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晩ごはん時の雑談…  1/27


(「いきものがかり」の、新しいアルバムを聴きながら。。)

大きい坊 「『YELL』って、いい歌やよな!」
小さい坊 「学校で、給食の時間にかかるよな!」
大きい坊 「5年生が、『6年生を送る会』で歌うんやで!」
小さい坊 「それで…『いきものがかり』って、なに?」
大きい坊 「(区切りながら説明口調で) それは、歌を歌う人の、チーム名や。」
小さい坊 「ふーん」
・・・・・
またも、わたしが声もなく爆笑していたのは、言うまでもございません…。
お、可笑しすぎる…。
だってふたりとも、真剣なんだもん…。



ドヴォルザークよりも…  1/26


今日発売の、某・雑誌創刊号を、思いたって購入。
それはクラシックのCDがついた、今はやり?の、週刊雑誌。
さっそく、晩ごはんのときにかけてみたのだけど…
「この曲、、、長いなー。」
食べながら黙って聴いていた、大きい坊がつぶやいた。
CDケースを裏返し、曲の分数を確認したわたしは、
「あーこれ、11分ちょっとかな。」と答えた。
それに答えて大きい坊、
「さだまさしの方が長いでー。12分やもん!」
それに対抗して小さい坊、
「違うでーさだまさし、『ママのいちばん長い日』は、13分やで!」
その向かいで声もなく、笑っていたのは、わたくしでございました…。

ドヴォルザークの交響曲と、長さの比較対照が、さだまさしなんかいっ!
しかも、なんで分数、知ってんねんっ!(爆笑…)



きょうの天使  1/25


小さい坊、鼻みずがひどくなってきたので、いつもの小児科へ。。

ここの病院は、看護師さんも受付の方たちも、もちろん先生方も、
対応が親切でていねい。
そこに甘えているつもりはまったくないのだけれど、
たぶん、目指す時にいつもあわあわして家を出てくるので、
たまにぽかっと、忘れ物をするんです。
それも、一度や二度じゃなく…
あるときは診察券、あるときは母子手帳、あるときはさいふ(!)、といった具合です。(汗)
それでもいつも、「ぜんぶそろってる?!」と確認しているのに…
このあいだの予防接種でもさいふを忘れて、あとで払いに戻ったのでしたが。

今日は、読もうと思ってカバンに入れた文庫の厚みを、
手がさいふと思いこんでいたようで、またもさいふ忘れ〜!!
これにはかなり、参りました…。
先回の予防接種でも忘れたことや、同じ受付の方だったことや…
いろいろ重なり、落ちこみ、最高潮…
診察時間の終了も迫り、「明朝、払いにきます…」と、とぼとぼ、外に出ました。

薬局で処方箋を出したあと、家で留守番をしている大きい坊ちゃんに電話をする。
「そこのカバンの中に、ママのさいふ、入ってる?」
「入ってるよ」
「悪いねんけどーかぎかけて、薬局までそれ持ってきてくれない?」
「えっ?いまから?これ持っていくの?」
「・・・そう。あ、ちょうどいいから、その帰りにドーナツ買おうか!」
「いく!!」(笑)
薬局で薬をもらい(小さい坊のだけなので、ここでは支払いはなかった)、外に出て、
見通しのいい場所に立って、大きい坊を待つ。
「あーあ…またさいふ忘れるなんてなー…ママはあかんなー」
もう午後7時半も近く、今日こそ早く食べさせようと思っていたのに、
宅配の野菜の泥落としやらに手を取られ、下準備もそこそこに飛び出してきて…
さいふは忘れるわ、晩ごはんのあてもないわ、
ものすごく情けない気持ちになって、本気で泣きそうになりました。
その時。
「いじゅたちも、学校でしっぱいしたりするから、ママもだいじょうぶなんじゃない?」
手をつないだ小さい坊ちゃんが、ふとわたしを見上げて、そう言った。
そのことばに、ふうっと胸が熱くなった。
彼は、わたしが泣きそうになっていたことに、気付いていたわけではないのです。
自分の感じたことと、今の状況を照らし合わせて、そういうことばを言えるなんて…
彼に励まされたことと、彼のこころの成長に、同時に胸を打たれました。
「いじゅもしっぱいするの?たとえばどんな?」
「ずこうのきょうかしょわすれたりとか…」
・・・・・
それで、ずっと時間割せんと、毎日全部持っていってたんやな。(笑)←2学期に発覚して叱った。
この話は、夜遅くこれを伝えたパパにも感銘を与えました。
自分の立場とひとの立場を重ねて、相手の気持ちが想像できるなんて、すごいなと。
しかもそのパパの言葉と、まーったく同じ内容のことが、
さいふと間違えた文庫本の、まさに待合で読んでいた数ページに書いてあったのです。。
なんてすごい、シンクロニシティ!!

大きい坊ちゃん、息をきらして、さいふを持ってきてくれました。
わたしは、この子たちからたくさんのものをもらっているなあ、
救われているなあ、と、また胸がいっぱいになりました。
まだ開いていた病院で無事会計を済ませて、ドーナツを好きなのを選んで買って、
ちょっと気持ちを持ち直した帰り道、ちょうどいい、手早い「晩ごはん」がふと浮かんだ。
ああ、、、きょうの天使が、いっぱい。
気持ちは最高に黒星だったけど、最後に救われた、そんないちにちでした。



昔の写真  1/21


2年生の生活科の最後に、
「大きくなったわたしたち」というテーマで取材、まとめ、発表をする、という勉強があります。
大きい坊ちゃんたちの学年は2年前に、学年最後の授業参観で発表をして、
先生のサプライズ企画もあって、とても感激したことを思い出します。
(その時の日記は、こちら

それが早いもので、小さい坊ちゃんの番になりました。
↑のリンクの日記で、「いちねんせいになるのたのしみ。」と言っていた、
小さい坊ちゃんも、春からは3年生。

赤ちゃんの頃の写真がほしい、というので、
昨晩からあれこれ、ずいぶん時間をかけて、PCの中の古い写真を探す。
一枚にしぼるのは難しくて、結局、数枚の写真を選んでまとめました。
そんな作業の中で、小さい坊ちゃんの、1さいの誕生日の写真を見つけた。
子ども用のランチプレートに、あれこれ好みの食べ物をのせて、飾って…
小さくお山にした、お赤飯。手作りの日の丸の旗つき。
パステルカラーのマカロニサラダ。坊たちの大好きな、かぼちゃと高野豆腐の煮物。
そして、うさぎのりんご…
こんなていねいさを、私はいつ失ってしまったんだろう。
そんなことを考えて、ちょっと落ちこむ。
そして懐かしい、以前のおうち…
庭いっぱいの芝生の緑、放り出された青いホース、実るミニトマトの赤、
子どもたちの小さなプール…そして、たくさんの泣き顔、笑顔。
この写真の中の、いきいきとした、美しい時間は、もう取り戻せない…そう思うと、
胸がぎゅっと苦しくなりました。
背の高いマンションに囲まれ、人に囲まれ、心を縛りながら生きていることにも、
もう慣れてしまったけれど…
ちいさな子どもたちと過ごした、あの時間。
写真の中のあの日々へ、心だけ帰ったような、そんな気がしました。



スライム作り  1/17


子ども会で出前講座があり、静電気の実験と、スライム作りをしてきた坊ちゃんたち。


のびるのびるー!!

夜、西村由紀江さんのコンサートに行ってきました。
思えば、偶然手にした15年前のCDも、自分の音楽を模索し、主張しはじめた彼女の、
凛としたたたずまいに引き寄せられたのかもしれません。。
さまざまな試練を乗り越え、
誰かのために、祈りをこめて弾く由紀江さんのピアノは、
温かく優しく、静かだけれど力強く、
理屈抜きで、聴くひとの心に寄り添ってくれるのだ、と…
そんなことを、思いました。
「ひと」は、そのひとが表現するすべてから、見えてくるもの。
由紀江さんの、優しさの中にある強さに、励まされたコンサートでした。

…バッハのCDが終わってしまった。
インベンション(15曲)が3年かけてやっと、残り3曲というところまで、きました。
けれど、1曲ずつ、突き詰めるとどうしても壁を感じてしまう…
もう、どんなにがんばってもここ以上は無理、という壁。
「表現する」ということのむずかしさを、あらためて感じている。
それは、どれだけ弾きこんだか、ということではなく…
そこに命を吹きこむ、というか、そういうこと。
それがうまくいかない。
自分を出すという、根本的なところでつまずいている。

そこに友達から、「結局は、弾けないのは技術の問題」と言われ、ショックを受けていて、
もしそうなら、技術のないわたしは今以上弾けるようにはならないだろうと…
弾こうとするたび、それを思いだして…練習しても仕方がないのかな、と投げやりになる。
下手なりに、命を吹きこむことは、やっぱりできないのだろうか…

自分は何の役にも立たないなあ…と、ためいき混じりに思った時に、
とある少女まんがの、あるシーンがぱっと浮かんだ。
「アリスはおやめなさい。あの子はなんの役にも立たないわ」
ナンノヤクニモタタナイ-----------
先生の言葉を、本人が聞いてしまうシーン。

とっさに浮かんだんだけど…これ、ピアノまんがでした。
そのことにちょっと、笑えました。



夕暮れ  1/16



冷たい夕暮れ。
新幹線が、駆け抜けた後。



朝の三点セット  1/14


毎朝欠かせないモノたちに、珍しくフォーカスしてみました。
ふだん、まったく意識していないのだけど。。


1日に2〜3回は出番があると思われるポットと茶こし、
そしてこれは、主に朝、使うカップ。
ポットは実家から持ってきたもので、もう20年近く前の、
ミスタードーナツのカードポイントの景品です。(このシリーズ、好きだった。。)
ちょうどマグカップに1杯半ほどの湯量が入り、1杯ぶんを飲んだあと、
濃くなった残りの紅茶に白湯を少しさして入れると、温かい2杯目が飲める、
ジャストサイズなこのポットを、もう十年以上愛用しています。
茶こしは回転式もありますが、気付いたら、これ一辺倒になってました。(もう真っ黒)

さあこれらで、ミルクティーを入れます…


ムジカのアフタヌーンブレンドと、
ティーメジャーも欠かせない。

多めに牛乳を入れるので、
かなり濃く入れます

このままでは、
苦くて飲めないくらい。

五臓六腑にしみるのは、
やはり秋の冷えこんだ朝。

思えば、毎朝儀式のように、これをやっています。(もう、無意識のうちに)
子どもたちを送りだし、さあ、洗濯物!という、合間の時間に…
お湯を沸かし、テレビをちらちらながめながら、入れて、蒸らして…
飲んだ瞬間、はあー…と力が抜けてゆきます。
さあ、これからひとり時間。という、区切りでもある。
そして、家事に没頭してゆくのです…

このティーメジャーも、もう20年も使い続けているもの。
昨年の日記にも書いた、お酢を送ってくださった京都の知人が、
昔々、プレゼントしてくださったもの。
昨夏、大阪の紅茶やさん「MUSICA」を訪れた折に、店員さんがお客さんに、
「これは、一生ものですよ。一生使えます。」とすすめていたのを耳にして、
さもありなん、と、深く深く納得。。
そして、一生、紅茶を飲んでいる自分を想像する。。

そんな流れから、雑記「私の紅茶生活」を久しぶりに読んできました。
もう7年も経っていてびっくり。書いておいて、よかった…。
ついでに、「私のパソコン生活」全編もとおして読んで、
「『私のパソコン生活』面白い!(^o^)」と言ってくださった、
今は亡き、尊敬する深海魚さんのことを、懐かしく、懐かしく、思い出しています。



宝石箱  1/13


外に出て、ふと空を見上げたら、
冬の夜空がきらきらしていて、思わず見とれる。
オレンジ、ブルー、白、いろんな色があちこちで明るくまたたいていて、
本当に、宝石箱のふたを開けたような美しさ。
まず東の火星の赤に目を奪われ、オリオン座が目印のように、南天に輝く。
オレンジ色のベテルギウス(640光年)は、もうすぐ、爆発するかもしれないのだそうだ。
兆候が見られる、ということらしいのだけれど、
その兆候もすでに、640年前の光の兆候。
今まさに爆発していたとしても、それを確認できるのは、640年後。
今、この世に生きている人は、誰も見ることができない、未来の時間。
そう考えると、気が遠くなる…

リゲルの青白い光の若さ、美しさ。
けれどそれをしのぐ、わたしの中のいちばんの星は、おおいぬ座の、シリウス。
冬の空で、いちばん明るい星。すぐ見つけられる。
ベテルギウス、そしてこいぬ座のプロキオンと結べば、冬の大三角のできあがり。

天頂近くに輝くのは、ふたご座のオレンジと白の星。
この星を見つけると、宮澤賢治の、「双子の星」を思いだす…
そうだ。「星めぐりの歌」。

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

ぐるぐる、ぐるぐる…
いろんなことを思いながら、きらきら、きらきら、
美しい夜空に見とれていました。
この美しいかがやきを、きらきらのことばにできたら、
幸せだな、と思いながら…



ちいさな記録  1/11


2年ぶりくらいに、日々のちいさなノートをとっている。
お天気と、その日のごはん、でかけたところ、したこと、などなど。。
たいした大きさの欄でないので、ほんとにちいさな記録。
けれど、続けて書かれていくその手帳をさかのぼっていくと、
連綿と続く日々が、目に見えてくる。
「わたし」をかたちづくる日々、が。

うまく表現できないけれど、そのことに、安心するのです。
振り返った時、転ばない確かな支えがあるような。。
「続いている」何かに、ちいさなちいさな、「ほっ」をもらうのです。



ぼんやりと  1/10


結局は、「自分次第」なのだ、ということ。

それしか、答えはないのです。

自分がやりたいように、生きたいように。
在りたいように、在ればいい、と。

十人十色の他人の価値観すべてに合わせることは不可能だし、
よもや誰かに合わせられたとしても、
時と場合によって変化するすべての状況において、
ぴったりと合わさることなんて、あり得ない。
その人ではないんだから。
ここにあるのは、わたしという個、の価値観なのだから。

自分の力でどうにもならないことを、
努力すれば成せると思うから、罪悪感を持つことになる。
「もっと他に、何かできたんじゃないか」とか、
「自分の努力が足りなかったからだ」と、自分を責める結果になる。

あれこれ読んだ本から、そんなことを思いました。
今までのいろいろなできごとを振り返り…しみじみと。

そして、価値観が「無限大個」(これ、坊ちゃんの友達の、名・造語…)存在するからこそ、
「正しく伝える」ことは、大切なことだ、とも。
内なる思考の、どの部分をどのように吐露するか、は難しいけれど、大切なことだ。
相手に「正しく伝える」努力は惜しまないように、
けれど、相手の言動は、それを相手の一部だと受けとめ、
それだけで安易に判断をしないように。
あとは天任せ。

世界は、いろんな人がいることが、美しく、完璧なのだ、と。
けれど自分の限られた時間と気力体力を、そのすべてに同じように割く必要はない。
さらさらと説かれたら、そんなような気になる、分かりやすいわたしです。

あとは、自分の中に残る、感情の整理のつけ方だけが、問題なんだけれど。
これはもう…百戦錬磨、そして気力体力の減退を待つしかないですね…(笑)



「雪だるさん」  1/5


実はこれ、昨年末のネタなんですが…

昨春のトップページを彩った、パンのゆきだるまちゃん。
(今は写真館に移動して展示中)
いつもこっそりのぞいているHPで作り方が紹介されていて、
そのかわいらしさにノックアウトされ、何回か焼きました。
今年の年賀状にも写真を使った、お気に入りのパンでした。


↑これこれ。これです!

さて、数週間前のこと。
近所のスーパーで、パンやさんをふとのぞいた折、店頭にあったとあるパンに目が釘付けになりました。


その名は、「雪だるさん」 ¥140
今日、やっと画像をゲットしてきたんですが、
これを初めて目にした時、あまりの悲しさに、笑いをこらえることができませんでした。
この画像よりもっと激しく、目も、口も、溶けてずり落ちていたんです。
帽子部分のアポロチョコ、プリッツの手から判別するに、
間違いなく、同じ成型方法を真似たものだと思うのですが。。
わたしがはっとしたのも、そこだったわけで。。
(中味は、食べていないので、同じレシピかどうかは分からない)
「こ、これは…」
絶句したわたしは、笑いをこらえきれず、にやにやしながら雪だるさんの周囲をうろつき、
しっかり観察した後、そこを離れたのでした。。

その後、画像なしで、オットーにこれを一生懸命説明したら、
「それは…溶けてゆく、ゆきだるまの悲しみを表現してたんとちゃうか…」
オットーも、笑いがこらえられないといったようすでした。
そしてこのコメントにまた、バカウケしてしまうわたくし…

販売商品ゆえ、大量生産の悲しさなのか…
わたしは焼成後冷ましてから、チョコペンを使って描いているため、
細い線が描けるのですが、
「雪だるさん」の方は、フラワーペーストのチョコクリームを使って顔を描き、
その後焼成していると思われます。なので、ずり落ちてしまうのかな。。
(昨年の年賀状に使ったくまパンたちは、私もそうしてるんだけど…)
それにしたって…
これは、悲しすぎる。と思いながらも、
溶けゆくわりにはにやにや嬉しそうな雪だるさんに、
今日は思わずカメラを向けてしまった、わたくしでございました。



初笑い  1/4


帰省から戻った翌朝、部屋は荷物であふれ、年賀状もぐちゃぐちゃ…
疲れてぼーっとしているせいか片付けもはかどらず、
年賀状の整理や返信もはかどらず…あっという間に午後に。
とりあえず買いだしに行かないと…その前に、こっちの初詣も…

まずは、近所のいつもの神社に、お参りにいくことにしました。
いつも静かな境内もにぎやかで、火を焚いていて、暖かい。
くべられた竹が、時折ばきっ!と高い音を立てて、割れています。
お参りのあと、「子どもみくじをひきたーい!」と言う坊たちに100円ずつわたし、
おみくじをひいてもらいました。

大きい坊ちゃん…大吉
小さい坊ちゃん…小吉

境内で結んで帰る?と聞いたけど、坊たちは大人みたいにさっと読めない
(子どもみくじなので、文章もわかりやすく、ひらがなで書かれてはいるんですが)ので、
持って帰ってゆっくり読むことにしました。

帰りの車中で。。
大きい坊ちゃんが、自分のおみくじの文面を、読みあげていました。
「うせもの。『どこかにおきわすれているかも。みのまわりをしっかりさがそう』。
 ・・・まま、『うせもの』ってなに?」
「うせものは、失くした物、っていう意味やで」
そう答えたわたしは、はたと、小さい坊ちゃんが学校で失くした定規のことを思い出したのです。

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2学期末…算数の図形の授業で、定規を使って、三角形を切り貼りしていた坊ちゃん。
なんのことはない小さな10cm定規なのですが、
書きかたのごほうびでもらって、大事にしていたかわいい定規でした。
おなまえシールも貼って、「絶対に失くしたくない!」と言って…
それがその日、帰る頃になって、その定規がなくなっていることに気付いたらしいのです。
本当にあちこち探したけれど、見つからず…
顔がはれるほど泣きじゃくって、家に帰ってきたので、こっちはびっくり。
「なに?どうしたん?!」
「じょうぎが、じょうぎが…なくなった…」
それも聞き取れないほど、しゃくりあげて泣いていて…
先生も、お隣の席のお友だちの机まで探してくださったそうなのですが、見つからなかったらしい。
ランドセルのなかも、教科書やノートの間も、手提げバッグのなかも…
仕方がないので、もう一度学校に連れていき、事情を話して、
本人が納得するまで、席の周りを探させたのですが、やっぱり見つからなかった。
工作のような状態だったので、紙くずがたくさん出て、そこに紛れてしまったのかも…とのことでした。
そこまでは探すことができず、坊ちゃんにも納得させて、帰途につきました。
それ以来毎日、学校から帰るたび、
「今日も、じょうぎみつからなかった…」と報告していました。
けれど、徐々にショックが薄らいだのか、泣かなくなったので、わたしも忘れていたのでしたが。

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その事件を、はたと思い出したわたし、小さい坊に、
「いじゅの、『うせもの』は、なんて書いてある?!」と、ちょっと興奮してきいてみました。
「『うせもの ごみと いっしょに すてられました でない』」
「?????」
↑坊が間髪入れずすらすらと言ったので、勝手に作った文章と一瞬思った。(笑)
「えーっ!ほんまは、なんて書いてあるん?!」
「だからー。『ごみといっしょにすてられました でない』。」
「じょ、じょうぎー?!」
次の瞬間、車中は大爆笑の渦…
涙にじませて、大笑いさせてもらいました。
「そ、それは、まちがいなく、神さまの声やわー!」
爆笑、爆笑…帰省の疲れも吹き飛んだ、初笑いでありました。

お正月のいとこからのプレゼントに、新しい定規が入っていたので、
今年からはそれを、大事に使おうね。



お茶三昧  1/4


さてさて、帰省中に紅茶やさんに寄り、また違うお茶やさんで、福袋を買い…
年末の法事の粗供養の品を開けてみましたらば、
そこにもまた、煎茶、玄米茶。。お茶菓子まで入ってる〜!
こうなったら、もう!
お茶三昧の一年です。
いや、それを、初めから狙っていたような、気も。。


あれ?あの、すみっこにいるのは…


じゃーん!
赤ずきんちゃん・ティー・フォー・ワンでーす。
以前、よそのブログで見かけて、かわいい!と思っていたのを、
たまたま入った雑貨やさんで見つけたのです。
(他にも、マトリョーシカ・ティー・フォー・トゥーという、カップが入れ子になっているタイプもありました。)
この子と一緒に、お茶時間をほっと楽しむ年にしたいです。。
実は、浄水ポットも買いました。
お茶の味が明らかにまあるくなって、ちょっと感激。
ずっと続いている肌荒れがよくなることをひそかに期待して…



帰省珍道中  1/1


あけまして、おめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。。

年末から6日間、稀にみる?長い帰省でした。
それというのも、祖母の一回忌が年末にあったからで…
その場所が実家よりさらに西へ3時間の移動が必要なため、当日は6時出発でした。
実家前泊。ということで、前泊日は、のんびり午後から、新大阪止まりののぞみで帰りました。
大阪市内を、ぶらぶら見物??しながら。。
「あーあそこ変わったなー」「あれーここ抜けたらどこに出るんやったっけ?」とか。
20年前から通う紅茶やさんに久々に立ち寄ったり、わざわざひと駅歩いたり。

そろそろ地下鉄に乗ろうと駅に降りると、大きい坊ちゃん、
「ままー。これ、いくつ乗るの?」
「3つだけー。すぐ降りるから。」
目的の駅に着き、また地下街をぶらぶらと(寄り道はせずに)私鉄の駅を目指し、歩く。
私鉄の切符を買っていたら、大きい坊ちゃん、
「ままー。これ、どこまで乗るの?」
「あーこれは…30分くらいかなー。路線図見てー。○○駅まで。」
そして立ちっぱなしだった電車、20分くらい乗って、やっと席が空いて座れました。
目的の駅に着き、薄暗い中、ロータリーのバス停を目指します。
「ままー。なんていうバス停で降りるの?」
「あーこれはふたつしか乗らないから!ふたつめですぐ降りるからね。」
5分ほどで、とっぷりと日が暮れた、実家最寄りのバス停到着。
雨の日はいつも、ここからバスに乗った。
こんなに道路狭かったっけなーと思いながら、
反対車線のバス停にあるポストに、年賀状を入れにいく。
そこに大きい坊ちゃん…
「ままー。道分かるの?」
・・・・・
爆笑。。
実家の、すぐ裏の道路なんです。
「分かるわ!!!!!」
なんでそんなに訊いてくるの、と逆に訪ねてみたらば…
「だってまま、きょろきょろしてるんやもん…」
・・・・・
またまた、大爆笑でした。

夜、このことをオットーに報告したら、電話の向こうでまたも大爆笑。。
「ままがきょろきょろしてるし、日が暮れて真っ暗やし、不安やったんやろうなあ…」
30年近く住んだ町ですからねー。
たまに帰ると、その変化にきょろきょろしてしまうんだろうねー。
土地勘のある大人と違い、知らない場所をあちこち連れ歩かれた坊としては、
いつになったら着くのやら…と、退屈もしていたのでしょう。
ああけれど…この会話は…面白かったです。