが悪かったのでしょう。)
誰にでも、自由に生きる権利があるのだから。

ただひとつ、
相手に踏みこめない部分であり、断る理由に使いやすい「忙しい」は、
便利だけれど、実は使わない方が、いいかもしれません。
うっかり使って、忙しい状況がループで作りだされてしまうのは、困るから。。

あーこんなつまんないこと考えるヒマに恵まれてて、よかった。(笑)



トリたちの獲物  11/1

毎日のように鳥が飛んでくる、柿の木。
窓の外ではちゅんちゅん、ぴいぴいと、鳴き声が絶えません。
がさっがさっとあやしい音がする時は、
たいてい、柿を食しているようです。


窓を開けると飛んでいってしまうので、なかなか、現場を押さえることができませんが、
残された柿は、ほれ!このとおり!
証拠だけは、つかんでおります。