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「女ひとり」(+男衆三人)  4/24

朝市を目指して、早朝出発。


テレビで見て、一度訪れてみたかった、京都・大原の日曜朝市。
野菜やおもち、お漬物やおにぎり、パンにおすし、たこやきに豚汁、なんでもあって、
たき火に当たりながら好きなものを買って食べるも、いとをかし。
雨の後で風があって、寒かったけれど、
澄んだ空気と、眼前に開ける田畑、はらはらと散る桜、一面の菜の花、
そんな風景に、心が和みました。

野菜やおもちを買いこんで、お次は三千院へ。


三千院は二十年ぶりくらい?
すっかり忘れてしまってましたが、お庭がとてもきれいで、静か。
お線香のにおいと緑のにおいで、心が洗われるような、すがすがしい気持ちに。


のどかな大原の風景のなかで、懐かしいれんげの花に出会って興奮。
何年ぶりに、見ただろう。
子どもの頃は、近所の畑のふちでたくさんつんで、冠を編んだ。
もう今では、筆文字の五円くらいに、出会わなくなってしまった、れんげ。
思えばわたしの唯一の詩集の、最後の詩、そしてタイトルにも。


" 手に取るな やはり野に置け 蓮華草 "  瓢水



名前・追記  4/20

あーっそして、いちばんだいじな、結論部分が欠け落ちていた。↓
名前の話の、オチです。

昨年末〜元旦の、さだまさしカウントダウンコンサートに行き、
そのまま、コンサート後の、NHK「年の始めはさだまさし」の中継放送を観覧してきたのですが、
なんとっっ。
ハガキが読まれたんです〜!!目の前で!!
(この話、ここに書いてなかったと思う…)
このとき、さだまさしさんは、わたしの名前を、
ちゃんと間違わずに、読んでくれました〜。わーい。
読まれたこともですが、その時は、そのことがささやかにうれしかったのでした。。

…これが、オチかいっ。(笑)

雑記に昔書いたように、ただの記号といえば、そうなのかもしれないが。
でもやっぱり。
「♪なまえなまえなーまえ、きみのきみのなーまえ」
…大切なものだと思うのです。



名前  4/20

名前を間違えられることが本当に多い。
今年は、町内会と子ども会の両方でお役目を引き受けているけど、
それぞれの最初の会議でもらった名簿が、どっちも間違えられてました。
(もちろん、両者が情報を交換しているわけではない)
慣れてるけど、続けてやられると、ちょっと気分が反抗的になる。
「ちがいます!」って。
だから、わたしは、人の名前は絶対に間違えないよう、
ふだんからとても慎重になっている。
名前は、その人を表す、大切なものだと思うから。

しかし昨夜、突然ひらめいた。
平凡な名前であるにもかかわらず、こんなにも間違えられるということは、
わたし自身のの認識が、原因なのではないかと。
わたしは、自分の名前が、昔から好きではなかった。
同じ名前の有名人に「名前負けするから」という理由で、
漢字の中から一部分を引かれたことも、
最初から負けてんのかい!という、敗北感があったりして…
「あやかって」とかなんとか、いいように言ってくれればいいのに。
それと、響きがあんまり好きでなかった。

子どものころは、漢字を間違えられた。
昭和の時代、その有名な人の名前が、圧倒的なイメージを持っていた。
しかも、同じクラスに似た名前の友達がいて、その子がわたしの漢字の、
「一部分を引かれていない」方だったため、
わたしの中でも、「同じだけど違う」意識があったのかもしれない。
(彼女はまじめで優秀な人でした。そして、高校まで一緒だった!)
未だに、小学校と高校の友達が漢字を間違えて年賀状をよこすので、
オットーが「長いつきあいやのに、漢字覚えとけよ!」と毎年つっこんでいる。
(年数が年数だけに、訂正する元気もない…)

社会に出てからは、今度は違う名前にされた。(笑)
とにかく、その「一部分を引いた」漢字を、まったく違う別の漢字に間違われるため、
名前まで、変わってしまうんだよ〜っ!!!
これはちょっと、許せない。
そのため、その「一部分を引いた」正しい漢字を、
識別のために横長にアピールして書くクセまで、ついてしまった。。
またまたちょっと、敗北気分。

しかしよくよく考えたら、わたしの中の、名前に対するこの認識が、
外側の世界の人々に、呼び名を変えさせてしまうほどの影響を与えたのかも!!
そう考えたら、そんな気がしてきました。。

そりゃあ、あの有名人のお方ほど、立派にはなれませんが…
自分の名前は固有名詞として、誰とも比較しない「わたし」を差していてくれるよう、
わたし自身の、意識を変えなければいけないのかもしれません。
それは、シンプルに、自分の名前を好きになる、ということ。

「日がつく方?つかない方?」
この質問、今までの人生で、何回くらい答えたやろな。。
(「知る」って訓読みして説明してんのに、つかへんやろ普通。)
まったく違う名前に関しては…
名前変えたろかな。。

名前を、今まで一度も間違えられたことがない人って、いるかな?
ひらがな以外の人で。…そりゃ、いるか。

前にも雑記に名前の話、書いたことがあったと思うけど、
これも雑記向きテーマだったかも。(笑)とまりません。。



同い年  4/19

昔、一緒に仕事していた人が、「筆文字の五円」を集めていました。
「筆文字の五円」って、なんのこっちゃですが、要するに、
「五円」の文字が、明朝体の筆文字で書かれているもののことです。
(今はほぼ、ゴシック体の「五円」ですよね?)
それを知ってからわたしも、筆文字の五円玉が手に入るたび、
「あったよー」とその人にわたしていました。(笑)

筆文字の五円は、昭和27年とか28年とか、そのくらいのものが多かった。
十年前くらいまではこちらに引越してからもときどき、見かけたけれど、
最近はとんと出会うことがなくなりました。
いつか、その人にあったらわたそうと、数枚の筆文字五円をためたままです。

そのうち、「ギザ十」(わかりますね?笑)のことも気になりだし、
ここ十年くらいは、「筆文字の五円」とともに「ギザ十」も出会ったら取り置き!してました。
なので、筆文字五円とギザ十が、同居している感じです。
ギザ十は、まだときどき、見かけますね。

そんなわけで(前置きながっ。)わたしには、小銭の表記を見るクセがあります。
そうすると、日々の買い物でおつりをもらうたび、
「あーこれは○○があった年だ」とか、「これは最近やなー」とか、
「あー生まれた年」とか、そういう出会いがあるのです。。

同い年の十円なんかに出会うと、しみじみ、ここで出会った不思議を考える。
この十円は日本国中、どこをどう旅して、これだけの年月を過ごしてきたんだろう。
どんな人の、どれだけたくさんの人の、手から手へ、わたってきたのだろう。
どんな気持ちを感じてきたんだろう。
それが、こんな、小さなスーパーの片隅で、出会えた奇跡。
自分より年上の小銭は、言うに及ばず。
わたしが生まれるより前の日本を知っていて、あちこち旅しているのですから。

「長いこと、旅してここまできたんやねえ…」
思わず十円玉に話しかける、あやしいわたくしなのでございました。。
(もちろん、レジを去ってからですよ…)



気付く  4/15

ほんとうの意味で「自分を大切にする」のは、むずかしい。
自分を甘やかすのではなく、モノやごほうびを与えるのではなく、
自分の心の声を聞いて、それに正直に生きること。
けれど、自己批判することで身を守って生きてきたわたしには、
それがほんとうにむずかしい。

けれど、
自分に感謝するということは、
今、ここにある自分の生命を支えてきてくれた人やもの、すべてに、
感謝をするということだ。

自分を卑下するということは、
今、ここにある自分の生命を支えてきてくれた、すべての人やものをも、
卑下する、ということだ。

突然ひらめいたその考えにはっとする。

自分を大切にして、自分の価値を認めることで、今まで関わった人やものすべてに、
感謝をささげることができる。そして、それらにも価値を与えることができる。
「食」について考えたときも、同じ結論だったと気付く。
いただいた「いのち」も、わたしの「ちから」としてよりよく使えば、
その「いのち」もまた、よりよく再生されるということ。
こころも、からだも、同じなんだ。
そして、その逆ももちろん。

生きている、という、ただそれだけが、人間の価値のすべてなのだと。
そのことを、肌で感じることなく生きてきた今までを、ほんとうにもったいないと思う。
自分の外側に価値をつけなければ、周囲に(おそらくその原点は親に)受け容れてもらえないと信じ、
自分の価値を見えるものに求め、その証明をしつづけなければならなかった、苦しい日々。
自分の存在価値は自分以外の他人に証明してもらうものと、意識下にあった、苦しい日々。
それらを全部てばなして、今ここに確かにあるはずの、
「ほんとうのじぶん」を、見つけだしたい。



感謝のおもい  4/9

ゆえあって、帰省していました。
折から、例年より1週間ほど遅れた桜が満開。


母校の正門前のしだれ桜が散っていました。
この桜の下で、入学式に写真を撮りました。
この桜は、わたしが卒業しても、おとなになっても、このまちを離れても、
毎年変わらず、花を咲かせてきたんだなあ…
そんなことを思い、胸がいっぱいになりました。
苔むした幹に、花びらが舞い降りていました。

桜を見ていたら、ここで生まれて、このまちで暮らせて、
よかったなあという思いが突きあげてきた。
それと同時に、ここ、このまちへの感謝の気持ちが湧きあがってきた。
胸いっぱいに。
そして、気付いた。

「感謝」とは、そのものの存在に、「あってよかった」と感じた時に、
自然に湧きあがってくるものだ、ということ。
「感謝しなければ」とか「感謝しなさい」とか、よく言われてきたけれど、
それには、そのものの存在を、喜びとして心で感じる必要があるということ。
「感謝や愛は絞りだすものではない」とどこかで読んで、
感謝できていない気がする自分とのジレンマに悩んでもいたから、
このことに気付けて、本当によかった。

生きていて「よかった」という気持ち、喜びを感じることができなかったから。
そんな時には、絞りだすしかなかったんだ。
このあいだのヤドカリの里帰りみたいに、
人々の心からの親切に出会った時には、
うれしくて、ありがたくて、
胸いっぱいに感謝していたことを思い出しました。
やっぱりそれは、喜びとともに、ありました。

裏を返せば、子どもたちに感謝の心を教えたいと思うなら、
「ありがたいと思え」ではなく、
「うれしい」「よかった」と喜びで受けとめる心を育てることが大切なのだとも思った。

そんなことを教えてくれた、ふるさとにやっぱり、感謝です。




春のかき揚げ  4/14

昨秋公開だった映画「マザー・ウォーター」。
物語は春で、美しい桜と鴨川の風景から始まります。
桜の花と疏水の風景の中で、
いつもお散歩しているマコトさん(もたいまさこさん)が、春の食材を買い求め、
夕方、ひとりお料理をして、ビールを一杯。というシーンがありました。
これが本当に、おいしそう!

そら豆は春にならないと手に入らないなあと思って冬を過ごし、
ついに店頭で見かけたので、作ってみました!ワクワク。


うどの皮はなしですが。。
揚げたては、さっくさく!たまりません。
あと、次の日にですが、「生麩とたけのこの白和え」も作りました。おいしかった。

映画の料理のレシピ本の最後に、著者のこんなことばがありました。
「毎日、わたしの作るごはんで家族が大きくなったり、強くなる。その幸せ。」
以前された仕事のコピーだそうですが、今は少し、共感できる。
もっと共感できるように、今の自分を認められるようになりたい、と思う。

コーヒーやのタカコさんが、豆腐屋のハツミさんを誘って作る夕食も、
白ワインに合う、さわやかなごはん。
けっして豪華な食事ではないのに、テラスの夕風とともに、心に残るシーンでした。

「水」にひかれてここにたどりついた、というタカコさん。
おいしい水で、おいしいコーヒーをいれる。
ハツミさんはおいしい水で、おいしいお豆腐を作る。
そして、ウイスキー専門のお店を営み、おいしい水で水割りを作るセツコさん。
京都の美しい水のある風景、そして、
その水とともに生きる女性たちの、なにげない毎日。
環境映画のような静けさでしたが(スクリーンで見ても寝てしまいそうな・いわんや、テレビをや…)
おすすめの映画です。



帰ったヤドカリ  4/2

沖縄旅行には、たいへんなおみやげがくっついてきてました。
今日は書く気力がないので、またのちほどここに…